講演の記録》  



 少し前になりますが、教育基本法の「改正」問題について、市民団体が主催する学習会で
講演しました。
 その時のテープを、主催者の方がおこしてくれましたので、ここに全文アップします。
 かなり長いです。





教育基本法ってなあに?

(逗子・葉山教育を考える会 第1回講演会 2001.10.27)
                   
       お話  児美川孝一郎さん

 こんにちは。ご紹介をいただきました、法政大学の児美川と申します。
 今日、話をしてほしいと言われましたテーマは、「教育基本法ってなーに?」という非常に地味なテーマなんですね。ですが、ふたをあけてみると、これだけ大勢の方がいらっしゃっていて、ちょっとビックリしています。先ほどご紹介いただきましたように、僕は日頃からいろいろな学習会などに出かけて行くのですが、どちらかと言えば、学級崩壊とか、いじめとか、そういった今日的なテーマの時には、割合と多くの方が集まるんですね。ですけれど、「教育基本法とは何か」とか、そういった内容になると、ガタッと人数が減って、10人とか15人ということも結構多いわけです。そういう意味では、今回も「大事なテーマだけど、やっぱり地味な会になるのかな?」と予想して来たんですが、ところがどっこい、いい意味で驚かさせていただきました。

 さて、教育基本法です。「いま、なぜ教育基本法なのか」ということについては、ただいまの事務局の方のお話の中にもありました。やはり今、教育というのはいろいろな問題を抱えてますよね。問題点がたくさん出てきているし、何とかしなければいけないことがたくさんある。同時に、教育については、人々の間に本当にいろんな考え方があるんですね。立場に応じて、さまざまな改革案なんかが出てきてもいます。
 そういう改革案などについて考える時に、私たちの側がある意味での「座標軸」というか、考えていく時の原点みたいなものをきちんと持っていないと、声の大きい人がワァーと言うと「あ、そうなのかな」というふうに思ってしまうわけですし、同時にまた、こっちの方から誰かがワァーと言いだすと、「それもそうかもしれない」といったふうにも思ってしまう。つまり、教育論議というのは、私たちみんなが学校体験を持っていますから、割合と誰でもが参加しやすいんですね。ですけれど、同時に言えることは、最初は議論に参加しやすいんだけれど、そこから先に、本気でそのことをどう考えるかといった際には、どこに座標軸を置いて、どこを原点にして考えるのかという、そこのところをしっかり持っていないと、本当に危ういことにもなってしまうと思うのです。
 先ほどの事務局の方のお話の中でも「教育改革国民会議」という名前が出ていました。あれなんかも、日本の有識者といわれる人たち、学者であるとか経済界の代表であるとかという人たちが、首相から任命されて集まったわけですが、彼らは実は教育の専門家ではないんですよね。あの中にはたった一人だけ、東大の教育学部の先生が入っていましたが、その藤田委員を除けば、みんな専門家ではないんですね。しかし、教育については一家言持ってる人たちばかりであることは確かで、だから相当にいろいろな議論をしたわけですね。ところが、本当に専門的に教育を研究している人間からすると、あるいは文部科学省の役人でさえも、教育改革国民会議に対しては、「ちょっといくらなんでも、それは素人の床屋談義でしょう」と思ってるようなことは、実はいっぱいあるんですよね。しかし、それが首相の私的諮問機関の報告書だということで、マスコミなども含めて大いに注目され、大騒ぎされて、そしてその勢いのあまり、文部科学省も動いて、それでは法律を変えましょうという話にまでなっている。こういうこと、少し冷静に考えるとちょっと怖いなと思わざるをえないようなことが、現実の 問題としてあるんだと思うんです。

 これは僕自身の考え方でもありますが、教育基本法というのは、実は日本が世界に誇ってもいい財産だと思うんですよね。世界にはいろいろな教育関係の法律がありますが、これほど高い理想をかかげた、教育の理念が見事に盛り込まれている法律というのは、ほかには無いように思うのです。「子どもの権利条約」というのは、教育基本法に近いような性格を持つものかもしれませんが、たいていの場合、どこの国でも、教育というと、やはり論点が別れるんです。ですから、国の教育についての基本的な方向などを定めようという時には、当然さまざまな立場があることを考慮しながら、ある種の「妥協点」で一致を見るみたいなことがよくあるわけです。
 教育基本法の場合には、戦前の日本がああいう形で戦争に突っ込んでいった、そういうことになった責任の一端は、明らかに戦前の日本の教育が負っていた、そしてそのことについての痛切な反省を踏まえて、戦後の教育はそうであってはならない、ということで作られたわけですね。しかも、その時の事情ですが、ちょうど占領軍が日本を占領していた時点で作られたわけですね。占領下で作られたという事情があるがゆえに、その時点での日本の国内のさまざまな諸立場から意見の「妥協」の産物になってしまったりとか、反動的な意見が影響を与えたりということがなくて、むしろあの時点、1947年という時点での世界の教育思想の到達点、世界的に確認されてきて教育についての原則的な考え方、そういう高い理想が盛り込まれたものとして制定されているんですね。

 なかには、これは日本国憲法についても同じなのですが、占領下に制定されたという事実をとって、「あれは占領軍の押しじゃないか。だからけしからん」といったことを言う人はいます。戦後、ずっといました。確かに、制定の経緯で言えば、占領下に制定されたのは事実です。しかし、占領軍が自分たちの好き勝手な内容を決めて、それを日本に押しつけたのかというと、そんなことはありません。教育基本法に盛られている内容、そこに書き込まれている内容というのは、むしろあの時点での世界的な教育思想の最高の到達点が、わずか10条の中に敷きつめられているのです。僕自身はそういう意味で、日本という国が世界に誇れるものはいくつもあるとは思いますが、教育基本法の存在は間違いなくそのうちの一つだと思うんですよね。

 ところが、先ほどの事務局の方のお話にもあったように、「素人の床屋談義」だと言われるような教育改革国民会議の提言を受けて、いま教育基本法が変えられようとしているんですね。ちょっとこれは、本当にそんなことでいいんでしょうか。そもそも教育基本法とは、どんなものであり、そこにはどんな意義があるということが、国民的に認知されているのでしょうか。はたして教育基本法には、改正されなくてはいけない問題点があるという点について、本当に十分な国民的な論議が重ねられてきたのでしょうか。
 教育基本法の精神を発展させるために、この点は変えようといった提案であるのならば、まだわかります。けれども、現在進んでいる動きは、そうじゃないんですね。そういう丁寧な議論をふっとばして、なんだか「新しい時代が来たんだから、新しい教育基本法を」ということらしいのですね。正直に言って、ちょっと待ってくれという思いが、僕には相当にあるんです。
 そういうことがありますので、今日は先ほど最初に申しあげた、教育について考える際の原点、座標軸を見定めたいという意味と、今どきの時局というのでしょうか、世の中の状況の中で教育基本法を変えようという動きが急速に高まってきておりますので、そのことも意識をして、「教育基本法とは何であるのか」という、地味なんですけども、大事なお話ができればと思っています。おそらく話が面白くなくて、途中で眠りに入られる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、「睡眠学習」という手もありますし、あとで皆さんからのご質問を受けて討論する際には、きっと目を覚まされるのではないでしょうか。
 おそらく今日いらっしゃっている方は、教育基本法の歴史ですとか、この間の教育政策の流れですとか、そういうことに関心があるというよりは、端的に言って、現在の教育や学校、子どもたちのことに関心があって来ていらっしゃるのだろうと思っています。それはそれで、後半の方の議論の時間にぜひ出していただければと思いますが、ただ、僕自身は、そういう現在の教育や学校や子どもたちがつき当たっている問題とか課題とか困難とかということを見ていく際の「目」を鍛えるという意味でも、教育基本法というのは、十分に役立つ武器になると思っています。今まで教育基本法というのは、あまりにも注目されてこなかったし、無視され続けてきましたけれども、その「威力」は、本当は、教育が荒廃しているとか、改革しなきゃいけないとかということが言われている今だからこそ、本当に僕たちが武器にしていかなければならないものだと思っているのです。


T 最近の動き―「教育基本法」をめぐって

(1)教育行政の中で

 前置きのなかでも少し申しあげましたが、最近の文部科学省の動きや教育政策の展開を見てみますと、にわかに慌ただしい雰囲気が出てきています。どういうことかと言いますと、レジュメに年表のような形で書いてあります。

   2000/12 教育改革国民会議の最終報告

 まず、昨年の12月です。先ほどからお話をしている教育改革国民会議。これは、小渕前首相のときに、首相が私的に彼のブレーンと言われるような人たちを中心に据えて、そしてその周りに広く学者や知識人と言われる人たちを集めて作った、法律に裏づけされてるわけでも、国会で審議して認められたわけでもない、内閣総理大臣の私な諮問機関です。これが、「教育改革についての17の提案」というのを出しました。そしてその中の一つに、「新しい時代にふさわしい新しい教育基本法を」という提言が盛り込まれました。
 教育基本法の改正については、広く国民的な論議の巻き起こりを待ちたいというふうにしながらも、しかし新しい教育基本法の中身については、「これからの時代を生きる日本人の育成」という視点が大事であろうということが出ています。今まで、教育基本法は教育の目的として「人格の完成」とか「個人の尊厳」という言い方をしていたんですが、「日本人の育成」という言い方はしてこなかったんです。考えてみてください。日本で行なわれている公教育の学校教育は、日本人の子どもだけを教育の対象にするんでしょうか。ずっと昔から在日の朝鮮人・韓国人の方はいらっしゃるわけですし、アイヌの方もいらっしゃるわけです。今でいえば、外国人労働者の子どもがたくさんいて、日本の公立学校に通っているわけですね。そういう学校における基本的な教育目的が、「日本人の育成」であるというのは、どういうことなのでしょうか。いま日本の企業は、海外進出を盛んに果たしてますから、日本人の子どもたちも海外に行きますと、現地の学校に通うわけですね。現地の学校に通ったときに、その国の法律が、その国の教育は自国民を作る目的で行なわれている、なんてことになっていたら、僕 たちはどう思うでしょうか。でも、そういうことが、平気で行われようとしているのです。

   2001/1 文部科学省「21世紀教育新生プラン」

 12月に教育改革国民会議の最終報告が出ますと、年をあけた今年の1月、文部科学省は教育改革国民会議の17の提案をすべて受けとめまして、全部政策化していくということを決めました。それが、「21世紀教育新生プラン」です。プランのうちのあるものは、既にこの前の国会で教育改革関連6法案として提案され、すべて通って実現しました。また、あるものはこれから実現をはかるべく、政策日程とそのための筋道が提示されています。その中に、教育基本法の改正については、中教審、中央教育審議会と言いますが、そういう審議会に早急にはかって、そこでの結論を経て、具体的な法律改正に進みたいということが明示されています。

   2001/10 教育基本法改正について中央教育審議会への諮問を決定

 中教審への諮問は、いったいいつになるのかと思っていたら、実は先週ですが、新聞報道されまして、いよいよ文部科学省が教育基本法の改正について中央教育審議会に諮問することを決めたとありました。早ければ11月に召集されて、そこで文部科学大臣から諮問文というのが出されて、中教審で審議することになるかと思います。通常のペースでいうと、おそらくですが、半年くらい経ったところで「中間まとめ」みたいなものが出て、一応皆さんの意見を聞きますよというスタイル・手続きを踏んでから、その後に最終答申が出ることになります。答申が出たら、おそらくは直ちに国会に上程される、そういう勢いなんだろうと思います。
 実は今年の1月に、21世紀教育新生プランが出されたとき、文部科学省担当の新聞記者さんですとか、あるいは関係筋といった人たちの間では、文部科学省が教育基本法の改正を中教審に諮問するのは、おそらくは6月頃だろうと言われていたんですね。たぶん、その時点ではそういう構想だったのではないかと思われるのですが、なぜ6月にしなかったかと言えば、それはすごく単純なことなんですね。選挙があったからです。選挙の前にこんなものを出して、ちょっとでも議論になったり、争点になったりしたらまずいというので、引っ込めたのです。では、逆に、いまは10月ですけど、なぜ10月なのか。それは、先ほども事務局の方のお話にもありましたけれども、アメリカのテロ事件に発するその後の報復行動、「戦争」と言っもいいんでしょうか、その事態が現れてきたからでしょう。ちょっと急がなければならないと思った、あるいは好機到来と考えたのではないでしょうか。

(2)民間における活発な改正論議

 いまお話しましたのは、国レベルでの公の動きです。ですけれども、教育基本法をめぐっては、民間レベルと言うんでしょうか、民間といっても私たちのようなしがない庶民ではなくて、経済界などの偉い人たちの世界のことではあるのですが、そういう世界でも、教育基本法を変えようという議論が、この間ずっと出てきているのです。いろいろな人たちが宣言を出したり、国会や自民党や内閣に提言を渡したり、レジュメに紹介しましたような要望書をまとめたり、ということをしています。その中で2つだけ、これは社会的にもかなり注目されましたし、二つとも今では単行本として出版されて、大きい本屋さんですと平積みで置いてあるんですが、それを見てみたいと思います。

  2000/9 「新しい教育基本法への6つの提言」

 一つは、昨年の9月、「新しい教育基本法を求める会」という組織が、6つの観点からなる提言というのをまとめたものがあるんですね。岩手大学の学長で、自然科学・科学技術の分野では世界的にも有名な西沢潤一という人が、会長に祭り上げられていて、他のメンバーには、財界トップといった人たちであるとか、これまでも文部科学省や政府の審議会に何度も入ったことのあるような大学人たちが名前を連ねまして、新しい教育基本法を求める会というのを作ったんです。そしてそこでの論議の結果が、6つの提言、およびそれについての説明・解説として、PHPの方から一冊の本になって出版されました。いま本屋さんをのぞいてみると、かなり売れているらしいということがわかります。でも、その中身というのが、すごいんですね。
 まず、教育基本法というのは、負の遺産を持っている。教育基本法に問題があるがゆえに、日本の子どもたちは公共に対する奉仕の精神をなくしてしまい、自分勝手になってしまい、ひたすら自分自身の欲望だけを肥大化させてきた。欲望だけを膨らませておいて、他人のことは省みない個人になってしまったというようなことが書かれています。今どきの子どもたちの中には、往々にして個人主義的だったり、自分のことしか見えていなくて、回りの子どものことや他人の痛みのようなものを感じられない子どもも、もしかしたらいるかもしれません。ですけれど、それは、教育基本法が悪いからそうなったのでしょうか。そんなことは、誰も実証していませんよ。僕は、教育の研究を仕事にしている人間なんですけれど、教育研究の世界で、そんなことを言ってる人は一人もいないですよ。それなのに、この提言では、ほとんど決めつけで、教育基本法がなっていないから、今の子どもたちはこんな姿なんだ、ということがあり、だから、これから何が必要かというと、愛国心のようなものをもっともっと子どもたちに植え付けていかなければいけない。個人の欲望だけに偏る自己中心主義は、国を愛する 心、国に奉仕する心、社会国家のために尽くす心、そういうものが無いからだ、という議論なんですね。あるいは、宗教的情操の教育をもっときっちりやらないとだめじゃないか、道徳教育をもっとしっかりしなさい、そんな提言が、6つばかり並んでいるのです。

   2001/2 「新・教育基本法私案」

 もう一つは、今年になってからですが、2月に、加藤寛という、臨調行革の頃に有名になった慶応大学の元教授、この人も経済学の専門家ですから、もちろん教育の専門家ではないんですけども、その彼が座長をつとめて、やっぱり同じように財界人や大学人を集めて「新教育基本法検討プロジェクト」という組織を作って、改正案を作り上げました。しかも、こちらの方の案のすごいところは、改正する教育基本法の「前文」からはじまって「第1条」「第2条」「第3条」・・・・と、改正案の中味がまるっきり条文そのままの形で書かれているところなんです。これも、文庫版ですけれども書き下ろしの形で出版されて、書店に行けば絶対に見つかる、といった状況になっています。
 中身を見ると、ここでもやはり新教育基本法に盛り込む内容として、教育の目的は立派な日本人を作ることだと書いてあります。「日本人」なんですね。先ほども言いましたように、どうしても引っかかるんですよね。
 また、この教育基本法改正案には、教育は義務である、と書いてあるんです。これも驚きなんですが、「義務としての教育」をきちんとやらなければいけないとある。誤解のないように、具体的な案文のところを読みますが、この人たちが作った新教育基本法(私案)の第4条のタイトルは「教育の義務」。教育の権利ではなく、確かに「義務」と書いてあって、「国民はその保護する子女に一定の教育を受けさせ、その目標を達成させる義務を負う」、ここまでは現在のものとさほど変わらないんですけれども、そのあとに「子女もまた努力し、一定の教育水準に達しなければならない」とあります。そして第2項が、「義務としての教育の目標は、日本国民が国民として、この社会に適応できる基本的な公徳心と知識技術を身につけることである」とあります。「義務としての教育の目標は」とありますよね。そして第1項のところでも「子女もまた努力して、一定の教育水準に達しなければならない」とあるわけですよね。つまり、教育は子どもたちに義務として課すものというふうになっているんです。それを、教育の基本法にしようという案なんですよ、これは。こういうのが、いまの日本社会では堂 々とまかり通ってしまっているんですね。

(3)素朴な疑問

   本当に「教育基本法」が問題なの?

 いま、ともかくも、教育基本法をめぐっては、こういう状況になっているわけです。僕自身も、今の日本の教育や学校や子どもたちには、何も問題がないとか、何も課題なんてないとか、そんなことを言うつもりはないんです。問題も課題もあると思います。あると思いますけれども、それは、教育基本法が問題だから、なんでしょうか? そんなこと、誰かがきちんと検討して、明らかにしているんでしょうか? むしろ僕などに言わせてもらえば、教育基本法の精神というのは、実は戦後50年間、ずっと実現してこなかったんですよ。教育基本法を出発点として、戦後の教育は始まったはずなのに、いつのまにか違う方向にきてしまった。その結果として、いまさまざまな問題や課題が山積している。こう考える方が、よほど事実に近いんじゃないだろうか。少なくとも戦後の教育研究が明らかにしてきたのは、こういう論点なんです。
 教育基本法の精神は、1950年代に入ってから徐々に、そして55年前後には確実に棚上げされたんです。それ以後は、むしろ教育基本法の精神とは違う教育の体制が作られてきたし、それに則って、日本の教育が進んできた。そのことが招いた危機が、現在の危機であるというのは、およそ戦後の教育史をまじめに勉強した人間であれば、あるいは研究してきた人間であれば、誰もが認めるところだろう、多少の細かいところでの力点の差はあるにしても、多くの人が認めるところなんだろうと思うのです。
 そうすると、教育基本法が悪いから今の教育問題がある、だから教育基本法を変えなきゃいけないというのは、どう考えてもおかしい。言ってみれば、詭弁なんです。「素人の床屋談義」だと言われるのは、そういうところなんだと思うんですね。今の偉い人たちは、きっちりとした原因と結果についての検証をふまえた教育改革論議をしているわけではないんです。本当に教育基本法が問題なのかということを、後ほど教育基本法の条文をいっしょに読んでみたいと思いますので、ぜひ考えていただきたいんです。

   「教育基本法」を改正すれば、事態は改善する?

 もうひとつ、文部科学省もどうやらそう考えてしまっているようですし、財界や学者さんを中心とする民間の提言なんかもそう考えているようですが、教育基本法を改正すると、教育をめぐる今日の事態が、はたして改善するんでしょうか? この点についても、実はそうだという確信を誰もが持っているわけではないし、学問的に検討してそうであろうというようなことは、ほとんど言えていないんですよね。
 しかも、教育改革国民会議の「日本人の育成」や「伝統文化」「郷土」や「国家」もそうですし、「六つの提言」の方にある「愛国心の育成」とか「宗教的情操」とか「道徳教育の重視」とかもそうですが、いま議論として出されているのは、多分に精神論なんですよね。要するに、具体的にこうしたら子どもたちの教育が良くなる、もっとこうなる、改善できるという見通しを、こういう議論をする人たちも実は本当には持っていないんです。だからこそ、精神論に頼って、もっと「奉仕する精神」を教えなくてはいけないとか、道徳をきっちりとか、規律を重視してとか、ということになるんですね。だから、教育基本法を変えれば事態が改善する、などという主張は、これもどうも怪しいぞと、まずは思った方が良いだろうと僕などは思っています。

    では、いまなぜ改正論の大合唱なの?
 
 それでは、いまなぜ、教育基本法の改正ということが、社会的な大合唱になっているのかという問題はあります。たとえば今のアメリカに対するテロリズムとその報復行為の問題を考えてみて下さい。日本という国は、これから自衛隊を海外に出そうとしてるわけですね。小泉首相などは、湾岸戦争の時は日本は乗り遅れたから、今度こそは遅れてはいけないとばかりに、必死になってやっているわけです。
 けれども、戦後の日本の教育は、少なくともかなりの部分で平和教育ということをきちんとやってきています。だから、いま直ちに若者たちが、あるいは普通の日本国民が、自衛隊を海外に派遣すべきだという考えになっているわけではありません。そのことは、現在の方向での政治を進めようとしている人たちにとっては、本当に困った事態なんですね。だから、自民党という政党などは、戦後一貫して「愛国心教育」をもっと熱心にやるべきだということをずっと言ってきたのです。
 そういうある種の流れの中で、今こそこれをやり遂げないと、日本がアメリカといっしょになって共同で世界秩序を守るような国々への仲間入りをすることができない、経済面での国際貢献だけでは足りなくて、軍事面での貢献を成し遂げていくことが絶対に必要なんだという、そういう点での危機感が、政治家たちの間でものすごく強くなっている。そういうことがあるんだと思うんですね。だから、教育基本法の改正においても、ともかくも「愛国心」とか「りっぱな日本人をつくる」とか、そういうことがことさらに強調されているんです。こうした話は、今日の僕のお話の直接の主題ではないのですが、ただ、そういう今の世の中の雰囲気の中でこそ、このところ急に、教育基本法の改正が俎上にのぼり、現実的な政策日程にまでのぼっているということがあるということは、ぜひみなさんにも踏まえておいて欲しいと思っているのです。


U そもそも「教育基本法」とは何であり、何であったのか?

 それでは二つめの話に移ります。いま教育基本法を変えなければいけないという動きが、確かに激しいのですが、しかし、そもそも教育基本法とは何であり、何であったのでしょうか。このことを、もう一度、思い返しておきたいと思いますし、ぜひみなさんにも理解しておいて欲しいと思うのです。

(1)法律としての特別な地位

 一つには、教育基本法というのは、そもそも「基本法」という命名からしてもそうなのですが、制定されたときの経緯からしても、本質的な意味で特別な地位に立つ法律であるということがあります。

    日本国憲法の理想を実現するため〜「前文の精神」
 
 「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」 これ以下も、漢字は難しいかもしれせんが、すごくいいことが書いてあります。最後に「ここに日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。」とありますね。
 これが、教育基本法の「前文」なんです。普通の法律には、前文なんかついていませんよね。前文がついてる法律というのは、きわめて特別なのです。そして、あえてこういう特別な前文をつけたという意味を考えてみなくてはなりません。

   準憲法的性格 / 人類普遍の価値に基づく教育宣言的性格  

 教育研究の世界では、よく「憲法=教育基本法体制」なんていう言い方をするんです。憲法イコール教育基本法、要するに、憲法と教育基本法は、教育に関して言えば基本的に同列に並ぶもので、そして相互に密接不可分な関係にある、憲法の理想を実現するための具体的な教育理念の表明として教育基本法があるということなんです。
 そうすると、どうなるでしょうか? 憲法と教育基本法は一体のもので、憲法の理想を実現するために教育基本法がある。で、その教育基本法を改正しようと、いまこの国の偉い人たちは言ってるわけですね。ということは当然、教育基本法を変えなきゃいけないと言っているということは、憲法も変えなきゃいけないと言っているということなのです。
 事実、憲法調査会は、すでに活動を始めているわけですし、今の政治の流れがそのままであるとしたら、おそらく教育基本法改正の次には日本国憲法の改正が来るんですね。そういうものである、という認識を持っておかなくてはなりません。
 ですから、もし僕たちが教育基本法を変えなきゃいけないと本当に思うのであれば、それは、日本国憲法のどこかが間違っていて、問題で、そして日本国憲法があるから、今の子どもたちや教育の困難があるんだ、そういうふうに認識するということなんですね。だから、憲法も変えなきゃいけない、というふうになるはずなんです。けれども、先ほどの財界人や大学人たちの集まりで、教育基本法の改正の提言とか試案とかを出す場合には、そういう憲法改正といったことについては、一切口をつむっています。憲法改正は教育基本法改正が実現したら、その後にやろうというふうに思っていますので、今の段階では、抵抗が大きくなりすぎないように、あえて隠していると言わざるをえません。
 こういう意味で、レジュメに「準憲法的性格」と書きましたけれども、教育学あるいは教育法学(教育に関わる法律の体系を研究する領域が、教育法学です)の常識で言えば、教育基本法というのは、こういう制定の経緯からしても、憲法に準ずるような、日本国憲法の精神に基づく、教育の世界での憲法的存在であるということになっています。だから、準憲法的な性格を持つものである以上、教育基本法は、この法律の下に置かれる他の法律、学校教育法とか社会教育法とか、いろんな法律があるわけですが、そういう法律よりも上位に立つということなんです。その他の諸法律は、時代の推移とともに、けっこう改正されてきています。戦後の50年間の教育の中では、学校教育法にしても社会教育法にしてもみんな変わってきました。それは、ある意味では、かなり具体的な事柄を定めた法律ですから、時代の推移とともに改正されるのも、当然ありえることなんですね。
 しかし、その大本にある教育基本法は、上位法だということを、ぜひご理解いただきたいと思うんです。準憲法的なものであるということ。そうであるがゆえに、そこに盛られている内容というのは、最初に前置きのところでもお話しましたが、その当時の世界的な教育思想の到達点、人類に普遍的な価値に基づくような教育の基本宣言としての性格が色濃いものなんですね。

(2)戦後の教育史の中では虐げられてきた(?)「教育基本法」

 しかしながら、です。戦後の教育史においては、あろうことかこの教育基本法なるものが、ものすごく虐げられてきた、表現はあまり良くないですけども、邪険にされてきたといいますか、「棚上げ」されてきたという経緯があるのです。準憲法的性格を持つものですから、簡単に教育基本法なんかだめだと否定することはできません。それで「棚上げ」なんですね。要するに、教育基本法そのものは高いところに奉っておいて、その下のところでは、教育基本法の精神とは違うことをやってしまうといったことが、戦後の教育史においてはずっと続いてきたということなんです。

   歴代文相によって繰り返された「改正」必要論

 その一つの証拠になると思いますが、歴代の文部大臣のなかには、とりわけ1950年代から1960年代にかけて、文部大臣としての記者会見の場で、日本の教育基本法には足りないところがある、特に愛国心の教育が足りない、だから改正しなきゃいけない、などということを繰り返し発言してきた人たちがいるということがあります。文部大臣という公的な立場ですから、当然、憲法と教育基本法以下の日本国の法律を守る、遵守する義務を負っているわけですよね。ですから、そうした発言じたいが、本当は大問題なんだと思うんです。文部大臣のような立場ではないにしても、戦後、文部省関係に力を及ぼしうる立場にいた人たち、あるいは自民党の政治家などは、一貫して教育基本法というのは、占領軍に押しつけられたもので、だからだめだということを言ってきました。なぜ、だめなのかの最大の論拠は、やはり愛国心という問題が欠けている、というありました。だから、そうした人たちは、教育基本法には、そもそも戦後の日本の教育にできるだけ具体的な影響を及ぼさないように求めてきたという経緯があるわけです。

   下位法による「教育基本法」の精神の逸脱(?)

 このことは、文部省も例外ではありません。教育基本法の下に定められている法律は、本来の趣旨から言え、教育基本法の理念や精神をより具体化したものとしてあるべきですよね。上位法と下位法の関係ですから。しかし、文部省はこれを破ってきました。下位法が上位法の精神を実現するようにするのではなく、後から定めた法律を、教育基本法の理念や精神からすると首をひねりたくなるような内容にしてきました。
 一つだけ、例をあげます。教育基本法は、1947年に定められました。その理念を実現するための法律の一つとして、教育委員会法というのが、48年にできたんですね。この教育委員会法は、地方教育行政と教育委員会の仕組みについて定めた法律なんですが、いまみなさんが知っている教育委員会と、この教育委員会法の下で組織された教育委員会というのは、実は全然違うものなんです。この当時の教育委員会には、人事ですとか教育予算についての明確な権限と独立性がありました。と同時に、教育委員は住民が選挙をして選んだんです。教育委員は、公選制だったということです。
 何よりも、教育というのは、国家が一元的に中央集権的に隅々のことまで決めるのにはふさわしくない。むしろ「教育における地方自治」と言いますけれども、もっと国民に近いところで、子どもたちや親たちに近いところで、住民自治の原則に基づいて、教育に関することがらは決められた方が良いんだということが、教育基本法第10条にあるんです。そのことを実現するために、教育委員を公選制にし、そして教育委員会には、文部省からも一般行政からも半ばは自立した、独立した権限を持ったものにしようとしました。戦後の教育行政は、ここから始まったわけで、だからこど、1948年に教育委員会法を定めたんです。これはまさに、教育基本法第10条の精神を具体化するための法律です。
 しかし、この法律は、1956年に地方教育行政の組織及び運営に関する法律、長たらしい名前ですが、普通は「地教行法」と言ったりします、これに変えられてしまいました。変えられてしまったと同時に、教育委員の公選制はなくなりました。そして中央官庁である文部省から、県や市町村の教育委員会に対する管理統制の権限がすごく強まりました。教育の地方自治から、中央集権的な教育行政へと一挙に変化してしまいました。
 そういうことが、行なわれてきたわけです。教育委員会法が廃止され、地教行法が成立するという事態は、明らかに教育基本法の精神からしたら、変なんですよ。ですけれど、そういうことが、戦後の教育の歴史の中では、平気でやられてきたんですね。
 文部省は、本当にずるいんです。当初、教育基本法ができた時には、『教育基本法の解説』という本を、当時の文部官僚が書きました。教育基本法の精神について、ていねいに解説されています。その中では、文部省自身が、教育基本法は準憲法的な性格を持つもので、特別の存在であると認めていたんですね。にもかかわらず、1956年に地教行法を成立させた頃には、準憲法的な法律だから上位法である、という解釈をしなくなりました。教育基本法も、ただの法律の一つなんだと。法律の世界では、後法優位の原則と言って、もし同じレベルの法律であれば、後から定められた法律の方が前の法律よりも優位であるというのがあるんです。これを利用して、教育基本法もただの法律なんだから、当然後からできた法律のほうが優位である、ということで解釈上きり抜けてきているんですよね。
 いまお話したようなことが、本当に数え切れないほど戦後の教育史にはありまして、結局、教育基本法が定めたような、教育基本法が理念としたような教育の実現をめざして、一丸となって戦後の教育は進んできた、などということはないんですね。むしろある時点からは、教育基本法は、完全に棚上げされてしまいました。行政の文書では、憲法と教育基本法の精神に基づいて、などという文言だけは入っているんです。(これさえも、最近では、はずされる動きがあるのですが。) けれども、それは本当に文言だけで、実態が伴わないということが、ずっと続いてきたというふうに思います。

(3)教育現場にとっての「教育基本法」

   日常の教育実践や学校運営を貫く精神として意識されてるわけではない現実

 こういう文部行政の姿勢ということがありましたから、学校現場にとっても、学校の先生たちにとっても、教育基本法というのは、実はなかなか馴染みがないんですよね。教師になった以上は、とりわけて公立学校の教師になった以上は公務員ですから、憲法、教育基本法その他の法律を知っていて、それを遵守しなければいけないという建前はあります。しかし、おそらく実態で言えば、教師になる前に大学の教職課程でちらっと見たことがあるとか、教員採用試験に良く出るからその時に読んだだけだとか、そういう先生がいっぱいいるんじゃないでしょうか。教師になって現場に出てから、自分の教育理念や教育の方針を確かめるために、教育基本法に常にたちかえっているような先生というのは、今でもいらっしゃるとは思いますが、数は決して多くはないでしょう。
 僕は先生たちが悪いとか、いけないとかと攻撃するつもりで言っているのではありません。文部省自身が、教育基本法を軽視するような姿勢できたわけですですし、教育委員会もそういう姿勢なわけですから。そのもとで、教職員は働いているわけで、そういう空気の中で過ごしているわけですよね。逆に言えば、いまの教師たちにとって、学習指導要領などは、ほとんど神様みたいな存在で、ことあるごとに意識しておかなくてはいけない。学習指導要領や指導書はそうなにに、教育基本法については、本当に、名前ぐらいはもちろん知ってるけれど・・・・という雰囲気になってしまっている。僕は、そこらへんに、戦後の日本の学校教育現場の最大の不幸があると思っているんですよ。
 何が言いたいかと申しますと、教育基本法が悪いから今のような問題状況があるんだ、という宣伝というかキャンペーンがはられていますけれど、本当はそうじゃないんです。そもそも教育基本法の理想は、戦後の日本の教育の歴史の中で、まだ一度も実現したことがないんです。教育基本法に沿ってやってきたのは、せいぜい1947年から50年くらいまでの間のほんの数年だけなんですよ。
 これは、ちょっと脇道にはずれますが、面白いんです。僕なども、その数年の間の教育を受けた人たちに、当時の学校の様子などをインタビューしたりするんですね。教育研究の一環としてですが。そうすると、明らかに違うんです、その世代というのは。「ほんとに、学校は自由で、自分たちの自主性に任されていて、学校に行くのが楽しくて仕方がなかった」。もちろん、「物質的には全然恵まれていない」ですし、2部授業とか3部授業といって、小学生が夕方から学校に出て行って学ぶという、そういう条件だったりもしたんですけれども、それでも「当時の学校というのは、すごく開放的で、子どもたちも親たちも、そして先生たちも、何かこう理想にみなぎっていた。」 こういう感じの回想をする人たちが、圧倒的に多いんですよ。ほぼ50年代くらいまでは、まだそういう雰囲気が残っていた。けれども60年代、70年代と、若い世代になればなるほど、学校体験を聞くインタビューがやりずらいんですね。なぜか嫌がられたり、あまり関わりたくない、みたいな感じを受けることが多くなります。
 なぜそうなのか。このあたりのことは、ぜひ考えていただきたいところです。


V あらためて「教育基本法」の精神を読む!

 さて、今日はせっかくの機会ですから、教育基本法の全文を読んでみたいと思います。日本が誇るべき財産でありながら、不幸なことに、みなさんの間でも必ずしもその精神がよく知られているわけではない教育基本法を、です。教育基本法には、先にもお話しました格調高い「前文」と、あと「附則」があるんですけども、そこを除きますと、全部で10条です。10条しかありませんので、一つ一ついきましょう。

(1)第1条(教育の目的)
「人格の完成」  
「平和的な国家及び社会の形成者」 
      当たり前の規定なのか?むなしく響いてしまう逆説!

 第1条、教育の目的というふうにありまして、ここで戦後の日本の教育は、戦前の教育のように、あの戦争に国民自らが突っ込んでいくような、天皇のために死んでいくことを価値とするような、そういう人間を育てるのではなくて、どういう目的のもとに行われなくてはいけないのかということを、高らかに宣言しています。
 「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行なわれなければならない。」
 ちょっと一文が長いですし、漢字もたくさんあります。ぱっと読んで、「あっ!そうか」と思うかもしれないですし、「なーんだ」というふうに思うかもしれないです。ただ、いま言ったような大きな流れの中で言うと、戦前の日本の教育は、「国家須要の人物を育てる」というのが、目的だったんですね。法令上もそう書かれていました。国家が必要とする人間を育てるのが、戦前の日本の教育であった。そのことと照らしあわせて、この第1条を読んでいただきたいのです。戦後の日本の教育は、ここにあるように、人格の完成をめざす、国が必要とする人間を育てるのではなくて、個人としての子どもたち一人一人の人格の完成をめざすのだということが、きっぱりと宣言されているわけですね。
 それからもう一つ、ぜひ注目しておいて欲しいのが、「平和的な国家及び社会の形成者」を育成するという観点なんです。この「形成者」というところが、ポイントです。「形成者」とは何かというと、単なる国家及び社会の「一員」ではないということです。単に国に使われたり、国のために奉仕する人ではないということです。「形成者」というからには、日本という国家及び社会の担い手であり、それを作りげげていく主体です。主権者ということですよね、言い方を変えれば。だから、戦前のように国が必要とする人間を育てるというところから、そうではなくて、個人の「人格の完成」をめざすと同時に、国や社会を作っていくその担い手、形成者、主権者を育てるんだ、それが教育の目的なのだというふうに、戦後の教育の目的は大転換したわけですね。
 ここのところは、たとえば今の大学生などに話をすると、「当たり前じゃん」という反応が返ってくるんですけれども、でも、それでは実際の日本の教育は、これまで子どもたちを単なる国家・社会の一員ではなくて、形成者として育ててきたか、あるいは子どもたちを単なる学校の一員にするのではなくて、学校を作っていく形成者にしてきたか、と問うてみれば、実は、そういうふうにやれてきていないわけですよね。
 先ほどから話に出ている教育改革国民会議などは典型的ですが、今の子どもたちは欲望だとか、個人の願望だとかばかりが肥大化して、自己中心的になってしまっている。だから、もっと規律をきちんと身につけさせなければいけないし、社会性を身につけさせる必要がある。要するに、社会の「一員」としての自覚を持たせなければならないという議論をしているわけですね。教育改革国民会議が言っているのは、社会の「一員」を育てるということなんですよ。国家・社会のことを決めるのは、どこか上の方にいる偉い人たちであった、普通の人間は、その人たちが決めたことを守ればいい、そういう発想なんですね。 教育基本法は、ここが違うんです。社会の「一員」ではなくて、「形成者」を育てる。それこそが、教育の条理に照らしても、価値のある視点であることは確かです。これは、文字づらだけを見て、「当たり前じゃん」と思うのではなくて、私たちの社会は、本当に子どもたち一人一人を、将来この社会を担っていく主体として、主権者として、形成者として認めて、育ててきたかということが問われる、そういうものとして読んでいく必要があるのだと思うのです。
 「子どもの権利条約」が成立した時に注目されたのも、実はここなんですよね。「子どもの権利条約」には、もちろんたくさんの条文がありますが、一言でいえば、その全体を貫いている思想というのは、こういうことですね。今までの大人たちは、子どもという存在を、保護したり、監督したり、指導したりする対象として見てきたけれども、それだけではないんだ、子どもといえども、一個の独立した主体であり、保護されたり、監督されたりするだけではなくて、一人の個人として市民的な権利も持っているし、自由も持っているし、それこそ国家・社会を担っていく力も持っているんだ、ということです。そのことを高らかに宣言しているのが、子どもの権利条約なのです。
 そうだとすると、実は日本では、子どもの権利条約が入ってきて、初めて子どもも主権者であるとか、主体であるという考え方が生れたのではなくて、教育基本法そのものの中に、そうした教育思想は、きちんと位置づいていたわけですよね。だから、これは本当にぜひ活かしてほしい視点なのです。たとえば学校であれば、これまでの日本の学校は、子どもたちを学校の「一員」として扱って、決まりだからこれは守れ、といった要求をしてこなかっただろうか? 学校の「一員」ではなくて「形成者」なのだとしたら、学校でやることについては、教職員も子どもたちもいっしょになって決めていこう、というスタイルこそが本筋なわけですよね。こうしたことを点検していく際に、この「教育の目的」についての教育基本法の規定は、具体的に活かしていくことができるんです。こうした観点に立って、今こそ日本の教育や学校を変えていく、そのときの発想の原点、それこそ今日のお話の最初に申しました「座標軸」として、この第1条というのは、今でもその有効性を失っていないというのが僕自身の思いなのですが、いかがでしょうか。

(2)第2条(教育の方針)
   「あらゆる機会に、あらゆる場所において」 →第7条(社会教育)
   「学問の自由を尊重し」 →憲法23条、誰にとって必要か?
      生涯学習の先駆的理念

 「教育の目的はあらゆる機会にあらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには学問の自由を尊重し、実際生活に則し自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって文化の創造と発展に貢献するよう努めなければならない。」
 第2条は教育の方針とあるように、第1条で定めた教育の目的が、どういうふうに実現されなければならないかという、その方針を定めた条文であると位置づくものです。一番大事なところが、「あらゆる機会にあらゆる場所において実現されなければならない」と書いてある、ここなんですね。
 後で第7条のところで社会教育が出てきますが、社会教育を含めて、家庭教育においても、企業などが行っている企業内教育においても、ということは実は、子どもの教育だけではなくて、大人の教育や大人たちの自己教育についても、第1条に規定したような教育の目的が追求されなければならない、とそういうことを定めているのです。往々にして、教育基本法に定められている教育の目的というのは、学校教育の中だけにとどまるものだみたいに思われがちなのですが、そうではないんですね。地域で営まれている子育てや教育、あるいは家庭で親が行なう家庭教育、それだって、やはり第1条の目的に照らして、それぞれの場所において、行われるべきであるということを高らかに宣言しているわけです。
 教育基本法を改正したほうがいいという論者の中には、教育基本法には生涯学習の観点がないではないか、と言う人がいるんです。でも、「嘘言うなよ、教育基本法をよく読んでみなさい」と、言いたくなります。良く読めば、生涯学習という言葉じたいはもちろんないのですが、言葉そのものはその後に生れたものですから当然ですが、けれども教育基本法の精神においては、教育は、あらゆる機会・あらゆる場所において、つまりは生涯を通じて行なわれていくものであり、追求されるものなんだ、ということはきちんと謳われているわけですね。
 ついでに言いますと、この第2条に関して、「この目的を達成するためには学問の自由を尊重し」とありますね。この「学問の自由を尊重し」というところも、すごく大事なところだと思います。戦前の日本であれば、学問の自由というのは非常に曲解されていて、帝国大学などに勤める一部の研究者、学者以外には認められていなかったわけですね。だから、戦前の日本の教育というのは、学問的な成果に基づく真実を子どもたちに教えていたわけではないんです。たとえば国史の教科書には、学問研究の世界での日本史の研究書ではあきらかに「嘘だ」と言われるような神話やいろいろな史実が、子どもたちに教えるべき教育内容として教科書に載っていて、それが教えられるということが平気で行われていたんですね。そういう不幸な歴史が、日本という国の戦前の教育にはあるのです。
戦後にできた教育基本法が、あえてここに学問の自由ということを入れたのは、教育という営みは、何よりも学問研究の成果に則ったことを教えなければいけないという、そのことを言っているわけですね。憲法23条が、学問の自由を規定していますが、その精神を教育の場面でも保障しようとしたということでもあるんです。
 とすると、なんですが、この学問の自由は、誰が持つべきかと教育基本法は考えているかといえばと、決して学者とか研究者だとか、そういう人だけではないですよね。一人一人の教師、一人一人の地域で実践を行なっている教育者、一人一人の親が、学問の自由を持たなければいけないということを言っているんですよ。教育の方針は、あらゆる機会、あらゆる場所における方針が書いてあるわけで、その際に学問の自由が大事だということは、教師たちも親たちも地域で教育に携わる人たちも、みな自らが学問研究の主体になって、そして真実に基づいて子どもたちに教える、そういうことでなくてはいけないということなんです。
 今の日本では教科書検定のような制度があって、何が正しくて、何が正しくないかということを国が決めようとしていますけれもど、戦後の当初は、教科書検定制度などというものは無かったんですね。先ほどお話をしました、「憲法=教育基本法体制」捻じ曲げの歴史の中で、途中から出てきたのが教科書検定制度です。もともとの教育基本法の精神から考えれば、教科書は自由発行・自由採択を基本とすべきであって、そのかわり一人一人の教師や親、教育者たちが、自らの学問の自由に基づいて、自らの教育的な見識と良心でもって教科書を選択するということで良かったはずなんです。
 

(3)第3条(教育の機会均等)
   教育を受ける権利(憲法26条)を誰がどう保障するか
   「ひとしく、その能力に応ずる教育」
     「発達の必要に応じた教育」をどの子にも保障する

 「すべて国民は等しくその能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければいけないものであって、人種・信条・性別・社会的身分・経済的地位または門地によって教育上差別されない。
 国および地方公共団体は能力があるにも関わらず経済的理由によって就学困難なものに対して、奨学の方法をこうじなければならない。」
 第3条は、教育の機会均等とあるわけですが、実は憲法の第26条には、「すべて国民は・・・・教育を受ける権利を有する」という規定があります。憲法第26条の「教育を受ける権利」というものを前提にして、その一人一人の国民が持っている教育を受ける権利を、誰がどういう仕方で保障するのかということを定めたのが、この教育基本法の第3条です。国及び地方公共団体が果たすべき役割が何であり、その際に差別などがあっては絶対にいけないということを規定してるわけです。
 この第3条において従来注目されてきたのが、この「等しく、その能力に応ずる」という文言なんですね。「等しく、その能力に応ずる」教育を受ける権利、あるいは機会というのは、いったい何を意味しているのだろう、ということで議論が交わされてきました。 ここで、仮に文字づらだけを追って、変なふうに読めば、教育基本法が保障しているのは、「能力に応ずる」教育なんだから、能力の高い子どもにはたくさん良い教育を与えて、能力があんまり高くない子どもにはそれなりの教育でいいんだ、というふうにも読まれかねないわけですね。けれども、教育が権利であって、国民一人一人に権利として保障されるべきものだと考えるとすれば、それぞれの能力に応じて異なる教育を与えればいいという解釈は、やはりどう考えても、憲法や教育基本法の精神全体とは合わないのです。
 ですから、こういう点も含めてこの条文をどう読むかということは、戦後の教育研究の中でもかなり論争的に議論されてきました。しかし、ほぼ現時点での研究の到達点として言えば、この「等しく、その能力に応ずる」というのは、それぞれの子どもの「発達の必要に応じた」教育を、どの子にも等しく保障するという、そういう意味なんだというふうに理解できるし、そう理解しなくてはいけないのだろうと思います。「等しく」というのは、どの子にも平等にという意味で、だから能力が高い子にはたくさんの教育が保障されて、低い子にはそれなりの教育で良いなどということは絶対にないということですね。と同時に、「能力に応ずる」という意味は、能力別に分けていいという意味ではなくて、一人一人の子どもには、その子に即した発達の必要というものがあるもだから、その必要に応ずるだけのものを保障しなければいけないという意味です。
 こういう観点で今の日本の学校教育を見ると、いろいろんことが見えてきます。文部科学省は、現在、習熟度別学級編成の導入ということを、ものすごく熱心に進めようとしているのですが、それはまさに能力別にクラスを分けて、教えてもいいですよという話ですよね。これははたして、教育基本法第3条の精神に抵触しないのだろうか。もちろん、子どもの必要に応じて、教える際の集団を分けるということはありうることですが、それを学級編成として固定してしまってよいのかどうか。
 あるいは、「飛び入学」という制度が、数年前にできました。今の日本では、ごく一部のエリート青年はですね、高校2年生を終えたら、17才で大学に行って、そしてその大学も3年で卒業することが可能で、さらに大学院に行くことまでできるようになりました。ちょっとどうなんでしょうか。この第3条の精神に照らして、慎重に考えてみなくてはいけない問題だと思います。

(4)第4条(義務教育)
   教育を受ける権利(憲法第26条)を保障する学校制度
   義務教育の無償
     「義務教育」の意味の転換

 「国民は、その保護する子女に、9年間の普通教育を受けさせる義務を負う。
 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。」
 第4条も、先ほどの憲法第26条の「教育を受ける権利」を保障する義務教育というものについて定めている。そして、義務教育は無償である、ということ。これは、憲法にも書いてあるんですが、そのことを規定しています。
 この条文にかかわっては、ともかくも「義務教育」という言葉にはなっていますが、その場合の「義務」ということの意味が、戦前と戦後の日本では180度変わったんだということをきちんと踏まえなくてはならないんです。戦前の日本人にとっては、三大義務というものがありまして、国民はそれを国家に対する義務として負っていました。一つが、納税です。二つめが兵役、そして三つめが教育だったわけですね。つまり納税、兵役と並んで、教育は国民の義務だったというわけです。だからこそ、戦前の教育の目的は、もともと国にとって必要な人物を作るということだったのです。そういう意味での義務教育が、戦前の義務教育です。まさに子どもたちにとってみれば、行かなければならない、嫌でも行かせられる教育でありました。
 しかし、ここが重要なんですけれども、戦後の、すくなくとも「憲法=教育基本法体制」のもとにおける義務教育というのは、その意味が違うんですね。子どもたちが持っているのは、あくまで教育を受ける権利なんです。学習への権利なのです。それでは、誰が誰に対して義務を負っているのかというと、子どもたちが持っている教育への権利に対応して、親や保護者や社会や国は、そういう子どもたちの学習権を保障してあげる義務を負う、そういう意味なんですね。だから、義務教育の「義務」は、戦前の国民の義務としての義務から、むしろ国や社会は子どもたちにたいして権利を保障してあげる義務を負っているという意味へと、本当に180度変わったということがあります。このことを宣言しているのが、この第4条でもあるわけです。このあたりのことは、十分に押さえておいていただきたいと思います。

(5)第5条(男女共学)
   両性の平等(憲法24条)の精神の実現
      家庭科男女共修の実現 →技術科は?

 「男女は、互いに敬重し、協力しあわなければならないものであって、教育上男女の共学は、認められなければならない。」
 この第5条の規定も、いまの大学生などに言わせると、「ふん?」といった感じで、「今さら何を言ってんの?」というふうに受けとめられてしまうのですが、しかし、考えてみるべきは、戦前の日本の学校教育というのは、別学の体制だったということです。基本的に、男女別学の体制がとられていて、だから女子の進む進路と男子の進む進路とは、学校体制としても違っていました。いわゆる旧帝大までは、途中から女子の入学を認めた大学もあったのですが、基本的には女性たちは進学できなかった。そういう、ある意味で差別的な学校制度が、平然と存在していたわけです。
 けれども、戦後はそうではない。男女平等の精神と、男女はお互いに敬重して協力しあわなければならない、という理念が謳われ、そしてそのことを実現するための教育の体制としては、男女共学ということを原則にする、ということが定められたわけですね。ただし、そうだとしたら、今だになぜ女子校が残っているのかとか、もちろん男子校の存在も同じですが、あるいは少なくとも国立大学や公立の高校で、女子校という存在は、どうなのか。教育基本法の精神に照らして、どうなのか?ということは、つねに議論になるところではあるんですね。ただまあ、もともとの経緯ということはありますし、教育基本法の規定には「共学は認められなければならない」とあるんであって、別学が違反であるとまでは書いていないということもあります。要するに、大事なのは、男女がお互いに敬重し、強力しあうことができるように子どもたちを教育するということだというわけです。ただ、公立高校で長らく女子校でやってきた学校が、いま現在、共学に転換しているといった事例も福島であるとか秋田であるとかという地域で、出てきているということはあります。
 ちなみに言いいますと、教育基本法の規定は、男女共学にしぼられていますが、ここに盛られている精神は、もちろん男女平等の教育を進めるという点にありますので、その点を根拠にしながら、たとえば男子と女子で教育課程やカリキュラムが違うのはおかしいではないかという議論にも、当然つながってくるわけですね。家庭科については、小学校は別として、中学・高校においては女子のみ必修という制度を、実は日本はずーっと取ってきたわけなんですね。それがようやく、現行の学習指導要領の段階は解消されて、男女共修になりました。こうしたことなども、実際には女子差別撤廃条約に批准するということが大きなきっかけになったのですが、実は教育基本法の第5条の精神からも当然でてくるはずのことなのです。
 もうひとつ言えば、問題は本当はカリキュラムだけではないということもあります。学校の中での男女のバリアというか「壁」というのは、本当に見えないものとして存在していて、一つわかりやすいのは、たとえば大学進学率です。今では大学進学率というと、男子よりも女子のほうがちょっと上なんです。けれども、短大という制度が、日本にはあります。短大は、圧倒的に女子学生の比率が多い大学です。だから、四年制大だけで統計をとると、明らかに男女の格差は、いまだに存在しているわけです。別に僕は、短大はいけないとか、四年制大学よりも劣るとか、そういうことを言いたいわけではないんですけれども、しかし四大と短大の男女の進学率が、ごく自然に二分してないということは、やはりどこかに、性差によるバイアスがかかっているのではないかということなんです。
 そういうちょっと見えにくいことではあるのですが、たとえば同じ大学だとしても、あるいは高校でもそうなんですが、理科系の学部や学科を選ぶ女子学生はすごく少ないですよね。高校の選択の授業で、数学や理科を喜んで履修する女子生徒は、男子に比べれば少ないわけですね。これは、男女の生れつきの特性として、男の子が理系的な方向を選んで、女の子が文系的な方向を選ぶ、ということではないですよね。そうではなくて、やはり日本社会にはまだまだ、「ジェンダー差別」と言う言い方もあるのですが、ある種のジェンダー(文化的な性差)によって男女が異なる選択をするということが残っていて、そのことが学校教育にも強い影響を及ぼしているということがあるのだと思うのです。
 だから、男女はお互いに敬重しあい、協力しあわなければいけないというふうに、本当につきつめて言うのであれば、学校の文化がごく「自然」に持ってしまっているそういうジェンダー・バイアスのようなものをどうするかということろまで、議論が進まなければいけないということになると思うんですね。男女の共学は、戦後の教育制度の中ではほぼ実現してきたから、もう大丈夫だという話ではなくて、この教育基本法第5条の精神というのは、本当に押し広げていけば、もっともっと学校教育の隅々のところにまで、本当に現在のやり方でいいのか、という点での問い直しを迫るものであるんだと思います。
 名簿なども典型的ですよね。今ではすでに混合名簿の取り組みが始まっていますが、少し前までは、どこの学校でも、男の子の名前が最初に並んでいて、女の子が次に来るというふになっていました。僕は大学の教員ですけれども、講義の受講者名簿か何かを見ていて、それが男女別々に名簿として並んでいたら、ぎょっとします。でも、そういうぎょとしてしまうようなことが、少なくとも小学校・中学校・高校においては、戦後50年間、ある意味での習慣として続いてきたということがあるんですね。

(6)第6条(学校教育)
   「学校は、公の性質を持つもの」
   「教員は、全体の奉仕者」  →第10条(教育行政)
      公とは?(設置主体or公共的性質) →教員の身分保障の根拠

 「法律に定める学校は、公の性質を持つものであって、国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる。
 法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、待遇の適正が、期せられなければならない。」
 第6条は、主に学校教育について規定しているものですが、学校は公の性質を持つということをきちんと位置づけている。学校において、ある意味での偏った教育やを手前勝手な教育をやってもらっては困る。学校は、社会公共のためにあるものだということを規定しています。と同時に、学校が公共的なものだとすれば、当然その学校の教員は、全体の奉仕者としてつとめなくてはならないということを規定しています。
 この点は、教育基本法の第10条とも関わるんですが、非常に大事なところで、教員はもちろん身分を尊重されなければいけないですし、学問の自由が保障されなければいけないということがあります。しかし、学校の教員が何のために身分を保障されたり、学問の自由を保障されるべきかというと、それは、学校の教員というものが、子どもたちの学習権を保障する責務を負っているからなんですね。教員は、個人としてそういう権利を保障されているのではなくて、まさに国全体で子どもたちの学習権を保障しましょうとしている、そういう体制の下で、その子どもの学習権を具体的に保障してあげる責務を直接に負っているからなんですね。そういう大切な責務を持つ者に対しては、横から変な投げ槍が入ったり、身分が不安定であったり、そういうことでは困るだろう、きちんと自立的に仕事をしてもらうための身分保障が必要であろう、そして学問の自由も保障されて、そこで真理を探求する姿勢に基づいて教育をしてもらはなくては困るだろうという、そういう関係になっているわけです。

(7)第7条(社会教育)
   「家庭教育及び勤労の場所その他社会において行なわれる教育」
      教育を受ける権利は、学校に限らない→生涯にわたる学習への権利

 「家庭教育及び勤労の場所その他社会において行なわれる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。
 国及び地方公共団体は図書館、博物館、公民館等の施設の設置、学校の施設の利用その他適当な方法によって教育の目的の実現に努めなければならない。」
 第7条には、社会教育というタイトルがついてます。が、出だしの文句を見ればわかるように、「家庭教育及び勤労の場所その他社会において行なわれる教育」とありますね。これは狭い意味での社会教育、公民館とか児童館とかという場所で行われる教育だけではなくて、家庭教育やいろんなところで行なわれる教育、それこそ学習塾で行なわれる教育なども含んで、規定しているわけですよね。学校以外の場所で行われる教育というふうに、逆に言ってしまった方がわかりやすいかもしれません。ともかくも、そういう学校以外のところで行なわれる教育についても、国や地方公共団体が積極的に奨励しなければいけない、条件整備をしていく必要があるということを定めているわけです。
 こうした責務を現在の国や地方公共団体は、本当にきちんとはたしているのかということをうんと問い詰めなきゃいけないと思います。公的な公民館や児童館、青少年センターといったところでさえも、この間の社会教育関係の予算削減や「民活」路線のもとで、かなりががたがたに削られてきている。本当にひどいことが行なわれているんです。現在起きていることは、この教育基本法第7条の精神からすると、明らかに逆行なんですよね。本来は、学校外の教育につても、それを奨励して、適当な方法によって目的の実現に努めなければいけないはずの国や地方公共団体が、現在はそういう責務を放棄してしまって、お金はなるべく出さない、人はなるべく出さないという方向に進んでいるのです。

(8)第8条(政治教育)
   主権者を育てる教育〜「政治的教養」
   教育の政治的中立 
      政治的中立と、政治的争点を扱わない、の違い 

 「良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。
 法律に定める学校は、特定の政党を支持しまたはこれを反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。」
 戦後の日本の教育は、先ほどお話しましたような意味で、「平和的な国家及び社会の形成者」、主権者を育てるというところに目的がありましたから、この第8条の第1項は、主権者を育てるためには当然必要となる政治的教養について定めています。政治的教養の形成は、教育において何より尊重しなければいけないということです。続く第2項は、いくら政治的教養の教育が必要だとしても、公教育の学校ですから、その学校が特定の政党だとか政治的な立場を代弁したり、応援したり、逆に批判したりしてはいけない、ということを規定しています。これは、ある意味では当然のことですが、第2項は政治的中立性についての規定ということになります。
 それで、実はこの第8条というのは、今日の日本の教育を考える時には、すごく大事な条文であると僕自身は思っているところがあるんですね。要するに、戦後の日本の学校教育は、この第8条の第2項の方、政治的中立性ということには、ものすごく神経質になってきたのだけれども、はたして第1項の方の子どもたちの政治的教養をきちんと育てるということをやってきたんだろうかという疑問なんですね。やっぱり、やれてこなかったというふうに思うんですね。
 もちろんそれは、教育行政や文部省の姿勢にも、責任があるんです。けれども、学校としても、きちんとやって来なかったということがあるんじゃないか。どうも、政治的中立性を保つということは、政治に関わりのある事柄については、学校や授業のなかで触れてはいけない、というふうに思っている学校の先生というのは、実は多いんだと思うんですね。でも、そうではないはずですよね。政治に関する事柄に触れなければ、子どもたちに政治的教養なんか身につくわけがないんですよ!いま現在、社会的な争点になっていたり、争いごとになっていることについても、授業の中でもっと積極的に触れるべきなんではないでしょうか。授業のなかで扱う際に、教師がこっちの立場の方が良いですとか、正しいですと言うのは、もちろん政治的中立性に反することになるかもしれません。けれども、社会的争点について授業で振れたうえで、どう考えますかと、子どもたちにその問題に向き合わせることは、これはぜひともやらないといけないのではないか。そうでなければ、政治的教養なんて身につくはずがないではないですか。
 往々にして日本の戦後教育というのは、政治的争点になりそうなことは避ける、みたいな傾向がすごく強かった。公害の問題にしても、原子力の問題にしても、いろいろな問題が、教科書などにもちょこっとしか載っていなかったり、あるいは載らなかったりするということが続いてきたんですね。でも、本当はそれではいけないと思うんですよ。アメリカの学校などを見ていると、政治的教養についての教育は、すごく重視しています。盛んです。たとえば、ついこの間、大統領選挙がありましたよね。そうすると、「今度の大統領選挙で、君たちならどっちに投票する?」といった議論を、授業でやらせるんですよね。もちろん先生は、自分は民主党の支持者だとか、共和党の支持者だとか、あるいはそれを生徒に押しつけるようなことを言ってはいけない。だけれども、「君たちはどう考えるか?」は、当然問いかけていいわけですし、なぜそう考えるのかを、それこそそれぞれの候補が公約にしていることなどに照らし合わせながら、論理的に子どもたち自身に議論させたり、自分の考えをまとめるさせたりする、こういうことは、堂々とした教育的な営みなんですよね。
 だって、具体的に争いごとがあることを通じて思考を鍛えなければ、政治的な判断力なんて、つくわけがないじゃないですか。これはちょっと政治的なテーマだから、君たちは知らないで良いよ、なんて「真空状態」に子どもをおいてやっていて、子どもたちが本当に主権者に育つのでしょうか? そういう問題なんですね。ここは、今日本当に声を大にして、お話しておきたいところでした。

(9)第9条(宗教教育)
   宗教的寛容の精神
   特定の宗派教育の禁止
      宗教系の私学?私学助成の根拠

 「宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。
 国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。」
 第9条は、宗教教育に関する公教育の学校としての原則を定めたものです。公教育の学校が、宗教教育そのもの、特定の宗派の教義に基づくような宗教教育をやることはできませんが、宗教に関する寛容の態度を育てるために、宗教に関することをそれこそ授業で扱ったりしても、それは構わない。構わないどころか、宗教についてのきちんとした理解は、教育上尊重しなくてはいけないということです。
 そういう意味で言えば、。先ほどの政治的教養の問題と同じで、宗教ということじたいについて、いつも避けてしまうといった教育実践をしていると、それこそ宗教的な寛容の態度も育たないということがあるわけですね。むしろ、宗教についても、いろいろな考え方があって、それはお互いに尊重しあわなければいけないということを教えるのは、学校教育の大切な役割でもあるということです。
 ちなみにですが、宗教系の私学というのが、日本にもありますよね。カトリック・ミッション系の学校とか仏教系の学校とか。それでは、そういう学校はどうなんだ、ということにもなるわけです。内部の実態を僕自身が調べたわけではないので、自信を持っては言えませんが、そういう宗教系の学校には、「宗教の時間」とか礼拝の時間などがあるんです。が、一応そこでの「宗教の時間」というのは、カトリック・ミッションの学校ならカトリックの教義そのものを教える時間としてあるのではなく、宗教的情操一般を教えるといることになっているわけです。法の精神と建前のうえでは。そうであれば、学校が公の性質を持つということにも抵触しないというふうに理解できるわけですね。
 もちろん、そういう特定の宗派が、自分たちの後継者を育てるとか、お坊さんを育てるとか、神父さんを育てるとかという必要は、当然あるわけですよね。ですが、そうした特定の宗教教育を行うための学校を作る場合には、それは学校教育法の体系には入らない学校、つまり公教育の学校でない学校を作ればいい。そういうことなのです。しかし、公教育に位置づく私立学校を作るのであれば、その場合には、それが宗教系の法人の学校であったとしても、宗教一般に関わる情操を教えるのみにとどめるべきだということです。
 だからこそ、私学助成などは、そういう宗教系の私立学校にも、国民の税金から支払われているんですね。そういう意味で言えば、公教育というと、何か公立学校だけを思い浮かべる方がいるかもしれないですが、それは違うんです。私立学校も公立学校も全部合わせて、公教育です。だからこそ、私立学校も含めて、学校は公の性質を持つわけですし、私立学校の教員もまた、全体に対する奉仕者でなければいけないんですね。

(10)第10条(教育行政)
   「国民全体に対し直接に責任を負って」
    条件整備としての教育行政
      教育の住民自治
      学校と教師の教育権限の自律性
                          
 「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行なわれるべきものである。
 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行なわれなければならない。」
 有名な第10条です。前半の方の、教育は「国民全体に対し直接に責任を負って行われる」というこの観点は、決定的に大事なことだと思います。要するに、教育という事柄に関しては、議会制民主主義といえばよいでしょうか、間接民主主義というべきでしょうか、選挙で選ばれた代表が国会で決めたのだから、こういう方針で行きます、みなさん従って下さいという、そういう中央集権的な仕組みを通してではなくて、直接に国民に責任を負えるような形で行われるべきだと規定しているわけですね。
 何らかの形で、学校や教師が行う教育実践が、直接に子どもや親や地域の住民に対して責任をもって行われるような仕組みを作りあげていくことが求められたのです。だからこそ、すでにお話をしましたけれども、地域住民の選挙で教育委員を選ぶというような公選制の教育委員会というのが、戦後にはできて、現在のような文部省−県教委−市教委といった集権的な上意下達の仕組みの末端に位置づく行政機構となる、そういう教育委員会ではない、かなり自立的な権限を持った教育委員会が成立したわけですよね。もちろん、そこは、もう戦後の歴史のの中で変質しまったわけですけれど。
 けれども、この教育基本法第10条の精神は、たとえ公選制の教育委員会が廃止されてされてされてしまったとしても、やはり今日の教育と教育行政のあり方を考える際には、指針とされるべきものですよね。端的に言えば、第10条の精神からすれば、学校が「上」の方ばかりを向いて、上から決められたことを、ただこなしていけばよい、などと考えていたとすれば、それはとんでもないことですね。学校は、直接に子どもや親や地域住民の方を向いて、その人たちに直接に責任を負うような教育を営んでいく役割を担っているのですから。もちろん、これは教師も同じです。
 また、教育行政のあり方についても、後半の方で明確に規定されていますよね。教育行政は、「教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行なわなければならない」。要するに、国をはじめとする教育行政がやるべき仕事は、何よりも教育に必要な諸条件の条件整備なんですね。条件整備をすることが、教育行政の主たる任務であると明記されているんです。それなのに、日本の戦後の教育史を振り返ったとき、教育行政は本当にきちんと教育条件の整備という仕事をしてきたんだろうか。あるいは、条件整備という任務を超えることをしてきていはいないだろうか。学習指導要領のようなものを作って、そこには法的拘束力があるという主張をして、そして教科書検定を厳しくする。そうやって、教育条件ではなくて、教育の中身までを含めて、すべて国が決めてこようとしてきたという側面があるように思うんですね。この間の規制緩和・分権化の流れのなかで、少しだけゆるくなりましたが、やはりちょっと変だぞという感じが、この第10条などに照らしてみると、どうしてもしてしまうんですね。
 学校と教師は、もっともっと自立的な権限を持って、そして直接に子どもや親や地域住民に責任を負うような仕方で教育を行なう。教育行政は、自らが教育の中身に首を突っ込んだり、それを統制したりしようとするのではなく、学校と教育を励ますための条件整備の任務をまっとうする。これが、教育の原点であるし、学校運営の仕方としての基本なのではないでしょうか。少なくとも、第10条が想定しているのは、こうした教育と教育行政の姿であるはずです。現状がそうなっていないのだとしたら、そのことこそが問題とされなくてはなりません。


 さて、こんなふうに教育基本法の内容を、少しくどく感じられたかもしれませんが、第1条から第10条まで見ていただきました。これらの条文をよく読んで、よく吟味したうえで、本当にこの教育基本法に問題があるから、今の日本の教育がだめになったり、子どもたちがわがまま放題になってたりしている、などということがあるのかどうか、考えていただきたいと思うのです。
 いま日本社会のなかでは、教育基本法の改正ムードがにわかに高まってきているわけです。でも、本当にそれでよいのか。本当に、そんな必要があるのか。これだけは、雰囲気やムードに流されるのではなく、僕たち一人一人が、自らの責任で判断をしていかなければならないのではないでしょうか。今日のお話が、みなさんがそうした判断をされる際のお役に少しでも立てれば幸いです。僕の方からの話は以上ですが、どうも長い時間、有り難うございました。

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