エヴァ人気を考える現代青年による現代青年についてのぼやき
 
教育学科4年 石井 木理子
 
序章
 「新世紀エヴァンゲリオン」というアニメを知っているだろうか。おそらく若い人であれば1度は耳にしたことがあるだろう。或は実際に見た人も多くいるかもしれない。アニメというとどこか閉じたイメージがあり、嫌悪感を示す人が多いかもしれない。ただこのアニメは放映後、瞬く間に若者の間で人気となり、アニメファン以外の人をも巻き込む社会現象とまでなった。人間関係を上手く築くことができずに、自閉気味になる主人公の葛藤描いたその内容は、多くの若者の共感を引き起こしたのである。
 現代の青年については、現実指向が強く個人主義的な側面が語られているが、その一方で、人との関わりを回避しようとする側面があることも指摘されている。そうした若者の陰の側面の共感を引き起こしたのが、エヴァだったのではないだろうか。そしてそうしたアニメが社会現象とまでなったことは、現代青年の間に人間関係を築いていく上で困難を感じている人が多く存在していることを意味しているのではないだろうか。
 そこで本稿では、エヴァンゲリオンに共感した若者の意識を分析し、その要因を考えることを手がかりに、現代青年の意識のありようと問題点について考えていきたい。
 
第1章
 
第1節 過去における青年像の変化
 現代の若者が、他者と関係を築いていく上で困難を感じているということは、「コミュニケーション不全症候群」*1 などの形容がされることでも明らかなように、現代の若者の主な特徴として挙げられることである。そしてそうした現代の若者との間には様々な場面で世代間の齟齬が生じていることも、現代よく見られることである。ただ確かにこうした大人と若者との間の対立は、古代ギリシャの頃からいわれている「今どきの若者は」といった普遍的な現象のひとつとして捉える事もできるが、千石は現代の対立の構図を「世代論」の枠組みで考えなければ捉えられない問題であると指摘している
*2 続けて千石は、これまでの若者に対する大人の小言は「年代論」の枠組み、つまり”若者も年をとれば立派になる”といった発想で考えられてきたが、現代における大人と若者との齟齬は、世代的な価値観の齟齬であると指摘している。故に現代の若者像を明らかにしていく上でも、そうした世代的な認識が必要であると指摘している。
 世代の区分をするならば、現代の若者は「団塊ジュニア世代」或は「ポスト団塊ジュニア世代」に相当する。その親の世代に相当するのが「団塊世代」と呼ばれる世代であり、正確に言うならば「団塊世代」とは1947年から1949年にかけて生まれた、戦後ベビーブーム世代の別名である。「団塊世代」は、戦後に生まれ、民主教育を受け、日本国憲法に定められた諸権利を自明のものと考える世代であった。確かに「団塊世代」にも窮乏の記憶はあるものの右肩上がりの経済成長の中で育ったこの世代は、親の世代とは全く異なる感覚を持った世代であった。「団塊世代」にとって親の世代は、まさに封建的な体質を色濃く残した世代であり、この2つの世代の断絶は必然的なものとなっていくのである。その対立が社会的な事件にまで発展したのが、60年代安保であり、60年代後半の学生反乱であった故に「団塊世代」とは、まさに旧世代の意識と行動を反抗の対象として、自らの世代意識を構築した世代であった。
 そして、70年代に生まれた世代が「団塊ジュニア・ポスト団塊ジュニア世代」である。
 
NOTE:*1中島梓「コミュニケーション不全症候群」ちくま書房 1995年 
    *2千石保「マサツ回避の世代」PHP研究所 1994年 P14〜P15
    *3小谷敏「若者たちの変貌」世界思想社 1998年 P63〜P100
    *4「カプセル人間」という用語は中野収によるもの(小谷敏「若者たちの    変貌」世界思想社 1998年 P127 重引)
 
第2節 世代的にみる現代青年像
 70年代に生まれた世代が、今の若者に相当する「団塊ジュニア・ポスト団塊ジュニア世代」である。この世代は現代20前後・20代後半に相当し、団塊の世代を親に持つ世代である。「団塊ジュニア世代」というラベリングは、先行世代との断絶を経験し旧来の伝統に否定的だった「団塊世代」の子どもという意味合いが強い。伝統的な規範に拘束されることなく、快楽の原理にのみしたがって次世代を育成することは可能であるか、といった視点で現代の「団塊ジュニア世代」は評価されているといえる。ではその結果、現代の若者はどのように成長したのだろうか。現代の若者に対する評価は、極端に個人主義的であるとか、社会と歴史の発展に非主体的で無関心である、他者との関わり合いに困難を感じている、など様々なものがある。こうした若者の傾向は「団塊世代」以降の若者の間で浸透し始めていたものであるが、その傾向は現代において色濃くみられるようになってきている。
 現代の若者が育った環境を簡単にみてみたい。竹内の指摘を引用すると、先ず家庭環境は、家庭が生産の場から消費の場に、信仰の場から余暇と休息の場に、地域に結びついていた家庭から地域と関係をもたない家庭に、また家族構成が世代家族から核家族に変わったことなどがある。このために、現代の家庭はその教育力を弱めその役割を学校に委ねることとなり、その結果家庭は保護の役割に集中するという傾向をもつようになったのである。こうした現代家庭の 過保護的傾向は、子どもや青年の両親への依存を強め、その結果子どもが自立の要請から逃避的になることを促す原因ともなる。また教育力の低下はいわゆる”友達親子”を増加させ、反抗対象としての親を失った子どもは、親のやさしさの中で甘えをひきずることとなる。*1
 教育力を託された学校はどうかというと、「団塊ジュニア世代」が小学校になろうとうする1979年には、戦後最大の入試改革といわれる「共通一次」がスタートした。しかしそれは、当初の目標であった多角的選抜の実現、過熱化した受験競争の緩和という目的よりも、偏差値による選択の強化、大学の格差づけの進行、足きりの弊害など、新たな問題を生み出した。受験競争の激化は子どもの通塾率をあげ、1986年には全国の小学生180万人、中学生270万人が塾に通うようになったのである。また受験競争による弊害は”いじめ”を引き起こし、1985年の4月から10月までの7ヶ月の間に、全国の公立の小中学校・高校の約57%でいじめが起きている、という実態が明らかにされた。*2 「いじめ」の温床は、受験競争に代表される管理社会の序列化競争にあるといわれた。これが子ども達の心に不安や抑圧を生み、わずかな差異をもいじめの対象とするようになったのである。いじめられないようにしようと思えば、人から何ひとつ突出せず、すべて横並びでいるしかないという状況に、当時の子どもは置かれていたのである。
 では彼らを取り囲んだ文化はどのようなものだったのだろう。「80年代の子どもらをめぐる文化的な環境は、消費文化として提供されるサブカルチャーによって覆い尽くされた」と中西は指摘する。*3 ファミコンやマンガが子どもたちにとって共通の文化経験となったことはその典型であり、またテレビ視聴の中心となる対象年齢が実質的に若い世代へとずれてゆく事態などもおこった。こうした子どもらを取りまく環境が変化したことによって、子どもの間には商品文化に過剰適応したり同調行動をとる傾向が生まれ、受験競争のみならず文化の競争が生まれてきた、と竹内は指摘する。*1 子どもの間ではファミコンのゲームで全クリ(全部クリアー)したことがすごいことであり、流行の歌を聴き流行の服を着こなすことがかっこいいことで、友人からも一目置かれるのである。まさに子どもたちを囲い込んだ消費文化は子どもの個性を際立たせる格好の道具だったのである。続けて竹内は、そうした消費文化を基準とした人間的な価値基準が子どもの間には浸透していき、それになじまない仲間を排除したり、迫害するという傾向が子どもの間で出てきたと指摘する。
 
NOTE:*1竹内常一「子ども・青年論」青木書店 1995年 
    *2文部省「いじめ・体罰」に関する調査 1987年
    *3中西新太郎「子どもたちのサブカルチャー大研究」労働旬報社         1997年 P13
 
第2章 現代青年の主な特徴と意識
 
第1節 主な特徴
 いままで現代の若者にあたる「団塊ジュニア・ポスト団塊ジュニア世代」の成育史について見てきたが、この世代に見られる主な特徴について考えてみたい。
 大きな特徴として千石は、現代の若者は殆ど未来指向性を失ったと指摘する。*1 確かに現代の若者の間には、未来のために努力するといった意識が希薄になり、今を楽しむという意識が強く見られる。例えば最近の例では、ワールドカップサッカーの若者の盛り上がりぶりは、記憶に新しいことである。Jリーグにしてもひいきのチームのために大声を出し、そのチームが勝てば喜び負ければ涙を流すその姿は、今を楽しむ若者の姿そのものである。また家庭用ゲーム機の出荷台数は90年代に入って激増し、600万〜700万台で推移しており、ゲームソフトの開発は留まるところを知らない状況である。*2 今や家庭用ゲーム機は、若者にとって必需アイテムのひとつとなっているのである。またカラオケが若者の日常的な娯楽として定着したのも、90年代に入ってからのことである。*2 こうした「その場で、そのやっていること自体が楽しくなくてはダメ」という性質をさして、千石はそのような感覚を”コンサマトリー感覚”という言葉で表現している。そうした”コンサマトリー感覚”が今の若者に浸透しているというのである。
 ただこうした現実指向性が若者の間に浸透していることの背景には、様々な問題が考えられる。例えばこうした若者の現実指向性は、日本における「理念の喪失」が背景にあると千石は指摘する。*1 日本がまだ物質的に豊かでなかった時代は、豊かになるための最善の手段、つまり効率のために役に立つことが最良であるとされ、それは同時に日本人の理念として存在していたのである。しかし、日本が豊かになっていくにしたがって、そうした理念は揺らぎはじめ、何が最良の事であるかといた理念が示されることのないまま、人々は70年代後半から80年代の消費社会を迎えることとなったのである。理念を失ったまま消費社会を迎えた人々は、その後何も役にたたないことにも、価値を見いだし始めていったのである。まさにグッチやプラダといったブランドの”記号”が価値あるものとして人々の意識の中に浸透していき、それは消費文化の氾濫と平行して進行していったのである。何の理念も示されることのないまま、90年代の成熟した消費社会の段階へ入っていくと、人々は消費文化にどっぷりと浸かり、そこでの楽しいことに価値を見いだし始めるようになった。今を楽しめばいいんだという発 想の発生は必然的なもので、そうした考え方に説得力をもって反対することなど、誰もできなくなってしまったのである。そうした社会的背景を考えると、現代の若者の現実指向性は必然的なものであり、高度経済成長の当然の帰結といえる。
 しかしそうした現実指向性が自明のものとして、90年代の若者の間に浸透した一方で、そうした現実指向性の”コンサマトリー感覚”に乗り切れない若者が増加しているのも、90年代の若者の大きな特徴である。
 香山はエヴァ人気を説明するなかで以下のようなことを指摘している。「消費行動に走って、刹那的で楽しければいい、といういわゆる”イケてるやつ”ばかりが現代の若者の姿としてクローズアップされていたのに対して、そうではない、いわゆる”イケてないやつ”つまり今の消費文化に違和感を感じている人たちを救いとったのが、エヴァだったのではないだろうか。そしてそれは逆にいえばそうした人を救いとるシステムがいかに欠如しているかを表すものである。」*3 つまりエヴァというアニメが社会現象となったことは、そうした消費文化に乗り切れない若者が、多く存在していることを意味しているのである。
 
NOTE:*1千石保「マサツ回避の世代」PHP研究所 1994年 P66〜P68
    *2中西新太郎「子どもたちのサブカルチャー大研究」労働旬報社         1997年 P13
    *3香山リカ「SPA!」1997年704号(五十嵐太郎「エヴァンゲリオン快     楽原則」第三書館 P178〜P179 重引)
   
第2節 消費文化に乗り切れないという意識
 香山の指摘によれば、エヴァは消費文化に乗り切れない若者を引きつけ、救いとったということになる。そしてエヴァが社会現象にまでなったことは、そういう若者が多く存在しているということにもなる。しかし香山の指摘する消費文化に乗り切れず、それに違和感を感じているという意識は、どういうものなのか。
 現代の若者について指摘されることのひとつに、人間同士の摩擦を回避しようとする傾向があるが、このことの背景には現代の個人主義的な考え方が影響している。社会が成熟した消費社会になってくると、面白いかどうか、かっこいいかどうか、或は意味のあることをしているか、ということが求められてくるようになる。たとえばそれは、人と少し違った格好をするとか、少しこだわった音楽を聴くとか、かっこいいことをしてみるとか、という具合で、人と差をつけるわけである。そのように人と違うことが「個性」としてその人の評価になるのである。しかしその差異には合理的な理由があるわけではなく個々人の恣意によるものであり、「個性」という名のもとに進行する差異化は、価値観の多様化を進行させるのである。そのようにして恣意のおもむくまま細分化された「個性」は、異なる他者との相互理解を困難にし、また先に述べた現代のコンサマトリー感覚が、異なる他者との摩擦を回避しようとする意識を生むのである。同じような価値観をもつ人とは関わりをもっても、そうでない人とは出来るだけ関わりを持たないようにするのである。
 またそのような意識は、同じような価値観を持つ仲間の間でも、若者に脅迫的な同調意識を生み出すことになる。例えば同じような価値観を共有する仲間の中で、自分が少し異なった価値観をもったとしても、摩擦を回避しようとする若者の間では、”理解できない”という考え方で排除されるか、無視されるのである。そうした馴れ合いによる友達関係は、何でも腹をわって話ができるという関係ではなく、同じような価値観をもった仲間同士で、楽しく過ごすための関係といえる。そうした関係は、楽しいことと傷つくことが紙一重の関係なのである。友達とは本来何でも話ができて、意見が合わなければお互いの意見を闘わせ、その過程でお互いの関係も深まっていくものである。そうした心開ける友達の存在が、他の場面での困難を癒し、また安心感ともなるのである。ピアジェによる青年期の発達課題の中にも、同性・異性の友人との交わりをもつことが規定されている。*1 そうした信頼できる友人関係築きにくいということは、同時に主体的に新たな環境へと踏み出していくことも困難にしているのである。けれど新たな関係を築いていったり、何かをするためには「頑張らなくちゃ」いけない し、周りに同調することなく自分の信念をもって人と関わっていくためには、そうした場面で傷つくことを恐れて「逃げちゃだめ」なのである。
 この「頑張らなくちゃ」「逃げちゃだめだ」という叫びは、まさにエヴァの主人公であるシンジの叫びと同じものであり、先に香山がいった消費文化に乗り切れない人の意識とは、こうした背景を背負った若者の意識なのではなだろうか。
 
NOTE: *1ここでのピアジェ理解は竹内常一によるもの(竹内常一「子ども・青     年論」青木書店 1995年 P162 重引)
 
第3節 葛藤する自己の肯定
 異なる価値観をもった人との関わりから「逃げちゃだめだ」、周囲に同調してしまう自分を捨て、信念をもった自分を築くために「頑張らなきゃ」という意味合いで、自己との葛藤に苦しむシンジの姿に共感する若者が多いことは、何も悲観することではないように思える。そのような葛藤を繰り返して、若者は成長し主体的な自己を形成していくものである。「現代の若者は自分勝手で刹那的で楽しさばかり求めている」、といった若者ばかりではなく、自己との葛藤を繰り返しながら苦悩している若者も多く存在しているのである。いいことじゃないか、と単純には思ってしまう。
 しかし、なのだ。厳密に分析すれば、シンジが物語の中で繰り返し試みていたのは、自己肯定による自閉気味な自己の解放ではなくて、自閉気味な自己の解放にみせかけた自閉気味な自己の肯定であった、と佐藤は指摘する。*1 確かに、シンジが物語の中で繰り返し試みていたことには、自閉気味な自己を解放しようとしながらも、そんな自分を肯定しようという、良く言えば「癒し」悪く言えば「甘え」が潜んでいたようにも思える。エヴァの作者である庵野は、シンジの性格や心情が自分自身のそれと多分に重なっていることを示唆する発言を繰り返している。そう考えると、作品が自閉気味な自己の肯定という内容を帯びてくるのは、当然だといえる。故に、見る側がエヴァに共感したのは、「逃げちゃだめだ」「頑張らなくちゃ」といいながら、自閉気味な自己を解放しようとしているシンジの姿に共感したのではなく、自己を解放したくともそれが難しく、やはり自閉気味にならざるをえない自分を肯定しようとするシンジの姿に共感したのだと言える。自閉気味な自己を解放する始めの段階として、自己を肯定することは重要なことかもしれないが、これは容易なことではない。そしてその困難 に背をむけて、自己の肯定ではなく自己の正当化に向かったとしたら、それはただの「甘え」でしかない。エヴァが見る側に共感を引き起こし「癒し」を与えたのは、エヴァという作品がこの「甘え」を、許容し受け入れたからだといえる。
 香山が指摘するように、エヴァ人気は消費文化にのり軽やかに生きていくことが出来ない若者が増加していることを表すものだと考えられる。ただエヴァはそうした若者の間にあった「甘え」の意識を表現したからこそ、現代の若者の共感を生んだと考えられる。
 
NOTE:*1佐藤健志 STUDIO VOICE「君はエヴァに何を見たのか」INFAS        1997 年3月号 P38〜P39
 
第3章 現代青年の意識の問題点
 
第1節 「臆病な知性」ということ
 現代の若者の中にある「甘え」の意識の持つ問題性について、竹内は「臆病な知性」としてその問題点を指摘している。*1 竹内は先の神戸児童殺傷事件に言及する中で、以下のような指摘をしている。
 過去、日本の思想の中には”罪”という観念が存在していたのではないかという。それは「そんな罪なことはするな」とか「おてんと様が見ている」といった言葉に見られるように、天道や人道といった超越的な価値が人々の意識の中に存在しており、その価値にたいする義務や責務に背くことが”罪”であると自覚することができたのではないかということである。また一般に良心の自由とは、自己の良心にもとづいて自己の行為や思想を決定する自由であるとされているけれども、過去の人々の良心の自由の中には先に述べたような天道や人道といった超越的な価値にたいする義務や責務が含まれていたとしている。それに対して、現代の大人を捉えている新自由主義には、良心の自由という思想がないだけでなく、そこには超越的な価値にたいする義務が含まれているという思想がないと、竹内は指摘する。そういった意味で竹内は、宮田の「実際に人間の内的本質、その良心と信教が自由でなければ、およそ他のいかなる市民的自由も成長し得ず、また存立しえない」という指摘を引用して、現代は”市民的自由は良心の自由にその基礎をもつ”という古典的な原則を無視していると指摘している。そ して現代の大人を捉える新自由主義は、このような良心の自由や絶対的な価値に対する義務のようなものを、嘲笑と敵視の対象にしているのではないか、そればかりではなく良心の自由にしたがって真の政治的・社会的責任や責務を果たそうとする市民的自由をも排撃の対象としているという。しかも、それは新自由主義の「なんでもあり」の自由を批判されることを極度に恐れて、それを正当化・合理化する「臆病な知性」というものを歓迎し、そしてそれと裏腹の関係において、「臆病な知性」は行為を事実に基づいて吟味しその価値を問う「勇気ある知性」というものを排撃すると竹内は指摘する。
 このことは日本が、戦後の東京裁判において世界の人民によって指摘された”人道に対する罪”を、主体的に背負うことなく避けつづけてきたことによるものだと、竹内は指摘している。丸山の分析によると、*2 日本は明治維新によって「近代国家」としての体制を整えた。しかし、欧米諸国の「近代化」が政治権力と精神的権威の分離を、絶対君主とキリスト教会の分離の中で行ったのに対して、日本の「近代化」は精神的権威である天皇のもとに政治権力を集中することによって行われた。その結果、政治的決定はそのまま絶対的価値として権威化され、人々にとって犯すことの出来ないものとなったのである。そして、人々は政治決定に対して自分の意見を持つことは許されず、絶対的権威の元に、受動的に生きることを求められたのだ。その後、受動的な精神性を残したままで浸透したした戦後の民主化は、自由な良心を獲得することができないまま、権威的なものに支配される形で浸透していったのである。
 そうして現代社会にはびこった「臆病な知性」は、真理・真実に触れることを極度に恐れ、ひたすら利害損得だけを問題にして、自らの行為を正当化する、故に思想的・政治的・社会的な責任をとろうとしないのだ、と竹内は指摘する。*1 そして、現代の子どもはそのような「臆病な知性」を受験教育から身につけてきた世代だという。また、新自由主義は「なんでもありの自由」を子どもに身につけ、どのような行為をも正当化・合理化することができることを学んできた世代であるという。それによって子どもは、自分たちの行為を事実にもとづいて吟味することを回避するだけでなく、それを価値的に評価することから逃避し、そればかりでなく、その行為を事実としても認めようとはしないのだという。
 こうした竹内の指摘は、酒鬼薔薇生聖斗の声明文を分析して見えてきた側面で、彼にあったのは、自分を「透明な存在」にしてきたものを具体的な現実にそくして追及する「勇気ある知性」ではなく、すべてを抽象的なシステムのせいにして、児童を殺害し、身体を切断したことを合理化しようとする「臆病な知性」であったというのである。
 
NOTE:*1竹内常一「ひと」太郎次郎社 1997年10月号 P1〜P11
    *2丸山真男「(増補版)現代政治の思想と行動」未来社 1964年
 
第2節 「臆病な知性」の蔓延
 しかしその「臆病な知性」は現代の若者の甘えの意識にも、共通するものがあるように思える。例えば、大平は「やさしさの精神病理」という本のなかで、現代の若者が電車でお年寄りに席を譲らない、新しいやさしさについて述べている。*1 今までであれば、目の前にお年寄りがいれば、若者が席を譲ことは当然のやさしさであった。しかし、今の若者のやさしさはそういうことではない。席を譲ればそのお年寄りは、老人扱いされることになる。もしその人が、自分のことを老人だと思っていなければ、席を譲るという行為は失礼なことであり、その人を傷つけることになるかもしれない。そのことまで考えると席を譲らないことが、そのお年寄りにとってのやさしさだということである。しかし同世代の私が考えても、どうもそれはこじつけがすぎるんじゃないかと思ってしまう。ただ席を譲るというそれだけのことである。もしその行為が相手のお年寄りを傷つけたのならば、あやまればすむことである。これは、ただ単純に席を譲れなかった自分を正当化するための理屈にすぎないのではないだろうか。まさに「臆病な知性」のように思える。
 エヴァに共感した若者についても考えてみよう。シンジは周囲の人間と上手く関わることができないで、極力人と関わることを忌避しようとし、それではいけないと思いながらも、結局自分は周囲の人間に傷つけられるばかりである。こんなに自分は人間関係をよくしようと「逃げちゃだめだ」と言い聞かせて、「頑張っている」のに、誰もそんな自分を認めてくれないし、見えない敵(使徒)は襲ってくる。だから自分は自閉気味になってしまうんだ、とそれを肯定するのである。物語の中で自分を襲う敵が、使徒という意味不明で抽象的な相手であることが、見る側にとって重要なことである。シンジに共感した若者の現実世界には、使徒は存在しない。あるのは、具体的に自分自身を傷つけている相手であるし、上手く関わることができない仕事仲間や友人達である。また周囲の人間と上手く関わることができなかったり、自閉気味になる自分を形成したのは、今まで自分を取り囲んできた家族であったり、教育であったり、具体的な現実社会である。現実に生きる私たちは、抽象的な何かによって脅かされているわけではない。具体的な現実によって脅かされているのである。このことをエヴァはなに も提示していないし、提示していないからこそ、若者の共感を引き起こしたのである。
 こうして、何か抽象的なシステムによって私たちは脅かされているという感覚で、自分の行為を正当化する若者が多いことは、他にも見ることができる。以前、私は深夜に現役の大学生と評論家やジャーナリストが今の日本について議論を闘わせるという番組を見たことがある。その中で、選挙に投票しにいかない学生がその理由として「投票にいっても何も変わらないし、何もよくならない」と言ったのである。それに対して、あるジャーナリストは「では、具体的に現在の日本の何が変わってほしいと思っているのか」と質問したところ、その学生は具体的に何も答えることが出来なかったのである。毎日のようにニュースで伝えられる情報によれば、現在の日本にはいろいろとよくないところがある、ということは理解っている。ただ何が具体的によくなくて、そのためには自分は具体的に何をすればいいのか、という「勇気ある知性」は希薄なのである。最近の投票率の低下は、こうした若者が多く存在しているためだと考えることが出来る。
 
NOTE:*1大平健「やさしさの精神病理」岩波新書 1995 P5〜P6
 
終章 結論にかえて
 
 こうして見てくると、現代の若者は自分自身が傷つくことには過剰に敏感になり、自分の行為を正当化することはできるものの、自分の行為を客観的に捉え具体化させていく意識が、とても希薄になっている現状が見えてくる。消費社会の成熟は、現代の若者にあらゆるモノや情報を常に提供してくれる環境をもたらした一方で、若者の「臆病な知性」を肥らせるという側面ももっていたのである。
 過去の歴史において、そのおもて舞台に立ち中心となって歴史を動かしてきたその多くは、その時代の青年達である。その青年が現代の日本において、ここまで主体性を喪失していることは、実はとても危機的な問題なのである。しかし主体性を獲得していくことができずに自己との葛藤を繰り返し、それからも逃れ自己の正当化へと向かう若者が多く存在しているにもかかわらず、その対応は学校教育以外の場では、殆どないといっていい。
 高校を卒業すれば若者は現実社会という荒波の中に投げ出され、仕事以外で若者が主体性を獲得していく場はほとんどないのが現状だ。現代の大学教育は、高学歴化による大学進学率増加によって、若者のモラトリアム引き延ばしの場としての機能を強めているのも確かである。また現在における成人式は、前近代社会の儀式が形骸化されて残されているにすぎず、ただ晴れ着をきて、20才を祝うものでしかない。また地域に根付くかたちで存在していた青年団は、その殆どが地域共同体の崩壊が進行する中でその機能を弱め、都市部になればなるほどその公共性は低下している。これからは、学生時代の間に、主体的な自己なるものを形成することなく社会人となり、そこでの企業理念や人間関係で困難を感じる若者が多くでてくると思われる。最近の30代の社会人の間で転職する人が多いことは、(不況の影響もあるが)その兆しであると考えることもできるし、大学を卒業しても就職しない若者が増加していることも、同様である。
 主体的な自己の確立は、現在では青年一人々々に委ねられているといっていい。では、私たちは何をすればいいのか。自分自身のことを考えてみても、自分が自立しているのか、或は主体的な自己を確立しているのかは、よくわからない。私自身、例に漏れず卒業後に就職するつもりもなく、現時点で何か明確な目的意識をもてているわけでもない。人と関わることが煩わしいと思うことはよくあるし、できれば留年をして学生でいることを引き伸ばそうと、卒業を前にして考えたくらいである。そういう意味では、私は主体的な自己をもった自立した人間とはいえないのかもしれない。私の友人の中にも就職の決まっている人はあまりいないし、みなアルバイトを続けたり卒業後また別の学校に進む道を選んだ人もいる。また就職の決まった人も、とりあえずという意識が強く、働くことに主体的な意識をもっている人は少ない。
 ただ、だからといって主体的になれること、つまりやりたいことを探すことに消極的になっているかというとそうではない。私も含めた若者が、皆それぞれにやりたいことを求めて刺激ある経験や人との出会いを求めていることも確かだ。「電波少年」という番組を知っているだろうか。若手芸人がユーラシア大陸やアメリカ大陸をヒッチハイクで横断したり、足で漕ぐ小さなボートでゴールを目指して航海をするといった内容のその番組は、若者の間で絶大な人気を得ている。ヒッチハイクや航海を続ける中で、若手芸人たちは様々な出会いや別れを経験したり、困難を経験する。旅先で優しい人々に助けられ涙を流したり、或は冷たい現実に歯をくしばったりしながら、旅を続ける彼らの姿が、若者のうずく気持ちを刺激するのだ。何か心から感動したり怒ったりする経験がしたい、そんな気持ちが若者の間にあるからこそ、電波少年は人気を得ているといっていい。
 そんな、感動したり怒ったりするような経験をしたいと、多くの若者が望んでいることは確かだ。ただ、様々な経験をするなかでも、私たちが常に考えなければいけないのが、先に問題として挙げた、自分自身の中にある「臆病な知性」を自覚することだと思う。自分を客観的に捉え、自分は何から逃れようとし、何を誤魔化そうとし正当化しようとしているのか、そのことを自覚すると同時に、それを困難であっても少しずつ克服していこうとすることが必要なのだと思う。けれどこのことは口で言うほど簡単なことではない。時に、今まで自分を支配してきた、半ば絶対的な価値観を否定する事が必要な時もあるし、また子どものような自己中心性を削ぎ落とさなければならない時もあると思う。けれどそういう機会と場面を、経験の中で乗り越えていくことで、自分自身の中にあった「臆病な知性」というものが、少しずつ「勇気ある知性」へと変化していくのだと思う。
 こんな偉そうなことをいっている自分も、まだその最初の段階で足踏みしているような感じである。ただこのゼミを担当していた児美川先生も、自分が自立しているのかどうかよくわからないということを、酒の席でさんざんぼやいて(くだ巻いて)いたので、何も焦ることなくのんびりと「勇気ある知性」を獲得していければいいのだと思っている。
 最後に未熟な上に面倒くさがりな私を、長い長い目でみてくれた先生と、そんな私にいろいろと手助けをしてくださった方々に、感謝・感激・雨あられで、どうもお疲れさまでした。
 
 
                
 
 
 
 
 
子どもたちはなぜ将来に夢や希望を持てなくなったのか
 
教育学科3年 手島 淳仁
 
 
1,少年事件・子ども問題について
 
はじめに
 今の子どもたちは将来に夢や希望を持てないというような話を新聞の記事などで読んだりしたことがあるが、それについてなぜ将来に夢や希望を持てないのかと疑問に思ったり、原因を考えたことはあまりなかった。僕も今の社会は将来に夢や希望とかをあまり感じられない社会だなと感じていたが、自分自身が何をやりたいのかやどういう職業に就きたいのかと自分の将来について考えていたので、目標が見つけられないという自分自身の問題として捉えていて、子どもたちがなぜ将来に夢や希望が持てないのか、今の日本はなぜ将来に夢や希望を持てない社会なのかについては興味を持っていなかった。なぜ「子どもたちはなぜ将来に夢や希望を持てなくなったのか」というテーマについて書くことになったのかと言うと、子どもたちが将来に夢や希望が持てなくなったことが神戸の事件やナイフ事件などのような最近言われている子どもの問題に大きく関わっているのではないかと思うようになり、なぜ子どもたちが自分の将来に夢や希望を持てなくなったのかと言うことにとても興味を持つようになったため、このテーマを選んだ。
 神戸の事件やナイフ事件が起こり、マスコミや世間で騒がれたときは、そのような事件が起きる主な原因は受験競争と管理教育であり、受験競争と管理教育によって追いつめられ、息苦しさにあえいでいる子どもたちのストレスが限界にきたためで、「キレる」とか「ムカつく」といわれるような子どもたちの突発型の「新しい荒れ」もそのようなストレスによって引き起こされているのではないだろうかと考えていた。
しかし、3年になって徐々にその考えが変わっていき、受験競争や管理教育のストレスももちろん、これらの少年事件やそのほかの子どもたちの問題を引き起こす原因の一つとしてあるだろうが、それよりももっと重要なことがあるのではないだろうかと思うようになった。
 
「透明な存在」について
 なぜ、そう考えるようになったのかと言うと、僕自身の体験したことが大きく影響している。それは大学1,2年生の頃のことで、そのころは教育学にもあまり興味が持てず、何をするにしても無気力だった。3年生になって、教育学にも興味がわくようになって、神戸の事件やナイフ事件について考えてみるようになったときに、神戸の事件で「透明な存在」と言う言葉が使われ、多くの子どもたちが事件が起こったときに「透明な存在」という言葉に共感を示したが、自分にも「透明な存在」という言葉に共感してしまう気持ちがあり、あとから1,2年生の頃の自分について振り返って考えてみると、そのころの自分は「透明な存在」と言うものではなっかたのかもしれないと思うようになったことが、「受験競争や管理教育のストレス」と言う考え方から、違う方向に目を向けるようになることに大きく影響した。
 1,2年生の頃のことについてまとめてみると次のようになる。このようなことは、よく言われることだけれども、そのころの状況について書いてみる。
・目標を失い、何をやりたいのかわからなくなった。これから何をしようかといろいろと 考えてみたけれども、何かに少しやりたい気持ちがわいても、その気持ちに自信が持て なかった。
・この学校を辞めようと毎日のように考えていたが、他にやりたいことが見つからなくて 辞められず、毎日ただ何となく通っていた。そういう状況の中で、何に対してもやる気 がわかなくなり、何かは他のことを始めなければと焦っていた。
・何を体験しても、体験したことにリアリティーを感じなかった。電車に乗っていても、 周りの人たちのいる世界が別の世界のようで、自分だけ違う世界にいて、洞窟の中から 現実の世界を他人事のように覗いているようだった。漫画などで自分の形をした魂のよ うなものがあるが、まるで、自分の体とそのような魂とが2,3ミリずれて重なってい るような錯覚をすることがあった。
・いつも心の奥に、ぽっかりと穴があいたような空虚感を感じていた。
 
 1,2年生の頃のこのような体験があったので、神戸の事件で言われた「透明な存在」とはこういうことを言うのではないか、今の子どもたちも自分の体験したことと同じような気持ちを持ち、心にぽっかりと穴があいたような空虚感を抱えて日常を過ごしているのではないだろうかと思うようになり、そのため、自分が何をしたいのか、自分は何者なのかと悩み、自分の将来に対して夢や希望を持てないことが、最近の少年事件や子どもの問題の根底にあるのではないだろうかと考えるようになり、そうさせているものは何なのだろうかということに興味を持つようになった。
 
2,子どもたちはなぜ将来に夢や希望を持てなくなったのか
 
大衆教育社会の成立とその後
 子どもたちが自分の将来に対して夢や希望を持てなくなり、自分は何をしたらいいのか、自分は何者なのか悩み、空虚感を抱えながら日常を過ごしているとしたら、そうさせているものは競争社会とか学歴社会と言われる社会のあり方と関係しているのではないだろうかと考えている。ここでは、そういう社会のあり方や教育制度と、教育と社会の関わり方について書いてみる。
 戦後日本では誰もが平等に教育を受けることができる社会を目指してきたが、経済発展とともに進学率が上昇し、今では少子化の影響もありあと数年で選り好みさえしなければ、希望すれば誰でも大学に行けることができるようになると言われている。戦後から今日に至る教育の中で、高校進学率が1974年に90%を超えたが、この事実に戦後の教育のひとつの転換点というか重要な問題があるのではないだろうか。それは、「教育の大衆的な規模での拡大と、社会の大衆化の進展、教育を通じた階層的秩序の編成と、中流意識の広がり。戦後の日本は、一九五〇〜七〇年代を通じて、大衆教育社会と呼びうる社会をつくりあげてきた。その完成がいつごろであったのか、明確に時代を画することは容易ではない。おそらくは、教育への大衆的動員が最高潮に達し、平等主義が社会のすみずみにまで広がり、さらには「中流」意識を持つ人々の割合が九〇%を超えて維持された、一九七〇年代半ばごろであったといえるだろう。」(苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』中公新書,1995,199頁)とあるように、苅谷さんが言う「大衆教育社会」が成立した時期になる。
 『大衆教育社会のゆくえ』では、おもに高校進学率が90%に達するまでの日本社会について描かれているが、僕が問題にしているのはそのような「大衆教育社会」と呼ばれるような社会を基盤にした、現在に至るまでのその後の社会の変化になる。苅谷さんは、戦後社会が大衆化し教育が大衆化していく中で、メリトクラシー(業績主義)が大衆化したと言っている。高校進学率が90%を超えたことで、教育の拡大はある程度の水準に達したと思うが、そのあと、ますます受験競争が社会に広がり、小学生の学習塾などへの通塾率が上昇したり、私立校受験による公立校離れなどのように、教育の量的な拡大から、教育の質的な拡大へと移っていったのではないだろうかと思う。
 また、大衆教育社会が成立したとき、教育と社会が大衆化していたわけだけれども、1970年代半ばごろに大衆教育社会が成立したころはまだ、「学歴信仰」はまだ完全には大衆化していなかったのではないだろうか。学歴信仰という考えは社会に広く浸透していたのかもしれないが、本当に大衆化するのは現在のように、子どもたちの多くが学習塾に通い、受験競争にほとんどすべての子どもが参加していくようになってからなのではないか。社会の誰もが学歴社会を生まれ変わりのチャンスとして見なすようになるだけではなく、そこに参加することによって「大衆化」するのではないかと思う。
 
学校に夢や希望を託せない子どもたち
1970年代半ばに成立した大衆教育社会のその後の変化によって、メリトクラシーや学歴信仰が大衆化したとすれば、それが社会や子どもたちに与える影響について考えることが重要になる。僕の考えは、メリトクラシーや学歴信仰が大衆化したことによって、学校の持っていた権威がなくなり、子どもたちが学校に将来を託せなくなっているのではないかと言うことになる。
 僕が中学生の頃の将来なりたいものはサラリーマンだったことを覚えているけれども、そんな夢のないような考えでも何となく将来に対する漠然とした希望を持っていた。それは、高校に行けば何かいいことがあるのではないかとか、大学に行けば人生が変わるのではないかと思っていたからではないかと思う。しかし、今の子どもたちはそう思えなくなっているのではないだろうかと思う。
なぜそうなるのかというと、学校がかつて持っていた権威を失っていて、子どもたちの夢や希望を吸収できなくなっているのではないだろうか。『母親幻想』(岸田秀、新書館、1998)のなかで「選択肢の多様化が破綻を生んだ」(第1章,四)という文章があり、その中で昔は専業主婦という生き方が絶対的であったが、社会が変化し女性もさまざまな生き方ができるようになったことで、どう生きていいのかわからなくなっていると言うことが書かれている。最近、新聞で「専業主婦の憂鬱」という記事があったが、女性にとって今の時代は自己実現を追求することが困難な時代なのかもしれない。このような状況と同じようなことが子どもたちにも起こっていて、学校の権威が絶対的だった頃は、学校が子どもたちの夢や希望を吸収していたが、学校の権威が低下したことで子どもたちはどう生きていいのかわからなくなったのではないか。
また、河合隼雄の『大人になることのむずかしさ』(岩波書店)のp.181に「大人になることが難しい現代の特性は、この点にもあると思われる。何らかの宗教やイデオロギーが画一的な世界観を与えているときは、その線に沿って、大人になることができるし、どうすることが大人であるかも比較的明確にいえるだろう。」とあるが、学歴信仰というものがここで言う宗教やイデオロギーの役割をしていて、生き方のモデルを子どもたちに示していた。しかし、学歴信仰が揺らぎ始めたため、子どもたちに生き方のモデルを提供できなくなったのではないか。
 
3,大衆教育社会のゆらぎ
 
生き方のモデルを失った社会
 僕は1974年生まれなので団塊ジュニアの世代になり、ポスト団塊ジュニアと言われる「変わった」と言われる今の子どもたちとは、価値観や感覚がちがうのかもしれないと思うことがある。今の子どもたちのことを考えるとき、大学生になった今の自分の感覚で考えてしまっているのではないかと思ってしまう。僕にとって、これまでの人生で学校というものが大きな存在であり、かなり権威的なものだった。だから、それにどうしてもとらわれてしまって、学歴社会とか学校制度などに考えが向かってしまうのかもしれない。
 はじめは、大学への進学率が上昇したことで大学の権威が失われたことが学歴社会というものに影響を与え、学校の権威を失わせているのではないかと漠然と考えていた。そのころは、自分の中にあるイメージを言葉にするとそういう表現になるけれども、ちょっとちがうのではないかと違和感を感じていた。自分の中学生の頃の気持ちを思いだしてみても、そのころは、高校の受験については意識していたけれども大学についてはどういうものかあまり知らなかったし、ほとんど考えていなかったので、大学の進学率が上昇したことが中学生にそれほど影響しているのだろうかと言う疑問があった。だから、今の自分の感覚で考えてしまっていて、進学率が上昇したことと、子どもたちの問題とは関係がないのだろうかとも思う。
 しかし、不登校になる大学生や自分探しをする大学生と、「透明な存在」と言う言葉に共感してしまう子どもたちはちがう問題なのかもしれないが、僕には重なって見える。大学生のアパシーと言うものがあるけれども、それについてよく大学に入ったことで目標を失ってしまうことが原因だと言われている。また、自分探しをするため就職浪人したり、就職してもすぐに会社を辞めてしまうと言う話を聞くことがある。自分探しをする大学生や現代の青年も、「透明な存在」に共感する子どもたちも、どう生きていいのかわからなくなっているのではないかと思う。
 子どもたちの問題が起こったとき、それにどう対処していいのかわからない大人たちを見ていると、どう生きていいのかわからなくなっているのは子どもたちだけではなく、今の大人も子どもたちと同じようにわからなくなっているのではないかと思う。これまでは、学歴信仰による競争が生き方のモデルを提供し、それを目標にして生きていくことと子どもたちを育てていくことができた。しかし、大衆教育社会と呼ばれるような社会が揺らいでいることで、生き方のモデルがなくなったのではないか。そうだとすれば、問題なのは子どもたちなのではなく、どういういう社会をつくりどういう生き方をすればいいのかを見失った大人こそ問題なのではないか。
 
 
 
 
 
 
 
新しい教師像の捜索法
 
教育学科4年 小林 覚
 
 
はじめに
 
 最近若者(少年・青年)の事件が増えているといわれている。これらの事件は、期せずして、大人と子どもの意識の大きなズレを浮かび上がらせることになった。教師を含めた大人たちが、子どもを<生徒>という枠組みの中にスッポリ収まるものと理解してきた現実があらわにされた。
 しかしながら、今日常識化されているこうした子どもの見方には、果たして根拠があるのだろうか。17世紀初頭の学院では、子どもの無軌道な暴力行為に教師たちが手を焼いていた事実が多く報告されている。子どもは、大人の住むほど異なった振る舞いをしていたわけではない。(アリエス、ヴァン・デン・ベルグの著書による)ところが、社会の近代化とともに、子どもたちは大人の住む猥雑な空間から次第に隔離され、学校の中に囲い込まれて、教師の前に並び立つ未熟な<生徒>、すなわち<教育されるヒト>として扱われるようになった。その結果、子どもは大人たちとまじって暮らすものという観念が消え去り、いつしか<教育>や<学校>というフィルターを通してしか子どもを理解できない心的習慣、つまりブルデューのいうハビトゥスが定着してきている。
 教師の権力は、子どもを未熟な生徒と見なす近代社会のハビトゥスや近代化を推進してきた学校の権威などによって、構造的に生み出されてきたものである。
 しかし、高度経済成長の終息するほぼ1970年代半ば頃から、こうした学校の権威に対する疑念が生まれてきた。それは学校の外部からではなく、その内部から噴出してきたのである。それは、1970年代における校内暴力、80年代における「いじめ」、そして90年代における不登校、高校の中途退学者の増大などの現象に象徴される。こうした一連の「学校から逃避」を示す現象は、子どもがもはや未熟な<生徒>という枠組みだけでは、とうてい捉えけれなくなった事態を暗示している。
 ところが、こうした事態に直面した学校側は、子どもたちを従来の学校の枠の中に押し戻そうとして、あらゆる手段を講じてきたと言ってよい。校則を細分化したり、部活動を全員参加にしたり、生徒への監視の目を地域にまで広げたりする中で、教師の権力的な姿勢がますます強化されるという悪循環が続いてきている。
 少なくとも1960年代末までの学校おいては、国家権力の教育への介入は問題にされることはあっても、個々の教師の持つ権力性については、さほど問題にされることはなかった。学校におけるパワー・ポリティクスの内実は、国家権力と教師集団の拮抗関係にあり、教師はむしろ権力の被害者であるかのように自認してきたふしもある。
 しかし、神戸市内の高校で起きた校門圧死事件に象徴されるように、1980年代以降に起きた様々な「学校の荒廃」現象では、生徒たちの「学校からの逃避」をくい止めようとして、教師の指導が権力として作動した事例が決して少なくない。教師たちは、いまや生徒たちの意識を学校の内部ににくい止めるために、その指導の中に権力性を織り込まなければならなくなったように見える。ここに今日の教師たちのおかれた、これまでになく厳しい教育状況がある。
 なぜ今日の教師たちは、生徒に対して権力的に振る舞わざるを得ないのか。むしろ生徒たちの<まなざし>に教師の指導の背後にある権力性が透けて見えてしまう状況が生まれたのは、一体なぜなのか。こうした状況を生みだした社会的・文化的背景を探りながら、これからの教師と生徒の関係について考えてみたい。
 
教師と子どもと学校と・・・そして社会変化
 
 近代学校の教師は、前近代社会の親方とは異なって、教える内容と方法を明確に意識した意図的行為者である。それが学校教師の行為を特徴づける。
 しかし産業革命の進行とともに、「親方〜弟子」の見習い関係が成り立たなくなってきて、親方が教える技術に無関心であったも、後継者を養成することができた 時代は終わりを告げた。前近代における弟子の模倣的な学びが、親方の教育不熱心さをカバーしていた。ところが、近代の教師は、共同体による社会化機能が解体していく中で、生徒を教育しなければならない。しかも生徒は、かつての弟子とは異なって、教師の仕事を無条件に崇拝し、模倣してくれるわけではない。失われた信頼関係を、新たに開発された教育技術で補強するという戦略が取られてきた。
 「楽しく、速やかに、確実に」これが近代教授学の基礎を築いたコメニウスの提唱した教授学のモットーである。以来、近代教授学は、いかにして生徒を楽しく授業に取り組ませ、知識を速やかに、確実に伝達していくかに腐心してきた。産業革命が進行し、社会の産業人口の分布が第一次産業から第二次産業に移行する時期までは、学校はそうした社会進歩を最前線で支える役割を担ってきた。教師の持つ知識や啓蒙的知性は、社会進歩や経済発展の動向と軌を一にしており、それが教師の権威を揺るぎないものにしていた。農村では、学校の校長は村長・警察署長と肩を並べる権威を持って受け入れられ、村人の尊敬を集めていた。
 しかしながら、1970年代半ばに高度経済成長が終息を迎えるとともに、日本社会は完全に産業化し、新たな大衆社会状況に入る。高等学校への進学率は90%を越えて大衆化し、産業別就業人口では、第三次産業が過半数を超えるにいたる。さらに高度の情報化や消費社会化が人々の意識の個別化に拍車をかける。それは人々の学びの意識をも大きく変えていった。学校という制度に依存しない新しい学びの形態が模索され始めたのである。それは、脱学校の風潮やフリー・スクールの盛況、ダブル・スクールの流行や地域における学びのネットワークづくりの運動などに端的に表されている。
 それまで学校という制度を前提に、その内部でアイデンティティを形成してきた教師たちは、1970年代半ばから学校で頻発した構内暴力、「いじめ」、不登校、そして高校の中途退学者の激増に直面して子どもたちの変貌を痛感せざるを得なかったはずである。ちょうどこの頃から、教師の体罰や権力的姿勢が目立ち始めてきたのである。むき出しの体罰に走らないまでも、生徒を操作的に「動かすこと」「言うことを聞かせること」に腐心する教師たちが現れてきた。たとえば教育技術の法則化運動は、そうした状況に応じようとした運動であり、あえて管理的姿勢で生徒に立ち向かうことの必要性を強調する教師たちも現れた。いずれも生徒を対象化して操作するという近代教授学の枠組みを保持したままで、生徒の「学校の逃避」をつなぎ止めようとする試みであった。
 しかし、日本社会が近代化を達成して以降、学校はその進歩性を失い、あたかも情報消費社会に取り囲まれた陸の孤島のような状態に立ち至っている。「楽しく、速やかに、確実に」という古典的教授学の原理が無力になり、もっと直に子どもを「動かすこと」「言うことを聞かせること」の技術開発に勢力を注がなければならない切迫した状況が生み出されてきている。現在の学校システムの内部で考える限り、教師たちはこうした権力的思考にますます依存せざるを得ない状況に追い込まれているように見える。それは学校や教師の堕落ではなく、むしろ教師は同じようにやってきたのだが、周囲の社会的現実が大きく変貌し、それに連れて子どもも変わってきたという方が正論に思える。近代化が達成されてしまった現在、子どもたちにとって学校は、クラス仲間とのつきあい以外にその魅力を失ってしまったかのように見える。ここに、教師から見ていまや<他者>となった子どもの依存が大きく浮かび上がってくる。
 
教えるのか、語るのか、一体何が「学ぶ」なのか?
 
 近代学校において、生徒は教師の意図的な教育行為の対象であった。そこでは、教師と生徒の間の言語ゲームが想定され、言葉を解釈するコードは同一であると考えられてきた。それでなけれな「楽しく、速やかに、確実に」授業を進めることはできないであろう。それは、ディアローグ(対話)の論理ではなく、モノローグ(独自)の論理である。モノローグとは、よく誤解されるように、自己の内部に閉ざされた堂々巡りの論法なのでは決してない。むしろ逆である。自分が今考えていることは、万人に当てはまるはずだという強制的普遍化の論理である。それは、他者にそれを押しつけていながら、それを押しつけとは感じない権力的思考の発生母胎である。モノローグという権力的思考には、はじめから<他者>が存在しない。
 近代化の時代の学校の教師は、啓蒙というなのモノローグの担い手であった。そこでは、子どもは<教師〜生徒>という関係でしか理解されない。しかし今日の子どもたちは教師の視界を越えた外部に生きており、教師とは異なった言語コードを所有する存在として立ち現れてきている。彼らは<教師〜生徒>という制度化された役割関係をはみ出たところに生きている。
 <教える〜学ぶ>という関係は、本来こうした制度化された役割関係とはもっとも無縁なところに成立する関係だったではないか。以下、柄谷行人の所論を手がかりに教師が制度化された思考から抜け出す方途について探ってみる。
 柄谷は、<教える〜学ぶ>関係を、人間のコミュニケーションの根源形態として捉え直す仕事を続けてきている。彼は言語ゲーム理論(ウィトゲンシュタイン考案)にヒントを得て、「教える」行為と「語る」行為とを明確に区別している。たとえば、「2+2=4を教える」とはいえるが、「駅へ行く道を教える」とは言えないという。後者は英語で言えばtellに相当する行為であって、前者が本来のteachである。その本質的な違いはどこにあるのだろうか。
 「道を教える」という場合には、語られる内容を読み解くコードは、双方の間であらかじめ共有されている。「この道を右に曲がって・・」などという言葉をすでに解読する規則を聞き手はすでに共有している。そればなければコミュニケーションは成り立たない。 これに対して、「2+2=4を教える」の場合はどうか。小学一年生の子どもにリンゴの絵を描いて教えるとき、子どもの内部にはまだ「2+2=4」を読み解く規則は知られていない。このように、一方の言語規則を他方が所有していない場合に、<教える〜学ぶ>という関係が成立するのである。
 柄谷は、言語ゲームがすでに成立している、すなわちゲームの規則がすでに共有されているコミュニケーションを<語る〜聞く>関係と呼び、ゲームの規則自体がいまだ共有されていないコミュニケーションを<教える〜学ぶ>関係として、両者を明確に区別する。そして<語る〜聞く>関係が成立する以前の、<教える〜学ぶ>関係こそが、人が真の<他者>と向き合うコミュニケーションの根源形態であると主張する。
 しかしながら、私たちの常識はむしろ逆であろう、。ふつう私たちは、人に道を聞くときのように、共通のコードを有する<語る〜聞く>関係を正常なコミュニケーションであると考え、子どもに算数を教えたり、外国人に日本語を教えたりする行為を、相手が「正常な」コミュニケーションにいたるための準備もしくは訓練段階として、低く見なしがちである。しかし本当は逆ではないか。子どもや外国人との対話のように、自己とは明らかに言語規則をことにする本来の<他者>と向き合う<教える〜学ぶ>関係の方が、より根源的なコミュニケーションと言うべきではないか。
 子どもという<他者>に知識を教えるということは、日常生活での<語る〜聞く>という惰性的な関係を脱して、本来のコミュニケーション関係に立ち返る営みでもある。授業とは言語ゲームを展開することでなく、言語ゲームが成り立つように互いの<他者>に限りなく接近する営みなのである。
 そう考えるならば、生徒に対する教師のコミュニケーションが権力性を帯びるのは、それがもっぱら<語る〜聞く>関係を想定して行われる場合であることがわかる。生徒たちは、教師と同一の言語コードを所有しているはずだ。生徒は、教師が伝達する知識を、頭の中にしっかりと焼き付けるべきである。こう考えられている場面では、教師は、仮に40人の生徒を相手にしていたとしても、そこには<他者>はいない。教師は、モノローグを行っているにすぎない。<他者>の他者性が剥奪されたところでは、一人芝居のモノローグが他者との対話であるかのように見なされてしまう。教師が無意識のうちに行使している権力性は、この独我論の罠を解きほぐすことで説明できるはずである。
 生徒の将来を思い、「教育熱心」で責任感の強い教師ほど、無為意識のうちに生徒を管理の輪の中に囲い込んでしまうという、よく見られるパラドックスは、この独我論に陥った典型的な事例である。教師による「愛の鞭」は、モノローグの支配する空間では、うるわしい教育行為と見なされるのである。
 その意味では、近代学校は、全近代社会の脱却、社会進歩、科学技術の発展、豊かな社会の実現と言った一元的なモノローグの支配する空間であった。1960年代までの子どもたちは、こうした「進歩の論理」に解放感とこの独立感を味わい、それを担う教師の権威にほとんど疑いを持たなかった。
 ところが1970年代後半以降の子どもたちにとって、それらはすでに現実のものである。にもかかわらず、教師たちは、相変わらず進歩の物語(モノローグ)と説き続けてきた。80年代以降の生徒たちが、こうしたモノローグの支配する教室から公然と、あるいは密かに脱出し、そこから逃避していったのは、無理からぬことであった。
 
今までの教師とそれから・・・
 
教師の権力性はどこから生まれてくるのか。かつてはその権力性が「指導」の陰に隠れていたにもかかわらず、1970年代後半以降は、なぜ体罰や規則の強制というかたちとなってあらわにされてきたのか。その社会的背景を考察してきた。教師の権力性が現れるのは、学校がいまだに前近代的な体質を温存されてきているからでは全くない。むしろ逆である。それは、学校という近代的システムが宿命的に有する技術依存と秩序維持の機能に由来するというのが、結論である。
 すでに述べたように、近代社会においては、子どもは常に<教育されるヒト>として大人たちから切り離され、教育や保護の対象とされてきた。子どもは、かつてのように大人にまじって働き、遊ぶ存在ではなくなり、とりわけ教師の指導を一身に受けて、カリキュラムの上をひた走るだけの存在と見なされるようになった。そこには、子どもを<生徒>として学校に囲い込み、近代社会を担う大人を効率的に生産しようとする、見えざる意志が働いている。
 しかし、こう書くと、隔離されたのは子どもだけのように思われるが、実は教師もまた学校の中に、職業的に囲い込まれた者であることを忘れてはならない。教師は、産業革命の進行によって、共同体における子育てが機能不全に陥った時期に、学校という空間に子どもを集め、その教育に専門的に当たるべく仕事をあてがわれ者である。近代化の途上で、子どもや親たちのまなざしに、教師が権威を持つように映じていたとすれば、それは学校という新しい近代的システムに対する驚きと憧憬からであったはずである。
 まだまだ残る農村風景の中に、ひときわ目立つモダンな建物。そこでは方言ではなく、「国語」という「標準語」が教えられ、読み・書き・算ばかりでなく、封建遺制を脱した四民平等のモラルが教えられる。自然科学や外国語も教えられる。しかも、子どもが義務教育学校でよい成績をいることは、高校・大学への進学のパスポートを得ることと同じであり、それは産業社会における一定の地位の獲得に通ずる・・・。明治以来、地域の親たちが学校に尊敬と期待を寄せてきたのは、きわめて当然の成り行きであった。
 しかし、1970年代の後半になって高校進学率が90%を越え、第三次産業人口が過半数を超えると、それまでの学校の価値は飽和状態に達する。誰もが高校へ行き、5割近くの者が高等教育を受ける時代になった。さらに情報化の進展によって、それまで大人から隔離されていた子どもが、メディアや消費行動を等して再び大人と行動をともにする時代になった。このころから、社会進歩を担ってきたはずの学校の価値(いわゆる「学校知」を含めて)が、生徒たちの<まなざし>には、すっかり色あせて見える時代になる。
 要するに、学校に囲い込まれていた生徒たちの意識が、学校の外に向けられはじめた時期から、教師の権力的思考が作動しはじめたのである。これは、生徒たちの「学校からの逃避」に歯止めをかけようとする教師たちの絶望的な闘いであった。だからこそ、不登校の生徒は、当初は「学校恐怖症」や「学校不適応症」という病的なラベルを貼られ、次に「登校拒否」を経て、最近ようやく「不登校」というニュートラルなラベルになったのである。こうしたラベリングにも、生徒を学校に引き戻そうとする教師の見えざる意志が働いている。
 以上の考察からわかるように、教師の持つ権力性は、生徒たちがとっくに学校外の多様なメディア空間、遊びや学びの場を見いだしてきたにもかかわらず、教師(そして親たちの多く)が、いまだに学校の正当性を信じて疑わないところから生じている。
 教師自身が、大人世代と子ども世代との相互という巨視的な視野に立ち返って、子どもの教育を考えるべき時期に来ているのある。その際に、子どもを、従来のように<教育されるヒト>としてではなく、<自ら学ぶヒト>として受け入れることが、どうしても必要である。<ホモ・ディスケンス>でも地域でも、メディアを通しても。そう考えれば、教師自身もまた多様な経験と学びを積んだ<ホモ・ディスケンス>の一人でわかるはずである。「教える」とは、自ら学びつつある者が他者と関わり合いながら、相互の自立を模索していく営みにほかならない。それは、知識であれ、規範であれ、ディアローグの課程で互いの解釈を折り合わせていく行為である。
 <教える〜学ぶ>という非対称的な関係性に立つこと。そこには<他者>存在する。その<他者>に届く言葉の言葉に「耳を傾ける」ようになるか。それは指導技術の問題ではなく、むしろ人と人との関係性の問題である。関係性の欠けたところでは、技術は絶えず権力作用を呼び起こすであろう。
 
 おわりに
 
 教師の権力の問題を、主に教師と生徒の関係性に焦点を当てて論じてきた。しかし、ここで教師だけをやり玉に挙げて、その姿勢を批判してきたかのように誤解される恐れがあるので、最後にここで主張をまとめておきたい。
 ここで主張したかったことは、むしろ逆である。教師が権力に依存せざるを得ないのは、学校という場はもともと共同体による子育ての装置が作動しなくなったところに作り出された人為的な空間であるという点に由来する。そこでは、親方の仕事ぶりに対する弟子の畏敬の念のような内発的な感情は、はじめから期待できない。教師が頼れるのは、つきつめて言えば、その教育技術と教師という「役割」(及びそこから派生する権力)だけである。だからこそ、コメニウス以来、巨樹学者たちは、生徒を「楽しく卯が課す技術」を工夫し、開発し続けていたのである。
 産業化の進展とともに、共同体の備えていた子育ての機能は解体の一途をたどり、今や学校の教師と親に何か問題があると、その学校の教師が全責任を問われかめない風潮ができあがってしまっている。しかもその教師の権威は、前近代社会の親方とは比べ者ならないほどに、低落の一途をたどっているのである。父性の復権が叫ばれたり、教師の威信の回復が求めたれたりしているのは、それだけ教師の無力感が広がっている証拠でもある。しかし、現在、必要なことは、教師が過重な負担を強いられている状態を、権力や威信の回復でカバーするのではなく、大人世代全体による子ども世代の教育の可能性を探り、少しでも教師の孤立状態を和らげることである。教師の権力は、教室という閉ざされた場における言語ゲームから逃げ出そうとする生徒に対する規制として現れる。それは、学校以外に生徒を教育する場がどこにもないと、親ばかりでなく教師自身も思いこんでいる、近代社会のハビトゥスそのものに主な原因がある。
 本来は共同体のすべての構成員が関われなければならない子育てをいう行為に、学校の教師という一部の専門家集団のみが関わることの矛盾に、私達は早く気づかなければならない。教師の持つ権力性は、その根源をたどれば、本来は大人世代のすべてが関わらねばならない後世代の教育を、教師という一部の集団にゆだねて、それぞれの生産業務にもめり込んできた大人世代の教育放棄そのものに由来するからである。従って、したがって、私たちは、個々の教師の権力的姿勢を批判するだけでは問題の解決にはならないことを知るべきである。彼らだけに過重な教育責任の負担を強い、権力行使へと駆り立てる近代社会の子育ての構造的欠陥そのものを解明していく作業が、いま求められているように思う。
 
P.S.
 
「学校」・・・私はこう思う
 
 私達が思う「理想的な学校」とは何でしょうか?いじめや学級崩壊、体罰や理不尽な校則がないモノ確かでしょうが、「子どもが楽しく通う」(楽しくの部分は主体的、積極的などの言葉にも置き換えられるでしょう。)というのが理想像の土台にあると思います。では、いま学校や学校のようなモノで、<教える〜教わる>関係が上手く成り立っているところはどこでしょう?。私なら、自動車教習所をあげます。そこでは、少々文句や嫌味を言われても、通う「生徒」はみな免許取得をめざします。それは、そこに通う者が目的を持っているからです。何か教わる・学ぶ場を学校と呼ぶならば、そこには「目的がある」という要素が、どうやら重要と言えそうです。この2つから、目的があるから自ずと学びに人が集まる、それが「学校」の根本的存在価値となるという考え方ができると思います。 逆に「学校」の価値を支えているのは、そこに通う者の意欲や意志で在るとも言えます。そうすると、丸写し論文に出てきたように、学校とは前近代社会の<親方〜弟子>関係にその根源をおいているということになります。この関係で重要なのは模倣であって、教えてもらうのではなく、まねる・学ぶと いうことです。学校が<親方〜弟子>関係とつながりがあるならば、そこに求められるのは模倣できる(すべき)モノと言えると思います。この構造は「現代社会の中にある学校で求められるモノが前近代的なモノ」という矛盾をはらんでいると思います。
 資本主義社会が進む中で、その多様性は昔に比べれば果てしなく広がり、人々の幸せの形も様々になりました。学校が模倣すべきモノがあって成り立つのならば、いま学校に求められるモノは、非常に多いと思います。なぜなら、いまの学校とはその後を生きていくためには当然通過する場所であり、そこではその先の人生で成功するモノを獲得する場であるという信仰心で縛られているからです。不登校や登校拒否という現象はそのような信仰心の縛りよりも、子どもたちここの多様な模倣すべきモノに答えられない学校に対する不安が勝っているから起きているかもしれません。すべてにおいて多様な選択肢が用意される資本主義社会の中で、それでも「学校」という唯一の存在に頼る矛盾が学校を取り巻く今日的問題を引き起こしているのだと思います。いまの社会が次に来るべき社会へ過渡期だから、といってしまえばそれまでですが、それではいま問題となっている学校やそこに関わるすべての人が「必要最低限の犠牲者」になってしまいます。「学校にこれさえあれば」というような抜本的解決策は、簡単には見つからないでしょうが、少なくとも学校信仰から離れた生き方、例えば学校以外の学 びの場に対する受容の文化、その人それぞれの生き方に対する積極的な肯定感(放任とは違う)の育成も一つの鍵となるのではないでしょうか。もうここまでくれば、学校という枠では囲いきれないくらいスケールの大きな話ですが・・・。
 
「最近の若者・子ども」・・・私はこう思う。
 
 ここ2〜3年で大人の子ども感は大きく変わってきています。複雑な少年犯罪に、いままで誰もやらなかった行為を行う行動力、今の若い者は大人の常識の外側に生きています。確かに、大人の「子どもなんて、この程度」という過小評価もありますが、多くの大人は最近の若者・子どもは昔に比べれば、「ずいぶん大人びているものだ」と考えているようです。いじめの複雑化も不登校もストリートな若者も、みんな若者の「大人化」としてとらえることがしばしばあります。しかし、それは本当でしょうか?いま学校や親、そして社会の構成員である我々に必要なのは、今という時代をリアルに、高度にとらえた若者への崇拝的受容でしょうか?
 私は自分を含めて今の若者が、妙に共感的な教育関係の知識人のいう「若者高度論」に当てはまるとは思いません。むしろ、今を生きる若者(子どもと言い換えることもできる)は、あまりに純粋である考えています。白紙と言うこともできましょうか。何でもできる現代、という時代を生きる若者は、よりどころを失って支えをも失ってしまい、その結果として対人拒否ともいえるコミュニケーション不全や、他者の賞賛を必要としない自己像の追求などの現象を起こしているのだと思います。やはり、自由資本主義社会が進み、様々な価値観が認められ、その獲得の選択肢も用意されるようになりました。それにともなって、イニシエーションのような、強制的に大人階段を上らせる儀式がなくなって、逆に、モラトリアムが長くなりました。そこに現代の若者は一種の「はまった」状態になっていると思います。そのような「はまった」状態の若者に、楽観的な人ほど「若者高度論」をひっさげて放任します。しかし、最近の若者に必要なものは、それぞれの持つモラトリアムを支えるよりどころであって、それには学校やそのほかの学びの場や居場所が負うところが大きいと思います。もちろん、そこ に若者が行き着くまでの家族の役割はもっと大きいと思います。
 そして今の若者は、「個の時代」を「孤の時代」と勘違いしているようです。また、他者への「理解」と「無関心」が同じになってしまっています。たくさんの人が生きている今の社会で、このような考え方は矛盾しています。最近、個性個性と呼ばれて久しい教育界ですが、自分以外の誰かがいて初めての個性です。今ある社会が皆で作り上げ成り立っている共同体であり、若者もその一員であるという現実をガツンと言える人材が必要です。
主張が右往左往してしまいますが、私は若者がダメになってきたので、大人が彼らに対してシメてかかれと言っているのではありません。何事にも最低限のお金がかかる資本主義社会で、豊かになる条件としてもお金が機能するようになりました。その中で、家族や、仕事をして生きる大人たちは豊かになるために必死でお金を貯めるようになり、ほかのことに手の回らない金稼ぎ中心のライフスタイルが確立しました。この社会の中で、それ自体を悪く言うことはできませんが、そのような忙しい社会の中で若い頃から自立した個人として要求されてきた若者もある意味で被害者かもしれません。綿私の個人的な考えとしては、多くの選択肢がある現代を落ち着いて生きていける受け皿となる文化が家族、地域、それぞれの年代で関わる諸機関 で必要だと思います。
 しかし、その多くの選択肢の中には「いらない」というものもあると考えられるので、何かしらを与えるのが良いとは一概にはいえないのが、非常に困難の問題を引き起こしていると言えるでしょう。
 
「教師」・・・私はこう思う。
 
 教育問題が表沙汰になるうえで一番つらい立場に立っているは、教師ではないでしょうか。地縁性がなくなり、機能不全家族が増える一方で、子どもと一番関わるのはもはや教師だけという状態になってしまいました。顔色一つ変えずに「うちの子をちゃんとしつけてください」という親もいるそうです。あまりに学校というものが当たり前のものになりすぎてしまい、親から見て学校は子どもを送り出す場ではなく、生活や家庭の延長としてとらえられてしまっているようです。授業形態からも分かるように学校は、集団で何かをするという利点を活かしてこそ意味のあるところです。しかし、それを30人以上の親がクラスを受け持つ一人の教師に責任を押しつけるのは酷というものです。家庭教育や親の教育力という言葉が世間に出てきている今日この頃、教師という立場の大変さは相当なものでしょう。また、教師という職業は周りから、万能であれという期待やプレッシャーを常に受けてしまう職業です。その仕事はあまりにもダイレクトに子どもと関わるために、常に人の前に立つことを強要されます。その中で、次第に教師自身も万能でなくてはならないという自分自身に対する縛りを作り上げ ていってしまいます。
 教師の専門性とは何か?を考えるうえで、教師は教科を教えるプロなのか、人格や発達の到達すべき姿としての存在なのかということも研究すると、とても面白いかもしれません。私の経験上、教師を作るシステムは後者に重きを置いていると思います。だからこそ、時として教師自身の持つ意欲や熱意の強さから周りのものが救えない状態に陥ることもあるのだと思います。学校という閉鎖的な空間の中で生きる教師を仕事して選んだ人が、その特殊な世界から解放された場にどれだけ触れられるかが、これからの教師に求められるのではないでしょうか。最近、地域、親との連携などという言葉をよく耳にしますが、せれは教師という特殊な世界観の中で生きる人種を救う一つの手がかりかもしれません。 
 
「結局」・・・私はこう思う
 
 やはり、当初の予想通りスケールの大きな話になってしまい、抽象的なことしか言えません。若者、青年、子ども・・・。これらを語るうえで、学校は切っても切れないものだと思います。もしかしたら、そう思うこと自体がすでに問題かもしれません。昔がよかったと言うつもりはないのですが、若者を語るうえでこれほどいろいろなテーマが出てくることが、多様化社会の現れということではないでしょうか。その中でどう生きるかということもまた多様にあり、善し悪しで語れないたくさんのパラレルな価値観をどのように自分の中に取り入れていくかが、一つの鍵ではないだろうか。子どもに対してそのパラレルな価値観や生き方を、無関心や放任ではない積極的な関わりの中で獲得する場や術を与え、経験させることが先を生きる親や、学校、教師の役目というのが私の主張です。そのために必要なコミュニケーションを他者との間に成立させるのもまた、役目だと思います。
 もちろん、あくまで「私はこう思う」という程度で書いたので、これが絶対と押しつけるつもりはありません。ただ、この論文集を読む人は青年論や青年に関わる様々な問題に興味がある人だと思います。そのような人に対して、「こんな考えを持った人がいる」という一種の自己主張です。最後に大事なのは、自分の考えと人の考えをふまえて、あなた自身がどう思うかです。