私がここ数年で強く感じたこと、それは今も昔も生きている人全てに「家族」「家庭」を持つという権利が平等にあたえられているということ、そしてまた「育児」というものは父親、母親が共に力を合わせて行なっていく「家庭」における最大の仕事だということである。「家族」「家庭」を持つということは、小さな小さな社会や環境を自らの手で作ることへとつながり、そしてそれは、自分の「子ども」に後々大きな影響を与えることになると思う。  「家族」や「家庭」という中で子どもに影響を与えていくのは、もちろん育児を通してであると思う。子どもをどのような状況で、どのように育てるか。子どもがどのような環境で育てられたか。育児をするにあたって、そのようなことはとても重要であろう。そしてそれは、父親、母親のどちらともが行ない、また行なう義務が必ずあると私は思う。  しかし、現実はどうであろうか。結婚をし、また子どもを産んだ女性の社会の中での居場所はどんどん限られていき、「家」という独立した社会の中でしか生きられず、性的役割分業という圧力によって育児を、そして家事を1人でやらざるを得ない状況へと追い詰められているように思われる。女性の経済的、仕事における独立等がここ最近話題なっているようだが、このような扱いを受け、1人の人間としての権利も奪われ、家の中で「母対子」という関係しか持つことができないようなシステムはしっかりと残っているような気が、私にはしてならない。  私が「卒業論文」という場を借りて強く訴え、また報告したいのは、「家族」「家庭」という小社会の中での女性の在り方ということである。というのも私が育ってきた小社会を通して見ても、首を傾げることが多々あり、女性の在り方に疑問を持ち続けてきた。母を見てきても、悩んだり、苦しんだり、悲しんだり、という面がたくさんあったように思われる。 そしてそれはもちろん、主婦として社会の中で存在していく現実とのギャップが原因のときもあったと思う。もちろん、嬉しいこともあったであろう。しかし、私には母が1人の女性としての権利や、1人の人間としての生きる選択を社会から奪われたような印象が頭に焼き付いている。そしてそういったことが、今回のテーマを決める最大のきっかけになったと思う。  そして、私の卒業論文がこれから社会に出ていく女性、いずれ家庭を持つであろう女性、そして自分自身に役立つことを願っているということをここに表記し、本題へと進めていきたいと思う。 はじめに 第1章  戦後の家族史より  1.戦後の家族変化  2.戦後の女性の生き方 3. 高度成長と主婦化のたねあかし 4. ホームドラマ・マンガが与えた影響 1.戦後の家族変化  普通、戦後の家族の変化と言えば、「家からの解放」や「核家族化」ということが言われている。私が今、生活している家族も核家族として存在しているし、私の多くの友達もそのような家族形態の中で生活している。しかし、この家からの解放とか核家族化という問題はどのように位置付けられているのか。やはり、戦後家族史は「家からの解放」なのであろうか。まずは、戦前の日本の家族形態を簡単に述べておく事にする。   日本の家制度は、実は平安時代末につくられたものにすぎない。夫が働き、妻が子育てをする家制度は、日本の歴史のなかでつくられたものである。しかも、家は本来、男女平等の発想に基づく組織だったのだが、明治になって、急に男尊女卑の考えが家制度の中に盛り込まれたのである。そして戦後、欧米流の家の考えが望ましいとする主張が出された。そして、家の構成員は各々の主張をぶつけ合いつつ共同体をつくっていく事が民主的だとされた。それに対して、伝統的な日本的家では、子は父母に従い、父母は子どもたちのために行動するものだという考えの元に存在していた。もう少し具体的にいうならば、こうなる。日本的家とはもともと、代々同一の職業を受け継ぐ単位としての家族のことである。父と母と子という1つの家族を基本的に1つの家として教えた。公家の家は、代々朝廷から与えられた家業を受け継ぎ、家領を支配した。武家の家は、親から子へと代々その所領を伝え、自家の奉公人をひきいて軍隊の最小単位を構成した。農民は、家族そろって自分の田畑を耕した。職人は、家族と住み込みの徒弟の力で、鉄製品、陶磁器、織物などを作った。商家は住み込みの番頭、手代、丁稚、女中を多くかかえ大きな家として機能した。そして、明治時代以降は近代官僚制の発展や人々のサラリーマン化が、家の組織を崩していったのである。そして、家族の形態が変化していったのである。  変化は「家から核家族へ」という言葉で度々表現されてきた。「家から核家族へ」といわれる、この「核家族」という言葉は、流行だったということもあり今日においては日常語のように誰でも使っていたり、聞いたりしたことがあると思う。もともと本来は社会人類学、社会学の学術用語である。核家族(nuclear family)の核(nuclear)というのは、核爆弾の核、原子核の核で、これ以上分割できないものという意味である。核家族とは、夫婦と未婚の子どもからなる家族である。これに対し、家族の中に2組以上の夫婦が同時に存在することや夫婦の親世代が1人でも含まれていると、拡大家族(extended family)という。 「核家族」が複数組み合わさったものが「拡大家族」と言える。本来の意味での「核家族」とは、原子のように、それ以上分解できない単位で、他と組み合わさって様々な形態の家族を作るということである。また「核家族化」の定義というのは、核家族世帯は全普通世帯の中で占める割合、すなわち核家族率が高くなるということである。  図1を見てわかるように、60年代の日本では、確かにこの割合は上がった。このことをもって、しばしば、「家」から「核家族」への変化が起きたと言われる。しかし、「核家族化」は本当にそのようなことを示していたのであろうか。  そこで図2を見ていただきたい。このグラフのポイントは、比率ではなく、世帯数をそのまま出していることである。ここに「核家族化」のからくりが隠されているのである。実数で見ても、核家族世帯が増えているというのは間違いない。60年代から現在まで、ずっと増加している。しかし、他を見てほしい。「その他の親族世帯」というのを見ると、その中身は主に拡大家族である。  さて、「家」が衰退したというが、「その他の親族世帯」の実数は減っているであろうか。いいえ、減っていない。横這いである。拡大家族世帯数は減っていないのである。比率でとれば減っているが、それは核家族が増えることによって総世帯数が増えたためである。ところが、実数は変わっていない。つまり、継ぐべき家には、みんなちゃんと跡取りが同居したということになる。  ということは私たちが「核家族化」というのを誤解しているのであろうか。3世代同居の「家」が高度成長期にバラバラに壊れた、というような印象なのであろうか。しかし、それはまったく事実とは違うのである。拡大家族が減らないまま、核家族が増えた秘密…。その答えは、この世代は兄弟が多かったという、コロンブスの卵のような答えである。親と同居すべきだという規範があるといっても、子夫婦が2組も3組も親と同居することはできない。日本の直系家族制というのは、1組しか親と同居しないという決まりである。だから長男夫婦が同居したら、次男、3男や娘たちは自由の身になったのである。 2.戦後の女性の生き方  家族の形態が変化していったのと同じように、女性の生き方も変化していった。平安時代末にできた日本的家制度は、明治時代の民法を作るまで引きずられた。この明治時代の民法は、結婚した女性は夫に服従すべき地位へとおいた。「夫は妻の財産を管理す」という規定があり、妻は財産権を持てなかった。また、「日常の家事については、妻は夫の代理人とみなす」という条文まである。この条文に対して、妻は大根1本を買うにしても夫の代理人としてこれを行っているのにすぎないと皮肉る女性史家までいる(註:「家と子どもは誰のもの/武光 誠著」31ページ/9行目より引用)。要するに明治時代の民法は、女性を抑圧する要素を多く抱えた法だったのである。終戦によってそれが否定され、欧米流の男女関係が導入された。多様な方向から男と女のあるべき姿を模索することが可能になったのである。  このような扱い方をされ、終戦を向かえたことによって少しは女性が解放されたように思われる。しかし女性が生きるという中で、誰もが1度は問うことが必ずあるように私には思われる。またそれは、女性の生き方を狭める第一歩のようにも思われる。その問いとは、「女はどうして主婦なのだろう」ということである。そして、主婦という役割を受ける際に、あれやこれやと考え、悩むのではないであろうか。「主婦」というものを考える時、「女性の労働」ということと共に考えなくてはならない。       そこで、図3の年齢別女子労働力率曲線のグラフを見てほしい。ある年齢層の女性を100%として、そのうちの何%が働いているかが、年齢別女子労働力率である。年齢別に算出した値をつなげてやると、それが年齢別女子労働力率曲線になる。またこういう曲線を、M字型曲線とも言う。未婚の時、多くの女性は働くが、結婚退職や出産退職で家庭に入る。そして子どもが手を離れる時に、また働き出すという傾向が強い。というわけで、女性の働き方には山が2つあって真ん中がへこんでいる「M」の字のようになりがちである。でこれを、「M字型雇用曲線」と呼んでいる。こういうM字型は、日本やイギリスでは特に典型的であるが、すべての国の女性の働き方がM字型なわけではない。台形型というのもあり、台形型になる国は現在のところ、アメリカやスウェーデンである。M字のへこみがなくなっていて、上がずっと平らという男性の働き方と同じ台形型になっているのである。  そしてもう少し生きている女性のリアリティにあったグラフを見てもらいたい。図4は世代別の年齢別女子労働力率曲線、つまり30代、40代、50代、60代の各世代について、それぞれ別々に描いたものである。M字の1番深いC、これは40代。それから、M字の底が上から2番目のA、これは60代。M字の底が1番上なのが30代、3番目が50代である。このグラフで1番注目してもらいたいところは、M字の底である。60代の場合はけっこう浅い。ところが、これが50代、40代と若くなるにつれて、ぐんぐん深くなっていく。これは一体どう考えればいいのであろうか。「戦後、女性の働き方はどう変化したか」というと「女性の社会進出が進んだ」と答えがちである。「女性の社会進出」という言葉は、耳にタコができるぐらいあちこちで聞いているのではなかろうか。戦後、専業主婦である女性の比率がだんだん減ってきて、反対に働く女性が増えてきて、その傾向が特にこのごろ加速されているというような変化を思い浮かべがちである。ところが、実はそうではない。   グラフの右側の山、子どもの手が離れた後の再就職の山は、高まる傾向にあるともいえる。しかし、なんといっても重要なのは、M字の底である。結婚・出産退職をして家庭に入るかどうか、家事専業の主婦として生きるかどうか。一端ここで職場を離れて家庭に専念してしまえば、その後、再就職したときはたいていパートで、待遇の面でも給与の面でも明らかに差別されてしまう。パート主婦は、やはり「主婦」なのである。世間もそのように見るし、本人も結構自覚している。そして逆に「主婦なんだから、家庭の予定があるときは、当然仕事を休める」というような甘えの考えを、自分の中で構築してしまう。そしてその甘えを自分の中で良しとしてしまう。そのようなことから考えると、このM字の底で、つまり結婚・出産・育児期に家庭に入るかどうかということが、その人のアイデンティティを決める上で決定的であるといえる。そしてグラフから読み取ると、女性はどんどん結婚・出産・育児期に家事に専念し、家庭にこもるようになっていったのである。よって「戦後、女性は社会進出した」のではなく、「戦後、女性は家庭に入った」のである。「戦後、女性は主婦化した」のである。  そして60代、50代、40代とだんだん深くなってきたM字の底は、その後どうなったか。30代は、なんと60代より上になっている。変化のトレンドが逆転したのである。というのも60代から40代まで下がるのに20年かかったというのに、わずか半年の10年で、その20年分を跳ね返して余りあるだけの高い位置まで、30代のM字の底は跳ね上がった。これはとても大きなことであるといえる。「トレンド」というのは、変化の趨勢・傾向ということであるが、60代から40代までは、女性は「主婦化」のトレンドがあったのである。その同じ方向のトレンドが加速されたという程度の変化なら、それほど大したことではないと言える。しかし、ここではトレンドが全く逆転しているのである。この何十年という時間の中で、女性の生き方がいろいろ変わったということは、マスコミでも随分取り上げられたりしてきた。しかしそれは、風俗的で皮相的な流行現象のように捉えられてきたきらいがある。しかしグラフを見れば、10年に起きた変化は単なる風俗や気分の問題ではなく、確かな実質を伴った時代の転換であったことが、はっきりとわかるであろう。  言いかえれば、「現在の若い女性(もちろん私も含めて)はお母さんと同じようには生きられない」という風になる。そしてこれは、価値観の問題だけではなく、たとえお母さんと同じような生き方がいいと思う人がいて、そのようになりたいと思っても、或いは楽だろうと、無難だろうと思っても、それを真似できるような社会的条件が今は存在していないということがある。今や、強く意思的に時代に逆らわなければ、お母さんと同じようには生きられないのである。  今まで見てきたのは世代別の年齢別女子労働力率であったが、もっと大づかみ女子労働力率、つまり15歳以上の女性人口に占める労働女性の割合をとってみても、この傾向は見出せる。戦後の女子労働力率は、1960年には54.5%、65年には50.6%、75年には45.7%と戦後30年間、一貫して下がり続けてきた。若年層の教育年数が伸びたことによる低下と、出産・育児期のM字の底が深まることによる低下とが一緒になって、子離れ後の再就職の増加を打ち消して余りあったということである。しかし75年をボトムに女子労働力率は上昇傾向に転じた。戦後に起きたことは、決して一方向的な変化ではなかったということになる。 3・高度成長と主婦化のたねあかし  戦後の女性の働き方において主婦化の傾向を説明してきた。昔ほど女性は家庭に縛られていたように思えるのに、60代の女性たちは以外にも一生を通じてかなりな比率で働いてきたのである。それに対して40代が1番家庭に入っていた。40代というと団塊の世代、ベビーブーム世代、つまり全共闘世代である。女性という観点から見たら、ウーマンリブの時代に青春を過ごしてきた世代で、自己主張が強く、行動力のある人というイメージがあると思う。ところがこの世代の女性たちこそが、日本女性史上、もっとも家事・育児に専念した人の割合が高い世代なのである。これは何故かというと、たねあかしはこうなる。  要するに、産業構造が転換したからである。高度成長に伴い産業構造が転換して、それまでの農業や自営業者を中心とする社会から、雇用者すなわちサラリーマンを中心とする社会へと変わっていった。女性に注目すれば、以前は既婚者といえば「農業の嫁」や「自営業の嫁」で、家族と共に働いているものであった。ところがサラリーマンの妻というのはたいてい専業主婦になったので、高度成長という大きな社会の変化の中で、サラリーマン家庭の増加に伴い女性は「主婦化」したのである。60代の女性たちは、農業の嫁や自営業の嫁であった。若い世代は、サラリーマンの嫁になったのである。そして「女性は主婦であるべきだ」「女性は家事・育児を第1の仕事にするべきだ」という規範が大衆化したのも、高度成長の時期からだったのである。 4.ホームドラマ・マンガが与えた影響  家族、ないし家は文学とドラマにとっての共通の、かつ主要な場であると思われる。そして、そのような文学やドラマは家族1人1人に影響を与えると思う。日本において、昭和30年代にアメリカテレビ映画のファミリードラマが導入された。60年安保以降、高度成長の進展と大衆社会の深まりのなかで、テレビのホームドラマもそれに共振するかたちで善意と人情で綴る閉塞的な願望家族を描き続けたと思われる。そしてそのホームドラマというものに、人々は心動かされ、影響されてきた。そこに映し出されていた家族像は、当時の人々の「こころの家族」を照らし出してくれるようで興味深いものがあった。  ところが、日本製ホームドラマはじきに様子を変えていき、あの東京オリンピックの開催された64年は、「ホームドラマの当たり年」と呼ばれた年でもあり、かなり熱かったようである。「7人の侍」「ただいま11人」などが登場し、これ以降、3世代同居の大家族を描くのがホームドラマの主流になっていった。「飯食いドラマ」と言われるようになり、家族が茶の間で一緒に食事をする団欒シーンがやたらと多くなったのもこのころからである。大家族なら「家」なのかというと、家制度につきものの父親の権威とか娘の服従とかが、不快でない程度に薄められてしまっているのがこのころのドラマの特徴である。ほのぼのとした家族愛がすべてを包み込んでしまっている、温かい大家族。家制度の形と戦後の民主的な核家族の中身という、現実にはなかなか一緒になりにくいものを混然と融合させて、理想の家族像としていた。なぜ、そんな矛盾したイメージを矛盾と感じずに見続けることができたのかといえば、人工学的理由により、家を積極的に否定することなしに核家族を作った、その人たちがホームドラマの受け手だったからである。  私は昨年に、この60年代のホームドラマを実際に見ることができた。 60年代後半の日本社会を全て映し出したともいえるようなものであったと私は思う。それは「若者たち」である。主人公家族は両親を失った5人兄弟である。土建会社技師の長男と漁協勤めの姉が父母代行、トラック運転手の次男、学生運動家の3男、大学受験の4男。このドラマの特徴と思われるのは、父母が存在しない家族という中で家庭のトラブルを子どもたち自身によって解決していくことだと私は思う。高度成長のひずみを抱えた日本の現実をみつめた反アットホーム的なドラマであったように強く感じた。  このようなホームドラマとは違って、2つの矛盾した家族の理想を無理なく結びつけた「サザエさん」というものも忘れてはならない。この矛盾を結びつけたというものすごい工夫が第成功の秘密だったのではないかと思われる。妻方同居というのが、その工夫であるといえると思う。最近はあまり聞かないが、以前は「マスオさん現象」なんていう言葉もあったぐらいである。この他にも、家族や家庭を題材としたマンガはたくさんある。「天才バカボン」や「ドラエもん」、「ちびまる子ちゃん」などはお馴染みであろう。「天才バカボン」は日本のナンセンス・ギャグ漫画に1時代を画した赤塚不二夫の代表作である。ハチマキ頭に腹巻、草履といういでたちのバカボンのパパは、しっかり者のママによって生きることができているように思われる。「ドラえもん」にも頼りない会社員のパパ、ちょっと怒りっぽい専業主婦のママ、のび太、そしてドラえもんという核家族における漫画。「ちびまる子ちゃん」は大家族という設定であり、そこにも専業主婦のママというものが存在している。私がここで一体何を言いたいかというと、ホームドラマや漫画に登場する「お母さん」というのは、仕事を捨て、主婦という家事専門を行なう道を選び、それによって生きているという設定で登場しているということがあまりにも多すぎるということである。仕事を持ったという設定でやるとストーリーがややこしくなるからなのか、書けなくなるからなのか知らないが、女性の自立というものが奪われている設定で登場していることが多いような気がしてならない。また、そのようなホームドラマや漫画が大衆に受け入れられるということは、それを好ましく、またそれを良しとしている人間が多いという象徴なのではないかと私は思う。このような何気なく放出されている情報や映像や物は、人間がそれを当たり前と思えてしまうような、恐ろしい力を持っているように私は思う。そしてそれに影響されていくのが、子ども、男性、そして女性なのである。 第2章  現代女性のすがた 1. 家庭の中で失われた「女」 2. 日本の夫 3. 「家保護」になる女性 4. 「わからない」日本の女性 1. 家庭の中で失った「女」  前章で述べたように、日本社会での女性の地位というものは結婚することによって、大きく変化するということがわかっていただけたと思う。高度成長によって男性社会が「サラリーマン」というもので形成されていったことにより、女性は家に入り、そしてテレビのホームドラマや漫画というような現代的デジタル芸術、アナログ芸術の双方の分野においてもそのことは表現されてき続けた。そして私には、「家庭」という小社会を持つことによって、男にしても女にしても「家庭」を持つ前とは違う存在へと変化していくように思われる。私がそのように感じるのも、自分を生かしてくれている家族という組織の中でも、また「家庭」を持つことを選んだ友人たちを見ても、或いはそこらへんを歩いている家族を見ても、その変化のようなものがひしひしと伝わってくるからである。その変化というものは、「家庭」の中で女性は「女」というものを失い、「女」ではなく「妻」或いは「母」になり、男性は「男」を脱ぎ捨て「子」になってしまうということだと思う。そしてこの章では、「甘え、子どもになる夫、母になる妻」というなんとも気持ちの悪い現象について述べたいと思う。 2. 日本の夫  まず日本の夫というのは、ヨーロッパやアメリカの夫に比べて、妻が自分を裏切ることはないという感情があり、妻の裏切りに対する警戒心というものをあまり持っていないように思われる。妻に対して心配を抱く、或いはその心配そのものを「アガメムノンの恐怖」という。このアガメムノンは、ホメーロスの「イーリアス」という叙事詩にうたわれたトロイ戦争のギリシャ軍の総大将のことである。長年にわたった戦争から帰った彼は、夫の留守中浮気していた妻とその相手に殺されてしまう。つまり、アガメムノンの夫婦というのは、夫が不在の間に妻が他の男性と関係を持ち、ひどい目にあうような夫婦関係のことをいう。しかし、日本の夫にはほとんどそのような不安はないように思われる。なぜかというと、早くに仕事が終わっていたとしてもいつまでものうのうと妻を待たせることができているからである。この結果はある雑誌のアンケート調査から明らかになった(註:家族はこわい/斎藤 学著/日本経済新聞社/54ページ/9行目より引用)。「夫の帰宅拒否症」という特集をやり、サラリーマンにアンケート調査をしたのである。帰宅が深夜になるサラリーマンが多いのは当たり前な回答と思われるが、実は、「本当は8時に帰宅が可能である」というサラリーマンが少なくなかったのである。そして、「奥さんはどう考えていると思っているか」という質問には、ほとんどのサラリーマンが「妻は自分を信じて待っていてくれると思う」と答えているという。現役バリバリの企業戦士と呼ばれるサラリーマンは、妻に「蜻蛉つり きょうはどこまで行ったやら」という加賀の千代女的な母親を期待しているといえる。これは甘えのほかの何物でもなく、少なくとも妻にこのような無言の甘えを期待できる、或いは期待されているという時点で、妻は女ではなく「おふくろ」という母親なのだといえると思う。  なぜこのような存在へと変化してしまうのであろうか。それは結婚の動機づけが男性と女性ではずいぶんと違うからである。なによりも女性は自分の生活の質を高めるため、或いは誰かのために尽くすという行為を徹底してできる永久就職という手段として選択し、それに対し男性は要するに「世間並み」になるために結婚をする。これからすると、全く違う期待をそれぞれが持っていることになるわけだが、別の観点からいうならば、夫も妻も「母」を求めて結婚するということである。「母」を求めるということで、男性(夫)、女性(妻)が子どもの頃へ返る子ども返り競争を始めた場合、たいていは夫が勝利を収め、女(妻)は母親化する。そもそも男(夫)の場合、女性の子宮から出て、異性の親との間に人工的な子宮の環境をつくってもらって、そこで育つ。人工の子宮はまずお母さんの体全体から、次第に家の中、やがて家庭へとなる。これらは全て1種の人工的な子宮といえる。この子宮が結婚後は妻とつくる家庭になる。つまり、結婚のときに子宮返りみたいなことをしているといえる。  結婚後、夫が妻に対して緊張感をもてなくなり、やさしくなくなることを称して、釣った魚には餌をやらない、なんていう言葉もあるぐらいである。しかし、そんな餌をやるやらないというようなことではなく、幼児返りというか子宮返りという大変恐ろしい問題なのである。要するに妻と夫は、まるで子宮内の胎児と母体の関係のようになって、これは乳児と母親の関係よりもさらにレベルの低いものである。そんな1種の退行現象が夫婦の間にそれとは気づかないうちに起こっているということになる。「オフクロ」に包みこまれるということがずっと続くはずだと信じ込もうとしている男、信じ込ませようと誘惑しているのかもしれない女。その両者の間で成り立つ関係、それが日本の数多い夫婦関係だと思われる。日本の夫たちは、家の中でどんどん子どもに返り、そしてそのことにより企業の中ではいくら普通の男性として見られていても、基本的な男性性というものは失われていくのではなかろうか。また、この現象をうまく利用したように思われる風俗の赤ちゃんプレイなどというものも、この社会では存在してしまう。それに群がる男、家の中で子どもに返る男、どちらをみても未成熟だと思う。  浮気にしても、非常に極端な例だが、自分が好きになった女性のことについて妻に相談する夫がいるという(註:「家族」はこわい/斎藤 学著/日本経済新聞社/57ページ/7行目より引用)。妻にこのようなことを相談するというのは、お母さんに今度のガールフレンドのことを相談していることと同じように思う。そんなとんでもない勘違いをしている夫さえもこの日本社会の中には存在しているのである。逆に不倫相手について夫に相談するという妻はまずいないであろうし、これは女性の私としても考えられない。ある意味で自分個人の秘密の保持というのも、大人の条件だと思うのだが、その秘密というものも保持できないくらい幼稚化しているのである。  また、音楽の面から考えてみても、女は海だとか、帰っておやすみなさい等という演歌の歌詞が存在したり、若い男性のグループが作るような歌詞にも、甘えを象徴するような言葉がいくつもでてくる。これは日本だけとはいえないが、そこにはプライドがあるから言わないという国と、言ってしまってそれが許される国とがある。日本はまさに後者なのである。  しかし、このような男性の幼児返り、子ども返り、子宮返りという現象、アガメムノン恐怖がないというのは、男性だけの問題ではなく、家を常に守り続けている女性にも問題があると思う。女性が家を守りすぎている。「過保護」という言葉があるが、これはまさに「家保護」である。 3.「家保護」になる女性  日本の夫の現状が少しはお解かりいただけたであろうか。日本中の男性すべてが、そうであるといっているわけではない。でもそのような男性の割合が多いのは事実であろう。しかし先にも述べたように、このような現象を作り出したのは、男性だけの責任とは言いにくいと思う。はじめのほうで述べたのだが、子ども、或いは人間が成長していくなかでどのような環境で育ったか、生活しているかというのはその人間に大きな影響を与えるのである。つまり、夫婦が作り出した家庭環境というもの自体が、男性にも女性にも大きな影響を与えていると私は思う。男性が子ども返り、子宮返りへと走ってしまう影響を家庭が与えて、それを安らぎとして感じているのであれば、女性も何らかの影響を受け、安らぎを感じているはずである。大人2人の間の中で、一方がもらい放題で、もう片方が何ももらえず与え放題となどという不釣合いな関係が、そういつまでも続くわけがない。  日本の妻というのは、なぜか直ぐにもママと呼ばれ、またそれをよしとしまっている。確かに便利とはいえるかもしれない。しかし、ナルシズム的な世界の中で、家を1つの小社会として、そのなかに夫も子どもも入れてママと呼ばれて、女はその中心に君臨しているというのが、妻にとっても楽だということがあるのかもしれない。ママ、母親という役割を押しつけられながら、それをどこかで楽しんでいるところがあるような気がする。女たちは夫と子どもに気をつかい、世話をすることで彼らをコントロールし、家族の中で自分の支配権を確立していく。だいたい妻や母はコントロールの名人で、これは世話やきという役割で表れる。一方、男や子どもは世話やかせがうまいのである。もちろん子どもはそうであって、世話がないほうがおかしい。しかし、男に、しかもいい年の男にそのようなことがあっていいのかと思う。日本の男はちょっとしたバーやキャバレークラブ(キャバクラ)等に行っても、女の子がすぐにタバコに火をつけてくれないと機嫌が悪くなる。特に横柄な態度をとる男や女を見下す男に限ってそうなのである。要するにどこにいっても世話をやかせるということに大変たけているところがある。そしてこの「世話やかせ世話やき」関係が、アルコール依存症の夫とその妻のように極まってしまうと、これは完全に「病」である。何という「病」かというと、「共依存症」(co-dependence)である。共依存というのは、2人の人間の間で、一方が片方をコントロールし、もう一方がコントロールされることによって相手をコントロールしていくという関係で、二者関係の病理をいう。妻が夫にもう酒を飲んではいけないというコントロールをするとする。他方、夫のほうは妻がいつも酒を飲んではいけないと気にしつづけるように振る舞うことで妻をコントロールしている。つまり、夫のことしか頭にないような状態に妻を追い込むかたちで妻を縛るのである。このような関係は、別にアルコール問題とは限らず、家庭内暴力児とその母とか、拒食症の娘とその母などの関係にもあてはまる。  更にこのような関係の他に、暴力による甘えをする夫もいる。いわゆるドメスティック・バイオレンスである。しかしどんなに酷い暴力をふるわれても、女はそこからなかなか逃げ出す事ができず、謝る夫を許しまた世話をやくのである。 今までのことからわかるように、戦後の高度経済成長による「サラリーマン」という企業戦士の増加によって、女は家に入らざるを得なく、妻となり、母となり、甘える夫と子どものために尽くす道しかなかったのである。社会から選択肢を大幅に削減される女は、「家保護」にすることしかできず、それによって生きている、社会に存在しているような錯覚を起こしてしまうのではないだろうか。  私個人としては、このような女性に対する社会のシステムを非常に腹立たしく思う。しかし、このように腹立たしく感じるのは私だけなのであろうか。産まれる時点で、人間は性を選択できない。それなのにどうしてこうも扱いが違うのであろう。現在、「家保護」をしている女性はこの現状に果たして満足しているのであろうか。 4.「わからない」日本の女性  今もなお存在する「家保護」をする女性を、私にとっては理解しにくいものであって、女性に対してそのようなシステムを作り出した社会に腹を立てているということはわかっていただけたと思う。では実際に、「家保護」する女性、妻や母として生きている女性はどのように感じているのであろうか。  次のいくつかの表をみてほしい。まずは表1から見てみることにする。表1は主婦の子育てや夫婦の満足感を示したものである。どちらにしても「満足」という数値は高いが、やはりその対象となるのは子どもについてである。しかし、甘える夫との関係についてこんなに高い数値なのには驚いた。要するに「世話をやく」ということに関しては、ある程度の満足を得ている女性が多いということである。それは表2からもわかるであろう。私には次に、このような生き方をしている女性が、この生き方によって自信を持つことができるのであろうかということが、非常に気になってしまった。表3は表1や表2で「満足」という回答を示した女性の自分の生き方への自信度を示したものである。「とても自信がある」3.7%、「わりと自信がある」(25.3%)を合わせても29.0%と3割にも達しない。逆に「あまり+ぜんぜん自信がない」30.9%と、「自信がある」割合を上回り、子育てや夫婦関係、今の生活の生き方への満足感の高さから考えると意外な結果である。この結果を学歴・就労状況別にまとめると以下の通りとなる。 「就労状況」  専業主婦=とても自信がある       2.4%       わりと自信がある       25.3%       少し自信がある        39.7%       あまり自信がない       28.0%       ぜんぜん自信がない      4.6%  パートタイム=とても自信がある     2.9%         わりと自信がある     21・7%         少し自信がある      41・3%         あまり自信がない     30.5%         ぜんぜん自信がない    3.6% フルタイム=とても自信がある       5.5%       わりと自信がある       30.0%       少し自信がある        40.5%       あまり自信がない       19.4%       ぜんぜん自信がない      4.6% 「学歴」   高校卒=とても自信がある       3.8%       わりと自信がある       20.3%       少し自信がある        37.7%       あまり自信がない       33.5%        ぜんぜん自信がない      4.7%   専門卒=とても自信がある       3.7%       わりと自信がある       23.9%       少し自信がある        40.7%       あまり自信がない       27.6%       ぜんぜん自信がない      4.1%   短大卒=とても自信がある       3.8%       わりと自信がある       29.4%       少し自信がある        41.5%       あまり自信がない       22.2%       ぜんぜん自信がない      3.1%   4大卒=とても自信がある       3.0%       わりと自信がある       33.9%       少し自信がある        44.3%       あまり自信がない       17.0%       ぜんぜん自信がない      1.8% 就労状況別では「フルタイム」、学歴別では「4年制大学卒」の母親に自分の生き方に自信を持っている割合が高い。特に、学歴が高くなるにしたがって生き方への自信も高くなる傾向がみられる。この傾向から考えてみると、性別役割分業(育児、家事など)だけでは、女性は自分の生き方そのものには自身が持てなく、10年、20年、30年…と母親をやっていっても学歴や仕事といった社会から評価される何かを持っていないと自信が持てない。家事や子育ては、自信へとつながる要素が少ないと言えよう。  次に、生き方への自信と満足感の関連をみてみる。表4によれば、生き方に「自信がある」母親は、「妻として」「母親として」から「友人関係」「夫と妻の関係」「趣味や余暇の時間」まで満足感が高い。「自信がある」から「自信がない」数値を引いた差でみると、「母親として」が37.2ポイントと差が大きく開いており、次いで「妻として」36.0ポイントと、生き方への自信は満足感に大きな影響を与えている。また、「夫と妻との関係」の満足感の差は24.1ポイントで、「母親として」「妻として」と比べるとそれほど大きな差ではない。また表5では、母親のライフスタイルと生き方への自信をクロス集計したものである。自分の生き方に「自信がある」母親は「環境問題や自然破壊」「介護保険などの福祉」「世界情勢や政治経済」から、「お酒を飲むのが好き」「居酒屋やカラオケに行くのが好き」「話題の映画や音楽情報に詳しい」「流行にファッションやブランド品をよく買う」「英会話やカルチャースクールに通っている」「ボランティア活動をしている」「エステやスポーツジムに行く」など、社会問題や趣味、教養娯楽などに幅広い関心を持ち、積極的な社会参加をしていることがわかる。一方、「自身がない」母親は、「ワイドショーや週刊誌のゴシップ記事を読む」や「パチンコやゲームセンターに行く」の数値が高い。  母親として、妻としての現代の女性の生き方を中心に数値を見てきたが、母親たちは社会参加をし、おしゃれもし、趣味などにも充実しているようである。母親の枠にとどまらず新しい生き方をする女性像がみられたと、言うこともできるのかもしれない。  しかし、私はまだまだであると思う。なぜならば、私は今までみてきた数値は、女性が社会に対して妥協した結果としか思えないからである。私の中には、たまたま女性として産まれてきただけで、どうしてこんなにも権利を奪われたり、「家庭・家」というものに縛られたり、窮屈な思いをしたりしなければならないのかという思いが常にある。女性とはそういう運命にある、と自分の中で納得したり、自己完結したりしてしまえば、疑問を抱きつつ生活しなくていいのかもしれないが、納得するにも自己完結するにも、それなりの答えがない限りできない。未だに「女のくせに」「女なのに」などという言葉が耳に入ってくるということは、そのような差別的な考えを持つ男性やたまたま男性として産まれただけにすぎないのに、そのことに奢っている人間がこの社会に存在しているということを物語っていると思う。 おわりに  平成11年に「男女共同参画社会基本法」というものが出され、平成13年1月6日より施行となった法律がある。この法律の目的は、男女の人権が尊重され、かつ、社会経済情勢の変化に対応できる豊かで活力ある社会を実現することの緊要性にかんがみ、男女共同参画社会の形成に関し、基本理念を定め、並びに国、地方公共団体及び国民の義務を明らかにするとともに、男女共同参画社会の形成の促進に関する施策の基本となる事項を定めることにより、男女共同参画社会の形成を総合的 かつ計画的に推進することとなっている。内容はというと、 1. 政策、方針決定過程への女性の参画の拡大 2. 男女共同参画の視点に立った社会制度・慣行の見直し、意識の改革 3. 雇用等の分野における男女の均等な機会と待遇の確保対策の推進 4. 農山漁村における男女共同参画の確立 5. 男女の職業生活と家庭・地域生活の両立の支援 6. 高齢者等が安心して暮らせる条件の整備 7. 女性に対するあらゆる暴力の根絶 8. 生涯を通じた女性の健康支援 9. メディアにおける女性の人権の尊重 10. 男女共同参画を推進し、多様な選択を可能にする教育・学習の        充実  11. 地域社会の「平等・開発・平和」への貢献 というものである。いくつかの具体的な例を挙げると、ドメスティック・バイオレンスやストーカーへの対策、起業を目指す女性への資金的・ノウハウ的支援を実施したり、再婚が可能となる期間を短縮する検討などである。どれもこれも、女性に対する社会からの対応が悪いと考えられていたものへの改善策のようなものであることが、いくつかの例からわかっていただけると思う。確かに、ある程度は女性の扱われ方の悪さを認識してもらえたようにもとることができ、私と同じような不満を抱いている女性は喜べることなのかもしれない。このような改善がでてきたことは、男女雇用均等法のような女性差別撤回への第2のアクションといえるとは思う。しかし、果たしてこれがどこまで可能になるかということはまだまだわからず、多くの女性が社会に向かってもっともっと叫ばなければいけないと思う。「女性は、1人の女性である前に1人の人間として存在している」ということを。  また、社会があまりにも大きな敵であるとするならば、自分の最も身近な社会=家庭に対して叫んでみてはどうであろうか。多分、夫になる人間というのは、ある程度の恋愛感情というものがあるからであって、対社会のようには厳しく戦うことはできないかもしれない。甘えを前提とする戦いになる恐れもある。しかし逆に考えれば、大きな社会よりも自分を最も理解してくれる相手でもあるのだから、そのような関係をうまく利用できることもある。結婚をし、自分の仕事を辞めたくないという強い意思があるのならば、その意思を貫く権利は女性にもあると思う。それは、1人の人間として自由に選択できるものであるから。そこでもし、世間で当たり前とされている女性の結婚退職(寿退社)をしてしまったら、社会の思う壺である。そして、その後の仕事は100%家事になってしまうであろう。しかし、夫と同じように仕事を辞めることなく働きつづければ、夫も自然と家事をやるであろうし、育児にも参加せざるを得ないであろう。そうなれば、女性だって自分の生き方への自信や満足感ももっともっと高いものにすることができると思う。  最後に一言。私のこの卒業論文は、日本の男性を批判するために書いたわけではない。それはわかっていただきたい。はじめにも書いたように、女性、そしてこれからの自分の生き方のために書いたのである。日本の男性の中には、現在の女性の扱われ方を次のような言葉で綴る人もいる。  女は弱いから保護されるべきということになれば、保護されるべき  弱い女は特別だということになり、男がなんとかしてあげなければ  なにもできない存在だ、ということになって、女性の解放は遅れる。  「女は弱いから」がもっと女を不幸にする。     ―村上 龍 私は、この言葉を多くの女性に知ってほしいと、毎日思っている。 参考文献  21世紀家族へ     ―家族の戦後体制の見かた・超えかたー 落合 恵美子 著  家族のゆくえ     ―人口動態の変化のなかで―  岡崎 陽一 著  家族論の現在8   上野 千鶴子・鶴見 俊輔・中井 久夫            中村 達也・宮田 登・山田 太一 著  家と子どもは誰のもの     ―サイフを握った妻の日本史― 武光 誠 著 参考文献  小学生の親子関係  ―母親調査から―  ベネッセ教育研究所 著 「家族」はこわい  ―母性化時代の父の役割― 斎藤 学 著  ELLE JAPAN(エル・ジャポン)     1999年5月号 特集「シングル」という生き方                    76〜89ページ 参考文献   誰にでもできる恋愛   村上 龍 著  現行日本法規      発行/鰍ャょうせい 目次 序章    はじめに 第1章 戦後の家族史より 1. 戦後の家族変化 2. 戦後の女性の生き方 3. 高度成長と主婦化のたねあかし 4. ホームドラマ・マンガが与えた影響 第2章 現代女性のすがた 1. 家庭の中で失われた「女」 2. 日本の夫 3. 「家保護」になる女性 4. 「わからない」日本の女性 終章    おわりに