機関誌『○』第二・三合併号 2000年
4月15日発行
新・みにくいあひるの子
あひるのロイドは利発で夢見がちな少年だ。彼の生まれたところは白鳥が支配していた。白鳥の友達と遊ぶときの言葉は白鳥語だし、遊びに疲れた後でいただくお菓子も白鳥風なのがみんなのお気に入りだし、何よりも白鳥の友達の家はみんなお金持ちでシャレていた。
ロイド少年の帰ってゆく家はといえば、貧乏で薄汚い。あひる風の食事も昼いただいたお菓子の味とは大違い。そして、ダサイあひる語で話している家族を見るにつけ、ロイド少年はたまらなくみじめな気持ちになり、そこにいたたまれなくなるのが常でした。やがて、彼は「ここから脱け出なければ、脱け出てみせる!」と固く心に誓うようになりました。
まずは形からという訳で、彼は、白鳥も羨むほどの銀白色で髪を染め、底のとても厚いブーツで背を高くして、一生懸命白鳥になろうとしました。
彼の努力は外観だけにとどまりません。彼は白鳥語もペラペラになり(そのため、あひる語を忘れるほどでした)、白鳥達の通う大学も優秀な成績で卒業しました。
しかし、白鳥社会は、そんな彼さえもなかなか受け入れてくれません。大学に職を求めても、最後にふるい落とされるのはいつも彼でした。結婚話もみんなウヤムヤになってしまう始末です。「やはりおまえはあひるじゃないか」というさげすみが見えない理由だったのです。
仕方ありません、彼は小さな診療所に勤めみんなの病気を治すのに専念することにしました。そうしていれば、いつかは白鳥社会も自分を認めてくれるだろうとの期待を胸に秘めて・・・。
ある日、チョビ髭白鳥のドルフが権力を握りました。その日から、あひる達の生活は暗く、息苦しいものになってゆきました。なにしろ、ドルフはあひるを白鳥社会の敵と信じ、多くの白鳥もあひるをジャマ者と考えるようになっていったからです。
そんな中、ロイドの診療所は、財産を没収されたり、迫害を受けたあひる達の悩みや病気の相談所のようになってゆきました。ロイドは、あひる達の悲惨な現実にいや応もなく向き合ううちに、次第に「自分もこのあひる達の一員なのだ」と思うようになりました。そしてやがて彼は、「自分の拠り所は自分が生まれ育ったところにあるのであって、遠いあこがれのところではないのだ」とつくづくと悟った。すると不思議なことに、その瞬間、少年のときから彼を悩まし続けていた耳鳴りがウソのように無くなったのでした。
オシマイ.
2000
年 3月 9日○塾塾長 遠田 雄志
目次 | |
巻頭言 | ……遠田 雄志(i) |
第二期教養課程プログラム | (3) |
第三期教養課程プログラム | (4) |
[第二期教養課程講義概要] | |
第一回 組織の認識変革 | ……石森 陽子(6) |
ドキュメント『監督野村克也』 | |
第二回 オーバー・マネジメント | ……石森 陽子(10) |
映画『カッコーの巣の上で』 | |
第三回 マネジメント・スタイル | ……仲宗根 一成(14) |
映画『八甲田山』 | |
第四回 意思決定と認識 | ……西本 直人(17) |
オペラ『椿姫』 | |
第五回 | ……高橋 量一(22) |
関家一雄講師 特別講義「コンピューター2000年問題」 | |
[第三期教養課程講義概要] | |
第一回 愚かは賢い | ……西本 直人(27) |
映画『さらば冬のカモメ』 | |
第二回 マネジメントとは? | ……加藤 敏雄(31) |
ドキュメント『内申書の数量化』 | |
第三回 現代経営を問う | ……石森 陽子(38) |
ドキュメント『リストラ』 | |
第四回 競争 vs. 共生 | ……高橋 喜則(43) |
ドキュメント『熱帯雨林と共生』 | |
第五回 |
……仲宗根 一成(46) |
遠藤俊夫講師 特別講義「社会教育の旅」 | |
[特別寄稿] | |
社会人へのメッセージ | ……遠田 雄志(49) |
産学共同に見る日本の組織の落とし穴 | ……綿引 宣道(51) |
「浮雲」に見る戦後 | ……松岡 喬(53) |
人生の深淵 ―入院中に思ったことなど― | ……古川 肇(54) |
[塾生感想] | (68) |
[武藤美加さんミニ・ギャラリー] |
(76) |
第四期教養講座カリキュラム | (82) |
編集後記 | ……西本 直人(82) |
T
. ’99. 4.10(土)組織の認識変革
ドキュメント『監督野村克也 ―阪神再建
63歳の挑戦―』U
. ’99. 5. 8(土)オーバー・マネジメント
映画『カッコーの巣の上で』
V
. ’99. 6.12(土)マネジメント・スタイル
映画『八甲田山』
’72, (90’),1W. ’99. 7. 3(土)
意思決定と認識
オペラ『椿姫』
X
. ’99. 9.16(土)関家一雄講師 特別講義「コンピューター
2000年問題」第
3回 名作鑑賞会 演劇『笑いの大学』
(’99.10〜’00.3)
T
. ’99. 10. 23. (土).愚かは賢い
T.i, W.ix映画『さらば冬のカモメ』’73, 75’
U
. ’99. 11. 13. (土).マネジメントとは?
T.171ドキュメント『内申書の数量化』’96, 45’, 71
V
. ’99. 12. 11. (土).現代経営を問う
ドキュメント『リストラ』’99, 45’, 543
W
. ’00. 1. 8. (土).競争
vs. 共生 T.30, 32, 130ドキュメント『熱帯雨林と共生』
’97, 90’, 74X
. ’00. 2. 12. (土).遠藤俊夫講師 特別講義「社会教育の旅」
第4回 名作鑑賞会 ドラマ『蒼天の夢』
’00
テキスト;遠田雄志著『グッバイ!ミスター・マネジメント』
文眞堂
, ’98
全五回 講義概要
第一回講義 組織の認識変革 ドキュメント『監督 野村克也 −阪神再建
63歳の挑戦―』――石森 陽子――
T.映像の要約
最下位、低迷するチームの監督を引き受けたときの気持ちを、一字に託し、筆を持った。それは、「憤」の一字であり、最近の野球界のあり方などへのいきどおりや、自分をふるいたたせるものであった。
3年契約の初年度である今年は、基礎作りとし、選手の意識改革を第一に考えた。先ず、監督・野村の考えを丹念にメモし、選手たちに伝えた。野球界で投げる・打ったの前に、人生観、例えば幸せな人生とは?勝ち負けだけが人生か?満足するか否かなどを問いかける内容で自分を見つめる機会を与えていた。その上で“自分を変えよう”と、はたらきかけている。
「監督が替わっても僕らは変わらない」と話していたベテラン選手の和田を、初回のミーティングで名指し、大勢の前で注意したという。自信をなくして気弱になっている外野手の新庄には、自分を出し切っていない、強肩を見抜き、ピッチャーへの転向、チャレンジを促した。
7年目の足立には「もう一度投げてみないか」と声をかける。もともと投手として入団した彼は、その結果を出せずに野手に転向したが、成果が出ないで悩んでいたのである。首位打者体験のある佐々木には「幸せな人生を送るためにがんばれ」と。ホームラン王の体験を持つ
35歳の大豊が、フォアボールを嫌い、ホームランを打つことのみにこだわり「仲間を裏切っている」と指摘する。満塁のチャンスなら、ボールを選んでも塁に出て仲間を送り、チームが点をとることを考えさせる。長く野球を続けるなら年齢にあった考え方や行為を考えていく大事さを語っている。その大豊を、代打で登板させていた。2年目の井川の練習を見て「一生懸命に勝る美しさはない」と、監督が感動している。彼には、同じく2年目を迎えた巨人の高橋を意識させ、また、デビュー戦は、西武の松坂が登板する日に設定し、ライバル意識を駆り立てたという。結果は、勝利へと導いた。
監督は京都府の網野町という織物の豊かな町で育ったが、父が戦死、生活は苦しく、いつも劣等感があった。それがバネとなり反骨精神がある。南海フォークスに入団したが、
1年で解雇を言われた。頑固に頼み込んで頑張った。その時は、母の手紙に慰められ励まされた。誇れるものは何もない。敢えて言えば母。苦労をかけた。苦労したものが輝く。監督は「固定概念は悪、先入観は罪」「意識が変われば、取り組み方や考えが変わり、必ず結果が出てくる」「自分の中に、自分の知らない自分がある」「人の値打ちは、失敗で決まるものではない。失敗したときに、どう立ち上がるかが問題である」「多くのミスは、頭を使えば防げる」とも語っている。選手をよく観、声をかけ、フォーム改造やポジション変えを促したり、助言、指導している。
野村監督が、それなりの結果を出し注目を浴び始めた頃、大学野球のヒーロー長島が巨人に入団し、ホームラン王、ミスタージャイアンツと華々しかった。「彼は“ひまわり”、おかげで私は月見草になった」。負けられない⇒気を頂いた。ライバルを意識する能力、心の状態に影響する。意識して無視することもある。私は、ライバルに恵まれたとも話している。映像は巨人に勝利したところで終わっている。
U.考察
野球の監督やオーケストラの指揮者は、管理学のモデルによく出てくる。大勢のスタッフを抱えるなかで、それぞれの個性を認識し、個人の力を発揮させ、チームの目的・目標を達成させる指導、調整、統制力が素晴らしいのである。その結果は、大勢のお客によって、即、容易に評価される厳しさがある。しかし、それなりの結果が出た場合には、やり終えた格別の充実感、達成感があると聞く。
監督を受理してからの準備は、自分の考え方を書きまとめたり、慎重に進めていた。目標を明確にして、選手団に、しっかりそれを伝えている。日ごろ、野村監督が活用する
IDカードにはあまり触れていないが、最初にベテラン選手を名指しで注意したり、出会い間もない選手に、ポジション変更を勧められないのではないだろうか。それまでのデータが活用されたと考える。もっとも選手を実によく観ており、メモしている場面もあった。意識や行動改革の目標には、根気よく対応していることが伝わった。先の話し合いの中でも紹介されたデール・カーネギは、人を動かす
3原則として、@盗人にも五分の理を認める、A重要感を持たせる、B人の立場に身を置く事を勧めている。さらに、人を変える9原則は@先ずほめる、A遠回しに注意を与える、B自分の過ちを話す、C命令しない、D顔をつぶさない、E僅かなことでもほめる、F期待をかける、G激励する、H喜んで協力させる。監督は、動かすための@A、変えるためのAEFGHがなされていた。生育暦や世代の異なる人々の特徴を、自分で確認し、関わり、変化を期待することは、容易ではない。かつて後輩の育成などで悩んでいた私は、看護学生時代の師から、
A.アラゴンの言葉を教わった。“教えることは、ともに希望を語ること。学ぶことは、真実を心に刻むこと”。それ以来、私の信条の一つにしている。さりとて、言うは易く、行うは難しである。現在も、後輩から苦手意識をもたれている感情起伏の激しいスタッフがいる。彼女の変化を期待して、その動機付けに悩んでいる。“継続は力なり”といわれるが、臨床の場での直接的なアプローチなどを、さらに工夫していかなければと、そのことを再考するのと重なった。監督が話しているように、人生観、価値観などについても、各選手が思惟を深めていくだろう。即ち、哲学的な知識や根本的知とも言われ、人間そして、自分の存在、その意義・価値・目的、愛や幸福、よりよく生きるための人生観などである。これは、野球選手のみならず、だれにも共通する課題である。企業行動と管理に関与する経営参加には、@決定、A協議、B拒否とあるが、自分が、どんな意思決定過程を歩むか否かに通じる。
野村監督は、選手時代からのよきライバル、現在の巨人軍監督長島を、今も絶えず意識している。そのエネルギーが、阪神再建への闘志を駆り立てているのではないだろうか。六大学野球のヒーロー長島の周囲は、確かに華やかだった。一方、劣等感をバネに反骨精神を持ち、長島選手の影になっているかのような自分を月見草にたとえたり、若い選手の懸命さに感動したり、ロマンが漂う。彼の応援団“月見草の会”が出来たことを新聞が報じていた。
この映像を見てから、野球とくに阪神対巨人戦が、面白くなった。6
/10の某新聞を紹介すると、―トラ6年ぶり首位*中日と同率*「ヒーローなき勝利」今年を象徴―。さらに13日には、巨人戦で同点本塁打と延長12回のサヨナラ打と、打撃好調の新庄の活躍ぶりと、チームの首位維持を伝えた。同時に「新庄のセカンド?ショートの経験あるんだろう。万能選手だから。そういえばピッチャーの話、立ち消えになってないよ」と、監督のコメントもあった。チーム優勝の目標に向かって、監督と選手の思いや行動が、どんな結果を招くか、今後も阪神タイガースの活動に注目していきたい。
V.まとめ
阪神再建に挑戦する野村監督の語彙や、選手の動きから、どんな人、どんなリーダーに巡り会えるか、或いは、人の話をどれだけ聞けるか、そうした対人能力の重要性を再認識した。そして、人に感動を与えたり、人を動かすほどの会話や行動ができるように、一歩でも前進したいという思いを強くしている。
蛇足:夏の日の夕闇の中に、人知れずひそかに、つつましやかに咲く可憐な花、月見草=エノテラ(ラテン語;
OENOTHERA)には、私にも格別の思いがある。働きながら学んだ夜間の女子高校の校歌、校旗、校章、文芸誌に、エノテラがあり、心の支えになっていた。その当時、映画“草原の輝き”がヒットしており、英語の時間に行った和訳だけが蘇った。
―青春よ、再び帰らずとも嘆くなかれ、その奥に秘めたるものをみいだすべし―
引用文献
(注)1〜2、
D.カーネギ著、山口博訳;『人を動かす』創元社、1998,2,10、(第二版74印発行)p.4および、p.239参考文献
1)渡邊二郎著;『哲学入門』放送大学教育振興会、
1996,3,20
第ニ回講義 オーバー・マネジメント 映画『カッコーの巣の上で』
――石森 陽子――
T.映像内の要約(
1975、アメリカ映画)精神鑑定のため収容された主人公を中心とした精神病院での集団生活、そこでの出来事や人間模様を描いていた。
主人公は、イージーライダー(
easy rider《米俗》バイクなどで渡り歩く放浪者、社会に根をおろそうとしない男、怠惰な人)という。精神病院の患者には、タバコを吸ったり、カードで賭けをしたり、吃って思うように語れない若者、聾唖者、いつ家に帰っていいと言われる人、意思表示ができないような寝たきり者などがいた。主人公は、患者仲間に積極的に近づいていた。聾唖者の大男には、バスケットボールを必死に教え、仲間にテレビのワールドシリーズを見ようと呼びかけ或いは、バスを奪って仲間を外に連れ出し、女性を誘い、船で釣りをさせたり、患者たちを喜ばせ興奮の渦に巻き込んでいた。
ある日、聾唖と思われていた大男が、主人公に心を開き、話しかけてきた。職員も知らない秘密を知った主人公は、大喜び。大男が話せることは、二人だけの秘密として、聾唖の演技が続いた。その大男とは、友人としての交流が始まり、カナダへの脱出計画を話すようになった。
黒人看守当直の夜、巡視中で誰もいない事務室の電話を使い、知り合った女性たちにお酒や食料を持ち込ませた。看守とは酒で取引し、患者達を誘い、飲めよ歌えよの大パーティー。この夜、脱出を計画していたが、仲間たちと同じく眠り込んでしまった。翌朝、出勤した職員を驚かせた。厳格な婦長と友人である母を持つ若者は、婦長に「乱交パーティーの様子を母に報告する」と言われ、おろおろする。告げぬよう嘆願するが拒否され、自殺した。
治療には、薬の服用、集団面接、リクレーション療法、電気ショック療法などが描写されていた。主人公は、最終的にロボトミー(
lobotomy; 精神外科療法の一つ、大脳前頭葉切開、分裂症の治療に用いられた)後の症状を呈しているかに見えた。大男は、無表情で魂の抜けたような主人公に驚き、彼を抱き寄せ「一緒にカナダへ行こう」と語りかけた。そして、枕を強く押し付け窒息死させた。その後で、かつて主人公が持ち上げようと試みたができなかった重い石を(水道栓を取り付けている)懸命に持ち上げた。大男は、窓をめざして勢いよく投げつけた途端、暗闇の中へ一目散と駆け出していった。
U.考察
1975年のアメリカ、当時の社会的背景を知らなければ語れないだろうが、映像を単純に見ると、精神病院、社会と断絶された鍵のかかる閉鎖病棟、そこに収容する患者の日常生活や、そこで働く職員の姿勢に、あいまいな場面が多くあった。
入院時に手荷物チェックをしているが、安全管理上、重要視されるタバコやライターを、患者が容易に使っている。集団療法に、医師や他職種の医療チームメンバーがいない。プライバシーに関わることを、他者の前で話させようと促す看護婦の強引さ、傲慢さ。或いは、多数決を取る時の条件設定がなく、管理上都合の良いように意味づけ、決定した。助手のような立場の一人の夜勤体制も、ありえなかったと思われる。
病院を舞台に、逸脱行動の患者、厳格な婦長などを登場させているが、診断と治療のリーダーである主治医たる医師の姿が見えない。評価会議は開かれていたが、心理テストなどの科学的なデータがなく、臨床行動の評価が主体で、病院の実態とは考えがたい。
主人公は、旺盛な好奇心、創造力、行動力をもち、集団に活力を与えた。感情表出は、ストレート。目標の実現に、とにかく懸命である。そのエネルギーの根源は、どこから出たのだろうか。そうした彼に心を開く友人も現れたが、医療者側は、積極的な関わりをしていない。もし、彼が、製造や営業あるいは、研究部門に所属していたら、どうだっただろうか。羨ましいとさえ思えた行動力であったが、とかく逸脱していた。
私達は、欲求や知識のもとに、価値や目的を見出し、目標を立て実現させようとしている。こうした意思行為は、価値や目的のほか動機、理由、権利、義務、自由、責任なども関係している。また、実現のための過程では、意識するか否かに関わらず、社会のさまざまな規則(
rule)や掟、規範(norm)によって、拘束や制限されている。それを違反すれば法による処罰を受ける、社会から疎外される、冷遇される、悪評を蒙る等の制裁を受ける。遵守することにより厚遇、賞賛を受け、少なくとも冷遇、非難を避けることができる。また、逸脱は、社会や集団の標準からはずれた行為や状態であり、所属する集団、時代、文化など個別の基準によって定義されるので、普遍的、絶対的に規定されるものではない。主人公には、どんな制裁や報酬で、社会規範の遵守を促せただろうか、或いは、どうしたら規範の同調に導けただろうか。彼は、何を求めただろうか。社会主義国家の崩壊要因に類似した現象が、当時のアメリカ社会だったのか。
精神病院での主人公の診断名や、最終評価が出てこない。しかし、逸脱行動を規制や抑圧しようとする様が伝わる。そして、ロボトミーによってか、人間らしい思考や行動を抑制された症状で登場し、治療というより体罰をうけたと思われた。主人公に心を開いた大男は、変わり果てた主人公に「カナダに一緒に行こう」と抱きしめたその手で、彼を窒息死させ、病院を飛び出した。この行為は、管理社会への反発と自由への開放だろうが、果たして、主人公の魂とともにカナダに辿りついたか疑問が大きい。
映像には、家に帰ってもいいと言われながらも精神病院に居続ける患者、母の話題が出るたびに怯えていて自殺した患者など、変化や現実からの逃避行動を推察させる場面もある。患者を取り巻く家族など、病院の外に存在する関係者の姿が出てこない。家庭や親子関係など、いろいろな社会的意味を投げかけていたように思われた。
V.まとめ
映像舞台の病院は、何を比喩し、何を伝えたかったのだろうか。遠田先生が指摘するように、国家や権力、社会秩序、多数決採択などの民主化、国家とマネー、組織の活性化、
Sex問題を投影していたかのように思える。加えて、当時の精神病院の運営や医療従事者の態度、変容し始めた家庭や家庭のあり方など、いろいろなことを考えさせられた。しかし、タイトルの持つ意味と映像内容の関係が、今もよく解らないということが感想のまとめである。
――仲宗根 一成――
1.はじめに
日露戦争も近い
1902年、日本軍はロシアでの極寒の戦いを想定し予行演習と調査を目的に八甲田山の走破を計画した。編成は徳島大尉率いる弘前第31連隊と神田大尉率いる青森第5連隊の二つで、隊の規模として弘前第31連隊が小隊で構成されたのに対して、青森第5連隊は中隊編成であった。計画では双方が二手に分かれて反対方向からのぼり中間地点で落ち合う予定となっていた。しかし、神田大尉率いる青森第5連帯は指揮系統のみだれ、不整合な意思決定、情報力の欠如の三大原因によって200人中数名の生還を許したのみだった。その三点を充たした徳島31連隊は任務を完遂できた。もちろんこの決定を生み出した組織の認識に重点をおく必要がある。そこで、ここでは二つの隊の世界観を明らかにし、続いてそこで用いられているルールを軸に話を進めていきたい。
2.日本軍の世界観
今から
100年前の日本は日清戦争に勝利し、満州と莫大な金銭を中国から奪った列強の時代である。日清戦争で日本軍は奇襲を中心とした突撃型の攻めを得意としていた。その頃の軍の教育は、近代的な科学を導入し訓練することよりも精神力を強調した内容となっていた。そして、現実にその精神力を柱とする教育は度重なる軍の勝利とともに揺るがないものとなり、対戦での重要な位置を占めるようになっていった・・・。そこでの軍の世界観はどのようなものか。
軍の勝利とともに精神というフレーズが組織にとって妥当性を持つようになり、それは規範、ルールとしてメンバー間で共有できる妥当なフレームとして保持される。そのフレームは幾多の戦いを通してさらに強く根付き、確信に近いものとなる。こうして精神力を是とする妥当なフレームが世界観として共有されていった。
3.規範とルール
ここで八甲田山を思い起こしてみよう。北大路欣也演ずる神田大尉は八甲田山の走破のために予備演習を行い、それを成功させる。その事を聞きつけた大隊長山田少佐は
200人程度の大隊を組むよう要請し、神田大尉はこれに難色を示しながらもこの要請を呑んでしまう。ここで、軍にとって妥当性のあるフレームとは先ほども述べたように精神力を誉とするフレームである。このとき神田大尉は200人の大行進の要請を予備演習の経験から困難と認知していたものの、それに異論を唱えることはなかった。それは神田大尉自身も“不可能を可能にしてこそ”という精神第一の軍隊組織の世界観を肯定していたことによると思う。一般に組織のルールに異論を唱えるのは難しい。同様に軍隊組織でも妥当性をもった規範やルールを否定することは難しいと考えられる。そもそも軍隊は常に強固なフォーマル、インフォーマルなルールを持ち、それを徹底させることにより存在しうる。そこではルールに反する者は除外される。インパール作戦では兵站の供給に疑問をもったミドルが、“インパールを早期に陥落させれば問題ない”という別の主張に押し切られ、即座に役目を外された。
4.徳島大尉は革新者
そのことを考えると徳島大尉は軍人らしくない軍人である。自らの組織のルールを破り、上官に八甲田山の厳しさを進言している。それは彼が軍人としてのフレーム以外にも“有効な”フレームをいくつか所持し、複数の相反する解釈を可能にしているからだ。軍隊組織という他組織よりも強固なルールをもつ組織では彼は極めて希少といえる。
逆に、徳島大尉のような人物が組織の中で希少なのは存在できないから、とも言える。なぜならイエスマンや考えようとしない人は組織で妥当なルールに同調し、波風立てることはないからだ。たとえルールに反する事が自分自身の中で妥当な解だと思っても。そうすると神田大尉のほうが組織で生きるという点で勝っているかもしれない。
実際には神田大尉は戦死(敬意を表し)し、徳島大尉は任務を完遂した。しかし、この任務自体が急な必要性から生まれたアドホックな計画だということは見逃せない。このような緊急事態には組織における人的なつながりよりも実力が問われるものだ。そういう意味では徳島大尉は選ばれるべくして、選ばれたのではないか。
5.まとめのようなもの
巷ではプレイステーション2が人気を集めている。製造会社であるソニー・コンピュータ・エンターテイメント(SCE)は、年間売上で親会社のソニーの電化製品部門を凌ぐ勢いで成長を遂げている。また、対外的にもMPU(超小型演算処理装置)の分野で三次元画像処理性能はあのインテルのペンティアムVを抜き去った。その立役者はSCEの久多良木副社長であろう。出口の見えない不況、電化製品の頭打ち、外国資本の侵入などソニーを含めて日本企業を取り巻く環境はきびしい。以前、彼はソニー本体で実力を認められながらも疎まれていたようだ。しかし、本社は事業をまかせられる、実力のある彼をSCEの副社長に据えた。またそうしなければならない環境であった。そのことは社会の安定はもはや誰も保証できない、環境はめまぐるしく移り変わり、常に緊急を要するプロジェクトを求めている、そこでは、実力ある人物が必要だ、というメッセージがある。組織には収まりきれず厄介者だが、そんな彼が外に出ると活躍できる。一昔前の人のつながりでなんとなく決定していた組織はここにきて転換の時期にきているのかもしれない。そんなことを思うと嫌な時代に生まれたと思う今日この頃である。
――西本 直人――
今回の講義は少し変わっている。
講義テーマは「認識」、題材はなんとオペラ『椿姫』である。
オペラ・・・、庶民には縁遠いものである。事実、私は以前遠田先生の講義で見せていただいた『カルメン』以来、劇場ではもちろんのこと、教育テレビでさえ一度も通して見たことがない。というわけで今回は私にとって記念すべきオペラ鑑賞二度目にあたったわけだが、その名も高い『椿姫』はやはり『カルメン』に勝るとも劣らない名作であった。
はじめに、私のようなオペラ音痴の方のために簡単な筋書を申し上げておく:ときは19世紀、フランス宮廷文化がその絶頂に達しつつある頃(宝塚のヴェルサイユ調舞台を想像していただきたい)、当時花柳界一との評判を得ていた高級娼婦ヴィオレッタ(現代日本で言えば叶姉妹か。しかし、この説明から私の教養レベルもおわかりいただけよう)と、彼女を一目見て恋に落ちる青年アルフレード。前途有望な青年と当代一の評価を得ていたヴィオレッタは周囲の声をよそに二人の恋を実らせ、しばしの蜜月を味わう。そこに現れたのがアルフレードの厳格な父親である。自分の死期が近いのを悟っていたヴィオレッタは父親の嘆願を受け入れ、アルフレードにつれないそぶり。燃え立つアルフレードの求めをなんとかかわし、ヴィオレッタはパリの裏町で一人病床につく。そしてヴィオレッタの死が目前に迫ったとき、アルフレードはすべての真相を知り、ヴィオレッタに許しを乞いながら嘆きの涙を流すのである。
ようするに、演歌の世界である。
♪ダメとわかっちゃいるけれど あーのひとー こーいしやー ああ幸せ岬
♪ひとりたたずみ あの人の背中 思い出しては 泣いてーます
では、なぜこの演歌的哀歌調ブルジョワ劇が、○塾のテーマとなるのか?
そこで、遠田先生が登壇され一つの問を提起される:「なぜヴィオレッタは恋焦がれているアルフレードから身を引く決心をしたのか?」と。そして、次の三つの選択肢を提示される。
@アルフレードの父のたっての願いだから
A自分が身を引くことがアルフレードのためになるから
B自分の死が近いことを知っていたため
○塾塾生全員がこの三つの選択肢の中から答を選び取った後に発表された正解はなんとも意地悪なものであった。答は全員ハズレ。正解は;「娼婦という自分の境遇を考えれば、身を引くことが自然であったため」というものである。前の三つの選択肢はいずれも合理化や計算の臭いがつきまとう。そこで、「境遇」という言葉を出されると、「ああ、なるほど」と思えてしまうから不思議である。
そう、「境遇」。これが今回のテーマである(少なくとも私はそう考えた)。
境遇とは何だろうか?辞書的な意味では、「生きて行く上での立場・環境。身の上。境涯」とあるが、私としては、「それ以上、考えが及ばなくなる限界」という言葉を付け足してみたくなる。つまり、それ以上あれこれ計算したり思い悩んだりしても無駄で、個人の意思決定の適否を論じてみても無意味になる向こう側である。
ヴィオレッタが決心に至ったとき、こう考えたのではないか。「私はしょせん娼婦。娼婦には娼婦の身の処し方があるはず」と。事実、ヴィオレッタの行動はすばやく、そこに迷いは見られなかった。私は「ヴィオレッタ」ではなく「娼婦」なのである。それは、個人の決定能力を超えた、絶対的な掟のようなものであったろう(しょせん、ヤクザは畳の上では死ねないのである)。
しかし、「境遇」という言葉にはひどく新鮮な響きがある。
そのワケは、言わずもがなだろうが、いまこの時代の非境遇性、無境遇性にある。近くを見渡してみよう。「長男だから嫁さんを貰って、跡取をつくらなきゃ」とか「おれには代々続いた農家の血が流れている」とか「生涯一労働者である私がハワイに行くなんて堕落もいいところ」などと真剣に考える人がどれだけいるだろうか?きっとその方は圧倒的マイノリティーだ。
皮肉なことに、社会(もしくは組織)全体の自由度が増せば増すほど、境遇という言葉が白々しく聞こえれば聞こえるほど、決定を下すのは難しく、ひどく労力の要する作業となる。そしてそこでは、決定の連続が個人の価値や人格を表すものとなる。そうした人間の営みがもっとも典型的に(戯画的に)表れている国はもちろんアメリカ合衆国である。
では、その対極をなす国はどこか?遠田先生の愛する「インド」である。
アメリカ――――――――――――――――――インド
インドでは、決定に思い煩うことは少ない。カーストによって、人生の幅は生まれたときに決められているのだから。不服申立てをしたところで、「それはあなたの前世の行いゆえ」と物静かに諭されるだけであり、振り上げた拳は行き場を失って(前世の自分を殴るわけにもゆかず)、自分より下のカーストに振り下ろされ、その拳がまた境遇を作り上げてゆく。境遇とはそうしたものだろう(ちなみに、ヨーロッパ、とくにイギリス、フランスはインドの極に近く、一方現代日本はアメリカの極に限りなく近づいている)。
しかし、そのインド的説明に何からの妥当性などあるだろうか?もちろんない。それはインド人の子が日本人の里親の下、川崎の住宅街でガンジス川ならぬ多摩川を眺めながら育てられたとき、その子が「僕は一生洗濯屋カーストの境涯だ」などと思わないところから見てもすぐわかる。そのインド的説明を支えているのは、それに妥当性を見出し、日々その説明されている状況を生み出し続けているインドの人たちの営みそのものである。さて、やっとここまできて、ワイク的世界が顔を出した。世界は皆が妥当と思う認識にもとづいた行為によって生産・再生産され、その認識は行為によって結晶された世界の客観性によって裏付けられ、かくしてその循環は絶え間なく未来へと続けられていく。この流れを変えるには、思いもしない一撃(温泉に飛び込んだサル)か、思いもしない屁理屈(会社は株主のものではない)が必要である。もっとも、この流れを抜け出すことは不可能で、せいぜい別の流れに身を任せる他ないが(それには証明書が必要である、あらゆる意味の)、もしかしたらカンパネルラよろしく死こそが最終駅までの片道切符になるかもしれない。
境遇を自らの力で変えること、切り開くことこそ今の世界を席巻し、一日として聞かない日のないポジティヴ・ヴァリューである。しかし、インド的世界観に何の正当性もないのと同様、そうしたプログレッシヴィズム、ヒロイズムにも何の正当性もない(ピューリタンが新世界を築き上げた⇔野蛮人が聖なる土地を蹂躙した)。境遇、考えの限界を見据えて、常にオルターナティヴを!とのメッセージを遠田先生の問いかけに見出すのは、暴走のし過ぎというものだろうか。
最後にワイクよろしく、チリの詩人パブロ・ネルーダの詩をもって、(江川さんに少しばかりでも喜んでいただけることを祈り)このとりとめのない文章になんとか幕を下ろそう。その名も『怠け者』:
金属の物体は
星のあいだを飛びつづけるだろう
人間たちはふらふらになって登ってゆき
優しい月に侵入し
そこに薬局を建てるだろう
いまは葡萄のとりいれのまっさかり
わが国では 葡萄酒が流れはじめる
アンデスの山なみと海のあいだに
わがチリでは 桜んぼが踊り
素朴な小娘たちが歌をうたい
ギターのうえに涙がひかる
わたしの家には 海も陸もある
妻は 森のはしばみの実の色をした
でっかい眼をしている
夜がやってくると 海は
白と緑を 身にまとい
月は 泡のうえで
海の婚約者の夢を見る
どうして星を変えることがあろう
Pablo Neruda 1958
この尽きることのない豊穣な意味世界で、あなたはどんな生に魅かれますか?
2000年問題」
――高橋 量一―
今回の特別講義では、IBM東京基礎研究所の専任研究員であらせられ、法政大学経営学部で「ハードウェア論」の講義をなさっておられる関家一雄先生から
2000年問題について教えて戴いた。2000年問題というのは、コンピュータにおいて日付の年の部分を西暦(キリスト教暦)の下2桁でしか記述していなかったために、コンピュータが2000年の「00」を1999年の「99」よりも昔だと判定してしまい、結果としてさまざまな不都合が生じることをいう。いまや、コンピュータの入っていない物のほうが珍しいといえる状況である。炊飯器や洗濯機などの電化製品は勿論のこと、クレジットカードから道路・鉄道信号などの社会インフラに至るまで、ありとあらゆるところでコンピュータが活躍している。社会インフラのすべてがコンピュータによって管理されており、さらにそれらは何らかの形で相互接続しているため、ある部分的不都合が、全体に波及する恐れもある。
年を記述する時に下2桁だけを使用した理由として、一般的にはコンピュータ登場前のカード式処理の時代に桁数をケチっていたのをそのままコンピュータ処理でも踏襲したことがあげられている。当時(
1960年頃)は、何十年も後にも同じプログラムが使用されるとは思ってもいなかったのである。加えて関家先生は、アメリカの他国文化への無知による自国習慣への無批判性が背景にあったことを指摘された。さらに、対策が遅れた理由としての「互換性のくびき」(常にそれ以前の過去のソフトウェアがすべて動くことを保証しなければならない)について、企業での対処の仕方、技術的処置などについて、分かりやすく教えて戴いた後、どのような危機が起こりうるかについて全員でブレイン・ストーミングが行われた。
一人づつ順番に、思いつくままに起こりえる危機をあげていくこととなった。まず最初に加藤先生から「核弾頭ミサイルが発射される」とのご発言があり、続いて各出席者から「電力供給がとまる」、「カードのデータが駄目になる」、「ビデオのタイマーが動かない」といった生活に密着した危機があげられていった。
さらに「原子力発電所に関する不安」、「物流が寸断されて食糧など生活必需品がなくなる」、「飛行機事故の危険」など、何れももし起これば大変な危機があげられていった。続いて「生命維持装置が止まる」、 「パチンコのカードが使えなくなる」、「カメラの日付機能が駄目になる」といった危機があがった。一巡目の最後に遠田先生に順番が回ると、先生は「何も起こらない」と言い切られた。先生は「これだけ多くの人が様々なところで真剣に取り組んでいるのであるから、何も起こらないと考えた方が良いのではないか」とおっしゃられた後に、「むしろ
2000年問題に過剰反応した結果の方が恐い」と付け加えられた。奥深いご指摘であった。二巡目以降になると出席していた面々も徐々にブレイン・ストーミングなる思いつきをドンドン言う方式に慣れてきて、「交通システムの危機から、自転車が復権する。
100年前の生活に戻る」、「初詣客が減る」などという面白い意見が出され、笑いが起こる中、「旅行会社の減収」、「銀行決済が直前引き出しでパニックに」、「もし70年分の利子がついたら遊んで暮らせる」、「データが交錯し、病院のカルテで古いデータが出てくる」、「遊園地が危ない」、「生命保険の払い戻しが止まる」、「ハードコピーをとるので紙の価格が高騰する→言論統制へ」、「ホテルの請求額が違う」、「患者が病院に来ない」、「スキー場のリフト、初日の出のゴンドラが危険」、「炊飯器が元旦のご飯を炊いてくれない」、「元日の一瞬だけで危機は終わらない」、「コンピューターを捨てたらどうか」、「コンピューター会社の社員が過労死する」、「インターネットビジネスが終焉する」、「wintel陣営の崩壊」、「成績データを破壊しようとする者が現れる」、「電子菊、苺、うなぎが作れない、農家が温室を管理できない」、「一過性とすると当直の状況が両極端に(何もないか、大忙しか)」、「自殺者が増える」、「出生届、死亡届の混乱」、「国会・民族・個人・会社など様々なところで差別がはびこる(対策が遅れている者を除け者にする等)」、「危なそうな国との貿易を一時中断したらどうなるか」、「デマによるパニック、便乗テロ」などが次々とあげられた。今回のY2K問題を通して、国でも会社でも常々危機管理体制を整えておくことがいかに大切なことであるのかを考えさせられるよい機会であった。
ビデオ上映、二人芝居『笑の大学』
関家先生のご講義をうかがってから、後半は『笑の大学』を楽しく鑑賞させて戴いた。 『笑の大学』は、
1996年10月・11月に東京の青山円形劇場をはじめ全国14ヶ所で公演された三谷幸喜氏作、山田和也氏演出の二人芝居である。時は昭和
15年、3年前に廬溝橋の一発(話はそれるが、この時の連隊長はビデオ『インパール作戦』における第十五軍司令官牟田口廉也である)に端を発した北支事変はやがて日中全面戦争に発展し、日本はいつ終わるともしれない泥沼に自らはまり込んで行った。国内経済が窮迫する中、米英を中心とする自称民主主義陣営は日本に対し理不尽な経済封鎖を次々と実施に移していく。国内が反英米一色に塗り替えられつつあったある日、近藤芳正演じる劇団「笑の大学」の座付作者椿一は、警視庁保安課検閲係向坂睦男(西村雅彦)に呼び出された。「この難局にあたって喜劇など演じているというのはとんでもない話である」というのが向坂の一貫した主張である。向坂は当初、喜劇の存在そのものを否定しつつ、椿の苦労を楽しむかのように次々と原稿内容変更の無理難題を押しつけた。「舞台設定がイギリスではいけない」と向坂が言えば、「いやドイツです」と椿が答える。「舞台設定を日本にして書き換えて来い!」と言われれば、椿は椿でちゃんと指定された期日までに書き換えてくる。「お国の為にというセリフをいれろ」と言われれば、「お国の為」というセリフを入れてかつ愉快な喜劇に仕上げてくる。ただし、そこでのお国は、芸者の「おくに」である。向坂は腹を立てつつも、段々と喜劇の面白さに目覚めていく。
検閲が進むうちに、向坂は検閲本来の目的からそれて椿に個人的な助言を与えるようになっていった。検閲室では二人で、ここはどうだ、こうした方がよいといった話が身振り手振りを加えて行われるようになっていった。
しかし、向坂も決して完全に検閲係としての使命を放棄していた訳ではなかった。すべての作業が終わり、椿がようやく許可を戴けるとほっとしてもらした一言で、向坂の態度は豹変し、「とにかく上演は中止してもらうしかない」となった。帰ろうとして扉に手を掛けた椿が、ふと思い出したように懐から取り出した召集令状が、向坂の態度をまたも一変させた。ここの場面は泣けてくる。椿から明日入営との話を聞いて向坂は、「お国のために命を捧げてご奉公申し上げて来い」とは言わなかった。「生きて帰って、もう一度台本を書いて欲しい」と言ったのであった。
西村雅彦は素晴らしい役者である。検閲係としての自分と、椿の才能を認めて喜劇を理解しつつある自分との間で揺れ動く向坂の姿を見事に演じきっていた。
この芝居自体にも、単なる喜劇としては捉えきれない奥の深さがある。『12人の優しい日本人』、『ラヂオの時間』などにも共通していえることであるが、笑いの中に数々の人間ドラマを織り込んでいく三谷幸喜の手法がこの芝居でも遺憾なく発揮されていると言えるだろう。
ここで私が、私の極めて個人的な感想から、「祖国の為にご奉公するのは当たり前だ」とか、当初向坂がそうであったように「多くの同朋が戦地で苦しい思いをしているというのに喜劇とは何事であるか」などという切り口で、この芝居を切るならば、私自身がいかに狭い視野しかない人間であるか再認識することになってしまうだろう。もし、心底そのようにしか受け取れないとしたならば、恐ろしいことだ。
もう一つ、全体を通じて感じたことは、いかなる時代にあっても、笑いを忘れてはいけないなあということであった。笑いを忘れるということは、言い換えるなら、余裕を失い、優しさを遠ざけ、人間らしさを忘れることになるのかもしれないのである。もしかすると、思いやりや優しさよりも経済効率ばかりがもてはやされる中で、職に留まることだけに汲々としているような今の日本人に対して、彼らが伝えたいのはその辺にあるのかもしれない。
全五回 講義概要
――西本 直人――
この世は賢い人間のものである。
こう言い切ってしまうのに何のためらいも要らない世界がいま現出しつつある。
現代では知識こそパワーである。力を持つ者が世を支配するのなら、現代では知識を持つ者が支配者だと言えるだろう。物理的な力が世界を制した中世の時代の英雄たちは、いまや誰よりも迅速かつ効果的に記号を処理できる青白きエリートたちにその座を奪われている。
こうした現象を如実に表しているのが、現代アメリカのクリントン政権に参画している長官たち、
Nasdaqとやらに蠢くハイテク企業群のCEO、または金融工学によって世界の金融市場を席巻している投機家たちである。たとえば、オルブライト国務長官を筆頭にクリントン政権の長官たちは博士号を持っていて当たり前、修士号は最低学位と言えるだろう(どこぞの政治屋さんとはエライ違いである)。アメリカ・ハイテク企業のCEOないし投機家たちはといえば、スタンフォード、MITを筆頭とする工学系の大学院か、あるいはハーヴァードに代表される伝統的ビジネス・スクール出身者でそのほとんどが占められる。もはや政治も経済も賢い人びとだけがその表舞台に立つ権利を与えられるのだ。しかも、「賢い」
=「学位」「学歴」ではない。「東大卒」というライセンスに脳ミソ犯され死ぬまでその特権に与ろうというキャリア様的「学歴信奉」は、アメリカン・エリートたちにとって縁遠い迷信である。もちろんアメリカでも学歴は賢さの尺度として使われているが、あくまでその賢さの中身が実践において問われている。では、その賢さの中身とは何か?その答は「システム」にあると私は見る。
アメリカでも日本でも、現代の経営の勝負は、とかく「システム」によって決せられている。たとえば、
イトーヨーカドー − ダイエー
ユニクロ −
TakaQクロネコヤマト − 佐川急便
住友銀行 − 第一勧銀
アサヒビール − キリンビール
DELL − NEC
この勝組と負組を分けているのは、
ITにもとづいたシステムからもたらされる効率性である。現代のITを核にした事業構築の効率性を見るにつけ、経営学の鼻祖F.W.テーラーの夢見た科学的管理法が満開の花を咲かせたように思えるのは何も私だけではないだろう。もはや、経営者の人間性とか倫理観、人心の掌握術など頼りにしてはいられない。眼を転じて、アメリカ大統領選挙はどうか。地盤・看板・カバン、そこから湧いてくるカネ、それにあかした高価なスタッフ陣とメディア戦略からなる「システム」をフルに活用したサラブレッド二世が二大政党の候補者として出揃った。しかもどちらも「叩き上げ」のアメリカ的英雄を破っての話であり(
30年前のアメリカならこれは悪夢だろう)、そのライバルたちも負けじとシステムの構築に狂奔したのである(おそらく自民党の持つ集票システムのノウハウは世界一級の商品である。自民党のセンセイ方は選挙資金に事欠いたら世界を相手にコンサルテーションで稼げばよい。その意味で、アメリカはやっと日本に追いついたと言えないか)。こんな世の中、少子化という流れもしごく当然の話だろう。持てる資源を複数に分散するよりも、一点に集中投下して高度な知識を習得させたほうが大きな見返りを期待できるのだから。多くの子供を抱えても固定費用ばかり増え、低いリターンしか期待できないとなれば、子供を少数しか生まないという選択は、複雑なシステムを中心に回っている世界に適応した極めて合理的で賢い選択である。
こうした賢い人びとの台頭が進む時代にまるで逆のことを言う人がいる。○塾塾長、遠田雄志先生である。
先生の主張の核は「愚かは賢い」というところにある。
これは、○塾のモットーの一つ、「賢くて愚かなもの、人間」と同じことを言ったものである。しかし、よく見ると少し違う。前者は愚かさの中に賢さを見、後者はその両方を兼ね備えた存在としての人間について述べている。「愚かは賢い」なのか「賢いは愚か」なのか、はたまた両方を抱え持った人間のあり様について述べられているのか。その主張には若干のブレというかヴァリエーションがあるように思われる。しかし、「賢−愚」の二項対立を乗り越えた、というよりもそれに拘泥することがなくなった人から見れば、そんなことはどうでもよいだろう。
自らが賢いことを証明するための言語でこの世は満たされているのに、賢も愚もないという考えを言い表す言葉はいまだ少なく、あっても漠とした印象しか与えないものが多い。
そんな捉え難い思想を映画で一気に学んでしまおうというのだから、結構な話である。
と、いきおい力を込めて鑑賞したところ、どうもこの『さらば冬のカモメ』と先の思想とのつながりが判然としない。映画の趣旨はこうだ:ここに募金箱から小銭を盗もうとしてつかまった頭の弱い海兵隊二等兵
(齢19)がいる。そしてその哀れな二等兵を刑務所まで連行する任に選ばれた兵長が二人いる(一人はロシア系の白人、一人は黒人。どちらも屈強で、その狡賢さゆえに上長から嫌われている)。この三人が道中繰り広げる事件から映画は構成されている。頭の弱い二等兵は、兵長二人と共に酒、女、喧嘩、博打を経験していく中で、多くの表情、喜び、笑い、怒り、官能、傲慢さ、そして狡猾を刑務所に着くまでのわずかな時間で身に付けていく。そして、刑務所への入所を当初厭わず自然に受け入れていた二等兵は自由を欲し恐れを抱いて兵長の下から逃げ出そうと企てる。しかしかなわず、最後は叫びを上げながら刑務所の房の中へと連れられていくのである。
映画を見終わった後での遠田先生のご説明によると、「あの二等兵は兵長から知恵を教わってしまったがために平穏な気持ちでいられなくなってしまった。だから賢いこと(賢くなること)はかえって愚かな結果になってしまうこともあるのだよ」ということであった。
しかしそこで、疑問ばかりが頭を駆け巡る。『さらば冬のカモメ』を題材に「愚かは賢い」を説明されると、こう言われているような気がしてしまう:「愚かに戻れ」と。
「賢くて愚かなもの、人間」という思想を説明するために第0期で使われた『カンバセーション』という映画の場合、「人間は自らが張りめぐらした意味の網の中にからめとられている動物である」というもう一つの主題があり、それが人間の愚かさをあらためて見つめ直す視座を与えてくれた。しかし『冬のカモメ』ではその視座を取りにくい。哀れな二等兵はさまざまな経験を積んでしまったので気持ちが揺らぎ自らの境遇に耐えられなくなってしまった、それゆえ賢いようでいて愚かだ、ととれなくもないのだが、刑務所に入ることへの忌避感は土壇場で身に付けた人間性の発露だと考えれば、ネガティヴではなくむしろポジティヴな意味合いを帯びてくる。二等兵の叫びをネガティヴと見るか、ポジティヴと見るかで、まるで違う結論に至ってしまう。遠田先生はそれをネガティヴと見、私はポジティヴと見た。その点こそ先生との間の最大のギャップであり、『冬のカモメ』から私が「愚かは賢い」という思想を汲み取れなかった理由なのだろう。このギャップはいまだ埋められず、宙ぶらりんのままである。
と、ここまで理づめでページを埋めてきた。遠田先生がこれを読まれたらきっと苦笑するに違いない、やれやれと。
「愚かは賢い」というテーゼは私にとって大切な問題である。なぜなら、それは生き方のみならず、いまの社会のあり様とも密接に関わりあってくるからだ。アメリカン・エリートの権威が失墜するような事象が起きたら、サラブレッドの首筋ではなく種馬の奔放さに酔いしれたら、一人っ子の弊害にみなが耐えられなくなったら、社会は賢さを乗り越えるようなしくみを具えるようになるのだろうか?
賢さから離れること、愚かさを楽しむこと、それができたら少なくともメディアやネットの奏でる喧騒もちょっぴり静かに、ロイドの眠りもまた少し深くなるだろう。
ドキュメント『内申書の数量化』
――加藤 敏雄――
プロローグ
現代の中学生は大変です。街にはプレステ2と呼ばれるゲーム機というより変種のパソコンの誘惑が手を伸ばし、学校にはいじめ問題が待ち構え、直接的には進学という重圧がのしかかる。この進学問題にかかわる事柄の一つで中学生に心理的圧力をかける存在として、中学校から進学志望高校に提出する『内申書』があります。今回のわれわれの○塾での勉強はNHKのドキュメンタリー番組『内申書の数量化』に題材を求めたものです。
内申書の本質は、ペーパーテストの結果では表現できない当人の個性とか性格・特徴を表す一種の評価表です。この内申書のもつ特性は“5”とか“3”とかいう数量では評価できない、いわば質的評価にあります。質的評価であるところからいろいろな悲喜劇が生まれます。中学の先生による内申書づくりの時期が近づくと、生徒はことさらに先生の目にとまるような行動を一斉に始めます。生徒会長選挙への立候補、トイレの清掃、ボランタリー活動などなどなど。それも内心はどうあろうと、表面的には意欲的に情熱をもって積極的に行動しているように見受けます。
さて、時は流れ、目出度くあるいはお気の毒にも高校に進学すると、彼等彼女等は、ついさっきまでの事はウルトラマンの故郷の星での出来事であったかのように、自分だけの世界に閉じこもってしまいます。
1.マネジメントとは?
このセッションで、われわれは現代の中学生問題や中等教育問題を議論したのではありません。『内申書の数量化』というドキュメンタリーを議論の題材としてとりあげ、マネジメントの重要な要素である評価を媒介して「マネジメントとは何か」を考えることにしたのです。
マネジメントとは何かという問に対して簡明に答えることは必ずしも容易ではありません。たとえ会社で実務について何年になる人でさえ、分かっているようで分かっていないというのが実情でしょう。そこで、このマネジメントとは何かという問に多少でも答えたいと考えたのが第2回のセッションの意義なのです。
「マネジメント」の定義は極めて多様で、研究者ないし論者の数だけ定義が存在していると云っても過言ではありません。多様な定義のうち比較的共通して取り上げられているキーワード的な言葉を挙げてみると、目的の能率的な達成、人々の活動の統合、組織の能力/資源、目的達成過程、意思決定といったものがあります。また言葉の用い方にしても経営者・管理者という活動の主体を指す場合と、いうなれば経営管理という活動そのものを指す場合の二つがあります。この二つの用法はとくに区別しては用いられないことが多く、文脈によって判断を要することがしばしばです。
「マネジメント」という言葉は日本では主として「経営管理」と訳されています。問題はこの管理という言葉です。管理という言葉から大方の人がイメージするのは、制御する、監視する、制約する、合理化するといった事柄が多いようです。しかしマネジメントという言葉の意味の一つに「組織を“うまく”運営する」ということがあります。殆どの場合、人々が組織化にあたって組織を崩壊させることを意図することはまずないでしょう。大方は組織を維持し存続させ発展させることを願う筈です。したがって組織をつくり、その組織を存続させるには、その組織の形態や内容がどうであれ、そこにはマネジメントが行われるのです。
2.マネジメントが行われる場と対象
このマネジメントが実践される場は、まさに「組織そのもの」です。よく一般に話題になるのは組織にとっては人こそが大事だという派と、組織がきちんと構築されることこそ大事だという派があります。つまり人か組織かという二分法的な議論がなされることをよく見かけます。筆者はマネジメントの実践も大事であり、同時に組織も大事だと考えています。組織といっても組織の形態だけではありません。組織で実施される諸制度も適切に設計されていなければなりません。また組織のメンバーの一人一人の仕事、つまり職務の設計も適切でなければなりません。では適切とは何か。この問題に踏み込むと大きな議論が必要です。とりあえずは常識的に考えていただいてよいでしょう。
このように考えてくると、組織の設計とマネジメントの実践とがシステム的に統合されることが重要だということに気づきます。なおこの組織の設計は、組織の構造の設計、制度の設計そして職務の設計の三要素から成り立っていなくてはならないと考えています。さきに組織の設計にあたっては、組織の構造の設計、制度の設計、職務の設計がシステム的に統合されることが大切だと述べましたが、システム的に統合するとはどういうことなのでしょうか。
3.マネジメントの実践と組織の統合
マネジメントの目的は何かと云うことです。さきに挙げたように、組織活動の効率化や有効性の向上は組織目的の一つです。しかし短期的にはこうした組織業績を意図したにしても、長期的にはその組織のメンバーのことを考えねばなりますまい。組織の存続・維持・発展のエネルギーは組織メンバーに依存しています。それ故に、マネジメントの目的は「組織メンバーが仕事を通じて満足が得られること、そして個人として成長発展がなし得ること」にまで展開されねばならないでしょう。実はこれこそがまた「人事」ということの本質でもあるのです。
議論を進めるために、組織メンバーに対する処遇を例にとりあげてこの問題を考えてみます。まず第1に組織構造の問題です。ラインの管理者に部下の昇給や昇進をマネージするあるいは影響を与える権限が持たされているでしょうか。我が国の多くの組織では、例えば人事管理にかかわる事項の多くは、人事部門にその権限が集中している形態です。ライン管理者に部下の業績を評価し、給与額や昇進を決定できる、あるいは自部門の執行計画をたて、予算を管理し得るといった権限が付与されているかどうかという、権限構造のあり方は制度の運用に大きく係わります。管理者に責任だけあって権限が持たされていないなら制度は十分に機能しません。第2は制度の設計の問題です。業績評価制度、給与制度、昇進制度、教育制度などなどの諸制度は相互に有機的に連結していなくてはならないし、また組織の構造やマネジメントの実践とも連動していなくては機能しないのです。第3に職務設計の問題です。個人に割り当てられている仕事がどのようであるかは、仕事に対するコミットメントやモチベーションに影響を与え、ひいては組織目標の達成に影響を与えます。目標の達成度は当人の評価に還元され、昇給とか昇進とかかわります。最後にマネジメントの実践の問題です。いかに組織がうまく設計されたとしても、実践が伴わなければ何の意味もないことになります。しかし日本の企業では多くの管理者は、自らマネージする権限が与えられてはいないといえるでしょう。こうした環境を考えると日本の管理者がリーダーシップを発揮し得る基盤は、フレンチとシュナイダーによるパワー概念からすると帰属のパワー
(Referent power)か専門性のパワー(Expert power)に限られそうです。そしてこの限定された影響力を行使してシステムを動かすしかないのかもしれません。
4.マネジメント・システムの事例
ここで日本IBMの事例を取り上げながら説明してみましょう。ただし現在のIBMではなく、
1980年の終わりまでの、いわば古きよき時代のIBMの事例だということです。しかし古いとはいえマネジメントとは何かを考えるときに、なにがしかの示唆をわれわれに与えてくれる筈です。
IBMコーポレーションは自らの組織とその傘下の組織の行動の原点ともいうべき「組織の理念」を明確にかかげています。個人の尊重、最善のカストマー・サービス、完全性の追及、卓越したマネジメント、株主への責務、公正な購買取引、社会への貢献です。IBMにおいては、この組織理念は単なるスローガンではありません。この理念は全世界に展開されているいわば子会社である各国IBMをも包括的に律するものなのです。言い換えれば組織存立の基盤の宣言とでもいえるでしょうか。同社では組織の設計、つまりは組織構造の設計に、あるいは制度の設計に具体的に反映させていますし、経営者・管理者のマネジメントの実践にあたって行動の準拠枠を与えています。
内申書制度は評価制度でもあるので、ここでの事例としても業績評価システムを挙げてみましょう。その制度は
A & C(Appraisal and Counseling)プログラムといいます。このA & Cプログラムの設計理念は組織の理念の「個人の尊重」を具現化するよう構成されています。A & Cプログラムは目標設定とその目標の達成度の評価を基軸としていますが、目標は所属長との話し合いに基づいて両者の合意によって設定されます。この年間目標に向け仕事を遂行することになります。
さて評価の時期になると当人に対して所属長は業績を評価し当人に業績表をフィードバックします。評価公開の原則に基づいているわけです。この評価に関して話し合いと評価に対する合意の確認がなされ、その後この
A & Cの評価表はさらに所属長の上司もレビューすることになるのです。A & Cの結果は、例えば昇給額へ、あるいは昇進に反映されるばかりでなく、評価結果から判断される仕事のための能力向上を目指しての教育必要点を検討し、当人の成長を援助する方策をたて実践に移すという教育システムに連結させます。
こうした一連の動きは、組織の理念のひとつである「個人の尊重」を具体的に表現しているのです。個人の尊重とは、従業員個々人のもつ恣意的な欲求を尊重するというものでは決してありません。明確に定義されています。一言で表現するなら「業績に対する公正な処遇
(Pay for Performance)」と言えましょう。評価を公正に行うことも公正に処遇することの一部です。公正を保つためには所属長は評価を当人に開示し、この評価に対する反論には誠実に答える義務を負っているのです。もしも当人が評価に納得できない場合はそのメッセージを署名とともに公式に記録に止め、より上位の管理者によってレビューされるよう制度は保証しており、また実践されています。この被評価者対評価者の関係は、非管理者−直属所属長(第1線管理者)だけでなく、第1線管理者−第2線管理者、第2線管理者−第3線管理者というように評価の序列が形作られ、最終評価者は社長ということになります。またさらに日本IBMのトップも、より上位に位置するIBMコーポレーションのトップと
A & Cを行うことになるわけです。
6.組織の理念とマネジメント・システム
組織の構造づくりをするにしても、制度づくりをするにしても、その拠り所、設計の基準を何に求めるかでしょう。筆者はこれを「組織の理念」に求めるべきだと考えるのです。
よく、我が社の経営理念はこれこれだと述べられているのを見聞きしますが、その多くは組織のスローガンとしてのみ存在するだけで、それが組織のどこに関係しているのか不明確な例を多々見かけます。「絵に描いた餅」だけの存在では、それが無いよりも始末に悪いことがあるものです。
組織理念が組織のメンバーにとっての行動規範であるためには、組織の理念が抽象的では役立ちません。例えば、制度づくりに具体化し得るレベルにまで操作的定義がなされることが大切です。そこではじめてシステムは組織の理念を具体的に表現し得るように設計することができるのです。組織の構造にしても、組織の制度にしても組織の理念を具体化するように構築されることが肝要です。また経営者・管理者の実践も組織の理念を活かすよう行動しなくては組織も制度も機能しないということになってしまいます。
エピローグ
中学生はなぜ受験問題が終ってしまったなら、無関心、無感動、無気力の三無主義になってしまうのでしょうか。内申書は中学生にとっては高校入試の成否という、人生のごく一部分で、しかも一瞬にしか影響をもちません。内申書は生徒の一側面のみのデータを一過性的に高校側に提供するだけの役割でしかないのです。中学生たちは、こうした内申書の限定的特性に合わせて行動しているに過ぎないのです。これが中学生がシステムに対する認識にもとづいてつくり上げた、つまりイナクトした環境に対する行為なのです。
内申書問題に端を発しマネジメントを考え、例として日本IBMのごく一端を紹介したわけですが、いわば欧米型ともいえるマネジメントに依拠するべきだなどと言うつもりはありません。われわれの前には経営管理つまりマネジメントについて内外からいろいろな説が置かれているわけですが、こうした諸説を正しく消化することを考えたとき、現実の組織がどうなっているかを的確に認識しない限り不可能ではないかと思われるのです。組織における意思決定のプロセスを考えてみても、またその意思決定にとって決定的ともいえる重要な意味をもつ組織の環境認識の問題にしても、日本のマネジメントはどのような状態のもとで展開されているのか、例えば環境の認識にしても、この認識行動の背後にはどのような個人的属性、それも日本的といわれる特性があるのかどうか、といったことを考慮することが実際問題へのアプローチにあたって必要とされるのではないかと思うのです。
企業組織で扱われるマネジメント・システムも、この内申書システムの二の舞にしないために何を考えるべきかはもうお解りの筈です。
― 完 ―
――石森 陽子――
T.『リストラ ―サラリーマンの値打ちが問われるとき―』映像の要約と感想
中日本ダイカスト工業会社における、新給与体系導入の報道である。これまでの給料計算は、基本給と職務給の合計であった。新給料体系は、年功を中心とした基本給を廃止し、職能給と職務給の合計である。職能給は、能力給と解するのが一般的である。しかし、同社では「人質給」と言い、人間の判断を、理解力、表現力などの
5項目、5段階評価を、一人の評価者に託し、その結果による給料計算体系である。この新給料体系導入時に、従業員
200人のうち、40人が辞職した。経営者は「辞めてほしかった人達だった」「よかった」。また「会社に忠誠心を持つな」「自分のために頑張れ」と言っている。この制度に、新たな意欲を示す社員、一方で、苦悩している一人の評価者、各部門の評価者が集合し部門間調整をする様子などを報じた。しかし、この会社の収益実態や従業員の年齢構造、導入過程、評価に伴う事前準備と合意などがよく伝わらない映像であった。
リストラ、その革新の一手法として、年功中心の基本給廃止、職能給導入は評価できるが、評価方法に客観性が見えない「人質給」であることに、疑問を生じる。評価責任者の課長は、係長など部下からも情報を得るなど、それなりに吟味し評価していた。部長会議は、部門間の調整に留まっているようで、個人に対する経営者の合同評価機関がなく、結局、部長一人の評価である。最終的には、会長が決定するというが、社長の権限はどうなっているのだろうか。
また、経営者が、新給料体系導入に伴い辞職した人々を評し「能力のない人間が辞めて助かる」と公言している。企業構成員として、何らかの形で活動、貢献したことがないとは考え難い。
これまでの仕事のみならず、人生をも否定するかのような発言であり、人間性というか、経営者資質が問われるのではないか。さらに、会社に忠誠心を持つなというが、個人の充足感は、何もないところに、簡単に生じるものではない。会社構成員としての帰属意識、一体感、さらに忠誠心等とも重なって、貢献意欲を高め、組織充足性と連動して、個人目的の達成が充当されるのではないだろうか。
最近、日産自動車の
2万千人の人員削減と、4工場閉鎖を発表したカルロス・ゴーン最高執責任者ら経営陣の決断が評価される一方、閉鎖される工場や地元地域に、雇用や受注の先行き不安や、説明不足を訴える声が大きくなっていることが報道されている。NTTも、民間企業に移行以来、職能給導入、事業・コスト構造の転換、組織分割、統廃合などいろいろな面からの企業改革を進めている。さらに、日産自動車以上の人員削減、採用凍結などが公表されており、その末端で働く私自身にも、複雑な思いが脳裏を駆け巡っている。
U.『大失業時代にあえて終身雇用 ―ある企業の戦い―』映像の要約と感想
横河電気会社では、過去
84年間、人員整理をしていない。「社員は会社の宝」「人財」とし、60歳以上の人が500人以上いることや、81歳の従業員の働く姿が紹介された。また、破産した山一証券の元従業員で「子持ち、ローンを抱えた、36歳以上」に的を絞り採用。それまで培ってきた専門性を生かせる部門で、その能力を発揮している社員の姿があった。さらに「
10億円までの負債なら3年間待つ」と、チャレンジ精神や人を大切に育む経営者がいて、「雇用が守られているから、厳しさについていける」「やりたいことを申告し、給料が低下する事なく他へ移動できる」という社員集団がいる企業の映像であった。この会社は、景気後退期でも雇用量を減らさず、従業員をそのままにして、企業構造改革には、配置転換、事業ミックス、組織改革、給料体系など、いろいろな方法を取り入れている。「新幹線」の如きパワーと、発想の豊かさを感じた。人材ではなく「人財」とする経営者の理念や、終身雇用制度は、社員の帰属意識や忠誠心を強化している。そこから、組織目標の共有化、さらに権限を委譲されることで、個人の存在感や貢献意欲を高め、企業成果をあげていると考える。
先日、某新聞に「米国最高齢労働者」賞に輝いた
104歳の現役サラリーマンが紹介された。1920年に入社以来、冷蔵技術関係の特許41件を持ち、今も週5日、8時〜正午まで出勤、冷凍技術開発・向上、後進の育成・指導に当たり、家でも研究書を読むなど仕事熱心で、2年前にも冷蔵技術の理論と実践の本を書き上げた。彼曰く「私の辞書に退職という文字はない。仕事は価値ある名誉なこと」。人事担当や同僚は「彼の豊富な知識は、会社の財産。面倒見も良く、いつまでも居て欲しい」。米国は、人種、性への差別同様、年齢を理由に解雇や採用などを禁止する「雇用における年齢差別禁止法」が成立。意思と能力のある高齢者には、政策的に支援されており、選択肢があることは、喜び・生きがいになるのではないだろうか。
V.高橋さんのレクチャーへの感想
運輸・通信業、製造業など、経営者として実体験しているとはいえ、企業価値の中で、目に見えないものに注目していることや、グローバル的視野の広さと内容の論理性に敬服した。また、企業と社員の関係を、マズローの欲求階層を引用し、安心感や希望、帰属意識、信頼関係などの重要性を述べられた。映像からも関連事項を学んだが、企業を構成する人々を大切にしていることなどから、誠実で優しい人柄が、いっそう鮮明に見えた。
下請け中小企業は、大企業との関係を深めることによって、技術水準を高め、安定した受注を得られるように機能を果たし、日本の経済を支えているとも指摘されてきた。Tに記した大企業の日産自動車は、系列企業にこだわらず、コストや品質、納期などによって部品の調達先を選別することも宣言している。系列解体によって、多数の中、小、零細企業が、受注減少や、長引く不況による業績悪化が予測されており、受注先の多様化や独立独歩の道を模索し、競争する厳しい日々が続くだろう。
W.まとめ
「日本型企業」の年功序列、終身雇用、企業別労働組合を軸とした仕組みが、激変する社会状況のなかで崩壊したり、企業構造を変えながらも維持しようとのする企業努力を垣間見た。この
2つの映像や、高橋さんのレクチャーから、現代企業の課題とも言える革新や、次のようなことへの関心を高めることができた。(1)
リストラは、不況が続くなかで、人の削減や首切りの代名詞の如く使われ、実施されてきている。しかし、本来、リストラクチャリング(restructuring)は、革新の流れに適応して、企業の構造を変えることである。その内容は、@製品や事業ミックス(組合せ)の変更、A財務体質の改善(増資による借入金の削減)、B経営組織の改革(カンパニー制の導入)、C事業部門の改変(統合、買収、合併、撤退)等があり、競争優位性の強化を最優先に、事業を再構築するのである。(2)雇用調整法には、従業員を減らすレイオフ(lay-off)方式と、従業員をそのままに、一人当たりの労働量を減らしたりするワーク・シェアリング(work-sharing)方式がある。不況が長引いている近年、マスコミを通し、大企業への就職活動に奔走する学生達、組織に拘束されずフリーターとして働く若年層、一方、中高年層のリストラ、ホームレス、自殺の増加などを知る。
企業は雇用を存続できるか否か、求職者は企業に雇用されるか否か、それぞれの立場で、雇用確保に必死である。自分に「何が出来るか」問われているように思う。
(3)経営組織の要素は、経営目的、伝達あるいはコミュニケーション、構成員の貢献意欲と言われ、基本課題を軸に、相互に深く連動している。構成員の「人材育成」その「評価」をいかにするか。社員の能力を存分に引き出し、生きがいをもって仕事に集中することによる生産性の向上が、企業課題の一つである。
(4)長期雇用は、組織への帰属意識が強まり、モラルの向上にも役立つ利点がある。組織に貢献すれば組織が発展し、メンバーの利益に還元される。しかし、長期の安定が保証されると、努力を怠る危険性があり、環境変化がある場合には、発展の障害となる問題がある。
日本では、若年人口減少、年金制度との統合性などにより、企業に
60歳定年制と65歳までの継続雇用努力が法律で義務付けられた。意思と能力のある高齢者は、自ら仕事を創造し、あるいは選択し、積極的に生きる人達が出てきている。米国では、退職を意味する「リタイアメント」を「新しいことへの挑戦」を意味するというが、それを実践している人生の先輩達に、拍手を贈りたい。(5)高橋さんという経営者であり、勤勉家であるモデルが、おごることなく、さりげなく、親しい仲間の輪という、身近なところにいる幸いに感謝している。彼の体力・気力が、そして会社経営が、より良い方向に維持・発展されるよう祈念したい。
企業活動の最終目標は、より良い商品やサービスを、より安く提供することによって、人々に満足感を与えることである。つまり、人々を幸せにすることであり、儲けはそれについてくる。
堀田力氏によると「人々は、良い商品やサービスを提供してもらうだけでは、幸せになれない。快適で平和な環境、未来についての安心感と希望、心温まる人と人とのふれあいや助け合い等があって、はじめて幸せになれる」という。
そのためにも、現代企業は、ドラッカーが提唱するように、収益性などの存続・成長を目標に、いかに革新し、顧客を創造していくかが課題と思われる。
vs. 共生 ドキュメント『熱帯雨林と共生』
――高橋 喜則――
1.はじめに
人類の歴史を遙かに越えた歴史を持っている熱帯雨林。その中で生み出されている共生という関係。その中から自分は何を読みとることができるのだろうか?なかなか今までの自分の中で考えたことのないテーマであり、興味深く捕らえられればと思います。
2.熱帯雨林では
熱帯雨林の中では、生物が共生という関係を作り上げています。これはその中の生物がお互いの生活を補完し合うように作り上げられた関係です。そこには競争社会で生きるか死ぬかというような、人間社会とは異なる関係が存在します。たとえばアリノスダマとアリの関係は、
アリノスダマ・・・アリの住居・えさの樹液を提供
アリ・・・・・・・害虫を駆除
というような共生関係が存在しています。このような関係が複数あり作り上げられているのです。今まで、アフリカなどの砂漠などの動物の関係がイメージとしてあり、このような関係はあまり考えていませんでした。それではこのような関係は本当に良いものなのでしょうか?
3.競争していた方がいいと思う・・・
今の社会は競争社会でいろいろなところで競い合っています。企業においても他の会社よりもいかにしていいものを作り出していくかという技術競争、いかにお客様に満足していただけるのかというサービス競争など企業活動を行うにおいて基本は競争になっている。その競争に負けてしまえば、会社は倒産してしまうのである。
よく、お役所は競争がないからよくならないといわれている。たしかに一生懸命やらなくても自分の生活が保障されている以上、ましてやインセンティブもないのだからモチベーションが高くならないだろう。あの、国鉄時代巨額の赤字を垂れ流し続けたJRは華麗な変身を遂げている。やっぱり競争していた方がいいのではないのだろうか?
4.共生のいいところ
競争社会では、毎日の生活がなかなか豊かにならない。これは金銭的な意味ではなく心理的問題である。競争社会というのは常に心理的緊迫した状況に置かれているのではないか。今の人は(自分自身も)会社
VS会社の競争だけでなく、会社内の人とも競争していかなければならない。そうでなければ低い賃金に甘んじるかリストラされて寒空に放り出されてしまう。そんな状態で心の余裕が生まれてくるのは難しいのではないか。それにくらべ共生している状態ならばこのようなことはない。先行きの不安がなくなり心理的余裕もできる。人間的な状況になるのではないか。ただ、熱帯雨林ではアリノスダマ⇔アリという組み合わせで共生していたが、「じゃあ実際に人間ではどういう共生をするんだ」という問いかけをされてしまうとなかなかイメージが沸いてこない。
5.抜け駆け厳禁!
共生関係は熱帯雨林の中で作り上げた形である。それぞれが生き残っていくために最適な形として生まれてきたものである。この関係は人間の社会ではなかなか難しいのではないだろうか?この共生関係は平等だという想いを共有できなければ難しいと思う。それは、共生していることがあまり自分にメリットがないと思ってしまっては成り立たない。しかし人間は知恵があり、自分に有利になるように動くのではないだろうか。抜け駆けをする人が現れるような気がするのではないか。
6.終わりに
あっ、あれがほしいなーと思うときもよくあります。でもその次に給料安いしあんまり贅沢いってられないなーと思って躊躇します。なかなか自分の将来像が描けないのがやっぱり現状です。何とかこの競争時代を勝ち抜こうとして資格を取りに学校へ通ったりする人は後を絶ちません。ワークシェアリングが最近よく話題にあがるようになりました。早く導入してもらいたいのですが、今の不景気の中(ひょっとして今の景気が普通の状況になるかも)経営者が長期ビジョンを描きワークシェアリングの導入を考えることができる企業は限られてくるのではないでしょうか?今の経営は株主重視ということで株価ばかりに気が向いてしまっています。そのような経営者には難しい話なのかもしれませんね。
――仲宗根 一成――
1.社会教育と生涯教育
特別講師として遠藤俊夫先生をお迎えし、社会教育の旅というテーマでご講義いただいた。テーマである社会教育とは成人が学ぶことであり、生活するために学ぶという点で未成年のそれとは意味が異なる。社会教育が行われる場として公民館があり、教育、文化、スポーツなど多岐にわたるジャンルをイベント(講義)として開設している。
また、社会教育の類義語として生涯教育という言葉がある。生涯教育とはポールラングランによると近代社会の危機(科学技術や情報の急速な発展)などに対して学校教育だけでは対応できない、それを補完するために社会全体で教育に取り組もうということである。しかし日本では生涯教育の定義は歪められて認識されているようだ。社会に適応しつづけるための教育を生涯教育と定義している。その定義からは消極的な姿勢がみてとれる。そもそも社会を形成しているのは人間であり、我々が創造するものである。主体は人間であり、対する客体は社会である。上記の定義では客体が主体を規定している。生涯教育は学習することにより人間をなりゆきまかせの客体から、自らの歴史をつくる主体にかえていく自主的な活動であるべきだ。
2.学習権
折からの不況によって国の財政は逼迫し、それに伴い、社会教育の予算は減少している。確かに、景気回復に結びつきにくい社会教育予算は削減されるターゲットになりやすいだろう。しかし、教育こそ国の基礎であるのは万国共通、普遍的なはずだ。学習権宣言によれば「学習権は人間の生存にとって不可欠な手段である。もし世界の人々が、食料の生産やその他の基本的な人間の欲求が満たされることを望むならば、世界の人々は学習権をもたなければならない・・・“学習”こそはキーワードなのである。」としている。学習権の普遍性、人間社会との不可分性が述べられている。さらに、「学習権なくしては、農業や工業の躍進も地域の健康の増進もなく・・・この権利なしには、都市や農村で働く人たちの生活水準の向上も無いだろう」とあり、教育が経済発達の手段としても挙げられている。すると国が社会教育の財源を削減したことは学習権を考えるとき、まったく逆のベクトルを向いていると思われる。
3.公って何ぞや
講義の中で、遠藤先生が“公”とは何だろうと疑問を出された。字義どおりに解釈すると平等、役所、国家などとなる。先生の質問の“公”が国家や平等の意味だとすると、国家とはなんだろうという質問になる。続けて先生は
NPOに少し触れられた。それは、これまで国家がイニシアティブを発揮して勧めてきた社会教育、生涯教育などの福祉事業が中高齢者のセグメントの肥大によって、また、複雑化する嗜好に国家だけでは十分カバーできず、限界に達しているという現状を示唆していると思われる。1998年に成立した『特定非営利活動促進法』(NPO法)は国家がすでにその面で飽和状態にあることを示している。日本の要介護高齢者は1998年で二百数十万人であり、これが2025年には520万人前後になると予想されている。この介護を社会的におこなうとすれば、時間あたりの人件費だけでも莫大な費用がかかる。そこでNPO団体は派遣ホームヘルパーの介護の負担を軽減し、今まで必要とされてきた時間数の一部を肩代わりすることによって介護保険法を支援するのである。現行の介護保険法とNPO法との両輪がうまくまわるとき、満足あるサービスが可能となる。
4.最後に
ここではNPOと介護保険との組み合わせで考えてみたが、遠藤先生が危惧していた社会教育についてもNPOとの組み合わせで同様に新たな方向性がみえてくるだろう。NPO法の制定をきっかけに、有益な公のかたちを再形成するべく努力しなくてはならない。
遠田 雄志
綿引 宣道
松岡 喬
古川 肇
遠田 雄志
変な社会の○
(1)世紀末、リストラという名の首切りの嵐が吹き荒れている。バブルが弾けてから久しい日本では、リストラを断行する会社が優良企業との格付けをいただく風潮で、いまやリストラはビジネス界ではポジティヴ・バリューになっている。では、バブルを謳歌しているアメリカはといえば、日々急速に発展する電子・通信技術を積極果敢に導入する優良企業によってこれまたリストラが断行されている。バブルであってもなくても、リストラなのだ。これって何か変ですよネ。
リストラされた人は、もちろん可哀相。でもリストラを免れた幸運な人も可哀相だ。幸運組は、不運組の人たちの分も働かなければならないし、明日は我が身かの不安が常につきまとう。行くも地獄、残るも地獄なのだ。これって何か変ですよネ。
なのに、なぜワーク・シェアリングしないの?ワーク・シェアリングは、仕事をみんなで分かち合う代わりに給料も分かち合うシステムで、一人ひとりの給料は下がるかもしれないが失業の大不安はグッと少なくなるのに・・・。こんな当たり前の問いかけがなぜ伝わらないのだろうか?
今や競争の時代。企業や働く人は競争を通して、優秀なもののみが生き残れば良いというのだ。優勝劣敗、賢くなければダメなのだ。こんな時代に、ワーク・シェアリングなんて甘ッチョロイ発想は愚かで、一笑に付されるのがオチ、伝わらないのも道理というものだ。
でも、今日の変なビジネス状況を作ったのは他ならぬ賢い人なのだ。これって何か変ですよネ。
(2)今日、企業経営はモダン・マネジメントの考え方を中心にして行われている。20世紀初頭のテイラーの科学的管理法やその後の人間関係論は、現場作業の能率向上が何よりも大事とするいわばプレモダン・マネジメントであった。そして、第二次世界大戦後から今日にいたるまで主流となっているのがモダン・マネジメントで、それは組織意思決定の改善を大事とするものである。
しかし、このモダン・マネジメントは猛々しいリストラに無抵抗なのだ。いやむしろ、この後先を考えないリストラは、モダン・マネジメントの見事な帰結なのかもしれない。というのは、モダン・マネジメントによる企業経営は、せいぜいのところ予測可能な短期スパンでの合理性が支配しているからである。そこでは、「短期の成功、長期の失敗」という古くからの教えなど念頭にない。
でも、リストラに象徴される今日の愚かしいビジネス潮流に立ち向かえる対抗理論はあるのか?ある。それは、ゴミ箱理論でありワイクの組織論である。ゴミ箱理論は、あいまいさを見すえた組織の意思決定論で、モダン・マネジメントの予測可能性の限界を超えている。また、環境をどう捉えるかを大事とするワイクの組織論は、そもそもモダン・マネジメントのフレームワークである意思決定よりさらに深層の認識を軸に展開されている。
来るべき21世紀、これらポストモダン・マネジメントに期待するところ大である。
(3)それほど意義ある理論が、その上おもしろいのだ。それを、法政大学、大学院それに放送大学の学生に伝えるだけではもったいない、もっと広くに・・・、というのが塾を開いた一つの理由である。
ここ15、6年、私は映画やテレビ映像を使って講義をしてきた。塾でも映像をフルに使っている。さまざまに捉えることができる映像を通して、ポストモダン・マネジメントを学習するもよし、今日的問題について自分の考えを確認したり修正するもよし。
いろんな人が集まって、互いに話すなかで自分の考えを深められたら、そして今日の社会に対して少しばかり違った見方をする人が少しずつでも増えていってくれれば、と願っている。
綿引 宣道
昨年度から科研費で産学共同研究の研究を開始した。なぜ、文部省はこんな計画に金を出したのか。それは、インタビュー調査を開始して、文部省がかなり焦っていることに原因があると気がついた。旧帝大の研究費横領疑惑ではなく、根本的問題を孕んでいるようだ。
当初、私の研究計画では、大学と企業の技術情報の伝播について調べる予定であった。ところが、調査を開始してみると実際には研究室を同じくして、協力して共同研究すると言う姿はどこにも見当らなかったのである。では、どのように共同研究をしているのだろうか?
答えは簡単である。企業視点では大学は下請けであり、大学から見れば金づるなのである。そこにおいては対等な関係ではなく、上下関係が存在する。双方の研究者
1ヶ月に1回のレポート交換で、企業は一回も顔を出さないのが通例のようだ。先日実施したアンケートとインタビュー(今年度中に発表予定、乞うご期待)では、その次ことが明らかになりつつある。(以下口語調に少々脚色)企業側から不満
(中には年に1回2,3枚のレポートで億単位を要求するツワモノもいる)学生に実験をやらせるから、研究の質が低いぞ。
研究成果をきちんと報告しろよ。
きちんと秘密管理しておけよ!(大学院生からデータを盗んだ企業もあるとか)
大学側からの不満
(40万円も出ないことがある)こんな研究費で何をやれってんだ!
せっかく育てた学生を、横取りしやがって。
(企業の要求するレベルにしたのに、そのお金は先生の持ち出し)などなど、数限りない。これは、自分達で共同研究の相手を選んだ結果である。いずれも共同研究が本気であるとは感じさせない不満である。
その他、官主導で提携先を選んだパタンもある。要は、大学研究者側あるいは企業の一方だけが補助金欲しさに、産学共同組んでいる例である。これは、補助金さえ手に入ればいいので、それほど不満はないようだ。実に皮肉だ。
では、大学や企業はこの事態をどう見ているのだろうか?これも答えは簡単。何も見てない。
(以下インタビューの結果)共同研究をうまく進めていくための倫理規定・規則はどの大学・企業も皆無
顧客満足度を調査している大学も皆無(やっていても自己評価)
研究目標はなにかを共有しているのも皆無に近い
研究成果の評価基準が明示されてない
TLO
も対応がバラバラ。リストラ先にしている例もあれば先鋭が揃っている例もあり読者はこれを見て、何か気付かれないだろうか?バブル期に失敗した企業の方針と似ていないだろうか。ビジョンを持たず、意思決定の規準を持たず、顧客満足は何処へやら。マネジメント・サイクルの考え方もない。
Doが強調されるだけである。日本は
100年以上前に国立大学で工学部を設置したり、最近では半導体研究組合を作ったりと世界に例を見ないほど産学官の共同研究に歴史があるにもかかわらず、市場を創出するような成果を上げていない。本来、大学は教育や研究にプラスになるように共同研究を利用すべきであり、産業は技術革新を起こしやすくするために共同研究をするべきである。大学は決して独法化後(あるいは補助金削減後)の金づるにするべきではなく、企業も大学を試作品作成の下請けにするべきでもない。あくまでも対等な関係としてパートナーシップを組み、双方が納得した利益を得るべきである。まして大学が絡む話なのに、文部省より通産省の方が圧倒的に乗り気であることは何としたことか。
弘前大学文学部助教授
(〇塾通信受講生)
綿引宣道
松岡 喬
この映画の主人公の二人の主体性、自主性のなさは驚くほどである。戦後という激動する時代の流れに、文字通り翻弄されて生きている。そのたびにお互いの「愛」、というより自己愛の変形としての相手に対する執着を求めるのである。一方でその「愛」は一種のあきらめを伴うものとして描かれていて、女性主人公の異郷での悲劇的な死へと向かっていく。
対極的な映画の一つとして、黒澤の「素晴らしき日曜日」をあげてみよう。「浮雲」が高峰秀子、森雅之という大スターを配しているのに対し、この映画の主人公の二人はオーディションで選ばれた素人だったという。その平凡な市井の二人が戦後の荒廃の中、白昼の日比谷公園で二人の未来の夢を明るく描いて見せる、もっともそれも単なる夢であるということになるのだが・・・。
ただどちらかというと黒澤のこの作品は“うそっぽい”のである。多分戦後の日本人の多数は敗戦を「新しい未来へのチャンス」というふうには捉えなかったのではないだろうか。戦前の生き方や価値観を引き摺りながら、時代の激変についていけずに、それでも日々を生きなければならない、流されていく日本人、これが多くの日本人の実態だったのではないか。成瀬監督はそのことをセンチメンタリズムに流されることもなく、二人の(一般的には)ダメな人間を丁寧に描いて見せ、世代の一つの実態、実感を提示したと思う。そのためにこの映画は、今見ても心にしみるものになっている。
闇市(マーケット)が映し出される。そのにぎやかさから一歩入った主人公の家はまるで空気が淀んでいる。千駄ヶ谷駅前の待ち合わせのシーン。「インターナショナル」を歌いながらデモ隊が通る。それを省みることもなく旅館に向かう二人。取り残されていることはわかっていてもどうしようもない、これが戦後の心理の一側面であっただろう。「開き直り寸前」の名画である。
父磐木であったら多分「素晴らしき日曜日」と「浮雲」の間に暗く深く横たわるもの、「東宝争議」を指摘したかもしれません。
―入院中に思ったことなど― 古川 肇
交通事故に遇って怪我をした。七十一日間入院し、一ヵ月前社会復帰をした。事故と入院の記憶はしだいに風化してゆく。僕はこの七十一日間の心象を、文章のかたちに残しておきたいと思った。
とはいえ、頭の中ははっきりしているようであり、していないようでもある。中途半端な考えを書くことは気がひけるし、常識的なことを書いても親切の押し売りのようで片腹痛い。ましてや苦労話のようになってしまっては腹をくだしてしまう。もっと大きな事故に遇われている方も大勢いるのに、皮膚剥脱くらいで、という気持ちもある。おそれながら、○塾の主題からはなれていることも承知している。
しかし、いやむしろ、入院生活で味わったこの狂気ともいえる精神状態の中に、僕は本当の自分を見つけた。したがって、たとえ大げさでも、自分なりにこの事故と入院の体験より得た人生のエキスのようなものを、できるだけ早いうちに、○塾誌という場を借りて、かたちにとどめておきたいと思った。
本稿には、短歌・俳句や書物の引用が多く登場する。これらは僕の表現力の無さを補ってあまりあるものであるが、とりわけ詩には独特のニュアンスがある。説明しないことによって、あるいはデフォルメすることによって、文章では語り尽くせないことを語ってくれる。大切な部分だけを強く印象づけてくれる。これら優れた作品の数々を散りばめながら、病床日記から選んだ幾つかの心象を、追想形式で書かせていただいた。
引用させていただいた作者に対しては失礼な気がしたが、この場をかりてご容赦を願いたい。短歌・俳句は新聞の日曜版から拝借した。
ところで、入院中こんなにも多くの○塾の皆様にお見舞いを戴けるとは思っていなかった。皆様からいただいた寄せ書きの色紙は、退院の日までベッド上の壁をかざり、僕を励まし続けてくれた。
不運なる身を嘆くまじ歩けざる不幸の日々に友の愛あり
平成十一年十二月二十一日午後八時過ぎ、事故より四時間ほど前、僕は会社の忘年会を終え、会場の“もみじ亭”をあとにした。しかし、年末の忙しさで疲れが溜まっていたのと、ワインの悪酔いで足下がおぼつかず、こんなことはめったにない事であるが、ホテルニューオータニ庭園の植え込みの中で寝込んでしまった。ようやく目を覚ました時には十一時を回っていた。アルコールはもうだいぶ抜けていたと思う。電車に乗り、用賀駅までたどりついたがタクシーには乗らず、自転車で我がわびずまいへと向かった。自転車で帰ったのは、タクシー代を節約するためというより、いつもの習慣からである。
午前零時を少し回ったころ、環状八号線沿いの歩道上を走行中、右手前方の荷物置き場から環八に進入しようとするトラックを目の端にとらえた。それは左右確認のために必ず一時停止するものと思い、僕はそのまま走行を続けた。ところがトラックは停止せず、前を通る僕に襲いかかってきた。
踏み潰された左ふくらはぎは皮膚の下部組織まで剥脱し、腰と足の骨にはひびが入った。重傷である。それでも、よくこれだけで済んだといわれた。ふつうなら骨がぼきぼきに折れ、筋肉もぐちゃぐちゃになっていたという。何しろ相手は
10トントラックである。轢かれた場所がもし頭や腹だったら、と思うと不幸中の幸いとしかいいようがない。この事を考えるといつも食事が喉を通らなくなる。ともあれ、直ちに警察に通報され、救命救急センターへ運ばれた。これが事故の発生状況である。
ああ、人間、こうやって死んでゆくのだ、と思いました。みんな、手ぶらで死んでゆくんです。何一つ手に持たずに。みんな置いて死んでゆくんです。
松原哲明(僧侶)
さまざまな所で世界が折れ曲がるのだ。異次元世界の入口が足元にポッカリ開いていて、私はその中に入ってゆくのだ。そして、その中で私は何もかも忘れてしまうのであった。
中島義道『孤独について』
僕は事故のことを考えた。トラックとの遭遇があと一秒早いか遅いかすれば事故に遇わずにすんだ。それなのに、あんなにもタイミング悪いとは、自分はよっぽど運が悪かったんだ。あるいは魔物がいたのかもしれない、などと色々な事を考えたが、いずれにしても「意味のある偶然」がこの世には確実に存在する、「日常と異界は紙一重でつながっている」のだと思うことで自分を納得させた。これが事故に対する僕の最初の意味づけである。この考えは集中治療室にいた時ずっと僕の頭を支配していた。
自分はよく怪我の事を考えた。一つ間違えば、今頃は青山の土の下に仰向けになって寝ているところだったなどと思う。・・・・何時かはそうなる。それが何時か?
今まではそんな事を思って、その「何時か」を知らず知らず遠い先の事にしていた。然し今は、それが本統に何時か知れないような気がして来た。自分は死ぬ筈だったのを助かった。何かが自分を殺さなかった、自分には仕なければならぬ仕事があるのだ、・・・・実は自分もそういう風に危うかった出来事を感じたかった。そんな気もした。然し妙に自分の心は静まって了った。自分の心には、何かしら死に対する親しみが起っていた。志賀直哉『城の崎にて』
僕は死について考えた。かつて死を怖いと思ったことは一度もなかった。切腹ではないが、その時が来れば平然と死をむかえられると思っていた。しかしそれは本当の死に直面したことのない者の戯言であり、死に切るまでの動騒に対する想像力の欠如であり、死という厳粛なものに対する冒涜であった。そして、その強がりは、半ば自分に対するプライドであり、他人に対する見栄でもあった。しかしそんな強がりにどんな意味があるのだろう。
生き物は生きるために生まれてきた。それぞれにやるべきことを持って地上に生まれてきた。死にいたるまでどんな苦しみがあろうとも、生きることはやはり尊いことである。そして何より、周りの者を悲しませるのはいけないことである、と集中治療室から出る頃には思うようになった。
人生は苦であり、思いどおりにはならない。人間には無限の可能性があるという言いかたには、どこか嘘があると思う。
・・・・人生の目的は「生きていること」、と小さな声でもらす。
五木寛之『人生の目的』
集中治療室にいた5日間は、これほどこたえたことはなかった。何もせずに、時間だけがゆっくり過ぎていく。窓から斜めに射しこむ冬の日差しが影をつくり、病室の壁をゆっくり、ゆっくり移動する。昼も夜も何もせず、起きているのか寝ているのかも分からず、時間だけがゆっくり過ぎていく。
看護婦が来ている時は気がまぎれた。しかし彼女らが部屋を去ると、例えようのない孤独感が襲ってきた。この時の精神状態は、ちょっと言葉では言い表せない。重苦しい虚脱と無気力、時々起きる自殺への衝動
。
こうした錯乱は、「もし・・・・」を考えた時に起きた。もしあの時、トラックとのタイミングが一秒早いか遅いかすれば自分は事故には遇わなかった。そうすれば今頃は会社でいつもの机に向かい凡庸な仕事をやりながらも同僚に迷惑をかける事はなかった。家に帰れば好きなことをやっていた。クリスマスイブも、
2000年のカウントダウンも、正月も、何もかも予定通り過ごしていたはずだ。こころは千々に乱れ、僕は何度も「あぁあ・・・・」とつぶやいていた。何という孤独、「ああ寒いほどひとりぼっちだ!」(井伏鱒二『山椒魚』)。夢ではないか、夢であってほしいと何度も思った。
どこも痛くない どこも痒くない あるのは 和らかな空気と 優しい日射し 心地好い呼吸 そんな時間が来ることを信じて 今は ただ堪える
『PHP 』
雪のやむ雲より数本太陽の日差しはひかりの柱となりぬ
入院中はことあるごとに涙が出た。閉めきったカーテンの内側で、体を拭いたり、詩とか本とかを読みながら、むせび泣いた。ぼんやりと夕日を見ていても自然に涙腺がゆるんだ。
しかし、集中治療室に居た時分は、こんな目に遇っているにもかかわらず泣くことができなかった。というより、その元気がなかった。涙というのは不幸のどん底にいる時は出ないものらしい。泣くためには「排泄の自由」と「想像力」が必要である。自分で排泄すらできない集中治療室では、泣くと
いうカタルシスの元気も失われ、泣く原動力である想像力も停止してしまう。
どうあがいても力のかからない肉体がそこにあるだけであった。
集中治療室に入って三日が過ぎた日、体じゅうに装着されていたホースを外してもらった。排泄の自由を取り戻すと人間性も回復し、想像力も復活してきた時、僕は初めて泣いた。四人部屋に移り社会性を取り戻してからそれは加速した。まさに溜まっていた涙の洪水状態となった。テレビで交通事故のニュースをやっているのを見ていた時である。涙がとめどなく溢れ出し、涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになってしまった。
今はただ休みなさいと目の前をやわらかくする涙の魔法
朝光にきらめき落ちる点滴の光もともに体内に吸う
点滴がつるべ落としの日をとらへ
不運はいきなりやってくる。正常な感覚を欠いた毎日の走行の積み重ねの中で、「僕は不死身だ。車にはねられたって打撲ぐらいで済むさ」、という誤った確信が醸成されていったのだ。まったく恐ろしい話だが、これらが伏線となり、交通事故への環境が着々と準備されていったのである。
慢心は運命の奇跡、運命の力を減退させる。驕りは、従順であった運命を狂暴に駆り立てる
小室直樹(歴史家)
全国をまたにかけて長距離サイクリングをよくした僕だったが、実は前科があった。不名誉な事だがだがここで白状しよう。殺人的な交通量の中に身を置くとストレスから、自転車も車と対等だと思うようになり、大型車と競争してみたり、善意でクラクションを鳴らしてくれた相手に怒ってみたり、信号無視をしたり、狭い車間をすり抜けたり、当て逃げも何度かした。
「同類は互いに引き合う」というか、こんな心で道路を利用する者には、ひたひたと黒い影が近づいてくる。災難は自分の心が招いてしまうものなのだ。今回の事も、そのような力が僕にはたらいたとしか思えない。
人間というものは白からいきなり真っ赤にはならない、真っ赤になる前に桃色という時代がある
中坊公平(佐高信『人間力』から)
マーフィーの法則ではないが、東海村の臨海事故と同様、起きる可能性のあることは必ず起きる。しかし、ここで大切な事は、人は誰でも交通事故に遇う可能性があるということではなく、僕は交通事故に遇いやすい「性格」だったという事である。性格は人間の個性であり、一概に善し悪しはいえないが、事象によって善い性格になったり悪い性格になったりする。
唐突だが、僕は剣道を好む。剣道では〈先〉(セン)の精神をたっとぶ。先をとらなければ敵に斬られるからである。したがって剣道では「先の先」「後の先」など〈先〉にも色々あるが、敵に対しては「捨て身」で、〈先〉をとれ、とくり返し教えられる。これを実行する時の僕は、剣道場では忠実な弟子かもしれない。しかしこれは、あくまで道場内での話だ。一歩外へ出れば道場とはまったく違った多種多様な価値観に満ちあふれた別の世界が待っている。そんな複雑怪奇な世界で一にも二にも、先とやらをやっていたのでは、命が幾つあっても足りない。
そんなわけで今回の事故には、あくまで一つの要因だが、トラックと遭遇した時に譲らずに、よそ見をしていたドライバーの前を通ろうとした自分に油断があったことは否めない。ことわっておくが、悪いのはトラックであり(法的レベルではトラックが全面的に悪い)、あの時マイナス面として現れた僕の性格であり、剣道が悪いのではない。剣道によって醸成され、増幅された僕の性格が短所となって現れたのが悪いのである。
仏教には〈先度佗〉(センドタ)という教えがあるという。渡し場では自分より先に他人を船に乗せ、向こう岸に渡してあげなさいという意味らしいが、味わいの深い言葉である。入院中、母が教えてくれた。
人は自分の業(カルマ)を修正して、心を豊かに磨くべく生まれてきたのだが、やはり業は性格的欠点となって一度は大きく展開せざるを得ない。
日沖宗弘(占・心霊研究家)
私の人生、私の人間関係、私のカルマは、すべて学びのためにあるのだと思う。カルマとは、原因と結果の法則である。つまり、私達がしたことは必ず自分に返ってくるということである。行なったものは戻ってくるのだ。
シャーリー・マクレーン
こんな運転でも今まで大した事故に遇わなかったのは、何者かが自分を守ってきてくれたおかげだ。しかし常軌を逸する走法は他人を傷つけ、社会秩序を乱す。したがって、一線を越えるような走法が続くようになったら、守る方ももはや守り切れなくなるのだろう。
・天網恢々疎にして漏らさず
『老子』
以上の事が教訓として生かされ今後の交通安全につながれば、今回の事故は得がたいプラス体験といえる。しかし、それは今のところ、という留保付きだ。将来のことは誰にもわからない。
ニーチェの不可解きわまる思想のうち、私がごく最近了解し始めたことがある。それは「何ごとも起こったことを肯定せよ。一度起こったことはそれを永遠回繰り返すことを肯定せよ」という「運命愛」と名づけられている思想である。つまり私に起こったすべてを「私の意思がもたらしたもの」として捉えなおすことだ。・・・・何もかも自分のせいにして安堵する怠惰な態度ではない。この運命は自分が「選びとったもの」だと、無理やりにでも、考えてみることなのだ
中島義道『孤独について』
周りの人間も、周りの状況も、自分がつくり出した影と知るべきである。
野口英世
どうしようもないわたしが歩いてゐる
山頭火
今あなたは疲れ果て、生きる気力をなくしかけている。そんなとき、ちょっと居外に出て、アスファルトの割れ目から芽を出しているタンポポに目を注ぎ、じっと見つめてみる。そこに力強い生命力を見る。そして、タンポポがあなた自身の中にも無限の可能性をもって働いている生命力を目覚
めさせてくれるでしょう。
『PHP 』
まだ癒えずわれは折々病院の最上階に来て冬富士を見つ
命得て水たくわうる木の如く静かに吾は胃の腑養う
こみあげる嬉しい気持ちをぱくぱくと食べてあたしは今生きている
人間というのは、途方に暮れる経験をすることが、いかに貴重であるかということを、私は言いたいんです。途方に暮れる経験がないと、人生はわからない。そういう経験が人間の〈いのちの根っこ〉を育てていくんです。
相田みつを『いちずに一本道』
哲学は過去の不幸と未来の不幸をたやすく克服する。しかし現在の不幸は
哲学を克服する
ラ・ロシュフコー『箴言集』
ぼくの年代だと、若い時代に結核にかかった友人が多い。そのころのことだから、そのために若い命を散らしてしまったのも多いのだが、二年とか三年とか山の療養所暮らしの体験をして、いまでは元気にしているのもいる。
若い時代を山にこもって暮らすというのは、今の考えからすれば青春をむだにするととらえられやすいが、そのことで彼らは人生に深みを獲得しているような気もする。それは、青春のなかの冬。
老年は冬にたとえられることがあって、たしかにだれでも年をとって、冬の季節の味わいに対面する。人の営みにかまけている間は、季節の地肌が見えにくい。若いころに病いを体験するというのは、冬の感覚を心にとど
めるためによいことかもしれぬ。
森毅
「病める貝にのみ真珠は宿る」といったアンドレーフの言葉は、一度病んでみないと絶対に理解できない境地である・・・・自己に沈潜し、自己を凝視することによって精神が胎動し、生育する陣痛の時間でもあるのだ。
伊藤肇『人間的魅力の研究』
人生何がどう旋回するか分からない。そこに人間を越えた大きな力を私は
感じてならぬ。
遠藤周作
病室の午後の静けさこんなにも父と居たことあっただろうか
太陽に向かってゆきし冬の雲
病院では話し相手が常にいた。とくに整形の入院患者は暇をもてあまして
いるので、院内を車椅子や松葉杖で動き回りながら話し相手を探していた。しかし、僕は、リハビリの時以外は一人でいるのを好んだ。読むか書くか、絵を描くか、音楽を聴いて暮らした。普段できないことをやるのは今しかないと思い、わりと忙しい入院生活を送っていた。同室の患者は僕が勉強をしているとでも思っていたらしい。
本は何冊も読んだが、強烈に印象に残ったのは『ワイルド・スワン』である。三世代にわたるこの長編自伝は、中国史についての見識を一変させた。これを読むともう怖いものはなくなる。今の日本の状況が、奇跡か、砂上の楼閣のように思えてきた。自分の怪我も、かすり傷程度に見えるようになったから不思議である。
車椅子に乗っていた頃は、よくスケッチをした。スケッチは退屈な入院生活を生きる糧となった。入院中にデッサンや水彩画の筆使いでも身につけ、退院後の趣味にでもしようかと思ってから、入院は苦痛ではなくなった。モチーフは、包帯を巻いた足や花瓶に活けた花、外来棟の観葉植物、チーズやみかん、歯ブラシの入っているコップ、十階から見える富士や足下の駒沢公園、さらに車椅子で外に出ては冬木立やクロッカス、名の知れぬ雑草や野良猫など目に映る物すべてであり、手当たりしだいスケッチした。ときどきパステルなどで色付けもした。
絶望的な事態が起こっても、何かをすることで、それが支えになり、悲しみや悲惨さを乗り越えることができるのです。何かをすることで、運命に打ち勝つことができるのです。
『余録』毎日新聞
音楽はバッハの受難曲やモーツァルト、フォーレ、ブラームスのレクイエムなどをよく聴いた。これら宗教ものは、健康な時には重くて聴く気にはなれなかったが、入院中は宗教曲ほど心に訴えかけ、素直に吸収される曲はない。マタイ受難曲などは、もはや芸術ではなく人生の慟哭である。人は死や絶望に直面すると無意識に神の名を唱えるというが、あるいは自分もそんな体験をしたのだと思う。
逆に、健康な時によく聴いていたドビュッシーなど印象派の曲は上滑りするだけで、あまり心に訴えて来なかった。エレベーターの中ではよくヨハン・シュトラウスがかかっていたが、これなんかは傷病人にとっては酷でないか。歩けない患者もいるのに、ワルツとはひどすぎる。
今日のあまりにも多忙な多くの人たちにとっては、きわめて必要な閑暇、完全な休養、過去や未来を落ち着いて見渡すこと、人生の真の宝についての正しい認識、かずかずのよき思想、自分の持っている一切のよきものに対する感謝などは、ただ病気のときにのみ与えられる。これらのものは総じて、つねに健康であれば、ちゃんとした立派な人々からでさえ、ともすると失われがちである。
・・・・病気のおかげで、人生最大の喜びの一つである病気の快癒と、生命の新しい充実の満足感とを味わうことができる。
・・・・喜びが何であるか、それは多くの苦しみを耐え忍んできた人だけ
が知っている。
カール・ヒルティ『幸福論』
「かさぶた」とは、誰にも抑えられない激しい生命力が立ち上がってくる奇跡のようにきらめく瞬間。
2月
27日、入院生活に終止符を打とうと思った。理由は傷の経過が安定してきた事、会社にもうそろそろ行かねばと思った事など色々あるが、何より動機として働いたのは、キューバ留学から一時帰国させていた妻が、ビザの関係で再びキューバに行ってしまった事である。妻がもう来ることのないこの病院にまだ居るのかと思ったら、急にやりきれなくなった。早速次の包帯交換の時、医師に退院したいことを告げると、あっさり許可してくれた。
退院の赤きマフラー春立てり
人間の世界には、真っ黒い巨大な淵がぽっかりと不気味な口をあけている。
そこをのぞきこむことの不快さに、私たちは目をそらし、できるだけかろやかに明るく生きてゆこうとする。しかし実際には、そういう努力は、ほんの一時の慰めにすらならないのではないか。
五木寛之『生きるヒント』
友とするにわろき者七つあり・・・病ひなく、身強き人
『然徒草』
私たちの人生には、思いがけずぽっかりと穴があくことがあるものだ。その穴とは、病気であったり、死別、挫折、時には信じていた人の裏切りかもしれない。いずれにしても、それまでの軽やかな足どりが、穴のために重くなり、歩きにくくなることは確かである。・・・・しかし穴があくまで見えなかったものが、穴があいたからこそ見えるということもある。
・・・・人生に穴があくということは、決して嬉しいことではない。そのために人生は不自由になり、それゆえの痛みも悲しみも感じることだろう。しかしながら、事実から逃れることができないのなら、しっかりと受け止めよう。・・・・しっかりと受け止めて、穴があくまで見えなかったものをそこから見て行きたいものである。
人生に無駄なものは一つもない。試練は、必要だからこそ与えられたものだと気づく時、人は、以前より優しくなれそうな気がする。
渡辺和子(修道女)『PHP』
過酷な現実の中にある多くの友の苦しみを思う時、遠くからただ眺めているのではなく、自分が彼らと同じところにいて、同じ苦痛を共感できることを心から感謝している。
阿南慈子『PHP』
入院し頃の日記をひもとけばそのまますべて素直に詠んでる
入院中多くの患者に接したが、その中で忘れられないのが1月7日に出会
ったある女性の事である。その時の日記を以下に紹介したい。
「昼頃、エレベーター前に行くと、自分と同じように車椅子に乗った二十歳前後の女性がいた。同じ境遇にあるので親しみをこめて「こんにちは」と言った。彼女は最初、「来ないで」というテレパシーを送っているように見えたが、しばらく間を置いて会釈を返してくれた。彼女の足は膝から先が無かった。驚いて見ていると、彼女は「両足切断。電車に轢かれて・・・・」と言った。僕は言葉が見つからず、そのあとの会話が続けられなかった。ものすごいショックを受けた。想像を絶する悲しい出来事が襲ったことを淡々と人に語るこの女性の言葉の裏側に、どれほどの嵐が吹き荒れていたか知れない。過酷な現実と向き合いながら、これからの長い人生を彼女はどう生き続けてゆかなければならないのだろうか」
海底に忘られている戦友の海より今年も台風が来る
〈悲〉とは、サンスクリット語で〈カルナー〉と言い、溜息、呻き声のことです。他人の痛みが自分の痛みのように感じられるにもかかわらず、その人の痛みを自分の力でどうしても癒すことができない。その人になり代わることができない。そのことが辛くて、思わず体の底から「ああ・・」
という呻き声を発する。その呻き声がカルナーです。それを中国人は〈悲〉
と訳した。・・・・
閉ざされた悲しみ、閉ざされた痛みというのは二倍にも三倍にも大きくなる。孤立した悲しみや苦痛を激励で癒すことはできません。そういうときにどうするか。そばに行って無言でいるだけでもいいのではないか。その人の手に手を重ねて涙をこぼす。それだけでもいい。深い溜息をつくこともそうだ。熱伝導の法則ではないけれど、手の温もりとともに閉ざされた悲哀や痛みが他人に伝わって拡散していくのです。・・・・
じつはこうしたことが人間の心の奥底にいちばん届くのです。がんばれと言っても効かないぎりぎりの立場の人間は、それでしか救われない。それを〈悲〉と言います。蓮如という人は、生来この〈悲〉という感情がものすごく豊かでした。・・・・
人間の心の傷を癒す言葉にはふたつあります。ひとつは〈励まし〉でありひとつは〈慰め〉です。人間はまだ立ち上がれる余力と気力があるときに励まされると、再び強く立ち上がることができます。ところが、もう立ち上がれない、自分はもうだめだと覚悟してしまった人間には、励ましの言葉など上滑りしてゆくだけです。・・・・そういった場合で大事なことは何か。それは〈励まし〉ではなく〈慰め〉であり、もっと言えば慈悲の〈悲〉という言葉です。蓮如は〈悲〉をもって人々を癒しました。
・・・・〈同治〉と〈対治〉という言葉があります。もともと仏教の言葉です。たとえば、高熱を発したときに氷で冷やして熱を下げるようなやり方を対治といいます。これに対して、十分に温かくしてあげて、汗をたっぷりかかせ、熱を下げるようなやり方を同治というのだそうです。
また悲しんでいる人に、「いつまでもくよくよしてもだめだよ。気持ちを立て直してがんばりなさい。さあ、元気を出そう」というふうに励ましてそれで悲しみから立ち直らせるのが対治的なやり方です。これに対して黙って一緒に涙を流すことによって、その人の心の重荷を少しでも自分のほうに引き受けようとする、そういう態度が同治なのだそうです。
五木寛之『他力』
白鳥を抱くように語る手話の娘の彼方に秋のたぐいなき青
青空に大きく羽ばたく鳥を見て決意という文字こころに浮かぶ
今回の事故と入院は、人生における必要なプロセスと思えるようになってから、気持ちが変わった。自分の足で再び歩けた時の喜びは言葉に表現できない。
人間は弱いものである。僕は入院しなければ一生精神上の片輪だった。弱者に対する眼差しを変えることはできなかっただろう。入院してはじめて人の気持ちが分かるようになった。
二ヵ月いて、僕は病院を去った。それから、もう一ヵ月が過ぎた。時がたつにつれ記憶は薄れ、風化していく。しかし、あとでそれを全部忘れても、大切な部分だけは無意識の領域に残るにちがいない。
石森 陽子
高橋 量一
高橋 喜則
仲宗根 一成
武藤 美加
1.教養課程で最も印象に残った講義は何でしたか。 2.この塾はあなたにとってどんな意義がありましたか。 |
石森さん
1. 教養課程で最も印象に残った講義は何でしたか。
「● 現代企業を問う」● :不● 況が続く社会で、立場や方法は違っても、多くの人々が、チャレンジ精神、改革、戦略などを念頭に行動している個人やチームの姿があった。また、身近な良きモデル、高橋さんのレクチャーがあったことも印象的でした。
「● 椿姫」● :リラックスしながら鑑賞し、楽しいひとときでしたが、ジェンダーの社会学にこだわる私のレポートが未完なので、発言の資格なしでしょう。
2. この塾であなたにとってどんな意義がありましたか。
● 一つのテーマを、経営学を念頭に置きながら、年齢、職業、立場の異なる、いわゆる異業種集団でディスカッションすることで、新たな発見、学びで出来る。
● それをレポートすることで、自分なりの振り返り、まとめ、理論の構築機会となる。さらに、冊子作成により、他者の思考や記述方法を知り、論文構成などについても学ぶ機会となっている。
● 遠田先生の温厚なお人柄が、そのまま塾風を育まれた結果でしょうか、「● 経営学」● の学問的知識に疎い私でも、図々しく、気楽に参加しやすい雰囲気がある。参加することで、教育・共育・学び方・聞き方・人の和と話と輪等についても学んでいる。
● 参加、継続への意欲が失われない。
高橋量一さん
1.○塾教養課程で最も印象に残った講義は何でしたか。
第3期第4回目の講義です。
97年11月にNHKの未来潮流で放映された『熱帯雨林から21世紀が見える』を題材にした講義でした。ビデオでは、生態学者井上民二氏の目を通して、熱帯雨林におけるさまざまな動植物が共生している様が描き出されていました。彼は97年に飛行機事故で、研究のために度々訪れていたランビルの森で亡くなられました。
熱帯雨林に一歩足を踏み入れると昼間でも薄暗く、周囲のようすがはっきりとはしません。井上氏が着目したのは、太陽光線の90%を吸収し、屋根のように地表を覆っている林冠でした。そこは豊富なエネルギーをもとに、植物が繁茂し、動物が集まっている場所でもありました。林冠部分を観察するため、京都大学・サラワク州共同で、ボルネオ島に世界でも初めての50mもの高さの観察用塔を建設しました。森の上層部分に回廊を巡らせ、それまでは到底肉眼で観察することが出来なかった林冠での生物の営みが観察できるようになったのでした。
そこで分かったことは、生物は気の遠くなるような長い進化の結果として、共生という道を選んでいたことでした。林間部のアリノスダマと呼ばれる養生植物は、自らの体内に蟻専用のアパートを作っています。そこで暮らす蟻達が捨てる物質から窒素やリンを得ているのです。また同時に、アリノスダマにはサクラランも共生し、二重・三重の共生関係が成立していました。他にも世界最大の蟻カンポノータスギガスとフタバガキの関係、オモナガヨコバイと蟻の関係などがありました。ウツボカズラの中には、体表をキチン質で覆っているためにその消化液に溶けずに生活してるボウフラがいます。ボウフラはウツボの中に落ちて半ば溶け始めた虫を食べて生きています。ウツボカズラにとっては、最初から自分だけで消化するよりもボウフラの排泄物のほうがずっと消化しやすく有利だと言われています。
こうした共生は、競争原理にのみ注目していた時代は見えなかったものだといいます。井上氏の共同研究者は、熱帯は氷河期で生物の流れが途絶えなかったため、競争が極致に至り、その結果として共生が生まれたのではないかと指摘します。共生というのは競争を越えた関係という訳です。ダーウィンは競争に勝った者を最適者と呼びましたが、共生に目を向けると、うまく共生できる者が最適者ということになります。共生という言葉から、巷間では互いに利する程度の甘い考えが浮かびがちですが、井上氏はそんなに甘い関係ではないと語っていました。それぞれが利己的であり、その結果、偶然欠けているものを補って、ギリギリの妥協点で、緊張感を伴って共生という関係が築かれていると言います。彼の言葉をさらに借りれば、それは「平和な中でのせめぎ合い」となります。
ビデオの最後で、遺伝子研究家の中村氏が、「基本的に競争があっても、全体としては共生が存在しうる。共生の考えを人間社会に取り入れるために、社会科学・人文科学分野における研究が期待される」と述べておられたのが印象的でした。
ビデオを見終わってから、みんなで熱い議論を交わしたのも、甚だ愉快でした。議論の最後に遠田先生が、「安定と自由は論理的に矛盾しており、安定か進歩かが問われているのではないか」と締めくくられましたが、まさしくその通りだと思いました。その後、西本さんがパワーポイントを使われて、最新の経営学を分かりやすくビデオと関連付けてお話して下さいました。とても勉強になりました。ありがとうございました。
2.この塾はあなたにとってどんな意義がありましたか。
○塾で勉強させて戴いたことで、今まで考えたことすらなかった、不思議なレンズを手に入れられつつあるように感じております。まだまだ感覚的なものに過ぎませんが、入塾前は、ただボヤッと観ていたテレビ番組も、ふと気がつくと、ペンとノートを手繰り寄せて何かしらメモをしながら考えつつ画面に向かっている自分がいたりします。仕事中に出会うさまざまな人や組織、そこで当たり前のように交わされている会話や情報交換を、今までとはまったく違った視点から眺めている自分に気付いたりもします。
これに近い感覚を18,9才の大学入学したての頃に何度か味わった覚えがあるように思います。初めて量子力学や相対論を学んだ時もそうでした。すべての物質はエネルギーに還元され、物質の存在無くして時間の存在はありえない。それを、矛盾した表現ですがあくまで感覚的に捉えて、物質の存在しない多次元空間にエネルギーが満ちており、それが何かの拍子に一部にエネルギーが集中し、そこで爆発的に物質が形成され、その3次元空間で時間が流れ始める。しかし光速で走っていれば、その主体にとっては時間が経過しませんから、妙な言い方ですが宇宙の端から端まで行っても、エネルギーの中を移動しているのと同じことなのだなあとか、いつもボンヤリと考え続けていて、ハッと自分なりに分かったように感じた時、まるで世界がまったく違うもののように感じられました。
R.ドーキンスの『利己的な遺伝子』を読んだ時もそうでした。利他的な行為も遺伝子の自己複製という一点のみに限って眺めれば、すべては利己的であるということになります。確かその本の最後で、ドーキンスがミームという情報因子をあげておりましたが、その章を読み終えたとき、さまざまな遺伝子が組み合わさって複雑な生物を形作っているのと同様に、きっと僕自身のもっとも僕らしい部分である思考そのものも、複雑には思えるが、要素単位に分解可能な脳内の電気的信号の集まりで、そのエッセンスを他者の脳内へ移植する作業が、遺伝子が自己複製しようとする作業と同様の(遺伝子によりもたらされる、この場合はミームがもたらす個体の)喜びなのではないかとも考えたりしました。そう考えると、人間関係がそれまでとは違って見えるようになったりしたのを覚えております。さらに、そのエッセンスを伝達する最有力の手段である言葉とはそもそも一体何なのかなあとか、そこが不明なら、言葉によって語られた論理そのものに意味がないんじゃないかなあ、はたまた、そういうことを他ならぬ言葉で考えている自分が可笑しく思えたりしました。
学窓を離れて後は、仕事に追われ続けて、そういった類の快楽を味わうことはほとんど無くなりました(別の快楽はいろいろと覚えましたが)。十数年が経過して、最初に放送大学で遠田先生のご講義を拝聴させて戴きました折に、ああそういう見方もあるのかと驚き、帰りの道々、ずっとどういうことなのか考え続けておりました。久々に味わう純粋に考えることによる喜びでした。○塾に入塾させて戴いて、いくつかの具体的な事例(ビデオ)を題材にした授業に参加させて戴くうちに、徐々に深みにはまりつつあるのを感じました。なるほどそういう見方もあるのか、と驚いている状態から、だんだんと欲が出て参りまして、どうしたらそういう見方が出来るようになるんだろう、ぜひ身につけたいものだと考えるようになりました。これは僕にしてみれば大変な成果なのです。ちょっと大袈裟かもしれませんが、新しい見方を身につけるというレベルから、新しい見方そのものを探し出す(産み出す)というレベルへの跳躍です。心から感謝しております。足手まといの塾生ですが、楽しくなりはじめてしまって仕方がございませんので、何卒これからも宜しくお願い申し上げます。
高橋 喜則さん
第三期○塾をふりかえって
やっぱり刺激的の方がおもしろい。○塾をふりかえって感じたことである。社会人として現在の生活を送っている自分にとって、毎日の生活はどうしても繰り返しが多くなり新しい発見をしたり感動したりする視野が狭くなってきてしまう。朝起きて電車に乗って会社へ行き仕事をして帰宅するそして・・・、なかなか細やかな変化に気がつかなくなってしまうのではないか。
○塾の中では、今まで当たり前のようにしてとらえられてきた事柄に、様々な角度から光が当たることにより新しい形が自分の中で浮かび上がってくる。普通では同年代の人と話していたり、同じ会社の仲間と話しているので、光りの向きは大体同じ方向から当たっている。○塾ではいろいろな方々の意見を聞くことができる。少し悲しいことだが、他の人の意見を真剣に聞くことのできる場なんてなかなかない。そういう意味においても、○塾という場は自分にとってとても刺激的なものであった。
社会では閉塞感が高まり、何ともたとえようもない不安感がどことなく漂っている。何となく自分を含め、受け身になっているところがあるのではないだろうか。そのような考え方を○塾のようにエネルギーの集まったところから少しずつ変わっていけばいいような気がする。
少なくても自分自身の「考える」という考え方は少し変わったような気がします。さーて、また新たなスタートを切ることにしましょう。なかなか霧の晴れない未来への道ですが、道は自分の前にあるのではなく、自分の後ろにあるものだと思いながら・・・。
仲宗根さん
教養課程で最も印象に残った講義は何でしたか。1.
どの講義でも印象的なシーンはいくつかありますが、最も印象に残った講義は『八甲田山』でしょう。この映画は私に認識の重要性をわかりやすく説いてくれた作品でした。神田大尉と徳島大尉それぞれが率いる組織が対照的に構成され、また、メッセージとしても講義で先生が伝えたい内容をすんなりと確認させる優良作品だと思います。また、実話をもとにしたことも見逃せない。八甲田山の行軍は日露戦争で戦えるようにと召集されたプロジェクトでしたが、計画が進むにつれ青森第5連隊が200人という中隊規模に増員されると、それをうけて弘前側も負けずに増員しようとするやりとりはこの映画が単なるドラマではなく実話をもとに製作されたことを気づかせてくれます。結局、徳島大尉は小規模の兵を引き連れて走破しましたが青森側と弘前側の政治ゲームは、この映画が教材としてだけでなく映画そのものに熱中させるに十分なリアリティを持っていると思います。
この塾はあなたにとってどんな意義がありましたか2.
生来単純な思考の持ち主で投げる球はストレートただ一種類の私には遠田先生を中心とした皆様塾生の柔軟な思考が大変刺激になります。私は今まである事象に対する正解を追い求め、最終的に社会や政府にその責任をなすりつけて自分の中に鬱積した怒りや矛盾を発散させていました。しかし、この現実社会も今では妥当な解の集合ではないかと思い始めています。例えば、政府の「誠に遺憾です」とのあいまいな謝罪にも意味があるのでは、と。あいまいさ、グレーゾーンといった日本人の特性をあらわす揺ら揺らとした掴み所のない言葉が実は社会をうまく機能させている潤滑油ではないかと。○塾は、へなちょこ直球勝負の私にその現実を理解できるよう思考を提供し、カーブの存在を教えてくれる有難い場でした。
また、○塾は私にとって数少ない文化交流の場でもありました。私は沖縄という地図上は日本となっている遠い島からやってきました。○塾で、また、二次会で中央に住む人々の思想や文化を利害関係のない状態で、しかも広い年齢層との交流から体験でき、貴重、且つ希少な財産となりました。もちろん来期も参加する予定ですので、これからも皆様お付き合いよろしくお願い致します。
武藤さん
1.教養課程で最も印象に残った講義は何でしたか。
さらば、冬のカモメ
2.この塾はあなたにとってどんな意義がありましたか。
自分が遠田ゼミOGだったという事の再確認及び深刻になりつつある、専業主婦ストレスからの脱出(逃避?)のキッカケ、もとい!家庭円満の良薬。
※本ギャラリーは、○塾第三期生武藤美加さんが第三期の講義内容から着想された非常にユニークなイラストを展示させていただいております。○塾講義、遠田先生のお好きな井上陽水、イラスト。この三者が織り成す複雑なパズルをどうぞお楽しみください。
4期 教養講座カリキュラム
2000/4/15
〜2000/9/16[
講義テーマ]1.愚かは賢い
映画『クルーシブル』
2000/ 4/15
2.経済学って何?
ビデオ『人間大学 −飯田恒夫−』
2000/ 5/13
3.雇用はどう変わるか
ドキュメント『なぜ会社を変わるのですか』(
NHK) 2000/ 6/10
4.ゴミ箱モデル
ドキュメント『基地移転』
2000/ 7/ 8
5.特別講師をお招きしての特別講義
※講師の方はまだ未定です。
2000/ 9/16
テキスト;遠田雄志著『グッバイ・ミスター・マネジメント』文眞堂
○塾ホームページ;
http://www.i.hosei.ac.jp/~enta
講義は遠田教授宅(東京都台東区千束
2-19-2;日比谷線入谷駅徒歩8分;電話/FAX番号;03-3876-4961)にて午後2時より始めさせていただきます。
今回もまた、『○』の編集に携わらせていただくことになりました。
前号の編集作業においても非常に感慨深いものがあったのですが、今号ではさらにその深さが増すばかりです。この小さな冊子は、非常に印象的で、鋭気、生気、誠心あふれる作品で満たされています。
とくに感銘深かったのは古川さんの手記でした。昨年の末、その不幸な事故の一報を聞かされたときは本当に衝撃的でした。事故一週間後にお会いできたときの古川さんの少しうつろな目とこの世を漂うかのような空気はいまでも忘れられません。その後、いろいろなことがありました。○塾でともに学んでこられた多くの方々が暖かな手を差し伸べられました。利と理を乗り越えること。そんな至難なことが、ここではさも当たり前のように行われたことを目の当たりにして、「○塾・・・これはたいへんな集いになってきたぞ」といまさらながら驚き、その一員たらせていただいている幸せにあらためて感じ入りました。遠田先生の情熱、加藤先生の至情。お二人がいらっしゃる限りこれからも幸せな「意味のある偶然」が○塾にもたらされるにちがいありません。
幸運にも、この冊子が皆さんの目にふれる日は、古川さんが○塾にお戻りになる日です。さあ、乾杯しましょうか!
追記;今号の編集にあたって、私の能力不足を補っていただくため、忙しいなか仲宗根さんにご協力いただきました。この場を借りてお礼を述べさせていただきます。ありがとうございました。
(○塾編集担当 西本直人)
○塾機関誌 第2・3合併号 (非売品) 2000年 4月15日発行 発行 遠田雄志 〒111-0031 台東区千束 2-19-2 編集 ○塾機関誌編集委員会 編集責任者 加藤敏雄 印刷・製本 ○塾機関誌編集委員会 |