青年劇場公演 『殯の海』の紹介文を書きました



掲示板(コミュニケーション・ボード)にも書き込みましたが、

『殯の海』
 青年劇場・第78回公演
 4月12日〜23日
 新宿・紀伊國屋サザンシアター


というお芝居があります。
たまたま脚本を読ませてもらったのですが、内容的にも興味津々。
ぜひ若い人に観てもらいたい芝居です。


で、そのことの縁で、次のような推薦文を書かされました。
ご参考までに、どうぞ。



 仕事がら、若い人たちと接する機会には恵まれているのだが、時として、彼ら彼女らの歴史意識の希薄さに驚いてしまうことがある。これは、今どきの大学生たちが、歴史をあまりに知らないとか、勉強していないという意味ではなくて(実は、それもあるが)、彼ら彼女らの現実感覚(もっと言えば、生の感覚じたい)が、あまりに非・歴史的あるいは脱・歴史的に出来上がってしまっていることに驚くという意味だ。

 大学生たちの自己意識は、他者や社会的現実というものをストレートには入り込ませないための、幾重もの皮膜に覆われているように思えて仕方がない。だから、そうした他者や社会的現実というものが、実際には過去を背負いながら、未来に向けて変化しうる可能性を持った存在であるということを実感できないし、そもそもそれが、自分自身とも内的に関わりのあるものだとは感じられない。とすれば、講義の際などに「戦後生まれの君たちにも、日本人としての戦争責任はあるか?」などと問いを発したとしても、彼ら彼女らが(何の悪気もなく)キョトンとしてしまうのは当然なのだ。

 もちろん、そうした自己意識を包む皮膜をうち破ろうと、すでに行動をはじめている若い人たちがたくさんいることは承知している。また、今はまだ皮膜のなかに安んじているかに見える若者たちに対しても、そのことの責を彼ら彼女ら自身に負わせるべきだとは思わない。考えてみれば、これは、戦後の日本社会と日本人のメンタリティの、戯画的なまでの縮図なのだ。敗戦をいつの間にか「終戦」と言い換え、敗戦後、現在に至るまでの時期を本当の意味での「戦後」にすることのできなかったこの国の大人たち、そして今また軍靴の響きが密かに聞こえはじめているにもかかわらず、状況に対して頬被りを決め込んでいまっている大人たちには、今の若い人たちを嗤う資格はない。

 『殯の海』は、そういう現在だからこそ、多くの人たちに、とりわけ若い人たちに観てほしい芝居である。自らの心と身体のうちに、否が応でも「歴史」を刻みこんで生きてきた主人公と出会い、その生き様に向かい合うことで、きっと何か感じるものがあるはずだ。皮膜に守られた自己意識は、そのなかに異物を投げ込む勇気を持つことによってこそ、他者や社会や歴史に開かれていくのだと思うから。  
                                   児美川 孝一郎(法政大学助教授)



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