<第12回「イギリスと環境」研究PJ研究会>                                                  2003/3/22

 

英国ナショナルトラストと自然・文化財保護活動のあり方

“巨大企業”ナショナルトラストが直面した改革への要求

Richmond

Abstract

英国の自然・文化財保護団体ナショナルトラスト(The National Trust)は今年で創立108年を迎えるが、歴史があるだけではなく、所有する土地の広さ・文化財の数、また会員数においても英国内で屈指の存在に成長してきた。危機に瀕している自然環境や歴史的建築物を守るには莫大な費用がかかる。彼らは国の補助や地道な募金活動だけに頼らず、独自の巧みな経営手腕で収入を得、“企業”として成長してきた。その貢献実績は明らかで誰もが認め賞賛している。ところが最近、その内面の問題点を指摘し組織改革を求める声が上がってきた。それも会員で支持者層からである。一見理想的に見える活動の中のどこに問題があるのか、或いは現状から新しい方向へ移行すべき時期が来ているのだろうか。

 

Keywords: The National Trust Act(1971), Heritage Industry,  voting system, Enterprise

 

1. はじめに

英国ナショナルトラストは現在、会員約280万人、スタッフ4千人、ボランティアは4万人で年間約250万時間の労働を提供している。所有する土地は24万ヘクタール、建造物(以下プロパティ)は200を数え、年間6千万人が訪れている。昨年最も多くの人が訪れた有料のプロパティはWakehurst Placeで、285千人の見物客が訪れた。(年中無休で18時間公開したと仮定した場合、1時間に約100人が来たことになる。)現在は歴史的価値の解釈もアップデートされてきたようで、John Lennonの育った家がオノヨーコによって寄贈されるなど、世界的な話題や興味の対象になっているようだ。

 設立は1895年で米国のナショナルトラストの1949年と比較してはるかに早いが、長い歴史の中でも設立時の精神や特徴が今も意外な部分で残っていると感じられる。それが今回の“苦言”に通じるものがあるのでないかとも思う。

 

2. 設立の背景と成長の過程

1) 産業革命後の英国の環境問題

ナショナルトラスト誕生の背景を遡るとすれば1765年の産業革命から始めるのが適切であろう。19世紀にはバーミンガム、マンチェスター、リバプールなどの新興工業都市周辺で、石炭の使用による大気汚染、工場廃水による河川の汚染、酸性雨、労働者の環境(特に居住区域)の悪化などの環境問題が持ち上がっていた。都市の住民から工業社会への批判や自然・田園への欲求が湧き上るのに時間はかからなかった。19世紀後半これらを背景に比較的裕福な人々が中心となって、環境問題を議会に働きかけ国民を啓蒙しようという活動が行なわれた。1895年設立のナショナルトラスト以外でこの時期設立された団体の一部には以下のようなものがある:

1865年 Open Space Society  (OSS)

1865年 Commons Preservation Society (ナショナルトラスト創設者2人も関わっていた)

1877年 The Society of Protection of Ancient Building (SPAB) (William Morrisによって創設された)

1898年 Institute of Waste Management (IWM)

1899年 National Society for Clean Air and Environment Protection (大気汚染と騒音のリサーチと啓蒙活動)

これらの特徴は、裕福で知識のある階級が“庶民のために”緑地を確保し環境汚染から人々を守ろうとしたことであろう。ナショナルトラストもその中のひとつだった。それは意外な所にも表われている;ナショナルトラスト創立時、Octavia HillRobert Hunterに自分の考えた団体名を書き送ったが、それは“The Commons and Gardens Trust for accepting, holding and purchasing open spaces for the people in town and country”であった。結局Hunter案のthe National Trustに決まったが、彼女の方が目的を明確に表現していたといえる。

歴史的建造物への関心を持っていたのはもう一人の創立者Canon Rawnsleyで、彼は“場所と人とのつながり”を大切にしていた。1909Samuel Coleridgeの家で、ここで多くの作品が書かれたというNether Stoweyを購入している。その後1939年まで“人に関連した家”は購入されなかった。

ナショナルトラスト設立時のもうひとつの特徴は上流階級との関係であろう。創設者3名も裕福な階級であったが、実は創設者は4人だという説もあり、それがHugh Lupus Grosvenor、後のDuke of Westminterである。また日本ではナショナルトラストとBeatrix Potterの関係のほうが有名であるが、彼女も裕福な家庭の出身であった。16歳の時Rawnsleyに出会った彼女も湖水地方の美しい土地を愛し、生涯をかけて農場を少しずつ買い足しながら自身もそこでの農業を楽しんだ。43年彼女の死後1600ヘクタールの土地とその農場・コテージをナショナルトラストに遺した。

また、王室との関係も当初から始まっていた。1902年、湖水地方のBrandlehow Parkの土地のオープンにルイーズ王女が立ち会っている。現在はQueen Motherが昨年までPresidentであり、The Prince of WalesVice Presidentの地位にいる。

 

2) 1980年代“Heritage Industry”の先駆け

195060年代以降、自然環境・文化財保護の団体の創立が増加していく中、ナショナルトラストも発展していく。80年代に入りSir Angus Stirling(現Joint Nature Conservation Committeeチェアマン)がチェアマンに就任した。長年スタッフだった人物の著書によると彼は「新しいタイプのプロパティを入手することに積極的で、持ち主の主体性を尊重し、他の団体と活動を分け合うことにも前向きであった」という。

Heritage Industry という言葉が英国で使われ始めたのもこの頃である。世代交代で相続税を払えなくなった貴族が自宅のカントリーハウスを文化財保護団体に譲り、庭園や主な部屋を一般公開し、入場料とオリジナル商品の売上で収入を得るという現象である。 またプロパティが映画やTVドラマの撮影地としてもよく使われた。Merchant-Ivory Productionsはその中でも重要な役割を果たしたと言える。彼らの映画は79年の“The Europeans”を皮切りに“Maurice”“日の名残り”など、海外の人々に古きよき英国の風景を見せる大きな原動力となった。またこれらは“普通の家”に住む多くの英国民にも支持されたようだ。

 

3) 利益追求の時代

97年政権が保守党から労働党に移ると、文化財よりも教育や地域社会へ予算が優先的に使われるようになった。例えばLottery Fundから歴史的建造物への予算は前年の半額の年3000万ポンドにまで削減された。

 ここでナショナルトラストは“企業”として独自で収益をあげていく方向へ向かっている。それにはより多くのプロパティを“ただ見るだけのもの”ではなく、結婚式や企業のレセプション会場として貸し出したり、プロパティに新しい魅力的な設備(教育目的のAV機器や新しい展示)を増やすことで入場者の増員を図った。01/02年の決算報告でEnterprise(販売部門)は96/97年度は1100万ポンドであったのが5700万ポンドになっている。出版物に関しては本来の歴史的建造物についての本以外に、子供向けの絵本が幅広く出ている他、最近では花、ハーブ、料理、インテリアデコレーション等、趣味的で流行に合わせたタイトルを多く出版している

また近年、視覚的に目立つのはウェディングパーティ等の会場として貸出し可能なプロパティが増えていることである。日本で関連するところでは、日本ナショナルトラスト協会の活動とは別にNTEジャパンクラブがここと提携して日本独自の商品の企画生産を行ない、収益の一部を還元している。

 

3. 内部からの問題指摘

20011112日、国会でLord Patten他数名がナショナルトラストの現状について意見を述べている。それを大まかにまとめると以下のようになる。

1) 公平性の欠如

proxy vote:一部の人の好みで人事が決定されるなど、proxy voteの悪用を指摘している。これを発言した人は2001年のAnnual General Meeting(以下AGM)においてblock voteに反対したらblock voteで却下された。The National Trust for Scotlandの民主制を見習うべき」とまで言っている。また別の事例では、ドーセットのGolden Cap Estateの扱いについて2万4千票ものproxy voteが隠されていたと指摘されている。

 ・寄贈者の遺志:サマセット州のプロパティにおいて土地が「法が改正されるまでは敷地内での鹿狩りを続けて欲しいという」遺志付きで寄贈されたが、研究者から鹿狩り反対の指摘を受け法の改正を待たずに禁止された。

2) 組織の巨大化による官僚化・コミュニケーションの悪化

 ・会員数が増加しているのにcommitteeメンバーが71年のthe National Trust Act 以来52人と決められたままというのはおかしい。

・組織が大きくなりすぎ、または中央に集中しすぎて住民・居住者の声が届かない。ハンプシャーのある居住者が家の修理を願い出たところ、建築業者が来る前に15人以上もの職員がかわるがわるやって来たという。

 ・15の地方オフィスを11に減らしたのはなぜか。

2004年ロンドンのオフィスを縮小しスウィンドンに移転するということが発表され、80%のスタッフが転勤前に退職するだろうと新聞が報じている。業務に不可欠な研究所や関連団体が多くロンドンに存在する中、それらとの物理的距離が出来てしまうことを心配するスタッフもいる。

 

 これらに対しLord Chorley9196年のチェアマン)は、Actを改正する必要は感じられないと反論している。(彼の父親は6175年の間Commons Preservation Society Presidentであった。)

 ここで気がつくのは、英国の文化財保護団体のトップの人事が比較的狭い範囲の人々で占められているのではないかということである。特権階級が始めた活動という特徴が未だに守られているのではないだろうか。

またスコットランド、ウェールズ、北アイルランドの地域のコミュニケーションもあまり進展していない。

この3地域はナショナルトラストに匹敵する独自の団体を持っており、ナショナルトラストもプロパティを所有しているが、会員数を増やすことができない。ウェールズの例で言うと48500人、682500人、8731857人とのことだ。また基本的には入場できるプロパティも相互乗り入れしているようだが判りづらい。

 

4. ナショナルトラストの今後

英国Heritage Industryの中心に位置し、よき手本となってきたと思われたナショナルトラストだが、21世紀はどう発展していくのだろうか。他の団体と異なり、海岸線の土地から絵画まで何でも手に入れるという手法は

環境問題・文化財保護問題の根底を無視しているとも考えられるし、だからこそより多くの人々の興味と関心を集め、収益につながっていると考えられないこともない。

Lord Gibson7686年チェアマン)は「ナショナルトラストは今後建築物の購入は余りしないだろう」と述べている。家主が大型の団体への寄贈をやめ独自で同様の運営を始める傾向が始まっているからである。実際に

20年代の文化人の集まりブルームスベリーグループのCharleston Houseも最近ナショナルトラストから脱退し、独自の経営を始めた。またBlenheim PalaceCastle Howardなど大型のカントリーハウス10軒がTreasure Houses of Englandを結成、独自の運営をしている。だとすると、今後は創設当時のように自然環境保護に集中していくのだろうか。その時は地元住民とのコミュニケーションが今以上に必要になるのではないか。

 また、より多くの支持を得るためには離れた地域に住む人々の関心を集めることも不可欠だ。これまでの英国ナショナルトラストの手法は“巨大レジャー産業”的ではあるが、成功はしてきた。01/02  Annual Reportで経理部門の責任者は「我々は自立していることを誇りに思っているし、納税者に頼ることはできない。トラストエンタープライズは・・・会員やボランティア、スタッフからの支持で我々のプロパティを価値あるものにしていかなければならない。」と述べている。これはますますの企業部門の強化を宣言しているともとれる。

 

5. 終わりに

実は自分自身も89年以来ナショナルトラストの終身会員で、季刊の会報誌や年度末のannual report、そしてAGMの案内状をずっと受け取って来たが、このようなことには全く気づかなかった。AGMは毎年秋に行なわれるが、開催日程も地域も毎回異なるので、東京在住の身ではそれに合わせて休暇を取ることが困難で、まだ一度も出席したことがない。委員選挙の際にも投票用紙が同封されていたが、候補者達に会ったこともない人間が一票を投ずるよりchairmanに委任したほうが賢明だろうと判断していた。思えばこのような考えの集積が現状の組織を作り上げてしまったのかもしれないし、逆に参加していたとしてもこれほど階級意識の残る英国社会では外国人の平民など何の力も無かったかもしれないとも思う。

ここで英国ナショナルトラストを批判するつもりは全くない。逆に自分の知らなかった部分を知ることができ更に興味を覚えた。先ほどウェブサイトを見たら03/04年の方針特に組織関連の改変のページが出来ていた。今後またこれを含めて掘り下げていければと思う。

 

参考文献

Figures in Landscape – a history of the National Trust  John Gaze 1988

World Directories of Environmental Organisations,  1996

National Trust Centenary  Rodney Legg 1994

National Trust Annual Report and Accounts1996/7

 

関連Website

英国ナショナルトラスト http://www.nationaltrust.org.uk

英国国会 http://www.parliament.uk

NTEジャパンクラブ http://www3.withnet.ne.jp/ntejc/index.asp