「広島の街」


 昨年、夏の終わりに広島へ行った。広島駅からバスに乗り、相生通りを紙屋町で左折し中電前で下車してホテルに宿泊した。 三越、天満屋、福屋が並ぶ相生通りの八丁堀周辺は、夕方のラッシュ時に重なって車が渋滞していた。ホテルに荷物を置くとすぐに外出した。とりあえず夕食をと思いながら繁華街がある紙屋町、八丁堀の方を目指した。途中、「街づくり資料館」に立ち寄ったりしているうちに、夜8時になってしまった。八丁堀周辺にくると渋滞は解消していた。

(『プロアトラスW3』を加工)

 広島といえばお好み焼きが真っ先に浮かぶ。あえておいしいものを食べることもないので、観光客が行くおこのみ村に行った。一人で食べるお好み焼きは中途半端に物足りない。前回広島に来たときもお好み焼きを食べた。そのときは店の片隅上に設置したテレビで、ダイアナ妃の事故死を報じていた。
 相生通りと直交し、天満屋と福屋の間を抜けているのが中央通りである。紙屋町の方から来て中央通りを渡った次の通りが流川通り、さらにその向こうが薬研堀通りである。流川通りにも薬研通りにも若い女が立っていて、呼び込みの男もいた。とくに薬研堀通りには多かった。また、相生通りに並行し天満屋・三越の裏手になる胡通りにはスナックやクラブの看板がみごとに並んでいた。さらにその隣の仏壇通りも華やかであった。地方都市の商店街の寂しさは言われて久しいが、広島の夜の華やかさは心弾ませるものがあった。酒の飲めない私は一人でスナックやクラブにはいることもないが、客引きの若い女性二人がいたので路上で30分ほど談笑した。商売の邪魔をしたことに少し気が咎めたので、別れてからクッキーを買って持参したが、元のところにはいなかった。客がついたのであればよいのだが。

(道路名)

 相生通りを背にして薬研堀通りをしばらく歩いていき、左側に1ブロック入った弥生町のところにソープ街がある。ピンクを基調にしたネオンの華やかさとは裏腹に、呼び込みの男達以外には人影も少ない。歩いていくと次々に声がかかる。入るつもりはないが、気が向けば呼び込みの男達と話すこともある。しかし、ここでは無視を決め込んだ。ソープ街を抜けると周辺は暗い夜道だ。60歳代のおばさんが間隔を置いて数人立っていた。近くに行くと「いいこ(女)がいるよ」と声をかけられた。買うつもりはないが、おばさんと短い会話を交わした。連れ込み旅館がいくつかあった。迂回して戻っていくと、ソープ街の終わったところに弥生町交番があった。巡査5人が列をなして交番から出かけるところであった。街角に立っていた客引き男が丁寧に巡査に頭を下げていた。
 ホテルへ戻ろうとして平和大通りの近くに来ると、夜空に光る尖塔が見えた。ワシントンプラザ・ホテルである。大きく立派な建物には違いないが、いかにもそれらしい。夜10時の中央通りには客待ちのタクシーが列をなしていた。


(広島観光コンベンションビューロー『広島市中心部ガイド』を加工)

 広島には城があったので、昔は城に向かう道路(鯉城通り)がメインの流れであっただろう。しかし、戦争で広島は壊滅してしまった。その後、原爆ドームが広島のシンボルとなった。従って、広島駅から原爆ドームに向かう道路(相生通り)がメインの流れになった(最初の地図赤矢印)。そこで、銀山町から紙屋町に至る左側の地区が繁華街になった(地図で赤と黄に塗られた地域)。それに対し、右側が正統な建物の地区になったが、城があるので、城の近くに県庁などの官庁街ができた。繁華街はかなり広い地区になるのと、相生通りが広いので、八丁堀を通る中央通りがさらにメインの流れになった(最初の地図赤矢印)。その始めの所に天満屋、福屋がある。そこを起点に右側の紙屋町方面には飲食店等の繁華街ができ(地図赤地域)、流川・薬研堀という左地区にはバー・クラブ等の歓楽街ができた(地図黄地域)。従って、その先にある薬研堀と弥生町の辺りが場末になり、そこにソープランドが20数軒並んでいる。ソープランドは他県から来る客のための接客施設になる。地元の人の施設であるラブホテルはソープランドと併設はできないので、ソープランドよりは外側になる。そして少しこぎれいでなければならないので、京橋川を超えた松川町の土手づたいに並んだ。ラブホテルは松川町よりは、反対側にある元安川沿いの土手沿いに多い。これは国道2号線沿いの左川にある。地方ではラブホテルは国道沿いに多い。それは地域の人の眼を避けるためと、車で移動することがメインになっているからである。