目次
 
第T部  ちょっと語っちゃいますょ
 
[1] 若者考
  日本の若者 海外の若者                    津久井 亮
  現代子ども・若者考 〜若者にエールを〜            内山 めぐみ
  『自分さがし』の時代のアイデンティティ形成
     −現代日本社会における子ども・青年と学校−       手島 淳仁
  カリスマの大安売り〜
     世界一カリスマの多い国ニッポン             松本 一真
  青年期の自殺                        阿部 英樹
[2] 教育界に物申す
  From: sunusunu@poppy.ocn.ne.jp
  To: komikawa@i.hosei.ac.jp                   鈴木 亜季
  いじめについての私的な考え                  古川 修一
  いじめについて                        立石 誠
  『学級崩壊』〜「公」と「私」の分別              秋田 龍則
  生と性について
     −これからの性教育のあり方−              古賀 美輝子
[3] 家族
  「食」が生み出す親子関係                  野口 友子
  『環境』                          岡田 知大
  子どもにとって家庭・家族とは何か              半澤 陽子
  『父親の悩める時代』                     森山 知之
[4] マイワールドな人々
  フォーマル・スポーツとインフォーマル・スポーツの役割     小林 幸平
  「身体障害者の性」を通して                  榎本 久美子
 
第U部  ゼミのひとこと 血の一滴
 
[1] 1999年度 児美川ゼミ名簿
[2] ゼミ・ノートから
 
第V部  児美川と大御所のつぶやき
 
[1] 教育学演習T(児美川ゼミ)の1999年度の活動の記録
[2] 教員個人の活動記録
[付1] どうして学校生活はストレスだらけなのか        児美川孝一郎
[付2] 通教スクーリング奮戦記 !?               児美川孝一郎
[編集後記(兼、個人原稿)]                  小林 覚
 
  第T部  ちょっと語っちゃいますょ
 
[1] 若者考
 
 
  日本の若者 海外の若者
津久井 亮
 
 
<はじめに>                                    今回レポートの題名を上記のようにしたが、このレポートの趣旨・関心はあくまで日 本の青年である。
  いきなり私見から述べてしまうと、日本の青年は生命力がない。これは性別を越えて 共通するムードだが、近年よく言われるような学力低下や幼稚化とも関連があるだろう。
  学力低下では、東大生30人に対して「キューバの首都」を質問して正解が3人(答 えはハバナ)。幼稚化ではここ数年で急増した「一人称に自分の名前をもってくる女の 子」などがその顕著な例ではなかろうか。どちらも、今では定着しきっているため問題 にもならない。
  私は、日本人学生が好きではない。彼らが勉強しないのは勝手だとしても、勉強に代 わる何かをする姿勢さえも見せないないのは、私には病的にすら感じられる。彼らは、 日本人特有の閉じこもった態度で授業に臨み、教官から質問されようものなら、恥じら いからか無知からか、何も言わずに下を向いてしまう。しかし、これもここ最近の傾向 らしく、法政大学のある教官は「この数年で、ものを言わない学生の数が目立って増え ている。彼らは、授業中に質問をしても何の反応も示さないで黙ってるので、こちらと してもどうコミュニケーションをとっていいのかわからない。ただただ、日本の行く末 が心配だ」。
  よく誤解されるが、私は国粋主義者や根性論者ではない。日本共産党を支持し「赤  旗」や「朝日新聞」を購読する平和主義者であり、仕事よりも無駄な時間に価値を見出 すダラダラするのが大好きな人間だ。        
  しかし、そんなのんきな私から見ても、今の日本の青年がいかれていることはよくわ かる。あんまりひどいので、授業に出る気さえ失せた。出ても何にも刺激がない。
  今回は、日本在住7年目になるオーストラリア人の元気な留学生ダミアン・ベンソン とのインタビューから、そんな日本の青年・学生の病理性の原因を探ってみたい。
 
<ダミアン・ベンソン プロフィール>
  1972年(昭和47年)シドニー生まれ。男性。19歳の時に西シドニー大学を中 退し、ワーキングホリデーで日本に来る。以来、日本9割・オーストラリア1割の生活 をして、現在上智大学比較文化学部の4年生。卒業後は、ゴルフメーカー「カルウェ  ー」日本支店への就職が決まっている。趣味はトライアスロン、クリケット、酒など。 27歳。身長187cm。
  インタビュー当日は二人とも風邪で咽をやられており、万全とは言い難かったが、ダ ミアンは快く取材に応じてくれた。時折お互いの咳を交えながらも、全て流暢な日本語 でこのインタビューは行われた。
 
<不況下での就職活動>                  
(−は津久井、それ以外はダミアン)
     
 −就職おめでとう。
 
  ありがとうございます。
 
 −今日本はものすごい不況で、普通の大学生がいい成績で卒業しても就職するのは難し いんだよ。そんな中で、外国人であるダミアンが日本の会社に就職を決めるなんて、結 構大変だったんじゃない。
 
  そんなことない。道路歩いてたら、カルウェーの情報マネージャーにたまたま会った んですよ。それで英語で挨拶して、「仕事あるか」って聞いたら「ある」って(笑)。 それで決めた。そこにあるクラブももらった。悪いけど、8万5千円だよ。
 
 −道路で就職を決めたんだ(笑)それはものすごくラッキーだね。
 
  今日本は、不景気と言われているけど、逆にこれから発展していく部分もあると思う。 だからコンピューターやインターネットができる人にはこれからも職はあると思うので、 全然問題ないでしょう。
 
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  今の日本では、「大学を出ても職がない」状態が当たり前にある。大卒のフリーター が珍しくない今の状況にあって、外国人であるダミアンの日本での就職は希有な例だろ う。
  しかし、ダミアンが言うように、コンピューターやインターネットなどの、それ相応 の能力を身に付ければ、まだまだ職はあるのかもしれない。これからは、会社勤めをし たかったらコンピューターのスキルをしっかり身に付けなければならないだろう。とい っても、これはずいぶん前から言われてることで、だから最近の会社は新人研修で、  「インターネットを覚える時間があったら、職場の同僚と酒飲んでください」なんてこ とを言ってたりする。
  ところで、日本の大卒フリーターは槍玉にあげられるべき存在なのだろうか。バブル 全盛の八0年代後半と今とでは、学生を取り巻く環境がまるで違う。「ブラブラして・ ・・」と言われるのがフリーターの定めだが、現実問題としてそうせざるを得ないとい うこともある。加えて、価値観の崩壊に面している今の日本では、「いい会社=いい人 生」というかつてのタガが非常に脆くなって説得力を失っている。青年の目も冷めてい る。
  オーストラリアやヨーロッパの若者ならば、こうした時海外への一人旅でもして価値 観を押し広げようとするのだが、日本の若者でそういった行動にでる人はまだまだ少な い。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 −大学は上智だよね。
 
  そう。比較文化学部の交換留学生です。だから向こうの大学を卒業します。
  3月頃1度帰りますけど、それは卒業のためではありません。卒業証書は郵送しても らえるから出なくてもいいんですよ。
 
<浪人がない国>
 −ダミアンが初めて大学に入ったのはいくつの時かな。
 
  初めては・・・18の時ですね。
 
 −日本の高校生と同じ歳なわけだ。オーストラリアでは浪人する人がほとんどいないっ ていうけどその辺りはどうなの。
 
  うーん、浪人する人はあんまりいないですね。
 
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  ここで、オーストラリアの教育制度について少し触れたい。
  オーストラリアの教育は、日本のような文部省による全国画一的な教育制度と違い、 各州ごとに設置された政府の教育省がその州に対する責任をもち、監督している。どの 州も内容に特別大きな違いはないが、私立の学校はこの監督下に収まることなく独自の 教育・運営をしている。
  かつてはイギリスの学校教育の流れをくんでいたが、現在ではオーストラリア独自の 教育を確立している。移民の積極的な受け入れや充実した奨学金制度、豊かな自然を生 かした地域色ゆたかな教育など、その内容は世界的に評価される質の高いものである。
  通常、6歳で小学校に入学してそこに6年間通う。これがプリマりースクールと呼ば れるもので、和訳すれば「初等教育」とでもなるのだろうか。
  その後、中学と高校がひとつになったセカンダリースクールへと進む。オーストラリ アでは日本のような「6−3−3」というよう考え方をせず、「1−12」までをひと つのつながりとして捉えている。
  義務教育は10年生(高校1年)までで、その間の授業料は無料。その後の2年間は 大学への準備期間として充てられる。つまり、よほどのエリート私立高校を選ばない限 り、18歳までの教育費(学費)は高校2年間分なのである。
  中学から高校までをひとつにしているため、当然高校入試や偏差値は存在せず、生徒 たちはそれぞれ地域の学校へと振り分けられる。
  大学入試も然り。高校時代の成績が優秀な者から順に入学が許可されるシステムにな っているため入学は比較的やさしく、日本と違って入学するのに浪人までする必要がな いわけだ。大学数は全部で50校で、私立のボンド大学を除いて全て国立・州立大学で ある。
  アメリカの大学でもそうだが、楽して入った分授業は厳しい。しかし、お経を唱える ような退屈な日本の講義と違い、実践的な内容を早口でどんどん喋るオーストラリアの 講義はダイナミックですらある。ちなみに、教官・学生双方の集中力を考えて、授業時 間は60分に設定してある。
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<大学入学後>
  今は大学も入りやすくなってきたけど、私が高校を卒業した91年、オーストラリア はそのころ不況だった。不景気の時は(大卒の肩書きを求めて)みんな大学行っちゃう わけですね。仕事が減るから。だから、入りにくかった。でも何とか入れて、でもその コース(大学での専攻)にはあんまり興味がなくて、すぐ辞めた。
 
 −1回ドロップアウトしたんだ。
 
  そう、ドロップアウトして、日本に来ました。ワーキングホリデービザを取って、1 年半くらいかな、愛知県の豊橋市にある日光ホテルで働いてました。そういうことをや っておけば、オーストラリアに帰ってからでもすぐにそういう仕事につけると思ったか らです。 でも、帰ってからやってみても、ホテルマンの仕事はやり甲斐がなかったん ですよ。
 
 −1回日本に来て、また帰って・・・・
 
  そう。でもやってみたら 、もっと日本語をうまく話せるようにまた日本に来て、お 金貯めて日本の学校に、大学に行くしかないと思って。
 
 −それは何歳の時かな。
 
  21歳。
 
 −そのころはどんな所に住んでたの。
 
  ホテルの寮に住んでいました。
 
 −オーストラリアに帰ってから結局ホテルでの経験は生かせなかったわけだけど、その 間日本で働いていて何か得たものや、逆に苦しかったことなんかなかった?
 
  あのころは・・・今思うとあんまり苦しくなかった。お金がいつもあって・・・
 
 −あったんだ!?
 
  そう、飲みまくったりデイスコ行ったり。もう、たのしかったです(笑)。
 
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  ダミアンがそのころお金を持っていたというのは私には意外な事実だった。通常、ワ ーキングホリデーというものは、あくまで休暇としてつくられた制度であり、お金を貯 めたり語学を勉強したりといったことは難しいとされているからだ。
  日本はオーストラリア、カナダ、ニュージーランド、フランス、韓国と提携を結んで いる。相手国の雇用問題に影響を与えないように、同一箇所での就労は三ヶ月までと定 められているが、ダミアンのように同じ所で長期間働く例もある。就職難の現状や英語 力の必要性から、利用者は増加傾向にある。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− −その頃、初めて日本に来たわけだけど、日本語はどれくらい話せたの。
 
  全然。挨拶さえもできなかった。
 
 −「こんにちは」も!?
 
  「こんにちは」と「お元気ですか」はできた。あと「今何時ですか」。
  恥ずかしい話だけれど、日本に初めて来た時名古屋の空港で隣のおじさんに「何時で すか」と聞いたら「今か?」と返されて、「今」の意味がわからなかった(笑)。それ でアーアーって。
 
 −そんな状態じゃ仕事も大変だったんじゃないの。
 
  ベルボーイをやっていたから、直接お客さんと電話で話したり・・・最初はすごく大 変だった。馴れるために最初の3ヶ月くらいかな、ほとんど飲みにも遊びにも行かない で毎晩寮で勉強してた。
 
 −家族は何人いるの。
 
  4人。弟がいます。
 
 −弟さんも大学生なんだ。
 
  いや、困った弟がいるもので(笑)。
 
 −そうか(笑)。困った弟はオーストラリアでも日本でもどこにでもいるね。
 
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  話はこの後、ダミアンの高校時代と日本の高校、大学へと移っていった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 −ダミアンも中学からずっと公立なの?
 
  いや、中学に入ってサボってたから(笑)。私立の厳しい学校に入れられた。
 
 −昔から勉強が好きなわけじゃなかったんだ。
 
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  ちなみに、ダミアンは今ではよく勉強する真面目な学生であり、在学中はNOVAの アルバイトと奨学金で自立した生活をおくる苦学生でもあった。もちろん、仕送りはも らっていない。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<日本の学生と英語力>
 −よく日本とアメリカの大学生を比べて、日本の大学は入るのが難しい分入ってからは 楽ちんで、アメリカの大学は入るのは簡単だけど卒業が難しいと言われるよね。オース トラリアの大学はどっちかというとアメリカに近い感じを受ける。
 
  オーストラリアも入りやすいですね。
 
 −俺も留学にはとても興味があるんだけど、オーストラリア、カナダ、アメリカを比べ てみたときに、カナダは留学生に対して消極的だし、アメリカは受け入れ態勢は整って るけど学費が高い。その点、オーストラリアは留学生を積極的に受け入れてるし、学費 も安いんだよね。
 
  安いです。でも、それとTOEFLスコアで・・・500点?
 
 −550点。日本人には厳しいね。
 
  厳しいですね。
 
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  TOEFLとは、TEST OF ENGLISH AS FOREIGN LANGU AGEの略称。英語を母国語としない国の人に対して実施され、英語の能力を測る指標 となる。得点は200〜677点の間におさまるようになっていて、アメリカ、カナダ、 オーストラリアのほとんどの大学では留学生に対して受験を義務づけている。入学のた めの最低ラインは、大学で550点、大学院では600点だと言われている。
  ちなみに、アジア地域における98〜99年のTOEFLランキングが先月(1月) 発表され、それによると日本は21カ国中18位。1位のフィリピン(584点)との 差は83点の501点で、昨年度の最下位は脱出したものの、小渕首相が掲げる「第2 公用語としての英語」はまだまだ先の話になりそうだ。世界では150位。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<オーストラリアの諸問題>
 −最近、日本では中学生くらいの少年による凶悪犯罪が増えているんだ。つい最近でも ・・・。
 
  神戸の。
 
 −そう。神戸もそうだし、一番最近では京都の小学生が同い年くらいの少年に殺された。 学校の校庭で、みんなと遊んでいる時にナイフで刺されたんだ。犯人はまだ捕まってな いけど(2000年2月5日に容疑者自殺という最悪の結果に)、やはり中学生くらい じゃないかと言われている。いじめもまだ残ってるし、いろいろと問題が多いんだ。
  オーストラリアは多民族国家で、いろいろな人種の人(特にアジア系)がいるわけだ けど、その辺りで差別やいじめはないのかな。
 
  それはね、津久井さんが想像できないくらいあったんですよ。暴動みたいになったこ ともある。さっき言ってたような公立の中学・高校に行っていたころ、ベトナム戦争の 移民が70〜80年代にかけて一挙にダーッて入ってきた。それで1部の地域に移民用 の住宅地ができた。
  ある日、教室に先生が来て、「これからベトナム人、タイ人、ラオス、いっぱい来る ので優しくしてね」って。
  でも、私たちがいけなかったよね。サッカーやるにしてもベトナム対オーストラリア。 それで最後は殴り合いになっちゃう。それでも小学校のときはまだよかった。中学に上 がると力の弱い、体の小さいベトナム人がナイフやピストルを持ち出して、本当に危な くなった。英語ができないと勉強も、特に数学なんかができないから、ベトナム人の中 にはドラッグする奴もいた。
 
 −70年代というのは、白豪主義が終わった時期だよね。(正確には73年)
 
  そう。だからいっぱい入って来た。そのころは丁度オイルショックで景気が悪かったから、 そんなこともみんな移民人のせいにした。「あいつらが来たからだ」「あいつらが働か ないからだ」って。
 
 −そういうのは今はかなり少なくなったのかな。
 
  まだ少しはあると思うよ。
 
<日本人気質・オーストラリア人気質>
 −ダミアンの高校生活を教えてくれる?
 
  朝7時に起きて、お母さんの運転する車で学校へ。バスは不便なので使わなかった。 その後、9時から授業が始まる。
 
 −日本の高校では、朝6時に起きて登校して、授業が始まるまで2時間くらい勉強させ る所もあるんだよ。
 
  うーん・・・そういうのやっても頭に入る?
 
 −入らない。まず絶対に。それで疲れて授業中にぼんやりしたり居眠りしちゃう。
 
  やはり、日本人はそういうところはまだ遅れてると思う。悪いけど、トライアスロン も練習のやりすぎだと思うよ(我々はトライアスロンを通じて知り合った)。練習する にしても、私たちは無理のない4週間のプログラムを組んで、徐徐に練習内容を増やし ていく。週末はビール、必ず飲むよ(笑)。
  カール・ルイスがニュースステーションに出たとき、久米宏が「どうしてそんなに長 い間(35歳まで第一線で活躍した)パフォーマンスを維持できるのか」と質問した。 そうしたら、「私は元気な時に練習して、疲れたら休む」と答えていた。それだけ。と ても簡単なことだよね。
 
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  日本人とオーストラリア人の物事への取り組み方は全く違う。ここではたまたま勉強 やスポーツの話になったが、仕事に対する姿勢も然りだ。オーストラリア人気質とでも 言うのだろうか、何をするにしても決して無理をしない。自分やその家族のことを一番 大事にしているという印象を受ける。しかし、これは考えてみればごく当たり前のこと で、本当の人間らしい生き方とはそういったものではないだろうか。たとえば、オース トラリアでは終身雇用という考え方はない。自分に相応しい職業でなければやり直した 方がいいと考えるし、会社に仕えるという考え方もしない。あくまで判断の基準は「自 分」にある。
  これは学生にも言えることで、オーストラリア人の学生は確かによく勉強する。しか し、ダミアンのように「自分に合わない」という理由から大学を辞めたり、他の大学へ 編入するといったことは日本より頻繁に行われている。編入も簡単で、大学間の交流も 盛んだ。
  ところで、彼らやアメリカ人学生のみが特別勉強をしているのだろうか。答えは否、 だろう。それはあくまで日本の学生と比べてのことであって、当のオーストラリア人学 生は大学で勉強する事をごく当たり前のこととして捉えている。日本人学生が、異常に 勉強しないだけなのだ。
  しかし考えてみれば、大学で勉強できない日本の学生は哀れですらある。「遊んでば っかり」と酷評される日本の学生だが、全員が全員遊ぶつもりで入学したわけでもない だろう。なかには今までの不勉強を悔い改めて、「いっちょ勉強でもするか」という気 概をもって入学する学生もいるはずだ。そんな学生にとって、日本の大学はレジャーラ ンドどころか拷問部屋ですらある。
  日本の大学の不思議な点は、お祭り騒ぎのようなハッピーな雰囲気が年中続いている のに、その当事者である学生たちが少しも楽しそうではないことだ。「1人でいるのは 寂しい。みんなといるのは空しい」「どんなに楽しく騒いでも、孤独を感じる」「1人 でいると発狂しそうになる」
  こうした混沌としたことばは、留学生からは伝わってこない。孤独や寂しさを感じな いわけはないだろうが、それでもそうした雰囲気を漂わせることはない。むしろ、そう いった人生の負の要素を当然のものとして受け入れているような印象を受ける。その点 で、どうにもならないことにげんなりしたり、わめいたりしている確かに日本の学生は 子どもだ。
  しかし、そんな留学生でも、日本人とは少し違った所で寂しさを感じているようだ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<私は日本人になりたい>
 −確かに、日本人は意味のない堅苦しさや制約を重んじる所があるからね。別のオース トラリア人も、大学の水泳部に入ったけど、プールへのおじぎを強制されたり、バイト 禁止令を出されたりですぐ辞めちゃったよ。
 
  みんな留学生は、日本に来て日本人になりたい、日本人と同じことをしたいと思って いる。けど、やってみると「ああ無理か」ってがっかりしてしまう。
  ニュージーランド人の友達は、一生懸命日本に馴染もうとして空手部に入った。でも 2ヶ月ですぐ辞めた。彼は学習院大学の留学生なんだけど、28歳の彼が19のガキに 「てめえ!!この野郎!!掃除しろ!!」って言われてた。
 
 −えっー!!それはひどいなー。留学生もいやになっちゃうし、イメージダウンだ。
  俺も今は2つ目の大学で、前の大学から編入したんだけど、その時は体育会のサイク リングクラブに入っていたんだ。でも、無意味にきびしくてね。例えばコンパがあるじ ゃない、酒飲み。そうするとさ、みんな学ランを着なくちゃいけないんだよ。義務で学 ラン着て、お酒を先輩に注いで回って「飲め」と言われたらこれも義務で一気しなくち ゃいけない。当然お酒に馴れてない1年生なんかはすぐ酔っぱらっちゃうから、別の所 に「収容所」と呼ばれる部屋を用意しておいて、そこにつぶれた奴を寝かせておく。先 輩は笑ってるだけで何もしてくれない。そういうの、全部いやでね。2年目にクラブを 辞めて、大学も辞めちゃったんだけど。
 
  この寮(ダミアンは寮に住んでいる)のパーテイーも全然おもしろくないですよ。こ の間も少人数で私の就職祝いのパーテイーをやってくれたんだけど、そこでも1年生が 上級生に「お前、注げ」って言われててかわいそうだった。
 
 −まだそういうのが残っているんだよね。最後はみんな学ランのまんま肩組んで歌った りするんだよ。気持ち悪いよね。
  日本の高校では、授業が終わってから部活動があるけど、オーストラリアにはそうい うクラブ活動はないの?
 
  あるけど、練習はだいたい昼休み。放課後はやらない。ラグビーチームに入ってたけ ど試合は全部金曜日。その日だけは授業やらないでスポーツやる日だから、とってもた のしみだった。
 
 −休日に練習や試合があって、1日中ぶっ続けということもないんだ。
 
  練習はだいたい午前で終わって、そのあとはやっぱり家族と一緒に過ごすことがほと んどですね。いとこの家に遊びに行ったり。
 
  そういう時間はものすごく大事だね。日本の家庭ではお父さんが家に帰らないことが よくあるから、家族の時間は大事にされてないんだよね。日頃から顔を合わせてないと、 接し方もわからなくなってきちゃうし。
 
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  オーストラリアは、男がよく働く社会だと言われるが、これは仕事に限ったことでは ない。定時に仕事を終えて帰宅すると、夫はキッチンへと向かう。馴れた手つきでステ ーキを焼き、野菜を盛りつけ、一家の夕食を作る。後片づけもお手のもので、文句1つ 言わずにテキパキと終わらせてしまう。その間、妻や子どもはソファーに座ってテレビ を見ている。少し出来過ぎたイメージだろうか?しかし、男も女も関係なく家事に参加 するのがオーストラリアの流儀であることは間違いない。
  近年では日本の男性でも料理のできる人が増えてはいるが、家事全般に対する態度は 依然「面倒臭い」で統一されているような気がする。しかし、家事の奥義は素早くすま せることにある。「面倒臭いと思っていると本当にどんどん面倒臭くなってくるもの」 それが家事である。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<大学で何を学ぶか>
 −初めに入った大学・西シドニー大学ではどんな勉強をしていたの?
 
  そのころは・・・・確か、サイエンス?
 
  忘れちゃったの(笑)?そうか、理系だったんだ。じゃ今の上智大学とは全然違うこ とやってたわけだ。
 
  私は18歳のころ、自分が何やりたいのかはっきりわからなかったんですよ。全然わ かんなくて悩んでて、でもこれかなって思ってサイエンスに入った。
 
 18歳でなにやっていいかわかんないのはオーストラリアも日本も、どこも一緒だね。 ダミアンは大学を1年で辞めたわけだけど、オーストラリアではそうやってドロップア ウトする人は結構多いの?1回辞めてまた新しい大学には入り直すのも含めて。
 
  編入は簡単にできますね。例えば上智行ってる人がいい成績を納めて、早稲田に途中 から編入する。そういったことはよく行われている。それと、1年間休学して外国に旅 行に行くとかもよくあります。
 
 −俺も去年の今ごろは、休学して旅行してたんだよ。
 
  日本にも、休学があるんですか?
 
 −あるある。
 
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  日本の大学にも休学制度があるが、あまり活用されてはいない。その理由は大きく分 けて2つあると思う。
  1つは、日本の学生が「大学は4年で卒業するもので、休学なんて訳わかんないこと やったら就職に響く」と考えており、また実際に響く現実があるということ。
  もう1つは「大学から切り離されて孤立するのが怖い」という組織依存体質からくる
 恐怖心だ。
  どちらも日本特有のものだろう。オーストラリア、アメリカではむしろそうした経験 は人物を評価する時の対象になる。旅行ではないが、オーストラリアの大学では、社会 経験が単位として認められる制度がある。授業は厳しい分、本当に勉強したい人には広 く門戸を開いているのがオーストラリアの大学なのだ。
  去年の夏ごろ、私も大学を休学して国内・海外旅行をしていた。極貧旅行で、お金を ギリギリまで節約するために、移動手段はヒッチハイク、宿はテントを基本とした。
  初の海外で訪れたフランスは、そのころワールドカップ優勝と革命記念日で燃えてい た。
 丁度バカンスの時期で、各国からの旅行者で賑わっていたのだが、そこで1番多く出会 ったのがオーストラリア人の旅行者だった。彼らの平均年齢はおしなべて高く、なかに は31歳になる者もいた。
  そのころから、日本と海外の青年の違いについては興味を持っていたので、彼らに会 う度に「日本では30にもなって旅行するなんて考えられない。周りはうるさく言うし、 本人も気にしてやらない。オーストラリアでは何も言われないのか」と聞いてみた。
  しかし、彼らの返事は「どうせいつかは子どもを産んで家庭をもち、会社勤めしなく ちゃならない。そうなる前のちょっとした猶予期間だよ」というシンプルなものだった。 実際、彼らは本当に明るく、年齢など気にしないでのびのびと旅行を楽しんでいた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 −日本にも休学はあるんだけど、させないんだよ、雰囲気が。休学は、駄目な奴。退学 も、駄目な奴。そう思われちゃう。
  だから、18歳で自分のやりたいことわかんないまんま大学に入って、「やっぱりこ れじゃない」と思ってもなかなか辞められないんだよね。そのへんは固く縛られている と思う。
 
  オーストラリアでは、自分に合わないコースを選んで、悩んでやる気をなくすよりは 違う大学に編入したほうがいいと考える。
 
 −本当に羨ましいよ。ところで、オーストラリアでは先生と学生との距離が近いと聞い たんだけど、どうなの。
 
  先生とは仲良かった。今でもそう。オーストラリアの大学では勉強だけをしに行って て、友達もそんなにいなかったんだけど、先生との距離は近いと思う。日本の先生は・ ・・・
  この間、国際貿易のテストがあって、それが駄目だったら卒業も就職もできない。そ れで先生にそのことを言って、「合格するには何点とれば大丈夫ですか」って聞いたら 「わかんない」。でも、オプションのレポートがあって、誰もやってないのにやった。 「それもやったんですよ」って言ったのに。
 
 −「わかんない」はひどいなあ。
 
  ひどいひどい。だから先週の今頃はとってもナーバスだった。
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  大学生活に欠かすことのできないものの1つが、酒だ。
  近年は学生による一気飲みが横行し、それで命をおとす例も少なくない。被害者は、 特に1年生に多いそうだが、先輩に強引に飲まされたり、まだ酒になれていないという ことなどが原因だろう。
  死人が出ていることは広く認知されているが、その後の慰謝料請求などをめぐる裁判 沙汰について知っている人は少ないようだ。一気を強要した者が退学するのに加えて、 止めにはいらずに現場に居合わせていた者にも責任が問われる。そのため、一気飲みに 関わった者は全員借金と罪悪感に苦しむことになるのだ。
  こうした飲み方は日本だけのものなのだろうか。その点についても聞いてみた。
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 −オーストラリアでも一気飲みはあるの?
 
  あるよ。でももっと下品で厳しいやつ。「ヘリコプター」という飲み方があって、酒 で酔っぱらった人にピザいっぱい食べさせて、もう1人肩車させて、グルグル回る。そ うすると、いろんなものが出てくる(笑)。おもしろくね。
 
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   馬鹿気の至り。若者が持て余した体力を酒で発散するのは、どこの国でも変わらな いようだ。
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<何のために日本に?>
 −それでは最後に簡単な質問を。まず、日本に来た理由は?
 
  日本語を覚えるため。
 
 −何故日本に興味をもったか。
 
  小学校の時の先生が、着物とかいろんな物持ってきてくれたんですよ。あと校長先生。 彼か彼の知り合いが、広島の近くにいたんですよ。そこで原爆が落ちるのを見た。戦争 反対のマッシュルームのネクタイしている人でした。
  その先生からいろんな話を聞いた。「しんちゃんの三輪車」という話知ってる?日本 じゃあんまり知られてないけど、向こうじゃすごく有名。ある日お父さんがしんちゃん に子供用の小さい三輪車を買ってあげて、しんちゃんがそれに乗ってて原爆に遭った。 お父さんが外へ出てみたら、三輪車しか残ってなかった。そいう話とか、「さだ子の  鶴」。平和公園にさと子の銅像があるんですよ。彼女も原爆に遭って「鶴を千羽折れば  直る」と言われたけど、途中で諦めてしまった。
 広島行ったことないの?
 
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  恥ずかしい話だが、私は「しんちゃん」の話を知らなかった。さらに、さだ子の話に ついても千羽鶴のことと言われるまで気がつかなかった。ダミアンの日本に対する造詣 の深さよりも、自分自身の勉強不足が身にしみた。
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 −あと、日本の第一印象。びっくりしたことや不思議に思ったことなんかない?
 
  おじぎ。電話してる時もおじぎして。何で?って思った。
 
 −まだ扱いに馴れてないのかもね。おじぎについてはあるイギリス人がテレビか何かで、 「会社帰りのおじさんたちが、唸るような不明瞭な発音(多分どーもとかその類)で一 生懸命おじぎし合っているけど、あれは草を食む牛のようだな」と言って、やっぱりお じぎを不思議がってたな。
 
  でも、僕もしちゃうかもしれない。たまに電話してる時におじぎしてる。「こら、や めろ」ってすぐ自分に言うけど(笑)。
 
 −オーストラリアでの携帯電話の普及率はどうなの?学生も持ってるの?
 
  働いてる人は持ってるけど、学生は持ってないね。日本では、満員電車の中で大声で 喋られると腹立つ。おじさんも多いけど、特に若者。・・・子ギャル・・・。
 
 −初めて聞いた時「子ギャル」の意味ってわかった?別のオーストラリア人は、「顔が 黒く焦げる」の「焦げる」が訛って「子ギャル」という名前になったと思ったんだって (笑)。
 
  「ガングロ」でね、僕が思ったのはね、日焼けサロン行くでしょ。そこで顔を焼き過 ぎたら皮膚ガンになると思って「癌グロ」(笑)。
 
 −そしたら、ガングロの人はみんな死んじゃうじゃないか(笑)。厚底ブーツもそうだ けど、オーストラリアにはないね。
 
  ないない。絶対ない。あっ、でも70年代のヒッピー・ブームの時に1回あったかな。
 
 −最後に、日本とオーストラリアの良いところと悪いところを、それぞれあげてもらえ るかな。
 
  日本は治安がよくて安全。でも、環境が悪くて、自然がどんどん減っていると思う。 それはとても寂しい。
  オーストラリアの良いところは、生活しやすくて物価が安い。自然が多い。シドニー のような大都市でも自然がある。悪いところは・・・人種差別の人が多いので、あまり 周りを受け入れない。日本も少しそういうところがあるかな。
 
 −今日は風邪のところを、どうもありがとう。
 
  いいえ。
 
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  ダミアンは、オーストラリアの悪い点として上記のようなことをあげたが、あんなに 開放的な彼らが内気な人種差別主義者だとしたら、我々日本人はどうなってしまうのだ ろうか。一説によると、アメリカのカウンセラーの見地から見れば、我々日本人の80 %は自閉症と診断されてもおかしくない状態なのだという。
  なぜ、海外の彼らはあんなにも元気なのだろうか。
  彼らは、「人にやられて嫌なことは、他人にもしない」という積み重ねで今の社会を 作ってきたのに対し、日本は、「自分がやられたことは、同じように下にする」でやっ てきた。そんな気がする。
  後者の文化の方が未熟であるのは勿論だが、その実例は、今回のインタビュー中にク ラブ活動や大学のシステムの話として何度も出てきている。日本の若者を衰退せしめて いるもうひとつの理由は、ほとんどの人がそうしたシステムの流れの外に出たことがな いということだろう。自分たちの持つ文化や習慣を、他国のものと比べ、客観視した経 験がもてないでいるのだ。だから、理屈を抜きにした「自分の良い体験」をもてずに、 「こんなもんだろ」と若くして浅はかな悟りを開き、程良く絶望しながらその後の余生 をおくるのだ。
  「こんなもん」ではない。日本の青年は世界の中でも最下等に属する位置にいるので はないか。のみならず、「先進国で経済大国で、技術も最高峰だけれども、青年に生気 がない」という非常に不気味な特徴をもっている。実は、ものすごく孤立した国なんじ ゃないか、と空恐ろしくなった。
 
<間接コミュニケーション中毒者の現状>
  「間接コミュニケーション中毒者」ということばがある。
  携帯電話やEメールを通じてなら自分の感情を相手に伝えられるが、面と向かって生 の相手と話すのは苦手、という人々のことだ。通信機器に慣れ親しむあまり、感情の貧 困化をもたらすこの現象は、欧米などでも問題となっている各国共通のものだが、日本 ほど極端に進行している例はないという。いやならすぐに切れる電話と違い、会ってし まうと気を使って疲れてしまい、相手の視線や態度の変化にプレッシャーを感じてしま う。それが苦痛で、直接会うよりは間接的に機械を介してコミュニケーションをとる方 が楽、というわけだ。
  こうした人間関係は、たしかに合理的ではある。しかし、合理的なものには必ずリス クが伴うように、この現象も便利性よりもリスクの方が肥大化してしまったために生じ たのである。それに、微妙な感情のやりとりが大切な人間関係において、合理性を重ん じるというのは、やはりどこか歪んだ印象を受けざるを得ない。
  精神科医の野田正彰氏はこの原因について次のように語っている。
  「(日本がこれほどまでに症状が進行しているのは)近代化が効率第一で進んできて、 生活の豊かさを求めることを軽視してきたからです。感情の交流より情報の伝達だけが 進行してきた。(中略)米国は、人間関係を豊かにするために新しいコミュニケーショ ン社会を作ろうという理想や情熱がある。しかし、日本では情報化社会に生き残るため、 企業主導で行われてきた。(中略)個人と個人の関係になっても病的なネットワークが できてしまうのは、いかなる情報化社会を作るかという理想がないからだ」。
  ここで言われていることは、実はずいぶん前から指摘されていたことである。しかし、 日本人の悲しい習性からか、生活を改善する動きは全く見られないまま今に至っている。
  「せっかく休みをもらっても、何をしたらいいのかと悩んでしまう」といった不安を 多くの人が抱えてるため、暇があっても活用できずに余計に仕事へとのめり込んでしま うのも事実だ。
  ところで、携帯電話が普及し始めた時期を覚えているだろうか。例えば電車の中など で、聞き慣れない電子着信音が鳴り響くと、人々は一斉にその音の持ち主を探したもの だ。そして場違いな車内で一人話す者に、周囲の迷惑そうな視線が向けられる。今思う と、その頃の携帯マナーというのは開き直って醜悪な態度をさらすか、もしくはその場 は切ってしまうという両極端であったような気がする。しかし、一般に広く普及した現 在でも扱いには馴れたようだが、マナーが向上したという印象は受けない。
  症候群の症状のひとつにあげられるのが、「実際の会話までも携帯・Eメール化して くる」ということである。元来電話という装置は、情報伝達をより容易にするために開 発されたものだが、いつしかそこに人間の感情交流の手段という要素も加わる。
  しかし、間接コミュニケーション中毒は、絶えず機械を通した会話しかしていないた め、実際の人間との感情交流との境界線が曖昧になってしまう。実際に人に会って喋る 時でも携帯・Eメールで行うような断片的な情報のやりとりしかできなくなってしまう のだ。「あの店行った?」「あのテレビ見た?」といった会話ばかりで、電話と同じ話 し方で同じ情報の交換。そこに人間らしい感情の交流といったものはない。これを感情 の貧困化と言わずして何と言おうか。
  野田氏はまた、「京都大学新聞」に載っていた海外留学生が受けたカルチャーショックに関す る記事についても紹介している。
  中国とマレーシアからの二人の留学生が日本人学生の様子をとても不思議がっていた。 キャンパス内のあらゆる所で交わされる「試験どうだった?」「就職決まった?」とい う断片的な情報のやりとり。はじめ二人は、自分たちの語学能力の不足や留学生に対す る日本人学生の無関心から中に入れないことなどを原因と考えていたが、感情の交流の ない会話をいつまでも続ける日本人学生の姿を見て、やはり大きな戸惑いを隠せない。 会話になっていないのだ。彼らがいったい何を考えて生きているのかがわからなくなる、 という内容である。
  携帯が広まり始めた時、私はよく「ああ、これで今までのコミュニケーションのかた ちは壊れるな」と思ったものだ。それまでの会話のかたちも、バブル期の浮ついた「明 るさ」が色濃く残っていて嫌だったが、携帯の及ぼす精神作用よりはましだと思った。
 
  「携帯は、いつでも交信できるというその特性から、約束をいい加減にするだろう。 いつ携帯に中断されても不快にならないような、表面上の会話が今より増えるだろう。 そして、いつもつながっていないと不安になったり、さみしがったりする雰囲気の世の 中がおとずれるだろう」。
  かくして、間接コミュニケーション中毒者のような症状が表面化してきたのである。 そして、1度できてしまったものは意識して修正していかないと直らない。放っておけ  ば、今のような現実に興味のもてない、自我が希薄な若者がもっと増え、症状もより 根深いものとなるだけだ。
  しかし、前述の2人の留学生のような、外国人との接触が避けられない今の世界事情 では、必ず何らかのかたちで諸外国との交流摩擦が起こるはずだ。そうなる前に、今の 日本を、特に青年層を、もっと問題視してもいいのではないだろうか。
                                  完
 
〔参考文献〕
・毎日新聞1月25日付夕刊「間接コミュニケーション中毒者の行き着く先はー」
・「オーストラリア暮らし入門」 大修館書店
・「普通をだれもおしえてくれない」 鷲田清一著 潮ライブラリー
                                  以上
 
 
  現代子ども・若者考 〜若者にエールを〜
内山 めぐみ
 
 
 現代の子どもにまつわる問題は、あまりにも多すぎる。「いじめ」や「登校拒否」といった学校現場が抱える問題は、テレビや新聞などといった様々なメディアを通して多くとりあげられている。また「援助交際」や「キレる」などの言葉も話題になった。ここ10年で“不登校(登校拒否)児”と呼ばれる子どもたちは3倍になったという。文部省の「生徒指導上の諸問題の現状」調査によると、平成8年度に年間50日以上の長期欠席した子どもは、小・中学生にあわせて7万7542人にのぼる。学年別にみると小学校高学年から中学生へと、学年がすすむにつれてその数は増えていく。増えると言えば、少年犯罪も多発してきている現状を見過ごしてはならない。栃木県黒磯北中学校でのナイフ犯罪を皮切りに、この「キレた」少年たちの犯した事件が続発した。ドラッグ汚染なども昔から絶えず、しかも大きくなりつつある問題である。このような子どもの問題には、変化してきた日本の社会事情と子どもの心のバランスが微妙に崩れてきてしまっていることが、大いに関係あるのではないか。つまり、子どもの心が不健康なのである。健康面でも現代の子どもに は不安要素があり、大きく影響しているのが食事の問題である。小児肥満と成人病は急増しているし、あごの形も昔に比べ医学的には悪い方向へと発達を遂げている。とにかく、本当にたくさんの問題が子どもたちにはまつわりついているのである。考えれば考えるほど頭が痛くなってくる。
 こうした様々な問題は、現在の社会事情を大きく反映していることを大人たちは、もっと真剣に受けとめねばならない。なぜならば社会は大人たちが作り上げてきたものだから。「最近の若い者は…」などと非難などできないのである。私自身気づけばあっという間に二十歳を過ぎ、制服姿の学生たちをうらやましげに見てしまう年頃になった。ある程度自分が受けてきた教育(学校においても家庭においても)を客観的に捉えることができるようになって、改めて教育というものが与える影響がいかに大きいものか実感する。テレビ、雑誌以外にもインターネット等の普及で情報がますます多様化し、複雑な社会へと変わり続けてきている。その社会の未来を担う子どもたちを苦しめていることの結果として、子どもたちをストレスで覆われた人間へとつくりあげているのである。子どもたちのストレスを取り除いてあげるにはどうしたらよいか。私は3つのことを提案する。
 まずは、家庭での子どもの居場所を健康的なものにする。核家族化、テレビゲームの普及等により、家族の結びつきが希薄化しているように感じる。家族一緒に食事をすることなども昔に比べ段々と少なくなってきた。子どもが孤立してしまわないような空間を親は作り出す工夫をするべきだと思う。例えば、食事が一緒にできないのであれば、お弁当などをつくって、栄養バランスのとれたものを与え、手紙などを添えコミュニケーションをはかるとか…。数分でも親子一緒に散歩するなど、共同作業のようなものをする。交換日記もどきのようなことをしてもよい。(気持ち悪いかもしれないが、実際私はやっていた。これはかなりのコミュニケーションがはかれると思う。)また、受験等子どもたちにのしかかってくる重圧から解き放ってあげる心配りをしてあげるべきである。自殺などの報道を見ると、親が子どもの悩んでいることに気づかないでいるケースが少なくはない。同じ屋根の下で寝ているただの同居人にすぎない現状がそこにある。何かに悩んだり苦しめられていれば、必ずSOSは出しているはずである。親にはそれを見抜かなくてはいけない義務が あると思う。そのためには親自身も、心身共に健康である必要がある。
 2つめに、教師の改善をはかるということである。「サラリーマン教師」などという言葉があるが、やはりもっと生徒に対して熱い目を向けてほしい。教師全員が全員、金八先生になれというわけではないが、やはり子どもの成長段階において大いに影響を与えるということをもっと切に受けとめてほしい。学校離れが進んでいる今だからこそ、学校へ行く意味が問われてくる。学校は、家族の次に子どもたちが加わる社会である。学校生活を通して社会勉強をしていくのであって、単に勉強だけをしにいくところではないのであるから、道徳教育の面でもっと力を入れていくべきではないだろうか。教師が立ち上がるには、教師同士のつながりも必要となってくるし、学校のシステムにおいても改善されるべき点は出てくるであろう。今の日本の教育事情では可能なことばかりではないだろう。しかし、それに負けず、あきらめず、子どもに熱意を注いでほしい。どんなに無気力な子どもたちばかりであっても、とことん突き進めるような人材が今後はもっと現場に必要となってくる。
 3つめは、2つの項目に関連づいてくるが、日本の景気をよくして且つゆとりある社会をつくりあげていくことである。親にしても教師にしても結局のところ、自身の器がいっぱいいっぱいになってしまっているのだと思う。だから、子どものことにも今以上に目を向けられないのではないか。子ども以上に大人がストレスで疲れ切ってしまっているのかもしれない。世間では不景気で、終身雇用制度の威力など、吹っ飛んでしまった。リストラで苦しめられている大人はきっと想像以上であろう。どうしたら経済が明るい方向へと向いてくるかはここでは述べられないが、とにかく景気回復をして、大人たちに元気になってもらうしかない。そして、景気回復をした時に、過労死を生み出してしまった勤労体制を見直し、外国のゆとりを大事にする姿勢を見習って、リラックスした生活をもてる社会に変えていくことが必要だろう。いくら福祉面で力を入れても実際の日本人の生活スタイルが変わらなければ意味がない。無理なことかもしれないが、社会レベルでの改革が21世紀に向けて本当に大切なことだと思う。
 …色々と理想論をならべてしまったと私も実感してしまっているが、やはり今の現状を受け止めてしまうとあれこれと考えてしまう。理想は理想としてかかげ、現実に目を向けてみた時に、私にも希望の光がみえてきた。
 1つは、定時制高校の存在である。先に述べたように不登校児の数は増加の一途をたどっているし、高校中退の話題もとりあげられるようになってから久しい。何かのきっかけで道を途絶えそうになってしまった子どもたちに対して、再度、学校へ行くことのできるチャンスがあるということは、本当に意義深いものだと思う。こういうと学校へ行くことだけが大事なのかと言われるかもしれないが、やはり学校にはそれなりに意味がある。高校卒業の資格という面だけでなく、人間関係をつくっていくという面でも大いに意味がある。実際、定時制のクラスの子どもたちは、今の教育現場で起きている問題を凝縮したかのように、色々な事情の子どもたちの集まりである。いじめにあった子、不登校になった子、中退をした子、家庭の事情で金銭的に厳しい子、まさに現代の子どもたちを反映している。私も弟が定時制高校に通っているということもあって、何度か学校に訪れたことがあるが、自分が抱いていたイメージを一掃させられた。定時制というと、一昔前は金銭的に厳しく働きながら勉強したいという人が通うところだった気がする。しかし今は、(中学までし か出ていないご老人もいるが)いろんな意味で再出発をする子どもたちが、前向きに通う学校のような気がする。何より驚いたのが先生の気配りである。もともと色々な事情の子どもたちが通っていることもあってか、子どもたちを何とか進級、卒業させようと本当に熱心なのである。我が家には、一週間に一度、学校から郵便物が届く。それは担任の先生がクラスの様子をまとめた、プリントである。試験の結果や、クラスの様子などの他に、生徒それぞれの出席状況の報告も載っている。親はそのプリントで、普段の我が子の様子をうかがい知ることができる。また生徒も、自分の担任が自分に目を向けていることを感じとれるのではないだろうか。父兄と教師とのコミュニケーションもはかれているように思う。また、生徒数が少ないため生徒同士も親密になるし、教師も生徒一人一人にじっくり向き合える。年齢もまばらであるので、少子化で自然と失いつつある人とのつきあい方(目上の人に対して敬うなど)も、無理なく学びとることができる。生徒の大半はアルバイトをして、その帰りに夕方からの学校生活が始まるという。私は、この定時制高校に今の若者像を見ることができるのではないかと考 えた。弟のクラスの集合写真を見てもそうだが、昔に比べ高校生も色々種がでてきたように思う。一くくりにはとうてい出来ない。その表面的な違いとはうらはらに、心の部分は変わりはないのだと思う。彼らは、再出発のチャンスを得たおかげで、生き生きと道を進むことができた、あるいは進もうとしているのだと思う。社会が変わらない限り、問題を抱えた子どもたちはますます増加すると思う。その時、このような一種の切り替えのできる場所の存在が救いになるはずである。先日、いつも通り、弟のプリントを見ているとあるエピソードが書いてあった。“普通科の野球部が大会で優勝した時には校舎にお祝いのたれ幕が下がったのに、定時制のバスケット部が優勝した時にはたれ幕は下がらなかった…。”みなさんはこれをどう受けとめるだろうか。私はもっと定時制高校の評価を高めてもいいのではないかと痛感している。それは、身内が通っているからというわけではなく、子どもたちの可能性をのばす一つの手段にもなってきているこのような学校を認めることで、不登校児、中退者、いじめを受けてきた子どもたちのマイナスイメージをとり払えるのではないかと考えるからである。問題にぶ つかってしまった子どもたちは、決して悪いのではない。しかし、偏見というものは実在しているし、そのことで子どもたちを更に苦しめているのも事実である。こんな時代だからこそ、社会全体で前向きに受け止めることが大事なのではないか。「明るい登校拒否」など存在しないかもしれないが、そのような子どもたちの保障をもっとされてもいいと思う。心のケアが一番大切なのにも関わらず、一番片手間にされているように感じる。が、最後の頼みの綱として減少してきている定時制高校の存在に望みをかけたい。
 そして私の中の2つ目の希望の光は、「コギャル」ちゃんたちの存在である。コギャルたちは、またたく間に勢力をのばし、メディアでも多く登場するようになった。コギャルの間で流行したものは、経済的効果もあるとして、不景気な日本にも十分に貢献をしている。キティちゃん人気は、日本をぬけてアジアにまで進んでしまった。私は、このコギャルパワーに敬意を表したい。ルーズソックスまたは厚底ブーツにヤマンバメークで活動を続ける彼女たち。かつてこんなにもこだわりをもったメークがあっただろうか。(油性マジックでアイラインをひくなんて!)大体、今の大人たちにこれほどのインパクトを与えられる力はあるか。大学生にこんなにも明るいキャラが存在するだろうか。学校に通い、アルバイトをして、精力的に遊んで、私には少なからずこんなに元気はない。どんなに世間で非難されようと、自分たちのスタイルをつらぬくあの意志の強さと行動力は見習うべきだ。現代の子どもたちは無気力であるなどという噂は吹き飛ばしてしまうかのように、自分の興味のあるものに対しては熱意を注ぐ。部活動に汗を流して没頭している姿は認められて、 パラパラ踊りに夢中になっていることはマズイというのは何だかおかしい気がしてならない。ただ何となく時間を無駄にして過ごしている大学生よりもよっぽど中身が濃いのではないだろうか。何が好きで何が嫌いなのか、何をしたらよいのかわからない指示待ち人間よりよっぽどいい。確かに、道端のどこにでも座り込んだり、何日も家に帰らなかったりと問題は彼女たちにもたくさんある。が、純粋に彼女たちのパワーだけに目を向ければ、コギャルたちも偉大に見えては…。(こないかもしれないが)大人顔負けに携帯電話を駆使し、人脈を増やし、サークルなどではイベントをやったりしている。また、しゃべらせれば売れないタレントよりよっぽど面白い。しかも会話を聞いてみると、とにかく自己中心的なポジティブシンキングである。悩む姿などとうてい想像がつかない。新しいお店などに関しては、巷の雑誌よりも多くの情報網をもっている。実際、商品開発の際に彼女たちの意見をとりいれることも過多ある。暗い世の中に図々しいくらいに「元気」を注げるのは、コギャルしかいない。
 社会が変わるまでには、まだまだ時間がかかる。しかし、新しい命は日々誕生し、次世代の子どもたちも立ち止まることなく育ってきている。「子ども」という時期は、人の一生のほんの数年である。しかし、その人個人の生き方まで時には左右しかねないほど尊い時期である。だからこそ、子どもの教育には、大人たちが絶えず目を向けなくてはいけないし、環境は守られなければならない。コギャルまではいかないにしても、それぞれのスタイルをどんどんつらぬける強さを多くの子どもたちが持てばよい。宇多田ヒカルなど最近は十代の活躍が目立ってきていて、様々な問題を抱えている一方で若者たちの勢力は伸びてきているようにも感じられる。まだまだ今の若い子たちも捨てたものではない。大人たちを目覚めさせるためにも、もっと子どもたちが主張していくべきである。そして大人たちは、それに応えられる柔軟な頭を持つべきである。
 
 
 
  『自分さがし』の時代のアイデンティティ形成
     −現代日本社会における子ども・青年と学校−
                                 手島 淳仁
 
 
はじめに
 子ども・青年の自立や自己実現というものを考えたとき、現在の日本の子ども・青年の直面している成長・アイデンティティ形成の困難さというものをどのように理解すればいいのだろうか。
 さまざまな場面で今の若者について語られているが、規範意識の希薄さ、自己中心的な行動等の多くの否定的な言葉がメディアを通じて伝えられる。また、青年・若者に限らず子どもたちについても少年による犯罪が起こるたびに、その残虐性や幼児性が指摘され、「キレる」という言葉に象徴されるような暴力性や耐性のなさが語られている。このような子ども・青年の否定的な面はまったくの間違いだというわけではなく確かに事実としてあるのだろうが、そのような否定的な面ばかりに目を向け批判し、少年法の適応年齢の引き下げや道徳教育の見直しを行おうという議論がなされているのだが、そのような視点では現代の青年や子どもたちの抱える問題を捉えることはできないだろう。そのような否定的な形であらわれてきてしまう裏側で、現代のこの日本社会で生きている子ども・青年や子どもたちの抱える生きがたさや閉塞感にこそ目を向けなければ、本当の姿はわからないだろう。
 今の時代はアイデンティティを形成することがひじょうに困難であり、子ども・青年は自分は何をやりたいのかが見つけられずにいて、そのことがさまざまな社会的に病理的な問題を引き起こしているのであるということはよく言われることである。大人になること、自立すること、アイデンティティを形成することは、いつの時代においても簡単なことではなかったかもしれない。それらは現在の社会だけの問題ではなく、戦前の日本社会においても、戦後の貧しかった時代においても、現在の青年や子どもたちと同じように、「自分はなぜ生まれてきたのか」「何のために生きているのか」「自分は何をやりたいのか」と考え悩んだことだろう。
 しかし、現在の子ども・青年の置かれている状況は「浮遊化」と表現されているように、これまでのアイデンティティ形成における困難さとはどこかちがう現代日本社会に特有の困難さ・しんどさがあるのではないだろうか。生まれたときにはもうすでに経済的に豊かで、ものがあふれた社会で育ち、そのような生活環境が当たり前のこととして生きてきた今の子ども・青年は、経済的な貧困などの目に見える不幸は確かに減ってきている。だが、そのような目に見える要因に変わって、はっきりと自覚できないような透明な何かに覆われている。
 
1.学校ばなれ
 閉塞感の社会的な広がりの中で、子ども・青年たちの状況はこれまで語られてきたような受験競争の弊害といった認識では説明することができない事態が生じているようだ。これまで、学力競争や進学競争をめぐっての選抜が子ども・青年を抑圧し、いじめや不登校などの問題の原因となっていると言われてきた。
 「『学びからの逃走』という事態が主題となるような今日の子どもたちの状況は、受験競争を諸悪の根元であるかのように捉えるステレオタイプ化した認識からは、十分には把握できないほど遠くに進んでしまっている。」*1と指摘されているように、今日の子どもたちに起こっている異変や青年たちのアイデンティティ形成の困難さについて考える際には、これまでの発想からの転換が必要とされている。
 今日の事態は学校ばなれという表現が言い表しているように、子ども・青年の意識は学校にとらわれなくなってきている。
 まず不登校についてみてみると、「学校基本調査速報」*2によると1998年度には不登校の生徒が過去最多を記録し約12万8千人となった。 不登校の子どもの数は毎年記録を更新し続けているが、1998年度には増加数、伸び率ともに過去最高となっている。その内訳は、小学校2万6千14人(前年度比25.3%増)、中学生10万千6百80人(同20.0%増)となっている。これらは、「いじめなどが原因で、自分の世界に引きこもりがちな従来パターンの不登校に加えて、最近ははっきりした原因もないまま学校に行けなくなってしまう、『何となく型』の不登校も多くなっているようだ。」*3 とあるように、不登校のこれほどまでの増加の背景には、受験競争に象徴されるような学校的な価値にとらわれなくなっていることが考えられる。
 次に、1990年代における子どもたちの勉強ばなれについてみていることにしよう。1980年代に行われた調査によると、*4 日本の子どもたちの校外での勉強時間は、全くしない0時間が13.5%、1時間未満が33.0%だった。しかし1990年代に行われた調査によれば、*57歳〜9歳、10歳〜12歳、13歳〜15歳を合わせた総数で、ほとんどしていない9.4%、30分くらい32.3%、1時間くらい33.1%となっている。勉強時間1時間以下の合計は1980年代の調査では46.5%と5割未満だったのが、1990年代に行われた調査では74.8%となっていて、日本の子どもの学習時間は以前に比べ大幅な減少をしている。また、アメリカと韓国の子どもの学習時間と比べてみても日本の子どもの学習時間は少なくなっており、日本の子どもたちの勉強ばなれを表している。
 このような子どもたちの様子を教育学者の佐藤学は、「子どもたちが学びから逃走している。全国各地の教室を訪問して授業を観察してきたが、この数年、子どもたちの学びに対する意識と身体の異変はすさまじい。モノや他者と交わろうとしない身体、あるいは、知的な事柄への無関心といえばいいのだろうか。かつての荒れた中学生のように学校や教師に反抗しているのでもなければ、不登校の子どものように深刻な悩みを抱え込んでいるわけでもない。ともかく、勉強が嫌だし、勉強に関心がないし、勉強しようとは思わないのである。」と表現している。*6
 
2.消費社会のなかの成長
 現在の子ども・青年は生まれたときからあふれるモノや情報に囲まれて育ってきたし、またそれが当たりまえのこことして生きている。日本の社会が高度な経済的成長をへたことによって、現在のようなモノがあふれる豊かな社会が誕生したわけであるが、そのような経済的な環境の変化によって、急速に消費文化が子ども・青年の生活のなかに入り込んでいった。このことによって引き起こされていった子ども・青年を取り巻く生活空間の文化的な変容は、現在の子ども・青年の成長・アイデンティティ形成にどんな影響を与えているのだろうか。
 日本において高度に消費社会化した社会ができあがり、子ども・青年たちの生育環境が変容していったのは80年代であった。80年代という時代は、それまでの子ども・青年たちの育ったときとはくらべものにならないほどに物質的な豊かさが実現された時代となり、「バブル期までの八〇年代日本社会は、企業社会体制に支えれられた『豊かさ』が極みに達する爛熟期、『金ぴか時代』であった。」*7とされる。
 このような社会の豊かさとは経済的な面だけに起きた変化にとどまったのではなく、私たちの生活する社会の文化にも大きな影響を及ぼさずにはおかなかった。この時期の豊かさは、私たちがこれまで経験したことのない消費社会化をもたらし、消費文化のこれまでにないような普及、浸透を実現させていき、消費文化にかこまれた生活を送るこことなったのである。
 そして、中西新太郎は「八〇年代前半に生まれた子どもたちは、したがって『金ぴか時代』の消費文化の大波をもろに浴びて育つことになる。」*8と指摘しているわけだが、生まれたときからあふれるモノにかこまれた生活を、当然のように送っている現代の子ども・青年は、消費文化を全身に浴びて育っていると言える。
 それは、「いま、私たちは、まれにみる世代間ギャップのなかにいます。それを決定的に支配したのは、八〇年代における消費文化の力です。この力が子どもたちの日常生活のすべての文化を根こそぎに変えていったのです。親と子で、教師と生徒で『話が通じない』のは当然のことです。」*9とあるように、今の子ども・青年たちが暮らす日常が、その親の世代であるこれまでの子ども・青年たちが育った環境とは決定的にちがう生活環境に生きているのだ。
 そのような消費文化にかこまれて育つ現代の子ども・青年たちは、消費文化にどういった影響を受けているのだろうか。また、そういう消費文化は、子ども・青年たちの成長・アイデンティティ形成にどのような影響を与えているのだろうか。
 モノがあふれ「爛熟」と言われるような現代は、共通の文化のもとに、さらに分化したサブカルチャーのサブカルチャーが出てきているような状況となり、「こうして消費社会がつくりだしたサブカルチャーの細分化されたブースのなかでようやく生きているということでもあるのです。」*10というように、現代の子ども・青年たちは商品として提供される消費文化のなかで、さまざまな多種多様なサブカルチャーに接しながら生きているのである。
 そのような社会のなかで、中西新太郎は成長モデルを喪失したとして、「現代日本の子どもたちにとって、いまや成長のゴールにしてもモデルにしても、社会的・文化的に見失われている。その結果、『未完の生をつねに現在形で生き続けなければならないという心理的負担が彼らの心にずしりとのしかかることになる。」*11と言っている。
 成長モデルを喪失した社会にあって、子ども・青年たちは「自分らしく個性的である」ことをつねに求められている。それは消費社会化がもたらしたあふれるモノや多種多様なサブカルチャーのなかから、自分らしく個性的であるために自分にあったものを選び取り、それによって自分を表現し、自分をつくっていくことであって、「成長モデルの喪失とはうらはらに、各人が『自分らしさ』を表現する文化的アイテムは過剰といえるほどに溢れている。消費文化が絶え間なく供給するそれらの文化商品は、『あなたがあなたらしく輝ける』よう社会生活の全領域に『配慮』を張りめぐらしていて、そこからのがれることは容易ではない。生活上のスタイル、趣味・嗜好のちがいに応じて多種多様な場、消費モジュールが用意されており、一人ひとりの振舞いは、絶えず細分化され変遷する『系』のなかに参入されていく。」*12というように、現代の日本社会における、成長・アイデンティティ形成の特徴は、このようなものになっている。
 したがって、現代の子ども・青年たちは消費社会化した社会のなかで、あふれる商品によってつくりだされるサブカルチャーの影響を強く受けて成長・アイデンティティ形成をしていくことになるわけであるが、これまではそのような思春期から青年期を対象とするような若者文化は、普通はサブカルチャーとして位置づけられ、考えられてきた。つまり、「確固とした『大人の世代の文化』にたいして下位におかれ、部分的な地位を占めるにすぎないものと考えられてきた。」*13とされているように、子ども・青年たちにとっては「学校」こそが成長・アイデンティティ形成にとって重要なのであり、正当な文化なのであると考えられてきたのである。
 しかし、消費社会化が進むにつれて子ども・青年たちのなかに学校に代表されるような大人にとっての正当な文化よりも、自分たちの生活空間の現実を覆っている消費社会の提供するサブカルチャーの文化の方によりリアリティーを感じるようになっていく人たちが増えていった。サブカルチャーとみなされる若者文化が、彼らのあいだで通用する共通の世界をつくりだしていっただけではなくて、大衆文化全体のなかで優勢な位置を占めるようになったのである。
 現在の子ども・青年たちに学校の権威を相対化してしまって、とらわれなくなっているような、「学校ばなれ」と言えるような状況が広がっているわけであるが、「八〇年代後半に進行していた文化変容は九〇年代の中学生、高校生に吸収されていった。八〇年代前半まではまがりなりにも存続していた『学校文化』の規制力は大都市圏ではこの時期に形骸化し、実質上解体されたといってよい。」*14というように、今日の学校はかつての学校ほど、子ども・青年たちにとっては、絶対的な存在ではなくなっているのである。
 学校の文化ではなく、消費社会のなかのサブカルチャーの方によりリアリティーを感じるようになっていった現在の子ども・青年たちは、自分たちの生き方を選択していくことにおいても、サブカルチャーによってつくられてきた自分を重視していくようになってきている。「サブカルチャーの世界での自己表現を生き方の上位におくそうした感覚は広く浸透していて、現実をふまえた生活設計を望む親たちとの思惑とは、たとえ表面化していなくても、深く対立しているのである。」*15というように、「サブカルチャーの世界での自己実現」こそが本当の自分であると考え、そのような生き方を追求する人たちもいるし、完全に学校から離れていくことができずに悩んでいる人たちもいれば、そのような生き方のモデルが喪失されたなかでどう生きていけばいいのかわからなくなっている人たちもいるのである。
 
3.今日の学校における子ども・青年
 学歴社会の競争圧力が高く、学校において選抜・選別が厳しく行われていた80年代の高卒就職をする生徒のようすをみてきた。そこでは、生徒たちは就職活動が終盤に近づくにつれて、不明確な進路意識だったものが徐々に自己選抜を通じて明確になっていき、自分に適した進路を選択していくことが見られた。その過程で、生徒たちは主に学力を基準として自分の能力を見定めていき、進路を選択していくこととなった。
 高卒就職をする生徒の進路選択まで過程を見てきたが、このような、自分の能力を見定めて進路を選択していくことは高卒就職の生徒に限ったことではなく、大卒で就職するときや、高校から大学へ進学する際など、進路を決定していく際には自分の能力や適正を見定めて、自分の進路を決定していくことになる。高卒就職をした生徒が自己選抜の過程で行ったのと同じことを、我々は進路を決定していく際にしていかなければならない。
 今日では80年代ほどには競争圧力は高くない。学校ばなれというような状況の広がりや、フリーターの増加など今日の状況は、80年代から変わってきているわけであるが、それでは、今日の学校は子ども・青年たちの進路決定にどのような影響をあたえているのか。
 今日の高校では、トラッキングの弛緩とメリトクラシーの弛緩が起きている。「専修学校進学者や、受験勉強なしでも入学できる大学・短大の数が増え、メリトクラティックな選抜が弱まった結果、日本の高校が有していたトラッキングの機能も、とくに高校階層の中位以下の学校で、弱体化しつつあるといえるのである。」*16というような状況が起きている。その結果、進路の決まらない高校生が増加し、学校生活と将来との結びつきを認識できない高校生の増大になっている。
 そうした状況のなかで、学校を卒業しても就職しない人たちが増えている。現在は経済状況の悪化にともなって、就職することがたいへんむずかしくなっている。しかし、学校を卒業しても就職しない人たちの増加は、そのような経済的な要因だけではない。やりたいことがあるからといって夢を求めてという積極的なものから、何をやりたいのかわからないのでとりあえずといった消極的なものまで、人によっていろいろな理由があるだろうが、学校を卒業しても就職せずに「フリーター」という生活を選ぶ人たちが増えているのだ。
 就職内定率を見てみると、文部省、労働省の調査で来春に大学を卒業する就職希望者のうち、就職が決まった人の内定率は、63.6%、高校卒業予定者の内定率は41.2%となっている。*17これらはいずれも調査を始めて以来の最低の数字だという。このような低い内定率の背景には経済状況の悪化があげられるだろう。内定率の低下とフリーターの増加には経済的な要因が大きく作用していることは明らかだ。
 大学生では、内定率が最低となる一方で、就職を希望していない学生は28.6%(前年比3.7ポイント増)と最高だった。厳しい採用状況をにらんで就職活動を仕切り直そうと留年したり、進学したりする学生が増えていることも、このような就職を希望しない学生の増加の背景としてあるようだ。
 次にフリーターについて見てみると、フリーターは「学校基本調査」では「無業者」として分類されている。中学、高校、大学を卒業しても進学も就職もしない若者のことを「無業者」として分類しているが、そのなかには就職浪人が含まれている可能性もあるが、そのほとんどがフリーターと推定されている。
 99年の春に、中学、高校、大学、を出てフリーターになった若者は約25万人に達し、これに短大卒の無業者を加えると、30万人近くにのぼる。*18
 フリーターとして働く理由としては、「正社員になることよりも自分のやりたい道を進みたい」「これからやりたいことを実現させるのに都合がよい」といった積極的な考えを持ったものと、「組織に拘束されずに自由気ままな生活をしたい」などの気楽派が目立つという。*19
 そのような状況を「三十五歳成人説」*20ともいわれていて、現在の成人年齢は35歳であるとして、人生について若者が思い悩む年齢が上がってきていて、新人類と呼ばれた昭和三十年代後半生まれの世代から、最近社会に出始めた団塊ジュニア世代の子どもの時代は、学校や家庭、社会全体の管理が強まった時期を重なり、余計なことを考えずに、レールの上を走らされてきた若者たちが、社会に出る年齢になって、あるいは出てから、初めて自分の頭で考え、悩むのだというわけだ。
 また、学校ばなれといわれるような状況がみられるなかで、現代の生徒たちは学校のなかでどのようにふるまい、すごしているのか。学校という存在は子ども・青年たちのとってどのような意味を持っているのか。子ども・青年の成長やアイデンティティ形成の困難さ・しんどさが広がっていくなかで、学校にたいしてどこか冷めてしまっている子ども・青年が現れてきている。
 東京のある女子高校での調査*21においての生徒のようすをみてみると、「『ただ勉強し、ただ卒業していく』存在、『まったりが日常』、『浮遊する若者』などの言説とは、ぴったり一致している」*22というような現代の学校における生徒の状況をみることができる。
 授業中に携帯電話によって会話をする生徒に対しての、それを止めさせようとする教師の努力は通じない。また、「携帯電話だけではなく、コンビニで買ったドリンク類が机の上に置かれて、授業中であるか否かを問わず飲まれたり、授業中にもかかわらずヘッドフォンで音楽を聴いたり、さらには鏡を取り出して脱毛を始めたりするといった、以前からすれば『授業を完全に無視している』ともとれる行動は日常的にみられる。ここでは、学校の中だから、授業中だから、といった論理は退いている。」*23とあるように、ここでは授業が生徒たちにとっては何の意味もないかのようなものとなっている。
 そして、生徒たちはいくつかの私的なグループの分かれているようだが、それらを特徴ごとに「トップ」、「コギャル」、「真面目な」子のグループの3つに分類されている。「トップ」は流行の最先端を行く生徒で、「コギャル」グループは「トップ」をファッションリーダーとしているようだ。
 それらのグループ間には強固な境界線があり、教師、授業、授業規範などをそれぞれのグループごとにそのグループなりの論理に従って解釈している。そして、そのグループの形成に大きく影響をあたえているものは、現在の子ども・青年たちの生活の空間をとりまいている消費文化であるようだ。
 現代の消費社会化した日本社会ではさまざまなモノがあふれ、絶えず新しいモノが商品として供給されている。そのような消費社会のはやり・流行といったものをめぐっての競争に対する態度のちがいが、人間関係の序列化に影響をあたえ、「トップにくらべ消費社会的なものへのコミットで優位な立場に立てない、『コギャル』グループメンバーに顕著であり、『コギャル』グループメンバーは授業において教師への課題を、セクシャリティーにかかわることとして再解釈し、自分を性的に『先取りしている』存在であると見せようとすることや、反抗によってグループの統合をはかっていこうとする。『コギャル』グループメンバーは授業を自分たちなりの文脈に引き寄せつつ、積極的にコミットすることによってコギャル−トップのラインをつくろうとし、そしてその一方で『真面目な』子グループを排除し、下位へ押しやろうとする。授業においてのこうした実践が、学校におけるヒエラルキーをつくるのである。」*24というような状況をつくりだすことになる。
 授業中における彼女たちの行為は、教師からすれば秩序の崩壊をいう現象のようだが、彼女たちのしてみれば、クラス内での優位さをめぐる闘争の一つになっており、それらを通して秩序が再編されるのである。「教師の発言・授業展開は、教師の本来もっていた意味を越えて、彼女たちには解釈される。そしてそこで解釈された意味の共有を通して、グループの統合・境界線と棲み分けがなされていくのである。」*25というように、消費社会というものが、学校のなかでの生徒たちのふるまい方に大きく影響をあたえているのである。
 
4.「自分さがし」の時代
 今の時代は「自分さがし」という言葉がよく聞かれ、子ども・青年たちに限らず大人たちも、「自分とは何者か」「何のために生きているのか」といった感情を心の中に抱えながら生きている。「自分さがし」という言葉は80年代から言われるようになった言葉のようだが、現代の子ども・青年たちの「浮遊化」しているといわれる状況や、閉塞状況のなかで葛藤している現実を考えるとき、現在という時代は「自分さがし」の時代ということができるだろう。
 これまで、今日の子ども・青年の状況として、学校的な権威から離脱してきていて、学校がかつてほどには夢を託せる存在とはなくなっている状況を見てきた。そのなかで、子ども・青年たちは「浮遊化」し、とらえどころのない閉塞感のなかで葛藤しながら生きざるをえなくなっている。このような自分の将来像への閉塞という状況をつくりだしてるものはいったい何なのか。90年代以降の日本社会に特有の状況をつくりだしているもの、それを理解しなければ今の子ども・青年たちの抱える大人になること・自立することの困難さとしんどさを理解することはできない。
 それでは、いったい何が今日の子ども・青年たちの将来像への閉塞状況をつくりだし、成長・アイデンティティ形成を困難にさせ、大人になることをむずかしくしているのか。日本社会は高度に消費社会化したことによって、モノがあふれている。そのような消費社会のもたらした商品文化が提供するサブカルチャーが成長のモデルを喪失させ、また、サブカルチャーにかこまれた生活の方によりリアリティーを感じ、サブカルチャーの世界での自己実現をめざすような生き方をもたらしたということがる。「自分らしさ」を表現する文化的アイテムがあふれるなかで、そのようなサブカルチャーの世界に魅力を感じるようになった子ども・青年たちの心は学校から離れて行き、学校というものを相対化してしまう。そのようななかで、どのように生きていいのかわからなくなっていると考えることはできるし、現実にそうなっている。
 しかし、そうした消費社会化の影響だけなのだろうか。「一九五五年からの高度経済成長は、農村土台を残した戦後初期の日本社会を産業化へと大きく変貌させたが、高校教育の量的大衆化も、この過程で大きくすすんだ。一九六〇年に五八%だった高校進学率は、七〇年に八〇%、七四年には九〇%を超えた。しかし、この量的大衆化の過程は、かならずしも高校教育の質的な大衆化を実現したわけではなかった。」*26とあるように、進学率の上昇ともない教育の大衆化が進んで行き、「大衆教育社会」*27と呼ばれるような社会が実現したが、質的な大衆化が実現されたわけではなかった。
 しかし、その後の大学進学率の上昇や高校における普通科の増加にともない、徐々に教育の質的な大衆化が進行していった。トラッキングの弛緩という状況が起こっているが、それによって、現代の子ども・青年たちは自らどう生きていくのかを選択していかなければならないという必要性が以前にくらべて増している。
 自分の進路を選択していくとき、高卒就職する生徒の「自己選抜」の過程で見てきたように、自分の能力を見定めていかなければならない。それは、ときには劣等感を抱かなければならなかったり、自信を失ったりすることになる。われわれは大人になっていく過程で、そのような自己選抜を常にしながら、進路を選択していかなければならない。成長するということやアイデンティティを確立していくということは、このような困難をともなうが、それを克服して行き、新しい自分をつくっていかなければならない。
 教育が大衆化し、どのように進路を選択していくかが、より個人の課題としてあらわれている。「自分らしさ」を見つけることは簡単なことではなく、むずかしいことであるが、「自分らしさ」を見つけて実現していくために、進路を選択していく困難さをのりこえ、劣等感を克服していくためには、本当に自分のやりたいことを見つけていくことが必要なのではないだろうか。
 消費社会化したことだけではなく、教育の大衆化が進行したことによって、子ども・青年たちの将来像が閉塞感に覆われ、全身ががんじがらめに押さえつけられていて、新しい自分をつくっていくことが困難になっているのではないだろうか。
 今、さまざまな教育の改革が試みられているが、子ども・青年たちのアイデンティティ形成に配慮し、学校はそれを援助していくものにしていかなければならない。そのような視点を欠いた改革によっては、子ども・青年たちの抱える問題は解決できないだろう。
 
 
  カリスマの大安売り〜
     世界一カリスマの多い国ニッポン
松本 一真
 
 
 昨年一番の流行語といえばやはり「カリスマ」という言葉だろう。流行の元祖となった「カリスマ美容師(免許ある無しに関わらず)」や「カリスマ店員」はもとより、「カリスマ主婦」や「カリスマ風俗嬢」さらには「カリスマ妊婦」などもいるということである。このままで行くと「カリスマ家事手伝い」とか「カリスマ幼稚園児」などというものもいずれ出てくるかもしれない。
 「カリスマ」という言葉は本来、ごく一部の限られた人間達だけに畏敬の念を込めて贈られた言葉だったのではないだろうか?それがなぜ、今こうやっていわば「大安売り状態」になってしまたのか?このレポートではなぜこのような状態になったのか、今の若者は「カリスマ」に何を求めているのか、さらには「カリスマ」とは本来どんな物なのかということについて考えていこうと思う。
 
 「カリスマ」という言葉を辞書(三省堂国語事典)で引いてみると「カリスマ=教祖的、魔力的な指導力の持ち主」とある。さて、現在「カリスマ」と呼ばれるような人々達は辞書の言葉のような条件を果たして満たしているのだろうか?
 小学校時代、近所のおもちゃ屋に「ゲームのことなら俺にまかせろ!」というような店員がいて、近所の小学生達の人気者となっていた。今思えば「ああ、あれも一種のカリスマ店員だったのかな」と感じるが、果たしてそんなところで軽々しく「カリスマ」という言葉を使ってもよいのだろうか?
 かつて「カリスマ」と呼ばれた人達は誰もが知っている人気者であった。長嶋茂雄であったり、石原裕次郎であったり、アントニオ猪木などもカリスマ的存在と言われていた。これらの「カリスマ」にはとても一般人にはマネのできない何かや、独特の「危うさ」を持っていた。そして何よりも「何をやっても許される」というのが共通点であった。例えば長嶋などは、現在読売ジャイアンツの監督を何年も続けているが、毎年十億円以上かけて選手を補強しているにも関わらず、優勝からは遠ざかっている。それなのに周りからは何の批判もない、それどころか批判すること自体が「タブー」とされている雰囲気さえある。さらに今年になって背番号が現役時代の「3番」になったことによってますますその人気に拍車がかかっている。長嶋茂雄こそが近代日本の生み出した最大の「カリスマ」であると僕は思っている。
 
 そこで現在の「カリスマ」だが、果たしてここまで人を引き付ける力があるのだろうか?残念ながら答は「No」である。確かに「カリスマ」という言葉は随分浸透し、存在が認められるようになってきた。だからこそ「カリスマ」の「有り難み」というのも薄れてきたのではないだろうか?「カリスマ」とは数が少なければ少ないほど。その価値は高まるものではないだろうか?
 
さて、それではなぜこんなにも「カリスマ」がこの世紀末の日本で数多く出現するようになってきたのか?
 
「カリスマ」とは先にも書いたように一種の「魔力」を持つ人々のことである。それでは今の日本に数多くの「魔力」の持ち主がいるということなのであろうか?
 
「カリスマ」が今の日本で大流行しているということは、裏を返せば現在の「カリスマ」を受け入れている若者、ひいては日本の社会が「何も信用していな」ということなのではないだろうか?長引く不況、凶悪事件の多発。明るいニュースもないことはないが、それ以上に暗い気持ちにさせられるニュースが多い世の中である。そんな中、「何も信用できない世の中だけど、だけど何かを信じて生きたい」という気持ちが現在の「カリスマ」ブームをうみだしているような気がしてならない。近ごろ再発してきたカルト的宗教の存在理由もこのあたりにあるように思える。いわば「カリスマ」は「世紀末に咲いたアダ花」である。
 
 
 
  青年期の自殺
阿部 英樹
 
 
・はじめに…1
1 自殺に関する論及…2
  (1)自殺研究の歴史
  (2)自殺肯定論
  (3)自殺否定論
2 青年期の自殺の傾向…7
  (1)動向
  (2)男女比
  (3)原因
  (4)手段
3 事例検証…10
  (1)生育歴
  (2)自殺への前兆
  (3)本格的な自殺企図と立ち直り
  (4)事例から
4 青年期の自殺の原因・背景…16
  (1)青年期の特有の心理
  (2)精神障害
  (3)病的な思い込み(認知の歪み)
  (4)身体疾患、身体的虚弱
  (5)社会からの精神的圧迫
  (6)忍耐力の欠乏
  (7)生きている実感の希薄さ
  (8)人間関係の希薄化
  (9)大学生の自殺
5 自殺者に対するアプローチ…27
  (1)自殺防止の技法
  (2)情報ツールの有益性と危険性
  (3)弱みを出せる人間になる
  (4)『完全自殺マニュアル』の誘惑に抗する
・ おわりに…35
 
 
・ はじめに
 
 1999年7月の警察庁の発表によると、1998年中における自殺者の総数は32,863人で前年に比べ、34.7%(8,472人)増加し、過去最高を記録した(注1)。日本のどこかで、毎日90人もの人が自ら命を絶っている計算である。長期不況による中高年男性の自殺が特に増加し、新卒の就職や再就職の失敗による自殺も見られる。加えていじめなどによる少年の自殺もしばらく前から後を絶たない。
 また、昨年末には、インターネットで青酸カリを受け取った女性が服毒自殺で息を引き取った後、送った27歳の男性も青酸カリを服毒して自殺するという事件が起こった。そのインターネットのホームページでは、主に、青年期の男女が自殺について、掲示板への書き込みや、メールのやり取りを行っていた。
 私もここ数年、何度も自殺を考え、軽いものから深刻なものまで含めるとかなりの頻度であった。『完全自殺マニュアル』を愛読書とし実際に試みたこともあるが、端的に言えば、それはいかに生きるべきかの模索であったと言えよう。
 死、とくに自殺は残された人たちに深い悲しみを残すものである。そういった人たちがまた生きる希望を失うことに伝染してしまうことも考えられる。当人の立場がいかなるものであろうとも、やはり自殺行為は当人にとっても、周囲の人間にとっても不幸な事象なのである。
 本稿では、青年を18歳ごろ〜20代ととらえ、「未来ある若者」などと言われる青年が、なぜ自ら命を絶つことを選ぶのか、そして、不幸な事態に陥る前に、当人や周囲の人間ができ得ることは何かについて論じたい。
 
1 自殺に関する論及
 
(1)自殺研究の歴史(注2)
 自殺は、程度の差はあれ、あらゆる時代のあらゆる社会に存在した。自殺が科学の対象とされるようになったのは19世紀に入ってからのことであり、最も活発に論じられたのはフランスであった。モルセッリ (1879)は「自殺というのは自然界の生存競争において心身に不完全な点のある人が消滅する自然淘汰の一手段である」とし、また、エスキロール(1838)は偏狂説を提唱し、自殺者はみな「自殺病」という精神病に罹患しているものと考えた。
 19世紀後半は自然科学を中心にあらゆる科学が飛躍的発展を遂げた時代であるが、それにふさわしく、1879年にはデュルケムの『自殺論』が世に出た。彼は自殺の研究に統計的、社会学的方法を始めて導入し、年齢、性、家族構成、社会変動などの超個人的で、社会的、宇宙的な要素から明解に自殺現象を説明した。そして、社会学の立場から自殺を、自己本位的自殺、集団本位的自殺、アノミー的自殺の三つに分類した。
 自己本位的自殺は、愛自自殺ともいわれ「個人の個性が集合体の個性以上」になって起こる自殺であり、「社会的自我に逆らい、それを犠牲にして個人的自我が過度に主張されるような常軌を逸した個人化から生じる自殺」である。
 集団本位的自殺というのは、愛他自殺ともいわれ、「個人が集団の中にほとんど完全に埋没していて、集団が極めて強固に統合されている」場合に起こる自殺であって「自我が自由でなく、それ以外のものと合一している状態、その行為の機軸が自我の外部、すなわち所属している集団におかれている状態」における、つまり「強い集団本位主義の結果生じる自殺」である。
 もう一つのアノミー的自殺というのは、アノミー(無規制、無法律)状態における自殺であり、「人々の活動が無規制的になり、それによって彼らが苦悩を負わされているところから生じる」ものである。
 デュルケムの分類は今日ではほとんど実用には使われないが、のちに与えた影響の点で歴史的意義は絶大であり、彼の多大な業績は今日なお神話的とさえいえる位置を占めている。また、このころから自殺は身体的および精神的な疾患の結果であるとの見解も出された。
 20世紀に入ると、自殺の研究は続出し始め、その中心はフランスからドイツへと移行していき、精神医学的研究が中心となった。自殺が生を欲し死を恐怖するという人間の本性に逆行する行動であることから、正常者による行為とは考えられず、精神障害者の異常な行為だとする見解が強く、また科学的にもある程度これが実証されたのである。
 わが国においては呉秀三の自殺の研究(1900)が最初であり、当時の他国の研究に比べても本格的なものとして貴重な位置を占めている。彼の自殺研究は最も広範であり、ことに精神医学的接近のなされた者として注目される。彼は「精神障害者は二つの不幸を背負っている。一つは自分が精神障害になったことであり、あと一つは我が国に生まれた不幸である」と、精神障害者ひいては自殺者に対する日本社会のあり方を憂いている
 第二次大戦後になると自殺研究が著しく盛んになり、自殺防止が諸国の重要な課題となり、自殺防止に関する研究と実践が欧米できわめて盛んとなり、わが国でも後述するような自殺防止論が盛んに論じられた。
(2)自殺肯定論
 自殺はひきとめる必要があるのか、ひきとめるのは正しいのか、またとめ得るのだろうか。その答えとして見られる自殺肯定論を稲村は次の二つに大別する(注3)。
 一つ目は、人間の死ぬ権利や意志を尊重する論である。人は生きる権利と同様に、死ぬ権利も持っており、自殺は人に与えられた最後で最大の権利であるとする考え方に加え、本人は死にたがっているのだし、それなりに理由があるのだから、意思を尊重して死なせてあげるのが思いやりであるとする考え方である。これは延命中心の医療の中で高まっている安楽死や尊厳死を認める意見に近い。
 二つ目は、自殺を人口の調節と考える論である。これは自殺や戦争が爆発的増加をたどる地球人口の調節を果たしているとか、限りある資源の中で人類を滅亡から免れさせているという見方である。
 しかし、何といっても自殺幇助が罪に問われるように自殺は社会的に「悪」とみなされる行為である。そのため、わが国においては自殺の方法をあからさまに示した自殺推奨書は皆無であった(注4)。
 そのタブーを破り、1993年に登場したのが鶴見済氏の『完全自殺マニュアル』である。『完全自殺マニュアル』は「自殺志望者のバイブル」となっており、インターネットに『完全自殺マニュアル研究所』というホームページが存在する(注5)。氏の著書としては他に『ぼくたちの「完全自殺マニュアル」』、『無気力製造工場』、『人格改造マニュアル』、『檻の中のダンス』(いずれも太田出版)があるが、どの著書にも自殺に関する記述が見られる。
 『完全自殺マニュアル』は著者自ら「自殺を実践に移すためのテキスト」と称しているように、自殺の方法が詳細に書かれたものである。まず、「もう死んじゃってもいい」「生きてたって、どうせなにも変わらない」「自殺はとてもポジティブな行為だ」など、筆者の自殺肯定論が述べられている(注6)。
 次に、自殺の手段を「クスリ、首吊り、飛び降り、手首・軽動脈切り、飛び込み、ガス中毒、感電、入水、焼身、凍死、その他の手段」に分類し、それぞれの手段について「苦痛、手間、見苦しさ、迷惑、インパクト、致死度」が五段階に評価され、コメントが付けられている。また、それぞれ詳細に方法が示され、ケーススタディを加え、メリット・デメリットが検討、解説されている。加えて、自殺マップとして「樹海、高島平団地、三原山、自殺村・熊取町」が地図入りで解説され、巻末に自殺に関するデータが紹介されている。
 同書は、発刊後、テレビ、雑誌などのマスメディアで主に批判的に数多く取り上げられた。君津BBS会という婦人団体が、同書に対して 「自殺教唆を促し生きる事への励みになるどころか」、「悩めるもの傷つき消沈している人々の心情の心の弱さにふと死への逃避の不安定な心の思いをかきたてるものでしか」なく、「許されるべき行為ではない」として「発刊中止申立書」を出版社に提出している。(注7)
 
(3)自殺否定論
 先の自殺肯定論に対し、自殺否定論は広く自殺問題にとり組む学者や実践家によって論じられている。
 リンゲルは自殺防止の理論家、実践家であるが、防止の必要を強調している。その理由は自殺が一般に考えられているように冷静な思考の帰結ではなく、医学的な病的状態によって引き起こされるものであり、従って、医学的・心理学的な治療が可能であり、また治療こそ不可欠だとする。
 また、シュナイドマンは防止の理由として次の4点を挙げている。@自殺をする人の多くは、一時的な危機状態にあり、救われれば生きることを望む。A自殺者はすべて両価的であり、死ぬべきか生きるべきかをしきりに迷っている。B残された人、ことに遺児に与える自殺の衝撃は計り知れず、仮に死ぬ人に死ぬ権利があるとしても、それ以上に生きている人に汚点のない生を持つ権利がある。C自殺防止は民主的で人間的な思考の産物であり、人たるの質を向上させる。(注8)
 わが国における自殺研究・予防の分野では稲村博が第一人者である。医学博士である稲村は、一橋大学教授、社会福祉法人「いのちの電話」理事、社団法人「青少年健康センター」副会長、日本自殺予防学会理事を務めている。稲村の自殺に関する書は、『自殺防止ー再生への歩み』(創元社)、『子どもの自殺』(東京大学出版会)、『自殺学ーその治療と予防のために』(同)、『若年化する自殺』(誠信書房)、『自殺のサインをみのがすな』(農山漁村文化協会)、『自殺の原点ー比較文化的考察』(新曜社)、『中高年の自殺』(同朋社)など、いずれも自殺予防の観点から著述されている。
 彼は次の様に述べている。自殺は熟慮の果てのものではなく、病的で混乱した、衝動にかられた、いわば「救いを求める叫び」として企図されることが多い。つまり、自殺は自己の病的な状態や自己をとりまく病的な環境の中で生きようと希求するもののぎりぎりの反応であり、本人にとっていわば不本意で不可解な強制である。いつの場合でも、生きることこそが人の究極の願望に他ならないのである(注9)。
 
注:自殺に関する統計は、厚生省と警察庁が行っている。とくに警察庁は毎年前年度の自殺に関する詳細な報告を発表している。両者の数値には時として千名以上の大きな差が出ることがあり、厚生省の統計結果の方が件数が少なめになる傾向がある。これは、警察庁の統計結果が、警察庁の調査により「自殺」と判断されたものであるのに対し、厚生省の統計結果では医師が死亡診断書に「自殺」と書いたものを元にしていることから生まれる差異である。
(注1)警察庁生活安全局地域課『平成10年中における自殺の概要資料』、1999年
(注2)稲村博『自殺学』、東京大学出版会、1977年、11〜15頁。
(注3)稲村博『自殺のサインをみのがすな』、農山漁村文化協会、1983年、16頁。
(注4)鶴見済『完全自殺マニュアル』、太田出版、1993年、2頁。(注5)矢幡洋『Dr.キリコの贈り物』、河出書房新社、1999年、44頁。
(注6)鶴見、前掲書、2頁、7頁。
(注7)鶴見済『ぼくたちの完全自殺マニュアル』太田出版、1994年、43頁。
(注8、9)稲村、『自殺学』、297頁、298頁。       
 
2 青年期の自殺の傾向
 
(1)動向
 歴史的に見ると、1950〜60年代をピークに青年期の自殺は漸減していたが、1992年を境に漸増し、1998年中における自殺者は各年齢層で増加した。そして、平成10年では、20歳代、30歳代とも約1000人急増している。(注1)
 死因別に見ると、25〜29、30〜34歳の層で自殺が死因の1位となっている。(注2)
 
(2)男女比(注3)
<15〜19歳>
・男424人(約68%)、女199人(約32%)、計623人
<20〜24歳>
・男1106人(約71%)、女451人(約29%)、計1557人<25〜29歳>
男1312人(約69%)、女603人(約31%)、計1915人
 以上のように、青年期の自殺者は圧倒的に男が多くなっている。自殺者に男が多い事象はどの年代においても共通しており、また世界的に見ても共通する事象である。(注4)
 
(3)原因<上位3位、その他・不詳を除く>(注5)
<15〜19歳>
・男…学校問題93人(約22%)、精神障害63人(約15%)、
病苦39人(約9%)
・女…学校問題41人(約21%)、精神障害38人(約19%)、
男女問題29人(約15%)
<20〜24歳>
・男…精神障害241人(約22%)、病苦132人(約12%)、
勤務問題123人(約11%)
・女…精神障害171人(約38%)、病苦69人(約15%)、
男女問題57人(約13%)
<25〜29歳>
・男…精神障害337人(約26%)、経済問題209人(約16%)、勤務問題191人(約15%)
・女…精神障害233人(約39%)、病苦103人(約17%)、
男女問題93人(約15%)
 青年期は他の年代に比べ、「精神障害」が自殺の主な原因であることが特徴である。また、「学校問題」が男女とも15〜19歳の自殺の原因の第1位であることはこの年代において学校が苦悩の原因になっていることを如実に物語っている。
 また、男女差の特徴として、男性が20代から「勤務問題」、「経済問題」が主な原因になっているのに対し、女性は15歳〜20代まで 「男女問題」が主な原因になっていることが挙げられる。
 ただし、動機に関しては複数の動機が重複することは十分に考えられ、この分類は非常に便宜的であると言えよう。
 
(4)手段<上位3位>(注6)
<15〜19歳>
・男…縊首156人(約56%)、飛び降り114人(約40%)、
飛び込み23人(約8%)
・女…縊首51人(約46%)、飛び降り44人(約40%)、
飛び込み13人(約12%)
<20〜24歳>
・男…縊首391人(約53%)、飛び降り268人(約37%)、
ガス42人(約6%)
・女…飛び降り221人(約62%)、縊首134人(約37%)、
飛び込み25人(約7%)
<25〜29歳>
・男…縊首458人(約49%)、飛び降り308人(約33%)、
ガス77人(約8%)
・女…飛び降り195人(約49%)、縊首153人(約39%)、
飛び込み29人(約7%)
 「縊首」はどの年代においても多いが、他の年代に比べ、青年期では「飛び降り」による割合が多い。
 男女の差が現れているのが20代で、女性で「飛び降り」が1位になり、男性の3位にガスが現れる。芸能人の自殺を思い返してみても、女性は「飛び降り」を選ぶことが多いようである。
 
(注1)警察庁生活安全局地域課『平成10年中における自殺の概要資料』、1999年
(注2)厚生省大臣官房統計情報部『平成10年人口動態統計月報年計(概数)の概況』、1999年、42頁。
(注3)警察庁、前掲
(注4)厚生省大臣官房統計情報部『自殺死亡統計』、1999年、27頁。
(注5)警察庁、前掲
(注6)厚生省、『自殺死亡統計』、1999年、44〜49頁。  
 
3 事例検証(A男、現在22歳)
 
(1)生育歴
・幼年時代
 A男はある地方都市で生育した。父はサラリーマン、母は専業主婦であった。本人も父も長男であり、生まれたときから「〜家の家督」として、親戚から多大な期待を受けていた。父方の祖父は父が小学生のときに若くして亡くなり、田舎町で祖母が女手一つで父と姉弟3人を育てた。祖父はかなり評判の良い小学校教師で、父姉弟はたびたび「あの〜先生のお子さん」と言われていたそうである。そのような状況で、幼い頃たまたま物覚えがよかった私は、「A男はじいちゃんの生まれ変わりだから、先生になるんだよね」などと言われていた。そして、4歳の時に1人目、8歳の時に2人目の弟が生まれた。
・小学校時代
 友達と遊ぶことが苦手であったため、家庭学習教材をきちんとこなし、珠算教室とスイミングスクールに通い、学校の成績も良かった。勉強が苦ではなく、テストでいい点数を取れば、親にもほめられ、優越感もあった。技能教科を苦手としていたA男は、それを補うために、主要4教科でいい成績を取った。そして、親や教師のいうことをよくきく「いい子」であったが、影では弟や幼い子をいじめたりしていた。周囲の期待がプレッシャーになっていたり、家族関係が良くなく、親の顔色をうかがってばかりいたので、そのようなことでストレスを発散していたのである。そして、先のような周囲の期待から、小学校中学年ごろから、自分は教師になるのだと思い始めた。
・中学校時代
 中学生になると、部活と勉強と生徒会活動をバランスよくこなし、教師からも親からも地域の人々からも称讃され、誇らしく思っていた。だが、その反面、自分の柔弱さや、ねたみなどからいじめられもした。それらが、ストレスになり、力の強い人やクラスの多数を巧みに扇動し、自分は手を下さずに、気に入らない人をいじめるなど、表と裏の二面性を持ち合わせていた。しかし、そのことがばれて、またいじめられもした。
 動機はあいまいであったが、小学校教師になるという思いを持ち続け、受験勉強に励んだ。試験が近くなって、成績ががた落ちしたことがあり、初めて自殺が頭に浮かんだ。結果は、滑り止めの私立にすべて合格し、地元で1、2を争う公立の男子校に合格した。
・高校時代
 高校では、部活と恋愛に完全にのめり込んだので、勉強がどんどんおろそかになり、学校の授業について行くのが苦しくなってきた。3年次に部活を引退し、受験勉強を始めた。A男は経済的事情から国立しか受験できなかったが、「小学校教師になるなら地元の国立大学に限る」と聞いていたので、その大学を志望していた。途中、かねてからの上京願望も重なり、地元の大学から東京の教員養成大学に志望を変えた。そのことを両親に言うとそろって大反対された。「そんなにこの街がイヤか!この家がイヤか!」などと言われ、泣かれたり、口を利いてもらえなかったりしたが、A男は一歩も引かなかった。結局、「仕送り無しなら可、ただし、滑り止めは確実なところを受ける」ということになった。滑り止めは合格確実と判定された、地方の国立大学を併願した。センター試験と2次試験で東京の大学は五分五分だったが、不合格であった。
 そして、A男はわざと落ちるつもりでいた地方の国立大学の教育学部・小学校教員養成過程に合格してし、入学した。不本意入学だったが、浪人は許されなかった。しかも仕送りが無かったため、奨学金で大学生活を始めた。
 
(2)自殺への前兆
 大学では、寮に入り、そこでの人間関係に悩み、学期中、逃げるように東京に旅行したこともあった。一旦退寮し部屋を借りたがすぐに戻るということもあった。また、居酒屋のアルバイトでは、店長に動きや頭の回転が鈍いなどと罵られ、アルバイトどうしの人間関係にも苦しんだ。他にも、恋愛問題や不本意入学などで悩み、自分は人とうまくつき合えないのではないか、生きていてもしょうがないのではないか、と自殺が頭に浮かぶようになった。しかし、そのときは「一生懸命頑張ればいいことがあるはずだ」と信じ、「自分の悪いところを変えてがんばろう」と思い直した。その後「どこかに自分の居場所はないか」ともがき、大学2年の時、子どもたちと触れ合うサークルに入った。そこでは暖かく迎えられ、積極的に参加し、リーダーシップを取るようになった。そして、経済的理由と好成績から2年の前期から3年の後期までの2年間、授業料免除を受けた。
そして、3年生では教育実習も何とか成功し、卒業条件である小学校教員免許の単位だけでなく、中学高校・国語の教員免許取得に必要な単位もほとんど取っていた。だが、必修科目の「小学専門体育」では、努力したものの、どうしても課題を達成できず、単位をもらえなかった。体育科の教員たちは「やればできる。できないのは努力が足りないからだ」という信念の元、単位取得には、鉄棒・マット・跳び箱・サッカー・水泳・バスケットボール・ダンスの課題をすべて達成することが条件とした。4年になり、もう一度「小学専門体育」を履修したが、やはり、単位をもらえなかった。他のいくつかの大学では、「まじめに出席をしていれば単位がもらえる」などと聞き、「どうしてこんな大学に入ったのか」と後悔が募るばかりであった。
 その年は、家族や親戚関係の悩みも重なり、夏になる頃には、なにもかもがどうでもよいという状態で、学校には全く行かず、教員採用試験も受けなかった。親には、「大学院の試験を受けるから」という嘘をついていた。A男はうつ病ではないかと思い、大学の保険センターを通じて1度病院の精神科に行った。短時間の診断の後、抗うつ剤や睡眠薬を投与され、服用したが、全く効果が表れなかった。そこで、劇的に回復をみせる1という抗うつ剤、「プロザック」(日本では否認可)を個人輸入という形で購入して服用したが、これも劇的な回復を見せるどころかただ眠くなるだけであった。そのため「自分は薬を飲んでもだめなのだ」と余計に落胆することになった。
 
(3)本格的な自殺企図と立ち直り
 そうしているうちに、死にたくはないが、自分は生きている価値のない人間であるから生きていてもしょうがない、どうがんばってもこの状況は変えられないなどと思い込むようになり、周囲の友人などに相談せず、本気で自殺を考える。そして、以前話題になった、「完全自殺マニュアル」をなんとか手に入れ、熟読した。親が衝撃を受けないように、自殺に見えない死に方はないかと考えあぐね、そのことを考えるのが唯一の楽しみになった。
 急性アル中も考えたが、どう考えても不自然だということで断念した。結局、「拒食症による餓死」を思い立つ。そのときは、ウーロン茶だけを飲んで生活し、10日ほどでかなりの栄養失調状態になった。陰りのある歌手や歌詞のCDを繰り返し聴き、太宰治の『人間失格』をよみふけり、自分も「人間失格」だ、と死に対する意識を高揚させた。
 しかし、空腹で空腹で非常に苦しい状態になり、明らかに自殺とわかる死に方でいいから、もっと楽に死ねる方法はないかと考え始めた。そして、縊死することに決め、試しに首を吊ってみたりもした。もしかしたら思いとどまれるかもしれないと思い、実家に帰ったが、泣きながら幼い頃のアルバムや、居間の家族の写真などを見ているうちに、「これで死ねる!」という確信を持って戻った。
 サークルの子どもキャンプが終わった後の日を決行日とし、最後の思い出に東京に行こうと思い立った。憧れの東京に着いたA男は偶然知り合った東京に住む年上の人にいろいろと話を聞いてもらった。「東京に住んでるなんて本当にうらやましいですね。」と言うと、「そんなに好きなら東京に来ちゃえば。死ぬよりましでしょ。」と返された。その一言で、「そうだ。自分には東京があった!」と目が覚めた思いがした。そして、大学を放り出し、幼い頃から憧れていた東京に行って働くことを決意し、自分の住む街に戻ったのである。その後、東京に行く準備を整え、上京し、現在は元気に働いている。ただ、何か辛いことや苦しい事があるたびに、ふと、「あの時死んじゃえば良かったかな」と思うことはあるようだ。
 
(4)事例から
・周囲の期待
 A男は幼少時から親や親戚、教師など周囲の多大な期待を受けていた。特に祖父が教師であったため親や親戚は教師になることを示唆した。そして、A男はその期待に応えようと懸命に努力し、「いい子」になるように努めた。しかし、影で幼い子をいじめていたことからもわかるようにそれは大きなストレスとなっていたのである。その期待に応えられないと思った高校受験の時、大学4年の時にA男は自殺を考えた。
 大学4年時の自殺企図に及んでも、親が衝撃を受けないように自殺に見えない死に方を考えたり、サークルに迷惑がかからないようにキャンプの後に決行を考えたりといった周囲への配慮が見られる。
 
・孤独感
 A男には、親しい友人がいたものの、止められることがわかり切っていたため、自殺念慮を相談することはなかった。しかし、自殺まで思い込む前にも悩みを誰にも相談することはできなかった。それは、悩みを話すことを恥と思っており、また自分が悩みを聞いてもらうことなどおこがましいとも思っていたからである。A男はそれまでの学校時代にも、友人に悩みを相談するという事はなく、ほとんど一人で抱え込み何とか自力で乗り越えてきた。しかし、その自力にも限界があり、自殺を決意するに至る。A男がもう少し周囲の人間に心を開いていればこれ程までに落ち込むことはなかったかもしれない。
 
・精神科と向精神薬
 A男は最後とも言える望みを託して、大学の保険センターを通じ、病院の精神科に行っている。そして、短時間の診断の後、投与された抗うつ剤を服用したが、全く効果が表れなかった。加えて個人輸入した抗うつ剤も効果を見せていない。そのことがA男にさらに不毛さを実感させることとなった。
 自殺やうつ病(うつ状態)に関する種々の書には抗うつ剤などの向精神薬による効果を強調するものがある。しかし、A男のように全く回復を見せないと、余計に落胆させる結果を招き得る。さらに、向精神薬の大量の服用が死をもたらすこともあり、薬をためこんで自殺を図るという皮肉な結果を生むこともある。以上の点から向精神薬の投与も必ずしも有益であるとは言いがたいのではないか。
 
・過度の思い込み
 周囲の期待の中、A男は教師になることだけが自分の生きる道であり、他の道を選ぶことなど自分にはできないと思い込んでいた。また、A男は少年時から上京願望を強く持っていたが、東京の大学が不合格だったことにより、地元で教師になる自分には完全に縁のないことであるという思い込みも持っていた。A男が自殺念慮から立ち直るきっかけは「死ぬくらいなら東京に来れば」といった一言であったことからも、A男は「自分は東京で暮らすことなどできない」と過度に思い込んでいたことがわかる。
 加えて、A男は何事も完全にやらないと気が済まないという完璧主義の傾向があった。そのため大学4年時までほとんど単位を取っていたにもかかわらずただ一つの単位がとれなかったために、非常に悩んだのである。また、「完全自殺マニュアル」を熟読し、筆者の論に逐一共感を覚えたり、自殺を決意してからも陰りのあるCDを繰り返し聴いたり、太宰治に傾倒したりするなど、自ら生きていてもしょうがないという思い込みを深め、自殺を本気で決意するようになった。この状態は、後述する「認知のゆがみ」状態であったと言ってよい。
 
4 青年期の自殺の原因・背景
 次に、青年期の自殺の原因・背景について、事例や関連書物を基に考えたい。
(1)青年期の特有の心理
 青年期は、人生のうちで煩悶や苦悩が多く、自殺問題の生じやすい時期の一つであると言える。青年期は劣等感と自尊心、絶望と希望、依存と攻撃などの心理が両価的に激しく葛藤することを特徴とするが、これに対応して、自殺も一般に著しくアンビバレント(両価的)であり、 「求める自殺」といわれる特徴をおびる。また、虚無と懐疑も青年期の特徴の一つであり、自殺への入り口をなす。
 一方では、絶望感、罪責感、劣等感、攻撃性などをもちながら、他方では最後まで生を希求し、ロマンチックで感傷的な感情や自己愛に満ち、依存のうちに自己顕示とアピールを行ってやまない。自殺に臨んで最後まで示されるこの葛藤が、自殺のほのめかしや、長い遺書を残し、迷いを最後まで持続させて未遂例を多くすることにもなる。また被暗示性が強まっているため、自殺の流行を青年期にもたらすことにもなる。
 また、身体的にも更年期と並んで内分泌機能などの均衡が乱れやすい時期でもあり、青年の自殺への傾倒は広く諸国に共通するところで、ドイツのジークムントは「すべての若者に共通な自殺への傾斜」と論じている。(注1)
 
(2)精神障害
 精神障害は男女共に20代の青年における自殺の動機として第1位を占める。精神障害の人の方が精神障害でない人に比べ、自殺率がかなり高いことは種々の研究で指摘されている。精神障害は範疇が広いので、ここでは分類して述べたい。
 
・うつ(うつ病、うつ状態、うつ傾向)
 精神障害のうち、「うつ」は自殺と最も関係が深いものとされる。 「うつ」は青年期に限らず、中年期、初老期にかけて多い精神障害である。男女差はあまりなく、きっかけはさまざまである。「うつ」は大きく、原因がわからず本人に素質があるとされる内因性と何らかのショックや心理的な悩みに直面することで始まる心因性に区別される。内因性も心因性も症状としてはほとんど同じであり、症状からの区別はほとんどできない(注2)。また「うつ病」ほど程度がひどくない「うつ状態」、「うつ傾向」を含め、ここでは「うつ」と呼ぶ。
 「うつ」は、何かのはずみでその状態に落ち込むと、一点の不安はどんどん膨らみ胸を一杯にする。何をやる気も起きなくなり、何に対しても興味が無くなる。さらに、些細なことでも「もう何もかもおしまいだ」などという思いを持つ(注3)。A男にもその傾向が多分に見られた。 その際、問題となるのは、本人も周囲も「うつ」をなかなか認識できず、意思の脆弱さなどととらえてしまうことである。そのため、懸命に意志力を働かせて、克服しようと努力する。A男の事例でもムリに自分を鼓舞することがあった。ところが、「うつ」はこうした努力によっては決して治らないばかりでなく、かえって病気を悪化させることになる。そして、結局絶望を強めて自殺を促進する結果になるので、正しい精神医学的治療が必要なのである(注4)。
 
・精神分裂病
 精神分裂病は思春期ないしは青年期から始まり、その後治療をしないでいると、だらだら悪化していくものである。かなり深刻な病気であるが、治療方法の発達により長期治療でほとんど治っていく。分裂病の場合は、うつ病のように悲観的になって自殺の危険性が強まることは必ずしも多くないが、自殺に結びつく例もある。
 精神分裂病では幻覚や妄想が特徴であるが、「おまえ死んでしまえ」とか「死ななくては大変なことが起きるぞ」といった幻聴が聞こえることがある。しょっちゅうそういう声が聞こえてくると妄想も強くなり、正しい判断ができなくなってフラフラと死んでしまうことがある。また、分裂病の症状の一つとして、衝動性が高まることがあり、内部の力に追い立てられて急に自殺をすることがありうる。(注5)
 
・神経症(ノイローゼ)
 神経症は対人恐怖症、不潔恐怖症、先鋭恐怖症などいろいろなタイプがあるが、共通している点は、非常に不安感が強いこと、情緒不安定で苦痛を伴うことである。気にするまい意識するまいと思えば思うほど強迫観念が頭をいっぱいにしてしまう。治療しないでいると、何年でも何十年でもその状態が続くので、非常に苦しく堪えがたいものであるため死に傾くのである。(注6)
 
・依存症
 依存症にもアルコール依存症、麻薬依存症、ギャンブル依存症など様々な種類が挙げられる。各種の依存症に特徴的なのは、自分の意志で欲求をコントロールする力を失い、少しでやめようと思っても止まらずにとことんまでいってしまうことである。そして主に金銭的問題を引き起こし、周囲の人間を不幸にしてしまってもどうしてもやめられないのである。つまり自分の意志の弱さのために、自分の心身のみならず、家族など周囲の人間も不幸にしてしまうので、それに対する後悔や、自責感、絶望感が非常に強くなる。しかも周囲の人間からも疎まれ、自己嫌悪を覚え、寂漠感が迫った時に衝動的に自殺をしてしまう(注7)。
 
・境界例パーソナリティ
 これは70年代、80年代にアメリカや日本の精神医学・心理学で大きなテーマとなった障害であり、これまで述べた精神障害に比べ現代的であると言える。
 境界例パーソナリティは、精神分析的な発達理論がバックボーンであり、何らかの要因で発達の初期のプロセスがスムーズに行かなかったため、性格の病理と言う形で症状が現れるものとされている。境界例パーソナリティ者にとっては、精神的に健康とされる人にとって自明である価値をいちいちその根拠を問わなければならないものとなる。そして、その行き着く先は、空虚感であり、それは感覚的な堪え難い苦痛として体験され、たいへん苦しいものであって、ほとんど空腹感のように、それを満たすものが懸命に求められる。
 この空虚感を背景として、すべてのものは、不確実で偽りのものとして、揺らいでいるように現れる。信じるべき価値などどこにも存在しないし、自分が生きる確固たる意味も存在しない。堪えがたいほどの無意味さが支配している。その中で、自分が何者であるのか、自分はどういう性格であるのか、自分は何をやりたいのか、自分は将来どのような道を目指すべきなのか、そのようなアイデンティティーにかかわる問題が、とりわけ不確かなものとなる。
 このように確実な価値感情が得られない苦しみが、しばしば「うつ」を引き起こし、人に自殺を決意させるほどの苦しみとなる。(注8)
 
(3)病的な思い込み(認知の歪み)
 広義の精神障害と呼べるかもしれないが、青年に限らず、自殺者にかなり共通しているのではないかと思われるのが、病的な「思い込み」である。自殺者はほとんどが自分の好まざる性格や容貌について「自分はここが嫌いだが、これは一生治らない」などと自己を必要以上に過小評価し、嫌悪、卑下、否定しており、その結果、最終的には死をもって処罰するという道を選ぶ。その必要以上の自己否定は主に「認知の歪み」が元になっていることが多い。A男の事例でも過度の思い込みが見られた。次に、鶴見が挙げる「認知の歪み」の10パターンを挙げたい(注9)。
・1、「全か無か」思考…A男が教師になれなかったことで短絡的に自殺を考えたように、物事を「前か無か」「白か黒か」といった二分法で考えて、その中間など考慮に入れようとしない考え方。認知のゆがみの基本とも言える。少しでも失敗しているところがあれば、すべてが失敗だったかのように「すべて台無し」とか「何もかもおしまい」などという極端な判断を下しがちである。
・2、一般化のしすぎ…1つか2つの事実を見て、「すべてこうだ」と思い込む傾向。1度か2度起こったことが、「この先もずっとこうだ」と永遠に起こり続けるように錯覚する。A男は人間関係での悩んでいたが、やはり「自分は誰ともうまくやっていけない」、「この先も一生嫌われ続けるのだ」とまで考えるようになり、生きているのが嫌になってしまったと考えられる。
・3、選択的抽出…うつ状態にあると、自分が関心を向けていること、特に悪いことばかりが目に入ってしまい、他のものは何も見えなくなってしまいがちである。過去を振り返っても、失敗したことばかりを選んで思い出してしまい、身の回りで起きていることも、トラブルばかりが目に入り、困難なことばかりに思える。
・4、マイナス思考…うつ状態ではよいことが見えなくなるばかりでなく、何でもないことや、あるいはいいことまで、悪い方に悪い方にと考える傾向も生じる。褒められても「お世辞を言われている」としか思えず、たまにうまくいっても「まぐれだ」とか「こんなことは誰にでもできる」としか思えない。昇進できた時などでも「これは過大評価だ」と思い込み、「自分には務まらない。昇進しない方が良かった」と逆に絶望してしまう。
・5、レッテル貼り…「一般化のしすぎ」や「選択的抽出」がより極端になったケース。ちょっとした失敗体験をもとに、それが自分の本質であるかのように自らレッテルを貼ること。A男のように「自分はダメなヤツだ」というのがよく見られるパターンである。しかも極端に歪んだ認知でも、うつに陥っている本人には、正しい判断であると思えるのである。
・6、独断的推論…わずかな根拠から、相手の心を勝手に推測し、事実とは違う、あるいは全く事実無根の結論を下してしまうこと。自分の後ろで誰かがひそひそと話をしていると「自分の陰口を言っているに違いない」と一方的に傷付き、結局すべてが嫌になり、客観的な判断が下せなくなる。また、この背景には「他者評価絶対主義」がある場合が多い。つまり「他人の評価こそが自分の価値のすべてを決める」という極端に歪んだ考え方である。いつでも動揺し、「人からどう思われているか」ばかりを執拗に気にし続ける。
・7、拡大解釈と過少評価…自分の持つ様々な素質の中でも、悪いところやだめなところばかりをことさら大きく、重大なことのように考え、逆によいところは小さく見積もってしまう。「自分は悪いところだらけだ」と認知を歪ませ、自己否定的になり、自分には何の価値もないように感じる。また他人に関してはいい点は大きく、悪い点は小さく見る。同じことをしても、他人のしたことなら「大したものだ」と重い、いつも劣等感を抱いてしまう。
・8、感情的決め付け…「自分がこう感じているのだから、現実もそうであるに違いない」と誤って思い込むこと。うつ状態にあると、冷静に考えれば、あるいは振り返ってみれば大した事態ではなくても、「こんなに大変な思いをしているのだから、実際に大変な場面に直面しているのだ」と思い込み、打ちひしがれてしまう。本当は自分の感情が現状から大きくズレて暴走してしまっているだけなのだが、そこには思い至らない。
・9、「すべき/せねばならない」思考…A男は幼少時から「常にいい子でなければならない」との思いを抱いていた。そのように、何をするにおいても、「こうすべきだ」「常にこうあらねばならない」などと厳しい基準を作り上げてしまう思考パターン。結局はかえって自分を追い詰め、窮地に立ってしまう。まじめな努力家にこうしたタイプが多い。厳しい条件を自らに課していては、たいていのことは失敗に思えてしまい、何をやっても満足感を得られず、自己嫌悪に陥る。結局はその連続に嫌気が差して、どんな努力も無駄に感じ、やる気を失って無気力になったり、あるいは失敗を犯さないように慎重になり過ぎてなかなか物事を先に進められなくなってしまう。
・10、自己関連づけ…身の回りで起きるよくない出来事をすべて自分の責任だと思ってしまうこと。「自分は人に迷惑ばかり書けている。何にも関わらない方がいい」と、人間関係の場から退却し、部屋に閉じこもってしまったりする。この考えの行き着く先は「自分などこの世にいないほうがいい」という自殺願望である。
 これらの認知の歪みのもとには、完全主義がある場合が多い。認知の歪みの特徴の一つは問題を「取り返しのつかないこと」と考えがちなことである。世の中で起きるたいていのことは取り返しがつくものだが、ほんの些細な失敗でも、すぐに「一巻の終わり」「絶体絶命」という気分になってしまうのである。「認知の歪み」のような病的な「思い込み」が進行が人を自殺にいざなう要因となると考えられる。
 
(4)身体疾患、身体的虚弱
 自殺に関する統計において「病苦」は、「精神障害」に次いで動機の上位に位置している。
 例えば、何らかの疾患にかかり、病院をたらい回しにされ、検査責めにされているうちに、自分が大変な病気にかかって死ぬかもしれないと不安や恐れが生じ、情緒不安定、うつ病などの精神障害を引き起こすことが考えられる。これは検査責めや連携の乏しさなど医療機関における問題点も指摘できる。このように、身体的虚弱は身体疾患を含め、生きるための身体的基盤を揺るがせ、「自分は生きていてもしょうがない人間だ」などと生きる希望を喪失させる場合が多い(注10)。
 
(5)社会からの精神的圧迫
 統計の傾向を見ると、全年代に言えるが青年の自殺も景気の上下に従って増減し、今年が過去最多になっている。やはり社会の動向が青年の自殺にも影響を及ぼしているといってよい。また、原因別に見ても20代の男性で勤務問題、経済問題が自殺の原因の上位に位置している。
 今日の日本の社会は、長引く長期不況から史上最悪の失業率、就職内定率を更新し続けている。また、リストラや年功序列の崩壊など企業社会に対する信頼がくずれ、これまでの価値観が混沌としている状況であると言える。
 そのような状況の中、青年は将来のモデルを持つことができず、先行きの見えない閉塞感が強まっているのではないだろうか。加えて、青年期は個人的にも子供から大人に代わる大切な時期であるが、社会的にも極めて重要な時期に当たる。本人の将来の進路など人生を決する重大事が集中している上、それを上手に乗り越えないと一生涯を誤るといったおそれがある。A男は中学3年生、大学1年生、4年生の時に自殺を企図したが、やはり進路が直接の原因であった。
 状況は変わりつつあるが、日本の社会はやり直しのききにくい社会であり、学歴や年齢により職業選択の幅も大きく変わる。そのため将来が不安に満ち、自暴自棄に陥ることが考えられる。
 これらの社会の不安定な状況が大学生の不登校など青年のアパシー、精神障害や病的心理ひいては自殺を招く一因となっているのではないだろうか。
 
(6)忍耐力の欠乏
 心理学者マレーは、自殺について、「自殺者は、耐えることのできない苦痛から開放されたいという切迫した願いで頭の中がいっぱいになっており、意識を止めることによって苦痛から逃れたいと思っているのだ」と述べている(注11)。
 耐えることのできない苦痛とは、いじめなど他者からの肉体的、精神的暴力や社会からの精神的な圧力など外圧的なものもあるが、慢性的な疾患や虚弱体質、また、自己の心理的障害など内圧的なものも含まれる。 また20代女性の自殺の動機として「男女問題」が上位に位置している。「男女問題」と一口で言っても、失恋、妊娠・堕胎、婚約不履行、不倫などが考えられるが、本人にとっては非常に辛く苦しいものである。その辛さや苦しさに耐えられず自殺を引き起こすのである。
 人間は生きていれば必ず病気などの苦痛や勉学、就職、人間関係、失恋などの困難に直面する。それらの程度は人それぞれであるが、多くの人は状況を克服するか、我慢することでいずれ遠ざかることができる。しかし、自殺者は苦痛や困難に対する忍耐力が足りず、現実から逃れるために死を選ぶという見方が一般的である。
 忍耐力は成長過程によって培われるものであるが、今日、青年が育ってきた社会状況は、物質的豊かさの中、少子化による過保護、甘やかしなど忍耐力を育てるのに十分な環境ではない面もある。また、環境汚染や、食物などを忍耐力欠乏の原因ととらえる意見もみられる。そのため、他人から見るとたわいない苦痛や困難に対処することができずに、死を選択させると考えられることができる。
 しかし、自殺する側の立場に立てば、自殺する人は忍耐力のない人間だとか、弱い人間だとか批判することは、安易過ぎはしまいか。人間は、自己の内外からの耐えがたい苦痛を味わっていても、ある時点で終了するであろうという見通しさえあれば、なんとか耐えられるものであるが、そのような終結が見込めなければ、苦痛は地獄的なものになる。後に述べるように死んだら楽になれる保証はどこにもないのだが、「一刻も早くこの苦痛から逃れたい」という人は、やはり死を選ばざるを得ないのではないだろうか。
 
(7)生きている実感の希薄さ
 先述した精神障害の「境界例パーソナリティ」ほど深刻ではなくても、「生きている実感」が希薄である青年は少なくないのではないだろうか。 鶴見は「死にたい気持ちを膨らます」要素として、1つに、学校や会社、社会における日常の「延々と続く同じことのくり返し」2つに、社会の中で「ひとりひとりが無力で、いてもいなくてもどうでもいい存在で、つまり命が軽いこと」と指摘している。そして、「こうして無力感を抱きながら延々と同じことをくり返す僕たちは少しずつ少しずつ『本当に生きてる実感』を忘れていく」「生きてたって、どうせなにも変わらない」「ただ生きてることに大した意味なんてない」「生きるなんてくだらない」と述べている(注12)。
 また、現在閉鎖されたインターネットのホームページ『安楽死狂会』には、「くり返しにすぎない人生に、意味なんてない」「人生なんて、だいたい、それ自体、些末事だ」「できるかぎり、自分や世の中やすべてのことに、『なんの意味もない』事実を直視せずにすむよう、時間をやりすごすこと」「ヒトが生きていることに、とくに高尚な『意味』はない」などの言明がある。(注13)
 これらは「境界例パーソナリティ」とも通じる生きることに対する 「空虚感」「虚無感」である。だが、このような「空虚感」「虚無感」も先の病的な「認知の歪み」が元になっているとも考えられる。
 これらの見解に理解を示す青年は少ないということは、現代社会に生きる上で、「生きている実感」が希薄である青年が多いということを物語っており、自殺の一因となっていることが考えられる。
 
(8)人間関係の希薄化
 本章で述べた精神障害をはじめさまざまな困難や苦痛は一人では耐え難くとも、誰か支えてくれる人の存在によっていく分なりともやわらげられるのではないだろうか。
 A男の事例においても、関連書物の事例を見ても、自殺はほとんどの場合孤立無縁の状態においてなされるものであることがわかる。客観的には一見そうでないかに見える場合でも、本人の主観で著しくそうした状態に置かれていると感じるのである。
 今日の青年の間では、あまり他人と深くかかわらないといった、冷めた個人主義が広まっているのではないか。例えば、悩みなどを打ち明けたら嫌われるのではないか、暗い人だと思われるのではないかといった遠慮などから、ぎこちなく、希薄な人間関係が生まれる。また、そもそも友人をどのように作っていいかわからないと悩む者もいよう。人は、冷めた個人主義を持つことにより自分が他人にわずらわせられなくて済む反面、自分が困難に直面したときに、誰にも頼ることができず、結局は、自分を苦しめることになりかねない。
 
(9)大学生の自殺
 稲村は「青年期のうち、自殺問題で特に注目されるのは大学生である。自殺の頻度が一般青年より高いばかりか、自殺の持つ意味が学生ではことに重要だからである。」と述べ、大学生になぜ自殺が多いかについては、古くから多くの考察があるという。原因としては一般青年のそれとも重複するが、生活、勉学、孤独、人間関係、失恋、家族関係、就職などが考えられる(注14)。
 大学生の多くは入学とともに親や家族と離れ、突然一人暮らしに投げ出されるなど、生活が激変する。また、学費など経済的に学校生活が維持できないことの悩みも加わる。
 勉学においても、内容が高校までのそれとは異なり、深化、高度化する。加えて、一般教養をはじめ自身の興味のある学問だけができるとは限らない。そのため、学問上の行き詰まりや自分の能力に対する絶望を感じがちである。また、学問系統にもよるが、講義のとり方によって、一般青年に比べ自由度が増えることも大学生の特徴である。一般青年に比べて自由な時間の多い大学生は、孤独でいる時間も増え、また、これまで社会的に許されなかった事が許される時期と重なるため、ギャンブルや風俗関係などにのめりこむ事もある。
 人間関係においては、大学には広範な地域から多様な価値観を持った人間が集まる。そのため、自己の価値観が揺さぶられ、自己の存在意義を見失ったり、虚無主義に傾きやすくなる(注15)。他にも、大学に通っているということで、就職において親や周囲からの期待という重圧も一般青年より強い。
 そのような状況の中で、大学生は一般青年に比べ、認知が歪みやすくなり、ステューデント・アパシー(学生無気力症)など精神障害や病的心理から自殺に至ると考えられる。A男の事例はこの項で述べたことのほとんどに当てはまっている。
 
(注1)稲村、『自殺学』、109頁、115頁。
(注2)稲村、『自殺のサインをみのがすな』、101〜102頁。
(注3)鶴見、『人格改造マニュアル』、188頁。
(注4)稲村、『自殺のメカニズム』、創森出版、1995年、292頁。
(注5、6、7)稲村、『自殺のサインをみのがすな』、114〜115頁、117頁、121〜122頁。
(注8)矢幡、『Dr.キリコの贈り物』、234頁。
(注9)鶴見、『人格改造マニュアル』、189〜194頁。
(注10)稲村、『自殺のメカニズム』、創森出版、1995年、300頁。
(注11)矢幡、前掲書、215頁。
(注12)鶴見、『完全自殺マニュアル』、5〜7頁。
(注13)矢幡、前掲書、235頁。
(注14、15)稲村、『自殺学』、119、122頁。
 
5 自殺者に対するアプローチ
 
(1)自殺防止の技法
 次に挙げるのは、稲村の提唱する自殺防止の技法である(注1)。
・1、ビフレンディング…ビフレンディング(befriending) とは本来友達になるということであり、人間としての共感と深い心の交わりを意味する。カウンセリングや精神療法とは異なり、専門の理論や技術を必要とせず、それにとらわれず、直接相手の心に心情的に分け入り、人としての真の共鳴や、喜怒哀楽を共にする態度をいう。この手法は素人の新鮮な共感や誠意によってこそ達成され、またいわゆるカウンセリングよりも自殺防止に効果を発揮するとされている。
・2、カウンセリング…先のビフレンディングと区別して、専門理論や技術をもった一定の治療法の意味にも用いられるが、ビフレンディングを含むような広い意味で用いられることもある。自殺防止に用いられるカウンセリングは、特別なものでなく、一般的なものでよい。しかしどちらかというと受容的なものの方が、特に治療初期には好ましいことが多い。
・3、精神療法…カウンセリングと並んで用いられるが、精神分析療法について早急に施行することは危険が大きく、特に治療初期には他の受容的なものの方が望ましい。また、1、2の場合とも共通するが、治療に際しては、必ず死や自殺の問題を課題とし、本人の考えや態度を十分に引き出す一方、幼児の親子関係、肉親との死別体験などをよく探る必要がある。
・4、向精神薬療法…自殺問題を持っている人は多くの場合に何らかの精神疾患に陥っているので、1〜3の治療と並行して向精神薬療法が用いられることが多い。ある種のうつ病や精神分裂病では向精神薬療法が治療の主体となり、この治療がただちに自殺防止となることもある。なお、疾患の程度に応じては入院治療をすすめる。
・5、身体治療…一般に慢性身体疾患を持つ人が、抑うつなど精神症状を呈する場合には自殺の危険性は著しいので、身体と精神の両面から治療をする必要があり、両者の緊密な連絡が不可欠である。一方、未遂者は救急病院などで身体治療を受けるが、退院直後の再企図が非常に多いので、自殺防止機関や精神科医との緊密な連携が必要である。
6、集団療法…集団療法は自殺の治療にとって非常に有効なものである。上記の諸治療が進み、社会復帰が近付く、あるいは復帰後も、必ず集団療法を経過させるのが望ましい。集団療法は、5〜10名が治療者を交えて話し合うなど一般的なものでよく、これは自殺念慮を軽減させ、対人関係をよくし、また自己洞察を深めるなどあらゆる意味で効果がある。場合によっては、心理劇やレクリエーションなども適当に混ぜ合わせるとよい。
7、家族療法…自殺の中には、家族系の機能障害が1人の人に集約されたかに見えるものがある。したがって、自殺者1人だけを治療しようとしても無理があり、家族療法の必要がある。家族療法は、自殺問題の当事者を含む家族全体の集団精神療法であり、集団精神療法的手法による率直な話し合いを行う。これによって家族内後病理が明らかとなり、結果は非常にいいことが多い。
8、訪問治療…入院や通院による治療のほかに、治療者が定期的に本人を訪問する場合もある。これは自殺問題を抱く人の中に、治療期間への訪問に抵抗を感じる人がいるためである。自殺者はつねに著しい孤独の状態にあり、また自閉的となりやすいから診療室治療だけでは行きとどかないことがあり、こうした積極的取り組みも必要である。その際、訪問者は、必ずしも熟練した専門家の必要はなく、誠意のある受容的な人ならば十分である。
9、治療的社会…これは、患者自身が仲間の治療に積極的役割を果たし得るという知見に基づいた治療環境作りである。病院全体、あるいは一定地域全体を治療的社会とし、治療者のみでなく、患者や住民を全体として治療の合目的的一体とするものである。自殺予防には、病院内では患者全体が、また地域社会ではその住民全体の参加が不可欠である。
10、生活療法…これは、社会適応を目的とした日常生活の実地における治療的指導である。日常の具体的な事柄に関して、折に触れ細々と話し合ったり指導を行ったりする。就職や職場の問題、学校や受験、結婚や恋愛、さらに金銭、住居、交遊、その他あらゆる問題が対象となり、信頼的関係の促進にもなる。
11、地域管理…地域社会の中に治療ネットワークをはりめぐらせ、予防と治療、アフターケアを行うものである。通常はソーシャルワーカーが中心となり、これに縊死、看護婦、保健婦などが加わって医療チームをつくり、各受け持ち地区をケアする。その地区の自殺防止機関、精神衛生センター、保健所、病院なども組み込まれる。はじめはイギリスで隆盛し、その後アメリカをはじめ広く世界に取り入れられ自殺防止にも効果が大きい。大都市では人の流動が激しいのでケアは容易ではないが、中小都市や地方部ではやりやすい。
 稲村の提唱する自殺防止の技法は、外国の研究例を参考に提唱しているものもあり、日本の青年期の自殺に対しての技法としてはなじまないものもある。例えば、9、10、11は自殺に対する公的な対応が遅れているため実際に行うことは困難であろう。
 7についてだが、A男が家族に自殺とわからないような自殺を熟考していたように、自殺(未遂)という問題は家族にとって衝撃が大きいことが十分に予想される。円滑に行われるためには慎重さが要求されるのではないか。
 続いて4に関しては、A男の事例から向精神薬の投与も必ずしも有益とは言いがたい。そのためこの技法も危険性をはらんでいると言ってよく、十分に留意する必要がある。
 また、全般的に言えることだが、稲村は自殺者を完全に「治療」の対象と見ており、精神療法的な「治療」の必要性を説いている。5章で述べた精神障害を持った人にとってはこれらの「治療」は有効であると考えられる。しかし、自殺には衝動的なものもあり、自殺者は必ずしも精神的な病を患っているとは言い切れない。この技法は、主に、精神的な病から自殺を企図し、加えて、未遂者や病院を訪れた人にのみ施すことができるのではないだろうか。1については友人など身近な知人でもでき得るものであるが、やはり自殺者に対する誠意や共感が真に要求されよう。
 
(2)情報ツールの有益性と危険性
 1998年12月12日、東京都杉並区の女性が『ドクター・キリコの診察室』という名称の掲示板を擁する『安楽死狂会』のホームページを通じて青酸カリを宅配で受け取り、自殺する事件が起こった。続いてホームページの主催者である草壁竜次も自殺するという結果を招き、大きな事件となった。『ドクター・キリコの診察室』ではインターネット上で自殺がおもな話題であり、自殺志願者たちがインターネットのホームページにおいて多様な意見を交わしていた。また、草壁はホームページ上でPHSの番号を公開し、「いつでも電話してほしい」ということも書いていた(注2)。
 インターネット、パソコン通信、PHS、携帯電話などによるメールの送信は、手紙より容易に、また、電話のように相手と直接会話をしなくても自分の心境を表出することが可能である。手紙に比べ相手から何らかの反応が返ってくることによって、孤独感が癒されるという点も指摘できる。
 また、インターネット空間は、人間の出会いが容易であり、ハンドルネームを変えて、別人格を装うこともできるなど、必ずしも真実を問われないというバーチャル性を持っている。そのため、現実の対人関係で、人間の失敗によって引き起こされるはずのダメージが、インターネットの中では軽微になる。
 医療のなかでは、自殺志願者だけでなく、各種の依存者など問題をかかえる当事者同士が集まって助け合う、「セルフヘルプグループ」があり、その中でも「エンカウンター(出会い)グループ」は当事者同士が直接話をして励まし合うことが中心である。だが、「うつ状態」の人は外に出ることや人と対面することさえおっくうであり、グループの場に出かけること自体が困難である。自殺志望者にとってインターネットの掲示板では、本人同士が直接対面することがないので、「エンカウンター(出会う)グループ」より気軽に参加でき、他者とかかわることができる「セルフヘルプグループ」であると言える。
 また、草壁が番号を公開し、自殺志願者の引き止め役を担ったように、PHS、携帯電話といった移動通信機器も、思いを聞いてほしい相手とのコンタクトが容易に取れるという点で同様に有益であろう。
 しかし、その一方、そのような情報交換ツールには危険性も潜んでいる。例えば、メールの返事がかえって来ないとき、PHS、携帯電話がつながらないとき、留守電の返事ないときなどは不安を増大させることになり得る。
 受信者はいつでも返事をする時間的な余裕があるわけではなく、他人のことを第一に考えられるとは限らない。忙しくて返事をし忘れたりすることもあろう。そのような時「相手は自分を見捨てたのではないか」「相手にとって自分は迷惑なのではないだろうか」といった思い込みを持ってしまう事も考えられる。
 とりわけ、インターネットを介した見ず知らずの人間との関係は、いつ相手が自分との交信に応じなくなるかもしれない、という不安を常に内在させるものであると言えよう。
 
(3)弱みを出せる人間になる
 自殺者に対するアプローチは、まず当人からの何らかの兆候が発せられなければ行われようがない。自殺した人の周囲の人間は、当人が自殺した後、「一言でも言ってくれれば」と口にする。確かに、死を本気で決意した人間は止められるのがわかってるがゆえに、相談などはしないであろう。しかし、とことん思い詰める前に、自分の置かれている状況を誰かに打ち明けることができれば、状況は変わるかもしれない。周囲の人間に打ち明けにくければ、「いのちの電話」や、医師など第三者の力を借りることもできる。
 自殺者は自分の置かれている状況を、自分ではどうすることもできない八方ふさがりの状況と思い込み、ゆがんだ認知をしていることが多い。また、「相談してもどうにもならない」などといった諦念を持っていることが考えられる。しかし、第三者の目から客観的に見れば、新たな活路が見出だせるかもしれない。
 ただし、相談できる機関や人間が存在したとしても、本人が自分の置かれている状況を表白できなければらちが明かない。独力で困難を克服、我慢することは評価できることとは言え、やはりそれには限界があろう。自殺者は第三者に頼ることを否定していることが多い。だが、本人は 「本当は生きたい。でも死なざるを得ない、死にたい」というアンビバレントな感情を持っているのであるから、もっと自分の弱みを見せられるようになれば、状況はだいぶ変わるであろう。
 以上のことに関連することとして、自殺の男女差についても考えたい。先にも述べたように、自殺は世界的に見ても、年齢別に見ても圧倒的に男性が多い。このことについては生理学的な性差が指摘できるかもしれないが、ここでは、成長過程の問題として捕らえることにする。
 日本では家庭でも、学校でも「男の子なんだからしっかりしなさい」などと言われて成長することが多い。成長してからも「男は弱みを見せるものではない」といった概念が支配的である。もちろん女性も「女の子なんだから〜」と言われることがあるが、男性の場合はより責任を課するような内容が多いのではないか。それらの概念は男性にとってかなりのプレッシャーになっていると思われる。最近の中高年男性の自殺の要因もそのプレッシャーによるストレスがかなり影響を及ぼしていると思われる。
 「男だから〜」という文句が本人を奮い立たせる文句であるうちはよい。しかし、そのことが過度のプレッシャーを与える危険を持っていることは十分に考えられる。人はたまたま男に生まれるのであり、男だからといって、弱みを見せられないなどと思い込む必要は全くない。今日ではその概念が崩れつつある状況が見られるが、そのことにより、男性が今までの価値観に縛られずに生きられるのだから、歓迎されるべき状況であろう。
 
(4)『完全自殺マニュアル』の誘惑に抗する
 鶴見は前述した「死にたい気持ちを膨らます」要素や生の無意味さに加え、「もう死んじゃってもいい」「自殺はとてもポジティブな行為だ」などと述べ、加えて、「『命は大切だから自殺はいけない』だの『生きていればいつかいいことがある』だの『まわりが悲しむから生きなさい』だのといった言葉は、『犬も歩けば棒にあたる』ほどの重さしか持ってない。自殺を止める有効な言葉はとっくになくなってしまった。」とも断言している(注3)。
 確かに、将来について不安を持っている時などにそのように断言されると、なるほどその通りとも思える。さらに、苦痛なく自殺を決行できる詳細な自殺の方法が書き連ねられているため、「死んじゃってもいいかな」という気持ちを抱かせるには十分な書である。
 しかし、先に述べたように、自殺者は自ら死ぬことについてアンビバレントな感情を持っている。当人は本当は生きたいのであり、やむなく死を選択するのである。全く逆の立場から、当人の状況をよく理解し、適切なアドバイスが与えられれば思い直すことが多いことは予防機関の検証からも明らかである。鶴見は「自殺を止める有効な言葉はとっくになくなってしまった」(注4)と述べているが、やはり、自殺をとどめる最後の一線は、今まで世話になった人々の悲しむ姿に加え、自分に本気で関わりを持とうとしてくれる他者の存在ではないだろうか。
 加えて、鶴見は「いざとなったら死んじゃえばいい」と言い(注5)、『Dr.キリコの贈り物』の中で彩子は「死ーそれは、ひとつの救いなのではないか。」(注6)と言っている。私も死を希求したときは、 「死んだら楽になれる」と思い込んでいたことがあった。しかし果たして、本当に「死んだら楽になれる」のであろうか。
 科学が進化するにつれさまざまなことが解明されてきた。だが、「死後」は謎のままである。「死んだら楽になれる」と思って自殺したのに、実際には生きているよりもっと辛い状況になるとしたら、自殺した意味がないのではないだろうか。「自殺したら楽になれる」と100%保証されているなら安心だが、そうでなければ非常にリスクは高い。それが多くの人間に自殺を踏みとどめさせている一因であるとも言える。
 宗教的な見地では、肉体の死がすべての終わりではなく、輪廻・転生や地獄・天国が説かれている。今日の科学では死後の世界や魂が存在の有無が証明できておらず、我々にとって死後の世界が存在するか否かはわからない。アメリカの心理学者ケネス・リングによれば、普通の臨死体験者が魅力的な異世界の情景を見ることが多いのに対して、自殺未遂者の臨死体験は不快な印象を与えるものだという。真っ暗でとても広大な空間にひとりぼっちにされ、今まで体験したこともないような寂しさを感じる。そしていくら待っても一条の光も射さず、この状態が永遠に続くのではないかという絶望感に教われる。このような不快な体験のため、自殺未遂で臨死体験をした者は、その後ふたたび自殺を試みようとしなくなるという。つまり、自殺を試みた人の臨死体験報告では自殺しても死後に楽になれるかどうかの保証はない、ということができよう (注7)。
 自殺を考える者は誰もが苦しみから解放されることを望んでいるが、このように苦しみからの解放どころではなく、永遠に続くかと思われるような解決できない苦しみをさらに背負うことになるかもしれない。すなわち、自殺はリスクの非常に大きな「賭け」であると言え、「いざとなったら死ねばいい」だとか、「死はひとつの救いである」などと考えるのはあまりにも早計ではないだろうか。
 
・ おわりに
 
 今、私が思うことは「(何度となくあった)あのとき、死ななくて良かった」ということである。言い古された言葉ではあるが、「死んでしまえばおしまい」である。そこから先は立ち直ることもやり直すこともできない。
 例えば、恋愛問題や人間関係などがうまくいかない場合などいくらでも起こり得る。しかし、人間は苦しくてもそれに耐え、それを契機に成長しなければならない。あるいはそういう苦しさを心理学でいう「昇華」をすることによって、より高い次元のものにする。こういうことこそが人間の優れた点であり、生きてこそでき得ることである。
 しかし、現に日本には、悩める人が自殺に追い込まれるべき状況が存在していることもまた事実である。例えば、中高年が失態の責任を取って自殺するニュースが昨今多く見られる。失敗した側が、ときには死をもって詫びる姿勢を強調する風潮は、日本的風土と言ってしまえばそれまでだが、やはり生きて状況の改善をしてこそ、つぐなった、責任を取ったと言えるのではないか。同様に、死刑についても、「殺してしまえばおしまい」であり、生きてこそ罪は償えると私は思っている。
 死を考えるということは、「なぜ人間は生きるのか」など、同時に生を考えることでもある。社会の価値観が多様化し、古い価値観との混乱に伴い、青年にとって「自分探し」「自分くずし」などアイデンティティの確立のための模索も続くであろう。その困難さが、大学生の不登校、中退、アパシー、ひいては自殺など青年にまつわる諸問題を生み出す一因ともなっている。
 そのような状況の中で、必要とされるべきことは、公的な面としては、自殺予防センターの設置など、国として自殺予防に本格的に取り組み、積極的に存在を知らしめることであろう。
 加えて、個人的な面としては、自分が他者を援助し、他者に援助してもらう、支え合いの関係をいかに作っていくかということではないだろうか。もし、自分が死ぬことを選択せざるを得ないほどの状況であれば、その状況を関係機関であれ個人であれ、第三者に打ち明ける姿勢を持つ。そして、個人的に打ち明けられたら親身になって応じ、場合によっては専門機関にアプローチする。それだけでも、完全に孤独に陥り、「もう死ぬしかない」という狭窄した考えに至らずに済むかもしれない。「情けはひとのためならず(自分に返ってくるものだ)」である。他者を思いやることのできる人間が増えなければ日本によりよい未来はあるまい。
(注1)稲村、『自殺学』、345〜350頁。
(注2)矢幡、『Dr.キリコの贈り物』、1〜2頁、220頁。
(注3、4、5)鶴見、『完全自殺マニュアル』、6〜7頁、195頁。(注6)矢幡、前掲書、190頁。
(注7)石崎正浩『なぜ、あなたは死にたいのか』、なあぷる、1998年、184頁。
 
<参考文献>(著者五十音順)
・上里一郎『青少年の自殺』、同朋舎、1988年
・児美川孝一郎『学力競争という「饗宴」のあとで』、法政大学第二中学・高等学校主催「教養学校」での講演、1999年
・東京自殺防止委員会『完全自殺防止マニュアル』、ぶんか社、1997年
 
 
 
[2] 教育界に物申す
 
 
  From: sunusunu@poppy.ocn.ne.jp
  To: komikawa@i.hosei.ac.jp
鈴木 亜季
 
 
     『教育法学と子どもの人権』市川須美子他
             三省堂出版
 
 私はいじめ事件に興味があったので、この本の第3章子どもの人権侵害と救済の 2.体罰・いじめ事件の序利と防止のための制度的工夫(交告尚史著)を選んでみた。その中でも、地方公共団体の取り組みが具体的でいじめ事件を考える上で参考になるとして注目した。
 
<要約>
@.東京都の取り組み
 東京都では、平成6年の都議会で教育オンブズマン構想の有無が質問がなされたのを機に、「教育指導に関わる相談窓口・苦情申し立ち制度」に関する研究チームを同年4月に発足させた。その結果実現されたのは、東京都総合教育相談室の配置であった。
 これは、それまで都立教育研究所、指導部、学務部および多摩教育研究所に分散していた9つの教育相談窓口のうち、特殊なものを除く7つを統合して総合教育相談に一本化すると言う施策である。この総合窓口に電話等で相談の希望を申し出ると、申し出を受けたものが話しの内容から判断して、各案件をいじめ・体罰相談・高校進級・進路・修学相談・心理教育相談のいずれかに振り分ける仕組みになっている。このうちとくに心理教育相談については、その分野の専門家が担当している。
A川崎市民オンブズマン
 今日オンブズマンと称される制度を導入している地方公共団体のうちで、総合オンブズマンとして最も実績を有するのは川崎市である。
 川崎市民オンブズマン条例の二条によれば、市民オンブズマンの管轄は、市の機関の業務の執行に関する事項および当該業務に関する職員の行為である。職員の行為が対象とされていることから、市立学校の教師が体罰を加えたときは、市民オンブズマンはその事実自体に着目して関与することができる。苦情の申しだてを受けて調査に入るだけでなく、自己の発意で事案を取り上げることも出来る(三条二号)。それに対していじめ事件に関しては、児童生徒同士のの問題に留まっている間は市民オンブズマンは介入できない。学校や教育委員会の対応に問題があるときに、はじめて事案として捉えることができる。したがって、市民オンブズマンの相談窓口機能は、適切な機関の紹介程度に限られることになろう。
 ここで、留意しなければならないのは、私立学校の教員は市教員ではないから、その行為が対象にならないということである。
 市民オンブズマンはもちろん調査権を与えられており、関係する市の機関に対しては、説明を求めたり、帳簿や書類の閲覧、提出要求できるほか、実地調査をすることができる(十五条一項)。
C川西市「子どもの人権オンブズマン」構想 他所者に対するいじめのみならず子どもの人権に対する侵害をすべて地域社会の問題として捉え、地域社会のなかで断固として子どもの人権を護る仕組みを作るべきだという考え方がある。現在兵庫県の川西市は、この考え方を基礎にした人権オンブズマン制度を構想中である。
 もっとも、基本的なことは、同市が地域社会を成り立たせるシステムとして子どもの人権オンブズマンを位置づけていることである。地域社会を成り立たせることの意味は、人権侵害に苦しむ子ども、あるいはその代理人となるおとなが、自己に関係する問題について公的なシステムにアクセスし問題解決を図ることによって主権者に相応しい主体性を身につけることである。このことは、子どもを権利行使の主体と捉える子どもの権利条約の精神に合致する。
 次に、オンブズマンの組織上の位置づけであるが、オンブズマンはその他の行政きかんからも、独立したものでなければならないとしていて、市の公平委員会に準じた位置づけにしている。
 また、この制度は情報公開と世論喚起を大いに重視している。
 この構想では、オンブズマンが達成期限を限定した勧告を行うことが出来るようにすべしという提言がなされている。
 
 以上の地方公共団体の取り組みのほかに国の取り組みを範疇にいれて、著者は体罰事件、いじめ事件に関して以下のように考察している。
 事件が起きなければ処理する必要もないわけであるから、体罰やいじめ事件の発生を防止するための施策を考えることの方が大切である。
 体罰事件に関して述べるならば、体罰が子どもの心理に与える影響についての認識が甘い教師がいるのも事実のようなもので、十分な研修を行って認識させる必要がある。もっとも、体罰事件が起きてしまったならば、事実関係を迅速かつ公正に調査して、被害生徒の保護者に明確に説明することが肝要である。   
    
 いじめ事件を防止、あるいはより根絶しようと思えば、子どもに価値観や習慣の相対性を教えたり、子育てに悩む家庭を支援したりと、さまざまな方面から施策を講じていかなければならない。いじめられている子どもの多くは、とくに中学生になると、親にも、相談しないで一人で耐えている。川西市の子どもの人権オンブズマン構想の出発点は、そういう子どもにメッセージを送り続け、彼らのSOSを無条件に受け入れて、一人一人の置かれた状況に即した具体的な解決を図ることであった。川西市がこうしたねらいを持つに至った背景には、とくに学校においてSOSの受信態勢が不充分だという認識があったはずである。スクールカウンセラーの配置などが試みられてはいるがまだまだその数は足りない。多くの学校では、いじめ問題に対処するために、全教職員の強力体制の確立、生徒指導部と担任の連絡強化、養護教諭の役割の見直しといった工夫がなされているようである。しかし、これからの時代は、教師個人が専門能力を見につけて実践に活かすよう努力することも必要だと思われる。
 起きた時の処理であるが、相談窓口の周知徹底が挙げられる。子どもたちに悩み事を相談できる窓口があることを教え、勇気を出して相談してみるように促すことは非常に重要である。しかし、窓口がいっぱいありすぎて子どもたちが選択に迷うのではないかという不安がある。苦しんでいる子どもが日頃接したことのない大人に心のうちを語ろうというのであるから、アクセスの障害となりうる事柄はできる限り取り除いておくべきである。そのためにも、関係機関の連携はしっかりしたものにしておき、それぞれ他の機関の職務内容を知っておく必要があるだろう。ここで思い起こされるのが東京都の総合教育相談窓口である。
 子どもの人権を護るという視点から連帯の強化を考えるのであれば、スウェーデンの児童オンブズマンの研究が有益であろう。スウェーデンの児童オンブズマンは一九九三年から活動している新しいオンブズマンで、組織図の上では健康社会問題省の下に位置する。ただし、この位置づけには国の財源で運営されると言う意味しかなく、その他の面では完全に独立している。オンブズマンは一人で任期は六年、法律問題、子どもの生活条件、心理学的問題に関する専門スタッフが一四名ついてる。もっとも、重要な任務は、スウェーデンの法令およびその適用が児童の権利に関する条約に基づくスウェーデンの義務に適合するように監視することである。したがって、児童オンブズマンは法改正の提言機能を有するわけで、このことはいじめ問題に関わる学校法改正の情報とともにわが国でも、紹介されているところである。いじめ問題に関する課題は、コミューンや学校がいじめたい策の計画を立てるよう促すこと、いじめ問題に関する意見や提案に関して子どもたちが参加できるように配慮すること、それに中央および地方レベルで結成したネットワークを通していじめ 対策に関する知識の増大を図ることである。私は、このネットワークとオンブズマンの結びつきこそがスウェーデンから学べ点であろうと考えている。
 
 
 私は、筆者が事件が起きなければ処理する必要もないのだから、体罰やいじめ事件の発生を防止すればよいと考えたのは、短絡的過ぎる気がする。防止すれば、それはなんだって好ましいことだが、防止できないのが現状なのだから、いろいろな取り組みを試みていることをなおざりにしている。私も、世間も防止も必要なのは知っている。ここで筆者の言う防止策を考えてみる。
 今日の学校のいじめに対する対処を挙げたのち、これだけでは足りないと述べ、教師個人が専門能力を身につけ活かすように努力することも必要だとしているが、これもまた、正論の上辺だけで説得力にかける。そのようなことは分かっているのではないだろうか。
もっと、具体的に書いて欲しかった。
 私は教師個人の問題にするのはいかがなものかと思う。と、いうのは、どうみても今の教師には時間が足りないからである。筆者はスウェーデンの中央および地方レベルで結成したネットワークとオンブズマンの結びつきこそが学べ点であるとしているが、その前にスウェーデンの学校のあり方に注目すべきである。なぜなら、スウェーデンと日本の学校のあり方は大きく違っているのが実際だから、同じ次元で比べられないといえるからである。スウェーデンの学校はコミューンにその全権を任せていると言っても過言でない。その体制も違うが、注目したいのは教師の仕事の内容と量である。詳しくは述べないが一人一人の仕事が明確で分担制になっている。量も日本の教師の三分の一くらいと言ってもいいくらいだ。教師を責める前に教師の置かれている状態の改善が先だと思う。その後に教師が専門能力を身につける試みがなされるべきだ。教師だって、身につけたいのは山々なのだと思う。行政の柔軟性が日本にかけていると思う。
 しかし、学校体制は簡単には変わらないだろうから今出来ることとして挙げられた地方公共団体の取り組みは有意義なものだと思う。東京都の教育相談窓口の一本化は確かに、子どもが相談しやすい状態を作れるものだと思う。ただ、もっと子どもたちにアピールする必要があるとも思う。川西市の子どもの人権オンブズマン構想はスウェーデンのそれとも似ていて、他の機関とは完全に独立したものだというところに大切なことだ思った。公平に冷静にただ子どもの人権のためにだけ機能するためには他の機関から独立した自由なところでなければ正常に機能しないと考える。
 
 
  いじめについての私的な考え
古川 修一
 
 
「いじめ」についてはこれまで様々な人がその人流のいじめ論を述べているが、ここでは、私流のいじめ論を述べてみたいと思う。
 私がいじめについて考え始めた理由は、私自身、中学時代にいじめを受けた経験があったからである。ゼミなどで、この問題に関する参考書などを読んでいるうちに、ますます関心が高まった。
「いじめ」は、そのケースごとに理由が違うと思うが、「いじめと、人間関係」と言う立場に立ったとき、「大河内清輝君事件」を無視することはできないだろう。
この事件は、愛知県西尾市の中学二年生 大河内清輝君が、いじめを苦に自殺をしたというものであった。この事件の後に発見された、遺書にもとずいて彼らの人間関係について分析してみたい。私が初めてこの事件を知ったとき、清輝君は、いじめグループから一方的に暴力を受けていたのだと思っていた。しかし、しらべてみるとどうも一概にそうはいえないことがわかってきた。私がいじめにあっていた頃は、いじめグループから少しでも離れたいと思ったものだが、清輝君はいじめのグループから 離れるチャンスがあったにもかかわらずなぜか彼はそうしなかったの様なのである。
 清輝君の友人であったA君も、「社長」と呼ばれる生徒を中心とした、いじめグループの被害に遭っていた一人であった。彼は、一年の時に、やはり清輝君と同様にお金を巻き上げられたりしていたが、なぜか後に「楽しいこともあった」と述べている。
 A君入学した当時、何気なく同じクラスだった「社長」に近づき、グループに取り込まれたらしい。A君の話では、当時の三年生に怖い二人組がいて、二学年下の「社長」たちに使い走りをさせ、さらに、お年玉まで召し上げた。
 この被害体験は、後に彼らが起こした、いじめ事件の構造と非常によく似ており無視することができない。しかしここでさらに注目すべきは、「社長」グループのグループ化の理由がその二人組の暴力から身を守るためだったと言うことである。彼らは(社長もA君も清輝君も)ある意味仲間であったのだ。
 子供たちの人間関係は一般に関係が希薄になっていると言われているが彼らは団結した仲間であったようなのだしかし一方でこの団結を、いじめの密室化の要因と見ることもできるのである。
あるアンケート(注1)によるといじめの被害者と加害者の関係は、実にその76,7%が クラスメートの関係であった。いじめは、やはり閉じられた集団の中で行われているもののようである。
 そんな密室化しつつあったグループの中にあってA君は一年の三学期、グループから抵抗なく抜け出ることができた「三年が高校受験で学校に来なくなり、社長たちが優しくなっていたため」とA君は述べている。さらにA君は、二年時のクラス替えで「社長」と別のクラスになり、いじめられることもなくなっていった。私にも経験があることだがクラスが変わると遊び友達の顔ぶれも変わるのものなのである。今はほとんどの子供がクラスの友人としか遊ばないため、「クラス」や「学校」と言ったものが、常に彼らを支配しているのだ。
このため清輝君は、友人を失い、否応なく、グループとの関係を深めていった。さらに、清輝君は二年時のクラス替えで「社長」と同じクラスになったこともこれに影響した。このクラス替えで彼から友人たちが離れていった。
 清輝君といじめグループとの関係は一見すると非常に奇妙である。彼の死後、学校側の作った「報告書」によれグループが神社にたむろしていたとき、三年生数人と喧嘩になった。三年生の一人が清輝君に「あいつらと一緒にいていいのか」と聞いたとき、清輝君は「楽しいからいい」と答えている。音楽の授業ではしばしば、グループと固まって席を取り、おしゃべりしたり教師に反抗したりしている清輝君が教師にしかられているときに「社長」が、教師を牽制する場面もあったという、このほかにも、清輝君は、グループメンバーとともに同級生を殴るという事件を起こしておりる。この年代には、教師に反抗する行動を刺激として楽しむ傾向があり、清輝君が問題行動に参加したことがすべてグループの強制と考えるのは無理がある。彼らは本当の仲間だったのだろうか?
 しかし清輝君がグループのいじめによって自殺をしたことは事実であり、このグループの中には、様々な矛盾を含んだ人間関係が存在していたと推測できるのである。
 いじめの密室化、についてはすでに述べたが、それに関係してるであろう特徴が、清輝君の「遺書」から読みとることができる。その特徴とは、彼の「遺書」には、「教師」という言葉がほとんど登場しないと言うことである。
 あるアンケート(注1)によると、いじめが起きたとき、「先生は頼りになると思う?」と言う質問に対して464人中286人が「あまりたよりにならない」「全然頼りにならない」と答えている。このことから推測するに、「いじめ」という人間関係の中に、「教師」が自ら介入することは難しい。清輝君の遺書の中に「教師」の名前がなかったのは、清輝君と教師との間には信頼関係がなかったからではないだろうか。
 人間関係という点に視点を戻す。東京都中野区立富士見中学二年だった鹿川君が、清輝君の死の九年前の八十六年二月、やはりいじめを苦にした。鹿川君は清輝君のように、大金をせびりとられてはいなかったが、やはりお金が絡んでいた。そして彼もグループに遊び仲間として加わったつもりが、グループ内の序列の最下位。、使い走りの立場が固定し、いじめられることとなった。そのグループの中で鹿川君はグループを抜け出そうとし、袋叩きにあった。これは鹿川君の自殺の大きな原因の一つともなった。
 清輝君はグループから離脱しようとしないまま、死を選んだが、仮に、離脱をはかったとしても、便利な使い走り、特に大金の供給源を失う「社長」らが離脱を簡単に認めるはずがない。彼も鹿川君と同じ様な制裁を浴びたであろう。
 そしてもし、その制裁に耐えて、離脱に成功したとしても、清輝君は鹿川君と同じ孤独に陥らざるを得ない。新しい友人を作ろうとしたとしてもグループは当然、妨害するだろう。いじめられている少年にとっては、いじめる相手しか、友人は存在しないのだ。
 親離れの第一歩を記し始め、もっとも友人がほしい時期である思春期。いじめを受けても、グループに執着してしまう。少年たちの自殺が繰り返される原因がここにあるのかもしれない。    親離れの時期であった清輝君であったが、彼と親との関係は比較的よかったようで、そのことは、彼の「遺書」に家族との旅行のことが頻繁にかかれていることからも読みとることができる。しかし、彼はいじめの真相について、親には打ち明けていない。
 これは、清輝君だけが打ち明けなかったと言うわけではないようで、「あなたがいじめを経験していることを両親は知っていますか?」と言うアンケート(注1)に対して124人中69人が両親とも知らないと答えていることからもそれがわかる。
 「いじめられている」と言う事実は、親にもいえないほど恥ずかしい、それが男子であればプライドもあるだろうさらに清輝君の場合強要されたとはいえ、家から大金を持ち出している。その一部は、つきあわされたゲームセンターやカラオケボックスで自分も使ったであろうし。清輝君は心理的には、いじめたグループと、ある種の共犯関係にあった。
 親に言い出せないのも無理もない、さらに子供たちの中には目上の者に「いじめ」を訴えでたものは、「チクッた」として制裁を与えられ、それは彼らの世界で正当なものとされているのであるから彼が親に訴えた場合は押してしるべしである。これは一般論としても通用する考えだと思う。
 次に、「集団」という観点に目を向けてみる、二十五年前ほど前今の大学生が生まれる数年前から、「ガキ大将が消えた」と言われ始めた。このことが意味することは、つまりは、「異年齢集団」の中で遊ぶ子供がいなくなったことを意味しているのであろう。
「異年齢集団」の多くは学校以外の子どもたち、近所同士の年齢の違う子供たちから成り立っている。この時代は学校でいじめにあっても帰宅すれば、近所の子供集団という、もう一つの場が存在していたのだ。
 しかし今の子供たちはどうであろうか?放課後も同じ学年の、それも同じクラスの子としか遊ばない。校門をでる前に「遊ぼう」と約束し、電話で「今日遊べる?」と都合を聞いて会う。かつてのように玄関前で「あそぼ」と誘う声はなくなった。そのクラスで、級友たちにいじめられたら、その子の毎日はどうなるだろう。清輝君はまさに「ガキ大将が消えた世代」のただ中の子供であった。
 一方で、 一般的に世間でいわれている「いじめ」の原因の中に「いじめられた子の家庭ににも問題がある」と言う俗説がある。確かに調べてみると、清輝君の家は、金銭の管理が甘いなどの問題があったかもしれない。さらに「自分の子供が自殺をするところまで追い込まれていたのに、親はなにをしていたのか」と言う考え方が追い打ちをかけ「親も子供も自業自得だ」ということになり、「家は違うから大丈夫」と安心しこの「いじめられた子の家庭にも問題がある」と言う俗説は現在、多くの人々の支持を得ているのである。しかし清輝君が大金を取られたのは、いじめが始まった後である。
 清輝君は一年の時からグループ内で「いじめの標的」となっていたそういった状況が前提としてあった上でお金の問題が発生したのである、つまり大河内家がお金にルーズだったために清輝君がいじめられたわけではない。
 清輝君は、ほとんど親に苦しさを訴えたりはしなかったが、確かに親たちの努力次第では、あるいは彼の死は防ぐことができたのかもしれない。しかし、「死」を防ぐことができたとしてどうなったのであろうか、もし「いじめ」をおそれて学校をさけても彼には「いじめグループ」以外には友人がいない、身を守ると引き替えにもっとも友人がほしい時期に身を焦がすような孤独を抱えてしまうことになるのだ。   
 転校させたとしてもその学校でいじめられる可能性も十分に考えられる。結局親にできることは緊急避難だけであって、いじめの構造を壊すような力はない。いじめの構造と家庭環境との間にはそれほど深い関係はないのではないだろうか?
「いじめられる子にも問題がある」と言う言い方には、「その子が弱いからだ」と言う意味が隠れている。しかし清輝君は本当に弱かったのだろうか。
 腕力はつよくなかったかもしれないが、清輝君は二年間も誰にも苦しみを漏らすこともなく耐え抜いた、こんな彼が弱かったわけはないし、心の強い優しい性格であった故に一人で「死」を選んだのではないだろうか?
 また彼はグループの一員として他のグループと喧嘩をしたこともあり度胸がなかったわけではないのだ。さらにいえば彼はクラスの中では相対的には、弱い側ではなかった。
 現代のいじめの特徴としては、被害者と加害者や傍観者の立場がしばしば入れ替わることがあげられる。特に傍観者の立場にある子は自分が被害者になることをおそれて、「いじめ」を止めることができず、時には消極的な加担者になる。
 自己の保身のために、中立の立場や、不干渉をつらぬく私たちが彼らを非難していいはずがない。 今の子供は弱いのかもしれないどんな子供でも、たとえいじめている子であってもいじめられる可能性を持っている。いじめられている子の弱さがむき出しになってしまうために視点がそこにいってしまうだけで、ほかの子たちが抱えている「弱さ」が見えなくなっているだけではないだろうか?いじめの原因を、いじめられる子の弱さに求めるのなら、いじめられた子がほかの子よりも弱いことを証明しなければならないはず、しかしそれをせずに一方的にいじめられる子のせいにするのはそのように単純に考えた方が楽だからではないだろうか。    
 さらにもう一つ、いじめの原因に「いじめられている子はほかの子たちと異質だから」と言う説明も存在する。「異質性の排除」と言う考え方である。これに「日本人特有の島国気質」という考え方などが持ち出されるともっともらしく聞こえるから不思議である。確かに日本人は閉鎖的な国民かもしれないが、果たしてそれだけだろうか?そんな単純な理由で「いじめ」を片づけてしまっていいのだろうか。   
 いじめの理由付けに使われるものに、「のろい」「ふけつ」「くらい」「でしゃばり」などが挙げられる。どれもが子供たちが差別やいじめの対象とするような言葉である。
 しかし、これだけの多種多様な理由の、どれにも該当しないような人間が存在するのだろうか? もしいるとすれば、その子は「健康で清潔感があり、スポーツ好きで機敏。勉強ができるが出しゃばらずに謙虚で友達好き合いがよい」という人間ということになる。
 が、このような子どもが存在するだろうか?社会を見渡してもこんな完璧な人間は存在しないというのに「異質性」などという言葉で「いじめ」をかたずけてしまうことは正しいこととは思えないのである。
 これらのいじめの理由付けを考え直してみると、子どもの世界の価値観(排除観)は、大人の世界のそれを反映していると考えることができるのではないだろうか。    
 しかし実際問題として、短所、欠点のない子供は存在しない、このギャップから生まれたものが「いじめ」なのかもしれない。そしてその「短所・欠点」も含めて「個性」が成り立っているというのに、現在の学校教育で押し進められている「個性の教育」は、このことを見逃しているように思われる。「短所・欠点」と「個性」が表裏一体である以上、どの子にもいじめられる理由があるということである。要するに、子どもたちの中に「いじめたい衝動」のようなものが存在し、その衝動が後から理由を見つけだしているのではないだろうか。「弱さ」が問題ならその子を鍛えればいい、「短所・欠点」は直せばいい。ただしその子がいじめをまぬがれたとしても「いじめの衝動」は別の標的を見つけ同じことを繰り返し続ける。
 つまり、いじめられる子に原因を求めてもいじめの構造をどうにかしない限り「いじめ」を減らすことはできない。ここで「減らす」と表現したのは私がいじめを完全になくすことは不可能であると考えているからである。なぜならこれまで様々人々がいじめをなくそうと努力をしてきたのにもかかわらず結局は「いじめ」は消滅しなかった。
 これは結局のところ「いじめ」はなくすことができないことを示しているのではないだろうか。だとすれば、いじめをなくすのではなく「減らすことを」「抑制することを」心がけるべきなのではないだろうか? この心がけを持っていじめにかかわるすべての人々(当然教師も含む)が「いじめの構造」についてもう一度考え直してみるべきなのではないだろうか?
 
         注1 学研「中学コース」スクール白書
             助けて! いじめ学校拒否自殺中学生10106人生の声                               監修 尾木直樹  
 
         参考  「清輝君が見た闇 いじめの深層は」 著者 豊田充 
 
 
  いじめについて
立石 誠
 
 
はじめに
  現在、いじめ自殺事件が社会問題となり、子どもたちの取り囲まれている世界が、暴 力と馴れ合いの関係で、子どもたちが人間的であろうとする意欲も勇気も壊れてきてい るとと考えられる。
  そのような状況に対して、いじめの根絶というスローガンがあげられる。しかし、い じめの根絶は、ほとんど不可能であろう。なぜならいじめは、親や教師、学校そして世 間体によって隠されてきたからである。子どもたちは、いじめの暴力、恐怖心に支配さ れて隠してきたと思う。子どもたちには、親、教師の目が届けない場所があり、子ども たちだけの生活空間がどうしても残る。それがいくら小さくても、その空間と時間にお いて、暴力といじめが行使されるならば、事態はいっこうに変わらない。また、いじめ を受けているかどうかは、当のいじめられている子どもたちが、一番よく知っていると 思う。
  いじめを受け、いじめの発見で最も重要なのは、そのいじめられている子どもが、そ の気持ちを率直に表現できる、表現できる表現の自由を保障することであると思う。
  暴力と差別の支配する空間を、いじめの葛藤や苦しみを乗り越え、それを成長エネル ギーへと転換し、思春期や青年期の新しい人間関係を作りだしていける空間、暴力と差 別が支配する場を人間の尊厳と表現の自由が大切にされる空間へと転換するためにこ  そ、全力の支援と努力すべきではないだろうか。
  人間は社会的動物だと耳にするが、要するに集団をなして生きている。集団の中でし か生きられない存在なのである。そして、集団の中では、二人寄ったら必ず強い者と弱 い者(強者と弱者)という力関係が出来上がる。その力関係を様々な知恵で調整しなが ら、集団全体の調和を保つのが、私達がこれからつくりだす社会生活の営みなのだと思 う。
  しかし、子どもの社会生活の経験が短く、知性や理性も未熟であるから、感情をその ままに発散する。力関係の強い方が弱い方にストレートに感情をぶつけたとき、時とし てそれが「いじめ」という形をとって現れると思うのである。
  ただ、ここでいう力関係とは、必ずしも肉体的、体力的なものだけを意味しているわ けではない。就学以前の幼児の段階では、確かに体力だけの勝負といったことが多いよ うに思われる。しかし、子どもも学校に上がるようになると、もう少し複雑な要因が加 わってくるようである。
  子どもは、学校生活と学校以外での生活を分けて生きることはできないし、学校に家 庭や地域社会のすべてを持ち込む。
  例えば、父の仕事が同じで、官舎とか社宅など、地域でも同じ場所観住んでいる場合 は、当然学校も同じ所に通うのであるから、片方の父が部長で、もう片方が課長だった とすると、父の力関係がそのまま子どもの力関係に反映してくる。どうやら、こうした 構造は日本だけでなく、文明社会には共通した現象のようだ。
  いじめを子どもの世界だけの問題としてとらえるのではなく、大人の間絵の上下関係 や力関係があって、それがそのまま学校に持ち込まれているのだ、ということを認識す る必要がある。つまり、学校という子どもの社会は、大人の社会の縮図だということだ。 これをもう少し大きな意味で捕らえると、私達がこの国の中で、どういう社会をつくっ ているのかという問題につながってくる。
  いまの世の中、果たしてお年寄りや生涯を持つ人たちが安心して暮らせる社会なのだ ろうか。子どもや赤ちゃんもそうだが、一人では生きていけない人たちは守られなけれ ばならない存在である。いまの世の中が、そういう人たちにも優しい社会であるかどう か、私達自身、もう一度考え直してみる必要があると重い「いじめ」の問題を取り上げ ることにした。 
 
いじめの実態
  根本的に考えなければならない大人の側の問題があるということをふまえた上で、で は現実のいじめの問題に私達がどう対処していくかが問題である。
  例えば、いじめっ子が親に対して「今日は、○○○をいじめてくる」など、いうはず がない。いじめっ子だけでなく、クラスメイトも学校にいじめがあることを親や周囲の 大人にあまり話そうとしないだろう。
  いじめはどこの学校のどのクラスでも毎日、毎日、繰り返される。しかし子どもが黙 っているのだから、大人は意外にそのことを知らない。よくニュースでいじめの自殺者 が出た時に学校の教師や、家族などが「いじめがあるとは思わなかった」など、まるで、 子どもの周りを知ったように言う。
  私から言わせてもらえば、いじめは「無い」ではなく「見えない」だけなのだ。
  人間は本来、悪いことをしようと望んで生まれてきたわけではない。それゆえどんな いじめっ子の心にも良心がある。いじめっ子もいじめは悪いということを本当は知って いる。したがって、自分がいじめをしているということを親や教師には隠そうそうとす るのだ。 また、いじめられている子どもはどう考えているのだろうか。
  実は、いじめられっ子も学校でいじめにあったことを家の人には話したがらないもの である。
  その理由はいくつかあるが、まず、いったことがいじめっ子にわかると後で仕返しを されるから、それが怖くて言わないということがある。
  それから、子どもにもプライドがあるので自分が弱い人間だと思われるのが嫌だから 話さないこともある。
  また、いじめられたことは、その子にとって嫌なことなので、早く忘れたいというこ とがある。自分の心にとってマイナスであるものを家にまで持ち帰りたくないという心 理があるのだ。よく言えば、気持ちの転換をしているわけで、これはこれで自分のここ とを守るための防衛本能だとも言えよう。
  それゆえ、子どもが家では明るくニコニコしていても、それはいじめからやっと解放 されたという安らぎの笑顔かも知れないのだ。親、教師は子どもが笑顔だからといって 安心していては、いけないのである。
 
不登校
  「いじめ」によって、子どもが「死」を考える程追い詰められていたら、とりあえず 学校を休ませることが先決だ。そして、傷ついた心を充分いやしてあげなければならな い。ありのままの子どものすべてを受け入れ認めてあげることで、残された唯一の「居 場所」を守ってあげるのだ。
  しかし、いつも学校を休まなければならないのは、いじめられている子の方であり、 いじめている子は平然と学校に通っているのである。
  「どの子にも、学校へ行く権利はあるのに」と、その理不尽さを指摘する声は少なく ない。本人に登校する意志があるのみも関わらず身の安全を図るため不登校をホギ無く されているのだから、「いじめ」が原因で休んだ場合は欠席日数に含めるのはおかしい という意見もある。
  特に中学校では、欠席日数が高校受験の内申書も響いてくるから、「いじめ」による 不登校を欠席扱いするかどうかは、非常に重要な問題である。
  アメリカでは、すでにホームスクーリングの制度導入されているという。これは、何 らかの事情で学校に行きたくない子どもたちが市販の教材で自宅学習し、検定試験を受 け学校を卒業したのと同等の資格を得るという制度だ。これによって小・中・高校には 行かず、大学に合格した人も多数いるという。
  しかし、学校の存在価値は、知識を会得し資格を得ることだけではない。子のホーム スクーリングでは、子どもの社会性が育たないかという批判の声もある。」
  不登校は、あくまで緊急避難的な措置であり、子どもの命を確保した上で、教師や教 育委員会、弁護士会、親のネットワークなど、各相談機関への働きかけに尽力すること は、子どもの学校へ行く権利を保障するために必要なことでは無いだろうか。
  「当たって砕けろ」みたいにアタックするうちに、何らかの広がりが見えてくるしか も知れないのである。
  ともあれ、傷ついた子どもを取り巻く周囲の大人たちは、子どもの命を一番大切に考 えるという共同認識のもとに行動を起こすことが大前提である。
  今、子どもがどうしたいのか、何を望んでいるのか、子どもの気持ちに耳を澄ませ、 その心情に沿った働きかけでなければ、逆に、傷口を広げることにもなりかねないので ある。
 
いじめのない、いいクラスとは
  親も教師も、あるいは子どもたちも、問題が起きるのが悪いクラスで、何もトラブル が、無いのがよいクラスだと思っているようだ。しかし、実はそうではない。
  人間が集まるところには、どこでも必ずトラブルは起こる。その時、その起きたトラ ブルにどう取り組んでいくかにより、良いクラスと良くないクラスに分かれるのである。 みんなが力を合わせて解決していこうとする姿勢があるのが良いクラスである。
  また、問題のない時でも常日頃から、対等の人間関係をつくるよう努力していくこと。 それが何かあった時、ものごと解決していくための基礎になるのではないだろうか。
  これは、夫婦の問題でもいっしょである。問題の無い夫婦というのは絶対にないので ある。
  夫婦の間身のケンカやトラブルがあるのは、当たり前だと思う。大切なのは、問題が あった時どうそれを処理し、プラスの方に持っていくかということにある。「いじめに 勝つ子育て」の秘訣というべきものは、円満な夫婦関係にこそあると言える。
  人間の集まるところには、必ず問題は発生する。
  特に学校は、子どもたちが人間関係の基礎を学ぶ場所であるから、考え方によっては、 トラブルは逆によい教材であるとも言える。全くトラブルに出会うことが無ければ、そ れを乗り越え解決していく知恵を獲得していくことはできないのである。
  一回歪んでしまった人間関係でも、努力次第で修復されていくのだという事。
  それらを体験し、実感として知っているのと知らないのとでは、子どもたちのその後 の人生観が大きく違ってくる。
  最も良くないのは、トラブルをトラブルとして認識せず「そういうもの」と思ってし まうことである。本人が意識していない、いじめこそが意外に多いのである。自分の周 りには、いじめなんか無いと思っている子がいるが実は自分がいじめる側になっている 場合も多いのである。
  これを放っておくと、その子は知らずに人の心を傷つけながら生きていくようになっ てしまう。
  人との付き合いの中で、相手に嫌な思いをさせてないか、親として子供を見守ること が大切である。
 
おわりに
  いじめの事件が起きる旅に、日本中がいじめ、いじめと大騒ぎになる。いじめをなく すためには、そうすればいいのか、と大使や方法論だけ飛びかい解決まで至らないだろ う。
  治療ばかりしても、いい結果は出ないと思う。
  いじめられたらどうしようと考える前に、生活の中で親は予防すべきだろう。いじめ が表面化して親や教師がバタバタしても、生活の中に根っこはあるので、そこに気づか なければ同じ事のくり返しになるだろう。
  理論や知識、方法論で頭だけ言葉だけで治療しても、生活の中に事和えのある事に気 付かなければ、また次の犠牲者は出るだろう。
  治療よりも予防が大切なのである。
  子どもは、生まれながらにして、いじめられるように、また、いじめるように決まっ ているのではなく、家庭の中で、その子にどのように関わってきたかが、結果となって 表面化しただけなのだ。
  良心によって性格づくりがされたわけだから自分をどの程度認められているかが、解 決の糸口になるのである。しかし、プライドが高かったりすると、なかなか認められな いようである。
  人のせいや、物のせいにする方が、楽であるから、それではいつまでも答えが出ない。  子どもたちは、社会の歪みをそのまま反映しているように思える。子どもは弱い分影 響を受けやすいのである。社旗がいじめ問題の解決を急ぎすぎている分。、学校の教師、 親、子どもたちまでもが急いでいる。
  自我の未熟なまま子どもたちは、前へ前へと進んでいる。まるで立ち止まることを許 されていないかのように。いじめによって子どもたちの発達の歪みが現されているよう である。
  今、いじめ問題がテレビ、新聞などで取り上げられている。いじめは集団の中で起こ るのもであり、誰かれ関わっているはずである。そして最近ではいじめ問題が少年法の 問題へとすり替えられている。
  これではいじめの真相究明どころか何の解決にもならない。
  子のいじめ問題、事件を契機に、子どもたちの発達の歪みを真剣に考えてほしい。ま たいじめを苦に自殺した人の命を無駄にしないように教訓として生かしていかなければ ならない。
  そして何よりもいじめ問題、事件の真相究明を行い、早く解決してほしいと願います。  
 
 
  『学級崩壊』〜「公」と「私」の分別
秋田 龍則
 
 
 ゼミでビデオを観た。学級崩壊のやつだ。皆、度肝を抜かれるまでもないが、一様の驚きを口にした。僕自身も驚いた。と同時に、ゼミ長として冷静かつ直感的な分析をしてみた。「あらっひょっとして低学年と高学年では“荒れ”の質が違うんでないかい?」
 このレポートは、6月頃個人的に児美川先生に提出したレポートである。ここには、ゼミの討論では語られなかった真実がある。今、長い時を経てベールが明かされる。
 
 一般に「学級崩壊」とよばれる小学校での新しい荒れは、大きく低学年と高学年に分けて2種類ある。それを証明するために、保育と学校の関わりに注目する。そこから、何のために保育はあり、学校があるのかを考えてみる。
 
〈しからない保育〉 
 こと保育現場に関しても、理想が現場で実践されることは難しいようだ。平井信義氏は、“叱らない保育をしよう”と40年前から叫んできた。なぜなら、子どもたちを叱る場合は得てして、自分(保育者)が考えているしつけに対して子どもが従ってくれないからである。確かに、子どもにとって叱られることは不条理だ。私的な価値観の押しつけは、十分抑圧になるし、子どもがそれを当然のようにはねのけようとすれば、これまた当然のように叱られる。不条理だ。だけど、叱らずにどうやって子どもに「けじめ」や「しつけ」と教えるのだろうか。
 
〈しつけはご無用!〉
 平井氏は、「しつけ無用論」を説く。「“しつけ”とは、上から下に命令する“しつけ”はいけないと言っているのであって、子どもが考えられるようになる“しつけ”が求められている」。なんじゃそりゃ。しつけは無用だけどしつけは大事。この一見の矛盾が保育現場をある程度混乱させている。キーワードは“後ろ姿”。
 
〈情緒の安定〉
 “後ろ姿”で教えるしつけが求められている。しかしその段階まで進むのに保育の難しさがある。子どもがしつけを受け入れる過程は自主的でなければいけない。その前提として「情緒の安定」が子どもに必要となる。「情緒の安定」とは、保育者が常に子どもに眼を向け、子どもにいっぱい愛情をかけ、子ども自身が愛されているという実感を持てることを言う。この「情緒の安定」がなされて子どもたちに自主性・思いやりが育ってく。そこではじめて、子どもたちは“後ろ姿”のしつけを受け入れてく。しつけるときに叱る者は、常に子どもを見ず、愛情をかけず、子どもに「情緒の安定」を持たせることができない保育者としてはまだ未熟な人である。
        以上 参考文献:『子どもが見える、保育が見える』(フローベル社)
 
〈保育の位置づけ〉   
 何のために保育ができたのか、歴史のひもをとくのはナンセンス。それじゃぁ、先に進めない。僕なりに保育の位置づけをするナリ。
 よく、「しつけを受けてこない子ども」や「しつけをしない親」が問題になる。いままでの話によると、正確には、「しつけを受けつけられない子ども」と「しつけを理解できてない親」である。ここには、しつける・叱るときにしか子どもに眼を向けない親と、そのため情緒不安定になり、しつけを受けつけられない子どもとの間には、くっきりと因果関係がみられる。「ほぅ、じゃあ親が悪いんかい!」。そうだけど、そうじゃない。家庭に責任はあるとしても、それを負わせるわけにはいかない。家庭には、その家庭によって諸々の事情があるのだから。だけどそれは、単に、家庭環境の差異ゆえに子どもの幸・不幸を同情するわけでなく、その差異ゆえに責任の所在が蒸発してしまうからだ。家庭に責任を負わせても何の解決にもならない。そ・こ・で、保育の場である。
 保育の場は、各家庭からきた子どもの「情緒の調整の場」として位置づけるべきだと思う。ある家庭で育った子どもは、そこですでに情緒が安定しているかもしれない。また、その逆もある。保育の場で情緒を安定させていかなくてはならない子もいる。多様な家庭がある。だから、保育者も多様な態度で子どもと接しなくてはいけない。そのためには、行政が見直すべきところからはじめなくてはいけないと思う。保育者ひとりひとりが責任を全うできる行政。保育の場が各家庭の情緒の調整の場という位置づけの意識。その二重構造がいま保育に求められている。
 
〈自由保育・個性尊重保育の中身〉
 行政は何を考え違いしたのか、「自由保育」・「個性尊重の保育」の方針を打ち出した。「しつけ無用論」に代表されるように、保育の理想が現場で実践されるのは現状として難しい。そしてさらに、「自由保育」である。より一層の混乱を招く。「自由」=「放ったらかし」という方程式がまかりとおってしまうからだ。自由保育のもとで、子どもを好き勝手に遊ばせることはむしろ喜ばしいことであるが、@常に眼を向けているのか、Aしつける・しかる時のみに眼を向けるのか、Bまったく眼を向けず、放ったらかしにするのか、では大きく違う。これが、自由保育の中身なのらー。
 
〈自由保育の中で〉(…推測の域を出ないのだが…)
 まず前提として、情緒不安定な子どもが入園。@の保育を受けた場合、情緒の安定がなされ、しつけ受けつけ準備OK。
 Aの場合はどうか。もちろん情緒は不安定のまま。しつけを受けつけれない。そればかりじゃない。しつける・叱る時のみ眼を向けられるということは、子どもにとってダメ出しばかりされているようなもんだ。おのずと子どもは行動を抑制し、いつのまにか親・保育者など周りの人間からの指示なしに行動を起こせなくなってしまわないだろうか。自由保育の流入以前、実際はこうしたAの保育を受けてきた子どもが多かったのではないだろうか。没個性的な子どもとか、学校に順応化する子どもとか、一時社会を賑わせた子ども像はここから産まれたのではないだろうか。そして、そのAの保育の反動から、自由・個性尊重のスローガンが前面に押し出されるのは当然のように思える。
 しかし、多くなされている保育はBの放ったらかしなのである。もちろん、情緒は不安定のまま。そして、自由気まま、自主規制のない子ども、まさに、手のつけようがない子どもが生まれる。こいつらが小学校にあがって、当然のように、学級崩壊の主役をはることになる。                              
 
 〈家庭と保育と学校と〉
 個の尊重とは、保育者が常に子どもに眼を向け、その子その子によっての違いに応じた保育をすることであり、そうすることで、子どもの情緒が安定する。しかし、今日の現場では、一人の保育者が20人ぐらいの子どもを見なくてはならない現状があるという。(北野氏)自由保育・個性尊重保育の潮流の中、子どもを放ったらかしにすることで、得意げに手を抜く保育者がでてきても不思議でない。むしろ、状況が状況なだけに,そういう輩を合理的だと感心するかも。一刻も早い打開策が必要だ。二つ理由がある。
 ひとつは、繰り返しになるが、保育が家庭の諸事情の調整の場として位置づけられるべきだからである。家庭は家庭で見直すべきところはある。しかし、それを問題にするとキリがない。それでも、家庭のせいにして子どもなき問題へ逃げ込もうとしてしまう。それは、もうやめましょう。って思う。だから、敢えて保育機関に無理を言う。僕自身、お父さんになれないかもしれない、だけど、保育士にはなろうと思えばなれる。保育機関は、諸家庭で育った子どもの「情緒の安定」の調整の場としてなくてはならない。そのためには、保育者を増やすべきだし、家庭と保育との密な関わり合いが必要だと思う。やるべきことはいくらでもあるのだ。
 さて、もうひとつは、先に分類した自由保育の中身(@、A、B)は、小学校で問題になっている“新しい荒れ”や他の諸問題に対応しているからだ。つまり、一刻も早い保育の場の統一性は、学校・教師の新しい形を決定づけるのだ。
 
 (図1)
 @学校・教師と生徒とのぶつかり合い→反学校的(個性化)・・・・A
 A荒れない→順学校的(没個性)・・・・B
 B自由気まま・自主規制のない子が主役の荒れ→脱学校的(個性外)・・・・C
 
 〈学校は荒れて当たり前〉
 本来、学校はある程度荒れるものだ。今まであまりにもAの保育が横行していたため錯覚しているのだ。だから、@のような保育の理想が現場で忠実に施行され、その子が小学校に行けば荒れる。荒れるというか、「公」教育というものと衝突するはずなのである。 さて、(図@)において、@とBの二つの荒れが確認できる。これはさらに、三つに分けることができる。ここで初めて、学級崩壊とは何なのか見えてくる。結論から言うと,学校でなら当たり前の“荒れ”を学級崩壊まで昇華させるのは、教師自身なのである。
 
 (図2)
 A情緒の安定した生徒の荒れ→T「公」と「私」・・・当たり前の荒れ
               U「私」と「私」・・・学級崩壊
 C情緒の不安定な生徒の荒れ→学級崩壊
*「公」・・・学校側の価値観
 「私」・・・生徒(もしくは教師)個人個人の価値観
 
 一般に「学級崩壊」とよばれる小学校での新しい荒れは、2種類ある。冒頭で言ったとうりである。(図2)を順に説明していく。
 
 〈A情緒の安定した生徒の荒れ〉
 しっかりした保育、つまり、子どもの情緒が安定する保育がなされていれば、子どもは、多少なりとも小学校で荒れるものだ。それは、保育と学校のその役割の違いからでてくる。保育での役割の理想とは、子どもを叱らない、常に眼を子に向け、個を尊重する。その子その子の個を十分に拡張させる保障をし、自主性・思いやりを育てようとするのだ。ここでは、集団性・共同体など出てこない。それを持ち出すと、個を抑圧・規制してしまうからだ。だから、基本的に、保育者の眼の内において、子どもたちに好き勝手にやらせるのだ。枠のない自主性を育てるのだ。そういう理想の保育を子どもたちが受けて、学校で荒れるのは、何も子が悪い、保育が悪い、学校が悪いと言うのではなく、逆で、お互い良い保育を受け、良い保育をし、良い教育をしている状況なのだ。だから、むしろ、この必然性をよろこぶべきだ。このような、よろこばしい状況(AT)を、「学級崩壊」(AU)とし、教室を放棄しているのは、教師自身にほかならない。この罪は重い。
 
 〈C情緒不安定な子どもの荒れ〉
 (図1)で見てもわかるように、保育時に放ったらかしで育てられた子たちは、そのままストレートに学級崩壊の主役をはる。情緒の安定を求め、誰かにかまってもらいたくて、騒ぎ出す。子どもにとって教師は、教師ではなく、保母さんか母親ぐらいにしか見てない。子どもにとって、教室も学校も授業も何も関係ない。ただ愛に満ち足りてないリピドーが彼らを動かすにすぎない。こんなんで授業が成立するはずがない。保育でする義務を学校に押し上げた結果だ。学校の保育化である。だから、対応としては、保育の理想を無理でも学校に持ち込むしかない。叱らず、常に眼を向け、子どもの「情緒が安定」するのを待つしかない。これは学級崩壊だ。学校が学校としての役割を果たせない状況だからね。
 
 〈教師の「公」性;まとめにかえて〉
 例えば、自立。なんでもありだが、僕は集団の中で個を確立することだと思う。子どもは、学校の集団性を備えさせる性質の「公」とのせめぎ合いの中で、自らの「個」を確立し、自立していく一面があると思う。日に日に、子どもは、情報社会・消費社会の進行のもとで、同時に、@の保育実践のもとで、巨大な「私」をひっさげて、小学校へ入ってくる。それはすでに一大人の「私」をこえているかもしれない。そんな子どもの「私」を前に、教師が集団性を指導していく際、教師は「公」性であるが故に生徒の前で教師でいられることを強く意識しなければならない。教師が生徒の前で「公」であることをやめ「私」になったとき、「私」と「私」のぶつかり合いは、学級崩壊を引き起こす。もちろん、子どもの自立は棚上げになる。
 理想の保育が現場に浸透したとき、それに応える理想の学校が必要だ。理想の学校とは、つまり、「公」性である。子どもが最初にぶちあたる試練は、「公」という心地よい窮屈さなのである。そして、その演出は「公」としての教師に委ねられている。  end.
 
 
 
  生と性について
     −これからの性教育のあり方−
古賀 美輝子
 
 
第1章  今までの性教育
 今までの性教育というと,男女の性のちがい,生理や射精の説明が主であった.授業の雰囲気としては,いけないこと,悪いこと,いやらしいことなど,なぜかいつも暗いイメ−ジであった.日本の昔からの文化のなかで表にだして,性を語るということが,タブ−になっていたことと関係して,どうしても性について語ることは,いけないこととして,私たちの頭の中にのこっているのではないだろうか.
 しかし,いつまでも水面下でやっていては本当の“性”についてはわかってこないし,性を知るということは,人間にとって大事なことでもある.人間は,恋人を求めたり,そしてすでにパ−トナ−がいたり,または一緒に暮らしていたりする.そういう中で,結婚について迷ったり,別れを経験したりする.私たちにとって愛や性は,とても身近な問題としてとらえることができる.
 私のなかでは,性とは,人間と人間がコミュニケ−ションするなかの一つの手段だと考えている.
 
第2章 子どもたちの性
 今,思春期の性がゆれている.現代社会には,さまざまな性風俗・性情報が流れ,男女交際のあり方が多様化してきている.
 
(1) 何者だ
 子どもたちは,今,確かに性的な問題で困っている.混乱してもいる.とは言っても,現状は子どもたちがきわめて自然に困っているわけでもなく,また自主的な意思によって混乱しているわけでもない.その意味でいうと正確には悩んでいるわけではない.子どもたちは何者かによって悩まされているのではないか.とすると,「子どもたちの悩み」という表現は不正確で,正確には「子どもたちの性の悩まされ」と言うべきではないだろうか.この何者とは一体誰なのか.
 
(2) 思春期の性に落とす影
 思春期は,子どもが大人に変化発達する時期ととらえられている.子どもはやがて必ず大人になる.それにしても大人って何だろうか.これを人間ではなく,他の動物,しかも家畜ではなく野性動物で考えてみたい.
 例えばキタキツネ.キタキツネが子ギツネではなく,大人のキツネとして認められるには,まず,子どもが産めなければならない.生殖性である.次には社会性をあげなくてはいけないだろう.現在,北海道の原野−ここがキタキツネの故郷だが−と言えども,鉄道があり,道路がある.うっかり近づくと危険がいっぱいだということを知らなければ,とても大人になるまで命が保持できない.多くの幼いキタキツネが今,この犠牲になっているという.次に大人のキタキツネは,まず自分の餌を,ある時期には子ギツネの餌をとれなければならない.経済性である.
 非常に乱暴だが一口にいえば,大人になるとは,生殖性,社会性,経済性が整うことを言うとは言えないだろうか.もちろん,これは人間にも当てはまるだろう.人間の場合,仮に生殖性の確保を,初経と精通だとすれば,たとえば,石器時代なら,生殖性の確保と社会性,経済性の確保は,ほとんどキタキツネなみにほぼ同時確保できたのではないだろうか.
 石器時代の社会性が現代より単純だということを想像するに難しくない.日本国憲法があるわけではなし,PKO法があるわけではなし……というだけでその説明は十分ではないだろうか.経済性も同じことだ.木の実を採り,イノシシの三頭も獲れば十分だったはずである.
 さて,現在,日本人の初経の平均は十二歳〜十三歳だという.精通はそれに約一年遅れるとされる.それを基に十三歳半を便宜的に現在の日本人の生殖能力あるいは性行動を起こし得る能力の平均的確保の年齢とみよう.
 それなら,この十三歳半の社会性はどうだろう.まさか「電車に乗るのに切符がいる」ことを知らない十三歳半はいないだろうが,現代の社会のル−ルは,それで十分であるほど単純ではない.本当に人が幸せになるには,社会的ル−ルを単に慣習的なものからだけでなく,その把握は超慣習的なところにまで及ばなければ十分でないのだから,その習熟と完成には,かなりの時間が要求される.経済性についても,現代の日本の十三歳半は,子役のタレントを除いては,コンスタントな生活をするに足りる収入を得ている者はないだろう.
 私たちの社会は,時代の発展とともに,人の生殖性,社会性,経済性の獲得のリズムを三者同刻からかなり乱調子に変化させている.しかも,ヒトがサルから枝分かれしてホモサピエンスとして旅立った歴史から見れば,石器時代とはつい最近のことだと言わなければならないから,この乱調子は私たちにとっては,つい最近の新しい出来事だということを知らなければならない.
 今,現実的に見て十三歳半で確保された生殖性が発揮されるのは,いつだろう?大学を出て就職をして結婚するというパタ−ンならば,それは二十五歳だろうか,二十六歳だろうか,今は晩婚が多いからもっともっと先のことだろうか.とすれば,生殖能力が獲得されてから,その能力が発揮されることが公認されるまでにおよそ十年余が普通に要求されている.この十年余をどう生きるか,この十年が人間の性的生涯についてどう位置づけられるべきかの探求や学究の不足が,その十年余を生きている時期の子どもたちを混乱困惑させている.この十年余について学校教育がまともな関心を持てないでいることが,子どもたちを悩ませている.
 日本では,小学校卒業時,五十%の女の子が妊娠する能力を持ち,四十%弱の男の子が妊娠させる能力があると言っても,もちろんその五十%や四十弱がすぐに性行動を起こすわけではない.なぜなら「そんなことをしてはならない」という禁止が社会的にきちんと施されているからだ.
 現代の教育が,月経があり,精通を迎えた子どもたちの生殖性を無視していること,そこに子どもたちの性的人権を認める能力の欠けていることが子どもたちに落とす影は大きい.これが子どもたちをなやませている.
 
(3) 援助交際って
 近頃,一種の流行語のごとく,普通に使われている『援助交際』という言葉.援助交際をやっている女子高生は,みな口をそろえて「人に迷惑かけてないでしょ」という.たしかに,迷惑をかけているわけではないが,なにか不安を感じてしまう.
 援助交際をしている女子高生たちは,援助交際に対して,「性の問題よりお金の問題」と言いきっていた.彼女たちにとって目的はお金であり,援助交際をしている相手の男性の顔が福沢諭吉にみえるらしい.彼女たちの援助交際のなかでの性交(SEX)は,相手に対して感情がないから感じないと言っている.快楽のないSEXというのは,なんかさみしい気がする.本当にお金だけが目的となっていて,人間と人間のすばらしいコミュニケ−ションとしてのSEXが失われようとしている.「今がよければべつにいい」と今の若者はよく言う.今,欲しい物のために,自分の身体を売ってお金にかえてしまうことに,あまり罪悪感を感じていない.
 
(4) 援助交際を選択する少女たち
 援助交際をする女子高生たちが街での行動を決定するための基準は,けっして見かけほど単一ではない.
 援助交際などをする女子高生たちの動機づけは,まさに今の大人社会の鏡のように,さまざまなストレス,欲望,孤独感などが交差しているのである.
 一時のマスコミの騒ぎも落ち着き,「友達に誘われてなんとなく」というタイプが減った分,現在も援助交際を続けている(あるいは始めた)少女たちの間には,ロジカルな批判などモノともしない確信犯の比率が増えている.
 そしてもう一つの目立つタイプが,家庭が機能不全で居場所を見いだせない,「淋しい」少女たちである.
 前者の少女たちは「商行為」としての「ウリ」が,今の市場社会で「セ−フ」だという感覚を持ち,後者は自分の心理的な欠損部分を補うある種のツ−ルになるという感覚を持って行動しているのだ.
 この「セ−フ」と「アウト」の感覚こそ,自己決定能力にとって非常に重要なものであると,フリ−のジャ−ナリスト速水由紀子氏は言っている.もちろん現時点での少女たちのジャッジは,まだスタ−ト地点に立ったばかりの,稚拙で一貫性のない最低限度のものではあるが.
 マスコミの偏った報道により,援助交際=売春と思われがちだが,実際は「食事とカラオケだけ」とか,「胸まで」とか「フェラまで」とか「だまし専門」「愛人契約専門」とか,その子によって線引きのラインは異なる.
 なにが「セ−フ」で何が「アウト」なのか.
 それはその子の感性やプライドのあり方の問題であり,「内なる良心の声」ではなく,「私の生理に基づくジャッジの声」が決めるのである.
 宗教もモラルもないのは大人と同じだが,さらに共同体や他人の視線も,もはや少女たちには無縁である.今や彼女たちに残されているのは,自分自身の皮膚感覚だけになっている.
 つまり論理や主義主張というものが消え,「カワイイ」「ウザイ」「ヤバイ」といったような,ごく「私」的な感覚がすべてを支配しているのである.
 もちろん,その感覚を構築するのは,彼女自身のライフスト−リ−や感受性,さらに家庭環境,友人関係などである.
 援助交際が社会的に問題となっている今,基本的な課題として,性的自己決定能力の育成を東京都はかかげている.性的自己決定能力とは,自分の性のあり方を自分で決める力である.私は,ここで考える.たしかに性的自己決定能力は,これからの若者,いや,すべての人にとって大切なものになってくると思うが,そう簡単に自分の性のあり方や,自分の性と向き合うことはできないと思う.
 大人でも,これは難しいことではないか.
 それを,中学生・高校生に対して実行していくことは,それなりのしっかりとした内容のあるものではなくてはいけない.
 また,性的自己決定能力を育成していく側の大人は,何をすべきなのか.
援助交際をしている少女たちは多くのジャッジを生理的な感性に委ねている.その意味においては,戦後の「性」に関する建前教育はすべて無効になり,ゼロに戻ったというべきではないだろうか.
 
(5) 性的自己決定能力の育成
 自らの性のありようは自ら決める権利がある.いや,そうではない,神が決めるのだ,父親が決めるのだ,いや王様だ,部族長に決定権があるのだ,といった国,民族,時代もあったがそれまず過去のものである.まだそうした影を残している国もあるがそれもやがて過去のものとなるだろう.
 性の自己決定権はその人自身にある.いわば人権,自然権といってもよい.もちろん子どもにも.権利はあるがしかしそれをまっとうに行使する力が自然に備わっているわけではない.自己決定力は育まれなければならないのである.
 そうでないと子どもが“自分で決めた”ような装いをとりながら大人から利用されかねないからである.「虐待」という言葉は日本語では殴ったり蹴ったりというようなイメ−ジをもちやすいが,もともとのabuseには「濫用」とか「悪用」あるいは「醜行」や「弊害」というようなかなり幅の広い訳があてられている.大人が子どもに「お金をあげるから」とか「好きなものを買ってあげるから」とか「かわいいネ,おじさん,君のことが大好きだから」などといって一時的に性行為を求めること,誘うこと,買春もabuseなのである.
 日本では,先に述べた援助交際のように,大人と子どもの間でも「合意」があれば金銭をともなう性行為だっていいのではないかという意見も聞かれるなかで,子どもの性的人権とはなにかについてあらためて立ち止まって考えてみるべき必要があると思う.
 さて,このように考えると自己決定力を育てるというイメ−ジが大人の側のなすべきこととあわさって,よりいっそう明らかになってくるのではないだろうか.
 それはまず,「だまされない」力である.あえて,それを“予知力”と“交渉力”といいあらわしてみよう.
 このうち予知力とは「そうすることがどんな結果につながるのか,あらかじめ考える力」のことである.そして,その内容には科学的な認識とともに性をめぐる社会認識や状況認識,たとえばアルコ−ルが冷静な判断力を鈍らせイ−ジ−な性行動の誘因になるとか,金銭を介在させた性的関係とは本質的に支配・被支配の人間関係であるとか,その他,性のトラブルを引き起こしやすい状況をつくらない,というような判断力などもふくまれる.性の教育はそうした力を意図的に育てるように組織されなければならない.
 また,科学的な認識としては,性交や性器や性差などについて正しく学習して誤解や偏見などから解放されること,いつ妊娠しやすいか,しないかということや性感染症など,無知のままでいればトラブルにまきこまれかねない事柄などについて正確に学習し,理解することがふくまれる.
 学校教育としての性教育にはこの「予知力」形成が基本的に期待されるべきではないだろうか.
 もう一つの「交渉力」とはなにか.
 人間の性交は相手との関係によって左右される.自分はこうしたい,そうしたくないと思ったとしても,相手がどう対応するかによって思わぬ結果が生じることにもなる.
予知する力があっても自分の思いを相手に伝え,相手の同意を得なければ望みは貫徹できないのである.そこで必要となってくるのが交渉する力である.交渉力とはまたトラブル(望まない妊娠,性暴力,その他)に巻きこまれたらどうしたらいいのか,どこに相談し,どこに訴え,どう対応していったらいいのか,判断し行動する力でもある.
 この力を自らのうちに育て相手に対して表現するためには,性を「生」とシッカリ結んだ考え方をもつこと,交渉のためのスキルを学ぶこと,それから自分が自分であってよいとする自己肯定の強さが重要である.
 相手に対して卑屈になって対等性が損なわれるような関係のもとでは交渉は成り立ちえない.確固とした自己肯定感があってこそ交渉の力は発揮できる.
 「問題」はこの自己肯定の力をどう育てるかである.おそらくそれは生まれ育ちの過程で親から,周りの大人たちから,そして教師からの働きかけを通して時間をかけて形成されるものであり,学校でこれこれのことを学べば育つというものではないだろうと私は考える.
 じつはここに自己決定力を育てるむずかしさの一つの大きな根っこがある.
 ここでは,その問題指摘だけしかできないが,家庭のあり方,親のもつ子ども観,セックス観などもふくめて今後,とりくんでいかなくてはいけないことではないだろうか.
 このようにして社会や大人への信頼感が醸成されたらそれはきっと子どもの自己決定力の形成にとって,力強い援軍となるはずである.これは子どもを大切にする社会としての成熟度を示す問題でもあると思う.
 
 
第3章 生が輝くことにつながって
(1) これからの性教育
 人間が誕生し,今までずっとつきあってきた性.「性」というものを,人として生まれてから死ぬまでの生き方の問題としてとらえることが重要となってくるのではないだろうか.性教育というものの広さ,深さ,裾野の無限性に比べ,現実の取り組みは,正直いって手探り状態だ.
 性教育は決していやらしいものではない.
 これからは,もっと学校のなかで,性教育に重点をおくべきだ.性教育は一人の教師やひとつの学校だけではできない.学校・家庭・地域の三者がよく話し合い,意思を通わせ,互いに自由な意見を交わすなかで,本当に子どもたちのしあわせを願った性教育が生まれてくると私は思う.
 
第4章 おわりに
 私は,この大学4年間,私なりに性教育について勉強してきた.性について興味があったのもあるし,私の家庭がものすごく性についてオ−プンだったことも関係しているのかもしれない.
 性教育=性交(SEX)ではないけれど,性=生というものを考える場合,どうしてもセックスというものにぶつかってしまう.
 そこで,セックスについて私なりの考えを述べると,私にとっての性愛は,ひじょうにメンタリティが重要である.セックスをしたときに,相手の人間性がよくわかるということがあると思う.だからといって,まず寝てみて,それから考えるということはない.まず自分が求める相手がいて,その先にセックスがあるのだ.
 また,セックスは1対1の人間関係,その二人の快感のあり方でいいわけだから,そこにこうあるべきというお仕着せの考えなど無用である.そのときどきで,相手との世界をつくりあげていくことがセックスの楽しさでもある.
 だから,私はギアはいつもニュ−トラル.フォアにいれるかリアにいれるか,そこに決まりはない.相手が変われば,また違う形があるかもしれない.
 年齢や,「女だから,男だから」という決めつけ,社会の“常識”といったものから自由になってこそ,本当の性の楽しさを謳歌できるのではないかと私は思う.
 
 性体験の低年齢化にともない,性教育の必要性が言われるようになってきた.いい傾向だと思う.ただ,それがむやみに子どもたちを抑えつけたり,おどかすだけのものであってはいけない.セックスは本来,美しくて幸福感を感じるもの,そのためにも,まず自分のことを大切にし,そして相手のことも大切にする.そういう健全なメンタリティへと導く説得力をもつことが大人の知恵,本当の優しさではないだろうか.あらためて性教育と言わなくても,それこそが「教育」であると思う.
 こういう私の意見が世の中の人すべてに届くとは思っていない.ただ,自分が知ってしまった人,今,私の目の前にいる子どもたちを守るために,私は祈るような思いで言い続けたいし,それが大人である私の責任でもあると思っているからだ.
 
 
参考文献
○ 21世紀性と性教育のゆくえ     村瀬幸浩   大月書店
○ 子どもの権利を生かす生活指導全書9  性教育     村瀬幸浩編   一葉書房
○さわやか性教育         村瀬幸浩著   新日本出版社
○子どもたちの性−親子で語る「性教育」    安達倭雅子    集英社
○性教育は,いま         西垣戸勝著   岩波新書
○こんにちは!性教育        北沢杏子    ア−ニ出版
○性教育ノススメ         山本直英    大月書店
○愛とこころの性教育        村瀬幸浩    あゆみ出版
○<性の自己決定>原論      宮台真司他     紀伊國屋書店   
                
 
 
[3] 家族
 
 
  「食」が生み出す親子関係
野口 友子
 
 
・たかが食事、されど食事
 普段、当たり前のこととして行っている「食事」という行為。日常茶飯事、という言葉も示すように、飲んだり食べたりということは健康で不自由がないと当たり前過ぎて、あまり気を使いすぎたり問題視しないように見える。むしろ、不健康・不都合な状態に陥ってからでないと、食事の時間帯や献立など、様々な配慮はしないのではなかろうか。健康な時でも、食べ物の恨みとは恐ろしいとよく言われる。我々が生きていく上では食事は侮ってはいけない存在ではなかろうか。
 乳幼児にとっての食事はいかなるものか。まだまだ発達途上で、常識なんて理解してないような子どもたち、である。これから物事を見聞きして学習していく子どもの段階で、「食」を通して得ていくことはとても多いと思う。その「食」が子どもに与える影響、「食」を通してできてくる人間関係、殊に乳幼児期では子どもと共に食事をする機会の多い親との関係はどのようなものになるのか、考えてみようと思う。
 
・文部省が食生活に助言
「キレる」「むかつく」に象徴される最近の子ども達は、カルシウム不足や低血糖症、脂肪の過剰摂取など、栄養バランスの偏りが原因とも言われてきた。そこで文部省は「成人病予防だけでなく、児童・生徒の心の健康にかかわる「食」の役割を重視(1999・9・6  江北新報)し始めた。また「2002年度からの学校完全週休2日制を控え、子供たちの家庭での食事の重要性が増すため、栄養バランスの知識や、だんらんの機会としての教育上の役割などを家庭にも再認識してもらうことが狙い(1999・9・7 日経新聞)」として、各小中学校で「食」に関する授業を充実させ、その内容を保護者にも知ってもらえるような事業を来年度からスタートさせるとした。
 文部省がついに家庭の食事のあり方まで心配するようになったか、と半ば驚いた。しかしそれだけ、あまりにも学校への悪影響が大きく、しかたのない処置なのかもしれない。それだけ、家庭側でも子供を健やかに育てさせるような食事をさせていないのだから、「余計なお世話」とたてつく前に、素直に指摘を聞き入れて考えなおすべきなのだと思う。でもそれはあくまで「参考」であって、絶対にそれに従わなくてはならないというものでもないはずだ。しかし、マニュアルがあるとそれ以外は間違いと判断しかねないのが、我々日本人のよくないところである。文部省の今後の指針も必要以上に項目の並べ立てをしないことを期待したい。
・最初のお手伝いから「食育」を 
 最近では炊事はもちろん、掃除も洗濯もさまざまな「文明の利器」の出現でだいぶ楽になっている。したがって、親が意識して子どもを家庭教育の場に引きこまないと、子どもは生活上の知識・技術を覚える機会がない。では、何を機会に生活の知恵を与えていけるのか。例えば子どもが最初に関心をもってやる家事、それは「おままごと」でもメインイベントであろう台所仕事はどうだろうか。
 おままごとでは、泥や草花などでいろんな食事を作るが、実際には口にすることはできない。あくまで母親やその他家族員の模倣に過ぎない。そこで多くの疑似体験をしてきた子どもが、実際に台所に立ち、本物の包丁や鍋を使い、家族に食べてもらえるごはんを作って見た時、どんなに嬉しく思えるだろうか。最初の頃はお米をといで炊飯ジャーに入れるだけであっても、その「自分が炊いたのだ」と思えるご飯が家族に受け入れられたとき、そこで自分も家族の一員としての大仕事を成し遂げたという、子どもながらの大きな誇りを得られるものだと思う。
 食事というものは、ただ「食べる」という行為だけでは成り立たない。外食は例外として、家で食卓を囲むという手筈になれば、材料を用意して、台所で調理して、食器に盛り付けて、そしてやっと食べる事にありつける。食べ終わった後も下膳に食器洗いなどとやるべき行為は多い。それは毎日のことであり、子供が日常的に目にするものであって、だからこそ「おままごと」に取り入れられてきた。疑似体験から実践への移行は、子どもの成長した事を認めてあげている行為ではなかろうか。子どもは母親の行為を実際にやってみる事で、母親の苦労もわかるだろうし、家族に食べてもらえる喜びも知っていく。これら食に関する様々な行為の中で、子どもはいろんなことを学んでいく。
 こうやって食にかかわっていくことで、食べ物を粗末にする事はできにくくなるはずだし、食べられる幸せや食べる際のマナーも自然と習得しやすくなるのではないだろうか。押しつければ、子どもは反発する。食べ物の恨みは恐ろしい、とはよく言ったもので、食事中にただひたすら嫌いなものを食べさせようと強制したり、早く食べられない事をひどく叱られたりすると、子どもは食べる事にいつしか恐怖心や嫌悪感を持ってしまう。せっかくの楽しい食事も、苦い経験の為に苦手なものへと変化していく。自主性を重んじ、食事を通して楽しく学ぶ「食育」を行えれば、子どもは遊びの延長上で多くのマナーや人間性を得ていけるものだと私は考える。
 
・たくさん食べて大きくなれよ、と言っても、、、、、
 何の本だか忘れてしまったが、幼稚園に持っていくお弁当にまつわる話で以下のような話があった。とある家庭のお子さんがとてもよく食べる子だったので、ある時から母親は大きめの弁当箱を用意して、中身も多めに入れて持たせるようにしたのだという。しかし、その日からなんとなく元気がなくなり、登園拒否までするような状態に陥ってしまった。そこで幼稚園の先生らに相談してみたところ、どうやら弁当の量が多いがためにいつまでたっても食べ終える事ができず、その間に友達がみんな食べ終えて外へ遊びに行く事が苦痛だったらしい。自分は楽しく遊んでいる友達を横目に必死で食べるが、どこか仲間なら置いてけぼりをくらった気持ちでいっぱいになっていたようなのだ。それを理解した母親は、そのお子さんと共に「自分にあった弁当箱」を買いに行き、翌日からはその弁当箱をもたせてやり、一番に食べ終わっては元気いっぱいに誇らしげに外へ遊びに飛び出していくようになった、とかいう話である。
 子どもとは不思議なものである。たくさん食べて大きくなってほしいという願いから、おなかいっぱい食べさせてあげようと大きいお弁当箱を持たせてみれば、こんな結果を招いてしまう事もある。体はすくすくと成長していけるが、これでは心の方はひがみっぽくなるばかりで好影響とは言いがたい。たくさん食べてくれることだけを喜ぶのではなく、それが時として心理面に悪影響を及ぼすことも親は自覚しておくべきであろう。
 ここではお弁当だったから家庭で量を調整するということで解決したが、もし給食だったらどうだろうか。私の通った幼稚園は給食制で、その上私は食べるのが遅く、好き嫌いも多い子だった。お弁当なら嫌いなものは入ってないのに、給食ではそうはいかない。いつも私は最後まで教室で食べている置いてけぼり組だった。子どもながらに屈辱を感じた。今でもみんなで食事に行き、最後まで食べていると不安になる。みんなを待たせているような、みんなに疎まれているような、そんな不安は少なからず沸いてくる。ささいなことではあるが、私には多少なりともコンプレックスとなっている。子どもの頃の食事は、大人の時よりも大きな影響があったり、心の傷となっていたりもする。人は食べないと生きていけない存在なのであるから、それを嫌いになったり苦手意識を持ったりしてしまわぬよう、子どもの時から考慮してあげてほしいと願う。
 
・「授乳」という安らぎ
 先に私はご飯を食べるのが遅くて、時としてみんなに疎まれているのではないかと不安になると書いた。しかしそうではあっても、みんなと食べる方が好きである。「ひとりごはん」は味気なくって、とても寂しくって、できることなら避けたい行為である。誰かと食事をするととてもホッとできる。同じものを、同じ時に、同じ空間で摂っているという「共感」があるからであろうと私は思っている。それと同時に、生まれたての赤ちゃんはいつも誰かに栄養分を与えてもらっているということから、大きくなっても誰かと食事を共にすることが、人生の原点に戻っているようでホッとできるのではないかとも思える。
 もしその「原点に戻る」ことが本当に安堵感を招くものだとしたら、その「原点」という部分はちゃんと形成しなくてはならないものになる。安堵感を招けないような原点であれば、人は「ひとりごはん」さえも何とも思わず、むしろ一人の方が気楽とさえ思えるようになってしまうのであろう。
 「授乳」という形で赤ちゃんは栄養分を摂取していく。これが私たち人間の、食における「原点」である。ここでちゃんと授乳をしてもらってきたかで、今後の食生活の価値観をどう築かれていくかが問われると言っても過言ではなかろう。
 授乳は基本的には母親が子どもを抱いて母乳を与えるというものである。しかし、母親側の体調であったり、生活環境、仕事状況などで、いつもいつも母乳をあたえていられるわけではない。しかし近年では、子どもに母乳を与え続けると、自分の胸が見るに耐えないほど垂れてカッコ悪くなるのを避けるために、母乳を与えないという人もいるという話だ。今は哺乳ビンで、粉ミルクを人肌ほどに温めたぬるま湯で溶いて、母乳に近いものを与えられるようにはなっている。しかし、「擬似母乳」は、本当の母乳のすべてをまかないきれているのだろうか。母乳が与えられるものなら、ぜひ与えてほしい。それが子どもにとって「安らぎ」を与えるものだと私は考えるからだ。
 
・「哺乳類」という種族の機能
「安らぎ」が持てるようになるには、そこにある程度の信頼がなくては始まらない。つまり、当たり前が当たり前であることによって、疑うこともなく、恐れることもなく、ぬくぬくとしていてもいいんだと思えて始めて「安らぎ」は成立するのだと思う。
 赤ちゃんにとって、母親は「育ててくれる人」という当たり前があって、毎日一緒にいて、面倒見てくれて、そして安心できる。そのうえ授乳という行為においては、母親の抱きかかえてくれている腕の体温、本当の「人肌」温度の母乳、しかもその母乳は哺乳ビンとは違って冷めてしまったり、日によって微妙に温度が違うということはなく、なにもかもが安定した状態である。
 そういう安定した状態から、自分自身の精神の安定なども形成されていくはずだ、と考えてしまうのは安易かもしれない。しかし授乳なる行為は、ただ赤ちゃん期の栄養補給だけとは考えられない。何のための「哺乳類」っていう種族なのだ、と考えてしまう。そういう種族であるということは、やはり我々ヒトは授乳を甘んじてはならない存在であるはずだ。栄養補給だけなら別にお乳で育たなくっても、鳥みたいに親がどこかから持ってくるエサをピーピー鳴きながら待つもよし、植物みたいに光合成して成長していくもあり、のはずである。
 ヒトは心を持ち、考える動物である。そして哺乳類という種族である以上、その基本的構造を無視して育てていこうとすれば欠陥は心身どこかに生まれてきて当然ではなかろうか。この授乳期をいかに過ごすかによって、将来の情緒不安定やAC、拒食症や過食症、いかなる病気もなりえるであろう。この時期に母の胸に触れることでスキンシップという安らぎだって知ることができる。もし哺乳ビンでずっとミルクを与えていたら、風呂に入れてもらうときくらいしか母の肌に触れることなどなってしまう。スキンシップの機会を増やすためにも、母乳の子育て万歳、である。
 だいたいおおくの女性に言いたいことだが、バストは大きくて形がよければいいだけのものではない。スタイルがいいに越したことはないが、本来の役割を認識して、自らの身を持って子どもを成長させていける身体構造に、多いに感謝すべきだ。
 
・個性伸長に「おふくろの味」
 先に母乳での子育てを推進したい考えを述べたが、授乳期を終えた子どもにも「母の手作り」を与えていってほしいと私は思っている。これだけコンビニやファミレス、お惣菜も発達しているこのご時世に、何を古臭いことにこだわっているのかと思われても仕方ないが、しかし「おふくろの味」がなくなるのは嫌なのだ。
 「おふくろの味」とは、その家の個性だと考えていいものだと思う。卵焼きひとつにしたって、味を塩でつけたり、砂糖や醤油だったり、焼き方・大きさ・切り方、何を取り上げてもいくらでも違いは出てくる。でも、どれであっても正真正銘の卵焼きであって、間違いではない。
 その個性豊かな卵焼きをお弁当箱に詰めて、みんなで遠足に行ったさいなどに交換して食べてみる。そうしてみると、コンビニとも
お惣菜とも自分の家庭とも違う、今までになかった卵焼きとの出会いがあったりする。極例になるが、この「卵焼き」を子ども個人に置き換えて考えてみたらどうなるであろうか。
 子どもたちはそれぞれ、生まれた場所も、時間も、そして親も生活環境も多種多様である。味付けに相当するであろう教育の注入方法も千差万別だが、それでもかけがえのない命を持つ一人の人間には変わりはない。その子どもが外に出て、様々な「卵焼き」、すなわち姿形は微妙に違えど、同じ人間と出会い、お互いが味わい、そういう人もいることを知る。
 もしも「おふくろの味」がなく、その家独自の味なんて存在せず、そういう環境で育てられてきた子どもは、「個性」を知る機会をひとつ失ってしまう気がする。個性とは、異質なものと出会ってみて、そして違いに気づき自覚できるようになるものではなかろうか。それがこんな「卵焼き」ひとつで人生が大きく変わるかといえば、間違いなくそんなことはない。しかし、注目してもいいことだと思う。おふくろ、すなわち母親が作っているものでなくとも、家族の誰かが毎日食事を用意してくれて、それが他の家とも店とも違う我が家だけのもので、ここでしか食べられないという貴重なものであって、それが我が家の、その子自身の誇りや自信にもつながるといったらそれは大げさであろうか。
 世の中は今、個性の伸長を奨励する傾向にある。それなのに食という身近な存在では、お惣菜コーナーの、いつも他人様のものでは、その家やその家族構成員の個性が埋没してしまう。先に「食育」の大切さを偉そうに書いてみたが、ここでも食育という機能を考えたら、やはり家庭の味をその家ごとに持っていることが、時として個性の伸長、時には自分の個性の自負にもつながっていくのではないかと思えてしまう。人と違うことがあってもいい、うちのも他の家のも、おたがいの大切な食事であるという、当たり前のことが当たり前に思えるような食育が、どの家庭でも行われるこを望む。いつも豪勢な食事をすることがいい食育ではなく、もっと我が家らしい食事、例えば田舎の祖父母が送ってくれた新鮮な野菜をふんだんに使ったものを食卓に並べてみるなど、そういうささいなことでも素晴らしい親子関係作りの一端を担うような気がしてならない。
 
・おしまいに
 人はひとりでは生きていけない、とよく耳にする。実際その通りだと思うし、そうやって生きていくのはとてもさみしいことだと思う。人だけでなく動物という範疇で考えてみても、欲求が満たされないと心身のどこかに異変をきたすものだ。そのうちのひとつが「食欲」である。おなかが空いていれば、一人だろうがどこだろうが、欲求を満たすべく食べようという気になるが、いつも食事をする時は限界までの空腹とは限らない。いつもそんな食べ方をしていたら、空腹は満たされても、いつまでたっても心は満たされないままになるのではなかろうか。
 食べることは、生きる為に必要不可欠なものである。生まれてから死ぬまで、なにかしらの方法で栄養は摂らなくてはならない。その栄養補給を兼ねて、ちゃんと心も満たしていけるような成長を今の子どもにもしてほしい。それには、やはり赤ちゃんの頃からそばにいる人が、その「原点」をしっかり形成してやり、その家庭ならではの「食育」を施し、成長後も食べることが楽しい人間に育てることが必要なのではなかろうか。その生きるための基本行為を満たしてこそ、いい親子関係は成り立つと思う。
 受験戦争だかなんだか知らないけど、今の厳しい世の中生きぬいていくためには、最低限の気力と体力が必要である。学力なんて二の次でもいいんではなかろうか。心身ともに不健康だから、今の子どもには集中力が欠けたりしているのだと思う。ちゃんとカルシウムとっていれば、骨折だって防げるし、イライラも緩和されるもの。別に高価なものがいい食事になるわけでもないのだから、深く考えすぎず、子どもも親も楽しくおいしく食べられるようになるよう、心がけができればまずはそれでいいと思う。楽しくなければ、いい人間関係なんて難しい。血も繋がっている、性格も多少は似通っている親子だからこそ、捏造されてない楽しさで食事ができれば、それもいい親子関係のエッセンスになっていく気がする。
 
 
  『環境』
岡田 知大
 
 
 21世紀を迎えようとしている今、安心して過ごせるはずの「家族」が病んでいる。パチンコに熱中するあまり子供を死なせてしまう母親、お酒におぼれて妻に暴力を振るう夫、理由もわからず娘の拒食にあわてる両親、シンナーや麻薬に手を出す中学生や高校生、いじめを苦に自殺をしてしまう子供たち、学校に行くことのできない子供たち、仕事ばかりし続け家族をかえりみることのできないお父さん、とこれらは最近よくマスコミなどで耳にする事だ。
 今までは、「私には関係ない。」と思っていた。しかし、それは大きな誤りであり、私がこの教育学科に入ってからの一年間、たくさんの情報を取り入れ学んでいく中で、もう一度よく自分の生活やまわりの環境をふりかえってみると、心に傷を負って苦しんでいる人や無理に「いい子」を演じている子ども、無理に「いい妻」を演じている奥さん、無理に「いい夫」を演じている旦那、そして何よりひょっとしたら一番「いい人」を演じるのに疲れている自分がいるのではないかと考えるようになった。
 膨大な情報が飛び交う今日、私たちは知らぬ間にその情報にもてあそばれ苦しんでいると思う。「家族」もその例外ではなく、21世紀を迎えようとしている今、人間にとって本当の安心して過ごせる「家族」を見つけるためにはどうすればよいか、きっと答えは出ないだろうが考えていきたいと思う。
 その前に、私はあまり普段から調べて発表するといった形式を授業やゼミでは取らずに、どちらかといえばその場その場の思いつきや、自分の信念に基づいた意見によってレポートなどを作成してきた。けれども今回ばかりは少し具合がいつもと違い、何しろ初めての膨大な量なので、少し調べたことなどを入れていこうと思う。
 私達のまわりには普段、「アルコール依存症」「タバコ依存症」「摂食障害」「薬物依存」「アダルト・チルドレン」「児童虐待」「いじめ」など様々な問題を抱えて苦しんでいる人々がいる。私が思うにこれらのことは、家庭や地域、または日本であったりといったなどの、その人間が置かれている環境によってのことが重要に関わっている気がする。
 例えばはじめの「アルコール依存症」について考えていけば、アルコール関連の問題が考えつく。アルコールによる問題といっても、何も病気(肝硬変やアルコール依存症)だけに限らないのだ。それは飲酒による犯罪、非行、交通事故、家庭問題などの全てアルコールによって引き起こされる問題である。
 世界保健機関(WHO)は、「アルコール関連問題」を次のように定義している。
◎アルコール関連問題
@健康問題(潰瘍、胃腸障害、胎児障害、肝硬変、脳障害、がん、心臓疾患)
A事故(飲酒運転による事故、レクリエーションによる事故)
B家族問題(児童虐待、配偶者虐待、離婚、夫婦間暴力)
C職業問題(産業事故、短期および長期の欠勤)
D犯罪(他殺、強盗、暴行、暴力)
 これをうけてかどうかは知らないが、我が国では、前田信雄が1976年に日本におけるアルコールによる社会的損失額を計算し、注目を集めた(『ホントに知っていますか酒の害たばこの毒』,日本書籍,1979.9)。当時の損失額は2,600億円にのぼり、1年間だけで日本人1人が酒の害いわゆるアルコール関連問題のために、2,600円あまり支出した計算になる。アルコールによる社会的・経済的損失は、年間に6兆6000億円以上(1991年厚生省)とも言われている。国税庁によると酒税収入は、年間およそ1兆9千億円で損失のほうが圧倒的に多いことがわかる。(アルコールによる経済的損失は、アルコールによる疾患によってかかる医療費や飲酒運転による交通事故による損失。飲酒による犯罪や放火による損失などが含まれます。)
 横道にそれすぎたのでいきなり戻すが、最近、未成年の飲酒は増加傾向にある。自動販売機で簡単にお酒が買えたり、コンビニエンスストアなどで、簡単にお酒が購入できる現状は一刻も早く改善しなければならないと思う。
 なぜならこの未成年の飲酒問題は深刻であり、東京の小学生を対象に行った飲酒経験を聞いたアンケートによると、50%近い小学生が、月1回もしくはそれ以上飲酒していることがわかるのである。中学生の飲酒問題となると更に深刻で、10%を超える中学生男子が週に1回以上飲酒している現状だ。
 こんなこと関係ないんじゃないの?と思われるような気もするが、こんな小さなことの一つ一つがそれぞれの環境をつくっていき、様々な問題を起こしていくのだと思う。言いたいことがあるが、ここでまとめちゃってもしょうがないので最後にまわして次にいくとしよう。
 最近私が気になっているもの(今まで存在さえも知らなかった)のがアダルトチルドレンである。アダルトチルドレンの誕生は、語源のアダルト・チルドレン・オブ・アルコーリックス(Adult Children of Alcoholics=ACOA)に端を発するように、アルコール依存症の治療現場から生まれ、「アルコール依存症の親を持つ家庭に生まれ、現在大人になった人」というのが意味になる。
 現在では、このもともと持つ意味が拡大され、単にアルコール依存症の親から産まれた子供でなくても(仕事依存症やギャンブル依存症、摂食障害など)このアダルト・チルドレンという言葉が適用されるようになった。この場合は、厳密に言うとアダルト・チルドレン・オブ・ディスファンクショナル・ファミリー(Adult Children of Disfunctional Family)と呼ばれ、「機能不全の家族に生まれ、現在大人になった人」という意味になる。
 さて、このアダルト・チルドレン(=AC)だが、病名ではない。自らがACだと自覚した人のための言葉である。本来、子供は両親のたゆみない愛情に包まれて育つ必要がある。そうすることによって、子供は情緒的に安定し、「どんな自分でも愛してもらえる。」という安心感を身につけることができるのである。しかし、親がアルコール依存症や仕事依存症など、様々な嗜癖(アディクション)問題を抱えている場合、その影響が子供に及び、子供は自分自身の人生を生きることができなくなってしまうだ。そういった子供たちが、現在増加する傾向がある。「周囲の期待に応えよう」「自分を受け入れてもらうように、振る舞おう」これらはACの一部の症状だが、最終的に、ACに苦しむ人たちは、自らもアルコール依存症や摂食障害などの嗜癖問題を引き起こしてしまうことがあるといわれている。
≪ACの特徴≫
 1 何が正常かを推測する(「これでいい」との確信が持てない)
 2 物事を最初から最後までやり遂げることが困難である
 3 本当のことを言った方が楽なときでも嘘をつく
 4 情け容赦なく自分に批判を下す
 5 楽しむことがなかなかできない
 6 まじめすぎる
 7 親密な関係を持つことが難しい
 8 自分にコントロールできないと思われる変化に過剰に反応する
 9 他人からの肯定や受け入れを常に求める
10 他人は自分と違うといつも考えている
11 常に責任をとりすぎるか、責任をとらなすぎるかである
12 過剰に忠実である。無価値なものとわかっていてもこだわり続ける
13 衝動的である。他の行動が可能であると考えずにひとつのことに自らを閉じこめる
                      ※ジャネット・ウォイティッツ(ACOAの特徴)より
 こう考えてみると、人間が育っていく上で、いかに環境が大事かがうかがえる。よく、虐待されて育ってきた人は絶対に自分の子どもにはこんな思いをさせないと心に誓うが、結局自分の親と同じように子どもを虐待してしまうといわれている。それがその人の育ってきた環境による常識や限度によるものかどうか理由はわからないが、とにかく環境が人格をつくっていくと思う。しかしこんな例もある。
 有名なACと言えば、アメリカのクリントン大統領をあげることができるだろう。クリントンは自らACと自覚して、それを明言した上で大統領選挙に望み当選した。クリントンには、ACとしての多くの苦しみがあったと思われる。しかし、一国の大統領となった今、クリントンはACを自覚し、それを乗り越え、真の大人(アダルト)になったという事ができるのではないだろうか。
 つまり何が言いたいかというと、それを自覚し、乗り越えていくことができるのである。そしてそれは、すべての現在何の理由もなく生きづらさを感じていたり、ACのような症状があてはまる人に必要なものは、「安心して過ごせる場所」だということではないかと思う。
 はじめに、『「私には関係ない。」と思った』と言ったが、なぜそう思ったのか、ちょっと調べていくうちにすぐその理由がわかった。ニュースや新聞などで見る出来事が実体験としてないからいまいち親近感がわかないのである。特にその中でも比重が重い「虐待」という世界とは無縁の中で育ってきた。虐待を実際に受けたことのない人間がいくら虐待のことを語っても本当の気持ちはわからずじまいだと思うので、実際に虐待経験のある人の「虐待」についての考えを載せたいと思う。
 『子どもへの虐待の問題が認識されてきたのはわりと最近のことであるらしい。人権思想が男たちの関係の問題から女性にまで広がり、女性差別が問われるようになった。その後にようやく子どもにまで目が行くようになってきて、子どもの人権が言われるようになったのである。それほど子どもはないがしろにされてきたのだ。
 昔から親は子どもを愛していたという話は疑ってみる必要がある。(子どもへの虐待の数が最近増えているという話は疑ったほうがよい。昔から人は子どもを虐待していたのだ。 ただそれを虐待だという認識を持っていなかっただけでしかない。) 大人は一方的に子どもを支配してきた(人々を統治する管理手法として弱い者にはさらに弱い者を与えて支配させるという手法がなされている。(ある程度の権力を持つ者には弱い男と女・子どもを、弱い男には女や子どもを、女には子どもを与え支配させるという手法である。))、それが当たり前であった、それがまた愛を必要としている子どもの心を縛ることにもなっていた。 要するに、それしか知らない子どもはそれを愛だと思い込んでしまうことになる。そのまま大人になると同じようなことを自分の子どもにしてしまい、そしてそれを愛だと思い込んでしまっていることにもなる。
 最近ではそれに気付き始めた人が出てきたように思える。すなわち、子どもをかわいく思えない、虐待してしまうと悩みを言うことができる親が出てこれるようになってきた。 ( こういうはなしを思い出します。「充分に愛された経験のないひとに、愛することを強いるのは残酷なこと」 ) それが気付きの始まりであることがあり、同じ気持ちの人たちに出会うことができる可能性が大きくなったことでもある。それは、安心できる安全な場所 ( 競争のある学校や会社などは難しいでしょう、まして今日を生きることが困難な、窮乏な状況や戦争が行われている、そのような所も難しいでしょう。)で、共感的に受け止めてもらえる人たちがいる経験を通して、自分がどれほどつらい子供時代を過ごしたかにようやく気付くことができる可能性が大きくなったということ。
 そのことにより、何が子供への愛なのだろうかと問いなおすことができる時代がようやく来たと見ることができる。それはまた自分が受けてきた「しつけ」や「教育」をあらためて問いなおすことができる時代がようやく来たということでもある。』
 やはりよくわからない。言いたいことはわかるような気がするし、正論っぽいのだが、ある意味あたりまえの部分だと思うところもあるし、自分のわからない内容があって、結局は理解できない(ただ単にこの文章がわけのわからないものということもある)。だからこの問題は、これからもっと深く知っていきたいと思うってことで終わりにしよう。
 ここまできて、最終的にまとまりのないものとなってしまったが、とにかく言いたかったことは、環境によって人間の考え方、価値観などが変わるということである。もちろん生まれ持った性格などによっても多少左右される部分があるとは思うが、それはほんの一握りのことであって、大部分は家庭や地域環境であると思う。その中でもさらに様々な人格を作っていくのは家庭環境であり、家族だと思う。
 私は大学に入るまで、ある意味自分の家族が普通であると思ってきた。多少の誤差は感じていたが、幼稚園、小学校、中学校は同じ地域の環境であったし、高校では性格は違えど根本的には同じような考えの仲間としかいなかったので、すごく狭いフィールドで生きてきたと思う。しかし大学に入ってから、ゼミなどでいろいろな人たちと意見を交わしていくと、はじめのほうはわからなかったが、教育の問題を語っていく上で、なんともいえない違いを感じた。
 それは例えば、「いじめ」の問題の時に加害者側につくか被害者側につくかという目に見える問題だけではなく、自分の考えを超えた、学ばない限りわかりえないことである。
 それはどんなことかというと、うまくは説明できないが、今まで生きてきてたくさんの経験してきたその小さな経験の一つ一つにあるまったく反対のこと、例えば「親に暴力を振るわれたことがないことと虐待されたことがあること」のようなことである。
 そんな積み重ねの上で出来た考えなので、学んで、調べて、そして新しい考えを持たない限りは、食い違って当然だと思う。
 と、少し前までは、最近の家族と違って、古き良き環境に自分は育ったなあと思っていた。しかし最近はそれによって悩むことが出てきた。下手にこのような考えを持ったからかもしれないが、今までの中で一番広い社会で活動するようになって、たくさんの人と接触するようになったのだが、むしろ自分の育ってきた環境の方が、まわりから浮いているように感じたのである。一つ言っておきたいのは、これはゼミの討論などはまったく関係なく、あくまで自分の生活の中で感じたことである。
 それは何かと聞かれたら、本人のプライバシーの都合上詳しくはお伝えできないが、友人関係や、恋愛事情から発展するものである。そしてそれはまとめへとつながっていくのだが、それをまわりが当たり前のようにやっているから自分もやろうとするのだが、もともとその考え方が頭の中にないためどうして言いかわからなくなるのである。あいまいでわかりにくいかもしれないが、自分も今ちょうど直面していることなので、自分の中で整理が出来てからでないとうまく伝えることが出来ない。とにかくそれも含めて、人間と環境のことをこれからもより深めていきたいと思う。そして、本当にその育ってきた環境が後になって覆すことが出来ないかをこれから考えていきたいと思う。
                                  以上
 
次号のテーマは『育ってきた環境の二人は幸せな家庭を築けないものなのか?』
 
 
  子どもにとって家庭・家族とは何か
半澤 陽子
 
 
<はじめに>
 人間は、一般的に、家族の中に生まれ、育てられる。家族は、社会の基本単位である。しかし、子どもは自分の生まれる家族を選択することはできない。子どもが最初に経験する家族は、運命的、且つ宿命的な家族である。未成熟な状態で生まれてくる子どもが、安心して育つことができる場を確保することは、親の責任であるとともに、社会の義務でもある。人間の家族が、一つの社会制度として存在するのは、家族が子どもを産み育てる機能を持っているからである。
 しかし、今日の状況は、こうした制度としての家族や、子どもを産み育てるという家族の機能が揺らぎ始めており、子どもを巡ってさまざまな問題や、不適応行動が多発している。かつては、貧困家庭、家庭内暴力や非行などが主な病理であったが、最近では、中流以上の家庭でも、機能不全家族として、育児放棄や児童虐待、アダルトチルドレンをはじめ、会話の不足による関係の希薄化、引きこもりなどの問題が増加している。つい最近、京都の小2児童殺人や新潟の女性監禁等の痛ましい事件があったが、これはまさに今挙げたようなことが関連しているに違いない。
 そこで以下より、日本の家族・家庭及びその周辺の現状と、子どもに与える影響を明らかにし、家族・家庭の教育力とその課題を考えてみることにする。
 
1、 家庭の生活基盤
 近頃、「地域110番」という看板をよく見かけるように、地域の子として子育てに取り組もうとする運動が広がっている。家庭・学校・地域の総力を挙げて子どもの健全な育成に努力することは、大人に課せられた大きな責務である。しかし、それは一朝一夕に実現されるものではない。全ての子どもは、誕生とともに家族の一員となり、まず家庭の子として育てられる。この社会の基本単位である家庭での生活と教育の充実があって、初めて努力が実り多きものになると言える。
 
家庭本来の機能
 元来、家庭とは、夫婦・子ども・両親などの主として血縁関係の家族によって営まれる生活共同体で、相互扶助と親密な連帯の場として、信頼と安らぎの象徴である。こうした家庭本来の機能をまとめると、次のように考えることができる。
(1)婚姻の制度的保障
 家庭は、一般的に婚姻を制度的に保障して成立する。人は、性的欲求や種族保存など、生物本来の基本的・生理的欲求をコントロールし、生殖的機能を制度的に保障して成立したのが婚姻制度である。これによって安定した夫婦関係が生まれ、子孫の繁栄による社会的構成員の確保が社会の存続を約束している。今日は子どもを作らない夫婦も増えているが、このような事態が広がれば、家庭本来の機能が失われるだけでなく、大げさではあるが、社会が崩壊の一途をたどることになりかねないのではないだろうか。
(2)社会的単位の構成
 家庭は国や社会の基本単位である。人は誕生すると家族集団の一員となるが、それが社会を構成する最も基礎的な集団(世帯)となる。市町村の規模を世帯数で示すのもその為であるが、人はそこに安らぎの場を得て、社会集団の安定した秩序が維持される。
(3)経済的基盤の確保
 家庭は、経済的基盤を固めて生活を営む場所である。家族は、家庭を本拠に職業に従事するが、家業に専念したり、外での仕事に専念するなど、広く社会的な分業に関与し、家庭の経済的基盤を確保して生活の充実を図る。子どもの養育、高齢者の扶養や病人の世話なども大切な家庭の機能である。
(4)心理的安定の達成
  家庭は、信頼とくつろぎの場である。大人にとっても子どもにとっても、外での緊張をほぐし、疲れを癒してくれるのが家庭である。現代は、ストレス社会であるとも言われている。何よりも家庭は愛情と信頼によって結ばれた安心感に支えられ、明日への活力を養うかけがえのない生活の場であるところに大きな存在意義があると言える。
(5)文化的生活の充実
 家庭は、子どもが最初に出会う文化社会である。子どもは親の下から社会や文化を学び始める。親の価値観のふるいを通した文化に接し、親の生き様に触れ、共に生きながら生活を学び、生き方を身につけていく。教育の原点は、家庭や親の生き方の中にあると言える。
(6)教育的機能の推進
 家庭は、ある意味学校であり、親は教育の推進者である。親は普通誰もがわが子をよりよく育てたいと願っている。その為の意図的な働きかけが、しつけであり、家庭教育なのである。また、子どもが学齢期に達すれば、学校に送り出して修学の機会を保障することも親が果たさなければならない社会的責任の一つである。家庭は、親の豊かな愛情の中で、子どもの人生の土台作りをする場でもある。
 
時代の変化
 ところが今、家庭の機能は大きく変わりつつある。家族全員の生活時間はばらばらで、ホテルの一室を借り受けて、食事と休む為だけに帰るかのような家族形態が増えている。それは言わば「ホテル家族」と呼ばれるようになった向きもある。だが、時代が変わり、家庭の諸機能に期待する度合いの違いは生じたとしても、個人の生活の安定・充実と社会の発展の為には、家庭本来の機能の回復も望まれるところである。
 
 
2.家族の人間関係と子育て
 結婚によって、夫として妻としての立場を得た二人は、やがて子どもができると、父親や母親としての役割を担うことになる。この親と子の関係は、3世代に渡るとき祖父母と孫の関係にもつながる。また第2子の誕生によって、きょうだい関係も生まれ、この関係はさらに広げられていく。こうして、家庭内にあっても多様な人間関係の中で、子どもは成長していくことになる。
(1)夫婦の関係
 夫婦は、言うまでもなく家族の中心的担い手であり、しかも両者の関係は、同等の権利を持つことを基本として、相互の協力によって維持されなければならないものである。昔ながらの俗に言う亭主関白やかかあ天下やおしどり夫婦は、両者の満足度が決まるところで、定型や理想型があるわけではない。近年、自立協力型(お互いが職業に従事し、家庭生活を上手く分担・協力する)が、現代の自己実現的な人生観とあいまって、歓迎されているところもある。だが、一つ歯車が狂ってくると、夫婦は分散し不一致で分裂する恐れもある。同等の権利を有する夫婦が、互いに職業人としての仕事の遂行と、個人レベルの自己実現にのみ生きがいを求め、家庭人としての協力を疎んじてしまうようになるなら、やがては親としての責任を回避し、昨今の子育てを放棄してしまう親の出現の風潮に拍車をかけることになり兼ねない。
 統計では、離婚率が史上過去最高として毎年更新されている。人生観や家庭観・夫婦観は変わってきたとはいえ、お互いが夫婦や人の子の親や職業に従事する者として、いくつもの役割を同時に果たしていかねばならないことに違いはない。自己実現を求めて奔走する余り、社会や家庭、親としての責任や他との関わりを軽んじてしまっては、自己実現は「利己実現」に成り下がってしまうことにもなる。一人の人間、社会人、夫婦、そして親としての生き方が、今ほど問われている時代はないだろう。いや、問い直すときなのだ。子どもは、その意思の如何に関わらず、夫婦の狭間に立たされている。
(2)親子の関係
 子どもの成長にとって、親は絶対的な存在である。親にとっても、子宝と言われるほど子どもはかけがえのない存在である。その宝にも勝る子どもをこの世に誕生させ、一人前の社会人にまで育て上げて社会に送り出す子育てほど、親としての喜びに満ちた営みはないだろう。
 家庭における子どもの存在意義については、「家庭に明るさや活気を与えてくれる」、「喜びや生きがい、安らぎや充実感を与えてくれる」、「子どもの成長と共に自分も成長する」等、一般的にかけがえのないものとして肯定的に捉えられている。
(3)きょうだい関係
 きょうだいは、兄姉と弟妹のように縦の要素と、遊びや喧嘩で対等になれるような横の友達的要素の2面を持っている。きょうだいの位置関係と親の接し方が、性格の傾向を作り出すこともある。生まれた順序や性別、相性などによって期待度や接し方が異なったり、過度の比較をしたりすることは、極力控えなければならない。一方、今日夫婦共働きや教育費の増大により一人っ子が増え、きょうだいで切磋琢磨することなく、人付き合いが上手くできずに育つ者も少なくない。
(4)祖父母と孫
 いまや、高齢化社会を迎えている。これまでの人生経験を生かして、祖父母の立場で果たさなければならない役割にも多きものがある。祖父母にとって、孫はとても可愛いものだが、それにかまけて親のしつけを無視し、買い与えや甘やかしすぎては後で泣くことにもなり兼ねない。若い親のしつけを見守り、しかられた後に慰めるなどして、意思統一の上でのクッション的役割が望まれるところである。逆に祖父母が厳しく、親が甘いというケースもあるだろう。また若い親は、「そんなやり方は古い」と思わず、長い人生経験を持つ祖父母の意見に謙虚に耳を傾けるべきである。
 
3.家族の絆:親と子
 家族の絆は、作ろうとしてできるものではない。祖父母がいて父母が生まれ、父母がいて子どもが生まれる。時には揉め事があっても、お互いが立場を思いやり手を取り合って生きていく毎日の生活の中で、子どもの心は培われ、人を思いやる心情も育ってくるのである。
(1)子は親の鏡・親は子の鏡
 親は、子どもの姿を見ていると、その一挙手一投足に自分の姿が重なるように感じることがあるという。子どもの姿は、親の全てを映し出す鏡なのだ。良くも悪くも、特に幼少期には、親の生き方が何よりの手本になっているのだ。だからこそ、「子は親の後姿を見て育つ」と言うし、「親は子の鏡」とも言われるのである。
(2)ホテル家族化への警鐘
 家族の人間関係、特に親子の関係は、人間関係の基本を身につける原体験となる。だが最近では、信頼と安らぎがあるはずの家族の間でさえつながりが弱くなっている。
 家庭経済は安定、文明の利器に囲まれて、家事も育児も合理化・分業化されてくると、対人との関係に代わって、対物との関係で間に合うことが多くなってきている。乳児期から、哺乳瓶・紙おむつ・テレビ相手の一人遊び、保育所任せなど、親子の時間は減少するばかりである。さらに、祖父母とは別居、両親は共働き、子どもは幼稚園や学校と、帰宅時間がまちまちで、インスタント食品が食卓に並び、それぞれが個室にこもって対話が少ないとしたら、家庭内の人間関係は疎遠になり、家族の絆は弱まるばかりである。前述したように、こうした家庭を「ホテル家族」と呼ぶことがあるが、今本当に家庭を見直すときではないだろうか。
 親子のふれあいは、幼児期から小学生の時代が最も重要な時期と言われる。母の背に負われたり、胸に抱かれ、ひざの上に乗り、寄り添う中で語る声や歌声や肌のぬくもりが、心を和ませて刻み込まれ、子どもの心の糧やふるさととなっていくのである。
(3)しつけの場面は触れ合いの機会
  一方、受験戦争と早期教育に刺激されて、幼少時より子どもを塾や稽古事に追立てる母親が増え、他方では、子どものすべきことにまで手を貸しすぎて、過保護や過干渉が子どもの自立を失敗させていることも少なくない。
 乳児期からのスキンシップに加えて、幼少時からのしつけの場面も、親子の対話や一緒の遊び以上に大切な親子のふれあいの機会なのである。日常の生活習慣や言葉遣い、人との接し方や道徳心など、この社会での生き方の基本を、親の生き方と考えて自信を持ってしつけなければ、子どもは闇に迷い、親の心は子に伝わらず、親を思う子などが育つはずもない。
 今、社会に「甘え」が目立つとしたら、家庭でそれを補い教えるのはおそらく父親であろう。昨今目立つ子煩悩の父親の甘さは、子の為にならず、時には頑として譲らない強い姿勢で、人生の厳しさも教えなければならない。野球、サッカーなどで共に過ごす時間を多く持ち、「お父さんは強くてすごい」と感じさせることも大切である。だが反面、時に子どもの無闇なわがままへの厳しい態度や、仕事に打ち込む横顔が見えないと、社会に生きる厳しい側面も、労働の尊さや厳しさも学べないままに、不平不満と甘えるばかりの無気力な人生を送らせてしまうことにもなり兼ねない。父親の甘さも過ぎればあだとなる。
(4)親子の対話
 対話は言葉のキャッチボールである。投げ手と受け手、話し手と聞き手が入れ替わりながら続けられる親子の対話の中で、子どもは親の愛を感じながら心が和み、心のスキンシップが実現されていくのだ。テレビを見た後の対話、親子の読書など、型にはまらずとも、日常の挨拶言葉に始まり、台所の手伝いをさせながら、一緒の散歩や買い物の途中など、いつでも何処でも毎日の生活の中での生きた対話こそ、心を育む大切な土壌だと言える。
 また、少々待たせても、できるだけ家族で揃って食事をとったり、お茶を飲んだり、それが普段できなければ、日曜の朝などにして、食卓のコミュニケーションは、最も心が和み、くつろげるひとときとなる。夕食時、父親が揃って食べる家族も今や少ないだろうが、時に「お父さん遅くまで大変ね」と言う母親のやさしい心遣いがあれば十分である。仕事で帰宅が遅くても、母親のその一言がそこに父親を存在させるのだ。そこから、人生や仕事の厳しさや、家族の結びつきを実感することになるだろう。
 何よりも家庭は、大人にとっても子どもにとっても、愛情と信頼によって結ばれた安らぎと、明日への活力を養うかけがえのない生活の場でなければならない。食卓のコミュニケーション・一家団欒・共に汗を流す活動など、時間は短くても、心触れ合う家族の時間が期待されている。両親の豊かな愛情と知性、愛護と教育、そして円満な家族関係があって初めて、子どもの健やかな成長があることを忘れてはならないだろう。
 
 
  『父親の悩める時代』
森山 知之
 
 
 私の父親は、50代前半。団体職員。趣味は、野球(元・高校球児)、ゴルフ。ほとんど毎日、酒を飲む。
 まずはじめに、『「家族」は怖い』 斎藤学著 日本経済新聞社を参考にしながら、自分の父親、両親について考えてみようと思う。
 私にとって父親は、基本的に権力者、母親は相談役といった感じだった。権力者というのは、家族において、一番の決定権を持つということである。祖父が生きていた頃は、祖父は特に家父長的な存在であった。お風呂は一番にはいるとか、私はあまり意識していなかったが、そういうのがいろいろあったようだ。父親は、祖父の時のような家父長的きな感じではないが、父親と母親の役割は決まっていたように思う。小さい頃、何か重要なことがあると、まず母親に相談すると、「じゃあ、お父さんに聞いてみて」とか「お父さんがいいといったら、いいよ」とかいわれた。この相談する形式(順番)は、物事の大小にかかわらず、いまでも基本的には変わっていないと思う。
 小学生の時は、父親というのは、とても体が大きく怖い存在だったと思う。よくキャッチボールをしてくれたし、一緒に畑仕事や家のちょっとしたことなども普通にしていたが、「父親」というでかい存在だった。殴ったりすることもなかったが、大きな存在であったように思う。父親は、スポーツマンで力が強く、殴ると死んでしまう恐れがあったので、いつも接している母親が殴る役だったのかもしれない。とりあえずこの頃は、頼もしく、怖い存在だったと思う。
 中学生の頃になると、前よりは、距離をおいた存在だったと思う。あまり覚えてないのだが、覚えてないということは、そんなに近い存在ではなっかたのかもしれない。しかし、サッカーをやっていたので、スポーツ店に一緒にいったりする共通のものはあったし、進路を決めたりする時の相談というより発表は、改まって父親にした。中学の時は、自分から親を遠ざける時期だったので、親の方からも特にどんどん接してくることもなく、接する時間の長い母親に相談して、その後父親にといった感じで、それは、小さい頃よりもある意味顕著になっていたかもしれない。勉強に関しても、私が進路を決めると、母親は、勉強しなさいとかいうことはあったが、父親は母親から情報を得ているのか特に口を出すことはなかった。
 高校生になると、父親との関係は少しずつ近くなっていたと思う。何かしら2人で行動することも多くなったり、はじめて対等に近いかたちで接したような気がする。特に私は、一緒に飲みにいったりできる喜びのようなものがあったのではないだろうか。また高校までは、夕食は時間のづれがあることもあったが、朝食は必ずといっていいほど家族そろっていた。朝のテンションの低さも重なり、いろいろ話すというわけではないのだが、取りあえず一緒に食べていた。
 高校生ぐらいもなれば、親のことがいろいろ分かってくる。父親は、テレビといえば、ニュース・野球・ゴルフ・マラソンというイメージがある。というか他番組を自分から見る印象はない。お酒を飲むと質が悪い。音楽には興味がないし、映画も見ない。特に服装にこだわりがあるようにも見えない。どちらかというとその逆に当たる私は、そんな父親に対して「もっと・・・」というマイナスの感情を持っていたことは確かだ。
 しかし、そんな小さなこと以上に、両親に対する尊敬の気持ちは、とても大きくなった。それは大学生になり、親元を離れたせいもあるが、親がどれだけ子供のことを考えているかを、どれだけ優先して考えてくれているかを、やっと考えられるようになった自分がいる。
 まあ、こんなことはこのように文字にしても、しょうがないのだが、何となくこんな感じなのである。とにかく私の両親は、役割はある程度決まっていながらも、根底にある思いみたいなものは一緒だったのではないかと思う。
 
 現代は、「父権の喪失」が叫ばれている時代である。今までならば、ど−んと居間の一番いい席に座っていられた父親たちはどこへ行ってしまったのだろうか。
 高度成長以来、急速に発展してきた現代には、様々な数多くの文化が入ってきていないため、一定の文化が、モデルが備わっていない。だから昔のような家族の王様として、リーダーシップを発揮できる頑固親父がいなくなってしまった。もちろんいろいろな文化の中で、父親のイメージは十人十色だ。だから、皆がひとつの父親を思い浮かべるわけがないし、皆のイメージが一致しても怖い。しかし、十人十色の父親、バラバラの父親、父親自身もどうしたらよいのかと考えてしまう、そんな状況が今の「家庭崩壊」を生んでいたらと考えると、そういう視点で考えてみたい。
 「父親の背中を見て子供は育つ」という言葉がある。父親は何事も語らず、ただ存在感さえあればいい、そうすれば「背中」だけで十分に教育機能を果たす、という意味である。父親が風呂にはいり、でた頃には夕食がそろっている。父親の着席を待ち、やっといただきます。食べた後もお茶でも飲みながらテレビでも見ていると、食事は片付けられる。ど−んと殿様席に座り、ほとんど言葉は発しない。たまに話す「威厳」のある言葉は、家族全体を動かす力があった。その「威厳」は、なぜ、どこから生まれたのだろうか?
 昔の父親は、自らが逞しい威厳のある父親もいたであろうが、多くの父親は家族の力を得て「父親の威厳」を獲得していたように思える。母親が、家族の伝統が、日本の伝統が「父親の威厳」を支えてきたと思える。父親を立て、大きな力を持たせることで家族の安定を保っていたのだろう。しかし、現代は女性の社会進出やいろいろな文化・時代の流れによって、母親が父親を「父親」と認めなくなってきているようだ。昔とは異なり、母親が父親をけなしたり、だらしない父親を子供を仲間につけ、一緒に攻撃するような母子が多いらしい。それでは子供が尊敬のまなざしで父親を見ることもなくなってしまう。何とか「威厳」を取り戻そうとするが、仕事ばかりの父親にはどうしたらいいのか分からない、自信を失った父親がとても多いのではないだろうか。
 昔から男の魅力は確かに働いている時の姿であろう。しかし、昔のような農業であったり、職人や商売のように子供が親の仕事を手伝ったり、または親の仕事が見えにくい社会になってきている。実際私も、自分の両親がどこに勤めているかぐらいしか知らなかったし、何をやっているのか高校ぐらいまで全然知らなかった。父親の働く凛々しい姿を見られなくなったことも、父のイメージが希薄になったことの一員としてなあるだろう。これは、多くの本などでも見ることができる。高度経済成長とともに工業化が進み、国民の多くがサラリーマン化した日本では、私のように父の職場、父の働く姿を見ることができなくなってきているし、父親自身見せたくても、なかなか見せられない社会になってしまった。逆に企業にすべてのエネルギーを吸い取られてしまい、家はホテル化し、家に帰ればそれこそスポーツ番組を見てゴロゴロ、休日も妻から邪魔者扱いされ、ぶらぶら何をするでもなく過ごす姿しか子供は見ない。だから仕様のない父親しか見ないという点もあるだろう。すべてにつかれた父親は子育てをみな、母親に「押しつける」。つまり男、「父親」らしさ のモデルが子供にはみられないし、自ら見せることをあきらめ、自分の居場所を失っているように思う。
 疲れた父親が蔑視、軽視されるとしても、最も重要なことは、そのために父親と子供の共通の時間が欠如していることが真の問題である。さっそうとした働く姿をイメージとして見せることも大切だろうが、実際今の世の中ではなかなかできないと先程述べた。そんな中で、何ができ、何が大事になってくるかというと、それはやはり共通の時間を作ることである。一日のうちでほんの少しの時間でいい、休日なら時間は多くあるが、プロ野球の話をする、一緒に窓拭きをする、一緒にスーパーに母にいわれたものを買いに行く・・・など、そういった日常の共通の時間さえ十分に作ることができれば、父親と子供の距離は遠くならない。その中で、子供が父親を尊敬するポイントを数多く発見できる。どんなことでも、本当にちょっとしたことでもいいから、「すごい」って思えると頃を見つけられればいいのだ。しかし、現実には中学時代から父親と口をきかない、母親をとうしてしかしゃべらない、一緒に食事をするのも気が重い、という学生が思った以上に多いようである。
 子供を母親に押しつけず、父親がしっかりと面倒を見る過程ももちろん会う。しかし今の中流家庭の父親が熱心になるのは、学業、教育?のみとなることが多い。結局、他は放任というパターンが多数である。都合のいい時は顔を出すが、本当は一番大事な時に顔を出さなければ意味がない。その見極めがとても難しいのだが・・・。
 要は言行不一致にならず、少年期に日常的に共通の時間をより多く作り、親も努力するということが、父性をよがえらせることにつながる。父なき社会とは、父親を尊敬する子供、子供に尊敬される父親がいなくなったということなのである。
 さらに言えば、母親(妻)に人間的に尊敬される父親(夫)が、ゆがんだ家族を作ったり、母子癒着に追い込むのである。
 何が大事かを考えると、やはり共通の時間であり、「存在」である。昔の怖い父親、優しい父親、そんなのはどうでもいい。そこに父親が「いる」「見てくれている」ということが大切であり、必要だ。
 *この中の父親・母親というのは、性別というよりも役割と考えてもらいたい。
 
 参考文献
      「家族」はこわい       斎藤学    日本経済新聞社
      モデルなき家庭の時代     天野寛子   はるか書房
 
 
[4] マイワールドな人々
 
 
  フォーマル・スポーツとインフォーマル・スポーツの役割
小林 幸平
 
 
   私が今回、卒業論文のテーマとしてスポーツを選んだという理由には二つある。一  つ目は、私のこれまでの人生において、競技スポーツが多大な影響を与えてきたので  はないかと思ったからである。それはどういう面に影響を与えてきたのかということ  と、二つ目は、これから関わっていくであろう趣味としてのスポーツには、どういう  役割があるのかというところに疑問を持ち、そしてそれを明確にしていきたいと思っ  たからである。
   目的としては、今まで、競技スポーツを通して、何を学んできたのかということを  はっきりさせ理解するとともに、今後一生関わっていくと思われる健康・趣味・娯楽  としてのもう一つのスポーツについて研究し、今後の人生の一参考にしていきたいと 考えている。
 
◯二分化されるスポーツ
   近代スポーツの流れを受け継ぐこのするスポーツも技術性が高く、人数が少ないト  ップ選手を対象にしているもの、反対に技術的には低いが、一般大衆を対象としてい  るものに分けることができ、この前者をフォーマル・スポーツ、後者をインフォーマ  ル・スポーツと呼ぶ。
 
◯生涯体育の意義
   生涯とは、人間が「この世に生きている間「一生」「終生」ということで、年齢的  にいえば「0から100歳まで」。の人生のことである
   わが国における体育は、古くから「学校体育」と「社会体育」の二本立てで研究が  すすめられてきたが、近年に至って「生涯体育」の研究の必要性が強調されるように  なってきた。
   「生涯体育」は従来研究されてきた「社会体育」と密接な関係をもっているが、社  会体育が現代化されたものが生涯体育でもなく、又、学校体育と社会体育が総合され  たものが生涯体育でもない。生涯体育は人間が生まれてから死に至るまでの一生涯に  わたる、即ち「0歳から100歳まで」の体育の構造化、体系化を目指すものであり、  その実践の研究でもある。
   生涯体育の目的は従来の学校体育、社会体育の目的と同じく、身体活動を行なうこ  とによって健全な心身を育成し、社会、国家に貢献し得る基礎を培うことにもあるが、  その内容に至っては幾分異ったものがある。その理由は運動を行う対象が心身の発育  発達の旺盛な青少年や、働き盛りの壮・中年層の人達ばかりでなく、自力で身体運動  のできない乳幼児から老衰の極に達しようとしている老人に至るまで、即ち「0歳か  ら100歳」までの広範囲の年齢層に及ぶため、その目的も当然異なるものが考えら  れる。これを大別すると次のようになる。
   @幼児期…発育・発達・刺激及び遊びとしてのスポーツ
   A学童・少年期…上記+教育的・訓練的競技としてのスポーツの導入
   B青年期…体力・エネルギーの蓄積と発散競技スポーツの必要
   C壮年期…趣味・娯楽・社交及び健康・体力のためのスポーツ
   D老年期…健康維持・社交、自然への回帰生きがいとしてのスポーツ
  などがある。
   人が生涯を健康で幸福におくることができるのは偶然におこるものではなく、若い  時からの人生のコースにおいて準備されることによって約束されるものである。我が  国においては体育は主として「学校体育」に限られていたようなところがある。そし  て、学校体育にあっては満6歳からその年齢時期の発育発達を計画的、組織的に考慮  して行なってきた。しかし、「生涯体育」を構想するにあたってはまず、この学校教  育の計画、指導方針をただその年齢時期のみの発達に限定せず、次の年齢期に必要で  あり、かつ有効に働く計画と指導に着想して実施にあたらねばならない。そして、学  校期を終えた後に多くかかりやすい疾病についての機能の強化には特別な訓練を行な  い、教材の精選、指導方法などについて特に考慮を要することと思う。
   体育は「身体活動を通して」とか「手がかりとして」の教育であると言われるが、  この意味はただ身体活動を「行なって」という簡単な意味ではない。体育は教育であ  る以上、ただ運動をやらせればよい、やればよいというものではなく、指導者が立派  な理想や洞察力をもって合理的、科学的に実施さすことを意味しているのである。生  まれながらの人間は心身共に未熟、不完全なものであって人間が到達しようとする理  想的な人間像との間には大きなギャップがある。このギャップを身体活動によってで  き得る限り埋めて完成された理想人に近づけようとする営みが体育の仕事である。こ  のギャップを埋めていく方法は人間の複雑性と個人に対する社会の要求に応じていろ  いろ違い各種各様のものがある。そしてこれは「生涯」を通してなされなければ到達  し得るものではない。しかし、人間の長い生涯の間には我々の努力ではどうしても防  止できない生得的なマイナスが身体的に起こることがある。このマイナスを身体活動  により防ぐ方法も立派な体育である。ここに「生涯体育」の必要性が生じるわけであ  る。 しかし、一般に体育指導者は体育の目的について概念的に理解し、学徒に対して  深い詮索もせず彼等の興味、嗜好、闘志などにまかして自由気ままに運動を課しては  ないだろうか。たしかに体育運動はこれが正しく行なわれると心身の健全な発達を促  進し、人間形成のために役立つものである。しかし、一面至極安易な考えによって漠  然と各種のスポーツ教材を日々行なわせても必ずしも如上の体育目的を達成させられ  るものではなく、時にはかえって心身を害することさえある。「体育とは何か」とい  う課題に対して実際これが指導にあたる体育専門化としては自分の指導している学徒  が確かに健全な心身の発達をとげているかについて詳細な調査をすることも必要であ  る。又、この目的実現のために体育を現実問題にまで切り下げて考究する必要がある  と思う。
   一般に学校卒業後にはほとんどの人達は身体運動を個人的にも社会的にも家庭的に  も行なわれていないが、これは学校期における指導者の教育法の欠陥によるものであ  ろう。これは身体運動が人間の健康と生命の延長にとっていかに重要であるかという  体育に対する価値観についての指導の不徹底と、学徒自身が身体運動について心から  の喜びを覚えるまでの指導がなされてなかったことによるものであろう。学徒は選任  の教官の指導のもとに一定の時間割によって他律的に指導がなされてきたが、学校卒  業後の身体活動は全く自立的に行なわねばならない。ここに「生涯体育の難しさがあ  り、学校期の指導法の重要性が生じるわけである。そして、学校体育がこの時代まで  延長実施されてこそはじめて体育の真の目的が達成されるものである。この体育運動  の喜びと価値を学校教育期において心身に徹するまで教え込むことが「生涯体育」の  立場からいって最も重要なことである。青年期においての身体運動による肉体の苦し  みは単なる苦しみではなくてその奥底に秘められた心のひらめき、精神の修練がある  こと を指導者自身が十分認知していなければならない。
 
 「生涯体育」は「学校体育」から始まる。
   教育は人にあり、生涯体育は指導者にあり、そして指導者自身が健康でよい人間性  の範を示さなければならないと思う。生涯体育においては人間の発達的な特性と日常  生活の特性を的確に把握してそれぞれの段階に応じて、どんな内容を、どのように実  践させるかを考えていかなければならない
 
◯フォーマル・スポーツ
 学生のフォーマル・スポーツ
   学生としての本文が、スポーツということを通じてより実現されなければならない  のではないだろうか。学生であることを逸脱しては誤りであると思う。
   では、学生としての本文とは何か。すぐに思い浮かぶことは、「勉強をする」とい  うことである。勉強とは、自分の知識や見識を広め、物事について考える力をつけて  いくことである。特に大学では専門的に物事を見極めようとする力を養成することに  なる。さらに学生の本分とは、「勉強する」だけで尽きない。教育には、知・徳・体  ということが言われるが、「徳」を積むことも忘れてはならない。「徳」とは、道徳  であり人間が生きていく上での心のあり方のことである。どんなに専門的な知識が備  わったとしても、その人間が知識を悪用し、社会に害を与えるとしたら、その知識と  は一体なんなのだろう。私達は生きる上での心のあり方、自分だけのことではなく、  他人や社会と調和する生き方を身につけていく必要がある。最後に「体」であるが、  これを学生スポーツの意義に最もストレートに通じてくる。「健全な体に健全なる精  神は宿る」という言い古されたかもしれない、言葉の中に、スポーツによって体を鍛  えることの意味が集約されていると思う。
   このように考えていくと、学生スポーツの意義とは、学生である本文に実に密接に  結びついているということに気がつく。
   私が、小・中・高・大でアイスホッケーに取り組んできたことが、「私自身の教育」  を阻害してきたかと自問するとそんなことはないと胸をはって言えるように思う。
   小・中・高での勉強は確かに教科の面から見れば勉強に明け暮れしている友人に比  べれば劣っていることもあっただろう。だがアイスホッケーに取り組むことで得た「   知」に関わることは小さくないと思う。
   このように、スポーツはまさにその取り組む姿勢において真剣であれば、教育と密  接に結びついているものであると思う。
   学生スポーツの意義とは、大学での専門的な知識、修得を大切にすることを忘れな  ければ、自分を教育することに重大な力を持っていると考えられる。
   学生スポーツとは「知」として、物事の見通しや考えることにつながり、「徳」と  して、人間の関係について考えることにつながり、
  「体」としては、健全な体を育成することにつながる。
   大きな視点で真剣にスポーツに取り組むことこそが学生に求められていると考え   る。
 
 運動技術と人間形成
   人間形成というのは、身体的な面と精神的な面との同時的形成を指している。運動  技術を高めていくには、当然その基盤として体力を必要とすることは言うまでもない  であろう。
  一般に、運動技術は体力の中でも特に調整力と関係すると言われているが、運動技術  の追求が、身体的な面で、技能的にも形態的にもその向上に貢献しうると考えられる。
   では精神的な面ではどうであろうか。運動技術と精神とは一見相対立し矛盾してい  るように思われるかもしれないが、運動技術を心身一体としての人間の行為とか行動  として把握してくると、そこに深い関連性が見い出されてくる。三枝博音氏は「技術  は少しも精神の敵ではない。技術なくして精神はその美を示すことを得ぬものである」  と両者の密接な結合に付いて述べているが、この場合の技術というのは表現力を指し  ているものであり、広く言えば人間の行為とか行動ということになっていく。さらに  三枝氏は次のように言っている。「理論的には技術が進めば、悟性が強められ、悟性  が強まれば、意志の選択力は増すはずである。だから道義心も深まるはずなのである。  しかし事実はそうでない場合が少なくない」
   体育の場においても、技術追及の過程においては、ルールを守るとか、スポーツマ  ン・シップを発揮するとか、協力的態度で他人に接するとかいったことなどが、自ず  と要求されてくるが、技術の向上が正比例的に精神的向上に連なっているとは、必ず  しも言えない現状である。体育とは身体活動を通しての教育であるといわれているが、  今後、この両者が向上的に一致していくような指導法を考えていかなくてはならない。
   さらに、運動技術と精神的形成については、マイネルは「技術的に完成している、  あるいはほとんど完成に近い運動経過において、その個性が明らかに表される時にこ  そ、技術の個性化として運動様式を見ることができる。
  この場合、個性化に参与するものは、単に四肢の長さや、容姿や、体重、また筋力、  調整力などの諸能力のみならず、その人の性格、克己心、決断力や世界観、社会的意  識などの諸特性を含めての個人の全体なのである」と言っているように、運動技術と  言うのは単なる身体的活動ではなく、精神的働きによって強く支えられ、個性化され  てくることがいっそう理解されることであろう。ウエブスターは「体育の目的は、数  々のゲームや身体活動を通して、社会的、倫理的教育的価値を開発させるために、基  礎的な技術や知識の指導や実践を与えることである」と言っているが、
  ここでも体育における技術と精神的形成との不可分の関係が、強調されている。
   ただここで注意しなければならないことは、先にも少し触れたが、運動技術の学習  が中心になっている体育において、各種のスポーツを学習していれば、自ずから好ま  しい社会的性格が体得されてくる、と安易に考えてはならないということである。大  切なことは、運動技術を学習していく際の学習者の心構えとか態度であろう。つまり、  学習者が教師の指導の基に学習意欲を燃やしながら、真剣に、しかも主体的に運動技  術の向上に取り組んでいく態度が、人間形成への原点とならなければならないのであ  る。
 
◯インフォーマル・スポーツとは
   人生80年を迎え、自分自身が生きている現在の生活だけでなくて「ライフプラン」
  や「生活設計」という考え方に関心が高まって
  いる。また、技術革新や社会変化により、生涯学習に対する関心の高まりとともに、  インフォーマル・スポーツという考え方が社会的に注目されるようになってきた。
   インフォーマル・スポーツの定義に関する明確なコンセンサスはないが、「幼児期  から高齢期に至る各ライフステージにおいて、個人の年齢、体力、選好にあった運動  やスポーツを継続して楽しむこと」と定義することにする。インフォーマル・スポー  ツにおいては、「記録や勝敗」といった結果にこだわらず、「プレイやふれあい」と  いうプロセスを楽しむことが大切である。結果にこだわらないでプレイや仲間とのふ  れあいを重視することにより、スポーツを継続して楽しむことができる。また、継続  して実施することにより、運動の効果も高まり、健康にも良い影響を及ぼすようにな  る。楽しみながら継続できたとき、スポーツは生活スタイルの一部となり、始めて生  活文化と呼ばれるようになるだろう。
   目指すものは、競技性の低いこのスポーツは、日々の生活の中で容易に実践でき、  健康で文化的な生活実現に役立つような、現実の生活に密着したスポーツを目的にし  ている。
   広まりは、一部の上流階級(要は金持ち)の人達が細々と行っていたこのスポーツ  も、1955年から高度経済成長により経済が安定してくると生活にゆとりが生じ、1960  年頃から徐々に大衆に広まるようになったのである。
   この生活のゆとりのなかで自発的な遊びやそれ自体を楽しむといった個人主義的ス  ポーツ観から行うスポーツは個人主義であったが、ただ楽しむために広まったのでは  ない。そこには高度経済成長と合わせて進められてきた技術革新による合理化・省力  化、情報化に見られる社会構造の多様化から出てきた問題が関係してくるのである。
 
◯二つのスポーツから学ぶもの得る事
 フォーマル・スポーツ
   これは、競技性が高く勝利至上主義的な一面があるスポーツであるということは前  にも述べた通りだが、そこから得られるものとは一体なんなのであろうか。個人主義  的なスポーツである限り、全てにおいて自分にプラスになるものであると私は考える。  では何が得られるのかと言えば、それは真剣に取り組むことによって得られる人間形  成の部分、これに尽きるのではないだろうか。人間形成と言うものにもいろいろあり  「知・徳・体」などから礼儀作法、人間関係、物事に取り組む姿勢、努力すること、  最後まであきらめない精神などに至るまで数多くあり、人が立派な人間になっていく  ためには、絶対欠かせない要素である思う。それを私達は、スポーツを通しても学ぶ  ことができるのである。その中でもフォーマル・スポーツで学ぶほうが効果は高いの  ではないかというのが私なりの考えである。インフォーマル・スポーツでは学べない  というのではなく、競技性が高く、勝敗が関わってくるこちらの方が、競争原理や向  上心などが働き、よりすぐれた要素を身に付けることができるのではないだろうか。
   では、人間形成の中身について、私が学んできた経験をもとに、又、そこで私も実  際に何を学んできたのかを明確にしながら述べていきたいと思う。
   私は、小学校二年生の時から現在まで14年間にわたって、学生スポーツとしての  アイスホッケーという競技に携わってきた。
   学生スポーツで一番大切なことは何かと考えた時に、それは結果ではなく、プロセ  スではないかと思う。何故かというと、学生スポーツはプロの世界とは違い、結果が  全てではないからである。プロのスポーツは結果を残さなければその世界から除外さ  れてしまったり年俸が下がったりするが、学生スポーツではそんなことはない。だか  らといって結果はどうでも言いというわけではない。学生スポーツがフォーマル・ス  ポーツに属している限り、やはり誰しもがトップを目指し、優勝を目指すのである。  その過程において最終的に結果はどうであれ、そこにたどり着くまでにはいろいろな  ことがあり、どれだけ努力してきたのかというのことなどが問われ、それがプロセス  であり、それを学んでいくのである。そのプロセスの中身について次に詳しく述べた  い。
   まずスポーツ選手というのは健全なる精神を持たなければならないと私は思う。素  直な気持ちで指導者の指導を受け、そして健全な気持ちで練習に打ち込む。こういう  取り組む姿勢がとても大事なのである。それには、礼儀作法をおろそかにしては絶対  にいけない。「礼に始まり礼に終わる」という言葉があるように、ただ技術能力が高  くてもトップアスリートにはなれない。相手を思いやる気持ち、称える気持ち、それ  が大切なのではないだろうか。スポーツには「心・技・体」という言葉があるが、そ  のうちどれか一つでも欠けていては、だめなのである。頂点には立てないのである。  そこでまずしっかりとした礼儀を学ぶことになる。次に努力するということである。  これはスポーツマンには絶対欠かせないとても大事なことである。努力なくして最高  の結果は得られない。これは当然のことであるが、これが結構難しいのである。継続  は力なりと言う言葉があるが、努力というのはただするだけに限らず、し続けること  がとても大切なのである。私も何度、練習から逃げ出そうと思ったかわからない。し  かし その度に「優勝という目標を達成するためだ」と言って自分に言い聞かせたので  ある。そしてそこでは最後まであきらめないでやり通すという気持ちも養うのである。
   人間関係、対人関係というものも私はスポーツから学んだ。小さい頃は人見知りが  とても激しく人と話をするのがとても苦手な子供であった。特に年上の人とは全くと  いっていいほど喋れなかった。しかしそれをスポーツというもののお陰で克服するこ  とができたのである。アイスホッケーというスポーツは、氷の上に一回に6人の選手  しか出場することができない。それゆえに、仲間とのコミュニケーションというもの  は絶対不可欠なものなのである。そこで、作戦的なものを話すようになり、それから  少しずつ違うことも話していくようになり抵抗を感じなくなった。それで人見知りも  しなくなるようになったのである。
   次に体育会といえば上下関係の厳しさは有名である。どの世界でも一緒であるが、  年長者を敬い後輩を慕うというのは当然のことである。私はその中でも一番厳しいと  ころで育ってきた。高校の時は態度が悪いと、?やき入れ?というものもあったりした。  大学では寮に入り、寮生活を始めることになったのだが、その中でも法政は一番厳し  いと言われていた。極端に言えば4年生から順に、神様・天皇陛下・平民・奴隷とい  った具合である。ここまでする必要はあるのか、というようなことをいつも考えてい  たが、今考えると、反対にそれは自分のためにとても良い経験ではなかったかと思っ  ている。一年生の頃は、極度の精神的プレッシャーと肉体的な疲労とで地獄のような  ものを感じ、地獄とはこのためにある言葉だと思ったほどである。あれほどの苦痛は  これから一生無いと言っても過言ではないと思っている。しかしそのお陰で、これか  らの人生、たとえどんな困難に遭遇したとしても絶対に乗り切っていけるというだけ  の自信がついたのである。
   これは、直接的にスポーツとは結びつかないかもしれないが、スポーツをしていた  からこそ味わえた経験なのである。
   時に、スポーツ選手はけがなどをするといったマイナス的な要因も多大にあるので  はないかと思われるかもしれないが、私に言わせればそれも一つの勉強なのである。  それは、スポーツ医学を学ぶことにもなるだろうし、また、休んでいる間に自分が今  までやってきたことを見直すこともできるのである。そう言った面からも考えると、  スポーツは人の人間形成において、とても大きな影響を与えているということがわか  るのではないかと思う。「これまでの私の人生において、スポーツなしでは語れない」  という人は私だけではないだろう。フォーマル・スポーツをやっている人ならみんな  がそう思っているに違いない。
   どんなことも自分にとってプラスの作用をもたらす、そしてたくさんの事を教えて  くれるこのフォーマル・スポーツを私は本当の意味で素晴らしいものであると思って  いる。
 
 インフォーマル・スポーツ 
   私は今まで、学生スポーツを通じてフォーマル・スポーツの世界にいたわけだが、  大学生活を卒業と同時に今度はインフォーマル・スポーツの世界へと移っていく。
   インフォーマル・スポーツの本当の目的はたくさんあるわけだが、主な目的は、「健  康のためや趣味」などと言う人が大半ではないかと思う。人は適切な運動を規則正し  く行うことによって筋肉は勿論心臓、肺臓、肝臓、動脈などそのほかにも等しく著し  い発達がみられる。しかし、このように発達した諸機関もその運動を中止していると、  しばらくしてから極めて徐々ではあるが、元の姿に返っていくことが多くの実験で明  らかにされている。それでは、これまでに発達した諸機関をそのままの状態に長く維  持していくに足るだけの運動を常時続けていると永遠にその器官の形態及び機能と生  命とが永久に維持されていくかというと、この点についても医学研究により実証され  ている。身体の形態面だけでなく機能面についても、その作業能率が発達の頂点に到  達した後、その頂点を維持するに足る程度の運動を規則正しく毎日続けていれば長く  その頂点から落ちることが無く続いていくと言われている。このことから人間の健康  と生命の延長のためには生涯にわたる体育の必要性が出てくるのではないかと思う。
   インフォーマル・スポーツは健康の面だけに尽きない。余暇を楽しむレジャーとし  てや、人々のふれあいの場などにもなっているのではないだろうか。
   スポーツをすることによって健康を維持して行け、勝敗を気にすることもなく、楽  しむことだけを考えているスポーツ。仕事などで溜まったストレスも解消できるスポ  ーツ。こういうスポーツもとても魅力的であるのではないだろうか。これこそが真の  スポーツの始まりであり、あり方というか、根底にあるものであると私は思う。
 
◯研究のまとめ
   スポーツにはたくさんの目的があり、その目的に応じたスポーツを行っていくこと  がとても重要である。フォーマル・スポーツにはフォーマル・スポーツの良い点があ  り、インフォーマル・スポーツにはインフォーマル・スポーツでしか味わえない良い  点がある。
   これを的確に見極め、自分に合った、目的を成し遂げることができるスポーツを選  択することこそが、自分のために一番のプラスになり、良い人生を歩んで行ける近道  になるのではないかと思う。もし、フォーマル・スポーツをやる人がいたとしたら、  一つだけ忠告しておきたいことがある。それは、絶対に誰かにやらされたりとか、本  当は好きじゃないけど得意だからやるっていうのなら、やめたほうが良いということ  である。何故ならそれは、例えば、大きな壁にぶつかったときに、それを乗り越える  だけの力は、そこにはないからである。本当に心から好きなスポーツであれば、どん  な困難でも乗り越えていける。しかし、本当に好きじゃないスポーツをやっていれば  いつかきっと挫折し、その世界からドロップアウトしてしまう結果になるであろう。  そうなると、辛いことが起こる度に逃げ出してしまう人間になってしまう。それでは  スポーツがもたらす良い影響が返って逆効果になってしまう可能性があり、それでは  何の意味もないからである。しかし、本当に心から愛して行うスポーツであれば、是  非、 たくさんの人達にやってほしいと願う。私も14年間フォーマル・スポーツとい  うものに携わってきたが、結果はどうであれこれほど人間が美しく輝ける瞬間という  のはそうめったにはないのではないかと思う。今回この研究をしたことにより、今ま  でより、より一層その思いが強くなったような気がする。
   これを将来的には、指導者になりたくさんの人達に、このスポーツの素晴らしさを、  教えていくことができればというふうに思う。
 
        参考文献
 浜口陽吉著「生涯体育」 泰流社1972
 森川貞夫著「生涯スポーツのすすめ」 共栄出版1984
 安部 忍著「体育の哲学的探求」 道和書院1985
 山口泰雄著「健康・スポーツの社会学」 建帛社1996
 菅原 禮著「体育とスポーツの社会学」 不昧堂出版1984
 村田豊明著「ゆれ動くスポーツ観」 新泉社1982
 
        引用文献
 村田豊明著「ゆれ動くスポーツ観」 新泉社1982
 三枝博音著「技術の発想」 第一書房1942
 阿部 忍著「体育の哲学的探求」 道和書院1985
 三省堂編修所編「常用外来語辞典特装版」三省堂1994
 新村出編「広辞苑 第三版」 岩波書店
 金芳保之編著「生活スポーツの科学」 大修館書店1989  
 池上晴夫著「運動処方の実際」 大修館書店1984
 
 
 
  「身体障害者の性」を通して
榎本 久美子
 
 
はじめに
  今までは、学校教育の中でも世間一般的にもセックスは「生殖のための行為」とされ てきたが、最近では徐々に「コミュニケーションのひとつ」であると成りつつあるよう だ。しかし、コミュニケーションとしてのセックスには愛情が不可欠で、愛のないセッ クスを認めることはない。
  それでは自分自身で性欲を処理できない障害者に性的な介助としてセックスをするこ とは許されないのであろうか。もちろん、障害を持っているからといって介助者にセッ クスの介助を強要することは許されないし、介助者が障害者に性的虐待を行うことも許 されない。ただし、障害者と介助者の間でマスターベーションやセックスの介助が必要 だと理解し、お互いが介助の一環であると割り切ることができるのなら、それは許され ると思う。日本ではまだセックスの介助が公的に存在しないので、障害者がセックスの 介助者と出会うのは、相当困難だと思われる。
  私が障害者の性に関心を持ちはじめたのは、脳性マヒの男性と出会ってからである。 私はその男性の食事や外出のボランティアをしていた。その男性は六十二歳で、私とか なり年の差はあったが、私を友人として扱ってくれた。私も障害者としてでなく、ひと りの人としてその男性を見ている自分に満足していた。
 しかし、ある時その男性から「旅行に行きたいから、一緒に行かないか。」と言われた。 そして、私はそれまでその男性を差別していなかったと思っていた自分が、じつは差別 していたということに気づいた。それは、その人を「男性」としてみていなかった、と いうことである。「トイレの介助はどうすればいいのか、お風呂は…。」という思いが頭 に浮かんできて、逃げたくなってしまったのである。
  この気持ちをどうしたらよいか整理するためにも障害者の性について考え、そこから 自分自身のセクシャリティについて問い直していきたい。
  「障害」と言ってもその種類は様々であるが、ここでは特に身体に障害を持つ障害者 の性について考察する。
 
マスターベーションについて
 【ひとりの男性障害者が、女性ボランティアにお風呂に入れてもらっていた。『お風呂 だけは男性ボランティアにしなさい。』と注意すると−省略−『女性ボランティアの方 が体を丁寧に洗ってくれて気持ちがいいんだ。俺はマスターベーションでさえできない のだから、その楽しみだけは奪わないでくれ。』といわれ、私は返す言葉がなかった。】 *1P61
  これは、単にこの男性のわがままということができるであろうか。
  体が不自由なために自分で性器に触れることのできない障害者にとって、マスターべ ーションの問題を考えたい。
  障害者にも体の成長があり、性欲はあるということを周りの介助者が理解していなけ れば、マスターベーションという行為は否定されてしまう。手が使え、自分で体をコン トロールすることができれば、誰にも知られずにこっそりとするはずの行為であるが、 他人の介助なしには成し遂げることができない障害者もいる。
  普通なら性欲が起こってセックスをしたくてもパートナーがいなければ、マスターベ ーションで性欲を満たす。それは誰を傷つけることもなく、自分で快感を得る理性的な 行為である。しかし、その理性的な行為すら誰かに介助してもらわなければならない人 たちがいる。とてもプライバシーな行為だけに、障害者がマスターベーションの介助を 頼める人と出会う機会も少ないし、頼んだ後のその人との関係を考えると遠慮してしま う障害者もたくさんいるだろう。重い障害を持つ人ほど、施設や家庭といったごく限ら れた社会しかなく、もしその社会において性的介助を頼んだために人間関係が上手くい かなくなってしまったら、介助が必要な障害者は生活していくことが困難になるかもし れない。
 【(施設での生活は)おなかがすけば、ご飯が口にはいる、のどが渇けば水は飲める、 −省略−けれども、障害者の誰一人としてセックスをしてみたいとはいえない。いくら かわいがってくれる親でさえ、この問題は解決できない。】*1 P
  このような障害者のマスターベーションをできるかぎり可能にするには、周りの親や 施設の職員など生活のほとんどを共に過ごす人たちの理解が必要である。また、あるデ イサービスセンターでは「マスターベーションルーム」を設けて、家庭でできない人のた めに何とか実行してもらうようにしている。その後に入浴サービスを提供し、汚れを落 とす援助をしている。場所の提供ができなければ、自助具(性具)を使用することも考 えられるだろう。ウォシュレットのような身近のものが代用できるなら、マスターベー ションも無理なくできるだろう。
   また、いいか悪いかは別として、ソープランドを利用することも考えられる。ソー プランドに行く障害者の中には、性的欲求を処理するためだけでなく、性器をきちんと 洗ってもらう目的で通う人もいる。確かにボランティアをしている友人が「障害者の性 器が臭い。」と話していたことがあった。これは、親や施設職員など介助者に性器を丁 寧に洗わなくてはいけないと言う考えが少ないのかも知れないし、何人も入浴介助をし なければならない場合は、丁寧に洗う時間的余裕がないのかも知れない。それに性器と いう非常にプライバシーな部分を洗うことにためらう気持ちもあるのではないか。
  ソープランドに行くことは女性差別につながると言われるが、自分で自分の性器に触 れることも洗うこともできない障害者にとって、お金を払えば色々注文がいえるソープ ランドの方が利用しやすく、人間関係を気にすることもないだろう。
  しかし、ソープランドのような所を利用するのは大体男性障害者で女性障害者が利用 するは、少ない。世間一般では、女性は性欲がない者とされ、性欲があることを口に出 すことがタブーとされている。しかし、それは男性がつくった女性像で、女性は長い間 性的に抑圧されてきた。まして障害を持っているとなれば性的存在と見られず、二重の 差別を受けることになる。
  まずは障害がある、なしに関わらず、女性にも性欲があることを知る必要がある。そ して抑圧された性から解放されなければならない。そうなると、男性障害者がソープラ ンドを利用できなくなるかもしれないが、ソープランドの是非は障害を持っているか、 いないか関係なく、すべての人が考えるべき問題である。
 
自己肯定〜豊かなセクシャリティへ
  常に介助者が必要な人たちに、どのようにして自分の体を自分で生きているというこ とを伝えていってらよいのだろうか。たとえ、手が使えてマスターベーションができた としても、自分の体の一部に障害があるということを肯定できなければ、恋愛をしたり、 セックスをすることに消極的になってしまうのではないだろうか。それは私たち健常者 が性器の大きさを気にしたり、体重を気にしたりすることに通ずると思う。
 【自己身体像はその人の性に重要な要素を持っています。自分の身体に自信と気楽さを もっている場合は性的表現も容易にできます。脳性マヒの人にとって、自分のバランス の取れない身体、たえずコントロールなく動く手足、顔のゆがみ、奇声などが社会の評 価する人間美とあまりに差があるので、このような身体の部分と動きが自己嫌悪感の源 となっています。この自己身体像は女性のほうが男性より、よりいっそう深刻な悩みの 種となります。というのも、女性美がどうしても外見の容姿によって評価され、その美 醜により女性の性的価値が判断されがちだからです。男性の場合は単に容姿だけでなく、 その人の仕事、収入、財産、社会的地位などの要素が男性美の評価にも加えられ、女性 ほど深刻な問題にはならないことも考えられます。
  ここで重要なことは、自己身体像の嫌悪とは自分がその廻りから学んだ環境に対する 反応であることです。小さいときより廻りから自己の身体について否定的なメッセージ を受け、学んだわけです。その結果、障害とは表面に出すものではなく、できるだけか くすもの、また、コントロールするものだと多くの人が信じるようになります。ある場 合はこれを内面化し、障害があるのは自分の責任だと思ったりして、いろいろな自己防 衛の方法を学んだりします。たとえば、自分があまり興奮しないように努力し、身体の ふるえを防いだり、人の目につきやすい入口などを使用しないよう、また、人との会話 を最小限にとどめておいたりします。しかし、このように障害をかくす努力は大変なエ ネルギーを使うことになり、また、自己卑下をたえずしていることで、他の人々との自 発的交流の可能性を妨害することになります。他の人と社交的または性的な交流をする には、自分自身が自由であり、開放的でなければなりません。自分のありのままの身体 をかくすのでは人と親密な関係を作るのは困難であると考えられます。
  このような自己嫌悪の感情を改善し、成人としての自信をはぐくむには時間と困難な 過程を必要とし、集中的カウンセリングをしばしば必要とします。しかし、この過程を 通ることにより、脳性マヒの人が自分の抱いている障害対する感情と身体的実情を明確 に分離でき、自分の障害の自然的受容がされ、実情に合ったより現実的態度が発展でき るわけです。】とある。*3 P50
  私たちの周りにある性情報はほとんどが過激で性欲を掻き立てるものばかりである  が、家庭や学校教育で正しい性知識を得ていないためにそういった過激で刺激的な性情 報に頼ってしまう。「美しい」とされる若い女性のヌードはいくらでも見られる。しか し、そのヌードと自分の体が違えば、私たちはそれに近づこうとする。また、アダルト ビデオのような過激なセックスが正しいと思い込んでしまい、自分たちの楽しいと思え るセックスができないこともあるだろう。
  小山内さんは、【ブスな人は顔の障害者だといった人がいるが、ブスとはまわりが決 めることであって、自分で決めることではない。こんなことをいっていけば、世界中の 人はみんな、ハンディをもっているといっても、過言ではない。世界中の女性の憧れで あるオードリー・ヘップバーンは、生涯首の長さと顎のえらにコンプレックスをもって いたという。−省略−だから、セクシーに車椅子に乗ることを研究すれば、それがチャ ームポイントになるのかもしれない。そんな考え方をもって生きていれば何も怖いもの はないはずだ。】*3 P248といっている。
  だれでも自分の体を肯定するということは一番大切なことであると思う。体に障害を もつ人たちはとても厳しいことであると思うが、自分の障害を認め、向き合って生きて いくことが重要である。とくに性的な部分について、自分の体を認めることは自らも性 的な存在として見てこなかった障害者にとって自分が男であるのか、女であるかという 自己肯定につながるのではないだろうか。そのために正しい性情報を提供することが必 要である。それと同時に相手の体を認めることで、他人と比べない自由なセックスがで きるだろう。セックス=挿入としなければ、たとえ重度の障害を持っていてもパートナ ーの暖かい肌に触れることで快感を得られるだろう。またセックスは男性がリードする ものだとされてきたので男性が障害を持つというパートナー関係の場合、いかに女性が リードできるかが問題である。「正常位」というのは男性が上位のセックスを意味するが、 正常位はそのパートナーごとに違ってもおかしくない。パートナーと何が「快」で、何 が「不快」なのかを話し合える関係をつくっていくことが大切である。そういうパート ナー 関係においては、挿入だけが決して「快」ではないことを気づかせてくれるだろう。
 
障害をもつ子どもの親
  肢体不自由児が通うある養護学校では、初潮や月経を教えること以外には特別な性教 育は行っていない。それは、養護学校に通う子どもの障害がだんだん重度化してきたこ ともあるようだ。以前のように比較的軽度な子どもがたくさんいたときには、子どもが 成長期を迎えからだが発達してくると、教師が学校の中で子どもの性的欲求の処理をす ることもあったようだ。
   しかし、障害が重くなったとはいえ、知的レベルが1,2歳の子どもでも思春期頃 には異性に興味を持ち、床にごろごろと寝て、性器をこすりつけ満足しようとする、性 的欲求の表れもみられる。障害が重度の子どもを入浴させるときに、介助者が子どもの 性器を触りながら体を洗うと緊張が解け、とてもリラックスすることができる。また、 知的レベルが高く、手が使える子どもは毎日のように家で隠れてマスターベーションす るそうだ。しかしその他の介助を親がするので、親にはそれをしていることがわかって しまう。そのときに親の理解がなければ子どものプライバシーや体の成長を否定してし まうだろう。こういったときの対応を親から学校に相談されるケースが多いので、この 学校では親に向けて性教育を行っている。
 親が子どもの体の成長を認められないと、
 【私の息子は二三歳で、脳性マヒによる一種一級の肢体障害をもっています。今は在宅 で面倒を見ているのですが、最近いやらしいことを考えているようで朝おきると夢精し ていることがあります。やめさせるにはどうしたらよいでしょうか。】*2 P102
 というような悩みを訴えることがある。また、子どもが将来傷つくとがないように、恋 愛をし、結婚して、子どもを生み育てることをあきらめさせることもあるようだ。そし て、特に女性の場合、生理は介助項目の増加につながるとされる。
  確かに、現実の社会は障害をもつ人たちへの差別があり、物理的な面でもたくさんの 不利が生じている。その中で、わが子が自立し、生きていくことが困難なことを親は痛 いほど知っているのだろう。障害を持っていることで人が差別されたり、優劣をつけら れたりすることは許せないが、親が障害のない子を望む気持ちは、現代の社会ではそれ を否定することはできない。
 【普通親にとって子どもは自分の未来の夢と希望を乗せた乗り物のようです。しかし、 普通に成長できない障害児を持つことは親にとって自分の自我および自己のイメージに 対する衝撃を受けたことにもなります。親自身と子どもの双方に対する精神的損傷とい えるでしょう。この親の持つ心の痛みが、ある時は不完全である子どもの障害を否定す るという型で現れたり、悲しみや憐憫となったり、夫婦の間で配偶者に対する責任のな すり合いになったり、ある場合は罪意識という感情に変えられ、それが子どもに対する 過保護となり、子どもの親に対する完全依存という型になって現れたりします。】*3  P45
  しかし、親自身が障害者が囲まれた社会の中でしか生活できないようにしていること も確かである。親や周りの者が障害者の性的発達をどう受け止めるかによって、障害者 自身が自分のからだに自信を持つことができるようになるだろう。
  この場合、親に対して正しい性情報を提供するべきである。
 
私たちの問題意識
  私は何度かゼミなどの場を通し、障害者の性に対する私たち健常者の意識を聞いてみ た。マイノリティの性について触れたことがない人が多かったし、時間をかけてはなし あうことができなかったので意見が深まりにくいこともあったが、こうした問題がある ことを知らせることが初めの目的になる。いずれのときも以下の四つの質問をした。
  まず、「1.障害をもっている人に告白されたら、あなたはどうしますか。」という 問いには障害がある、なしに関わらず、ひとりの人として自分の気持ちを伝えたい、と いうこたえと、やはり現実的な物理的困難を考えると不安だ、というこたえがあった。 この物理的な問題は、私たちの心的な壁を崩すことによって解決されるだろう。
  また、健常者同士の恋愛にも自信がないからわからないという意見があった。恋愛を するということは簡単なようで、実はとても濃い人間関係である。自分自身をさらけ出 し、相手を受け止める関係に自信が持てないというのは、誰にでも共通する悩みである ように思う。
  次に、「2.障害者と恋愛をし、結婚を考えたとき、あなたは家族や周囲にどう説明 しますか。」には、わかってもらうまで説得する、という答えが多かった。家族や周囲 の協力なしには、自分ひとりで相手の障害を支えていくことは困難であると思う。
  また、中には障害者と結婚すれば、浮気される心配がないので幸せになれるのではな いか、という意見があった。確かに、一緒に障害を背負うことでパートナーとの絆が深 まるかもしれない。しかし、どこかに、相手には自分という世界しかありえない、裏切 らないからかわいい、というような相手を見下した差別が含まれているように思う。障 害がある、なしに関わらず、結婚とは対等なパートナー関係において、信頼が得られる のではないだろうか。
  「3.障害者とのセックスをどう思いますか。どうしますか。」という質問だが、セ ックスというプライバシーなことを聞くにはやはり時間をかけないといけないと思っ  た。
  愛し合っているなら特別な問題ではないと思う、という意見と子どもをつくることに 不安がある、という二つの意見に分かれたように思う。
  それは、パートナーごとのセックスの目的により、意見が違ってくるだろう。セック ス=挿入にこだわらなければ、好きな人と一緒にベッドで寝ているだけでも幸せを感じ るだろうが、どうしても生殖のセックスにこだわるならば、性機能に障害があれば不満 がでるのではないだろうか。それだけ、セックスという行為はお互いの人生について責 任を持つことである。
  最後に「4.障害者にセックスの介助を希望されたとき、あなたはできますか。」と いう質問をした。そういう状況は想像つきにくいだろう。わからない、できない、自信 がないというこたえが多かった。
  私自身、今の自分ではセックスの介助はできない。割り切ったセックスをすることに も抵抗がある。それがいいことなのかわらない。でも誰かが、介助しなければ、いつま でたっても性欲を満たせない障害者がいるだろう。介助をする人はきちんとした性知識 を持って望まなければならないし、性的虐待のようなことが決してあってはならないと 思う。
  どこまで、性的欲求を満たすために、障害者の自己決定権を尊重できるのだろうか。 介助者の意思がやはり優先されるのだろうか。介助する側、される側双方に権利が保障 されなければ、セックスの介助は安易に行ってはならないと思う。
  今回の四つの質問を私の周りの仲間たちにしたことは、障害者の性、マイノリティの 性を知ってもらっただけでなく、各人の性に対する考え方や、パートナーに望むセック スを振り返る材料にもなったと思う。これを知ったからといって、障害者のセックスの 介助をして欲しいわけでない。何ができて、何ができないのか、それはどうしてなのか を考えることで自分のもつセクシャリティに気づいて欲しい。そうすることによって、 実は私たちのセクシャリティは障害をもつ人たちとそんなに変わらないのではないか。 たしかに、性の情報はたくさんあるが、その中の正しい性知識を選ぶことを私たちは知 らない。知らないだけでなく、たくさんの情報に振りまわされ、自分のからだ、自分の セックス、自分のセクシャリティを肯定できずにいる。自分の身体を肯定するというこ とは、主体的な生へつながると思う。
 
おわりに
  実際、どのように障害をもつ人たちの性を認め、保障していけばよいであろうか。
  だれにでも性欲はあり、それを満たす権利がある。確かに他人の性に触れることに抵 抗を感じる人は多いだろう。障害をもつ人たちのセックスの権利を認めることは贅沢だ と思う人もいるだろう。
  しかし、人間がより人間らしく生きるためには性の権利は当然のものではないか。セ ックスをしなくても人間は生きられるだろうが、生きていればそれでよいという福祉は 貧しいと思う。「快」のない生き方が人間らしいといえるであろうか。誰だって恋をした い、結婚をしたい、子供がほしいと思ってもいい。子供がほしくても性機能障害があっ てつくれない人もいるが、恋愛することは自由だ。
  障害者の性の問題を見つめることで、障害者を性的な存在であるということを理解し てもらいたい。たとえ、セックスの介助ができないとしても性的な存在として見ること は大きく違ってくるだろう。
  私が六十二才の脳性マヒの男性のボランティアをしていたとき、車椅子を押して外出 すると度々その男性に対して幼稚な言葉で話し掛けてくる人がいた。しかもその男性よ りもきっと若いであろうという人が「よかったね、お外に出られて。」とか「お口にご 飯がついてるわよ。」と頭をなでたりするのである。私はいつもそのあと何と言ったら よいかわからなく複雑な気持ちになった。話し掛けてくる人には悪気はないことはわか る。むしろいろいろ手伝ってくれて親切である。だからこそ、そういう人たちにわかっ て欲しい。その男性は、子どもじゃなくて大人で、男性であるということを。私はその 男性からたくさん恋をし、失恋した話を聞いた。いつまでも恋する気持ちを忘れたくな いと言っていた。
  障害者と健常者の間にはまだまだ心の壁がある。その心の壁がなくなり、すべての人 が自由に恋愛できる社会になったら、性の問題は自ずと解決していくだろう。
  マスターベーションやセックスの介助についての問題は私の中ではこたえが出ないま まである。第三者がとてもプライバシーな行為に関わることが、本当に人間的であるの かわからない。ただ、それでは何も進まないし、障害者の性欲を否定してしまうことに なる。
 今のところ私は、自助具(性具)を工夫することがよいのではないかと思う。性具を置 いている店には身体に障害を持つ人たちのためのものはなかったが、いやらしいもので あるという認識のままでは障害者がそこに行くことも困難である。もっと多くの障害者 から性に関する声を集め、よりよい性具をつくっていくことが、これからの私の課題で ある。
  また、性のマイノリティの問題(障害者の性やゲイの性など)を知ることにより、私 たち自身が今まで気づかずに抑圧し、されてきた性について気づかせてくれるだろう。 互いの性を認め、豊かなセクシャリティを育むことは、互いの生をも認めることにつな がる。私がセックスにこだわったのは、人を認め、愛することは何よりも人の心を動か すだけでなく、人が主体的に動こうとする力がそこにはあると思うからである。特に今 まで様々なセクシャリティを育むことができなかった障害者の人たちにこの力をつけ  て、受動的な生から主体的な生を営んで欲しいと思う。
 1981年にはすでに、
  「心身にさまざまな障害を持つ人々もすべて性的な存在であり、この社会の構成員と して、性の喜びを享受する権利を持つ」1981.7  第五回世界性学会議
 としている。また、この問題を知ることは、自分自身の問題を知ることになるだろう。
 【からだの不自由な人に対し、その性的問題が特異なことではなく決してなく、からだ が不自由でない人にとっても全く同じ問題なのだということを認識させることと、同時 に、ある種のからだの不自由な人の問題は、ほとんどすべてが技術的及び実際的な問題 であるということを、からだの不自由でない人に認識させることである。】*5 P14
 とあるが、障害者自身の中から性のニーズを声にしていく必要がある。そうしなければ、 健常者はいつまでも他人の性を見ようとはしないだろう。「プライバシー」という壁で。
  まずはもう一度自分のセクシャリティを問い直してみてほしい。私もこの問題に触れ るまで、自分では気づかないことがたくさんあった。また、自分がセックスに何を求め ているかが、わかってきたように思う。性について考えることは、自分のからだを自分 で知り、自分のからだを主体的に生きることである。それぞれの人が豊かなセクシャリ ティを養っていってほしいと思う。
 
≪引用文献≫
* 1 「車椅子で夜明けのコーヒー 障害者の性」小山内美智子著
   ネスコ/文藝春秋 1995年
   (小山内さん自身が脳性マヒの障害をもつ)
* 2 「障害をもつ人たちの性 性のノーマライゼーションをめざして」谷口明広編著
   明石書店 1998年
   (谷口さん自身が脳性マヒの障害をもつ)
* 3 「障害者の性と結婚 アメリカのセックス・カウンセリングから」平山尚著
   ミネルヴァ書房 1985年
* 4 「障害をもつ私たちの生活がわかるありのままの報告書 全国のおよそ800人が     回答した−実態調査から−」 宮脇学調査・編集 1996年
* 5 「新版 からだの不自由な人の明るい性生活」INGER NORDQVIST                          編・ 石坂直行訳 大揚社 
 
≪その他、参考文献≫
・ 「みんなのねがい 1月臨時増刊号(通巻360号)」全国障害者問題研究会 1998年
・ 「性と生の教育 bQ3 障害児・者の≪性的自立と共生≫」あゆみ出版 1999年
・ 「障害のある子どもへの性教育の実際」 角田禮三著 明治図書
 
 
  第U部  ゼミのひとこと 血の一滴
 
 
[1] 1999年度 児美川ゼミ名簿
 
 
 
[2] ゼミ・ノートから
 
 
 
 
 
  第V部  児美川と大御所のつぶやき
 
 
[1] 教育学演習T(児美川ゼミ)の1999年度の活動の記録 
 
 
<99/04/14>  ガイダンス
※ 一応の発題をする
誰が本当に履修するのかの見当が付かない
<99/04/21>  朝日新聞連載「傷つくのがこわい」から
         報告:阿部、古川
※ 「若者」を対象化することの難しさ
津久井くんが「颯爽」と登場(この後、消える)
<99/04/24>  今後の計画を集中討議
※ 土曜日なのに敢行。幼稚園の先生の北野さんが来る
秋田がゼミ長になる。とりあえず見切り発車
コンパだけ、人がわさわさ来る
<99/05/12>  学級崩壊(1)
         −ビデオ視聴と討論−
※ 映像の迫力はすごい
この時点ですでに、アフターゼミの飲み会の原型が誕生
岡田がデビュー
<99/05/26>  学級崩壊(2)
         −学校・家庭・しつけ−
         報告:秋田、手島、鈴木
※ それなりの準備の跡が見える報告
羽田くんが遊びに来る。大胡くんが、ただ一度の参加
<99/06/02>  学級崩壊(3)
         −身体の異変を踏まえて−
         報告:手島
※ 切り口はおもしろいのだが、議論の仕方が難しい
サブゼミの活動が続けられる(実態は知らない)
<99/06/09>  学級崩壊(4)
         −教師に焦点を当てて−
         報告:秋田、手島
※ この頃から、秋田の「妄言」がはじまる
教師は「ロボット」になる方がよいとさ
松本くんが「出戻り」
<99/06/16>  いじめと人間関係(1)
         −フリートーキング−
※ 女の子のいじめの方が陰湿?
そろそろ、飲み会が絶好調
<99/06/23>  いじめと人間関係(2)
         −仲良し友だちのいじめ−
           報告:秋田、立石、古川、内山
※ いじめは、人間関係への希求の屈折した表現?
早くもマンネリ化の兆し?
<99/06/30>  子どもたちの人間関係(2)
         −『中学生をわかりたい』富田論文より−
           報告:立石、内山、古川
※ 親友が10人いたら、いけないの?
古川くんがしだいに味を出す
<99/07/07>  子どもたちの人間関係(3)
         −機器依存症といもいうべきうわべだけの<つながり>−
           報告:古川、立石、秋田
※ ネット恋愛はありか?
 立石がこれを境に、しばらく来なくなる
(ただし、後期の後半に再デビュー)
<99/08/28〜99/08/29>  夏合宿
       「若者・家族・自立」をテーマにスキット実演
※ フリーター問題に多くの人が関心
覚くんの花火、幸平の引きこもり
<99/09/22>  アエラ記事「定職なくてもハッピー生活」から
           報告:夏合宿の罰ゲーム4班(岡田、手島、浜野、金子、古賀)
※ 自己実現ということ、責任ということ
後期の再開
秋田のゼミ長は、解任されず
<99/09/29>  自立・家族
         −引きこもり−
           報告:罰ゲーム4班(岡田、手島ほか)
※ まずは精確な理解から
手島くん頑張る、岡田いやがる
<99/10/06>  父親不在の実態−居場所の確保
           報告:野口、松本、森山、菊田、半沢
※ 父親不在問題は、夫婦の問題でもある
「出戻り」の松本、ついに報告者に
<99/10/13>  家族と「食卓」のおいしい関係
           報告:野口、松本、森山、菊田、半沢
※ 切り口が多彩
なんで報告者がこんなに多いんだ
<99/10/20>  家族と「食卓」のいただけない関係
           報告:野口、松本、森山、菊田、半沢
※ 家族としての実質の背後には、
生活という物質的基盤がある
参加者の家族体験や家族イメージが滲み出る
<99/10/27>  単純比較−日本と欧米の家庭−
           報告:津久井
※ うらやましがっても始まらないが・・・
津久井くん、復帰
この頃から、岡田の「日本はだめだ」発言が目立つ
<99/11/10>  母親の自由願望について
           報告:古川
※ 「自由」ほど難しいものはない
大学の募集要項用の写真撮影(異装を試みる)
古川くんがアグレッシブに。ひと皮むける?
<99/11/17>  教育における家族
           報告:半澤
※ ACとは、癒しのための自己宣言?
「卒論援助」シリーズのはじまり(効果が・・・?)
内山さんが1週おくれの「異装」
<99/12/01>  性のノーマライゼーション
           報告:榎本
※ 重たい内容だった
報告よりもみんなへの質問の方が多かった
<99/12/08>  生徒に映る教師像−中学生アンケート調査から−
           報告:森山
※ 今の子どもは、意外に教師に好意的?
4年間のゼミで初めてアンケートという手法を持ち込んだ
それだけでも画期的
<99/12/15>  生と性
           報告:古賀
※ 話題の中心は、やっぱり援助交際
<00/01/12>  ゼミのまとめ
           報告:児美川
※ 今年のゼミは、何だったんだろう
<00/02/04〜00/02/06>  合同ゼミ合宿
 
 
 
[2] 教員個人の活動記録 
 
 
【教授会での仕事】
 
    学部改革のプロジェクトに参加
    新任の心理学教員公募に関する人事選考委員会に参加
    ほか、多数の疲弊する仕事に従事
 
 
【学科での仕事】
 
    笹川主任のもとでの労の多い下働き
    『教育学会誌』の編集・発行にたった一人でたどり着く
    教育学会総会の準備に参加
    ほか、途中で投げ出したくなるような仕事の山
 
 
【大学での教育・指導】
 
    「教育学入門」「生涯学習入門」をはじめて担当
    講義内容をホームページに掲載開始
    教育実習の訪問指導で法政女子高の担当に
    卒論の指導生が多すぎてかなり手を抜く
    私立・自由の森学園中学・高校、児童養護施設・調布学園を見学
    ほか、普通の講義、学生の指導、メールでの相談活動
 
 
【ゼミへの貢献】
 
    大学の『入学案内』に写真撮影と学生紹介
    雑誌『法政』のゼミ紹介コーナーに写真撮影と学生紹介
    飲み会での出費がかさむ
 
 
【余録】
 
    教員有志で築地寿司ツアーを敢行
    笹川プロジェクトの香港ツアーに参加
    プロジェクトXを組織ほか、学生とよく遊ぶ
    懲りずに今年もスキー合宿参加
 
 
【個人の研究】
 
    雑誌『教育』の編集に参加
    ほか、多くの学会、研究会などに参加
    文部省科学研究費補助金をゲット
    上廣倫理財団研究助成に当たる
 
 
【研究成果】
 
 <共著>
   シリーズ・中学生の世界2『中学生をわかりたい』大月書店
   歴史教育者協議会編『歴史教育・社会科教育年報 1999年版』三省堂
 
 <論文>
   十代から八十代までの学生と「道徳教育」について語り合う
     (『子どもと教育』1999年2月号, あゆみ出版)
   学力競争という「饗宴」のあとで
     −研究ノート−
     (法政大学教育学会『教育学会誌』第26号, 1999年)
  《アイデンティティ・ゲーム》としての子どもたちの「逸脱・問題行動」
     −「校内暴力」から新しい「荒れ」へ−
     (『法政大学文学部紀要』第45号, 1999年)
 <その他>
   通教スクーリング奮戦記!?
     −1998年度夏期スクーリングを終えて−
     (『法政通信』1999年5月号, 法政大学通信教育部)
  分科会報告「中等教育」
     (共著『日本の民主教育 '99』大月書店)
 
 
 ※ このうち『中学生をわかりたい』の一部抜粋と、『法政通信』のものを以下に転載しておき  ます。
 
 
 
[付1] どうして学校生活はストレスだらけなのか
            −中学生と進路・受験−
児美川 孝一郎

 
 「中学校はすぐストレスがたまる場所です。私はいつも『なんでテストなんかあるんだろう』とか『どうして制服着なきゃダメなんだろう』とか思ってます。でもいい子にしてないと高校受験のとき、ひびくし。みんなストレスがたまっていると思います。」[*1]
 
[中学校という日常]
 
 多くの中学生たちにとって、いま学校生活が息苦しく感じられている。毎日毎日、同じことの繰り返しのダルイ日常。場面場面では過度に強いられる緊張。そして、蓄積されるストレス。かつての学校が醸し出していた“身が引き締まる”ような雰囲気や、そこに行けば何かが起こるかもしれないという“淡い期待”に包まれた感覚は、いまや遠い昔の話になってしまったのだろうか。
 もちろん、今だって学校が楽しくて仕方がないという中学生もいる。学校生活に何らかの目的を見いだしながら、充実した毎日を送っているという中学生も数多く存在するだろう。そうであれば、中学校の日常を、ただひたすらに重苦しく、暗いイメージでのみ表象してしまうのは、明らかに事態を歪曲した見方になる。ただ、にもかかわらず、なのだ。ここで問題としたいのは、そうした個人差や地域差や学校による違いといったものをひとまず括弧に入れた際に浮かびあがってくる、今日の中学校の「社会的性格」といったものだ。その社会的性格が、総じていえば、子どもたちに中学校生活への期待と希望を膨らませる方向に作用しているというよりは、その反対物へと転化していることこそが、問題なのである。
 「中学校ってあんまり楽しくないから、早く高校に行って、もっと楽しい生活がしたいなと思ってる。今はしょうがないから、毎日学校に行ってるというカンジ。周りの子もみんな、学校はつまんないと言ってるし。」[*2]
 ほとんど「苦行」のように、本当は通りたくもない「通過点」としてのみ中学校を見るまなざし。今日の中学生たちのなかに、こうしたまなざしが瀰漫しているという現実から、まずは出発しよう。その背景には、当然、校則や「生活指導」に象徴されるような学校の管理的体質、教師の立ち居振る舞いへの不満、友人関係への気遣い、興味の持てない勉強、成績や高校受験といった多様な要因が、複雑に相互に増幅的に絡み合っているのだろう。以下では、中学生にとっての「進路・受験」という側面にしぼって、問題の一端を考えてみることにしたい。
 
[高校受験という現実]
 
 高校受験を控えた中学生たちにとって、目下の最大の関心事といえば、志望する高校のこともさることながら、まずは自己の内申点や学力(偏差値)のことだろう。なかには、勉強のことが、一時も頭から離れないような日常生活を送る者もいるかもしれない。とりわけ中3の2学期ともなれば、緊張感はがぜん高まり、気持ちばかりが焦って、かえって勉強が手につかないような状態に陥ることも、クラスの友人たちがみんな競争相手に思えてくるような心境になることもあるだろう。ともかくも、「競争的選抜」という生まれてはじめて経験する「試練」に立たされた中学生たちの張りつめた気持ちは、2学期を迎えた頃から高校入試の本番の日まで、そしておそらくはその合格発表の日まで、けっして解かれることはない。いつ頃から受験ということを意識しだすのかには、それぞれに個人差があるだろう。だが、「受験生」としての中学校生活は、やはり息苦しく、中学生たちにとって重たくのしかかってくる現実であることに変わりはない。
 いささか「古典的」に描きすぎただろうか。確かに今日では、高校入試をめぐる状況は、かつてとは比較にならないくらい様変わりしている。だいたい高校入試の日程じたいが、現在では、私立高校の推薦入試、普通科にまで普及した公立高校の推薦入試、そして私立、続いて公立の一般入試といった具体に、だいたい四つほどのピークに分散している。以前と比べるならば、入試日程の開始が早まり、入試シーズンそのものは長期化しているわけだ。この12月から3月まで延々と続く入試シーズンにおいては、当然、早々に卒業後の進学先を決めて安堵する者もいれば、最後の最後まで不安と緊張に苛まれながら、試験の結果に一喜一憂せざるをえない者たちも存在する。クラス内の人間関係は、どう考えてみても、従来にも増して複雑だろう。
 さらに、入試方法そのものの変化もある。都道府県によって事情は異なるのだが、90年代前半以降、高校通学区域の見直し、受験機会の複数化、推薦入学枠の拡大、学力試験の傾斜配点、調査書への観点別学習状況の組み込み、ボランティア活動の評価といった高校入試制度の「改変」が、軒並み全国各地で進められてきている[*3]。つとに指摘されてきたように、こうした動きの背景には、第14期中教審の答申(1991年)とその具体化のために設置された高校教育改革推進会議の諸報告(92−93年)に象徴されるような教育政策の動向があり、それはまた、「知識・理解」よりも「意欲・関心・態度」を重視するという、いわゆる「新学力観」の問題とも連動していた。
 要するに、近年の変化というものは、中学生たちの側から見るならば、入試における「選択」の幅の拡大と引き換えに、彼ら/彼女らの学校での生活全般が「評価」の視線にさらされるということ、学力評価だけではなく、学習態度や部活・委員会活動での活躍、ボランティア参加などによって値踏みされる「人格」評価が、高校入試という「競争的選抜」の基準に反映するという点にこそ、その本質があると言えるだろう。
 
[受験競争の虚像と実像]
 
 昔から、中学生たちにとって、高校受験というのは重圧だった。それが今では、「受験生」としての生活を送る一定期間のみならず、中学時代を通じてずっと続くのだ。しかも、中学生たちを評価する視線は、学力のみならず、彼ら/彼女らの学校生活の日常に埋め込まれている。「学力競争」と「忠誠競争」とが織り合わされたような学校の日常が、中学生たちによって心地よかろうはずがない。だからこそ、ここから、冒頭で指摘したような中学生たちの“重苦しく”“窒息しそうな”学校的日常への実感は、こうした90年代前半以降の受験競争の枠組みの変化から生じてきているのだという、有力な議論が登場してくることにもなる。
 確かに、この議論には魅力がある。高校受験という将来の進路決定をも大きく左右する「競争的選抜」の仕掛けが、中学校という場の日常に埋め込まれているのだとすれば、それは誰だって、学校生活が重苦しくも感じようというものだ。
 だが、本当にそうなのか。こうした見方は、中学生たち自身の実感にも沿ったものなのだろうか。というのも、高校入試をめぐる近年の教育言説のなかには、こうした議論とはおよそ対照的な次のような議論の流れを認めることもできるからである。要するに、こういう主張だ[*4]。今どき、高校受験の重圧にあえぎ、競争に汲々としている中学生なんてどこにいるのか。学校を選ばなければ、ほぼ全員が高校に進学できる時代なのだ。一部の難関校や有名校をめざす生徒を別にすれば、多くの生徒たちは、自分の学力の程というものをわきまえており、無理せずに入れる高校に入れればよいといった「そこそこ感覚」[*5]を身に纏ってもいる。だから、“受験体制のもとで競争にあえぐ子どもたち”などといった中学生像は、実際には、したり顔の教育学者や教育評論家といった者たちが、現在の教育荒廃の「犯人探し」をするために勝手に作り上げた「虚像」にすぎないのだ、と。
 
[中学生たちの実存]
 
 確かに、こう言われてみれば、思い当たる節がないわけではない。例えば、こういった事柄だ。中学生たちの塾通いの増加が指摘されてから久しい。そして、それはそれで、受験競争の激化の象徴のようにもいわれてきた。だが、実態はどうか。一部のエリート進学塾のような存在を除けば、多くの塾の実情は、まるで子どもたちの「社交場」といった感を呈しており、受験勉強に汲々とするどころか、どうやって彼ら/彼女らの受験に向けた動機づけを形成していくのかが、学習塾の側の最大の課題にさえなっているのだ。最近では、塾関係者たちのこうした声を伝え聞くことも多い[*6]。また、中学生たち自身を対象とするアンケート調査の結果などを見ても、「どんな時にムカつくか」といった質問に対して、勉強や受験にかかわる回答を寄せる中学生の数は、意外に少ないという結果もある[*7]。そして、実態としても、中学生たちの家庭での勉強時間といったものも、この間、一気に減少してきているのではないか[*8]。
 そうだとすれば、今や受験競争の重圧にあえぐ中学生なんて、本当に存在しないのだろうか。いや、やはり、そうではないだろう。
 「先生だって人間だから、生徒を平等には見られないじゃないですか。できれば、先生に好かれたほうが、自分としては有利な立場に立てるし。勉強できないけど、受験で失敗したくないから、その分、生活態度でいい評価が欲しいと思うし。」[*9]
 「忙しすぎてたまらない。いつも勉強と内申という言葉がどこからか聞こえてくる。特に午前中はそればかりで集中できなくなってしまう。ぼくは本当は勉強は嫌いだ。しかし、いやおうなくやらなければならない。」[*10]
 「進学のこと、友だちのこと、いろいろイライラすることがある。特に中三生はせっぱつまってる感じ。どこかでストレスを発散させなきゃ、おかしくなっちゃう。・・・・やっちゃいけないことが多すぎて。やらなきゃいけないことも多すぎて。本当、疲れるんだよね。」[*11]
 こういった中学生たちの切ない声を、「一部の難関校や有名校をめざす生徒」たちだけの例外としてしまうわけには、やはり、どう見てもいかないではないか。ただ、そうだとしたら、「そこそこ感覚」を身に纏いつつ、受験競争という現実をそれほど意識しているわけではない中学生たちの登場という事態をも含めて、「進路・受験と中学生」との錯綜する関係・状況は、全体としてどう理解すればよいのだろうか。
 
[競争意識の階層分化]
 
 あくまで「仮説」としての域を出ないのではあるが、ひとまず次のように考えることはできないだろうか。
 認識の大前提となるのは、高校受験が中学生たちにとってどれほどの精神的重圧を与えているのかといった問題を考える際に、どこかに典型的な、「平均像」としての中学生一般を想定するような発想を断ち切ること。むしろ逆に、受験競争に対する中学生たちの受けとめ方(端的にいえば、「競争意識」ということになるが)は、今日ではかなりの程度まで、階層的に分化しているという把握の仕方に踏み切ることだ。ここでいう「階層分化」とは、直接的には子どもたちの学力ランク上の位置どりの分化を意味しているのだが、しかし、そうした学力ランク上の位置は、現実には多くの場合、彼ら/彼女らが所属する家庭の社会階層上のランクに沿って振り分けられている。しかも、子どもたちの学力の階層分化は、中学時代を終える「15の春」に初めて自覚されるような事実ではなく、すでに小学校の高学年ぐらいの時点において、本人自身にも、そして親にも、かなりの精度でもって見通されているということでもある[*12]。
 要するに、こういうことではないのか。かつて中学校における学力競争を特徴づけたのは、それが、偏差値に象徴されるような一元的尺度のもとでの、全員が参加する競争であるという特質にあった。だが、そうした特徴は、現在では大きく変貌しつつあるのではないか。高校入試の方法の変化によって、かつての「一元的競争」は、今では、いわば“種目別競争”として多層化しはじめており、しかも、従来からの競争の激化によって実質的な「選抜点」が小学校高学年へと降りた結果、「全員参加型競争」という実質も半ばは失われつつある。つまりは、今日の中学校における学力競争は、すでにある程度まで“先が見えて”しまっている「競争」であると同時に、にもかかわらず、最終的な決着はここでつけなくてはならないという「競争」なのだ。だからこそ、その「競争」は、現在の自分がキープしている位置を落とすわけにはいかないという意味での、競争意識の<加熱>を生みだす装置であると同時に、どうあがいても結果は見えているといった意味で、煽られた競争意識を<冷却>させる装置としても機能するのである。そうだとすれば、中学生たちにとっ ての競争現実をめぐる先のような二つの対照的な見方は、原理的にいえば、中学校での「競争」の持つ両面のアスペクトのそれぞれ一方に対応した見方だということにもなる。
 
[降りたくても、降りられない]
 
 もちろん、中学生たちの意識の分化は、実際にはかなり複雑ではある。一人の中学生の意識が、<加熱>と<冷却>の双方のモメントのせめぎ合いの場と化している場合もあるし、どちらか一方がより強く現れるという場合もある。それは、個々の中学生が置かれている学力ランク上の位置によっても異なるし、実は、都道府県による高校入試制度の枠組みの違いによっても異なる。
 学力上位層にとっては、高校受験は、やはり大学進学までを意識した“厳しい”競争の場として受けとめられ、そこでは、「偏差値教育は人間性を歪めるとか、いろんな御託ならべてやめようとしてるけど、世の中がそうなっている限り、それに逆らうのは当事者にとってはいい迷惑だ」[*13]といった意識や現実感覚までが、本音のところで受容されたりもする。しかし、学力中・下位層の子どもたちにとっては、高校受験の圧力は、これほどまでに強くはなかろう。相応のゴールを見定めながら、それほどの無理はせずに、それでも最終的に手を抜くことはできないという、独特の競争参加のプロセスが歩まれる。これはこれで、周囲から見れば、あっけらかんとしているように見える子もいれば、緊張感に押しつぶされそうに見える子もいるだろう。
 また、高校入試の制度的な枠組みとしても、大都市部やその周辺、あるいは広域な学区制度をとる地域におけるように、自宅から受験可能な高校の数が多ければ多いほど、見通された一定の枠内でありながらも、なお高校の学校ランクの僅少な差をめぐる競争意識が活性化しうる。逆に、これが少なければ少ないほど、少しぐらい努力したってどうせ進学先の高校は同じだという意識が働いて、競争意識はおおむね鈍化していく。さらに、高校入試の判定基準において、観点別学習状況の評価など「学力」以外の評価基準が重視されればされるほど、あるいは推薦入試による合格定員が多くなればなるほど、中学校の日常における「忠誠競争」の重圧が高くなるということもある。
 要するに、多様なのだ。中学生たちが感じる受験競争の重圧は、もともとの個人差という素地のうえに、学力差と地域差との関数によって、かなりの“温度差”が生じているのではないか。ただ、そうした温度差にもかかわらず、共通する点もある。中卒者という労働と生活の「底辺層」へとドロップアウトしていく覚悟を決めない限り(決めさせられない限り)、この競争プロセスは、どんなにかそこから降りたいと望んでも、けっして最後まで降りることのできない競争であるという点だ。競争にあおられている者も、そうでない者も、最後まで息をつくことが許されないプロセス。このことが、競争の“激しさ”ということとは相対的に別の、高校受験というものに内在する“重たさ”をもたらしているのではあるまいか。
 
[将来像の閉塞]
 
 中学生たちの日常を重苦しくしているのは、実は、受験競争の“激しさ”や“厳しさ”なのではない。そうではなくて、この競争に参加し続けることには何の意味も感じられないにもかかわらず、この競争が「降りたくても、降りれない」という強制的な性格を有していること、そのことにあるのではないか。
 高校受験をめぐる競争は、出発点からして不均衡な、すでに順位が決しているかのような競争になりつつある。それが、競争の内発的なメカニズムに沿って、中学生たちの意欲や努力を喚起し続けるのには、もともと困難がある。しかも、今日では、仮にそうした競争のために切磋琢磨し、競争そのものを勝ち抜くことができたとしても、その先に何が待っているのか、どんな見返りが返ってくるのかが、きわめて不透明な時代だ。政治や経済、労働や社会生活の分野を貫く現在の日本社会の閉塞状況は、中学生たちにだって敏感に感じとられているし、かつての「学歴社会」神話も、徐々にではあるが崩れつつある。
 そうであれば、誰だって、頑張ることの意味を実感できないような「苦行」に参加させられ続けることほど、重苦しく苦痛なことはないではないか。今日の中学生たちの日常の重苦しさは、彼ら/彼女ら自身がそれを自覚できているのか、無意識的に嗅ぎとっているのかの違いはあるとしても、受験や競争ということじたいを突き抜けて、実は、将来へのめあてや展望の閉塞という深層の要因に突き当たるのではあるまいか。
 「こんな勉強やってて、いったい何になるのか。」無数の中学生たちの声が聞こえてきそうな気がする。
 
 
-------- note
*1 埼玉県内の公立中学校で、2年生の担任教師が生徒たちにとったアンケートから
*2 NHK「14歳・心の風景」プロジェクト編『14歳・心の風景』NHK出版、1997年、16頁
*3 実態については、さしあたり、小島昌夫「高校と高校入試の『改革』」日本子どもを守る会編『子ども白書1998年版』草土文化、1998年、を参照。
*4 鈴木正興「『偏差値地獄に喘ぐ子どもたち』ってどこにいる?」別冊宝島『プロ教師の学校大論争』宝島社、1993年、小浜逸郎『子どもは親が教育しろ』草思社、1997年、などを参照。
*5 赤田圭亮『サバイバル教師術』時事通信社、1998年、115頁
*6 学習塾の実態、機能、地域で果たしている役割等については、小宮山博仁『「学校スリム化」時代の中学生』NHK出版、1998年、を参照。
*7 ベネッセ教育研究所『モノグラフ中学生』59巻、年、38頁。「テストが迫っているのに勉強する気になれないとき」という回答が、12の項目中の9位、「進路や将来のことを考えるとき」との回答が、最下位である。
*8 厳密な比較とはならないのだが、平日の放課後の勉強時間を聞いた質問で、「ほとんどしない」と答える中学生の割合は、13.6%(1992年)から31.9%(1997年)へと推移している。前者は、NHK放送文化研究所世論調査部編『現代中学生・高校生の生活と意識(第2版)』1995年、121頁。後者は、『モノグラフ・中学生ナウ』59巻、ベネッセ教育研究所、1998年、14頁
*9 前出『14歳・心の風景』、29頁
*10 同前書、118頁
*11 中学コース編集部編『助けて!』学研、1998年、326頁
*12 このあたりの事情については、「現代社会と教育」委員会編『現代企業社会と学校システム−長野県A市を中心とする地域総合調査−報告書』民主教育研究所、1996年、を参照。
*13 インターネット上にホームページを公開している中学3年生の日記から。http://www.bnn-net.or.jp/~akikon/DIARY/
 
(※ シリーズ・中学生の世界2『中学生をわかりたい』大月書店、所収)
 
 
 
 
[付2] 通教スクーリング奮戦記 !?
−1998年度夏期スクーリングを終えて−
児美川 孝一郎

 教育学などという学問領域に身を置いていると、自分がやっている大学での講義やゼミ生の指導を、「教育実践」として、どこか客観的に眺めてしまうような時がある。それは、たいていの場合、「教育研究者」としての自分が、「教育実践者」としてのもうひとりの自分の至らなさや頼りなさを、いささか自嘲気味に痛感してしまう瞬間ともなるから、余計に厄介なのだ。
 大学における授業は、まぎれもなく教育学という学問の研究対象である。日本よりもはるかに早く大学の大衆化・ユニバーサル化を経験したアメリカでは、大学での授業や授業方法についての研究が盛んであり、それこそ彼の国らしく、シラバスの書き方から、効果的な教授法、評価方法や評価基準の設定の仕方に至るまで、ある程度の定式化(マニュアル化?)を施したメソッドやスキル、プログラムなどが多種多様に開発されたりもしている。
 それを「羨ましい限りだ」と思うか、「何もそこまで」と思うのかは、個人によって差があるだろう。しかし、大学における授業や授業実践についての純粋な学問研究という点でも、日本での研究が大きく立ち遅れているという事実は疑いようがない。そのツケを、いまに払わされる時が来るかもしれない(もうすでに来ている?)とは思うのだが、かく言う僕自身も、自分がそうした領域での研究に踏み出そうなどという「勇気」は、今のところ持ち合わせていない。
 さて、こんな僕のところにも、何を間違ったのか、自分がやっている大学での講義の様子を報告せよという趣旨の、ある雑誌からの原稿依頼が舞い込んできてしまった。頼まれた断れない性分から、ついつい引き受けてしまって書いたのが、以下に紹介する文章である(『子どもと教育』1999年2月号、あゆみ出版。ここに再掲するにあたっては、一部を加筆・修正している)。ちょうど通教での昨夏のスクーリング授業を取り上げているので、興味の沸いた方は、ご一読をお願いできたらと思う。(なお、冒頭の数段落は、通信教育のシステムについて理解のない読者のための解説となっているので、カットしている。)
 
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 以下に紹介するのは、昨年の夏期スクーリングにおいて僕が担当した教職課程の講義「道徳教育の研究」の模様である。もちろん、講義の展開そのものを再現することが、ここでの目的ではない。
 注目したいのは、この講義には、二〇歳前後のフリーターから、三〇代・四〇代の社会人や主婦を中心に、最高齢は八〇歳の現役・塾講師までの五〇数名が一堂に会したという事実である。通教のスクーリングである以上は、当たり前の風景なのであるが、結果としてそのことは、道徳や道徳教育のあり方をめぐって、これまでの生育歴も社会的境遇も、物事に対する感じ方も考え方も相当に異なる学生たちが、文字通りに世代を超えて、ねばり強い対話を繰り広げる「場」を創りだすことになった。そうした「場」の成り立ちや、そこに居合わせた者たちの反応を通じて、いったい何が浮かびあがってきたのか。これが、この小文において考えてみたいことである。
 とはいえ、本題に入るためには、講義「道徳教育の研究」が実際にどのように展開されたのかを、その概略だけでも示しておく必要があるだろう。六日間の講義全体の柱は、いちおう次のように立てていた。
 
 T.道徳とはなにか−価値の多様化の時代に
 U.道徳は教えられるか−教化と教育
 V.道徳教育の構造−道徳性の発達と環境
 W.「官製」道徳教育の体系−学校教育法から副読本まで
 X.もうひとつの道徳教育−自主編成、価値の明確化、モラル・ジレンマ
 
 この構成のなかには、戦前・戦後の道徳教育の歴史的変遷も、道徳性の発達段階についての心理学理論も、学習指導要領を中心とする現行の道徳教育の制度的仕組みも、そしてもちろん副読本などの教材例や具体的な実践記録についての検討も含まれている。おそらく、教職専門科目として置かれる「道徳教育の研究」としては、きわめてオーソドクスな内容構成になるではなかろうか。
 
【争点を際だたせる】
 
 ただ、この僕のスクーリング授業に多少とも目立つ特徴があるとすれば、それはズバリ、授業の展開方法ということになるかもしれない。講義の展開においてもっとも腐心しているのは、先に示したような講義の柱を、“既定の学問的成果を伝達する”といった仕方ではなく、今まさに相異なる見解や見方がせめぎあっている「争点」として提起するという点にある。例えば、講義の柱のTであれば、“人々の意識や生活感覚の個人主義化の浸透、「価値観の多様化」がいわれる現在の日本社会の現状において、はたして万人が納得しうるような道徳なんて成立するのか”といった問いを鋭角的に突き出す。Uであれば、“学校や教師の側の価値観の教え込みにならないような道徳の教育は、本当に可能なのか”という問いをとことん突き詰めてみる、といった講義の進行になるわけである。
 こういう授業の展開の仕方を心がけるのは、何も講義内容を少しでも興味深いものにしようとか、刺激的なものにしようとか目論むからではない。本質的には、授業のなかでの教員である僕自身の身の置きどころを、道徳教育の内容や方法についての「真理(ないしは学説)の伝達者」という位置から引き離し、学生たちと横並びになって問題を考えあっていく探求者の位置、あるいは学生たちの集団的で共同的な思考の展開を調整していくコーディネーターの位置に置きたいからである。
 もちろん、講義全体の設計や進行(いつ、どこの場面で、何を議論するのか)を決めているのは僕以外の何者でもないのだから、これを、学生と教員とが「対等」な位置に立ったものだなどと言うのが欺瞞であることはわかっている。ただ、それでも僕がこだわるのは、そうした制約の枠内ではあっても、授業の展開は、あくまで意見表明という形での学生参加を軸に進めるという点であり、教員であるこちらの側は、けっして何らかの「結論」を提示したり、そこに導こうとしたりはしないという点である。だからこそ、授業の流れは、誰もが平等に“論争”に参加することのできる「争点」を中心に構成される必要があるのである。
 
 
【発言を引きだす仕掛け】
 
 こうして実際の講義は、だいたい一日に二つか三つの主題を扱い、時間にして全体の半分以上を討論のために当てる。もちろん、実りのある討論が成立するためには、その前提として、問題を考える際にどうしても必要となる知識や背景、制度的仕組みなどについての理解が求められる。その部分は、こちらの側で事前にレクチャーを行う。
 あとは、ひたすらに「徹底討論!」である。全体でのディスカッションあり、グループ対抗での討議あり、一対一で行うミニ・ディベートありで、とにかく授業が進行していく。僕自身は、さまざまなバックグラウンドを持った学生たちの、これまた多様な論点が飛び交う意見を相互に響き合わせるための進行役に徹するのみだ。
 学生たちの積極的な発言を引き出すためには、@一人ひとりの意見を丁寧に聴きとる、Aそれが全体の意見分布のどのあたりにあるのかを位置づける、B発言者が特定の人間に集中しないように配慮する、C議論が一定の方向に傾きそうな時には、あえて「揺さぶり」をかけるようなコメントを差し挟む、といった留意点のようなものはある。しかし、何といっても物をいうのは、討論のテーマ設定である。この講義の場合には、先に触れたような意味での「争点」が浮き彫りになることを意識して、例えば“電車で座席を譲らないのは、年寄り扱いをして相手の気分を害さないためだと主張する高校生をどう見るか”“学校を休んで、自主的な学習会に参加するのは、道徳に反するか”“真理であれば、子どもたちに教え込んでもよいか”“特設「道徳の時間」は教育的に有効なのか”といった内容(設題そのものは、架空の場面を設定してもっと具体化している)、あるいは実物の道徳の読み物資料や授業実践記録をもとにした論題の設定をしている。
 
【学生たちの反応】
 
 こんな授業を構想した場合、もしも発言が出なかったらどうしようという不安は、教員をしたことのある者なら、誰でもが抱くものだろう。
 ところが、である。いざ蓋を開けてみれば、学生たちはよくしゃべるのだ。講義の開始時点でこそ、ある種の戸惑いを見せるものの、時が経つにつれて、しだいに活発な発言が飛び交うようになる。次から次へと挙手が続いて、進行をしているこちらの方が、どうやって収束させようかと慌ててしまうことだってある。
 いったいなぜ、学生たちは発言するのか。さまざまな要因があるのだろうが、本質的なところでは、授業を通じて学生たち自身が、安心して自己表現をすることの喜びや、物事を共同で探究するということの面白さを実感しはじめるからではないか、と僕は思っている。だいだい一〇代から八〇代までの人間が、道徳について議論するのだ。当然、それぞれの生活経験にも根ざした異なる見解がいくつも出てくる。意見が鋭く対立することもある。しかし、大切なのは、それぞれの意見が、絶対的なものと想定された「正解」との距離によって測られたり、評価されたりすることはないということだ。個々の発言は、発言者が勇気を奮ってそう発言しただけの重みをもって受け取られ、その根拠や背景がみんなから聴きとられる。(僕自身は、それを理論的な文脈のなかでの諸概念や枠組みと関連づけて位置づけ直したりもする。)
 そういう場であればこそ、学生たちは快く自分の意見を提出するし、他者の声に対しても謙虚に耳を傾ける。「年齢層も幅広くて、いろんな経歴の人たちの意見が聞けたのがよかった。今まで、自分では当然だと思っていたことでも、いろいろ考えされられることが多かった。」こういう感想は、講義終了後に集めたアンケートのなかでも目立って多っかたものである。
 
【「問い」を問い続ける】
 
 「なかなか面白かったです。“答え”を出しきらないところが。」こんな感想もあった。授業の組み立てについてのこちら側の意図を、かなり正確に読みとったものだ。「考えても考えても、“これだ”という決定打に至らないのは、正直きつかった。でも充実感もあった。」「毎時間、道徳というものを、道徳を教えるということの難しさを、自分自身に問い、そして悩んだような気がする。この“問いに悩むということ”が、この講義でいちばん自分のためになる経験だったのではないかと感じている。」こんな感想が飛び出してくれば、授業者としても感慨はひとしおである。
 つくづく感じたのは、学生たちは、一方通行的に進行する「授業」に対して、半ばはあきらめながらも、やはりうんざりしていたという事実である。その制約さえはずせば、こちら側が期待した以上に、自分の頭で考える(考え続ける)ということに責任を持ってくれるということもある。
 もちろん、人は、ひとりではそんなに考え切れるものではない。思考の深まりのためには、自分の思考や発想に異を唱えたり、補完をしてくれる他者が必要だし、いっしょに議論し、考えあう仲間が不可欠だろう。「人の意見を聞いていて、自分の意見がこんなにも変わるということを発見したのが、講義のなかでの一番の驚きだった。」この感想からは、共同で思考するということの醍醐味が、見事に伝わってくるではないか。
 
【結論を出さないことの不安?】
 
 ただし、数は多くなくても、こうした反応とは異なる反応を示す学生たちがいたことも、また事実である。簡単に言ってしまえば、結論を出さないというこの授業のスタイルには最後まで“落ち着かなさ”を感じ、それゆえ「いろんな人の意見を聞くのもいいが、もっと先生自身が考えている意見を聞きたかった。」といった要望が寄せられるようなケースである。
 この手の学生の反応をどう考えたらよいのかは、かなり微妙な問題を含んでいる。学生たちが相も変わらず受け身的な「学習」観に囚われているからだという見方も、できないことはないかもしれない。しかし、そう言い切ってしまうと、こうした授業スタイルじたいが持っている「危うさ」のようなものまでを看過してしまうことにもなるように思う。
 要するに、こういうことだ。論点は提起された。みんなで徹底的に議論しあった。でも一致した結論に至ったわけではない。では、どうするのか? 後は、各自が自分なりの見解を大切にすればよいのか?
 先のような要望を寄せる学生がこだわっているのは、この最後の点なのだろう。(それで授業になっているのか、と。)僕自身は、大学の講義科目である「道徳教育の研究」は、それでもよいではないかと“開き直って”いる節がある。けれども、問題が単純ではないのは、多くの学生たちがこの僕の講義の方式を、小・中学校においても求められる道徳の授業のあり方になぞらえて受けとめていたことに由来する。ならば、小学校の道徳の時間においても、子どもたちみんなで意見交換や議論をした後に、教師が何らかのまとめをする必要はないのか。この問いをめぐっては、最後まで学生たちの意見は分かれていた。その「まとめ」こそが、せっかくの授業を台無しにするという意見も、道徳教育としては当然必要だという意見もともに存在していた。
 どうやら、来年以降の講義にのぞむ際、僕自身にも重たい課題が残されていることだけは確かだろう。
 
【講義を終えて】
 
 さてさて、六日間の講義を終えて、道徳や道徳教育について、自ら考えるためのヒントぐらいは伝えることができたのだろうか。今度は、こちらが問われる番なのだろう。「一定の方向性というか、感触みたいなものをつかめました。」と、終了後にわざわざ言いに来てくれた学生の存在は、こちらにとってはせめてもの救いである。
 ところで、最終日の最後の時間に試験をした。簡単な用語解説のほかに、「今日の学校における道徳教育が抱えている最大の課題(問題)は何か」という論述形式の出題とした。実は、通学課程の方の講義「道徳教育の研究」でも同じ問題を出したことがあるのだが、答案の出来具合いは、はるかに今回の方が良かった。とにかく書かずにはいられない、といった学生たちの迫力が伝わってきた。とりわけ若い世代の学生たちの答案からは、自分たちが受けてきた学校時代の道徳教育への失望や怒り、怨念のようなものが滲み出ていたようにも感じたのだが、それは僕の読み込みすぎなのだろうか。
 もし、そうでないのだとしたら、これまでの日本の教育(もちろん、大学教育も含めてだが)が失ってきたものの大きさを思わずにはいられない。
 
(東京都出身、komikawa@i.hosei.ac.jp
 http://www.i.hosei.ac.jp/~komikawa)
 
(※『法政通信』1999年5月号, 法政大学通信教育部、所収)
 
 
 
[編集後記] 現場人のつぶやき
教育学科助手補佐&編集長  こばやし さとる
 
 
 今年のゼミでは去年にはなかった家族と、学級崩壊、そしていじめについて議論がなされたように思う(去年は不登校と高校中退がメインだった)。私は実は卒業生なので、ゼミにはあまり出ていない。しかし、今年から学校現場に片足入れる程度の身分になったので、その経験から得たいくつかの考え所を徒然に書きたいと思う。
 
徒然其の一
 
 まず、皆さんの親はどのような人ですか?厳しかったり、優しかったりいろいろあるでしょうけど、最近はこんな御父兄がいらっしゃる。
 
 「私がうまく叱ってやれないものですから、わがままに育ってしまいました。どうぞ叱ってやって下さい。」と。
 
これは私が関わっている中学生の母親との会話の一部であるが、皆さんはこれに違和感を覚えないだろうか?ある意味で親権を放棄しているようにも感じられ、そのとき私は戸惑ってしまったものだ。この人にプライドはあるのだろうか?と・・。だが、後から聞けば
 
「うちの子は父親を知らないもので・・、強く叱ってやって下さい。」とおっしゃられる。
 
フムフム、家庭の事情が絡んでいるのか・・。しかし、ここでまた一つ戸惑った。「父の代わりをするのか、この俺が・・。」とネ。今年で24のこの私が中学生の父親っていったいぜんたいどーなってんだ。社交辞令で言うにはちょいとディープに感じて、この言葉の真意を一晩考えた。未だ答えは出てないんだよね、実際。
 ここで、一つ考えた。学校の先生って何者なのだろうか?って。教科の専門家なのか、発達を支える町のご隠居さんなのか、親の代わりか、カウンセラーか。この業界を目指す人には是非考えて欲しい。本物の(私はナンチャッテである。)現場人に言わせれば、授業をしている50分が一番ゆとりがあるとのこと。デスクワークは当然のこと、今日的問題の不登校のケアや、怠学児へのアプローチ、反抗期を迎えた子どもに戸惑う母の相談も受ければ、学校への苦情も、親の持つトラウマにもつきあい、愚痴も聞く。地域とうまくやろうとすれば、PTAとの連携も欠かせない。さらに少子化で、学校の教員数が減れば、校外活動が停滞する。それでは外部の人を招こうと言って私のような人材が職員になれば、それはそれで、また一つ仕事が増える。私がお世話になっている学校が特別だとは思わない。皆さん頑張っているわけぢゃないみたいだし・・・。ただ、現実として学校で仕事をするなら、時には家族の一員にも成らなきゃいけない時もある。親に変わって子どもの進路も決めねばならぬこともある。そういう時にどういった気持ちで向かい合えるのかを無茶苦 茶考えて欲しい。教師の専門性を教科教育と発達援助の間に見つける試行錯誤に先生なる存在の本来の姿がある気がした。
 
 
徒然其の二
 
 学級崩壊についてもゼミで扱われたので、ちょっと語ってみたいと思う。中学生の話なので若者考に近い内容になると思われるが、やっぱ語っちゃおう。
 
 皆さんは最近の学齢期の子どもについてどんな印象持ちますか?変わったとか、別にいつの時代も子どもは子どもだなど考えられる中、端的に言うとすればどうだろう。ここ一年経験から言えば、「今、この場(教室、学校など)でこれ(授業、勉強など)をやる意味がわかんない」という感覚の集合体であろうか。
 
「美術の時間にやる気ないから、作品作らないからお金返してって言ったらダメだった。むかつかない?」
 
こんな言葉を私に言う子がいた。その子に言わせれば、美術は別に嫌いではないと言う。先生も嫌っている様子はない(若くて女性だからかな)。だったらとりあえずやってしまえばイイぢゃねぇか!と私が言えば
 
「違うんだなぁ〜。わかってねぇなぁ〜」
 
という答えが返ってくる。ジェネレーションギャップの典型的なパターンだぞ、なんて危機感にさいなまれながら、またまた一つ考えた。「こいつら何がしたいんだ」「どうしてこーなっちゃうんだ」って。
 そこで、以前ゼミ長との「魚民ゼミ」を思い出してみた。
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説明しようっ!
 魚民ゼミとはさかのぼること4月のゼミコンパから始まる児美川ゼミならぬ、飲み川ゼミのメンバーの主要人物(ゼミ長と補佐)からなるアツーイ教育系自主ゼミである。何を隠そうこのゼミにおいてゼミ長は補佐のあまりの現場トークに感化され「現場出る宣言」をして学ボラになったような、ならないような・・・。今では、助手が感化されだとか違うとか・・・。
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 そこで私らの共通意見は「100%の努力で100点よりも、50%の努力で85点を取ることに価値をおいている」ということだった(気がする)。効率の良さや快適を求めて人は進化し発展してきたが、どうやらその流れも曲がり角を迎えているようだ、バブルが終わったあの頃のように。
 少々楽をし過ぎんてんじゃないの?と言いたくなるが、実際子どもたちがこの傾向に流れた根底には、自分を隠していたいという願望が見え隠れする。
「人に見せる姿も評価される私も仮の姿。本当の私は自分しか知らない。」という意思表示が上記のような価値観を作り出したと思える。なぜそう考えたかというと
 
「周りと比べると自分が下手なのがあまりにわかってしまうから、部活に来れない時期がありました。僕、良く来るようになったのは最近でしょ。」
 
と言われたからである。その子に言わせれば、スポーツだから誤魔化しようがなくて息苦しかったとのこと。とにかく、見られる自分に以上に敏感なのである。だから、何をするにしても「やってア・ゲ・ル」とか「やる気無いから・・・。」という言葉が口から出てしまう。その奥にある「本気になれば・・。」「お前なんかにゃ、わからない本当の自分が・・・。」などの気持ちを最後のプライドにして踏ん張っている現実にも目を向けないと我々はお子さん達からひどいしっぺ返しを喰らうことになるのだろう。
 とにかく、モチベーションの理解だよ、若者のネ。セーフティにやりくりしているようで実はぎりぎりで頑張っているんだって理解もこれからは必要だよ。これが少しでも理解できれば、現場の皆さまも、ご苦労が減ると思うんだよ。ただ、その一方で、ホントにズル〜クやっているヤツもいるから、そこの見極めが難しい。一晩では考えがまとまらんよ。
 
「徒然」に終わろう
 
 見事につぶやいて見せました。原稿締切日で、周りでは製本作業が始まっているのにまだ書いています。ちなみに僕は編集長。なにやってんだっ!でも、少しはこの業界が見えたでしょ。いや、見えたと言ってくれ。まだまだ沢山話はあるのよ。練習中にナイフを振り回して学校を1週間ほど休んだ子が、数ヶ月後部活に戻ってくるまでの顛末とか。不登校の弟を抱える兄との対話とか。別に僕はイイ奴でも優しくもないので、冷たい視線で生徒から見られたり、突っかかって来れたりした話とか。でもネ、時間がないんだよ、時間が!それと文章能力がないんだよ。これだけ頑張ったけど、まず半分も伝わってないはずだし、表現もできてない。とにかく、興味ある方はコネを使ってでも雰囲気を堪能していただきたい。いや、興味ない方も是非・・・。いつか自分の子どもが飛び込むかもしれない世界なのだから。
 なんか俺、えらそーだな。別に凄いことしてるわけぢゃないのに。まぁ、文句があったら、自分の進む道をいけばイイんぢゃないの。どーせ、俺のはつぶやきだから・・・。
 
 
 
 
編集後記
 
 去年の論集にも書いてあったけど、集まりは悪いよね。なんてたって編集長が〆切に間に合わないだから。でも、そんなこのゼミも振り返れば充実してたと思う。特に「家族」について考えられたのが大きいかな。人が最初に触れる社会だからね、家族って。
 それと、ゼミノート。ヤツはずいぶん機能したね。90分では出てこない考えが満載だったさ。だから、この論集にも載せたし、これを読む皆さんは一人一人の論文と同じだけの価値を持ってゼミノートの抜粋を見ていただきたい。興味深いはずっ!
 最後に忘れちゃ行けないのが、ゼミ終了後の「飲み川ゼミ」。ほぼ全出席ゼミ長、さすがです。でもそれ以上なのが、児美川氏。確か、後期は全出席だったと思います。さらに、その半分は朝までコースでした。酒好きと言うよりは、若者研究好きが祟ったのでしょう。後半はだいぶ疲れておいででした。この努力はいつかきっと報われます、頑張りましょう。
 こんな感じで(どんな感じだ?)今年度のゼミは幕を閉じます。
 ゼミに参加したみなさんご苦労様でした。
 ゼミ長を一年間続けた秋田君、本当にお疲れさまです。
 飲み川ゼミにだけに参加した足原君。ゼミ論にもしっかり参加してほしかった。
 ゼミ合宿で罰ゲームになったハマちゃんとアキオ君、ご苦労様でした。でも、そこまで参加したからには、ゼミ論も出しなさい。
 表紙を書いてくれた古賀さん、手伝ってくれた助手の敦君、大変お世話になりました。
 編集長をやったこばやし君、使えないなりには頑張りましたね(自画自賛)。
 そして児美川先生、あなた無くしてこのゼミはあり得ませんでした。ゼミをとっている子もモグリの子も、卒業生も助手さんも一度はゼミに参加できたのは、ひとえにあなた様のおかげです。この調子で、これからも頑張って下さい。
                       これにて編集後記とさせて頂きます。
あっ!忘れてた!児美川氏より大事な伝言
 
 興味を持たれた方、ご意見・ご感想・ご批判のある方は、是非ご連絡下さい。一緒に議論しましょう。どしどし、ゼミにもご参加下さい。(こばやしさとる)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 















 


1999年度 児美川ゼミ紀要
『教育を斬る 世間を知る』
(非売品)
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  刊行日: 2000年3月24日
  編集長: 小林 覚
  発行者: 99年度ゼミ参加者
   責任者: 児美川 孝一郎
   印刷所: 58年館教授室
  連絡先: 80年館912研究室
       Tel (3264)9800