目次
 
 
 第T部  「個人論考」編
 
◇ ドメスティック・バイオレンスから失ったもの           斎藤 友紀恵
◇ 大人になろうとすること                     阿多 恵
◇ 少年法改正                           藤田 さやか
◇ 犯罪被害者の権利について                    武田 敏之
◇ キレる子ども                          武井 博志
◇ 軽い眩暈                            菊池 秀江
◇ 「私」の中にいる、多くの愛すべき人々へ             鈴木 舞
◇ 私の山北町(サンポクマチ)                  石栗 笑
◇ 学級崩壊から見えてくるもの                   大岩 祐介
◇ チャラ男とヤンキー                       立石 誠
◇ いじめと子どもの人間関係(ふぉ〜えば〜編)            古川 修一
◇ いじめの定義って何?                      八源寺 誠
◇ 『たまには教育論的なものから離れてみようよ、ガイア論的
  スケールで書き始めちゃったりしてさあ。結局、頭ん中は変
  わんなかったような気がするけど、なかなか良かったなあ…
  うん。』                            岡田 知大
◇ 日常からの「跳躍」                       牧島 洋平
 
 
 第U部  2000年度ゼミの記録
 
◇ 参加者名簿
◇ 2000年度−全日程と内容
 
 
 第V部  少年事件・模擬裁判の記録(脚本)
 
 
 第W部  「担当教員」編
 
◇ 「20世紀最後のゼミ」雑感                   児美川 孝一郎
 
 
 編集後記
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第T部
 
「個人論考」編
 
 
 
 
 
ドメスティック・バイオレンスから失ったもの
 
斎藤 友紀恵
 
 

 
 
1.はじめに
 
 なんとなく入ったこのゼミで、私の捜し求めているものがあるかもしれないと思ったのは、いつ頃からであろうか?今まで自分が考える事を避け、逃げ続け、開けようとしなかった扉を、こじり開け、引っ掻き回すことになろうとは、全く予測もしていなかった。しかし、もしこの機会を逃していたら、きっと私は22年間生きてきた、あるいは生かされてきた場について、考える事はしなかったような気がする。なんとなくこのゼミに入った自分を嬉しく思うとともに、このゼミに感謝をしたい。そして、このゼミ論の場をお借りして、自分の出した答えを述べたいと思う。
 私が生きてきた、あるいは生かされてきたこの22年間、ずっとわからないものがあった。それは、「家族愛」である。そしてこれは、私がこのゼミで家族を選らぶ大きな理由となった。一体どういうものが「家族愛」なのか。何故、「家族愛」が必要なのか?私にはそれがわからず、受け入れることができなかった。それは自分が受けてきた悔しい思いがあったからであると思う。私は小学校、中学校の時に、父親が母親に暴力を振るうという光景を、毎日のようにして階段の影から眺めていた。ただただ泣くことしかできず、子どもの力ではどうすることもできない悔しさと悲しさを味わった。今になって、「ドメスティック・バイオレンス」という言葉が広がり、世間でも問題として取り上げられるようになってきた。ただの夫婦喧嘩だと思えばそうだったのかもしれないが、この言葉を知ってしまった以上、自分の中ではそんな簡単な言葉では片付けられなくなってしまっていた。こんな毎日から、私は家族を自分の安らげる場として思うことは不可能になっていった。また、家族愛について語ったり、「家族なのだから…」というような言葉を嫌いになっていった。家族を憎んでいて、受け入れたくないのか。あるいは受け入れたいが、どう受け入れていいのかわからないでいるのか。そうしたことから分からなくなっている自分を見つめ直し、ドメスティック・バイオレンスによって失った「家族愛」についての自分なりの答えを見つける為に、私は家族を選んだのである。
 
2.「ドメスティック・バイオレンス」とは
 
 私が小学校、中学校と両親の喧嘩を見てきたと先に述べたのだが、それはいわゆる「ドメスティック・バイオレンス」なのである。「ドメスティック・バイオレンス」とは、「親密な」関係にある男性から女性への暴力だとされている。まだまだ聞きなれない言葉だが、イギリスや北アメリカでは1960年代の女性解放問題の中から使われ始めた。ドメスティック・バイオレンスという用語は、日本語訳を「家庭内暴力」とし、ドメスティック・バイオレンスの語に替えて、この日本語を使う人が多い。ドメスティックとは元々ある領域内(空港では国内線の意味)を指す言葉であり、私的な関係内(夫または恋人から)の暴力と据えたい。角川由紀子という人は、1998年に男性が「力」を使って自分と親密な関係にある女性を支配しコントロールしようとするのがこの暴力の本質であるとし、この意味をもつドメスティック・バイオレンスという用語を翻訳せず、あえてそのまま使用することの意義を述べている人もいる。
 では、ドメスティック・バイオレンスの時代背景というものは、一体どういうものなのであろうか。閉ざされた場での暴力であるドメスティック・バイオレンスは、確かに時代とともに社会問題化の波及を示し、暴力で構成されている「社会」であるということを、強く訴えているような気がする。家庭に対する神話(常識という名の迷信)では、「家庭は安全で愛情あふれる場」であり、利害の対立のない場とされていたという。それが1970年代の日本では「子どもから親に対する暴力」という家庭内暴力の現象によって崩れたが、それ以外の家庭内暴力での暴力は近頃になってやっと問題として注目されはじめてきたにすぎない。ドメスティック・バイオレンスという現象は日本でも古くからあったのだが、社会問題として広く取り上げられるようになったのは、1990年代にはいってからのことである。それより前に、アメリカ合衆国では1960年代に重大な社会問題となっている。このように社会に認識されるようになったのは、比較的最近のことなのである。しかしこのことは、ドメスティック・バイオレンスがこの頃から急増したことを意味すると思ってはならないと思う。いつの時代にもあった現象を、社会問題として見なす風潮が始まったということに過ぎないのである。
 かつて、ローマ時代には、夫は妻子を奴隷という所有物として支配しており、夫は妻を殺害する権利を持っており、イタリアではそのような文化がつい最近まで残っていた。さらに18世紀のイギリスやアメリカ合衆国のコモン・ロー(慣習法)では、妻は婚姻と同時に法的独立性を失い、夫は妻に対して懲戒権・監禁権を有し、夫は妻に対して親指よりも細かいものでなら体罰を加えてもよいというルール「親指の原則」が存在していたという。そしてその範囲内での加害は、合法なものとして問題にさえならなかったのである。
 日本の江戸時代には、武士は不義の妻を公衆の面前で手討ちにしていた。その後の明治民法下でも、妻子は家長(男性)の所有物とされており、独立の人格が認められていなかったのである。
 しかし、その後の19世紀後半にはアメリカ合衆国でドメスティック・バイオレンスを違法とする判決が現われはじめたのである。1960年代になって、家庭内で愛や教育の名のもとに、ある意味では公然と行なわれてきた子どもに対する虐待と、ドメスティック・バイオレンスとが、大きな社会問題として浮上してきた。また、時を同じくして、男性と対等の自由や権利の獲得を求める女性たちの生活の中で起きている様々な問題を告発し、社会に直視させる運動が、迫害されている女性たちの実態を暴くことになったのである。
 こうして、ドメスティック・バイオレンスが多数発生していることが認識され、具体的な対処法や研究が切実に求められることとなったのだ。このような動きが、1970年代のシェルター(被害を受けた人のための一時非難所)運動の発展につながっていった。そして、アメリカ合衆国で1974年の初めにわずか2つしかなかったシェルターは、現在では1500以上まで増加したといわれている。また、ついに1975年のアメリカ合衆国で、夫からの虐待を受け続けていた妻が夫を殺した事件について、正当防衛が認められるという判決が出た。また、加害者に対して、単なる仲裁、一時分離、逮捕の3種類の対応をした場合の再発率を比較したところ、逮捕がもっとも再発率の抑制に貢献していたという衝撃的結果から、逮捕の権限が強化されたのである。このような経緯で、ドメスティック・バイオレンスに対する法制度が改善されつつある。また、1985年のサーマン事件の判決では、警察の対応が消極的であったためにドメスティック・バイオレンスによって重症を負った女性から警察に対して訴訟があり、損害賠償が認められた。このことから警察の対応も変化せざるをえなくなった。さらに、1994年のO.J.シンプソン事件は、ドメスティック・バイオレンスに対する処罰の軽さについて検討を迫るなど、社会問題として注目を集めるきっかけとなったのである。
 次に、日本のドメスティック・バイオレンスの現状・実態についてであるが、夫から殴られたことのある人はどれぐらいの割合なのであろうか。@33% A6.9% B55.9%という3つの数字は、次のようなことを示している。1998年、東京都での調査なのであるが殴られたことのある割合は、@番の33%である。Aは身体的暴力を何度も受けている人の割合であり、またBは精神的暴力の被害を受けた人の割合である。これは、2人に1人の人がドメスティック・バイオレンスの被害を受けているということを現している。このことからもわかるように、ドメスティック・バイオレンスは頻繁に起きているのである。離婚原因の統計を掲載した司法統計年報では、(身体的)暴力を原因とする離婚が全体の3割を占めていると報告している。精神的虐待と単純に合計すると7割に達し、実質的には、離婚原因の中で首位を占めている(平成9年度司法統計年報)。また、婦人保護事業の中でも夫の暴力からの保護が大きな割合を占めている。近年、長い間沈黙を続けていた女性たちが声をあげる中、日本でも夫から妻に対する虐待の実態が明らかになりつつある。こういった暴力を扱うテレビ番組や新聞記事も1998年になり急増した。とはいっても、まだ日本での調査は限定的なものであり、実態が解明されているとは言い難い状況であると思う。
 日本におけるドメスティック・バイオレンスの実情を示す代表的な調査による実態分析や原因分析として次のようなものがある。
@ 離婚相談の一環として実施した日本弁護士連合会の調査(1995)では、夫からの暴力について弁護士による電話相談の結果がまとめられている。この調査は離婚を前提とした相談が多いため一般化はできないが、夫の機嫌が悪いときや夫の意見が通らないときなどの些細なことが原因で暴力をふるう事例が目立ち、加害の背景が明らかにされている。
A 東京都生活分化局女性青少年部女性計画課の調査(1998)では、無作為抽出による回答者を対象にした実態調査をした。ドメスティック・バイオレンスに対する意識、被害体験、相談体験が調査された。無作為抽出の大規模な実態調査としては日本初の調査である。この調査では、精神的暴力を2人に1人、身体的暴力は3人に1人、性的暴力は5人に1人が被害を受けているという衝撃的事実が明らかになった。
B  民間の「夫(恋人)からの暴力」調査研究会では、1992年に女性に対してドメスティック・バイオレンスに関する実態調査を実施した。この調査ではいわゆるフェミニスト・アプローチを採用し、自発的・積極的な協力者から回答を得ている(「夫(恋人)からの暴力」調査研究会、1995、1998)。この調査では、身体的暴力、心理的暴力、性的暴力についての実態、複数の形態での暴力の重なり、被害を受けた人から見た原因や相談しない理由について分析している。
では、アメリカ合衆国ではどうなのであろうか。アメリカ合衆国では、殺人事件の1割以上は妻/夫の間の殺人であり、女性に対する殺人の3割がパートナー(注:夫や恋人など)によるものである。警察の出勤の4回に1回はドメスティック・バイオレンスに関するものである。そして10秒に1人の割合で女性が夫や恋人から殴られている。
 Straus et al(1979)という人による1975年の初めての大規模な調査では、ドメスティック・バイオレンスがかなり広範に存在することが明らかになった。調査対象となった2143組の夫婦のうち、16%が1年間に夫婦の身体的暴力を経験していた。蹴る、拳骨で殴る、叩きのめす、ナイフや拳銃で脅す、ナイフや拳銃を使う、といったような肉体的ダメージにつながる暴力被害を経験した妻は3.8%であった。これを人数に換算すると、毎年200万人近くの妻が肉体的ダメージにつながる深刻な虐待を夫により受けていることになる。そして、暴力はあらゆる教育的、職業的階層に万遍なくみられた。
 その後アメリカ合衆国におけるドメスティック・バイオレンスは、やや減少の兆しがみられるといわれている。この減少の原因としては、この間にドメスティック・バイオレンスへの人々の関心が急激に高まり、暴力は許されないとの認識が広まったこと、経済的ストレスが減少したこと、シェルターの数が飛躍的に増加したこと、加害者に対する処遇プログラムも充実してきたことがあげられている。
 延々とドメスティック・バイオレンスの歴史、時代背景を語ってきが、次にドメスティック・バイオレンスと呼ばれるものの具体的特徴を挙げたいと思う。ドメスティック・バイオレンスには共通する特徴として「一定のパターンのサイクル(周期)があり、このサイクルを何度も繰り返す」ことが発見されている(Walker,1979)。このサイクルは3つの時期から成り立っている。
 
 第1の時期 「緊張蓄積期」
虐待者… ・ジワジワと緊張度が増し、些細なことが気にかかり、ピピリピリしてくる。
 被害を受ける女性… ・「卵の上を歩く」ような緊張と恐怖を感じる。
 第2の時期 「暴力爆発期」
 虐待者… ・緊張が最高潮に達する頃、ちょっとした刺激をきっかけ
       に、または何のきっかけもなく、突然、暴力の爆発が始
       まる。
 被害を受ける女性… ・いつ、どのようにして大爆発が起こるか
            は予測できない。
 第3の時期 「ハネムーン期」
 虐待者… ・暴力爆発期の行為についての大袈裟すぎる謝罪をする。
      ・2度と虐待・暴力をしない、との宣言や誓約書をつくる。
 被害を受ける女性… ・優しい気遣いと愛情深さを示してくれるこの
            時期の相手(=虐待者)に強く惹かれる。
            別れた後ですら惹かれつづけ、未練を残し、
            執着するほどである。
 
 以上がサイクルである。ドメスティック・バイオレンスは、そのサイクルに流れに必然的な要素として「ハネムーン期」を含んでいるのである。この「ハネムーン期」は一見、虐待・暴力を埋め合わせ、2人をより深い愛情と信頼関係で結ばれた幸福な関係に導くかに見える。「ハネムーン期」の虐待者は、自分の妻や恋人に対して何の制限もない激しい暴力の大爆発を気の済むまで続けることにより、それまでため込んでいた緊張とストレスからすっかり解放されて、心の落ち着きとゆとりを得ると同時に、今の自分が彼女を完全に支配する力を持っていることを確認して、自信や満足を得る。そこに至って虐待者は、自分の妻や恋人が大変な心身の傷を負っている様子を見て、彼女をとても可哀想でいとおしいと思い、しかも、彼女をそんなひどい目にあわせたのだが、他ならぬ自分自信の、暴走トラックのような恐怖の虐待行為の嵐であったことを反省し、彼女に対し謝罪と優しさと愛情を示すわけである。要するに「ハネムーン期の正体」は、必ず「暴力爆発期」とセットになっており、女性に「虐待者は本当はいい人だ」と誤った考えを植え付け、彼女を虐待者の支配化につなぎとめる巧妙な仕掛けである。また、この時期に虐待者がする大袈裟な謝罪や愛情表現は、それ自体が次の虐待行為や暴力爆発に向けてのエネルギーとして蓄えられてしまうのである。この「ハネムーン期」の幸福感があまりにも真実らしく見え、魅力的であるために、多くの女性は虐待者から逃げることができないという。仮にどうにか別れたとしても、この時期の虐待者の優しさと愛情に未練を残す。このことは女性たちが度重なるひどい虐待を受けながらも虐待者の許から逃げ出せない大きな理由となっている。実際に虐待を受けてシェルターに緊急避難してきた女性たちを支援している施設のスタッフによれば、逃げてきた女性たちは「虐待者の許に帰ってはまた逃げてくる」という行動を、平均して3〜5回、繰り返すとのことである。
 
3.なぜ暴力を振るうのか
 
 今、あの時の嫌な光景が蘇ってきてしまった。私の家族もこの現象で崩れかけ、まさしくこの通りであった。私はこの光景を見たことによって、家族がわからなくなり、家族を嫌いになったのは事実である。何故、どうして暴力を振るうのかが、私にはわからない。自分の気持ちを伝え、話し合うことがどうしてできないのであろうか。万が一、暴力を振るってしまった時、果たしてその意味を考えるのであろうか。相手を傷付けるのだから、自分の起こした行動を振りかえるのは、当然ではないのであろうか。振りかえったとしたら、加害者自らの暴力行為の原因をどのようなものなのであろうか。加害者が回答した原因について、次のような調査結果がある。まず1つ目に、相手に対して優位であることに基づいてなされるもの(支配的)である。「権威を示す為」「家庭内での地位・優位性」「所有物のように思っている」「相手を思い通りにしたいから」「他の手段では勝ち目がないから」など。攻撃が相手に何らかの行為を強制するための手段として利用される場合には、相手をコントロールしてもよいという特権意識が中心にあると思う。自己評価の低さやコミュニケーション機能の未熟さも影響している。男性では、この支配的なものに属する理由が非常に目立ち、とくに加害行為によって男らしさを保つためという理由、相手を思い通りにしたかった、相手を所有物のように思っているという回答が多いという。
 2つ目に、加害者の不満解消のためになされているものである。「相手の帰宅時間が遅い」「自分にストレスがたまっていた」「自分が酒に酔っていた」「相手が関心を示してくれない」「自分が甘えている」「自分がわがまま」など。酒に酔っていたという理由づけは日本の場合、酒席のこととして大目に見られる面があり、そこには甘えの心理が存在すると考えられるため(村中孝之他、1991)、この中に含まれている。中でも男性では、相手に甘えている、自分に関心を示してくれないという甘えや依存的な理由が女性の2倍近く多く選択され、日本人男性の妻に対する甘えと依存に基づく暴力発生の構造が明らかになったという。
 そして3つ目であるが、相手からの攻撃による防御にものである。「防御するため」「相手が先に手を出したから」など。これはどちらかというと、女性側の意見であり、男性においてはほんの一部でしかないという。
 加害者の特徴を概観すると1つ目の理由が多かったという。そしてこの支配的なものが、ドメスティック・バイオレンスの本質をなすものであると。また、加害者の中には自らの行為を正当化する根拠も多かったのである。しかし、妻・夫は対等な人格であり、攻撃行動が許されるのは正当防衛の場合に限られるはずであり(家庭内での男性による支配を否定し、両性の平等を想定した憲法24条はあらゆる形式のドメスティック・バイオレンスを禁じたものといえる。)、行為の正当化、過小評価の背景には、妻は夫の言うことに従わなければならないという考え方が存在しているに違いない。そして私がショックを受けたのが、「どういう場合に相手をたたいてよいか」という質問に、正当防衛以外の場合のみにしか許されないと回答した者が、全回答者のうちわずか数パーセントにすぎなかったということであった。要するに、多くの日本人男性が暴力容認文化に染まっているということを、示しているようにしか思えない。
 
4.子どもはどうなる…
 
 私はこの調査結果を読んだ時、父親はどうだったのであろうかと考えてしまった。私の父親や妻に暴力を振るう男性にどんな理由があるかなど、私にはやはり理解できない。女性を支配したい、不満解消の道具にする、女性を何だと思っているのか。一体女性は何にために生まれてきたのだろうか。私たち女性は男の所有物でもなければ、性の捌け口でもないのである。そして、親も家庭環境も選択できずに生まれてきた子ども達はどうなるのであろうか。仕事でのストレスを酒で解消しようとしたが、完全には解消できなかった時、悪酔いをし、子どもが寝ているというのに大声を張り上げて、グラスや食器を壁に投げつけては割り、挙句の果てには女性に暴力を振るう。こんなことが密室の家で起きていれば、子どもだって嫌でも布団から起きてしまう。怒鳴り声を聞き、現場を階段に隠れながら眺める。お母さんが危ないと思ったら、すぐさまお父さんを止めに行く。しかし逆にお父さんに押し倒されてしまう。ドメスティック・バイオレンスの起こっている家庭では、父親から母親に対してだけでなく、子どもにも直接の身体的暴力(虐待)や精神的ダメージを与えるのである。母親と同じように、心の傷を負うといっても子どもの場合は人格形成の途中にあるため、その傷は大人の場合よりも深く、子どもの人格や人生にとって大きな影響を及ぼすにちがいない。いや、絶対にそうである。子どもにとって最も安心できるはずの家庭が虐待の場となることは、基本的安心感や安全感を得る機会を奪ってしまうことになる。そして、子どもの心に不安感や恐怖感を植え付けるのである。こなってしまうと、何が家族というものなのかわからなくなてくる。私自身、そうであった。人は何故「家族」をつくり、「家族」を維持するという決定を続けるのか。私は家族に何を求め、何故「家族をする」のか。父から暴力を受けていた母は何故離婚をしなかったのか。家族を継続し続けたのかわからなかった。「家族」は法的に、親族の定義が民法725条にある。家族心理学の分野では、親密性と世代間関係によって特徴づけられる小集団であるとされている。現在のところ家族の定義においては婚姻(いわゆる結婚)は重要な要素を占めている。
 最近では、家族の概念が拡大しつつある。具体的には家族の定義に必ずしも婚姻関係を必要とせず、その内容を結婚・内縁関係や同棲関係に広げ、さらには異性愛に限らず、女性同士、男性同士の組み合わせ、3人以上の組み合わせである共同体、人間と動物との組み合わせなどの現実にまで対応し、家族の定義が広がって理解されつつあるという。つまり、家族の定義について必要十分条件を求めることは、不可能となっている。そうなってしまったら、当事者の主観でその範囲を定めるしかないのであろう。
 
5.さいごに
 
 冒頭にもあったように、私は今回のレポートの場をお借りして、自分の家族にもあったドメスティック・バイオレンスについて知り、今まで理解できなかったことを理解しようと決め、このレポートを書き始めた。自分の嫌な思い出を掘り起こし、ドメスティック・バイオレンスという現象を知ることで、自分の父親を許すことができるかもしれないと考えたからである。しかし、それはできなかった。ドメスティック・バイオレンスの現状を知ることはできても、そこから納得するということはできなかったからである。私は1年間、ゼミの中で家族のことについて力を入れてきた。そして、子どもにとっての家族の必要性が、ものすごくよくわかった。家族だって小団体であり、小社会であり、他人の集まりである。その中での人間関係が子どもの人格を形成していくなかで大きな役割を果たしていく。しかし、家族(環境)がその子どもの人格を形成したとしても、やはり最後は自分なのではないだろうかと、レポートを書きながら私は思った。ドメスティック・バイオレンスを見つめ、自分の父親について考え、そして自分を考え、私はそう思った。私に嫌な思いを散々させた父親を許すかどうかということではなくて、ここまできてしまったら自分で過去をどう処理するかということではないかと思う。悔しくて、情けないのかもしれないけれど、それがもしかしたら、私にとっての「家族愛」なのかもしれない。
 
 =参考文献=
   ドメスティック・バイオレンスを乗り越えて
         鈴木 隆文・後藤 麻里 (日本評論社)
 
 
 
 
 
大人になろうとすること
 
阿多 恵
 
 

 
 
 どう考えてみても、大人になることと、大人として認められることは違う。周りが大人であることを認めたって、自分で大人であることを受け止められない。自分では大人だと思っていても、周りはそう認めないこともある。大人になっていくとはどういうことなのだろう。子どもとして、親の意向で生まれ、親の意向で育つ。でも、どんなに大人のいうことを聞いていても、もう一度自分で一人で生まれ直さなければ子どもは「おとな」になれない。なぜ、そのままでいられないのだろう。なぜ、自前の自分なんて作らなければならないのだろう。子どもの延長としての「大人」にはなれないのはどうしてなのだろう。いつまでも子どもでいたい気持ちがどこかにまだ残っている。
 大人になるということは、自前の自分を作るということ、そして親から離れて自分の場所を作ることである。親から離れるということは、自分で自分を支えなければならない。自分を支えるには、周りの社会と関係を持つということでもある。でも、社会は未知のことばかりで、知らない内に流されそうになる。自分と社会との距離をうまく持たなければ、いつの間にか自分を見失ってしまうだろう。だから、たぶん「大人」にならなければならない。ただ無邪気なままでは「おとな」でいられない。外の世界は、まるで強い意志のようだ。強くて、子どもを受け入れてくれない。
 「現実とか世界というものを等身大で受け入れることができるようになること、責任ある態度で、世界を肯定できるようになってゆくこと」=「成熟」が必要になる。学ばなければならない。でも、どこでも教えてくれるわけではない。しかも、素直でまじめな子どもは、親の期待・教師の期待・周りの大人の期待に応えることに一生懸命で(懸命になっていることにすら気づかないけれども)、そのことに気づけない。挫折や、人間関係のつまづきに追いつめられてもなぜだか、そのことに気づけない。素直でまじめないい子なのに、何がいけないのだろう。
 
(1)子どもが子どもでいられるということ
 
 子どもが子どもでいられる、いさせられることの苦痛。ある時期まで、子どもでいられることは大事なことである。でも、大人になりはじめなければならない、自前のものを探して行かねばならないときに、それでも子どもでいられる状態があると思う。何も選ばなくても大丈夫と思えてしまう環境。何かにならなければならないと漠然とした思いがあっても、それが何なのか分からない。とりあえず、ふつうに日常を送っていればどこからも誰からもプレッシャーのかからない状態。権威のある大人(親、教師)に依存してしまって、自分を委ねてしまっているために、そこからプレッシャーがかからないということは大丈夫なのだと安心している。または、不安でも「子ども」であることを今やめたら、棄てられることが予想される状態。たとえば、疑っ」ている「学校」を抜け出しても落ちていくだけだ。そこからはい上がることができない、と思わされるなら無理してでも、親・教師の言うことを聞いておくことを選ぶだろう。子どもでいていい状況が、危険を冒してまで大人になることを躊躇させる。
 子どもは基本的に与えられた情報しか知らない。与えられた情報を組み替えることのできた者だけが、子どもでいる人間を置き去りにして大人になっていく。でも、組み替えをできないままでもいられる。プレッシャーが必要なのに、大人はそれに気づこうとしない。どうあるべきか誰からも与えられず、自分でも見つけられず、ふわふわ浮いてる。地面に足が届かない。
 
(2)一方で、子どもが子どもでいられないということ
 
 マリー・ウィン著『子ども時代を失った子どもたち』を読むと、アメリカという場所で起こっていることが描かれている。数百人の子ども、親、教師へのインタビューを行い、ジャーナリストである彼女がまとめたものだ。ここに描かれているのは、アメリカの子どもたちなのではあるが、納得させられる部分を持つ。国を超えて、共通する点がある。子供に対する社会の姿勢が変わったことが、問題の核心となっている。子ども時代を人生の黄金期とし、子どもが人生の浮沈とは無縁に、無邪気なままのんきに暮らせるようにしてやろうと、昔の親は懸命だった。これに対して、複雑化する一方で収拾のつかなくなった今の社会を生き抜くには、幼いうちから子どもに大人の世界を経験させるべきだというのが、新時代の親の対応である。子ども時代は親が子どもを守る”保護の時代”ではなくなり、大人の社会へ入る備えをする”準備の時代”となった。( P.5)
 子ども時代が「子どもでいるための時間」ではなくなり、大人の社会に入るための準備をする時間になっている。つまり、子どもが子どもでいられない状態になっている。子どもでいる、この状況も時代の流れで変わってきている。始めから子どもは子どもでいたのではない、子どもでいられる状況が、子どもを子どもでいさせている。中世では、大人のミニチュア版として大人と区別もされていなかったし、18世紀には子どもを大人から分離し、保護しようとする姿勢が芽生え、19世紀には子ども崇拝の域にまで達したという。絶対的な変わらない「子ども」像はないし、「本当」もない。
 子どもが子どもでいられない状態とは、大人に何も知らない依存的な「子ども」ではなく、自立した「おとな」であるよう、要請されているということだ。抑えつけず主体性、個性を大事にしようと子育てをすることで、自分の意見を持ち、自分で決めることを身につけさせられる。それは、大人も子どもも対等(変わらない)であるという意識を育てることにつながる。大人の世界と子どもの世界の距離が、縮まる。自分の意見を言う方法(言葉では無理でも)を身につけた子ども像が浮かぶ。幼すぎるから、という意識がなくなり、子どもであっても自分の意見を出すべきだという意識が親のしつけ観として出てきている。子どもにも大人並みの自由を与えようというのだ。個性・主体性の重視である。 背景としては親の無関心、監視の緩和、統制されることのないあふれる情報(TV)等である。数としては一部でしかないが、離婚の増加で一方の親と離れることを余儀なくされ、そしてその後は一方の親を助けていかなければならなくなる。また共働き、大人が自分のことに精一杯、大人の自己実現の優先、子育てがわからない、親としての権威が保てない(絶対的権威なんて大人自身が見いだせない)等々の理由で、大人の子どもへの監視がゆるんでしまう。そのことは子どもを守ってやりきれないとも言い換えることができる。さらにもはや禁止も制限もできないTVという情報源。TVは子どもであれ、大人であれ、老人であれ関係なくあらゆる情報を与える。離婚、不倫、犯罪、事故、尊敬すべき政治家・教師の信じられない悪事、等々をリアルに伝える。子どもは分かるところまでしか分からないのではなく、情報としては充分である。もしこのときに親がそばにいて、フォローをしたり安心させたりすることができればいいのかもしれないがそれも無理である。大人も暇ではない。これらは、子どもを無自覚のうちに「しっかり」させる。けれども、それは充分な支えの元に育つものではなく、何かが欠けたままになってしまうのではないか。知った上で、甘えることなどできない。充分に子どもでいられて、試行錯誤しながら、自分で「選び直し」ながら大人になった人間と比べると何かを我慢してしまうのではないか。あまりに早熟な子どもは充分に大人に受け止めてもらえる充分な時間も経験も持ちにくい。充分に受け止められる体験が少なく、いつも自分で考え行動する前に、大人の規範
の方を優先してしまうように思う。
 また大人の規範を優先させてしまうということは、子どもを孤独にさせる。大人が困ったときにすぐに、父、母に頼るわけにはいかないように、大人であることを求められる子どももまた、すぐに他者に頼ることができない。「迷惑をかけてはいけないよ」の言葉が他者に頼ること、親に頼ることにブレーキをかける。子どもが子どもでいるには、この感情(人に頼ることに、ブレーキをかけること)は邪魔である。孤独、一人になる時間は子どもにとって必要なものではあるけれども、他者に関わろうとするときにこの感情はいらない。
 
(3)引き受けられるようになるということ、自前の自分を作るということ。
 
 何かを引き受けられるようになるとはどういうことだろう。子どもは与えられた空間にいる。つまり、受動態でいる。生まれたときから親は決まっているし、性も、名前も、育っていく環境もだいたい決まっている。けれどもいつまでも受動態ではいられない。友達、先生等の他者が増えていくにつれて、ただ受動態であることができなくなり自分で選び直すという作業が必要になる。ただ与えられている世界を、自分に親密な世界として自前のものに作り替える必要がある。親、先生のいうことをいつまでも素直に聞いていられないし、いつまでも決まりに従ってなどいられないのだ。それがむしろ自分を守る暖かいものでもあり、なくてはならないものであってもである。
 この選ぶという作業は、受け入れてしまったものをいったん拒否する作業が必要になる。例えば、紛れもない母親の子どもであることを受け入れるには、母親の存在をいったん拒否し、もう一度選び直し(自分なりの意味づけ)をしなければならない。拒否、は苦痛であり困難を伴う。この作業を行うとき、大人の肯定が必要になる。大人、特に親にしっかり見つめてもらっているという安心感がなければできない。この選び直しの後に、孤独になるわけにはいかないからだ。けれども多くの場合、この子どもの選び直しに対して大人の側は逆に子どもに説明や弁明を求め、非難を浴びせ、そんな子に育てた覚えはないと大げさに嘆いてみせる。さらにそうした表出を禁止し、もし禁止を破ったなら罰が下されること、を受け入れるよう約束させる。親がこのように一連の子どもの欲望へ介入を行ったり、その表出の阻止したりすることは、子どもが解き放たれたい何重もの不自由、暴力の状態の上にさらに、不自由と拘束、つまり暴力を加えることを意味する。
 この場合彼らは強いられた「受動させられる状態」を自らの力で離脱することはできない。言いかえれば自ら暴力を欲望し、自ら悪をなすことが不可能になる。なぜなら、そこから解き放たれたくて(母親の呪縛から解き放たれたくて)起こす行動を、大人から認められないことになるからである。安心して、選び直しのための拒否ができない。せっかく解き放たれるための行動であったのに、封じ込められてしまうのである。それは、肯定的に受け止めてもらえる経験ができないことを意味する。彼らにあるのは親=大人の介入と囲い込みの(欲望を悪として子どもに受動態であることを強制すること)経験だけである。従って、彼らは自分自身でもどこかで自分を不能者だと思わずにはいられない。肯定してもらえれば、そのこと(紛れもない自分の母親であること)を選び直し引き受けることができ、自分の真実と感じるそのままの世界を、自分の世界として構築していけるはずなのに。
 このとき大人に悪意があるわけではない。その拒否は親本人のものではなく、多分に社会的な要請や既存の価値観が含まれている。だからこそ、子どもにとって暴力でしかない。子ども本人を思っての拒否ではなく、社会的な要請の流れに乗っての拒否なのである。子どもはそれを単純に自分の拒否と受け取るし、だからこそ傷つく。そのメカニズムに気づいていても同様である。親の無邪気な考えのない拒否が子どもを傷つけてしまうのだ。子どもは自分の価値観を作り上げることを妨げられ、無邪気なままの受動態でいさせられることになる。いわば成熟を邪魔されているようなものである。
 社会の約束事を受け入れていくのは、大人が教えるからではなく、子ども自身が受動態であることを解き放ち、選び直しを行う過程で、世界・現実を引き受ける態勢が作られていくからである。「拒否される」ことを予期した子どもは、自分の能動的な姿勢、気持ちを抑え、何とか今をやり過ごしたり、しのごうと試みるしかない。いつまでも、世界を引き受ける態勢をとれない。
 
 受動態ではいられないんだ、という子どもの感情と行動を大人が肯定的に受け止めてあげることこそが、子どもが成熟していくための基盤になる。子どもは無邪気なふりして大人に語りかける。大人も無邪気に返してしまう、その奥に何があるかなんて全く考えもしない。子どもは幾重もの強制された不自由、暴力、拘束、つまり完全で拒否できない受動態から自己を解き放ちたいのだ。与えられて、強制されるなんて耐えられないものである。自分の人生を生きようと、子どもだって無邪気さの陰で一生懸命に考え動いているのだ。けれども、それには大人の受け入れがどうしても必要で、そのカードを手に入れなければ子どもは進もうにも進めない。でも、親はその事実をまるで知らない。無邪気に拒否していく。子どもの自由をその手に持ちながら、その自由を渡さない。あるいは、子どもの自由を持っていることすら自覚できない。自覚できないから既存の価値に流されていくしかない。
 
(4)育ってきた家の価値観から離れる
 
 子どもを産み育てようとする親の方に目を向けると、夫婦それぞれ、自分にとって生まれた場所、養育を受けた場所としての家族(定位家族)と、自分がこれから作り上げていく家族(生殖家族)の境目は、それほど自覚されていない。だからこそ、家族関係の作り方の学習などはしなくても何とかなるものと考えられている。定位家族において身体化・慣習化した関係のとり方を、夫も妻もともに、これから作り上げる家族の中に持ち込む。妻にとって夫の文化は外部のものであり、夫にとってもそれは同じである。だから生殖家族の文化とは、そもそも外部の文化同士の葛藤と融合に過ぎない。が、そこに生まれ育った子は動かしようのない世界、自分を縛る世界としてそれを感知することになる。
 
 育ってきた家の価値観から離れることは難しい。なかなか自由になれない。自分だけの足で歩けない。それは、たぶん家族のせいなのである。家族、つまり親という権威と信頼のある存在から長年にわたって<物語られた情報>が、自分の知性による吟味を忌避させるせいなのだ。「私はこうなるはずなんだ」と知らないうちに信じ込んでいることが、自由になることを阻む。長年にわたって物語られた情報が、勝手に頭の中に(私はこうなるはずなんだという)イメージ・意識を作る。このイメージ・意識の方に強くリアリティを感じ、そうではない社会的事実に突き当たったときに、事実の方ががいやになってしまう。事実を等身大で受け止められない。どうしてだかインプットされてしまったイメージが、知性で実際に認識したこととズレる。知らないうちに作られていた意識に気づかず、自分の感情と物語られた情報の区別が付かなくなってしまっているのである。試食しておいしいから食べよう、ではなくて、おいしいはずだから食べようとしているのだ。予期しながら選んでしまう。予期がもたらす不安のためにも努力する。しかもその予期する根拠は、自分ではなく物語られた情報にある。事実を等身大で引き受けることの難しさがここにもある。
 自分で生きていこうとするとき、または社会に出てゆこうとするとき、この与り知らぬ過去に邪魔をされる。「私はこうなるはずなんだ」といういつの間にか思っている、自分に責任のない自分イメージが、なんだか窮屈にさせる。その巨大さに途方に暮れる。傲慢さと、惨めさの繰り返しの経験。この巨大な自分イメージからの解放が必要になる。この自分の中にいつの間にか育てられたイメージから、いったん落っこちなければならない。でなければ、いつまでもイメージと事実がずれ、現実、世界というものを受け止め、引き受けることができない。
 
(5)親であること
 
『父』
何故生まれねばならなかったのか。
子どもがそれを父に問うことをせず ひとり耐え続けている間
父は厳しく無視されるだろう
そうして父は耐えねばならないだろう
子どもが彼の生を引き受けようと決意するときも なお
父はやさしく避けられているであろう。
父は そうして
やさしさにも耐えねばならないだろう
<『吉野弘詩集』思潮社、1968所収>
 
これを待てない、知らない両親を持った子どもは苦労する。子どもにとって親は大きな存在。このことを知ってさえいれば、親でいられるのではないかと思う。
 
(6)思うこと。
 
 親への非難のためにこの文章を書いたわけではない。子どもを育てるということは時間もお金も(そのための時間と労力も)かかる。そのことを丸ごと引き受けて、さんざん手をかけてくれたことに感謝してるし、信頼してる。でも、私は尊敬していたかった。もっと期待していてほしかった。子どもから見る「親」は大きくて、そのことを知ったら親は途方に暮れるだろう。「そんなことはできないよ」と。親と子供は結局は離れていく。でも共有した時間がしっかりつなぎ止めている。それが親と子を「家族」にしている。
 たぶん、大人になろうとするときに知らなければならないこと、引き受けなければならないことがある。でもそれはどんなに知ろうとしたって、自分では知ることができない。プレッシャーとか状況などがそろって、いつの間にか身につけてしまうような類のものである。もし教えられたとしても、本人には訳の分からないことだ。大人になるには時間と、周りからのプレッシャーが必要。でもそれは早ければ早いほどいいというわけではない。その好機は誰にも分からないもので、本人が後で気づくものなのだろう。そのプレッシャーをかけられるのは、たぶん家族ではない。そのほかの誰かに巡り会え、一人でいなくてよくなったときに大人になれるのかもしれない。
 
 
 
 
少年法改正
 
藤田 さやか
 

 
 
 今年度はゼミで少年犯罪について勉強をしてきた。なぜ少年犯罪は増え続けるのか、少年たちはどうして犯罪を起こしてしまったのか、どうすれば少年を犯罪者にさせないか。これらのことを少年を取り巻く学校、家族、地域、子どもという4つの側面から研究してきた。私は家族という側面から少年犯罪を見て、少年たちと家族の関係を考えてきた。家庭環境が及ぼす子どもへの影響は、非常に大きなものであり、その子の一生を左右するものとなり得る。子供時代に親から様々な形で虐待を受け、心に傷を負って育った子どもが、犯罪に走るケースも少なくない。こういった子どもの場合、犯罪を起こした責任は親にも十分ある。しかし親の責任だから事件を起こした子どもに罪がないとは決して言えないのだ。少年が人を殺せば、それは少年の罪であり、少年の責任である。責任の所在について私たちはよく議論する。責任は事件を起こした本人にもあるが、それを育てた親にあり、しかしそのまた親にも責任があり、最終的には社会の責任になってしまう。それでは責任は誰のものでもなくなってしまう。責任とはやはり少年本人にあると言うのが正しい気がする。責任ということに関して、少年法について考えていきたいと思う。
 
 近年、日本社会では子どもによる衝撃的な凶悪犯罪が多発している。1997年の神戸市で起こった「酒鬼薔薇聖斗」と名乗る中学3年生による神戸小学生刺殺事件を皮切りに、数々の少年犯罪が連鎖的に発生し、このような中で「少年法改正」が大きく叫ばれるようになった。
 少年法改正の内容は次の通りである。
@刑罰対象年齢を16歳から14歳に引き下げる。A16歳以上で殺人など重大犯罪を犯した場合は、原則として身柄を家裁から検察に戻し(逆送し)、成人と同様に刑事裁判を受けさせる。
 「少年法改正」については様々な議論があるが、大きく分けると厳罰化反対派と、賛成派の2つに分けられる。この二グループの意見から、「少年法改正」について考えていきたいと思う。
 
 まず、『少年犯罪と少年法』(後藤弘子編)では、終始厳罰化反対の態度で書かれている。要約すると次の通りである。
 どうして少年を少年と見ないのだろう。
14歳の少年に刑罰を科すことが本当に少年や社会のためになるというのだろうか。「少年法改正」絶対反対というわけでないが、少年法の持つ「制裁」という一面だけを強調する形での現在の改正の動きをこのまま見過ごすわけにはいかない。少年法には「制裁」と「教育」という2つの側面がある。もしこのまま少年法が厳罰化に傾いたとしても、少年犯罪の抑止にはつながらないだろう。また、刑罰を科すことだけでは少年に本当に責任を問うたことにはならないのである。少年たちの犯した凶悪犯罪に国が制裁を与えることは必要だが、それと同時に、その少年たちがそこまで残虐な行為を行わなければならなかったそれ相応の理由、背景までを考えなければならない。これまでに何をしてはいけないのか、どう感情をコントロールすればよいのかを学べなかった少年たちに「教育」することこそ大事なのである。厳罰を与えるのではなく「教育」という形で、自分の行った行為の意味の重大性に気付かせ、2度と犯罪を行わない人間に成長させるための手助けをすることこそが、少年法の本当の意義なのである。少年は変わりうる。少年は可塑性に富んでおり、人との出会いや、適切な手助けによって立ち直っていけるのである。これらの少年法の「教育」という側面の無理解のまま法改正が行われるのは反対である。少年法改正は子どもと社会の利益を念頭に置いた上で、正しい少年法の知識を前提として行われるべきである。
 
 この著書の意見では、犯罪を犯した少年に非常に同情的であり、「制裁」という側面よりも「教育」という側面を重視している。少年犯罪をするに至った少年の多くは、確かに同情に値する子供時代を過ごしている。これについては様々な例があるが、ここで1988年足立区綾瀬で起こった女子高生監禁殺害事件のサブリーダー格だった少年Bを例に見てみたいと思う。
 この事件は、当時高校生だった主犯格4人の少年が、帰宅途中の女子高生を誘拐し、犯人の1人の自宅に連行、41日間に渡って監禁し、性的陵辱、暴行を重ね、少女の死亡後ドラム缶にコンクリート詰めにして遺棄したという事件である。この犯人の1人、Bの家庭環境について、本には次のように書かれている。「父親は彼が幼いときに家を出て、別の女性との間に家庭を築いていましたし、お母さんは水商売で夜はいない。彼は毎日何百円かを与えられて、これで食事しろと言われて買い食いをしたりする。」このように非常に孤独な幼少時代を過ごしており、幼なかったB少年はどんなに寂しかっただろうかと想像できる。彼の弁護人であった伊藤芳朗氏の話によると彼は最初はすごく荒れていたが、関わっていくにつれ確かに変わっていったという。彼は出会った当初、親子関係や学校との関係との中で自分自身がどういう人間かもわからなくなっており、人間関係をどう構成したらいいかもつかめなくなっていたそうだ。それを家族でない第三者の大人が介入していく中で、彼は自分自身を取り戻し、自分の犯した罪の重さを理解するようになったという。事件を起こす前に、この担当となった弁護士のような自分のことを思ってくれる大人に、彼は出会えず、善悪を学ぶ機会がなかったことは、彼にとって非常に不幸なことであった。そのような人に出会う前に、悪友に出会ってしまったということだ。彼にそのような背景があったことは同情に値するかもしれない。しかしだからと言って、被害者の受けた大きな苦しみを無視して犯人である少年に同情的になれるだろうか。
 
 どんな事件でも、殺人という凶悪な事件は決して許し得るものではない。また更にこの事件の場合は、特にどうしても許せないという感情を強く抱いてしまう。この事件はあまりに残酷な事件だったため、主犯格の4人の名前が『週刊文春』で実名報道され、少年法をめぐる議論が日本中で巻き起こったほどであった。彼らの名前、経歴などは現在インターネットですべてが暴露されている。
 このようにあまりにも惨い事件が起きると、同じくらいの苦しみを犯人にも味合わせてやりたい、厳罰を与えたい、と思うのが人情であろう。「教育」よりも「制裁」を与えたいと思う。最近のように凶悪な少年犯罪が多発すると、少年法は甘すぎるのでは、という声が国民からあがってくるのは無理もないことだと思う。
 
 だが、ここで感情的になって少年法を厳罰化したとしても、事態は決して良くならない。少年法を理解して事件を起こす少年もいるので、改正後少しは少年犯罪の抑止力となるかもしれないが、それも一時的で最終的には何も改善されないだろう。逆に刑罰対象を14歳に引き下げることで、犯罪の低年齢化を招く恐れすらある。
 被害者の苦しみを考えれば、罪の重さは少年もおとなも変わらない。たとえ少年の育った境遇が同情に値するものであったとしても、それは成人してから事件を起こした犯人にも当てはまることであったかもしれないのだ。家庭環境に恵まれなかったから犯罪を起こしたのはしょうがない、では済まされない。被害者や、被害者の家族、友人にとっては、犯人は大人であっても少年であっても、殺しても殺しきれないくらい憎いに違いない相手なのである。
 しかし、少年の犯した罪が、大人の犯した罪と変わらないと言っても、少年に大人と同じ刑事裁判で裁き、同じ刑罰を与えることが妥当であるとは言えない。それは、前に述べた通り、少年は変わり得る存在であり、可塑性に富んでいるからである。
 
 犯罪を犯した少年に対し、どのような刑罰が、少年にとって、また社会にとって良いのだろうか。刑を受けた少年は何年か経てば社会に出てくる。そのときにその少年が大人と同じ刑を与えられ、何の教育もされないまま、社会に対する憎しみだけを増幅させて戻ってきたとしたらどうなるだろうか。そのことほど恐ろしいことはない。少年にとって1番必要なことは、自分のやった犯罪が本当に取り返しのつかないことであると自覚し、反省して、罪の意識をもつことである。刑期が終わってもその罪の意識を忘れないことが、彼にとっての1番の刑罰となるのではないだろうか。そのためにも少年法の持つ教育的側面と、少年院の教育機能はなくすべきではない。少年法は、犯罪を起こした少年を守るものではなく、社会を守る法律と捉えるのが正しいのではないだろうか。
 犯人である少年とその家族を心から反省させ、被害者に対し申し訳ない、という感情を持たせることが何より大事なことである。だが、大した反省もなく軽い刑で済まされてしまう例も数多くある。子どもを少年によって殺された親が、1997年12月「少年犯罪被害当事者の会」を設立し活動している。彼らの調べたところによると、調べ上げた145人にも及ぶ加害者のうち、当人やその親が本当に誠意ある態度を示したのは1,2例しかなかったという。被害者が、実名で報道され、マスコミの報道で二重に傷を負って泣いている一方で、加害者側は少年法で守られ、反省しているふりをして自分の罪を軽くして、普段どうりの生活を、平気な顔をして過ごしている場合もあるのだ。
 
 少年法の改正はそれが「厳罰化」という形で、少年から教育を受ける機会を奪ってしまうのであれば、それは少年にとっても、被害者にとっても、また社会にとってもマイナスとなるだろう。しかし、今のままの少年法では、加害者の少年の人権ばかりが守られ、被害者の権利は守られず、被害者の気持ちは全く考えられていない。少年法を改正する場合大切な視点は、まず被害者の気持ちと社会の平和が守られるかということである。
 この本で主張されている通り、少年法に対する正しい理解のないまま、少年法の持つ「制裁」という側面のみが強調されて、少年法改正がなされるのは、良いことであるとは思わない。「制裁」ばかりの少年法では、現状を変えることはできない。だがもし、少年犯罪を減らすという目的で厳罰化を進めるのなら、それは手段を間違っている。少年法は、少年犯罪を減らすためにあるのではなく、少年犯罪が起こった後のことを処理する法律である。もし少年犯罪を減らそうとするなら、家族、学校、地域、そして日本社会全体を変えていかなければならないだろう。
 罪の重さは、被害者の苦しみを思えば、大人も少年も変わらない。少年にどんな背景があろうとも、罪は罪であり、その事実は決して変わらない。罪をたどっていけば彼の家族につながり、そのまた家族につながり、最終的には社会につながるだろう。だが、少年が罪を犯したその事実は少年自身が償っていかねばならないのである。責任は少年が背負っていかねばならないし、少年に責任があるのだ。
 少年がそこまで残酷になってしまうまでの心の苦しみ、被害者の苦しみ、それらを全部取り除くために、悲しみを2度と繰り返さないために、社会は変わっていかなければならないし、私たちは考えていかねばならない。私たちには何が出来るのだろうか…?
 
 
 
 
キレる子ども
 
武井 博志
 

 
 
1・
 
 2000年のゴールデンウィークを思い出して欲しい。バスジャックがあったと思いきや、「人を殺す経験をしてみたかった」とのたまう少年も現れた。そのあとには、後輩に馬鹿にされていた少年が金属バットでその後輩を殴り倒し、仕舞いには自分の母親をバットで撲殺し、自転車で逃げるという事件まで起きた。
 少年による事件が各メディアによってずいぶんと取り沙汰されるようになった。95年に神戸で起きた、児童連続殺傷事件(酒鬼薔薇事件と呼ばれることのほうが多いか)からであろう。そして栃木県・黒磯市で起きた女性教諭刺殺事件からはずいぶんと「『キレル』子どもたち」という表現を聞くようになった。
 いったい、「キレる」とはどういうことなのだろうか。
 
2・
 
 「キレる」という言葉はどのように適用されるのだろうか。おそらくこのように認識されているだろう。普段温厚な人間(この場合は少年)が、何かの原因によって、突然ものすごい勢いで怒り出したり、暴れだしたりすることである。
 また、こうも定義されている。『他人から不快なことを言われたときに突然ナイフで切りつけるなどの暴力行為を働くことをいう。とくに普通に見える子に起こることに不気味さがある。「キレる」を理解するキーワードは3つ。がまんを超える、感情表現の貧弱さ、歯止めがきかないである。親や教師の監視下で、いい子であることを容易に演じられる子どももいるが、いい子であることに疲れきっている子どもがいる。また学業成績で評価されるというストレスに年がら年中さらされる。以下省略―』<1>この定義自体についても様々あるであろうが、それは置いておこう。私たちが注目すべきは、「突然」であろう。昨今の(新聞紙上をにぎわせるような)少年犯罪に必ずといっていいほど付きまとう言葉は「普段は温厚な少年が」、「成績優秀、挨拶もきちんとできる」といったものである。そのように周囲に思われていた少年が「突然」ナイフを取り出して、人を斬りつけたり、刺したりするのである。
 
3.
 
 現在の少年(子ども)たちは、周囲の目に触れる部分では常に「いい子」であることを求められている。親にしても、口では「好きなようにしていい」などといいながらも知らず知らずのうちに、体裁という服を着せようとしてしまう。「本当はこうしたい」という自分と、「こうしなければならない」という自分の中で起きる軋轢を、現在の子どもたちは上手に消化することができない。何につけても自分の気持ちを表に出すことを恐がってしまうのだ。
 現在の子どもたちが、非常に繊細であるということは一致していると私は思う。繊細というのは同時に弱く脆いものであり、打たれ弱さに直結しているといっても言い過ぎではないだろう。自分の気持ちを表面に出すことによって、自分が叩かれるのを嫌うのだ。いじめに乗ってしまう当事者以外の子どもがいい例ではないか。いじめられている子をかばえば、自分までいじめの標的にされてしまう。
 では、なぜこの繊細さが生まれてきたのだろうか。まず、子どもをかわいがり過ぎているということがあるだろう。親と衝突することがあっても、自分が折れるということをせず、親が折れてしまう。気付かぬうちに、子どもをお山の大将に祭り上げてしまうのだ。しかしこの、お山の大将が学校に集まれば、引くことを知らない子どもたちの集団になってしまい、自分の気持ちを表に出すことを恐れるどころか、自分の気持ちを無理にでも押し通そうとする子どもの集団になってしまう。確かに、「学級崩壊」といわれ、「我慢を知らない子ども」というのは、これに当てはまるであろう。しかし、キレる子どもにはどうしても結びつかない。いわば、キレっぱなしであるからだ。
 まず、「親と衝突する」というところに、そもそもの間違いがある。衝突しないのだ。親は子どもに媚びながら生活している。子どもは親が喜ぶようにするのが当たり前なので、表面上は何の問題もない親子のように見える。だがしかし、子どもだって叱って欲しいことがあるのだ。注意を引くためにわざと間違ったことをしてみたりする。そんな時はやはり叱って欲しいと思う。それでも親は、叱らない。いや、叱ることができないのだ。方法論ではない。どこかで子どもとの衝突を避けている。精神部分の話だ。この衝突を避けるという部分が、一部の子どもをお山の大将に祭り上げている事実もあるであろう。
 
4.
 
 現在の「キレる」という問題を、精神科医の吉田脩二<1>は学校の「いい子」教育のせいだといっている。また、教育評論家の尾上進勇(ゆきお<2>)は、子どもが「子どもモドキ」であるからだといっている。どちらが正しいかは分からない。それぞれについて自分なりの見解を加えたい。
 まず、前者は学校の教育に原因があるといっている。日本において昔ながらの農村社会を背景としている教育だ。村という共同体の中で、自分以外の人より目立つことなく、また迷惑をかけることのないように教育するのだ。そして高度経済成長の時代には努力をすれば、その度合いに見合った結果が待っている、と。時代が変わった今でもその方針は変わっていなくて、そのひずみの結果がキレる子どもだと吉田は言っている。
 先に後者についても触れておこう。こちらは、「子どもモドキ」という言葉を使っているが、要は大人になりきれない子ども、ということだ。身体の成長と精神の成長のバランスが取れず(とくに精神の方が)、妙に幼さ、未熟さだけが残ってしまっている子どもである。こちらは、周りの大人がよくないといっている。
 私が常日頃思っていることだが、教育的な問題を考えようとするとどうしても犯人探しになってしまうような感がある。ずばり、責任転嫁である。それよりも、家庭・学校・社会それぞれの立場から、それぞれの問題点に焦点を当てることのほうが肝要であろう。
 まず社会である。社会が昔と比べてどのように変わってきているのか、またこれから先はどのように変わっていくのかを子どもたちにきちっと示す必要があるだろう。その上でどのような人間になるべきか、どのような人材が必要なのかを示さねばならない。正直にいえば、昔と表面上は変わっても根本の部分では何も変わっていないのかもしれない。特に役所仕事などを見てもらえば分かるだろう。だが、変わっていないなら変わっていないことも伝える必要がある。おそらく、それを伝えるということは、非常に痛みを伴うことだろう。だが、現在の自分の利益よりを少しでも将来の利益につなげて欲しいものである。
 今現在おいしい思いしかしていない人が、ほんの少しずつ我慢すれば、莫大な利益につながるのではないか。国民一人一人から1円ずつ集めれば1億2千万円になるようなものだ。それを受ければ、学校のあり方も変わっていくだろう。いたずらに目新しい教育方法や理論を追い求めるよりも、時代に合わせて柔軟に教育をする方がいいに決まっている。教員を育てる大学のあり方も問われるだろう。ここでは語らないが、低学力化の問題についてももっと真剣に考えられる。本当に必要なのは、学力なのかそれとも人間の資質なのか。
 家庭は、人間の接する最初で、最も小さく、最も重要な社会である。社会が変わればそれを反映する形で、おのずと家庭も変わるはずだ。こう聞くと、「社会が変わらなければ・・・」という風に受け取れる。確かに出だしが社会からだったので、そう聞こえるが、どこからはじめても同じである。まず、それぞれの立場から問題を見つめること、それを他に反映させること。これが重要である。もっといってしまえば、国民一人一人がもう少し賢くなることである。
 
5・
 
 私は、家庭のあり方について最も関心を寄せているので、家庭について書こう。
 まず、現在の社会を見てみよう。先進国といわれるようになって久しいが、出生率は低下し、「一人っ子」という問題がある。この問題自体はどの先進国でも起きていることだ。更に、続いている不況の波。この時代に必要なのは、一人一人がビジネスチャンスを求めることではないと思う。テレビを見れば大富豪が出演していることがある。その一方で私の家を見て欲しい。貧乏である。リストラをされ、寒空の下で生活をすることを余儀なくされる人もいる。ここで例えば私に必要なのは、ビジネスチャンスを掴むことではない。まぁ、富豪になりたくないわけではないが、自分の人生のターニングポイントを見抜いて、それをおのれの問題としてひきつけて考え、選ぶ力である。善悪を見抜く、といっても言い過ぎではなかろう。これは幼い頃から、何が良くて何が悪いというものさしを自分の中に持っていなくてはならない。そのものさしの大きさや目盛りが変わっても構わない。大事なのは確固たるものとして持っているか、ということだ。
 ものさしは、何によって作られるのか。最初は、親との関係の中で作られる。白紙の状態で生まれてくる子どもに、親が善悪の規準を与えていくのだ。親は、誉める義務と叱る義務を持っている。何も理屈で誉めたり叱ったりする必要は全くない。良いものは良い、悪いものは悪いとはっきりさせなければならない。
 学校の教師にしてもそうだが、「なぜ」と問われると弱いような気がする。いい例が、テレビで「なぜ人を殺して悪いのか」という少年の問に対して言葉を返せなかったという問題だ。その問の真意が、からかってやろうというものなのか、それとも本気で聞いているのか分からないが(いずれにしても非常に浅はかだと思うが)、理屈でねじ伏せようとするからいけないのだ。「刑法で・・」などと言おうものなら問うた者を喜ばせるだけだ。「悪いものは悪い。そんなことも分からんのか。お前は。」くらいでちょうどいいと思う。先に真意は分からないと書いたが、私はきっと大人の本気の具合を見てみたいと思ったに過ぎないと思う。怒るのか、それとも別の反応が来るのか。答えない(られない、でも同じ)というのが最も卑怯で、子どもたちを落胆させる答えではないか。子ども(少年)にしてみれば、あくまでも何か反応してもらわなければならないのだ。それが理屈だったら、相手を喜ばせるだけだが、もし怒ったり、別の反応であればきっと子どもは少しだけ大人を見直すだろう。大人は自ら悪い立場へと自分を追い込んでいる。
 大人が自分の過してきた何十年という日々に自信を持ち、それをゆるぎないものとしていれば、子どもは大人を尊敬する。これも理屈ではない。年少者は年長者を尊ぶべきだ。何度でも言おう。周りを変えようと思ったら、まず自分を変えなければならない。それができてから、次、なのだ。
 
 私も、教育を変えようと思ったら、まず自分を変えてみようか。それから次は、どうしよう。政界の古狸を相手にクーデターでも起こしてみようか。
 
6・参考文献
 
<1> さよなら「いい子」 キレていく私たち
     吉田 脩二 発行:同朋舎 発売:角川書店
<2> 親も知らない子どもの正体
      尾上 進勇 講談社
<3> 人を殺してなぜ悪い 学級崩壊の正体はこれだ
     工藤 悠紀 発行:武田出版 発売:星雲社
<4> シリーズ中学生・高校生の発達と教育 1 若者たちの現在
     堀尾 輝久ら 岩波書店
<5> 子どものこころを育てるテレビ・テレビゲーム・コンピュータ
     P.M.グリーンフィールド著 無藤 隆・鈴木 寿子共訳
     サイエンス社
 
 
軽い眩暈
 
菊池 秀江
 

 
 
 家族の問題を考えていく上で、子どもが親によって常に適切に愛育され、保護されていると考えるのは難しい。むしろ親の知性や優しさによって暴力や支配がどう食い止められているのか、というように考えた方がいいのかもしれません。
 
『害は少ないということはあり得ても、家族の中でトラウマを親から受けないで育つ人なんていないんだ』※1
 
確かにそうともいえるでしょう。良い面も悪い面もそれだけ親の影響は大きいのです。自分の価値観や物差しを築く源と言えます。
 家族の問題を考えていく上で言えることは、家族関係というものはいつも刻々と変化し、流動している方がいい、ということだと思います。家族とは本来、愛情と安らぎに満ちた世界と考えられています。勿論私にとって家族は理屈抜きで大切なものであり守るべきものです。しかし、一方で人間関係が緊密なことによる特殊性や、密室性といった側面が潜んでいます。よって、一旦家庭の中の人間関係に問題が発生すると、非常に危険なところに転化するといえます。一定の人間関係がいつまでも永続していって、変化が起こらなかったり、家族(とくに親)の持っている、ものの考え方が外部の影響を受けなかったりして、純粋培養みたいな家族環境が継続している場合には、そこではびこる問題は大きなものになります。
 家族の在り方は多様です。しかし、子どもにとって「お前でいいんだよ、そのお前が大切なんだよ」という受け入れがきちっと与えられていなければなりません。このアプルーバルは、子どもにとって案外ある程度の年齢になってから再認識されたりするものです。ただ、このアプルーバルがないと子どもの人格形成に歪みを与え、不安をもたらします。
 
 さて、少年犯罪をテーマにこの一年ゼミで話し合ってきましたが、その中で「自己肯定感」とか「自己の存在確認」とか、いくつかキーワードが出てきました。又、“普通”といわれる子が犯罪をするなんていうこともテーマでした。家族という視点から考えたいと思います。
 まず、自分の価値観や物差しの源は家族です。そしてその家族という単位から学校や地域・社会へと拡大してゆきます。その社会の中で価値観や物差しを時には疑ってみたり、変更してみたり、触発されたりするのだと思います。
 他者にとらわれていた自分からどう脱出するのか。それは自分にとっての価値を他者にとっての価値が等しいものであった時ではないでしょうか。
 家庭で培われた価値観や物差しに違和感を覚えたとします。様々な人と深く関わっていけばそれだけの違った価値観や物差しに出会い、ヒントになるかもしれません。しかし、厳しい現実社会が違和感を覚えたものと同じ価値観を注入してきます。ここでどういう選択があるのでしょうか。何とか変更しようと試みます。自分が刺激を受け、新たに出会った価値観や物差しを取り入れてみます。そこではきっかけを得られたり、やむを得ず変更するしかなかったり、様々です。また、「もうこんなものどうでもいい」と思う人もいるかもしれません。価値観とか物差しとかそんなものではなくて、もっと違った叫びです。私はどんなに平然を装って残酷な殺人を犯す少年たちは、なんらかのSOSを発していたことには変わりないと推測しています。
 
『人はなぜ誤解に気づかないかというと、それは自分の物差しですべてを説明することができてしまうからです。万能物差しで測れないものはありません。』※2
 
実は価値観や物差しの変更は結構大変な作業のように思えます。そう簡単にできるようではないと思います。むしろ、「自分の物差しは間違ってないよな」と確認作業をしている人のほうが多いのではないでしょうか。そう考えると、最初に培われた価値観や物差しはかなり頑丈です。どこかとらわれてしまう、そんな一面を持っている気がしています。
 
『私たちが適切に振舞おうと努めるのは、評価というものを求めているからだ』※2
 
少し「存在証明」という視点に変えます。そもそも他者のまなざし、社会のまなざしへの意識や自覚が非常に強いということは、「自分に対する評価」への強いこだわりをもたらします。ゆえに私たちの行動の仕方は大きく影響されます。人間は一人で生まれ、生きてゆける訳ではないので、当然身近な他者のまなざし、社会のまなざしを意識せずにはいられません。というよりは、無意識に「存在証明」をする生き物のようであります。
 
追い詰められた状況としてうまい具体例が見当たらないので、ある女性Kの例をひとつあげさせてもらいます。
 事情があってものすごい襤褸屋敷に彼女は住んでいました。お金はないし、明日の食事もどうしようという不安な毎日です。しかし、矛盾しているようですが、彼女はPHSを持っていました。当然、自分からはかけませんが・・・。又、洗濯機がないので手洗いをしていました。オーブントースターもテレビもありません。電化製品はリサイクルショップで値切った欠陥冷蔵庫ともらった炊飯器だけでした。売れないお笑い芸人の下積み時代のよう(!?)でした。
 やはりこんな生活をしていても他者のまなざしは気になるのです。不潔だと思われたくなかったのでとにかく服は襤褸くても清潔にしているように気を配りましたし、テレビなど見ていないくせにある程度話をあわせたりしていました。
畳に湧き出てくるシロアリに悩まされながら、「何が大切なのか」と問い直していました。その時のKさんの気持ちと少年たちの気持ちを考えてみました。彼らは何を探しているのか。何から逃れたいのか。何に対するメッセージなのか。彼らは犯罪のむこうにどんな世界を見つめていたのでしょうか。私にいえることは、瞬間的な逃げ場があったとしても、永遠に逃げる場所は、生きている限りは、ないということです。頭のどこかで逃げているかもしれないと認めつつ、「逃げじゃない」と言ってみたりするのは、自己肯定感を下げます。変更可能であっても、それには本人が自分と向き合って克服しなければなりません。その一方で克服する必要が無いとする人もいます。「存在証明」の獲得に向かう人間と、さらに「存在証明」を要求する社会のはざまで、それでもどこか自己に期待しているからこそ、人間はアクションを起こすと思われます。そして至る所に社会の力が働いていて、ぶつかり悩みます。きれいごとでは済まされない問題です。
 本当に好きなことのために生きられたら幸せだと思います。少年たちは殺人を犯すために生きてきたわけではありません。たくさんの要因によって、犯罪に行き着いてしまったことを深く受け止めなければなりません。
 少し逆のアプローチをしてみます。少年たちには歯止めがなくなりました。もうどうでもよくなったのです。しかし、どうでもよくなったにしては、犯罪や自殺には、大変なエネルギーが必要なのではないでしょうか。やはり、そこには何かが示されています。これが最大の存在証明だと考えてみることにしてみます。本来「存在証明」は他の形でなされるはずですが、犯罪という形でなされてしまいました。
 
『私たちは場合によっては、自分が存在証明のために行っていることを自覚しないですむ場合もあります。例えば、それは私たちが日常的に行っている活動、ルーティン・ワーク、役割の中に存在証明がうまく織り込まれている場合です。 ―中略― 私たちが行っているのは「生活」であり、「仕事」であり、「恋愛」であり、「趣味」であるからです。』※2
 
 ここで考えるのは最初に書いた「自分にとっての価値=他者にとっての価値」という問題です。もう少し言い方を変えれば、自己評価基準をどう作るかということです。年齢が上がっていくにつれ、自己肯定感を喪失させるような日本の教育システムの中で、どのように自分にとっての価値を位置付けたらいいのでしょうか。私は自分という存在そのものに価値を見出せたらどんなにいいだろうと思いますが、「生活」を“この” 社会で営んでいる以上、自分にとっての価値をある程度意識的に持っていたり、探したりしていると考えています。勿論自分にとっての価値は自分で見つけるものなのかもしれませんが、ここではそれが他者にとっての価値と等しいものとなってこそ感じられるものだと考えることにします。
 “普通”だといわれる少年たちはある程度他者にとっての価値を得ていたと考えられます。学校の成績が優秀だとかスポーツ万能だとかそういったものです。しかし、そんなことではなくて彼らには欲求なりSOSがあったのだとすれば自己評価基準をどう作っていたのでしょうか。案外根本的な部分が足りなかったのではないかと推測しています。親に対するフラストレーションだったり、結構小さな枠組みの中で視野が狭められてしまっているのではなかったかと思います。もう少し自己評価基準を作る材料を集められなかったのかと悔やまれます。それは冒頭で言ったように家族の性質に結びつきます。密室性、特殊性の話です。さらに「存在証明」、「他者のまなざし」と追い討ちをかけます。だから、生きづらい、といわれるのかもしれませんね。逆にいじめられた子がいじめを家族の人にいえない例もよく理解できます。家族が大切だから、守りたいから、自分にとっての価値基準が高いから、です。
 家族の特殊性として自分と家族を切り離して考えにくいという一面があります。だからこそ特別な意味がある運命共同体である反面、厄介なものでもあります。親の育児の負担を軽くしようという流れに逆らってしまうかもしれませんが、やはり子どもが親の生き写しである以上、親に責任があります。親だけが要因ではありませんが、“普通”といわれている子どもたちの犯罪にせよ、親に問題があったといわざるを得ないと思っています。少年たちは“普通”を表面上装っていたかもしれませんし、そんなに簡単に彼らの心が分かるものなのでしょうか。責任をどこかに押し付けようとしているわけではありません。それだけ幼児期の教育が多大な影響を及ぼすということです。簡単にそれまでのものが覆るのならば誰も苦労はしないということに目をつぶってしまっているのです。だからこそ葛藤して立ち向かわなくてはならないのです。簡単ではないからです。身をもって学ぶものであり、甘っちょろいものではないのです。
 「自分を高める」とか、「自分を磨く」などと言いますが、実はこれも「存在証明」のためなのかと思うと、なんだかぐったりします。また、ゼミの討論がきれい事に終始してしまうのも「他者のまなざし」に操られた結果なのかもしれません。言い過ぎました、ごめんなさい。でも、何が正しいのか問いながら、そしてちょっぴり自分を信じたり、期待しながら生きていくものです。そんな可能性を持った人間の誕生、そして基礎を築くところが家庭である以上最も重きをおいた次第であります。
 
<引用文献>
『家族・暴力・虐待の構図』
日本弁護士連合会 読売新聞社 1998年 ※1
『人はなぜ認められたいのか』
石川 准     旬報社   1999年 ※2
 
<参考文献>
『児童虐待』
   斎藤 学 編   金剛出版  1994年
 
 
 
 
 
「私」の中にいる、多くの愛すべき人々へ
 
鈴木 舞

 
 
<はじめに>
 
 今更ながら、実は私は法学部なんです(多分みんな知ってると思うけど)。だからといって別に“単位カンケーないんだから、ゼミ論書く必要ないじゃーん”とか、そんな事が言いたいわけではなくって、せっかく単位に関係ないんだし、違う学部なんだし、偶然児美川ゼミに参加してみんなに会えたんだから、その事について書こうと思います。私が「私」である理由というか、証拠というか…。うまく言えないんですけど、みんなが私の周りにいてくれたから、そして、「私」の中にいてくれたからこそ感じられた、そんな思いを書こうと思います。
 この論文は人々が生きる上で必要である、「関係」の持ち方についての私なりの考えです。第1章は『友人』。この児美川ゼミで感じた事を、ある映画と重ね合わせて書こうと思っています。第2章は『恋人』。私達若者(←この時点でオバサン?)には欠かせないネタです。この章では絵本を題材にします。第3章は『家族』。私がもっとも深く感じている「関係」を、私がもっとも尊敬している戯曲作家の芝居から考えてみたいと思っています。そして最終章、第4章ではこれらをまとめて『人間』という視点から、自分が「自分」として生きる1つの定義を出そうと思います。あくまでも私の個人的な意見です。これが誰もの感覚に当てはまるとは思いませんし、押しつける気もありません。だから、バイトが急にお休みになったとか、デートがつぶれたとか、今日は誰とも会いたくないとか(笑)、そんな時間が余ったような時にでも読んで下さい。この論文が、人間関係に疲れたあなたや、「自分」に疑問を抱いているあなたのお役に少しでもたてたら光栄です。…なぁんて、そんな大した論文になるとは思えないけど(なぜなら今日は〆切前日。間に合わないだろうな…。)。15枚なんて枚数指定は忘れて、とりあえずはじまりはじまり。チョットだけお付き合い下さい。
 
<第1章 友人>
 
 [詩人は彼に何を与えたのか?映画『イル・ポスティーノ』から考える友人関係]
 
 この映画は地中海のとある小さな港町で、思想が原因で祖国を追放された有名な詩人に、郵便を届ける仕事をすることになった青年が、詩人との交流の中で、愛の言葉(隠喩)と“目に見えないもの”を教えてもらうという映画です。青年は水も満足に出ない田舎町での暮らしにも、何の希望も感じられない自分の人生にもウンザリしています。私にはそんな青年が、まるで自分のように感じました。なんだかパッとしない毎日、先が見えない不安、誰といても何人でいても孤独な感じ…。私はこの映画を見ながら、そんな自分に対する答えを求めていたのかもしれません。青年は詩人に教わった隠喩の愛の言葉(詩人の詩を盗作したのですが…)で、想いを寄せていた女性に手紙を書き、恋に落ちます。やがて詩人は祖国に帰り、青年は何1つ変わっていない港町で、最愛の女性と何て事のない人生を送るのです。始め、私にはこの青年が哀れなように感じました。詩人はその港町を去った後、青年を訪れては来てくれませんでした。それでも青年は詩人を友人として信じ続け、詩人と同じ思想を持つ者達の集会に出掛け、暴動に巻き込まれ命を落としてしまいます。青年の死後、港町を訪れた詩人は、自分の名前にちなんで名付けられたと思われる今は亡き青年の息子と、青年が生前録音していた「詩」に出会います。それは作品番号で区切られた港町の様々な「音」でした。
“作品番号1 カラ・ディ・ソットの波  作品番号2 大波  作品番号3 岩壁の風 作品番号4 茂みの風  作品番号5 わが父の悲しい網  作品番号6 聖母教会の嘆きの鐘と司祭さん  作品番号7 島の星空  作品番号8 パブリート(息子)の心音”。
 青年はこの「詩」の後、こう詩人に語りかけます。“あなたが帰った時、すてきなものはみんな持って帰ったと思った。でも本当は、いろんなものを残してくれたんだ。”と。青年の生活は詩人に会う前も後もたいして変わっていません。しかし詩人は、青年にたくさんの“目に見えないもの”を残してくれました。今まで耳を傾けることさえしなかった波の声、大嫌いな漁師の父が手繰る網の音、見上げることすらしなかった故郷の星空…。それらはすべて以前から青年のそばにあり、詩人に出会ったその後もずっとそこにありました。青年がその美しさに気付けたのは、詩人との出会いがあったからなのです。詩人は青年の「詩」を聞いた後、青年が波の音を録音した海岸で、まるで自分が青年と共に集会会場にいるような錯覚を見ます。暴動に巻き込まれる青年を必死で助けようとする詩人がそこにはいました。映画はここで終わっています。
 私は青年と自分を重ね合わせ、最後には青年と同じように救われました。この映画を何度も見るうちに、友人とは“目に見えるもの”を与えてくれる存在ではなくて、“目に見えないもの”を与えてくれる存在であると思ったのです。物事を決まった方向からしか見られなくなってしまった自分に、その物事を様々な方向から見せてくれるもう一人の「自分」。これこそが本当の意味での友人だと私は考えるのです。詩人が、青年と一緒に集会会場にいる錯覚を見たのは、同じ場所にいなくともどこかで“つながっている”からではないでしょうか。こんな友人関係を、私も児美川ゼミで見つけたような気がしているのです。
 
<第2章 恋人>
 
 [何も出来ないけど、出来なくていい。絵本『君のためにできるコト』をお手本に]
 
 私はキャラに似合わず絵本が大好きです。絵がかわいいとついつい欲しくなってしまうし、最近では大人向けの絵本もたくさん出ていて、内容も濃くなってきています。この『君のためにできるコト』は、絵がかわいくて買ってしまったのですが、お話自体も私の理想に近いかもしれません。
 主人公はおしゃべりなくまおクンと物静かなくまこチャンです。二人は仲良し。くまこチャンは、くまおクンにいつも何か言いかけますが、くまおクンはくまこチャンの言葉を聞き終わる前に何でもしてしまいます。「お腹がすいたの?」と料理を作ってくれたり、「寒いの?」とお洋服を着せてくれたり…。何にも伝えられないくまこチャンと、何にもわからないくまおクンは徐々にズレていきます。くまこチャンの伝わってこない気持ちに不安を感じたくまおクンは、「ボクにいなくなって欲しいの?」とくまこチャンの前からいなくなってしまうのです。くまこチャンはその時になってようやく、本当の自分の気持ちを口にします。「あのね…ずっとそばにいてくれる?」その言葉は遠くのくまおクンに伝わり、ふたりはまた仲良く暮らすのです。
 私達がお互いを必要とし、恋人となり、共に時間を過ごして行く上で、相手の考えてる事や望んでいる事などがわからず、不安になってしまうのは、私達が決して同じ人間ではないからです。それと同時に、違う人間だからこそ惹かれ合い、必要とするのではないでしょうか。私の友人は、私に「自分のクローン人間と恋に落ちたい。」という突拍子もない発言をしました。でもそれは、彼が相手に何をしてあげたらいいのか、相手が自分の何を求めているのかわからない不安からきた言葉でした。私もそうです。自分に自信のない私は、相手の望むことをしてあげるしか、相手の気持ちを自分に向ける方法がないと思っていました。なのに相手が望むことがわからず、傷付くことを恐れた私は、“相手を全部好きにならない”という技(?)を生み出しました。自分の気持ち、全部で相手を好きにならなければ、不安になっても、裏切られても、うまくいかなくなっても大丈夫。自分の気持ち、全部が傷付かなくていいんです。一時的なショックで終わるんです。でもそんな恋愛は、自分にウソをついているだけの“疑似恋愛”にすぎませんでした。私が求めているのは多分“私の居場所”。そこには何を求めるでもなく、何を与えるでもない自分とはまったく違った“もう一人の自分”がいて、その“もう一人の自分”のそばにいるだけで安心できる、そんな“居場所”を求めているのです。自分とは違うのに、違う時間を過ごしてきたのに、どこかでつながっているような気がする“もう一人の自分”。それこそが私の求める恋人なのかもしれません。何も出来なくたっていいし、わからなくたっていい。わかろうとすることが大事なのであって、そのために一緒にいることが何よりも必要なんです。…違う意味で理想が高いのかしら?私のくまおクンは一体どこにいるんでしょうねぇ、まったく。
 
<第3章 家族>
 
[消えて無くなってしまった思い出や人々が、今の私に生きる力を与えてくれる。
 芝居『食卓(テーブル)の木の下で』に見る家族の在り方とは]
 
 みなさんはお芝居とかって見たことあります?私は高校あたりから観劇が趣味になり、今でもよく観に行きます。この『食卓(テーブル)の木の下で』は、私の高校の演劇部顧問をやってらっしゃった荒井先生が、早稲田時代共に劇団を組んでいた高泉淳子さん・白井 晃さんを中心に活動している遊◎機械?全自動シアターという劇団の作品です。そういったいきさつでこの劇団のお芝居を観るようになりましたが、今では私の1番好きな劇団となりました。この『食卓(テーブル)の木の下で』は、今年の4月7日から26日まで青山円形劇場というところで再演される事が決まりました。もしよろしければぜひ観に行ってみて下さい。別に回し者ではないですけど…。
 シーンは古い家の庭の木の下です。そこにはテーブルがあって、年老いた男女が座って食事をしています。彼女はその古い家に一人で暮らしていて、彼は夫でもなく、兄弟でもありません。彼女が10歳の時、父親が家を出て行き、家族が壊れていきました。まもなく彼女は家を出て、母親が亡くなった後、戻って来て一人で暮らしているのです。庭の端には父親が鳥小屋を改造して作ったワイン小屋がまだあって、そこには父親が残したたくさんのコルクがあります。そのコルクを手にした彼女はいつのまにか、今はもう消えて無くなってしまった人々の中にいる自分に気付くのです。この劇団の特徴は、時間の中を自由自在に動き回るところにあります。彼女の記憶とともに、少女時代の楽しかった家族での想い出、独り身ゆえに姉からお見合いの世話ばかりされていた頃、そして、父親にそっくりな彼と出会い、結婚するわけでもなく、年老いてもなお付き合いを続ける現在と、様々なシーンを行き来するのです。庭の大きな木は、そんな彼女をずっとずっと見守ってきました。それはまるで父親のように。彼女は記憶の旅を終えて、自分がそんな消えてしまった思い出や人々に、現在を生きる力を与えてもらっていると気付きます。そして傷が癒えた彼女は年老いた彼と、少女時代の家族が過ごした古い家で一緒に住む事を決意するのです。
 私の父は優しい人でした。怒ると怖かったけど、私達家族を1番に考えてくれていました。私は父の記憶が薄れていくのを恐れています。実家のタンスを開けると、そこにはまだ父の洋服が残っていて、顔をうずめると少しだけど父の顔が浮かんできます。自然と父に似た人を好きになります。父がよく読んでいた雑誌を見るとつい買ってしまします。夜中に父を思い出して泣く事だってあります。私の丸い目は父ゆずりです。肌の白さも、髪の黒さも、鼻の低さも全部父からもらいました。もう私の父は消えて無くなってしまったけれど、今でも私は父とつながっていると思っています。目や肌の白さみたいに、見た目だけではなく、父は私の中で今でも生きているのです。くさーいドラマで、そんなセリフを聞いた事があるな…。でも私が今だからこそ思うのは、あの父の娘で良かったということです。もうちょっと早く気付ければ良かった。父にそう言ってあげられれば良かった。みなさんは後悔しないように接して下さいね(←ちょっと偉そう)。
 
<第4章 人間>
 
[あなたは天国にどの思い出を持っていきますか? 映画『ワンダフルライフ』の定義す る“ワンダフルライフ”]
 
 この映画は、私が今まで観た中で1番好きな映画です。まるでドキュメンタリーのような映像と、賛美歌のような音楽、淡々と進むストーリー。有名な役者さんはあまり出ていませんが、だからこそあんな雰囲気が出て、自分を重ね合わせやすかったのでしょう。
 人々は、死んでから天国へ行くまでの7日間、ある施設に収容されます。そこでは、自分の人生を振り返り、1つだけ思い出を選ぶという作業をしなくてはなりません。天国にはその思い出を持って旅立ちます。ただし、他の思い出は全て消えてしまうのです。ある老婦人は、小さい頃お遊戯会でやった『赤い靴』のお遊戯を、近所のお兄さんに見せている思い出を選びます。またある少女は母親にひざまくらをしてもらっている、夕暮れのシーンを選びます。そうやって選ばれた思い出を、施設職員がお手伝いして映像化するのです。最終日にはその映像の上映会が行われ、それを見ながら、人々は天国へと旅立って行きます。その施設で働く職員は、みな、思い出を1つ選べなかった人々です。主人公の青年もそうでした。ある時、70歳代の老紳士が施設に収容されてきます。彼には選ぶ程の思い出がありません。何て事のない人生、普通に働いて、普通に結婚して、普通に老後を迎えて、妻に先立たれて…。結局、その老紳士は上映会のある最終日直前、定年後に妻と初めて行った映画帰りの公園を選びます。何て事のない日常を最高の思い出として選んだのです。ここまでなら、今までもよくあったお話です。何て事のない生活こそが幸せだというお話。でもこの映画のテーマはこの後にあるのです。実は主人公の青年は戦死をして、生きていたらこの老紳士と同じ位の年齢でした。老紳士の話を聞くうちに、青年は老紳士の妻が自分の婚約者であったことを知るのです。急いで、もう亡くなっている妻の思い出の映像を探す青年は、その思い出が、夫である老紳士とのものではなくて、出征する前日の自分との思い出であることにショックを受けます。老紳士に悪いからではありません。自分は彼女との思い出を選べなかったのですから。彼は悩み続け、ようやく1つの思い出を選んで天国に旅立つ事にします。その思い出は、出征前の婚約者とのものでも、それ以外のものでもなく、施設で働く仲間の顔でした。彼は天国へ旅立つ前日、こんな事を言います。「僕が思い出を選ぼうと思えたのは、ここで色んな人に出会えたからだよ。」そうして彼は、仲間の顔を胸に天国へ行くのでした。
 この映画を観た後、多くの人々は老紳士が哀れだと口々に言いました。思い出で選んだ妻には選んでもらえず、生きた証になるような思い出を選びたいと言っていたのに、自分の人生にはほとんど何もなかった。しかし私は、この老紳士が救われていると信じたいのです。青年が最後に言った言葉、これこそがこの映画のテーマだと思います。青年は老紳士と出会い、これが自分の人生だと言える思い出を選ぶ事ができました。天国にはたった1つしか思い出を持っては行けません。青年は施設の仲間の事しか覚えていないでしょう。老紳士の事など忘れてしまうでしょう。でも、そのたった1つの思い出を選ぶために、忘れてしまった多くの人々や思い出がそこにはあるのです。私達が生きていく上で、他人との関わり合いは決して外せるものではありません。それと同時に、そういった出会いがあるからこそ、私達は自分を、自分の人生を肯定できるのではないでしょうか。これがこの映画の定義する“ワンダフルライフ”であり、私自身が同感した他人とのつながりかたです。私達はつながりつつ、「自分」を生きているのです。
 あなたなら、いつのどの思い出を選びますか?私は今のところあの思い出と決めています。それは…私のくまおクンにしか教えません。しつこいかな?
 
<おわりに>
 
 ようやく終わりました!たった2日間で仕上げるという無茶・無理・無謀な計画(笑)。結構イケるもんですな。ちょっとバイトに励みすぎて、最後の論文だからちゃんと書きたかったのに残念です。書き足らないトコロが多々あります。読んでて意味不明な点がありましたら、どうぞお問い合わせ下さい。
 この論文を通して私が伝えたかったのは、様々な“つながりかた”についてです。私が今まで関わってきた他人とつながり、「私」という存在を生み出す。それと同時に、誰かが私や多くの人々と関わって、「自分」という存在を生み出す。そうやって人々は「自分」を形成し、「自分」を生きていくんだと私は思っているのです。最初に書いたように、これはあくまでも私自身の考え方だし、何の根拠もないし、何せ2日間で仕上げた論文だから説得力もないと思うけど、私はみんなに会えて、いろんな意見や、視点や、経験や、ネタ(笑)をもらって、今の「私」になれたと思っています。だからみんなに出会えて、大学生活最後の1年でこんなにステキでアホな人々に出会えて、本当に良かった。感謝してます。アリガトウ。特に、部外者のくせに態度のデカイ私を、黙って見守ってくれた児美川先生、あなたは私が出会った教師の中で1番のお人です。本当にアリガトウ。あららぁ、感動的な締めくくりしちゃった。キャラに似合わないので、ここらでおいとまします。来年はみなさんご存知のように、夜間の専門学校に通う予定なので、多分8限にしか参加出来ません。8限参加の際はまたまたヨロシュウ。ではっ。
 
 
 
 
 
 
『私の山北町(サンポクマチ)』
 
石栗 笑
 

 
 
はじめに
 
  少年犯罪をテーマにし、一年間やってきたわけだが、結局のところ、彼らは特別な子どもではないということ。特別というのは、犯罪を起こす必然性があった者ではないということ。
  育っていく環境の中で、何らかの要因があった。それは一時的なものではなく、継続的なもの。彼らが人格を形成していく上で徐々に組み込まれ、結果、社会規範に沿えない者になってしまった。
  「人を殺す経験がしてみたい」で、あっさり(?)見ず知らずの人を殺せてしまう。
  誰もがこうなりうるとは考えにくいかもしれないが、あえてそう考えることで、彼らを救ってあげたい。
 
他者からの承認
 
  前期の子ども班の発表でもあったように、少年犯罪を語る上で必要不可欠なキーワードが「他者からの承認」ではないだろうか。
  それでは、何で承認って必要なのだろう??「人は承認されないと自分の価値を見いだせないから」「自己肯定感が持てないから」もちろんそのとおりだ。しかし、もっと突っ込んで、なぜと問うた場合、どういう答えがあるだろうか。
  あたしは、そこに社会があると思うから。社会があるということは、どうしても自己中心的には生きていけない。自分だけのルールでは通用しない。だから承認が必要なのだ。古川さん曰く「真の承認とは無意味な甘やかしではなく問題を問題として指摘すること」そこにつけくわえると、社会的規範を軸にして生きているからこそ自分の行為が正しいか否かを判断してくれる存在が必要だ。
  子どもは、自分が他者から評価される事で社会的規範を身に付け社会(他者)とかかわっていける。だから、ある意味「承認する」ということは、我々社会で生きている先人(大人)の義務である。
  社会的規範があるからこそ「認められたい」いやむしろ「これでいい」と思える。結局それが自己肯定感につながる。
  社会(他者)があるからこそ、自分というものができあがる。
これを考えれば、犯罪を起こす少年たちは、内なる他者を取り込めない環境で育ってきたと言えるのではないだろうか。
 
誇大自己
 
  誰しもが、赤ん坊の時代には「自分はなんでもできる、自分は世界の中心だ」とかんじている。人間が成長するうえで、この赤ん坊の自己愛というのは絶対に必要なものである。しかし、これを克服しなければならない。いつまでも、自己愛にしがみついていては、対象愛は生まれない。誰かを愛するということの最初は、自分を愛するということ。
  この自己愛の、量や質が少年犯罪と何らかの関係があるのではないか。
最初の方で、人間は自己中心的には生きていけないと書いたが、まさにこの「自分はなんでもできる、自分は世界の中心だ」というのは、そういうこと。だって、ありえない。
しかし「私は世界一」という途方もない自己愛は赤ん坊の頃に誰もがもっていた『健全な誇大自己』に由来している。では誇大自己の生成と克服のために必要な条件とは??
・ 理想化された親のイメージがあること
  子どもは、自分の誇大自己が崩れそうになったときに、それを親に投影することによってなんとか一時的にでもキープしようとする。子どもが「ウチの親はなんでも知っている」「ママは世界一の美人」などと思うのは、親そのものが好きだからというよりは、むしろそれによって自分自身が持っている誇大自己を守ろうとするから。
・ 写し返しの欲求に答えられること
  子どもはときどき、自分の誇大自己イメージを、親という鏡に映してみせて確認しようとする。覚えたての芸当を何回も繰り返して見せるとか、上手に描けた(と思っている)絵を何度も見せるとか。そのときに、それを受けとめて賞賛したりほめてあげたりするような対象(たいていは親)が必要。
  アメリカの心理学者コフートは、誇大自己の温存というのは、親側の失敗によって起こると言っている。その失敗というのは、子どもが要求してくる「写し返し」や「理想イメージ」に応えられないとうことを指している。これが、徹底的にしかも慢性的に繰り返される時が問題だとされている。
  親が何か特別に立派な行動をすることを求められているわけではない。大切なのは親の存在、すなわち親としての自信である。
  ふつうに考えると、親側のこの「写し返し」「理想イメージであること」の失敗が続くと、子どもは自分に自信が持てず、誇大自己は早くなくなってしまい、自己愛がまったくない人間になるのではないか、と思われる。ところがコフートの考えはその逆で、こういった親の失敗が誇大自己を温存させ、自己愛人格(誇大自己を手放せないままの大人)をつくるというのだ。
  つまり、子どもの欲求に正しく応える親の態度というのは、誇大自己の形成ではなく、むしろその修正や放棄のプロセスにかかわっていると考える。親が自己愛を十分に守ってあげないと、逆に自己愛は肥大したままであり続ける。
 
家族
 
  社会規範と親、という話をしてきた。そこで欠かすことのできないのが「家庭」であろう。なぜならば、子どもが最初に関わる社会が家族であるからだ。
  新潟女性監禁事件のまとめで、阿多さん曰く、「家庭は、子どもが最初に自我を形成する場所であり、人生の価値形成の基盤となるものであると言える。子どもは、家族の中の価値観を忠実にいきる。他者、外の世界を垣間見るとき、家族内の当然であった価値観が母親、父親が二人で作り上げたものに過ぎないことに気づく。気づく中で徐徐に自分の中に再構築する」つまり、親の価値観を基盤とすることで、外界との繋がりを持てる。そうして、自分の中に他者を取り込んで社会に適応する(社会に従順であるという意味ではなく、社会的規範が身に付いているということ)ことができる。
 
アダルト・チルドレン(AC)
 
  さてさて、家族の重要性は上で述べたようにでもわかると思う。しかし近年、子どもを無条件で愛してくれるのは親だけ、という観念が打ち砕かれてきた。(もともとそんなのは嘘だったといってしまえばそれまでであるが)それどころか本来、安全であるはずの家族という場所までも、機能しなくなってきた。それは、親によるわが子への虐待が急速に社会問題化してきた為といえる。テレビでも、虐待の実態を報道する番組がでてきたし、育児雑誌には、関連する記事がでない号はないほどになっている。そうやって虐待を受けて育った子は、大人になってから生きづらさを感じる。そういう人をアダルト・チルドレン(AC)という。
  ゼミで、あたしが一番興味を持ったことは他ならぬACのことである。誇大自己が少年犯罪の要因であるとする先ほどまでのあたしの見解と矛盾するのではないの??(ACは自己肯定感が低い人・他者を取り込みすぎの人だから)と思うかもしれないが、家族を考える上でACは避けては通れない。
  アダルト・チルドレンの誕生は、語源のアダルト・チルドレン・オブ・アルコホリック(ACoA)に端を発するように、アルコール依存症の治療現場から生まれ、アルコール依存症の親を持つ家庭で育って、現在大人になった人、というのが本来の意味である。
  「アダルト・チルドレンと家族」の筆者である斎藤学氏のAC概念は、ACoAをふくむが、それだけではない。親との関係で何らかのトラウマを負ったと考えている成人として、広義に使っている。厳密にいうとアダルト・チルドレン・オブ・ディスファンクショナル・ファミリーと呼び「機能不全家族のもとで育ち、大人になった人」ということ。つまり、親としての機能を果たさない親がいる家族のことを指す。
  たとえば仕事依存で子どものことが念頭にない父親だとか、病気で突然の入院を繰り返す母親などがいる家族がこれにふくまれる。酒も飲まないし暴力もふるわないが、やたらに厳しく、冷たくて、子どもたちが恐れおののいて口の利けない父親などというのもこれに属する。子どもに手を上げることはないが、夫婦喧嘩が絶えず、妻が家出を繰り返しているなどということがあれば、もちろん機能不全家族である。その中で育つ子どもは、言葉にされないルールにからめとられ、子どもの心(自己)の発達はある段階でとまる。
  斎藤氏がいうACは、家庭内トラウマの後遺症(PTSD:心的外傷後ストレス性障害)に悩む者のことである。しかしこのように拡大解釈されるようになると、親との関係で何らかのトラウマを背負った人、傷ついた経験を持つ人は皆アダルト・チルドレンとよんでいいのではないか、というところまできてしまう。
  考えてみれば、親との関係でまったく傷ついたことのない人はいない。
  家族とは子どもにとっての「安全な基地」であること、その中で子ども自らの「自己」を充分に発達させることができること、これが健康な家族の機能である。
  子どもはその中で、一定の役割を押し付けられることもなければ、親の価値観を無理やり取り込ませられることもない。
  かえって機能する家族で育った人の方が少ないのではないだろうか。すべての人間は親との関係の中で本質的トラウマを持っていると言えよう。
 
まとめ
 
  家族の重要性を語りながら、矛盾しているかもしれないが。でも子どもは機能する家族の中で育つ必要があるのに、多くの子どもたちが機能不全家族の中で育っている。ACというのは、自らがソウだと自覚した人のための言葉である。
  でも、結局ACって自覚したところで何ができるのだろう??ついこの間まで、AC賛成派だったのに・・・。
  ACが救いの言葉で、それが自らを見つめ直すきっかけになって、虐待されて育った人は親のようにならないように、自己肯定感を持てるように・・・。気休めにしかならない、ACって。
  子どもにとっての最初の社会は「家族」、ということは書いた。その最初の家族が機能不全であったとしたら、社会規範をしっかりと身に付けて大きな社会にでられるであろうか。いやいや無理である。何事も最初が肝心!!そのためにも、大きな社会が小さな社会を守る必要がある。
  具体的に言うと、今回児美川ゼミは「家族」「学校」「地域」「子ども」の四つに分かれてそれぞれで勉強してきたが、ばらばらではダメということ、これら全部が手と手を取り合ってというか、協力しなくては!!守るという表現よりは、援助に近いっていうか、助け合い。
  こう考えると、あたしは地域や学校に恵まれたなぁーと思う。小さな町だけど、山北町はいい所。ぜひ皆に紹介したい。
  人と人の間にできてしまった溝は、人と人との関わり合いの中でしか修復できない、自分でどうにかしようとしても、空回りで終わってしまう。だからACも自認したところで解決するのは困難だ。もちろん、その態度は素晴らしいと思う。
 
 
『参考文献・資料』
・去年の岡田さんの紀要の一部
・阿多さんのレジュメ
・古川さんのレジュメ  
・アダルト・チルドレンと家族   齋藤 学
・自分を愛するということ     香山 リカ
 
 
 
 
学級崩壊から見えてくるもの
 
大岩 祐介
 

 
 
 「学級崩壊」が、テレビや新聞を一斉賑わせ始めたのは、1989年からだ。なかでも、全国の家庭に衝撃波を送り込んだのが、NHKスペシャル番組「学級崩壊」(6月9日放映)である。この番組が放映されるや、全国の小学校教師たちの間に大きな変化が生まれた。それは、これまで密室に封印されてきた小学校の学校問題が、白日のもとに気楽にさらせるようにかなりオープンになつたことである。(「学級崩壊」をどうみるか、尾木直樹著)
 私は以前からテレビや雑誌等で学級崩壊という単語は見聞きはしていたのだが実際どういうものかは知らなかった。だからNHKスペシャル番組「学級崩壊」を初めて見たときはものすごいショックであった。私が想像していた以上にその内容は凄まじく、ビデオを見終わった後しばらくボーッとしてしまった。私が見たのは低学年のものだったがそのビデオの内容は以下のようなものだった。まずクラスの中のある1人もしくは2,3人の生徒が授業中に騒がしくするのだ。当然先生が注意するのだが全然聞こうとしない。そのうちその子はまわりにちょっかいを出しはじめる。周りの子を殴ったり、大声で馬鹿とか悪口を言ったりと授業中であることを全く無視して大声を出したり教室の中を縦横無尽に動き回ったりするのだ。そしてその子の動作がどんどん周りに伝わっていきやがてはクラス全体で騒がしくなって収拾がつかなくなってしまうのである。ビデオの中の教師は50歳くらいのベテラン女性教師だったが生徒を抑えることができなかった。教師が集まって会議を開き対策を練って、その教室に3人ぐらい教師がついて授業を行ってやっと授業が成立するといった結果だった。
 
 「学級崩壊とは何か、「学級崩壊」の定義を尾木直樹さんは次のように定義している。小学校において、授業中、立ち歩きや私語、自己中心的な行動をとる児童によって学級全体の授業が成立しない現象を「学級崩壊」という。この定義のポイントは、(1)「小学校」に限定したことと、(2)「授業不成立」現象から捉えたことと、(3)クラス全体の問題現象として押さえたことの三点である。では、(1)小学校問題に限定し、(2)授業不成立現象として考えたほうがよいのか、その理由については以下の通りである。この問題は、中学校との違いをチェックするとわかりやすいのではないか。 
         小学校             中学校
一人担任制(学級王国)   教科担任制(集団指導体制)
担任責任体制   学年責任、教科責任体制
児童と教師の密室度高い   担任との密室度弱い(例、保体)
管理職への従属性高い
  (力量差が分かる)
  管理職との距離感あり
  (教科制度の長所)
自立未完了、話が通じにくい児童
 
  自立の真っ只中、問題をバネに
   成長も可







 
 
表から分かるように、中学校の「教科担任体制」に対して、小学校は「一人担任制」、つまり全教科を担任する`学級王国`を形成しているのだ。問題のほとんどが、じつはこのシステムから発生しているのである。「一人担任制」のもとでは、その教師の授業が成り立たなくなると、即「学級崩壊」につながる。授業は不成立なのに、給食指導や学級活動だけ上手く成立する事などあり得ないからだ。学級機能に注目する必要などもないのである。ポイントは「一人担任制」なのだ。この点、中学校の「教科担任制」は、ある意味で小学校より気が楽だ。最低でも、1つのクラスに9人は出講しているからだ。一人の教科で「授業崩壊」が起きても、全教科9人の授業がつぶれることはまずありえないからだ。それに問題が起きても、9分の1の責任だ。9人もいると、中には必ず管理にばかり目が行き届く教師もいる。
 なるほど、中学校ではたとえ1つの授業が崩壊してもすべての授業が崩壊するとは限らない。そして9人が力を合わせることもできる。当然管理はしやすくなるだろう。しかし私が見た小学校の学級崩壊のビデオ(低学年)は先生に問題あったように思う。その点からやはり尾木さんが学級崩壊を小学校問題に限定しているように、小学校と中学校の学級崩壊は別物であり、小学校の学級崩壊の方が言葉と照らし合わせて、純粋で正確な学級崩壊のように思う。 
 
 ここまでで学級崩壊というものが小学校だけに現れる現象だという事がわかった。次にそのプロセスはどんなものであるかだが、尾木さんは次のように述べている。どんなクラスの崩壊の体験を調べても、必ずやその中に引き金要因としての人物が介在している。崩壊の因子とそのプロセスは次の通りである。(1)引き金になる子の存在。(2)その他の子の同調圧力。(3)崩壊現象の継続時間帯、引き金になる子の存在は、10年、20年昔から存在するのが当然であった。どのクラスにも暴れん坊で手の掛かる子がいたものだ。しかし、以前なら、その子に先生が手を取られていても、他の子どもたちは、先生の指示通り、しっかり「学び」「遊んだ」ものである。その中で、どの子も自立心が鍛えられ、他者認識やコミュニケーション・スキルを高めていったものだ。秋頃には、その子の面倒を見てくれる「小先生」が教室に何人も生まれて、むしろ手の掛かる子の存在が、他の子供たちの心を優しくし、たくましい感性を育んでいったものだ。ところが、今日では、誰かが常識を逸した言動をとると、他の子も自分の価値判断ではなくて、同調して同じように行動する。このことによって、一斉主義的手法の授業が崩壊するのだ。だから、「引き金」になる子の存在が「学級崩壊」の原因ではない。たとえ、「キレる子」が三人いても、他の子たちが同調しなければ授業は成立する。そればかりか、「キレる子」たちの心も落ち着き、ジワジワと心が育ち始めるのだ。私たちが注目すべきは、その他大勢に引きずられやすい「フラフラッ子」なのだ。この子たちが、いかにしっかり、自立できるように教育できるのかである。(3)の崩壊時間が問題になっているのも、自制心の弱い40人が、一斉に沸き立ったとしたら、十分も十五分も規律のない状態が続き、とても授業どころではない。では、学級の人数が少なければ大丈夫だろうか。これについてはデータ上から考えても、学校問題との相関は見られるものの、学級人数との関連は、国際的にも問題外なのだ。しかし、国際的には二十五人〜三十人学級が常識であり、日本は異常である。 私は今まで小・中・高校と学生生活を送ってきた。中学はあまり参考にはならないと思うのだが、中学の話をしたいと思う。私の中学は私が入学する一年前まで荒れていたらしい。聞くところによると授業中に教師に何かって物を投げつけたり、教師が生徒に殴られたりしていたらしい。私がいたときは、2年、3年と問題児が集まったのだが、授業中騒がしくしていたのはその生徒だけで周りは大人しかった。小学校の時はやっぱりクラスに何人かは騒がしい子供たちがいたが、騒がしいのはその子供たちだけで周りは静かで授業はしっかり成り立っていた。私は実際の学級崩壊を見たことはないのだが、ビデオ、尾木さんの著書と私の体験から考えるとやはり問題は同調してしまう周りの子にあると考えられる。もちろん一番精神的に成長していない子は問題を起こしてしまう子なのだろう。しかし周りがその子に引きずり込まれることによって学級崩壊が起きてしまうのである。問題を起こしてしまう子よりそれに引きずられる子が悪いというのはおかしいものだが、それだけに学級崩壊を防ぐことが大変で難しい深刻な問題になっているのだろう。
 
 これまでを通して、「学級崩壊」とは、「一人担任制」のもとでの、構造的ないきずまりの現象である点が明確になった。が、同じ学級王国の揺らぎ現象ではあっても、小学校の低学年と高学年では違いがあるのだろうか、それについて尾木さんは以下のように述べている。小学校の低学年と高学年では下の表のようにかなり趣を異にしている。
  低学年 中学年       高学年
 自己中心・衝動的パニック現象
 (セルフコントロール不全、
     愛情不足のため)








 
教師への不満・怒り(差別・不公平)
学習からの逃避
思春期ストレス(自立への不安)
 コミュニケーション不足(小暴力) ピアプレッシャー
 基本的生活習慣の欠如 私立中学受験勉強による心情不安
 崩壊よりも集団性の未形成状態 担任教師のいじめの構造として
 良い子ストレス(親と学校からの)  
 下(幼児期)からの新しい「津波」
 現象
上(中学校)からの伝統的な荒れの
「雪崩」現象
 
この相違を生理しないで議論を進めると、「高学年の荒れが中・低学年まで降りてきた」等といういわゆる`荒れの低年齢化``キレる子の低年齢化`現象として誤解する危険が大きい。低学年の特徴表Tー2を解釈する形で、まず低学年の6つの特徴を整理してみよう。(1)自己中心的・衝動的な低学年現象の大きな特徴は、前節の具体的実態でも見たように、悪気のない自己中心的で特徴的な行動。(2)パニック症状(セルフコントロール不全)(3)コミュニケーション不全(小暴力)(4)基本的生活習慣の欠如(5)良い子ストレスに疲れている。(6)崩壊というより、集団の未形成。以上のように低学年の崩壊の6つの特徴を眺めると、少なくとも1年生の「学級崩壊」は非行の”低年齢化”や「キレる子現象」等ではなくて、どうも小学校の前段階の問題のようだ。誰が悪いとか、どこの責任だとかを問うているのではなく、事実の問題として、幼児期の発達保障が大きな困難に直面していることだけは確かだ。”幼児期かそのあたらしい「津波」が小学校という岸壁にぶつかって、大波しぶきをあげている現象”を「学級崩壊」といってよいのではないか。高学年の特徴は(1)教師への不満や怒り(2)学習からの逃避(3)私立中学受験による心情不安(都心部)(4)思春期ストレス(5)ピア・プレッシャー(同調圧力)(6)担任いじめの構造。以上のように、高学年の6つの特徴を整理すると、これはもう、小学校的「一人担任制」の困難性だけではない。これに加えて中学校からの伝統的な「荒れ」が、まるで雪崩のように小学校に押し寄せている現象といえる。
 
 そして、「学級崩壊」の基本問題をコンパクトに次ぎの六点に集約している。(1)「学級崩壊」の定義のポイントは、「一人担任制」による「小学校問題」であり「学級全体」の「授業不成立現象」である。(2)「キレる子」「荒れるクラス」「指導困難学級」「中学・高校・大学」の授業崩壊とは区別する。(3)小学校「低学年」と「高学年」の「学級崩壊」は背景も脱出方法も違う部分が多い。(4)特別な「引き金」になる子の問題ではなくて、むしろ同調思考の多数の子供たちの発達上の問題である。高学年は思春期特性と担任への「いじめ」として発生する。(5)子供の発達上の問題であると同時に、学校の画一主義や学びの方法との矛盾でもある。(6)母親からの良い子ストレスが大きい。就学前教育にも注目すべきである。
 ここで中学校側から小学校の「学級崩壊」を見てみよう。小学校の「学級崩壊っ子」が中学生になるとどうなるのだろう。不思議なことに彼らが中学校でも予想通りに大荒れたというケースはあまりないのである。中学校側から眺めた「学級崩壊」の問題を現役の中学教師は、次のように語る。中学校で学級崩壊が少ない理由(1)システムの違い(2)受験という圧力(3)中学校の管理の強さ(4)発達段階の違い
 
 以上の事から小学校で学級崩壊が起きるときの一番のポイントは同調思考の子供が多数いるということだと思う。だから同調思考の子供たちを同調しないようにしなければ学級崩壊はなくならないと思う。しかし同調思考の子供達を同調しないように教育していくのは家庭教育で家庭の仕事であろう。だから学校が出来ることといったら一クラスの教師の人数を増やすことぐらいしかないと思う。一クラスの教師の人数を三人ぐらいにして、問題児が問題を起こすか、問題児に周りが同調してしまう前に授業を行っていない教師が問題児を押さえるのが学校側ができる限りの手だと思う。
 同調してしまう子を同調しないようにきょういくしていくのは家庭教育の役割だといったが、家庭教育の力は本当に昔と比べて落ちているのだろうか。昔と現在を比べると何が違っているのだろうか。昔は今より経済的に豊かではなかった。両親は今より忙しかったのではないだろうか。しかし、子供はしっかり育っていた。しっかり育っていたというがどのように育っていたかというと、今の子供達と比べて昔のこどもたちは忍耐力があったと思う。どうして忍耐力があったのだろうか、両親が頑張っているのを見て自分も我慢しなければと思ったから。また、昔は核家族ではなくて、祖父、祖母と一緒にくらしていた。だからその影響のためだからか。反対に今の子ども達は我慢が足りないと言われるが、どうしてだろう。親が片親だったり、父親が忙しくて教育を母親にまかせっきりで子供の教育に干渉しないからだろうか。また、現代が価値観の多様化した社会で、子供は親の価値観のもとで育つが、メディア等から受ける価値観と親の価値観の狭間でとまどい、自分の中に自分の価値観をうまく築けないからだろうか。しかし、おかしな話だとは思うが、「大人しい」ということは、逆に言えば積極性がないということでもある。それを考えると、学級崩壊をただ否定的に見て、なんとか授業さえ成立すればそれで良いと考えるのは浅はかだと思う。「学級崩壊」はちょっと違った見方をすれば、今までの教育観が大きな壁にぶち当たっていると見られる。日本の教育を根底から見直す転換点にきていて大きなチャンスであるともとれると思う。だから、やはり、一クラスの教師の人数を増やして何とか授業は成立させようだけではダメだと思う。一クラスの教師の人数を増やし授業を成立させていくと同時に学校は、もっと学校を開放して一つ一つの家庭と繋がりをもって、学校と家庭とで手を取りあって子供を教育していく必要があると思う。
 学校と家庭とのつながりを密接にしていくために何をしたら良いか。例えば学級の状況を保護者に具体的に説明し、保護者の協力を得て、授業の参観や家庭での指導を行う。担任を中心に、学校が懇談会や学級公開を積極的に行い、保護者の学校教育への理解を深める。積極的に父母参加の学校行事を開き、両親と子と教師の三角関係の絆を造り深める。 このように、子供達のとる理解不可能の行動を新たな子供達の訴えと捉え直して、親と子と教師の三角関係の強く細かな絆の中で昔と今との子供の違いから、今の子供はどうあるべきかを三者で考え、子供のありかただけでなく親のありかたや、教師のありかたも見つめ直して、お互いに教育しあう事が今求められている事だと思う。そうすえば今の子供達との溝も埋まると思う。そうすれば学級崩壊はなくなるのではないだろうか。また、現代の子供に関する問題も良い方向に向かうのではないだろうか。
 
 
 
 
 
チャラ男とヤンキー
 
立石 誠
 

 
 
はじめに
 
近年、しょうねん達による犯罪(凶悪な)が急激に増えており、私は、たいへん心が痛みます。
むかしの少年達は、たしかに悪いことはしてきたと思うが、それでも人の生命を軽く見てたとは考えてにくい。
また殺人を犯した少年は、人の命の重さを見直し更正してきましたが、現代のこども達は反省の色もなく、「ただ殺したかった」や「むかっいたから殺した」などの軽薄な考えで行動できるのが、私はとても不思議でしかたありません。
そこで私は、現代のこども達(たとえでチャラ男)と昔のこども達(たとえでヤンキ−)の違いについて書くことにしました。
また少年の心理を深く考え、こども達は社会(大人達)に何を訴えているのかを考えて書きたい。
 
第1章 犯罪を犯すこども達
 
まず現代のしょうねん達は、犯罪を犯してどう考えてるのか。はたして反省をしてるのだろうか。私の考えでは、現在のこども達には反省する能力がなく、また、それに対しての周りの大人達がこども達に対して、なにもしてやれないのが悪いと思う。
でわ、こども達はなぜ犯罪を犯してしまうんだろうか?。軽い犯罪なら多少は許すが取り返しのつかない犯罪は許すことができない。私もいろいろと犯罪(万引き、窃盗、傷害{殴る.蹴る}、不法侵入、器物破損、交通法違反{無免許運転.信号無視.条件違反.スピ−ド違反.飲酒運転.逆走.一方通行無視}、喫煙、飲酒・・・などなどの犯罪をやってきましたが、全て自分で責任が取れることばかりなので私は、いいと思う。
だが今のこども達の犯罪を見てると[おまえたちは責任を取れるのか]とか[なんで、そんなささいなことで、そんなこと出来るの]などなどのことを思わせる犯罪をやってくれます。犯罪を犯した子供達は、なにを訴えているのだろうか。自分の存在を社会に認めさせてるのだろうか、もしかすると周りの大人を見返してやろうと思い、犯罪に手出すのかも知れない。
もしそれがそうなら私は、それでいいと思う。それは結局それまでの人間と割り切れるからだ。ストレスとか精神不安定などで一時的に犯罪に手をそめることもあるが、そのことに対しての責任は犯罪を犯した本人だけの問題だろうか。私の考えでは、やはり犯罪を犯した本人が一番悪いと思うが他にも親や学校の先生、友達、と言った第三者も悪いと思う部分がある。
やはり、その中でも一番みじかにいる親に問題があると思う。親が小さい頃からちゃんと生命の大切さを教育をしていれば、いくら感情がおかしくなっても凶悪な犯罪には、ならないと思うし心の部分で制御できるはずだからである。
しかしながら現在の、親は教育とゆいう言葉を勘違いしていると思う。戦後の日本は父親が外に出て家族をかいりみず仕事に打ち込めたのは、まぎれもなく母親のおかげと思う。子供の教育は母親に全てまかせたのは、昔から言われていた「男は外、女は家を守る」が一般的だったからだ。しかし時代も変わり、男女差別の波がなくなりつっある今は、どっちも子供をあいまいに育ててるのだから、子供達は教育されないまま育つた結果が、自分の行動に責任がとれなかったり他人の気持ちをわからない人間になったと思う。
これは子供が悪いのか、親が悪いのかは、はっきりした答えがないといえる。ただはっきり言えるのは、こども(無能な大人)に子供は育てることは出来ないだけのことだけだ。
 
第二章 現在の子供と昔の子供
 
現在のこどもの世界には、モバイル機器が欠かせなくなって来てるのは、みなさんもよく知ってると思いますが、私はなぜ子供がモバイル機器を必要としていることがわからない。たしかに世の中は化学の発展やインタ−ネットやIT革命(インホメイションテクノロジ−)などで時代は大きく変わったが、私はどんなに世の中が変わろうとも人間と人間の付き合い方は変わらないと思ってましたが、現代のこども達を見てたら、あきらかに変わってることに確信を持ちました。
今の世の中は希薄化の問題が出てきてるが、なぜ希薄化になったのだろうか。まずそこからを考えた結果が次のとうりになった。<1>核家族の増大<2>社会での信用関係のくずれ<3>近所の付き合いがなくなった<4>学校教育が変わった...などがある。
これは、こども達に孤独感をあたえるだけであって、けっして+にはならないと考えた。だから現在のこども達は社会に出ていく力が身につかないだと思う。
今度は昔のこどもの世界を考えると、ゲ−ムは無かったし親がこどもに対して現代みたいに過保護ではなくどちらかといゆうと野放しの状態だったと思う。だからこそ昔のこどもは社会に出ていく力が長けていたと思う。
今のこども達はゲ−ムやネットが遊び相手で人と遊ぶとか人と接することが嫌いといゆうイメ−ジがある。つまり私が言いたいのは、人と接することが出来ない={人の気持ちが解らない}といった理論がでてきた。でわ昔の子供はどうだっただろうか。ゲ−ム、情報機器も無い時代に子供達はなにをして遊んだだろうか。あのころは、鬼ごっこや隠れんぼ、缶蹴り、ベ−ゴマなどなど一人で遊ぶことが出来ない遊びだった。つまり遊ぶためには、かならず一人以上いなければならない状態だっただろう。結局、私が言いたいことは、遊びの中で人間らしい感情が生まれて来るに違いない。現代のこども達には、感情を持ってないロボットみたいに孤独な感じがする、だが昔のこども達は感情豊な人間のようだった気がする。
私はアナログかデジタルと大きく2つに分けたらアナログ側の人間だろう、だから考え方は古いと思うが、私は、昔のこども達はとても良いと思う。これは、なにを言いたいかは言葉で表すのが難しいから説明はしない。だからと言いって昔のこども達が犯罪を犯さないとも言えない。昔の、暴走族の大半の子供は、不良とになったてブイブイいってた。しかし彼等は暴走族であって決して殺人を犯す人間でわなかっただろう。
つまり人間と人間の間には、越えてはいけない一線が在り、またそのこと対する教育とは、一人で得るものでは無いと言い切れる。それは、ル−ルで在り規則でもある。現在のこども達は、このル−ルを守りきれないだけであって結局はそのル−ルを理解させなかった親や社会が悪かったなと思う。くわえて一言で言うならば「ル−ルは飾りじゃない」と思う。
 
第三章 子供の本当の存在とは
 
こども達はいつどんな時に大人になるんだろうか。誕生日を迎え年を重ねたら大人になるのだろうか、それともいろんな経験をしたら大人に成長するのだろうか。
だれもが一度は思うことだろう。しかしこのことに対しては、人それぞれだし「これだ−」と言ゆうことは見つからない。
しかし子供達の中には、「俺はまだこどもだから」や「自分だけは特別な存在でありたい」.「自分を大きく変えたい」と言った考え方をもつものもいる。
だが自分を変えるのは、大変難しいと思し簡単に自分を変えることができる人間なんてこの世に存在しないのだからだ。しかし、自分を変えるのは大変好ましいし、むしろこれからの人間関係の、初展になると思う。よく考えると私の人間関係のほとんどは、地域共同体か運命共同体だったからだ。
解りやすく言いゆうと[縁]だと思ってください。だから、こども達も遊ぶことによって、友達ができるように、大人だって遊びや仕事を通じて友達をつくるように私もただの友達だけの関係だけだったら、一生友達の関係を持続させる自信が在る。
だからと言いってこのことが大人に成きれた証拠には、ならない。私は大人になってるんだろうかを最近よく思うが、そもそも大人てなんだろうか。自分の行動に責任を持つことが、大人になることだろうか、しかしよくよく考えると第三者からは大人に見えるが親にしては子供は何歳になっても、こどもだろう。
だから私は大人に成きれ無いと思うし社会にでても相手にしてくれないと思う。大人になることは、家族を持つことだと思った。このことから、子供の存在とは無いとも考えられる。これは、あくまで私の考えなので全員がそうでもないと思う。
 
第四章 まとめ
 
私たちは、[こども]この世に生まれた時から人間であり動物でも魚でも微生物でもない、人間だ。
いまの子供達は人であって人間ではないと思う。人が人間になるためには、人々の間に教育され、文化の影響を受いれることだと思う。つまり人が人間になるためには人間関係を持つことだからだ。それが私と他の人々との生活にプラスになることだろう。
でわ、それにはどうしたらいいのだろうか。また来るべき社会の人間関係はどうなるのだろうか。しかしこのことに対する答えは簡単に出て来る物でない。
子供達は、この激変の時代にいるわけだから私達一人一人が、多くの知恵や経験をくり返しながら、助けて行かなくければならないからだ。私は今の時代に公式は、ないと思う。
今日有効であったことも、明日には役に立たなくなる時代だ。しかしこども達が人間であるために、また人間らしい生き方をするには私達がそのよりよい形を求めて、努力をつづけなければならないのである。
それが子供を教育する私の考えで在り、あたえられた課題だからだ。
 
 
 
 
 
いじめと子どもの人間関係(ふぉ〜えば〜編)
 
古川 修一
 
 

 
 
 近年、社会的に大きな問題となっている「教育の荒廃」その中でも「いじめ」に関する問題は、被害者の生徒の心に大きな傷跡を残し、最悪の場合には被者害を自殺にまで追いつめてしまう点にその他の教育問題にはない特徴を持っている。
1994年に起きた大河地清輝君の事件を契機の一つとして、「いじめ」は社会問題として認知され初めてはいるものの、未だにいじめ問題の解決の糸口は見いだされてはいない。
 私たちが「いじめ」考える上で忘れてはいけないことは私たち大人が過去の体験を通してイメージしている「いじめ」と現代実際に加えられている「いじめ」の量的・質的レベルが全く違っていると言うこと、加えていじめが外から見ていると一見、遊びのように展開されているということである。さらに「いじめ」を考える上で私が最も注目したことの一つに子供たちの人間関係がある。近年子供たちの孤立化や、人間関係の希薄化などが叫ばれているが、これらは「いじめ」を考える上で重要な要因であり、いじめ問題と切り離して考えることはできない。
 幸いにも私の所属したゼミでは子供の人間関係についての発表などがあり、見識を深めることができた。「いじめ」と「子供の人間関係」を結びつけて考えることで、両者の関係に新しい見地を見いだすことができればいじめ問題をより深く理解することができるのではないだろうか。なおここで言う子供とは、主に思春期のただ中にある少年を意味している言葉と仮定して考えていきたい。
 
 いじめの実例・大河内清輝君の事件
 
 次に、いじめと子供の人間関係について考える上での具体的な実例として1994年に愛知県西尾市でおきた大河内清輝君の事件を月刊『現代』のルポタージュを参考にしながら。考えてみたいと思う。
 この事件は、閉じられた関係の中多数の人間でひとりをなぶりつづけ、その周辺に無言の支持者、無言の傍観者がいるという日本的「いじめ」の特徴が如実に現れている。
 そもそもことの起こりは、1994年11月27日愛知県西尾市立東部中学二年の清輝君(当時13歳)が自宅裏の柿木にロープをかけ首をつった状態で発見されたことに始まる。この事件が世間に広く知られることとなった背景には清輝君の机の引き出しからいじめについての詳細がつづられた「遺書」と、彼の心の内面をつづった「少年時代の思いで・旅日記」さらに、母親宛の手書きの脅し取られた金銭の借用書が発見されそれらが新聞などのマスコミに大きく掲載されたことがあげられる。
 遺書の中身から、実際のいじめの様子や、清輝君がいた日常の風景を想像してみたい。 大河内家は二町歩近くの田畑を所有する地元でも知られた旧家であった。
彼の家族は、工業大学を卒業したエリートサラリーマンの父・祥晴さん、地元では名門の西尾高校から短大を卒業した母・有子さん、子供は男ばかりの三兄弟清輝君は次男で兄の伸昌さんと六歳の弟がいる。これに祖母・いとさんを加えた6人家族である。 
 清輝君は兄よりも勉強ができたことで、周囲から大きな期待をかけられていたようである。両親は成績についてうるさく言うことはなかったが親戚や近所の人が「勉強がんばれ」などと声をかけていて、コツコツと努力型の清輝君はそれに答え親や祖母の言うことを何でも素直に聞く、今時珍しい少年に育ったのである。
 彼の遺書には、小学6年生頃から少しいじめられるようになったとある。しかしその1年前に1つの小さな事件があった。今回清輝君をいじめたメンバーが中心となって起こした万引き事件である。万引き事件発覚後学校側は親と生徒を呼んで指導したが大して反省した素振りを見せない生徒もいた。清輝君の書いた「お金を取られた人のランキング」(このお金と言うモノも現代の子供たちの人間関係を表しているキーワードの一つである)で一位に挙げられたX君である。学校への呼び出しにX君は母親しか来なかった。母親はX君をそれはど叱る様子がなかった。母親は家を留守がちにする人であった。
 X君は万引き事件を起こすまでは、目立って問題があるような生徒ではなかった。しいて言えば忘れ物が頻繁にあると言うことぐらいであった。
 万引き事件後も、X君はクラスの中で浮いた存在になることはなかったが生意気という理由で上級生に殴られ、時々、泣いている姿を同級生に見られている。むしろ小学生の頃はいじめられる側にいたようだ。しかしその代償に力の弱い者をいじめるようなことも特になかった。友達の目に映ったX君は、明るくてよい子に見えたようである。
 清輝君をいじめたグループは、東部中学に入学すると、当時、3年生の問題児グループと交流するようになる。何人かが兄弟だったためにつながったのだ。
 3年生グループは、1年生グループに「パシリ」と呼ばれる役割をあてがう。これは文字道理に使い走りとして上級生の手足となって働くわけである。
 3年生グループのリーダーは不良生徒と喧嘩はしたが、弱い者いじめはしないという、信念を持ってるいわゆる昔の番長のようなタイプのリーダーであったためにいわゆるいじめは起きていなかった。教師の目の届かないところで3年生グループの行動論理がX君たちの清輝君へのいじめエスカレーションにブレーキをかけていたのである。
 Xんくんたちの暴走はこの3年生のグループが卒業した後から始まった。
 はじめの兆候は、1年生の終わりの春休みに入った頃に、清輝君の家に来る友達の顔ぶれが変わるようになっていたことであった。そしてそのころから大河内家からお金がなくなるようになっていった。2年の新学期早々に、清輝君が、後のいじめグループからの命令でほかの生徒殴ったと言うことで母・有子さんが呼び出されたが、清輝君を信じて口頭で注意しただけで済ませたが、その後頻繁に家からお金がなくなるようになった。いやなことを命令されて断るためにお金を払うようになっていたようである。
 その後成績ががた落ちしたり教師に大して反抗的な態度を手とったりと清輝君の生活態度には変化が次々と起こり始めていたが誰も彼の内面に踏み込むことができなかったようである。
 このころ3年生のグループが清輝君をひどくいじめるX君らのグループに制裁を加えるという事件があった。その折り3年生グループに「あの子たち説いていいのか」と尋ねられた清輝君は「楽しいから、いい」と答えている。
 夏休みの期間中に、清輝君の脅し取られるお金がエスカレートしていく。ゲームセンターに入り浸って、一日中遊んでいたり、共働きの家をたまり場に酒を飲み、たばこを吸い、カラオケボックスに連日通い詰めて特上のすしをとったりと、豪遊三昧を繰り返していた。遺書に名前が書かれていた4人が常連で、ほかのメンバーはそのたびに入れ替わり、実際に加わった生徒の人数は15名前後にものぼった。    
 清輝君以外にも、お金を巻き上げられたり暴行を加えられた生徒は複数いた。清輝君自身が命じられて集金したことともある。また、ほかの生徒が殴られたときに、清輝君が止めに入ったこともあった。「パシリ2号」と呼ばれていたその生徒は、血を流すようなけがを負い病院に連れていかれた。「パシリ2号」であった清輝君はそれ以降ますます彼らのいじめの集中砲火を浴びるようになった。清輝君は、お金の要求に対して当初は自分の預金を引き出したり、大量の漫画本などを売って捻出している。それが尽きたとき、家の金を持ち出していたのだ。彼らいじめグループの力関係は、微妙に揺れ動くモノののようであった。
 いつ被害者に横すべりするか、という不安の中で、全員が加害者の側に身を置いている。中心メンバーの4人とて、それは変わらない。かつてパシリやいじめられる側にいたばかりではなく、上級生に逆らえばいつまた被害者になるかもしれない。
 彼らの中に全員を圧する体力を持つモノもいなければ統率できる魅力を備えた生徒もいない。学校の問題児グループの中に、昔で言う番長的な存在が消えつつあり、このいじめグループのような並列的な人間関係が生まれているのではないだろうか。 
 9月15日、いじめグループの子供たちがたばこを吸っているところに清輝君が居合わせたと言うことで指導を受ける、様子がおかしかったために養護教諭が心理テストを行ったところ清輝君の心はかなり追いつめられていることがわかった。
 その1週間後に家出していたいじめグループが補導され、彼らが使っていた自転車は盗難車で、それが清輝君が盗んだモノだという疑いがかかった。この事件以来学校側も清輝君を問題グループの一員として位置づけて対応するようになった。
 この後も清輝君は様々ないじめを受けることとなり、結果として誰も清輝君を「いじめ」から救うことができず、ついには清輝君の自殺という最悪の終わり方をすることとなってしまった。
 この清輝君の事件の中から、一つ一つの出来事を挙げてその中での清輝君をめぐる友人関係に注目してみたいと思う。
 
子供の友人関係の希薄化  
 
 清輝君の遺書の中には「教師」という言葉が一度もでてこない、これから考えられることは清輝君の持っていた学校での人間関係がきわめて狭く密閉化されていたと言うことである。これは、清輝君がいじめを受けながらもいじめグループから離れられなかったこととも無関係ではないだろう、これらは清輝君の事例だけに限られたことではない、「いじめ」全体を考える上でも、彼らの持つ人間関係の広さに注目することは重要である。
 さらに言えば、「いじめ」については、いじめられた子どもの家族の人間関係以上に彼らの友人の人間関係に目を向ける必要がある、なぜならば、親やほかの大人との関係と比べて2倍以上の時間を友人たちと過ごしている以上、その中で成立する関係は、ほかのどの関係よりも濃密で「いじめ問題」に大きな影響を与えていると言えるからである。   輝君を取り巻く友人関係をみる上で注目すべき出来事として自殺するほど激しいいじめを受けていたにもかかわらず、清輝君はいじめグループとのつきあいをやめなかった、あるいはやめられなかった?ことである。それは上級生グループが清輝君をいじめグループから抜け出させようとしたとき、清輝君が上級生グループの助けを断ったことにもみることができる。清輝君はいったいどのような気持ちでいじめグループとつきあっていたのだろうか?実は清輝君にはいじめグループの生徒たちと楽しく遊んだ小学生時代があったのである。中学生になって、プロレスの技をかけられたり、鞄持ちやパシリ役、授業妨害の駒として使われたことも精神的、肉体的な苦痛を伴いながらもある臨界点まではゲームだったのではないだろうか?そもそもなぜ友人同士としてとしてつきあっていた彼らが清輝君をいじめるようになったのだろうか。
 現代の子供たちの友人関係・人間関係は常に流動的で危ういバランスの上に成り立っている、それは常にリーダーシップをとるガキ大将のような存在が消えたことや、子供たち一人一人の友人グループ内での立場がめまぐるしく変わることからもわかる。      清輝君のケースでも、常にいじめ・いじめられの立場は流動的であって彼らの間にはいつ自分がいじめられてもおかしくはないと言う一種の緊張感が、満ち満ちていたようである。
『証言十代』(NHK少年少女プロジエクト編)などによると現代の子供たちには「いじめる側」「いじめられる側」両方を体験した子供が結構多いことがわかる。私たち大人は、いじめられた経験がある子供は、そのつらさがわかるために「いじめる側」には回らないと考える、しかしかなりの数の子供たちが、「別の人がいじめられていれば自分がいじめられることはない」「いじめに参加しないと、今度はまた自分がいじめられる」と言う理由でいじめに荷担している。なぜこのようなことが起こってしまうのだろうか?
 注目すべきは、彼らのいじめに荷担する理由が周りの人間から嫌われたくない、傷つけられたくないと言う気持ちの上に成り立っていることである。
注目すべきはこのような子供たちは、「努力」をもって友人関係を作っていることである。 子供たちは「努力」で作られた、本音を語らず、自分の心を互いに隠し続け合う、「仮面」を付けた友人関係を結んで生活しているのである。
 彼らがこのような「仮面」をかぶってまで無理をして仲のよい関係を結ばざるをえないのは、友達と仲良く生活したり、友達がたくさんいる子が「いい子」であるという私たち大人の価値観が彼らに刷り込まれていて、「いい子」でいなければならないと言う考えに縛りつけられているのではないだろうか。
『助けて』(中学コース編集部)などのアンケートをみると彼らは「自分と違った者」、「自分と異なる者」「自分よりも立場が弱い者」を攻撃、いじめる傾向にあるようである。
清輝君の事件を調べていくと、清輝君も彼のグループの中では腕力がなく、立場的にも弱い位置にあったことがわかる。
 『親子ストレス』(汐見稔幸著)によれば『同質的集団に排他的な傾向が強いと、それぞれの人間のちょっとした違いを逆にみんなが気にしてしまう、自分が排除されないようにいつも「みんな」に合わせると言うことを無意識のうちに心の内に秘める』とある。
さらに彼は『人間関係を持ちたいのだがそれを求めようとするとその関係の中で過剰な気遣いでまた疲れてしまう』とも述べている。
 これは、端的に言えば『一人きりでいると寂しいが友人といると気を使う(山嵐のジレンマ)』と言うことではないだろうか?     
  清輝君が受けたようなグループでのいじめは、グループのメンバーたちはリーダー格の人間に合わせて誰かをいじめていれば自分の地位は安全であるという考えを持っていて、もしその流れから逸脱しようとすれば今度は仲間だったはずの自分がいじめられると言う「おびえ」からいじめを行っているように思える。
 つまり、処世術としての「いじめ」ひとりぼっちになることをおそれるが故の「いじめ」である。しかし、そうまでして維持したいと彼らが望んでいる学校での人間関係とはいったい何なのだろうか、いじめの人間関係の中にいる人間は、誰も幸せではない独りでいるのは寂しいだろうしいじめに遭わせているのも本当はつらい、誰かをいじめることでしか自分の地位を維持できないリーダー格の生徒もつらいだろう、まして近年のいじめはリーダーの力が極端に弱い。閉塞した人間関係の行き場のない様子が想像できる。
 一方で、清輝君のグループの例を観てもわかるように現代の子供たちの人間関係は、非常に複雑である。
 『溶ける家族と子供たち』(小川信夫著)によれば、一般的に現代の多様なメディアの中で育った子供たちは、一目の感覚で相手を判断してしまい、相手の心の内側までわかろうとする態度に欠けていて、アニメのように外見の表情にこだわってしまう関係に支配されていると言う。さらにこれに加えて、メディアとつきあう中でドラマ的にいろいろ図式化した人間関係を感覚的に身につける子供がでてきていると言う。
 つまり、最近の人間関係を複雑化にドラマ化したテレビや映画を観ているうちに、実際の体を通じた、たとえば身近な遊びなどからの人間関係の把握ではなく、頭での記憶的な人間関係を学んでしまうと言うのである。
 それはつまり、様々な感情のぶつかり合いや、葛藤などを通しての直接の体験によって人間関係を学ぶのではなく、それよりも先に単なる知識としていきなり複雑な人間関係を学んでしまうと言うことなのではないだろうか。                   よって少年期から思春期に直面して、他人との直接の人間関係を結ぶときになると「知の記憶」によっての関係把握が先行してしまうと言うこととなる。「こうしたら笑われるかもしれない」「こうしたらきっとこうされる」と言ったように実際に関係を結ぶ前に、自分の知識の中での予想が先行してしまい、相手のちょっとしたことが気にかかる、そのために必要以上にそれに反応してしまうのであろう。                 繊細な優しい子ほどこの傾向が強いのではないだろうか、だから懸命に見捨てられまいといい子を演じる子供が増え、素の自分での人間関係がうまく作れないのではないだろうか。そして、「相手のちょっとしたことが気になる」などの相手に対する過敏な反応が 「相手に気を使い深入りしないようにしながら自分を守る」という「臆病な人間関係」を生み出し、子供たちの間に不協和音を発生させて「いじめ」と言う形をとるのではないだろうか。 
 さらに小山信夫氏は現代の子供たちの抱えるいじめも含めた対人関係のトラブルは、情報を操作することになれた子供たちが、相互に操作され合う対人関係を苦手とすることから起こると述べている。体験を主体とする人間関係は自分の思うままにはいかない、この体験の不足がイライラ、むかつきを誘発し、それが他者に向けられると言うのである。その他者に向けられたモノが「いじめ」なのではないだろうか。    
 こうして「子供の友人関係の希薄化」について考えてみたが、私は、現代の子供たちを取り巻く混沌とした人間関係は彼らなりの新しい秩序づくりを模索している姿なのではないかと考えるのである。私たち大人が子供たちに押しつけている平等はもはや彼らには通用せず、お互いに相手の個性を感じ取ることができるからこそ彼らなりに新しい秩序求めているのではないか、その新しい秩序を生み出す課程での苦しみが「いじめ」なのではないだろうか? そう考えてみると「いじめ」のプラスの面が見えてくる。
 これまで「いじめ」がなくならなかったわけはこのあたりにあるのかもしれない。しかし、現代の「いじめ」はどこかこれまでのいじめとは違う。これまでの「いじめ」を秩序を生み出す課程での「いじめ」とするのならば、現代の人を死にまで追いつめるそれは、「壊れたいじめ」と言えるのではないだろうか。なぜ壊れてしまったのか、なぜ変わってしまったのか、それを考えることが現代のいじめの本質をつかむ糸口となるのではないだろうか。                                    
 
―いじめに対する私的提言―
 
 ここまで「いじめ」と「子どもの人間関係」をキーワードとしていじめの問題を考えてきた。そのなかで判明したことは子供たちの中で、「いじめ」には一種のコミュニケーション的な面が存在すると言うことである。
 「コミュニケーション」や「人間関係」と言うものは、現代の子どもたちを考えていく上で重要なキーワードである。
 ここでは「子供の友人関係」の問題に対する私的な提言をしていきたいと思う。
 現代の子どもたちには、幼いころからの心を許せる友人がいないことが多いのではないだろうか?そのために成長してから(思春期になってから)友人を作ろうとするときに、その関係のつくり方がわからないと言う事態が生じるのではないだろうか。
 そしてその友人の作り方がわからないというときに、子供たちは、関係を結ぶための試行錯誤やそれにともなう傷よりも「仮面」をかぶり、表面上だけでの 友人関係を結ぶことを選んでいるのである。
 現代の子どもたちにとって「友人」とは「できる」モノではなく、「作るもの」それも「努力して作る」と言う存在なのである。私の個人的な経験では、友人は、「努力」しなくても、自然にできているものであった。友人を作るために努力すると言う感覚が理解できない。友達との関係=つながりの深さは、ある程度一緒に過ごした時間の長さに比例するのではないのだろうか?思い浮かべてみてほしい、つながりの深い友人=親友はともに過ごしてきた時間がそれと認識しない人と比べてとても長くはないだろうか。
 人間の相互理解と言うものはある程度の「時間」を要するはずであるのに、現代の子どもたちの多くは「時間」をあせって関係を進めようとしてしまい、苦悩しているのではないだろうか?本来ならば、この「時間」をかけた、「時間」を共にした友人をもつ経験が、思春期になってからの友人関係の作り方のモデルとなるべきモノなのである。
 「時間」をかけて関係を作るのが良いのであれば、幼いころに作る友人関係が親友となるのではないだろうか。そして長い時間をかけた相互理解を経験した友人がいれば、それは心のよりどころとなるのではないか?その存在があれば、「寂しさ」や人間関係に関するわずらわしさなどの問題も乗り越えることができ、新しい友人関係を築くこともできるのではないだろうか。「幼なじみ」という言葉がかつてはあった現代の子どもたちが必要としている友人関係はこの言葉が意味しているような関係なのではないだろうか。
 現代の人間関係のトラブル(いじめに代表される)を抱える子どもたちに必要なのは、「仮面をつけた複数の友人」ではなく、「心のよりどころとなり、長い時間をかけた相互理解を通してできた一人の友人」なのではないだろうか。
 
 
 
 
 
 
いじめの定義って何?
 
八源寺 誠
 
 

 
 
[ゼミ論を書くにあたって]
 
 私は、何を書くべきか悩んでいた。あれでもない、これでもない・・・。そんなうちに時間だけが過ぎていった。このいじめというテーマにあたっても特別感心があるわけではなかった。しかしいやがうえにも考えさせられる問題。いじめという問題を通して人間関係について考えられればよいと思う。
 
[はじめに]
 
 私の小学校、中学校、高校、大学と歩んできたこの人生下においても何度かいじめのある状況は存在した。今振り返ると中学時代にあったような感じがする。それは、言葉でのいじめであったり、無視をしたりというものであった。私はもちろんのこと傍観者であり、私がいじめたりいじめられたりというのはなかった。今思うと、これらはごく日常のことのようであった。その当時はそれほど何も考えずに過ごしていた。しかしそれが大きくクローズアップされる事件が起こった。1994年11月の愛知県立西尾市立中学校2年男子のいじめを苦にした自殺である。これは社会に大きく波紋を投げかけた。
そしてこれを機にいじめ総点検が行なわれた。総数はというと前年度の2、6倍にあたる56610件にも及んだ。これは、いじめがほぼ10年前に次ぐ第二のピークを迎えていることを明らかにした。中学生の多くは、いじめを「性格の悪さを直すための制裁」など、相手が悪いからといい、いじめをおもしろいと考えている。文部省の行った1996年調査では、いじめる側といじめられる側の二つに分けられないことがわかった。きのうの友はきょうの敵のような観を呈している。それに、「明るく朗らかなクラス」にも、多くのいじめがあることがあきらかになった。性格の悪い子を排除するといい、明るく朗らかの陰でいじめるという事実は、友達関係が希薄でかつ不安定であることを物語っている。なにより、大人や社会が、きちんとした指導理念をもっていないことが、いじめのバックグラウンドになっているというべきであろう。子どもにいくら正義感を持てといっても、クラスの雰囲気は変わらないのではないか。大人の社会が正義に満ちたものであるべきだ。・・・@
 
[人間関係]
 
 完璧な人間関係は成立するのだろうか。お互いのフィーリングはバッチリでお互い認め合っていて、お互いでお互いを誉めあったりしたりと・・・。残念ながらほとんどあり得ない話である。このような関係を求めている人も世の中にはいないわけではない。これが理想なのかは人によって意見が違うであろう。しかし、人と人という関係においては常に上下関係が付きまとう。人は平等とかよく言うけれど対等な人間なんていないと思う。生まれたときから、違う顔、違う体をもっている。それに、勉強ができるとか足が速いとか、数えればきりがない。その人の背景だって、キャラクターだって違う。このように上下をつけようとすればいくらでもつけられる。その上下というのもその人自身の価値観でつけられるのだが、かなりの人が他人に対して何らかの形で上下を付けているのではなかろうか。そしてこの事がいじめに大きく絡んでいると思う。人の立場が弱いとわかったときにいじめが始まる。これは人間関係の中から生まれるきっかけとして考えられる。
 
[いじめとけんかの境界線]
 
 人間同士の意思の伝達手段で最も基本となるべきものは会話であろう。その会話については、このようなことも考えられるのではなかろうか。ある話し合いすらいじめと言われる。なくもない話である。私はこの悩みというものを聞いたことがある。そう言われた場合どうすればよいのか。当然、悪気のあるわけではない。言われた側(いじめているとされる側)は、話し合いすらいじめとされるなら、いじめっていいんじゃないの、と思うだろう。そして今後は、他人とはあたりさわりのない会話しかできなくなるのではなかろうか。人に対して踏み込んでいけないであろう。では、ここで一つ問題となってくるのが、いじめとけんかの境界線とはどこであるかということである。私自身、けんかはお互いの意見での対立だと思う。対等な立場で、正面切ってお互いが言い合ったりしたのならそれはけんかというものである。対して、いじめとは一方の意見の方が強く、一方の方が弱いという関係をもっているものだと思う。つまりは立場というものが、完全に強者と弱者に分けられることである。例えば、お金を持って来いと強要されたりすることである。名古屋で昨年起きた、合計で5000万円を脅し取られたりした事件などは、まさしく立場が別れている。いじめられていた少年はいじめていた少年の思いのままにうごくしかないのである。少し極端な例を挙げてみたが、つまり、強者>弱者という関係が完全に出来上がっているのである。
 
[いじめ]
 
 いじめはいつでも起こる。特に現代に大きくクローズアップされているもので、密室的空間と閉鎖的空間で起こる陰湿的なもの顕著である。学校の教室が代表的な例であろう。一昔前までは、一般的にヤンキーとか呼ばれた人々(集団というべきであろうか)が、路上でかつあげをしたりしていた。それは確かに、この時代も教室などの空間で起こってはいただろう。しかし現在ほど問題が大きくとりあげられなかった。それはそうと、ここでは特に過去のことは問題にはしないが、現在のいじめの発生する、教室というような閉ざされた空間には、3者が存在する。いじめる側といじめられる側と傍観者である。いじめられている側にとっては、傍観者も敵になると耳にしたことがある。さて、では順にこの3者を見ていきたい。
 
[いじめる側の人間]
 
 まず始めに、彼らは何故いじめるのだろう。いじめられやすい原因としてはその人の背景よりも、キャラクターというものが多い。その次に、背景を嫌うという。ただ感情そのままに、単純にキャラクターが嫌だから排除する。こういうものもあるだろう。しかし、次のようなものも考えられる。いじめる側は何らかの大きいものや強いものを持っているのではないか。つまりは集団や権力といったものである。しかし逆に、大きいものや強いのを持っている人というのはいじめないのではないか。自信や余裕があるからである。私は、これに関して真の強さというものを考える。集団や権力に依存する人というのは、不安でたまらないのではないか。そのための大きいものにすがる手段としていじめをとる人もいると思う。
 いじめる側の人間にとって、いじめというニュースを聞くと心が痛むということがある。いじめをやっているとき、それは楽しい。しかし、そのことを家に帰って振り返ると胸が痛い。そんな自分が一方ではいるにも関わらず、またいじめてしまう。いじめている自分との側面とシンクロする。つまり、いじめ=悪い、ということがわかっているのにいじめてしまうのである。しかしそこで止めなければ楽しんでいるのと同じである。ここでは、理想と現実がいじめの中で見え隠れする。では一体どうすればよいのか。
現実を直視することが大切だ。そして、まずは品位をどこに持つかである。ここで言う品位とはこうあるべき自分の姿というものであり、絶対に曲げない自分の考えといったものである。つまりは、言い換えれば理想である。自分は理想に反している。そうなったとしたのなら、その理想に反した自分というものを覚えておく。覚えておくことができなかったらただ繰返すだけ。妥協した自分を認めなければならない。何も傷つかずによい人間にはならない。傷つくことを恐れていたら、あたりさわりのない付き合い方しかできなくなる。これこそが人とどう向き合うかではないか。そして、いじめている側の自分を小さくすれば良いのではなかろうか。しかしそれが簡単には出来ないからいじめは続いて毎日いじめを繰返すのであろうし、実に難しいことである。でもこれを乗り越えなければならないのだ。
 では、これはどうであろうか。人を見下す心を殺そうとするからいじめが起こる。この見下す心と向き合えばいじめはしなのではないか。自分の心とも向き合い、そして何よりお互いの心と心を向き合えば絶対にいじめなどはおこらない。心というものを否定するからこそいじめが起きる。
 
[いじめられる側の人間]
 
 いじめとけんかの境界については先程述べたのだが、けんかは妥協点を見つけることができる。けんかの前の議論というものはお互いが違う。けれども原因というものが、両方ないしどちらかにあっても、それを認め合うことで人間関係が育まれていく。しかし、いじめは認め合うことがない。いじめられる側にとってもターゲットにされたということは何らかの原因があるだろう。例えば、反抗しないだとか、色々ある。しかし、いじめはいくらいじめられる側が自分自身を変えても否定される。つまりは、いじめは全否定である。これこそ大きな問題である。   
いじめられている側にとっては、自分が悪いことをしているわけではないのに恥ずかしいという思いがある。そのようなレッテルを他人から貼られたくもない。親に対しても自分の愛している子どもが学校などでは全否定されている。このように思わせたくない。かっこ悪いとも思う。プライドもある、このようにいろいろな思いが交錯するのである。このように思いが矛盾する。しかし痛みを隠していては何も解決にはならないのである。そして人に話したり、伝えたりすることによって何らかの道標となるだろう。何より、人にやられた痛みというのは人でしか癒せない。
 
[傍観者]
 
 私自身、傍観者は決して悪いとは思わない。現実問題として、先生とかに言ったら自分が今度はターゲットにされる。しかし、いじめは見ていて気持ちのいいものではない。このような思いが交錯する。極論で言うならば、人のために自分自身が犠牲になる位の覚悟が必要である。こんな人間はそういない。
 
[いじめを乗り越える]
 
 障害物を乗り越える訓練をした方がいいのではないか。社会にとっていじめは常に起こるものであり、社会のほうがより大きいいじめが存在する。例えば金銭や昇進が絡んだりして、他人を蹴落としてでも自分が、という争いも残念ながら存在する。私が言いたいのは、露骨なものではないいじめである。ある種のいじめを小さいときに経験しておいた方がいいと思う。例えばいやみを言われるとかその程度のものである。いじめにもいろいろなものがあると思うが、これに関しては、先程も述べたような話し合いでもいじめと言われる場合も多々存在するからである。加害者側はいじめという意識はなくとも、被害者側からはそのようにとらえられてしまう。とらえ方一つという観も否めないからだ。視野を広げるといった意味でもいじめを体験したらどうであるか。ここで言いたいのは、これを黙って受けいれるのではなくチャレンジすることが大切である。しかし、これも人間関係の中で出来ない人もいるのである。自分のコンプレックスがあるとしよう。それは足が短いだとか何でもいい。それを自分自身でわかること。そして何より、いじめられても切り返す能力こそが必要なのではなかろうか。
 
[人と接する]
 
 若いうちは、言いたいことを言い合って友情を深めていくものである。しかし、言いたいことをお互いで言い合っていても何の解決にもいたらないこともある。では、どうすればお互い分かり合えるだろうか。自分の言いたい事は言う、しかしそれも表現の仕方一つである。お互いへの気遣い一つだと思う。
 
[教育]
 
 いじめを教育のせいにするのは安易すぎる。それは確かに環境という面では大いに考える面だ。しかし今回はそれをあえて否定する。もっと人と人の関係について考えたいからである。それに学校のせいだと主張していくのはあまりに安易で危険だからだ。もっと言うと、教育と言っても親の教育はどうであろうか。
 教育と言っても、親の教育はどうであろうか。現代はエゴが思いのまま動く世界である。その反面、主体性もないと思う。親がこうしろ、ああしろと言ったことには従う。まさに、押し付けの教育であろう。このせいであろうか人との付き合う方を知らない子が多いと思われる。
 
[どうしたらいじめがなくなるか]
 
 人に無関心になったときいじめはなくなる。しかしそんなことでは健全な人間関係はできなくなる。これは、本性を仮面で隠す世界。言いたいこと言う世界とは全く違う。ここで間違っているのは、それをいじめでやってしまうのである。
いじめは悪意のかたまり。人より自分が優れている。人は平等でない。自分の方がたくさんもっている。上下関係のところでも述べたが、根本にあるものはこれである。対してたくさん持っていない人もいる。持っていないからだめとかではなくて、その持っているものでいかにして実現するかではないか。
 どうしようもなく合わない人がいる。どうしても都合の悪い人がいる。しかし嫌いかどうかは別である。この人もいて、あの人もいていいと思うことこそ大切なのだ。人を受けいれるだけの、心に余裕を持つことが大切である。お互いの違う面を認めて大切にする。お互いを知らないのも直るのではなかろうか。意識するのではなく相手を知ろうとすることから友情が深まる。相手を見ることが大切である。何よりも存在をしっかりと認めることこそ大切ではなかろうか。その人の存在は運命であるので、そこから認めることからまずは始まる。そして、一歩踏み出して話す。まずは上辺だけでも笑っていればいいんのではなかろうか。
 いじめる側、いじめられる側も自分の中で処理をしないことだ。そうなってくると狭い視野しかなくなってくる。お互い一方通行になる。もしいじめられる側が、自殺を考えたとしよう。自殺をする前に選ぶ選択があるということに気付かせなければならない。そういう他者こそが必要である。
 
[まとめ]
 
 かなり私論を述べてしまったので偏りもあるかもしれない。このことを考えながら思ったのが、私はEQ、心の知能指数の高い人間になろうということであった。近年はIQ、知能指数の高い人間を評価していると思う。学歴重視の社会は崩壊したとは言われて久しいが学歴信仰は終わっていない。それどころか、増しているようにも思われる。それはしょうがないことであると思うところもある。その中にも心の余裕、相手への思いやりをもっと大切にするべきだ。少年犯罪は多発し、人間関係が希薄と言われるこの世の中において、それを克服するための手段は人と関わりを持つことしかないと思う。そして、特に十代の間においては、自分はまだ完成品でないということに気付くべきである。そして自分はまだ発展途上なのだと知るべきである。もっと生きて、時間を長く持てば気付くとは思う。そうやって大人になっていく。しかしそれからでは取り返しのつかないこともある。お互い一生引け目を受けていくよりも、いいに決まっているし、その方が楽しい人生である。
 
 
 引用文献
  @ 知恵蔵1998 朝日新聞社
 
 
 
 
 
『たまには教育論的なものから離れてみようよ、ガイア論的スケールで書き始めちゃったりしてさあ。結局、頭ん中は変わんなかったような気がするけど、なかなか良かったなあ…うん。』
岡田 知大
 
 

 
 
 人は生まれてから死ぬまで、その人それぞれの色をだした道を歩んでいく。地球が誕生してそこに様々な生命が宿り、人類もその生命の一つとして誕生してきた。人間という生物がこの世に現れてから現在まで、いったい何人の人間が誕生してきたのか想像もつかないが、誕生してきた人間一人一人にそれぞれの人生があったことは確かである。人間が誕生して文明が発達し、その地域独特の文化が生まれてきた。人間の誕生は様々な文明を生み、その地域独特の文化が生まれた。時代が流れてきたのもこれが繰り返されてきたからである。ただ単に時間が過ぎてきただけではない。単調な時間というリズムにそれぞれ独特の文化が生まれて、独特の時代が流れる。その文化を支える人間それぞれの人生も同様のことが言える。誰にでも平等に与えられた時間というリズムに、それぞれの色を出しそれぞれの道を歩んでいく。だから何億、何兆またはそれ以上の人間が生まれてきても、誰一人として全く同じ人生を歩むということはありえないことだろう。世の中に同じ人生を送っている人間がいないからこそ、人は様々な性格や人種の人間とコミュニケーションをかわすことができ、それによる様々な刺激を受けることで、新しい自分を発見することや自分の人生という道に新たな色を添えることができる。だから人間が生きていく上で自分以外の人間と接触するということはとても重要であり、なくてはならないものなのである。生きることができる時間というのは人によって異なるし、自分がどれくらい与えられているかということもわからない。そのような条件を与えられているのなら、なるべく他人よりも楽しかった、幸せだった、悔いに残ることはないと言える最期を迎えたい。
 
 「楽しい」、「幸せだ」というものは、人が心で感じるものであり、その感じ方は人それぞれ異なり抽象的である。しかし、心で感じるものというのは、そう感じさせてくれる対象がないと成立しない。心に感じさせてくれるものは、本や、絵やテレビ、風景など自分の身の回りにはたくさんあふれている。しかし本や絵などは、私たちに一方的に感じるものを与えてくれるだけで、逆にこちらから与えることはできない。どうせ「楽しい」、「幸せだ」と感じたなら相手にもそれを伝えたいし、相手にもそう思ってもらいたい。感じたことを一方的にうけてばかりいるよりも、そう感じたことを伝える相手がいて、その相手がどう感じたのかを知る。それが刺激の与え合いとなり、これが相手のことを考えると同時に新しい自分を知るきっかけにもなり、自分を見つめ直したり相手を好きになったりすることができ、生きていることがより楽しくなると思う。だから人間にとって他の人間との接触はお金では買えず、チャンスを逃してはもう手に入れることができない、生きていくために必要な多大なパワーを与えてくれる重要なものである。
 しかし人間というのは、いつも他人と同じ考えを持っているとは限らない。生き方が違うのだから、考え方や感じ方が違うのも当然である。だからその違いから衝突が起こることもあるかもしれないし、このことが原因で相手のことを嫌いになるかもしれない。しかしこのような状況に陥った時こそ、相手とのコミュニケーションが重要となるのではないだろうか。楽しい時は共に楽しさを感じあって、幸せな時には相手も幸せにしてあげたいと思えるような相手だったら、自分とかみ合わない部分を理解してあげることが大切だと思うし、自分にとって大切な人だったらそれも個性だと受け止める必要があるかもしれない。
 しかし、いくら努力しても相手のことを受け入れることができない時もあるだろう。それは人間の本質からかみ合わない部分があるためだろうし、そういう人間がいてもおかしくはない。そういう人間は、生きていく上においてあらゆる意味で自分に害を与える人かもしれない。なるべく関わり合いを持ちたくないと思うかもしれない。しかし社会に出たらそのようなことは言っていられないだろう。社会に出ると自分は様々な人間に囲まれる。生まれた時代が異なるだけで考え方は違ってくるし、育った環境が異なれば当然個性も出てくる。そんな人間達とうまくやっていける人は、社会に出て様々な問題にぶつかっても、周りの人間をうまく利用して壁を乗り越えていけるだろう。
 では様々な人間とうまく付き合っていくためにはどうしたらよいだろうか。生まれ持った性格にすでにそのような能力を備えている人もいるだろう。しかし、備えていない人もそれ以上のあらゆる人間と付き合って、様々な個性を持った人間がいることを知っておけば良いのではないだろうか。
 生まれてから社会に出るまで、二十年ほどの期間がある。この期間が長いか、短いか、どう感じるかと質問してもこの期間に当てはまる小学生や中学生、ましてや幼稚園に通っているような子供には難しすぎる内容であるし、答えられないだろう。だったらそのような環境を与えてあげられるようにしてあげればよいのではないだろうか。幼い時から様々な人間と出会い、世の中には様々な道があることを知って、自分で自分だけの道を作っていけるようにしてあげるように。
 結局自分の人生は自分で決めなくてはならない。長いか短いかはわからないけれど、生きていくことを楽しんでいくためには、自分がやりたいことを見つけ出すことから始まると思う。これを見つけ出すことが最も大変なことかもしれない。なかなか見つけることができなくて、苦しい思いをすることもあるだろう。何度も道を踏み外してたくさん失敗をしてしまう人もいるだろう。しかしそんな道を歩んできた人ほど、本当の自分の道を見つけ出すことができると思うし、自分の道を広い視野で見つめながら進んでいくことができると思う。幼い時からエリートコースまっしぐらなどという、視野の狭い一直線の道なんて、いつも見える景色は同じだろうし、何の面白味もない。そんな人間が大人になって超エリートになってもべつに特にすばらしい人間だとは思わない。むしろつまらない人間になってしまうだろうし、本当の意味での「人間」となれるか不安である。
 最初からわかっている道を進むことは誰にでも出来る。人が生きていく為に、参考書という物はあるかもしれないが、教科書という物はない。だからこそ、自分で自分の歩く道を探しながら進んで行くしかないのではないだろうか。どんな道があるかわからないし、誰も知らない道だから当然地図などない。そんな道を進んでいくためには、自分で手探りで探していくしかないだろう。時には道が無いところや、道が分かれてしまっているところを進まなければならないことがあるかもしれない。そんな時こそ、自分の周りにいてくれる人間がとても重要な参考書となってくれる。最終的に答えを出さなくてはならないのは自分であるが、ヒントを出してくれるのは周りの人間だ。様々なヒントが与えられた方が、答えを出さなくてはならない人間としては進める道をたくさん考えることが出来る。だから、なるべくたくさんの人間と知り合い、本当の友達をたくさんつくっていくことは、生きていく中でとても重要なことだし、一生涯続けていきたい。そして、もうそれ以上進むことなんて不可能だと思ってしまうような道にぶち当たってしまうこともあるかもしれない。しかし、そんな道をなんとかして突き進み、達成できた時の喜びは他の何物にも代えられないものとなるだろう。そういう事を味わえるから、生きていくことが楽しいと思えるようになると思うし、進んできた道に後悔していないと胸を張って言うことが出来るのだと思う。
 
 1度しか与えられない人生だから、やりたいことやって、やり尽くして、様々な人間に会って刺激を与えてもらって、与えてあげて、他人が何を言おうが自分が納得して迎えることができる最期でありたいよね。
 
                            …アタマ悪ぃ。
 
 
 
日常からの「跳躍」
 
牧島 洋平
 

 
 
 少年犯罪が紙面を騒がせている今日この頃ですが、見た目も・話した感じも至って普通の少年・いい子が事件を起こしてしまう。誰しもが心のどこかで何かを抱えたまま、毎日を過ごしていて、ある瞬間に犯罪という境界線を越えてしまうのであると考えています。ではその「何か」というのは何なのでしょうか。
 
 まずは、今の高校生の平均的な生活は、次のようなものです。朝起きて、学校に行って、うちに帰ってから塾に行く、テレビを見て、宿題をして寝る。これがほぼ毎日続いていくのです。休日はテレビを見たり、音楽を聴いたり友達としゃべったり、ゲーム、買い物、何となく過ごすといった感じです。彼らの生活にはスポーツや友達と積極的に交わることもなく、熱中するようなものがないのです。しかし、そんな休日の過ごし方に約半数が満足していると答えているのです。では勉強に熱心になっているのかというとそうでもなく、さらに、自分の成長体験も特になく、自分の存在に漠然とした不安を抱えているのです。
 
 休日の過ごし方は家からでなくても出きることばかりです。今では携帯電話があるために、友達と会わなくても会話でき、通信販売などで買い物もでき、音楽もインターネットからのダウンロードできてしまうのです。わざわざ自分が外にでていって何かするというものが今では少なくなってしまっています。
 
 そんな少年から見た今の社会とはどううつっているのかといえば、現在の日本は大不況で、就職氷河期・リストラのニュースが耐えません。さらに、警察官や検事がとんでもない不祥事を起こす「信頼性の崩壊」や、銀行やデパートの倒産を救うために税金が使われてしまったり、政界の汚職事件・天下りなどの「公平性・モラルの崩壊」原子炉で漏水事故・病院での医療ミス・食品会社の食中毒の「安全性の崩壊」など将来に関して不安材料がたくさんあります。今まで当たり前であったものがここ数年で音を立てて崩れていってます。教師や年輩者を尊敬したり、1度就職した会社に定年まで働くといったものまでも。そんな信用も出来ず。モラルもなく、安全性もない社会に子ども達もある種あきらめのようなものを感じているのではないでしょうか。
 
 そんな子ども達育てている親の子供への教育とはどうなっているのかというと、日本の場合父親よりも母親の方が子どもとふれあう時間が多いでしょう。そして母親がふれている社会は「お母さん」の社会なのです。保育園や母親の公園デビューなどです。そこで「うちの子はこんなに出来るのよ」という母親同士の「いい母さん」競争が始まるのです。ある保育園で出来の悪い子供を持つ母親が出来のいい親子に腹を立て、その子を殺害してしまったという事件が起きました。母親には子どもをいい子に育てようというプレッシャーを常に感じています。それは旦那さんから、近所の母親からなどです。しかし、現在は核家族が多く、誰かに相談するといっても特に当てもなく非常に不安です。よくテレビで育児雑誌のCMが放送されているがそういう需要があるためでしょう。そんな母親はいい母親でなければ「あの親は一体どんな教育をしているのだろう・・・」といったことをいわれてしまうのです。後ろ指を指されないように母親から「いい母親」を演じてしまっているのです。
 
 
 
 
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第U部
 
 2000年度ゼミの記録
 
 
 
参加者の顔ぶれ
 
 
★ 岡田 知大(4)
前期ゼミ長。今年はポジション取りに苦労したか? 
しゃべるだけじゃなくて、もっと書けるようにしないとね、社会人としては。
でも、卒業してくれて、素直に嬉しいです(^^;
 
★ 秋田 龍則(4)
参加してたような、してないような。まっ、名簿だけは載せとくか。
特に言うことなし。過去の尽力には感謝。
 
★ 足原 世一(4)
やっぱり線が細かったかな。「大化け」を期待してたんだけど。
こぢんまりとまとまった人生、生きるんじゃねえぞ。
 
★ 菊田 尚宏(4)
本当はお前が作るはずだったんだよ、この名簿。
どうしてくれんだよ。最後までサボりやがってよ。
 
☆ 内山 めぐみ(4)
うーん、途中から休学してしまったね。
お元気ですかあー?
 
☆ 鈴木 舞(法)
大活躍だったね。モグリなのに。でも、お酒を飲ませるとこわい(^^;
もうちょっと深刻な議論したかったな、鈴木さんとは。
 
★ 田中 祐一(4)
しぶく、いい味出してたかなあ。
もっと積極的に、なんて言うのは、無粋なことなんだろうか。
 
★ 古川 修一(4)
去年の後半ぐらいから、ひと皮むけたよね。
緻密に、だけどアグレッシブに。
 
 
 
 
★ 立石 誠(3)
ちょっとずつ「進化」してるのは、認めよう。
だけど、もうちょっと入って来いよ。「壁」を作らないで。
来年は、ひと波乱ありそうかな(^^;
 
☆ 阿多 恵(3)
これだけ書けるのに、これだけ話せない学生も珍しいと思う。
まあ、岡田の反対と思えば、理解はできるけどね。
モノローグに陥らない回路を確保しようね。
 
★ 羽田 正(3)
やる気にムラがありすぎ?
 
☆ 斎藤 友紀恵(3)
ある意味、典型的な法女の出身者の文化を感じたな。
「ゼミ生である前に、まず学生であれ」(ホントか?)
現状に満足しないで、飛躍、飛躍!
 
☆ 石栗 笑(3)
後期ゼミ長。「無為の為」みたいなゼミ長だったのかなあ(^^;
いやいや、よく頑張ったよね。
まだまだ発展途上人。
 
☆ 菊池 秀江(3)
自分を出すのも、出さないのも、やっぱり自分が決めること!?
ある種の「力量」を感じてたんだけど。
 
★ 武田 敏之(3)
ホントに前期だけだったね。まあ仕方ないけど。
もっと自分を出せえー!
 
☆ 藤田 さやか(3)
笑顔とゼミ中の寝顔が、印象に残ったな。
すこし物事を意地悪く見ることも、ときには大事な視点になると思う。
 
★ 大岩 祐介(2)
コメントは控えてえなあ。
まあともかくデビューはできた。あとはお前しだいだ。
 
 
★ 八源寺 誠(2)
うーん。もうちょっと参加して欲しかったよね。
でもね、3年生以上を見てると、自然と引いてしまうのもわかる??
 
★ 岸本 寛(2)
あんたが自分で立候補したから、ゼミノート渡したんだろ。
あとは書かないけど。
 
★ 武井 博志(2)
2次会のときの頑張りを本番で使って欲しい(^^;
自分のなかで消化できないと、そとに自己表現することは難しいんだぞ。
 
☆ 森本 那津子(2)
一進一退の参加の仕方だったねえ。
 
★ 波多江 慮(科)
長いつきあいだね。合ゼミにまで来てもらって、恩に着ます。
 
★ 松本 一真(卒)
途中から遁走したけど、自分の選んだ道の方で、ぜひとも頑張ってほしいものだ。
 
 
 
その他、適度に参加した人、あるいは通過した人
 
★ クマ(東京農大?) ☆ 石野田さん(法) ☆ 鈴木あき(4)
 ☆ 野口友子(4) ★ 井田(法) ★ 小川(法) ★ 福田(2)
★ 度会(2) ★ 森山知之(卒) ★ 手島くん(卒)
☆ 石井きりこ(卒) ★ 小林覚(卒) ★ 井上あつし(助手)
★ 心理コース進学予定の彼、田中くん?(2)
★☆ 映画の宣伝に来た新井セイジ、谷村さん
☆★ ディスカバー・モアの1、2年生たち
★☆ 都立市ヶ谷商業の高校生と先生
☆★ あと忘れてるかもしれない人(ごめんなさい)
★ おっと、牧島洋平(4)
 
 
 
2000年度の日程とテーマ
 
 
2000/04/12  発題
 
2000/04/19  フリーターについて
 
2000/04/26  フリーターとだめ連
 
2000/05/10  パラサイト・シングルの時代
 
2000/05/24  ゼミの進め方についての討論
 
2000/05/31  ゼミ合宿の総括 −新潟女性監禁事件−
 
2000/06/07  『少年非行の世界』から
 
2000/06/14  子どもたちはなぜ生きる実感が持てないか
 
2000/06/21  栃木バタフライナイフ殺人事件
 
2000/06/28  援助交際
 
2000/07/05  他者からの承認と少年犯罪
 
2000/07/12  「地域の可能性」を考える −佐賀バスジャック事件−
 
2000/09/27  少年法改正について
 
2000/10/18  「普通の子」ってなに?
 
2000/10/25  奉仕活動の義務化について
 
2000/11/01  模擬裁判の台本検討(1)
 
2000/11/08  模擬裁判の台本検討(2)
 
2000/11/15  今どきの子どもを考える
 
2000/11/29  養護施設の訪問を踏まえて
 
2000/12/05  児童虐待をする親 −『親子ストレス』−
 
2000/12/13  機能不全家族について
 
2000/12/20  脱「社会」という誘惑
 
 
 
 
2000年度の日程とテーマ
 
 
 
  <00/04/12>  ガイダンス
* お花見!!
  <00/04/19>  フリーターについて
* フリーターが成り立つ社会だから
  <00/04/26>  だめ連宣言
          ・・・だめでもいいじゃないかという生き方は?
* 古川さんの味を知った日
  <00/05/10>  パラサイト・シングル
           報告:秋田、岡田
* 親バカが多い!!
  <00/05/24>  今年の課題決め!!
           テーマは「少年犯罪」        
 * 岡田さんゼミ長就任。参加者22名という大所帯の為、
4つのグループに分かれる。
家族・地域・学校・子ども。
4つの視点から少年犯罪を考える
  <00/05/27〜00/05/29>  合同ゼミ合宿in富士セミナーハウス
* 蓋を開けたら児美川ゼミ
  <00/05/31>  ゼミ合宿の報告
           報告:武井、阿多、石栗
* 新潟少女監禁事件から、
親が怒れないのはなぜか?問題に発展
  <00/06/07>  現代少年非行の世界
            報告:岸本
* 自己確認と愛!!
  <00/06/14>  子どもたちはなぜ自己肯定感をもてないのか?
            報告:各班
* キーワードは個性(?)
  <00/06/21>  栃木バタフライナイフ殺人事件
            報告:家族班
 * 子ども所有物トークコミコミは結婚して
6年目くらいに子どもをつくった発言!!
  <00/06/28>  援助交際
            報告:学校班
* 松本VS岡田
  <00/07/05>  他者からの承認と少年犯罪
            報告:子ども班A
 * 高校生が来た!!
そこの教師、酒鬼薔薇の事件を病的なものと捉えているらしい。
お話にならない
  <00/07/12>  地域の可能性を考える
            報告:地域班
* 家族の孤立化を考える
  <00/10/04>  少年と暴力
* ピンとこない
  <00/10/07〜00/10/09>  児美川ゼミ合宿in三浦セミナーハウス
* 石栗、岡田さんの後任
  <00/10/18>  普通といわれる少年たちの犯罪
            報告:家族班
 * 久々の盛り上がり!!
古川さんもニッコリでした
  <00/10/25>  奉仕活動の義務化について
            報告:学校班
* 牧島さんゼミノートを持って逃走(?)
  <00/11/08>  教育学総会に向けて
* 模擬裁判の練習かなりの演技派ぞろい
  <00/11/15>  癒しを求める現代社会
            報告:子ども班B
* 「人の歌聞いてると、苦しくなるよ。
だって最近の歌、どこで息つぎしてるの?」(古川)
児美川先生、出張!!
  <00/11/29>  養護施設を見学して
            報告:地域班
* 大岩かなりテンテコマイ
  <00/12/06>  親子ストレス
            報告:石栗
* あれぇ??
参加者少ないのは気のせい?
  <00/12/13>  家族班ファイナル
* でましたっっ!!
機能不全家族
  <00/12/20>  居場所は見つけられるか?
            報告:地域班(リベンジ)
* 脱社会!コギャル!脱社会!
  <00/01/10>  ゼミのまとめ
            報告:児美川
* それぞれが、これからの自分の課題を
明確にしたようだ
  <00/02/10〜00/02/12>   合同ゼミ合宿in富士セミナーハウス
 
 
 
  [グループ]
      家族     岡田、武井、阿多、斎藤、藤田、武田
      子ども    鈴木、古川、秋田、岸本、森本
      学校     立石、八源寺、石栗、松本、石野田
      地域     田中、大岩、菊池、菊田、波多江、内山
 
                           
 
 
 
 
 
■■■
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第V部
 
少年事件・模擬裁判の記録
 
 
 
 
 
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第W部
 
「担当教員」編
 
 
 
 
 
「20世紀最後のゼミ」雑感
 
児美川 孝一郎
 
 
 ぷろろーぐ 
 
 うーん、終わってしまった。
 まず、はじめにお断り。
 今年度のゼミのテーマは、少年犯罪だった。このテーマについての教員(研究者?)としての僕自身の見解については、以下の拙稿を参照してほしい。なぜなら、このページに書くことは、少年犯罪というテーマについての、アカデミックな側面からの追究では全然ないから。そういう関心のある人は、ぜひそれにふさわしい方を読んでいただきたいというわけなんだけど。
 
 ★《自分さがし》をめぐる思春期葛藤と学校
    −今日の「中学校問題」についての研究ノート(1)−
  (『法政大学文学部紀要』第43号, 1997年, 123-145頁)
 
 これは、酒鬼薔薇の事件に衝撃を受けて、その直後に書いたもの。後半は制度問題だけど、少年事件・少年犯罪の背景についての歴史的概観を、教育システムの問題に即してやろうとした(つもり?)。
 
 ★《研究ノート》 「少年とナイフ」事件をどう見るか
     −子ども理解の「崩壊」から「再生」へ−
  (法政大学教育学会『教育学会誌』第25号, 1998年)
 
 こちらは、ナイフ事件の連鎖の時に書いた。いちばん直接にテーマにかかわるかもしれない。
 
 ★ どうして学校生活はストレスだらけなのか
     −中学生と進路・受験−
  (シリーズ中学生の世界2『中学生をわかりたい』大月書店,1999年,105頁-118頁)
 ★ テレビゲームの世界
     −現実を通りぬけたリアル−
  (香川宏治との共著, シリーズ・中学生の世界2『中学生をわかりたい』
   大月書店, 1999年, 132頁-147頁)
 
 この二つは、テーマそのものの背景として今日の子ども・青年の状況を、もうちょっと具体的に明らかにしようとしたもの。後者の方では、テレビゲームが子どもの暴力性を助長しているといった単純な決めつけに対する反論も試みている。ちなみに、この原稿の共著者の香川君は、かつてのゼミの卒業生(懐かしいねえ(^^;)。
 
 ★ 学力競争という「饗宴」のあとで
     −研究ノート−
  (法政大学教育学会『教育学会誌』第26号, 1999年, 10頁-17頁)
 
 今の子ども・青年の実存的状況をどう捉えるか、という意味では、もうひとつこれ。
 
 ★《アイデンティティ・ゲーム》としての子どもたちの逸脱・問題行動
     −「校内暴力」から「新しい荒れ」へ−
  (『法政大学文学部紀要』第45号, 1999年, 145頁-172頁)
 
 最後は、少し理論的なフレームの問題も意識したもので、子どもたちの「荒れ」の特徴づけを、校内暴力の時期との比較でやろうとした。
 以上、少々、牽強付会な文献解題は終わり。
 
 で、少年犯罪論や子ども・青年論はいいとしたら、ここではいったい何を書こうというのか? これが問題なんだな、実は。
 
 えぴろーぐ 
 
 いっ、いきなり終わりかよ、っていう声が聞こえてきそうだけど。申し訳ない、あんまり書くことないんだよね、胸がいっぱいすぎて。言いたいことがありすぎて。
 で、今年のゼミについての大ざっぱな印象だけを書いておくと、
 
@ 最初の頃は、初顔合わせの人も多くて、しかも人数が多いということで、試行錯誤というか、模索の時期。
A テーマを確定して、グループ編成をして、グループ発表をやりはじめてから、ようやく軌道に乗る。
B 夏合宿(正確には秋)から教育学会総会での模擬裁判をやったあたりまでが、いい意味でのピーク。
C あとは、早めにピークを持ってきてしまったがための下降線。
 
といったところなんじゃなかろうか。
 担当の教員である僕の側での反省点というのは、山ほどあって、最後のゼミの時にもしゃべったけど、
 
@ グループ毎のサブテーマの立て方や、グループ編成は適切だったか、とか
A 「少年犯罪」という切り口から、どれだけ教育の問題に引っ張ってこれたか、とか
B 基礎的な文献や先行研究をこなす、という意味での知的訓練の機会を作ることが足りなかった、とか
C グループ発表の準備の段階で、もっと教員の側が介入した方がよかったのではないか、
 
などと思っているところはある。
 
 だけど、実際問題としては、ゼミの運営というのは難しいんだよね。
 それに、僕自身は、ゼミというのは、基本的には学生自身が「仕切る」ものだと思っているから、どうも強く「介入」する気にはなれない、というか。
 だから、ゼミが面白いとか面白くないとか、勉強になったとかならなかったとか、というのは、学生の側からすれば、天に唾する行為だと思っているわけなんだな。面白かったり、勉強になったりしたというのであれば、それは自分たちがよく頑張ったということだし、その逆は、自分たちがふがいなかった、ということなんじゃないか。
 
 まっ、それでも、第T部にある個人論考なんかを読んでみると、(基本的には玉石混交だけど)それなりに、それぞれの個人にとっての「きっかけ」にはなったのかという気もする。
 ならば、それはそれで、良かったんじゃなかろうか(って、評価が甘すぎる?)
 
 ゼミという言葉の由来は、もちろんドイツ語のゼミナール。ゼミナールという言葉は、ラテン語にまでさかのぼっていくと、「つなぐ、結びあわせる」という意味があるそうだ。そして、英語のセミナーには、「種を育てる場所(育種場)」という意味もある。
 そう、ゼミっていうのは、みんなで寄りあって、共同の作業をしたり、思考実験をしたりしながら、最後はそれぞれの個人にとっての「種」を撒くというか、育てる場なんじゃなかろうか。
 だから、そうして育った「種」をどう大事に育てて、どういった花や果実を実らせていくのかは、みんなのこれからにかかっている、ということだ。
 
 ぽすとすくりぷと 
 
 来年に向けての抱負と願望。
   もっと少人数でやりたい。
   もっとハードに、タイトにやりたい。
   フィールドワークもやりたい。文献学習を通じた基礎的な訓練もやりたい。
   ゼミ運営にITを取り入れたい。
 
 はたして、叶うかな?                    (2001/02/13 記)
 
 
 編集後記 
 
 
◆ また、つまんないものを作ってしまった、これで、4作目だ。なーんて言ったら、ゼミ生たちは怒るだろうか? いや、実は怒ってほしいのだ。こんなことを言われて、へらへら笑っているようでは、あまりに不甲斐ないではないか。でも、だ。担当教員のこうした言いぐさに、まっとうに反感を覚え、反論をしうるためには、自分たちの側でのそれなりの覚悟というか、これこれのことはしてきた、という最低限の自負が必要なはずだ。僕がいちばん心配しているのは、まさにこの一点以外の何物でもないのだが。これが、杞憂であることを祈ろう。◆ ついでだけど、法政に来てからの5年ばかし、いつもこうした「挑発」ばかり繰り返してきたような気がする。だけど、気骨のある反応は、年々、減ってきたに思えて仕方がないのだが。(また、怒らせてしまった?)◆ 今年度のゼミは、ともかくも無事に終了しました。前期のゼミ長の岡田くん、後期の石栗さん、大役をご苦労さまでした。また、例年にはなく今年は、法政大学教育学会総会で、ゼミ単位での分科会運営を行いました。その際の模擬裁判づくりでの、鈴木舞さんの貢献には本当に感謝しています。法学部生である鈴木さんは、厳密にいえばモグリの学生さんなのですが、お客さんとしてもてなすどころか、ほとんど身内以上にこき使ってしまいました(^^; また、学科全体の運営委員として合同ゼミ合宿等に尽力してくれた斎藤さん、菊地さん、武井くん、大変なことも多かったと思うけど、本当にご苦労さまでした。◆ 全体としては、何だか文句ばっかり言ってるようですが、実は僕だって感謝しているんです。こんなふうにみんなとやっていく中で、僕自身もずいぶん勉強させてもらったし、何より「教員」としての実感を味あわせてもらえました。そういう意味でも、参加者のみなさん、どうもありがとう。来年のある人は、また一緒に頑張りましょう。(こみかわ)