※※ 実は、9月のはじめに、1週間ほどの「香港ツアー」に参加してきたのです。大学の同僚の笹川さんが、学生を募集して連れていくという企画を立てたていたところに、まんまと便乗。いやはや貴重な経験をしました。以下の文章は、そのときのメンバーで作成した『帰国論集』に投稿したものです。


            Hong Kong in 1999
                                          

▽ 第1日(9月9日)

 【出発】朝5時に起床。6時にタクシーで京成上野駅へ。スカイライナーに乗車中。わぁー眠い。 

【成田空港】7時半すぎには空港着。8時集合のはずが、誰もいない。いやいや、実は、待ちあわせの場所がわからないのだった。出発ロビーを2周ぐらいして、途方に暮れていたのだが、どことなく「女子高生」風のグループを発見。大当たり! 笹川さんは、堂々と30分程度の遅刻。岡田がついに来なかった(と思ったら、先にチェックインしていやがった。あいつも大物だ。だいたい、この二人、結構似ているところがある。)
 
【香港到着】とにかく無事、到着。空港では、喫煙所を見つけるのにすごい苦労。なんか、先が思いやられてしまった。おまけに、ドアのところには、拉致の「拉」って書いてあったし。 空港じたいは、できて1年ばかりのだそうで、確かにきれい。それ以前は、九龍にあったらしい。 【九龍駅】airport expressに乗り込んで九龍駅へ。なんかすごい揺れる。文字がうまく打てないじゃないですか。 途中の景色は、高速道路と高層の集合住宅が目についた感じ。九龍駅でマックを見つけて、日本にないメニュー品を試し買い。(結局、岡田→萩原と渡って食べれなかった) 【宿 Caritas Bianchi Loage】タクシーで宿舎へ向かう。さっそく少しぼられる。おいおい、とは思ったけど、宿舎の周辺一回りしても、67H$。日本のタクシー代と比べれば、はるかに安い。

 【チェックイン】チェックイン。萩原くんも合流。値段の割に、なかなかの部屋。日本でも高額とされている香港のホテル事情を考えると信じられないぐらい。Caritasで働いている笹川さんの知人のジェシカが来てくれていた。現在、4時半。 2時間ほど自由時間なので、周囲を歩いてみる予定になった。明日は、刑務所の見学ができることになり、ネクタイがいるらしい。探さなきゃ。

 【宿周辺の散策 女人街】笹川さんのみが、病院に出かける。それ以外のメンバーと周囲を散策。結局は、女人街まで足を延ばすことに。 雑多な店が、ぐちゃぐちゃになって、さながらアメ横か、あるいは秋葉原のジャンク街のようなイイ感じ。apple shopという店(ちなみに、BeatlesのApple Recordと同じマークなんだけど、なんか偽物っぽい!)で、ワイシャツとネクタイをゲット。安い安い。女人街では、ついつい、おもちゃ扇風機を買う。とにかく、おもしろそうな、笑えそうな、安物がたくさん並んでいる。ガイドに載ってる女性の下着のオン・パレードもあった。セブンイレブンで、タバコと水を確保。 どこを歩いていても、外国にいるような気がしないから不思議。ヨーロッパに行くと、自分が「お上りさん」だと痛切に感じさせられるのに。当たり前だけど、やっぱり僕って、Asianだったのだ。

 【夕食 ワンタン麺】宿に戻ってから、夕食へ。笹川さんのけがは、骨折と判明。なんか笑えない。夕食を食べに、近くのワンタン麺屋さんへ。 チンタオ・ビールにワンタン麺。麺は細く、歯ごたえ十分。かみ切れないぐらい?スープとエビ入りのワンタンは、おいしかった。やっぱり安い。 

【water front】その後、タクシーで water front にあるリージェント・ホテルへ。ラウンジでカクテル。これぞ百万ドルの夜景を見ながら、マンハッタンなんて、ちょっと出来過ぎ。なんか、ひたすら哲学科の学生の「奇妙さ」をしゃべてしまったような記憶があるが・・・・(小澤さん、ごめんなさい)。 ひとしきり飲んでから、水辺を散歩。Hong Kong Cultural Central。うーん。何とも気分が解放されますな。

 【今日の耳学問】@香港の学校での使用言語。 初等教育は、広東語。中等教育以上は、英語の学校と広東語の学校に分かれる。かつては割合的には半々ぐらいであったが、合併後、行政側は英語の学校を限定するとの方針を出した。これについては、親や市民の間で反発が相当に出たらしい。A香港の英語教室 かなり幅広くあるらしい。世代によっては、中等教育の普及率が高くなかったことにもよる。外からの流入者の需要はもちろんだが。

 【笹川ルーム】宿に戻ってから、笹川さんの部屋で談話。やっぱり興奮してるね、みんな。 

▽ 第2日(9月10日)
 

 【朝食】6時半ころに目がさめる。朝食は貧相だと脅されていたが、まあ普通のコンチネンタルだった。家に電話をして、もうすぐ出発。 

【移動】9時に、ロビーにKennieやジェシカをはじめとする成人教育センターの人達が迎えにきてくれて、出発。 集合に岡田・萩原組が遅れて来て、やや気まずい雰囲気に。笹川さんの顔も、いつになく緊張ぎみ(日本でも見たことない??)。 

【MTR(地下鉄)】地下鉄で移動。乗りかえを2回ほどで目的地の駅へ。 電車の中、Critasのセンターのうちのひとつで責任者をしているという若いスタッフ(名前が思いだせない)と会話してみた。いやぁー、久しぶりに英会話の、あの独特の身が縮むような雰囲気を味わう。 【刑務所の搬送車】目的地の駅に、刑務所からの迎えの車が来てくれて、山ごえ。やっぱり、遠いんだな、刑務所だけあって。それにしても、車の運転がすごい荒い。電車にしても、エスカレーターにしても、とにかく日本とは違って、ラフでスピーディ。 

【刑務所】緊張の一瞬。入り口でまずは、入念な対応。荷物をロッカーに預け、飛行機なみの金属探知機をくぐる。そして、パスポート・チェック。幾重にもなった監視つきの扉。なんか映画みたい。さすがに岡田以外の学生たちの口数は少ない。 副所長さんの話を聞いてから(広東語→英語→日本語という通訳は、3倍時間がかかる?)、監房へ。かなり厳格主義というか「矯正思想」のにおいが漂う。(まあ当たり前か?そういうところで、日々仕事をしてるんだから。でも、しばし、矯正と教育についてフーコーあるいは寺崎弘昭の論文に思いを馳せてしまった。)

 【Prison Mate】日本語を学ぶ人達と交流。重い刑(life sentence)の人が多いところだと聞いたが、若者が多い。だいたい中国系だと思うが、なかに違う移民系と思われる人もいた。日本のラブソングを聞くらしい。 でも、彼らが日本語を学ぶ理由って何だろう。終身刑の人が、日々の生活に意欲をもって向き合うって、どういうことなんだろうか。なんか、すごく哲学的なテーマが浮かんできた。

 【独房】その後、これまた異例のことらしいが、独房と図書室も見せてもらって退出した。ここの刑務所は、400人定員だが、現在700人ほどが収容されているという。スタッフは常勤だけで400人いるそうだ。考えてみれば、どんな教育施設や福祉施設よりも、スタッフが手厚いんだな、刑務所っていうのは。

 【飲茶】昼食は、出発した駅まで、再び刑務所の搬送車で送ってもらってから、Caritasの人たちと飲茶。 なんか、いいねえ。それにしてもデカいよ、このレストラン。でも、やっぱり、料理はおいしい。食べられないものはない。エビが絶品でした。総勢20名弱のテーブルというのは、なんかすごい。そういえば、今日はまだ出発以来、タバコを吸っていない。刑務所では、何とも思わなかったのに、ここでは、そのことに気づいてしまった。

 【成人教育センター】食後、再び地下鉄で移動。Caritasの成人教育センターへ。 4つのセンターを持っていて、それぞれ地域性も違い、異なるプログラムを持っているという。最初に訪れたのは、再雇用のための beautician の訓練、domestic house workerの訓練に力を入れているところ。責任者は、メリサという女性。どこもそうだが、責任者の年齢が若い。 二つめは、香港でも屈指の(と言ったと思う)貧民街にあるセンター。確かに周辺の雰囲気が違う。リタイアか失業中の人が道端にたたずんでいる。ここのセンターは、高齢者も多く、再雇用のための訓練ではないところに力点を置いているらしい。 parental training や中国からの移民の子どもの英語教室などもある。ちょうど授業をやっていたので、教室に入れてもらい、子どもたちと少しだけ交流。

 【LennieによるLecture】ほかの二つのセンターについては説明のみを受ける。(資料あり) 非常に興味深かったのは、義務教育後の中等教育4〜6学年をやっているというセンターの存在。いわゆるドロップアウト組が対象で、教育で力を入れているのは、accademicよりも discipline だという。 最後のひとつには、media education というプログラムがあって、(名前に惹かれたのだが)実質的には、スクーリング内容にあわせて電話での遠隔指導をやっているらしい。空港の整備員やガードマンの養成だとか。

 【公営住宅】帰り際に、スタッフのひとりのアリサの両親の家を見せてもらう。 香港の高層の公営住宅の36階。中は、けっして広くはない。2LDKという見当だろうか。工夫して住んでるということを、笹川さんが強調していた。集団でお仕掛けたので、管理人は警戒していたが、対応してくれた人達は、すごくあたたかかった。 ついでに、アリサのいとこの家も見せてもらう。なんかKennieたちがごちょごちょ相談して、電話などをかけていたが、すぐこうなってしまうところがすごい。香港の二つの顔のうち、とてもとても中国人というの方を感じる。(どうも感覚的には、階層が高いほど British の雰囲気があり、庶民はChineseというところなのかな。実際、タクシーの運転手などは、ほとんど英語が話せない。)

 【夕食 麻雀教室】夕食には、笹川さんが在外研究中によく行ったという店の中華のコース。プラス、麻雀教室とカラオケ。 料理は、昼の飲茶よりも本格的なもの。食べきれないくらい。3千H$でセットしてもらったとか。昼はCaritasの招待なので、こちらはわれわれの側が招くという形式。 チアー(乾杯)で一気飲みをする。麻雀のパイは、日本のよりもはるかに大きい。ルールも違うらしい。カラオケの曲は、すごく Chinese。日本の京劇みたいなのを、ジェシカが歌っていた。だいたい、中華料理の店で、食前食後に麻雀をやり、食べてる途中でカラオケをうたうというのは、すごい。というか文化の違いか。 やっとタバコが吸えた。うまい。これじゃあ、辞めるどころか、ますますハマること間違いなし。 

【帰宿】タクシーで宿舎に帰る。またまた、笹川ルームで飲む。今度は、午前3時だよ。でも、なぜか昨晩より学生の数が多い。みんなハイになっているんでしょうか。ようやく、学生たちの名前を覚えてきた。

 ▽ 第3日(9月11日

【出発】昨日より、ゆっくりめの10時集合で出発。地下鉄(MTR)でフェリー港へ。出国手続きをしてMacau Ferryに乗船。高速ジェットで、1時間のうちにマカオへ着いてします。入国審査を済まして、いざいざ。(実は、マカオのことは、カジノしか知らない典型的な日本人である自分に気づく。にわか勉強しとくんだったと後悔しきり。)

 【Bishop Palace】とりあえず、東アジア成人教育フォーラムでの笹川さんの知人であるロレンスに会いに、タクシーでBishop Palace に向かう。 実は、このあたりの予定が何も立っていないところが、いかにも笹川さん的。(太っ腹というか、楽天的というか。若い頃に、back-packer旅行をした時でさえ、前日には詳細な予定を立てていた僕としてはうらやましい限り。たぶん、血液型も違うんだろう。)

 【シスターと昼食】Palaceにつくと、ちょうど会議が終わったところで、ロレンスのみならず一緒に会議に出ていたシスターにも偶然出会う。昼食を食べる行くことになる。 次の観光予定のお寺Ma Kok Miuのそばのレストランで、ポルトガル料理を堪能する。これまた、なかなか美味。肉、魚、ポテト、野菜。シスターが同席してくれて、学生たちも盛んに質問をしていた。 僕としては、シスターが「Chicken ran away.」という冗談を言ったのにびっくり。もちろん、ごく普通の社交なのだと思うけど、日本で会ったことのあるシスター(クリスチャン系の養護施設などで)とは大違いだったので。

 【Ma Kok Miu】食後、Ma Kok Miuというお寺を見学。マカオで最古の寺院で、マカオという地名の発祥の地であるという。この日は、結構暑かった。階段を上りつめると、汗が出ます。

 【Maritime Museum】続いて、Maritime Museum へ。その名のとおり、海事関係のいろんな展示物があった。結局、シスターは、午後の会議をさぼって、こちらの方に全面的に付き合ってくれるような雰囲気に。笹川さんの人徳なのか、シスターの慈悲深さか。 それなのに、笹川さん曰く、「後は、シスターに任せとけばいいや。」これだもんなー! こういうところ見習いたいです、同じ大学の教員としては。でも、学生たちは、シスターを取り囲んで、いろいろ話しているみたい。なんか、イイ感じ。

 【市内見学】Museum の後は、シスターの案内で、マカオ市内を見学。 昨日と違って(昨日は、充実しすぎるぐらいスケジュールが過密だったという意味だが)、今日は、なんともゆったりとした気分でいい。 市内のバスを利用して、コロアン島の方に渡る。実はこのとき、なんとシスターの「顔」で、時刻表にはないはずの臨時バスが出てしまったのだ。すごい!

【海岸】バスは、市内を通って、ちょっとした山を越えて、海岸線へ。そこで降りる。海沿いにいかにもリゾートという別荘が数多く並んでいた。香港人が買うことをあてにして作ったらしいが、全部売れ残っているとか。バブルのはじけた影響なのでしょう。公園のようなところで、ちょっとばかし散歩。

 【St. Francis Xavier Chapel】しばらくゆったりしてから、聖フランシスコ・ザビエル教会へ。けっして豊とはいえないだろう街中にある、本当に小さな教会だった。風情はたっぷりだが。ちょうど夕方で暗くなってきて、ライトアップされた姿は、なかなかのものでした。

 【エッグ・タルト】さらに散歩をして、エッグ・タルトの店で、もちろんエッグタルトを買う。ついでにビールも。(やっぱり気分が解放されてるみたい) 焼きたてで、おししかったー。だがだが、バスへの移動中に、スラックスと靴のうえに落としてしまう。なんてこったい。

 【抗議集会】再びバスで市街の中心地に戻って、東ティモールでの騒乱(虐殺事件)に対する抗議集会を見学しようとしたが、すでにセレモニーじたいは終了していた。(シスターは、本当はこの集会の場にいなければいけない人だったわけで、申し訳ないことをしました。) ただ、会場となっていたSt. Paul's大聖堂の前には、まだ、残っていた人達がたくさんいて、少しだけ話を聞いたりする。会場全体には、ろうそくが灯されていて、余韻たっぷり。 シスターの真剣な話しぶり、悲しそうな顔が印象に残る。マカオには、かなりの数の東ティモー ルからの難民がいるらしい。自分の家族が行方不明という弁護士さんにも会って、話しを聞く。 日本人が来ているということで、わざわざ thank you の握手をしにきてくれた少年少女たちもいた。揺れ動く歴史の現場に立ち会うということ。大げさに言うと、「連帯」ということについて、いろいろ考えてしまった。

 【夕食】その後、やや遅めの夕食。中華系の普通の料理屋さんに行って、粥などを食べる。なんか庶民の味って感じで、グッドでした。粥というのは、油の多い中華のなかではありがたい存在なのだろうか。さらに、安いのにはもっと驚く。(もともとマカオは、香港に比べたら、はるかに貧しい国ではあるのだけれど。)青菜の炒めもの、魚のフライ。 シスターとは、ここでお別れ。なごれを惜しんで、路上で記念撮影が続く。とっても魅力的な人でした。

 【カジノ】最後に、すでに11時近くになっていたのだが、マカオのカジノへ。 やや緊張した面もちの一行。途中、ロシア人の売春婦と見られる女性たちを見かける。カジノはすごい賑わい。入り口で、荷物チェックと金属探知機をうける。半ズボンゆえに、入場を認められないヤツ(岡田)がいた。「これを楽しみに来た」とか言うわりに、この始末、笑える。

 【帰宿】結局、カジノでは30分ほど見学をして、またフェリーポートから出入国の手続きを経て香港へ。今度は、タクシーで直接宿舎へ到着。午前1時半。さすがに疲れる。 香港ってところは、端から端までタクシーで移動できることを知る。(とにかく、この旅行中はタクシーを頻繁に利用している。やっぱ、安いからか?) さすがに、この日は、笹川ルームでの飲み(談話)はなし。 

第4日(9月12日)

  
【Cultural Central】10時に出発して、タクシーでチムサーチョイの文化センターへ。飲茶をたしなむためでした。 10時開店だというのに、すでに店内はいっぱい(実は、笹川さんは11時開店と思っていた模様。ははっ)。でも運良く、窓側の席が空いていた。給仕さんが運んでまわるワゴンから適当に、選んで食べられる。周りを見ると、新聞や雑誌を読みながらとか、兄弟か親類が久しぶりに会ってとかいう雰囲気で、時間をかけて食べている。 (どうでもいいけど、女の子という生き物は、どうして最初からsweetを食べるんでしょ!?) 帰り際、受けつけを通ったら、ものすごい行列で、これには驚いた。 

【香港島】スターフェリー乗り場に行って、香港島に渡る。5分ちょっとで到着。 central の周辺を移動しながら散策。(この頃、安竹さんの調子が良くなくて、個人的にも、やや責任を感じ始める。) 
たまたま議事堂前でフィリピン人の女性たちの集会が行われていた。かなりの数。そして熱気。

 【Bayanihan Kennedy Town   Centre】名物のトラムに乗って移動。すごく時間がかかったが、街の雰囲気はよくわかった。バス停から歩いて Bayanihan Trust のセンターへ。 ここは、フィリピン人のdomestic worker たちの援助や交流を目的としたセンター。音楽、空手、料理、カトリック、ダンス、バレー、合唱、コンピュータ、服飾など、いろいろなクラブがある。職業技術、親睦、encourage といった目的だろうか。一通りのクラブの部屋を見せてもらい、歓迎を受ける。なかには、歌やダンスを披露してくれたところも(笹川さんが、リクエストしたという噂もあるが)。 所長さんが交代していて、最初、かなり緊張感があったが、見て回るうちに、とにかくフィリピーナたちの明るさには、脱帽でした。

 【夕食】近くの中華の店で、早めの夕食にする。ブタの丸焼きをスライスする姿を見学。ビールが出てしまった(いつも飲んでるじゃん!)関係で、長くなる。(御手洗さんの視線が、痛い。)

 【Victoria Peak】 タクシーでビクトリア・ピークへ。百万ドルの夜景を見る。なかなか見応えじゃあないですか。チムサーチョイの側からの眺めと、ちょうど逆側から見ていることになるらしい。すっかりくつろいだ気分の学生たち。 ピーク・トラムで降りて、バスでセントラルへ。タクシーで宿舎に帰る。 

【男人街】宿舎に戻ってから、男人街へ。笹川さんは、当初「なんでそんな所に行きたがるの?」という雰囲気ありありだったのだが、後で一言。「そういえば僕も、はじめて香港に来た頃は、ワクワクしながら、ここに通ってたことがある。」 初心忘るべからず。 30H$で、懐中時計を買う。おもしろそうなもの、怪しげなもの、海賊品ぽいもの等々が、低額で、ところ狭しと並んでいる夜店。こりぁーハマるよ、フツーは。 ストリートを抜けてから、屋台のようなところで飲むことに。メンバーは、笹川・岡田・橋本・赤羽と僕にしぼられる。(共通点は? 酒が好き??)。貝の味は、えもいえず絶品だった。これは絶対に、帰らないで得した。

 【笹川ルーム】店を出たのが午前3時であったにもかかわらず、再び笹川さんの部屋へ(なんで?)。最終的に就寝したのは、午前5時。どうしてこんな所に来てまでなのか?


   さてさて、突然ですが、この記録の掲載は、ここで打ち切りにします。 枚数が残っていないことが主たる理由です。が、第5日(9月13日)以降は、安竹さんをairport express の九龍駅まで送ってから先は、個人(グループ)行動を基本としていたということもあります。 本当は、第5日のショト・バー探訪とカラオケ店潜入は、記録にとどめたいところですが、もはや限界です。 「おまえ、いちおうは教員なんだから、もう少し別に書くことがあるだろう!」というご意見は、ごもっともですが、「そんなこと言ったって、スペースがないんだから、しょうがねえだろう。」と答えさせて頂きます。 最後になりましたが、この記録は、旅行中、パスポートよりも大事に携帯していた小型コンピュータ(HP200LX)で、そのつど書いていた記録文をもとに、帰国後、若干の字句修正等を行ったものです。 旅行中、笹川さん、学生の皆さんには、本当にお世話になりました。深く感謝します。









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