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論文・レポートのまとめ方ガイドライン(田中教授)
 
 
論文・レポートのまとめ方ガイドライン
1997.6.1(1999年12月改訂) 田中 洋

以下はとりあえず、比較的「固い」(卒業)論文のまとめ方について述べます。修士論文のためにも役立つと思います。レポートあるいはプロジェクトについてはまた別の機会に考えますが、原則はそんなに変わっているわけではありませんので参考にしてください。


*論文の構成:
論文は普通以下のようなシンプルな構成を取っています。
(1) 序・はじめに、(2)文献展望・理論的枠組み、(3)方法、(4)結果、(5)結論・検討。論文は誰にでも理解できるようにという目的を持っていますから、構成はできるだけシンプルでわかりやすくすることが求められます。このためにはできるだけ沢山論文を読むことが一番です。マーケティング関係では、「消費者行動研究」「マーケティングジャーナル」「マーケティングサイエンス」あたり、アメリカのではJournal of Marketing,Journal of consumer researchがおすすめです。

*どうやって取り掛かるか:
もちろん、論文は取り掛かるまでが一つの難関です。頭の良い人でも論文が書けないために研究者の道を放棄したなんて人もいます。(逆に言えば頭の程度と書ける・書けないは問題ではない!)研究者になるまでは、論文の意義は論文が書けるかどうかを見せるための道具ですから、テーマ自体がそんなに独創的かどうかは求められません。(外国の理論の追試でもOKということ)もちろん取り扱うテーマが面白く、人の興味を引くものであればもちろんいいわけですが。

*どうやってテーマを探すか:
テーマを探すためには、やはり論文を沢山目を通すことが必要になります。論文にもトレンドがあります。関係性マーケティング、ブランドエクィティ、IMCなどのようにアメリカ発のトレンドが日本の研究界を支配しているようにも見えます。トレンドを追いかけてもいいですし、もちろん独自のテーマを扱ってもいい。古いパラダイムを追いかけて見ることもいいでしょう。ただしこれは既に沢山の人がチャレンジした後だと新しいテーマ探しがむつかしいこともあります。

*何が良いテーマなのか?
肝心なことは「何が追求するのに値するテーマなのか?」を考えることです。我々が多く考えることは既に誰かが考えていることが多い。研究論文の意義のひとつは誰も書いていないことを書き調べることにあります。(ただし学部の卒業論文ではそこまで厳密には問われないのが普通)ただし意義のあるテーマでも、誰がやっても答えのでない問題はやはりあまりやらない方がよい。非常に根本的な問題例えば、貨幣とは何か、人間の意識は何によって規定されるか、なんて問題はマルクスやフロイトが考えました。こういう土台となる理論を考えることは通常の研究論文では大きすぎて取り扱えないので、ごく限られた問題についてささやかな解答を出すのが普通です。

例えば、広告でいえば、「広告は人々の意識をどのように変えるか?」などと大上段に構えても相当むつかしい。問題を腑分けして、「インターネットにおけるバナー広告の効果過程とは?」あるいは「アスレチック用品における広告とプロモーションによる販促の相乗効果」「花王とライオンの90年代の広告戦略の比較」みたいに問題を細かく分けます。

答えるのに値する問題とは、例えば、1960年代にKrugmanが問うた、「なぜテレビ広告は販売促進に有効なのか」というような問いです。この論文は広告のみならず、社会心理、消費者行動論に大きな影響を与えました。クラグマンはGEに勤める実務家でしたが、この大きな問題に短い論文でアカデミアに対しても偉大な考察を示したのです。

*「何かいい文献はありませんか?」とは聞かない!
したがって、我々は過去の研究や現在のトレンドを見ながら、自分独自の問題は何かを探さなくてはなりません。簡単なやり方は、既にその分野を研究している人で親切そうな人を探して聞いてみることです。(うるさがられないように)…というのも、研究者は自分の時間とお金を費やして過去の研究に目を通しているものです。それを簡単に聞いてしまおうというのはあまりにも勝手がよすぎる。いきなり、「XXについて何かいい文献はありませんか?」とは質問しないこと!!! 自分なりに調べて「ここまで調べたのですが、ここについてわからないのです」と質問するのが良いでしょう。

*論文をどう構成するか:

論文の書き方の流れに戻ります。

まず、第1章では「序論」・「はじめに」・「問題」・「問題の所在」、などとタイトルをつけて、ここで取り扱おうとするテーマは何か、何を問題にしようとしているか、この問題はなぜ取り上げる価値があるか、問題の背景、を説得的に述べます。例えば、インターネットマーケティングがこのような形で関心を世間的にもたれている、とか、XX業界では近年このようなことが問題になっているとか。課題の取り上げ方ですが、広告量が多いと販売量が多い、なんて当たり前のことを取り上げるのは相当勇気が要ります。社会科学の場合、有用な論文とは常識ではない、当たり前でないことが示されることが重要です。(その意味では我々の「常識」が社会科学の出発点になっているわけです。)しかし修論段階ではそこまで強く意識する必要はないのかもしれません。

書き出しに苦労することが多いと思われますが、私の場合、大体「この研究の目的は…」と書き出すことが多いです。余り能のあるやり方ではないのですが、こうやると後が書きやすくなります。

第二章「研究展望」では、既存研究のレビュー(展望)(literature review)(literatureといっても文学ではない!) です。これまでにどのような研究がされてきたか、を簡単にしかも包括的に述べます。これがちゃんとできるかどうかは大事なことです。10や20くらいの論文しか引用していないとちょっとさびしい。30くらいは引用してもらいたい。その上で、これまでの研究史上で何がまだ解決されていない問題かを述べる。これでこの論文で取り上げるのは価値のあることなんだよ、とわかる。さらに同じ章では、どのような理論的な枠組みでこの研究を組み立てようとしているかを述べます。理論やモデルが既にあり、それを引用すれば済む場合と、自分独自で組み立てる場合もあります。また、ここで証明しようとする「仮説」をフォーマルな形で述べます。この仮説が以下でテストされます。(仮説でなく、研究課題(research questions)という形で述べられることもあり)

第三章「方法」では、仮説を検証するために、どのような実証研究を行ったか、その方法が述べられます。実験の場合はどのような条件を設定して、被験者は誰か、実験の進め方、手順、また分析の仕方、使った解析方法など。注意すべきことは、社会科学においては、仮説は証明される(verify)されることはありません。仮説は支持(support)されるかあるいは、棄却されるだけです。

第四章「結果」では、その結果がどのようであったか、を簡潔に、主観を交えずに淡々と述べます。実証的なアプローチでは、多く数表が示され、統計的な処理が施された結果が示され、仮説が支持されたかどうかが提示されます。

第五章「結論」あるいは「検討」では、その結果を基にして、最初示された仮説や理論にとってどのような意味があるのか、新しくわかったことは何か、何がこの研究で明らかにされたか、が述べられます。また現実への応用・意味(implication)が語られます。さらにこの研究の限界が書かれたり、今後の研究の展開が語られたりもします。

いずれにせよ、最初提示された問題について何がわかったのか、何がわからない問題として残ったのか、が確かな手順を通じて示されていることが必要です。良い論文はこれまで多くの人が見過ごしてきた重要な問題を掘り起こし、それを独創的な方法で明らかにし、説得的に結果が示されているような論文です。

私自身の経験から言うと、このような「アカデミック」な経験は、現実のビジネスにおいて非常に役に立ちます。特に日本のような社内合意に曖昧さが横行するビジネスシーンにあって、このような学問的な訓練は有用です。その意味でも、私はアカデミックなもの、また「実践的」という意味を通常よりも区別して考えていません。本当の意味での「理論」とは必ずしもすぐに役立たないように見えて実は応用範囲が広く、かつ実用的なものなのです。実用的であろうとするハウツー的「理論」ほど実践的でないものはありません。大学院で社会人の方が学ぶ意義のひとつはそこにあるのではないでしょうか?

アカデミックな訓練を通じて得られるもう一つの教訓は、問題の新たな設定のやり方です。取引のクライアントから示される問題は、多くそのまま答えてはいけない問題を含んでいます。我々は与えられた問題を、解決可能でしかも解決するに値する問題に変換することが重要なのです。例えば、あなたがコンサルタントでクライアントから「売上が伸びないのですが」と相談されたとしても、それに直接応えて「売上が伸びる方法」を話すのは得策ではないでしょう。そもそもその企業にとって「売上をどのように伸ばす必要があるのか」を考えることも必要でしょうし、さらに組織的・マーケティング的・技術的に問題を分解して捉えるのがコンサルタントの仕事です。大学院の論文であなたが最初に疑問をもったことをどのような形で捉え直し、どのような方法でそれを解き明かすか=問題を転換する訓練、を行うことは実際のビジネスにおいても非常に役に立ちます。

*追記:修論を書く院生にある社会人院生の方が、修論を書いた体験を振り返って「自分のやりたいことから、自分のやれることへの転換が大切だ」と言っていました。これはなかなか含蓄のあるコトバです。探求したいことがらはいくらも思い付きますが、問題はそれを「どのような方法によって実現するか」、です。そのためには方法論を考えることが非常に重要です。道具なしには研究は実現できません。そのために大学院ではどのような方法(methodology)によって修論を仕上げるかを、特に一年生の方は強く意識されることを希望します。


(以上)