Jenkins (2001) は、
言語学は認知諸科学から「実験をしていない」という批判を受けることがあるが、 それは誤解である。母語話者の直観を得るというのは、一種の実験である。
と言う。しかし、その「実験」なるものは、認知諸科学で常識とされている科学的な基 準に達していないのも確かである。

  1. まず、実験意図を被験者に悟られないようにするのは、実験心理学者にとっては常 識であろう。意図の認識によって被験者の反応が影響を受ける可能性があるからである。 その点から言えば、我々統語理論研究者自身が被験者(直観を提供する informant)で もあるという、研究の現場での日常的な現実は、「論外」としか言いようがない。
  2. 次に、被験者の反応は、研究者が探ろうとしている要因以外の実に様々な要因によ って影響を受ける。いわゆる個人方言だけでなく、例えば以下のような要因が影響を及 ぼす (Schütze 1996): このような「不純な」要因の影響を「統制」(control) する実験計画を立案する必要性 も、やはり実験心理学者にとっては常識だが、我々統語理論の研究者は、例えば「呈示 順序を操作することにより、順序の効果を counterbalance する」という程度の配慮さ え、通常は行っていない。
  3. また、「不純な」要因の影響を実験計画だけで完全に排除するのは不可能であり、 そのため、通常の心理学実験においては、複数の被験者を用いた上で、得られたデータ を用いて仮説の統計的な検定を行うのが常識である。しかし、我々統語理論研究者は、 そもそも最も基本的な統計テクニックの知識さえ持ち合わせていないのが普通である。
  4. さらに、理論的な話としては、直観による判断という行為自体が、実は、「母語 知識と照合しつつ文を解析し、判断という形での意識化・言語化を行う」という作業の 結果なのだから、実は、直観による判断を被説明項とする理論は、純粋な competence の理論ではなく、少なくとも competence と performance (parsing) の両方にまたがる 理論でなければならないはずである。しかし、通常の統語理論は competence のみにつ いての理論であり、そのような理論は、厳密には、直観を被説明項としてとれないはず である。
この授業では、上記のBとCの問題、つまり統語理論研究のための実験計画法および統 計的検定法をとりあげた。具体的には、「完全にOK」または「完全にアウト」ではな く、その中間段階の容認性判断までをもデータ化するためのテクニックとして、 Magnitude Estimation をとりあげた。

参考文献
Jenkins, Lyle. (2001). Biolinguistics: Exploring the Biology of Language. Cambridge University Press.
Schüutze, Carson, T. (1996) The Empirical Base of Linguistics: Grammaticality Judgments and Linguistic Methodology. University of Chicago Press.