京都には何回も来ているが、街を観光としてしか見ていなかった。今回、西大路から河原町まで歩いてみた。そのとき浮かんだ疑問点が2つあった。
@ 日本史では、平安京は大内裏と羅城門を結ぶ朱雀大路を中心に碁盤目状に造られていた、と教えられている。現在、大内裏も羅城門も存在はしていない。しかし、大内裏は天皇を中心とする政務および居所であり、現存する京都御所がその役割を引き継いでいる。現在、京都御所の位置は地図のように東に移動しているのはなぜか。
A 最初の疑問とも関連するが、なぜ繁華街は京都駅から見て右方向の鴨川に近いところにあるか。街の配置についての私の「繁華街は左方向にある」という考えには一見反する。