「法と進化生物学」・「法と進化心理学」序論
―方法論と可能性―
和田幹彦
目次(予定)
序章 「法と進化生物学」・「法と進化心理学」
第1節 法とは何か−「法」の多様な定義
第2節 法と自然科学の新たな接点−進化生物学・進化心理学・脳科学
第3節 進化生物学とその近年の発展
第4節 進化心理学とその近年のめざましい発展
第5節 「法と進化生物学」「法と進化心理学」そして「法と進化学」の可能性
第1部 法と自然科学の新たな接点
第1章 法とは何か−「法」の多様な定義
第1節 「自然法」
第2節 「法実証主義」
第3節 「法」の新たな定義−作業仮説
(1)「法」の新たな定義
(2)動物(特に社会性動物)における「法」の存在
(a)事例1−霊長類の社会集団におけるルールと制裁
(b)事例2−ミツバチの社会集団における行動パターン(限界事例?)
(3)ヒトの「法」と動物の「法」−共通項と差違 言語に注目して(以上本号)
第4節 補論−「文化」の新たな定義
(1)「文化」の新たな定義−文化人類学からの解放
(2)動物(特に社会性動物)における「文化」の存在
(3)ヒトの「文化」と動物の「文化」−共通項と差違 言語に注目して
第2章 「法と進化生物学」序論
第1節 進化生物学とその発展
(1)ダーウィンの進化生物学とその発展−自然淘汰(自然選択)・性淘汰(性選択)
(2)ダーウィンの「淘汰説(選択説)」と木村資生博士の「中立説」(1968年発表)
第2節 「法と進化生物学」の可能性
第3節 「法と進化生物学」の使命と限界
第3章 「法と進化心理学」序論
第1節 進化生物学とその近年のめざましい発展
(1)「4枚カード問題」における、Cosmidesの画期的業績
(2)留保と疑義−2009年度のHBESの全体会議でのStearns教授の発表
(3)「ティンバーゲンの4つのなぜ」と進化心理学に呈された疑問
第2節 「法と進化心理学」の可能性
第3節 「法と進化心理学」の使命と限界
第4章「法と進化生物学」・「法と進化心理学」・「法と遺伝学」
第1節 「法と進化生物学」・「法と進化心理学」・「法と遺伝学」三者の相互関係
第2節 「進化上の淘汰(選択)は個体の遺伝子に直接働く」
(1)リチャード・ドーキンス著『利己的な遺伝子』とその影響
(2)補論 少数説としての「group selection=集団淘汰(選択)説」(ディヴィッド・S・ウィルソン)
第3節 遺伝子によって伝わる動物・ヒトの行動?−「行動遺伝学」
(1)遺伝子により伝わる動物・ヒトの行動を支える生理的メカニズム
(2)「行動遺伝学」・その可能性・限界
(a)行動遺伝学とは何か
(b)Plominの行動遺伝学、安藤寿康の双生児研究
(c)「法と行動遺伝学」
第4節 「自由意志」「自由な選択」に基づかないヒトの行動
(1)ヒトの行動はどこまで「自由意志」「自由な選択」に基づくのか?
(2)「自由意志」「自由な選択」に基づかない(?)ヒトの行動の実例
第5節 遺伝子ではなく「文化」によって伝承される動物・ヒトの行動
(1)動物の「教育」行動における実例−チンパンジーほか
(2)動物とヒトにおける「教育」の異同−「進化教育学」の試み
(3)遺伝子ではなく「文化」・言語によっても伝承されるヒトの行動(大前提)
第5章 「法と脳科学・神経科学」−補論(1)
第1節 法と脳科学・神経科学・進化学の接点
第2節 Oliver
Goodenoughの研究
(1)「法的問題」を思考している時に使っている脳の部位についての研究
(2)法と脳科学・神経科学一般についての研究
第3節 「神経倫理学(neuroethics)」と「法と脳科学・神経科学」
第6章 「法と進化倫理学」−補論(2)
第1節 「進化生物学」・「進化心理学」・「進化倫理学」三者の相互関係
第2節 学説と検証
[皆様:本日、2010年8月1日時点で書けているのは、ここまでです。
以下、順次執筆予定です。 和田幹彦]
第2部 「法と進化学」
第1章「法と進化生物学」
第1節 実例と検証
第2節 可能性
第3節 限界
第2章「法と進化心理学」
第1節 実例と検証
第2節 可能性
第3節 限界
第3章 結論−「法と進化学」と今後の展望
[以上目次]
T[←読者の皆さん これは無視してください]
序章 「法と進化生物学」・「法と進化心理学」
本稿で提示したい論点は、簡潔に言えば、以下の3点に絞られる。
(1)法学において長年論じられてきた、法の「法源」([1])の大きな一つは、「過去約700万年のヒトの生物としての進化的基盤」にある。
(2)「法源」のほとんどが「ヒトの進化的基盤」に求められるわけではない。しかし、旧来言われてきたよりもより多くを、ここに求めることが可能である。
(3) 本稿における限りでではあるが、「ヒトの」法の定義を、「生物としての動物の一例としてのヒトの、進化に基盤を持つ、広範囲で、かつ成文律・不文律を問わない、ルール・行為規範であり、違反した場合に何らかの制裁を伴うもの」とする。この定義に拠れば、第1部・第1章・第3節で述べるとおり、(一部の)動物にも当然「法」は存在することになる。
第1節 法とは何か−「法」の多様な定義と機能的・目的限定的な定義
「法とは何か」とは、法学者にとって永遠の課題ともいえる。第1部・第1章でも言及するとおり、例示的にみても、「自然法」としての定義、「法実証主義」からの定義、など、多様にわたる。
法の定義の方法としては、例えば、英米法学者であった故・田中英夫東京大学名誉教授も以下のように論じておられる:
法学入門の書物には、「法とはなんぞや」という問題を冒頭に論じているものが多い。しかしながら厳密には、この問は、「法という言葉を用いるに際して、これをどのように定義するのが合理的か」ということでなければならない。初めから一定の内容をもった「法」というものがひとり歩きをしているわけではないのである。「法」という言葉は、結局は、実際に存在するさまざまの社会現象について、そのある特性を把えて名づけたもの以外ではありえないように、私には思える。従って問題は、「法」という言葉をどのように定義するのかが、分析の道具として最も有効か、ということに帰着するように思われる。([2])
本稿もこれにならい、あくまで、法を、「分析の道具として最も有効」に、機能的・目的限定的に定義する。その目的とは、さしあたり、「ヒトの法の根源に存在するであろう、生物としてのヒトの進化に根ざした基盤を探る」ことである。換言すれば、(ヒトの)法の定義を、「生物としての動物の一例としてのヒトの、進化に基盤を持つ、広範囲で、かつ成文律・不文律を問わない、ルール・行為規範であり、違反した場合に何らかの制裁を伴うもの」とする。
第2節 法と自然科学の新たな接点−進化生物学・進化心理学・脳科学・神経科学
前節のように法を定義してみれば、法と自然科学の新たな接点は自ずから見えてくる。「法と進化生物学」との接点は、定義上、言うを待たない。「法と進化心理学」との接点は、本序章・第4節および第1部・第3章を待って論じたい。「法と脳科学・神経科学」の接点は、補論として、第1部・第5章で言及する。
第3節 進化生物学とその近年の発展
進化生物学の発展の歴史をたどることは本節の目的ではない。「法と進化生物学」の接点において意味のある局面に限定して言及したい。現代でもその有効性が受け入れられている進化生物学の最初の発信源が、チャールズ・R・ダーウィン(Charles Robert
Darwin; 1809-1882)([3])の1859年初版のOn the
Origin of Species (『種の起源』)([4])にあることは言うを待たない。ダーウィンが本書を始めとする一連の著作で"natural selection"(自然淘汰、あるいは最近は自然選択とも訳される([5]))を主張したことはよく知られている。
しかし、同じダーウィンが主に、1871年初版のThe Descent of Man, and Selection in
Relation to Sex ([6])で主張した、"sexual selection"(性淘汰、あるいは最近は性選択とも訳される)は、「長い間科学者による検討の対象とされなかった。『性淘汰』の理論が再評価され、本格的に研究されるようになったのは、実に1970年代のことである」([7])という。
まず、1930年に取り上げられたのを皮切りに、1958年にはJ. メイナード・スミスが「進化全体に関する総説本の中で、性淘汰をまともにとりあげて1章を割いたのは、これが初めて」([8])となり、それ以後、諸論文でも注目され始めた。([9])もっとも、ダーウィンは自然淘汰と性淘汰をわけて考えていたが、現代の進化生物学では、性淘汰は自然淘汰の一部であると見なされていることはして記しておきたい。([10])
本稿では、自然選択と並び、この性選択にも注目して、「法と進化生物学」の議論を深めたい。([11])
第4節 進化心理学とその近年のめざましい発展
今日の「進化心理学(evolutionary psychology)」という学問分野の1989年における名付け親は、John
Tooby(ジョン・トゥービー)とLeda
Cosmides(レダ・コスミデス([12]))であるとされる。([13])したがって、この学問分野がこの時点で成立したとしても、まだ20年しかたっていない。しかし、近年、この分野の発展はめざましく、その成果の中には、法・法学にとっても看過しがたいものが多々ある。後述の、第1部・第3章・第1節・(1)の、ヒトは裏切り者の検知に優れていることを実証した「4枚カード問題」などはその好例である。本稿において、「法と進化心理学」の関連と、こうした学際分野の確立を試みる由縁・所以がここにある。
第5節 「法と進化生物学」「法と進化心理学」そして「法と進化学」の可能性
本稿は、以上の理由から、「法と進化生物学」「法と進化心理学」の接点を探り、かつ、こうした学際分野の確立を目指すことにより、「法の進化的基盤を探り、法の本質を見極める」ことを目的とする。筆者の浅学ゆえに、本稿では、主に進化生物学、進化心理学に限定して、その成果を活かしながら、法学を深めていく作業を中心とすることになる。
しかし、近年、ダーウィンの提唱した進化生物学を基盤とし、その延長上にある進化心理学をも含みもつ(あくまで生物の進化を論じた)進化論([14])を、総体として「進化学」とまとめて呼称することが多い。この進化学という学問全体は、法と法学に今までにない指針を与えてくれる。第6章の、補論として述べる「法と進化倫理学」もその一端として理解していただければ幸いである。
なお、「法と進化生物学」や、「法の進化論的分析」の可能性と、すでに学界であげられている実績については、過去の拙論で簡単に指摘した。([15])そのうち、筆者も所属する2つの団体での研究活動はきわめて活発である。この2つの団体から、2002年と2009年にノーベル経済学賞受賞者が出たことは特記しておきたい。すなわち、まず、拙論で紹介したGruter
Institute for Law and Behavioral Research ([16])のメンバーであるVernon L. Smith(当時George Mason
University教授)が2002年に受賞した。Vernon Smithの業績には、ゲームの理論と実験経済学が含まれており、([17])これは進化生物学とも密接に関連する重要分野である。また、同じ拙論で紹介したOwen Jonesが創立した学会The
Society for Evolutionary Analysis in Law(SEAL)([18])のメンバーであるElinor Ostrom (Indiana
University, Bloomington校教授)が2009年に、法学とも関係の深いCommonsの問題を論じた業績により受賞([19])している。([20])
([1])「法源」とは、竹内昭夫ほか編『新法律学辞典』(第3版)、有斐閣、1989年、1285頁に拠れば、「(イ)通常は法の存在形式、すなわち法の解釈・適用に際して援用できる規範を意味する。国内法上の成文法源は憲法・法律・政令・条例など。不文法源は慣習法・条理など。国際法上の法源は条約・国際慣習法等。(ロ)法哲学上、法の究極的な妥当根拠を呼ぶことがあり、神・主権者・民意等を法源とする見解が対立する。[以下略]」とされている。本稿では、基本的にはこのうち(ロ)の意味で用いるが、(イ)の「不文法源は慣習法・条理など」とするのに並んで、今後、本稿で言う「法源」が「不文法源」として(ロ)でいう意味の「根拠」付けに提示される可能性はあると考えている。
([2])田中英夫『実定法学入門』(第3版)、東京大学出版会、1974年、8頁。その上で、同前、同頁において、田中英夫教授は、法をヒトの法に限定しつつ、「拘束力をもつ準則(rule)で、最終的にはそれぞれの社会で正統性をもっている政治体が強制によって実現することが予定されているものの総体」を指す、と定義している。これにも一定の説得力はあろう。
([4])Charles R. Darwin, On the Origin of
Species, London, 1859. 筆者が参照した版はともにPaul H. Barrett & R.B. Freeman (eds.), The origin of species by means of natural
selection, or the preservation of favoured races in the struggle for lifeで:1859年の初版の再版であるLondon: William Pickering, 1988 と、1876年の第6版 の再版であるLondon: William Pickering, 1988. 和訳例は:チャールズ ダーウィン (著), 八杉龍一(翻訳)『種の起原』[表記に注意]上・下、岩波書店〔改版〕、1990年。最近では、チャールズ・ダーウィン (著)、渡辺政隆 (翻訳)『種の起源』上、光文社(古典新訳文庫)、2009年9月8日という新訳が出ている(下巻も近々刊行されるのであろう)。
([5])後述の用語と併せて、自然淘汰、性淘汰、という用語が人口に膾炙しているが、本稿ではあえて、自然選択、性選択という訳語を用いる。それは、ダーウィンが用いた"selection"という用語が、そもそも「選別されて残る」というニュアンスで使われているからであり、「選別されて残らない」という「淘汰される」という日本語とは正反対の意味となるからである。その意味で、本来、「自然選別」「性選別」という訳語の方が適切であろうが、ここは進化生物学界でも受け入れられている「選択」という用語に可能な限り統一する。
([6])Charles R. Darwin, The Descent of Man,
and Selection in Relation to Sex, John Murray, London, 1871. 和訳は長谷川眞理子『人間の進化と性淘汰』I, II巻、文一総合出版、順に1999, 2000年。
([8])長谷川眞理子「ダーウィンの性淘汰の理論とヒトの本性」、長谷川眞理子・三中信宏・矢原徹一『現代によみがえるダーウィン』文一総合出版、1999年、213-258頁所収のうち、特に232-235頁。引用は233頁。
([11])「性選択」説の受容以外にも、進化生物学でも、直近になって、1970年代前後にWilliam Hamilton, Robert Triversらによって築かれた基盤に一定のなぜ
が呈されるなど、新たな進展が見られることを、付言しておく。例えば、ハミルトンが提唱した血縁度・適応度・包括適応度(詳細はすべて第1部・第2章以後に譲る)は利他行動を説明する上では重要であったが、イギリスのRatnieksらが以下の注目すべき論文を専門誌Trends in Ecology & Evolution(略称:後掲の通りTREE)に書いている:Ratnieks & Wenseleers, "Altruism
in insect societies and beyond: voluntary or enforced?", TREE 23 (2009:1):45-52. これは端的に言えば、今まで自発的だとされていた「利他行動」が「統制」されているのではないか、という疑問を呈したものである。"enforced"となると、「法」という観点からも興味深いが、それのみならず、この論文は、脊椎動物の、さらにはヒトの社会における利他行動の強制についても論じている(が、詳細は第1部・第2章以後に譲りたい)。
([13])長谷川・長谷川、前掲・注(10)、172頁に拠る。それによると、Tooby, J. & Cosmides, L., Evolutionary
psychology and the generation of culture. Part I: Theoretical considerations. Ethol.
Sociobiol. 10:29-49 (1989)が発端である。
([14])進化論は、その応用性の高さから、「生物を主体としたの進化」を論じるのみならず、比喩的に、さまざまな主体の進化を論じる際に転用される。たとえばよく知られた例では、「法を主体とした法の進化」を論じた論文に、Niklas Luhmann, Das Recht der Gesellschaft,
1. Aufl., Frankfurt am Main, Suhrkamp, 1995があり、さしあたりSS. 240-242参照。和訳は:ニクラス・ルーマン(著)、馬場靖雄・上村隆広・江口厚仁(訳)『社会の法』1 , 2巻、法政大学出版局(叢書・ウニベルシタス)、2003年、該当頁は、1巻、262-264頁。
([15])拙論「第7章 法とは何か」拙編著『法と遺伝学』法政大学出版局、2005年、189頁に、Gruter Institute for Law and Behavioral
Researchを紹介し、Owen Jonesの重要な業績を簡単に紹介した。
([16])この団体のウェブサイト、http://www.gruterinstitute.org/を参照。
([17])Vernon L. Smith, "Game Theory and
Experimental Economics: Beginnings and Early Influences", esp. pp. 241-
252 in: E. Roy Weintraub (ed.), Toward a History of Game Theory:
Annual Supplement to Volume 24, Duke University Press (Durham and London), 1992参照。
([18])この学会のウェブサイト、http://www.sealsite.org/を参照。
([19])彼女の業績の中でも、Elinor Ostrom, Governing the Commons: The Evolution
of Institutions for Collective Action, Cambridge University Press (Cambridge), 1990は注目に値する。これは、多くの論者によって論じられたCommonsの問題の考察を、一層深めた論考である。この問題は、法学との関係も深く、Ostromのこの業績に続いて、法学の観点も交えてRobert C. Ellickson, Order without Law:
How Neighbors Settle Disputes, Harvard University Press(Cambridge, Mass.), 1991で論じられている上、他の研究者による多数の論文がこの問題を取り上げている。たとえば、"Nobel Prize in Economics to Elinor
Ostrom ‘for her analysis of economic governance, especially
the commons' ," http://creativecommons.org/weblog/entry/18426参照。