『鏡の中の左利き一鏡像反転の謎一』(2004, ナカニシヤ出版)2200円


目  次

はじめに 1

第1章 議論の前提:二段階で臨む幾何光学的説明 7
 1.1 第1段階:鏡面を対称面とする面対称変換 8
 1.2 ここから先は心理学の問題? 11
 1.3 物質の大切な性質:キラルとアキラル 12
 1.4 分子研究者にとっての“対掌体” 17
 1.5 第2段階:前後ではなく左右が反転することの説明 18
 1.6 紙に書かれた文字も同様 20
 1.7 上下・前後・左右軸決定の順序性 22
 1.8 心は物理学的メカニズムどおりには働かない 24

第2章 左右反転感を抱く場合1:鏡の前で片手を上げる......27
 2.1 物理学的二段階説に合致する事象 28
 2.2 回り込めば一致感が得られる 31
 2.3 対象物の固有的定位と環境枠組み 32
 2.4 鏡映変換により自己身体の前後は反転しない 34
 2.5 固有的定位は上下と前後 35
 2.6 そのとき空間枠組み座標は 37
 2.7 心理学でのメンタル・ローテーション実験 41
 2.8 回り込みは180度回転と限らない 44

第3章 左右反転感を抱く場合2:鏡に映った文字 47
 3.1 幾何光学的メカニズムは身体の場合と同じ 48
 3.2 文字の場合は回り込みを行わない:鋳型照合 50
 3.3 アキラルな文字:左右反転しない事象の予告 51
 3.4 鏡文字だと即座に分かるか?:文字列や偏と旁 54
 3.5 鏡の中の左利き 57

第4章 鏡映像に左右反転感を抱かない事象 63
 4.1 特殊な対象物1:自分の顔を鏡に映す 64
 4.2 特殊な対象物2:カップや弓の矢 71
 4.3 特殊な対象物3:軸名のない物体 75
 4.4 鏡の位置の問題:“逆さ富士”は上下の反転 77
 4.5 共通の枠組み空間:車のバックミラー 82
 4.6 実物と鏡像が同時に見えること 86
 4.7 文字の対称性:“鏡文字”とは何か? 90
 4.8 自己の身体を床鏡や天井鏡に映す 91
 4.9 “回り込み”は自己投入法 94

第5章 鏡像問題への解答:座標系の共用−個別化説 97
 5.1 座標系の共用−個別化説 98
 5.2 座標系の個別化が起こる理由 101
 5.3 “回り込み”の有無 104
 5.4 鏡映変換による1軸反転の原理 106
 5.5 左右反転感を抱かないことと座標系の共用 109
 5.6 物理事象か心理事象か:固有的定位をめぐって 110
 5.7 座標軸の名称と固有的定位 112
 5.8 共用と個別化の時間的前後関係 117
 5.9 両手はぴたりと重なる?:言葉遣いのすれ違い 118
 5.10 全員が同じ見方をするわけではない 120

第6章 逆さめがね実験から学んだこと 123
 6.1 逆さめがねの種類と構造 124
 6.2 上下反転視状況での利き手判断の非直感性 130
 6.3 上下反転視状況での右折と左折:“裏返し”の稀少例 133
 6.4 左右誤認と左右反転感の違い 138
 6.5 左右反転視状況での利き手判断 140
 6.6 鏡による前後反転の直接的影響:鏡映描写との関連性 143
 6.7 知らずに操る座標系 148

第7章 今後の課題 151
 7.1 全員が左右反転感を抱くのか? 156
 7.2 対面映像は他人の姿? 156
 7.3 見慣れない文字か左右反転文字か? 157
 7.4 直感的判断は見る頻度が決め手か? 158
 7.5 片腕切断者の鏡像への反応 160
 7.6 左右反転感を抱かない場合の前後反転感 160
 7.7 左右が逆さに見えない“直角合わせ鏡” 161

引用文献 169

索  引 173

あとがき 177

一物理屋のコメント (多幡達夫) 181

はじめに

レストランで鏡に映った人の食事風景を見ていると,ナイフとフォークをもつ姿が,本当は右利きなのに左利きに見えてしまう.このような経験は誰しももっていることだが,ほとんどの人は,ことさら不思議なことと思わない.「鏡は左右を反転するのだから,右利き動作が左利き動作に見えるのは当たり前」と考えてしまうようである.
 しかし,鏡は映ったものをいつも左右反対に見せているわけではない.たとえば,自動車のバックミラーの場合はどうだろう.自分の運転する自動車を右側から追い抜こうとしているオートバイは,バックミラーの中でも右側に消えてゆく.また,鏡を見ながらひげを剃ったり化粧をしているとき,右側に動かす自分の手は鏡の中でも右側に動いていくように見える.
 もちろん,このような不統一は,鏡の気まぐれのせいではない.鏡が対象物をどのように映し出すかは,明確な物理学的法則性に従っている.もし,気まぐれに思える部分があるとすれば,それは鏡を見ているわれわれ人間の心の働き方に原因がある.もっとも,われわれだって,本当は気まぐれに見ているわけではなく,見る対象,見る状況に応じて,それぞれのルールに従って見ている.
 本書では,まず第1章で,鏡が物体をどのように映し出すかについての物理学的規則性を説明する.実物と鏡映像の幾何光学的関係の理解は,鏡像問題を考える上で,はずすことのできない大前提である.それは,一義的で明確なルールであり,これを認めなければ解答へは近づけない.その上で,鏡に映った映像を左右反転だと見たり見なかったりする心の働きを,必要に応じた場合分けを行って吟味していく.第2章と第3章では,鏡の映像に左右反転感を抱く場合について検討する.2つの章に分けるのは,同じく左右反転感を抱くことにはなるのだが,そこに至る心的過程を2つの類型に分けて考える必要があるためである.続く第4章では,逆に,鏡の映像に左右反転感を抱かない事象群を取り上げる.それらを受けて,第5章で,筆者の考える鏡像問題への解答を提示する.
 皆さんの中には,鏡像問題は物理学レベルで説明可能と考えている人もいると思う.もちろん,法則的説明をどう捉えるかによっては,物理学的説明で十分だという意見があっておかしくない.しかし,鏡を覗いて,ある場合には対象物に左右反転感を抱き,別の場合には左右反転感を抱かないという事実があるとすれば,その違いは心の働き方の違いによると考えるべきだし,そこまで説明しなければ,鏡像問題に本当の意味で答えたことにならない.
 逆に,鏡像問題を未だ定説のない“二千年来の難問”と考えている人も多いと思う.筆者がこれから提案する説明も,数ある説明にまた1つ新しい説が加わることになり,混迷が深まるばかりではないかと心配されるかもしれない.確かに,ある人には整然とした説明でも,他の説を唱道したり支持したりする人には説得力をもたない場合も多い.しかし,たとえそのような人たちに対しても,本書での提案を,左右反転感を抱く場合と抱かない場合の分岐点にまで立ち返った,これまでにない守備範囲の広い説として評価してもらえると思う.
 昔から鏡像問題は,「鏡はなぜ,左右のみを反転し上下を反転しないのか?」という問いに集約されてきた.この問いを素直に解釈すれば,鏡の前に立って右手を上げたとき,鏡の中の自分が左手を上げている姿に見える現象に答えを求めている,ということになろう.しかし,これに答えるだけでは,鏡像に左右反転感を抱かないケースは埒外に置かれることになり,先ほどの自動車のバックミラーに映ったオートバイの動きに左右反転感を抱かない理由などは説明できない.鏡像問題の総合的な取り扱いは,左右反転感を抱かないケースの心的過程の説明も含むものでなければならない.そのためには,いかに的確な問いを立てるかが重要となる.
 本書では,鏡像問題を解決するために必要な問いをさまざまな角度から発し,原則としてそれぞれの問いには単一の答えを与えていく.それを実現していくためにも,いかにうまく問うかが重要となる.確かに,個人差や状況の違いで,左右反転感に関していつも全員が同じ反応を示すとは限らない.心理学をやっていると,こうした反応のばらつきが回避不可能であることを常々思い知らされている.しかし,だからと言って,法則性や理論が成り立たないわけではない.それぞれの問いに典型的反応に基づく解答を与え,そこからの逸脱には,逸脱した反応になる理由を説明してゆく.各問いに対して合理的な解答を与え,反応のばらつきの理由まで説明できることになれば,鏡像問題の全体像を法則的に捉えたことになる.本書では,そこまで到達することを目指している.
 2003年6月29日,日本大学文理学部で開催された日本認知心理学会第1回大会で,東京大学の高野陽太郎先生と筆者とで,「鏡像反転の問題」をテーマに,シンポジウムを企画・実施した.高野先生は,この問題に対して,かねてより“多重プロセス理論”という独自の説を提案されている.1997年には『鏡の中のミステリー』という著書(高野,1997)で,また翌年にはアメリカで刊行されている心理学の専門雑誌に自説を発表された(Takano, 1998).“多重プロセス”と名づけられたゆえんは,この問題に解答を与えるには,どうしても1種類のプロセスだけでは無理があり,少なくとも3つの場合分けが必要だと考えられたところにある.これらの著書や論文の中で,高野先生はそれまでの諸説を紹介・分析した上で,それらが目指した単一の解答では説明できない部分が残ることを明らかにし,自らの「多重プロセス」理論の正当性を主張された.
 2時間のシンポジウムでは,まず筆者(吉村)が,素朴でシンプルな説明を30分ほどで解説した(その時点での筆者は,鏡像問題は,物理次元のメカニズムを中心に,シンプルに説明できると考えていた).残りの1時間半,高野先生が自説の解説と対立説への批判を,鏡とビデオカメラを持ち込んだ実演を交えながら行われた.ご著書や英語論文からは理解しにくかった点を,直接お聞きする機会を得たことで,筆者の理解はずいぶん進んだ.その意味で,このシンポジウムは筆者にとって有意義なものであった.
 シンポジウムは説明を聞くだけで時間切れとなり,不一致点については改めて議論するお約束をした.後日,高野先生の研究室にうかがい,2人だけで3時間あまり意見を交わした.じっくり話し合っていくうちに,次のことが分かってきた.取り上げる個々の具体的事象に対する説明は,2人のあいだでほとんど一致する.すなわち,個々の小問題への解答は同じなのである.にもかかわらず,大問題である“鏡像問題”への解答となると,少なくとも筆者には,“多重プロセス理論”では納得できない.それ以来,筆者は,左右反転感を抱く場合と抱かない場合の分岐点に目を向ける視点を育てていった.
 シンポジウムを機に行ったこのディスカッションは,筆者にとってさらに意義深いものとなった.鏡像問題に対して本腰で取り組み,筆者なりの答えを見出したいとの気持ちをかき立ててくれたからである.鏡像問題を1つの大問題とし,その大問題に単一の答えを与えようと目指すことには,高野先生が言われるように無理がある.そのような答えがあるくらいなら,これまでの多くの先人たちの努力の中に正解が出ていたはずである.鏡像問題解明の出発点に立ち返るにあたって,筆者が基本姿勢にしようとしたことは,鏡の像に左右反転感を抱く場合と抱かない場合のある点を認めることであった.どのような場合に左右反転感を抱き,どのような場合には抱かないかを整理していく.その上で,左右反転感を抱く場合だけなら単一原理で説明可能か,また左右反転感を抱かない場合はどうか.このような枠組みの上に,そこから先は考えられるさまざまなケースを個別検討していく.いわゆる帰納法的検討である.そして最終的に,個別の検討結果が同一原理によって統合できるものなら,その道を探るべきである.しかし,検討はあくまで具体的事例に適切な解答を与えるという姿勢で進めなければならない.一見遠回りに思えるこの手順を踏まずにいきなり大問題に答えようとすれば,どうしても単純化しすぎたルールに矮小化し,必ず積み残し事象を出してしまう.その点を他説から突かれて,対応に窮することになる.
 筆者が,鏡映像の左右反転問題を真剣に考えるようになったきっかけは,第6章で詳しく解説する“逆さめがね”実験に長らく携わってきたことにある.“逆さめがね”とは,目の前の視野像が逆さに見えるめがねのことである.これまで,そのようなめがねを着けることによって生じる知覚や行動上の混乱や,そのめがねを長く着け続けることによって新しい視覚世界にどのように順応していくかを追い続けてきた.逆さめがねの世界は,鏡の問題と直接関わるさまざまな問題を投げかけてきた.そこでの問題意識を発展させて著した『逆さめがねの左右学』(吉村,2002)の中で,筆者は鏡の話を重要問題の1つと位置づけた.その本を著したときの筆者は,鏡像は単一の光学的法則に従う変換なのだから,結果として生じる左右反転感も単一メカニズムで説明できると考えていた.その主張は,放射線物理学がご専門で大阪府立大学名誉教授の多幡達夫先生のお考えとも一致した.多幡先生たちは,上で紹介した高野先生の“多重プロセス理論”に対し,3つの場合分けなど必要なく,鏡像問題は単一メカニズムで説明可能とする説を,高野先生が発表されたのと同じ英文心理学雑誌に寄稿されていた(Tabata & Okuda, 2000).しかもその法則性は,心理学での議論を必要とせず,物理学的に説明できると主張された(細かくいえば光学と幾何学,それに左右の定義の性質が利用されているが,本書ではこれを「物理学的説明」と略称する).筆者は,多幡先生からお考えを直接うかがい,先生にも筆者の行ってきた逆さめがね研究と鏡の問題の関連性をお話しした.拙著『逆さめがねの左右学』での鏡像問題に関する解説は,基本的に多幡先生のお考えと一致するものであり,先生からのご示唆を取り込んで組み立てたものであった.
 多幡先生と意見の一致をみた「単一メカニズムによる説明」と,一方で,先に紹介した高野先生とのつっこんだディスカッションで行き着いた「あらゆる場合を1つの原理で説明することはできない」との見解のあいだで,鏡像問題に根本から取り組み直す必要を感じた.事実は1つでなければならないという見地に立てば,2つの考え方は両立するはずはない.しかし,鏡像反転を説明するのに必要な物理学的説明と,左右反転感の有無を含み込む心理学的説明とを慎重に検討した結果,両観点からの説明を整合的に結びつける見通しを得た.一見すると,水と油のようなお二人の主張だが,筆者にはそれぞれに納得ができるのである.お二人それぞれと,納得のいくまで話し込んだことが,そのような見通しを与えてくれたのだと思う.本書の目標は,お二人の主張の精神ははずさず,鏡像問題の全体像を明らかにする新しい説明理論を提案することである.
 以上のような経緯から,議論を始めるにあたり,高野陽太郎先生と多幡達夫先生に,あらかじめお礼を申し上げたい.本書での論を形作っていくにあたり,お二人の考え方を随所に利用させていただいた.高野先生には,鏡像反転問題は優れて心理学の問題であること,とりわけ認知に関わる重要問題であることを確信させていただいた.また,鏡映像に左右反転感を抱くメカニズムが,心理学的には単一過程に収まらないことを納得させていただいた.多幡先生には,物理学レベルの説明と心理学レベルの説明を曖昧なままにはできないことを教えていただいた.“オッカムのかみそり”の格言どおり,もし物理学レベルで法則的に説明できることなら,心理学的観点からさまざまな付帯条件を付けた説明は行うべきでない.その点を引き締めてかかったからこそ,心理学的レベルの説明がやはり不可欠だとの最終結論に到達できたのである.いまとなっては,お二人の考えはあまりにも自然に筆者の議論の中に溶け込んでおり,逐一該当個所で言及できないことをご容赦いただきたい.

吉村ホームへ戻る