「仙台の街」



 仙台の街には何度か来たことがあった。じっくり街をみたのは数年前である。学部長として、父母会にあたる後援会に出席するために来た。後援会では、大学の現状説明、就職状況の説明、それに学生の成績表を父母に配布し相談にのることをしていた。その年から、学部長が30分程度講演することが加わった。ぼくは街の話をすることにした。

 ■仙台広域地図『プロアトラス2002』から

 その日は朝10時半に仙台駅に着いた。仙台の街について話すのに、市内の様子を知らない。とりあえず観光案内で市内地図をもらった。地図をみると、駅前から城に向かう青葉通がある。その通りを中心に左右両側にホテルや銀行などがある。広瀬川が城の前をとおり駅の左手方向に流れていて、鉄道とは鋭角に交わっている。これでは駅からみて左地区は歓楽街にはならないと直感した。徳島の街が同様だ。ただし、徳島の場合には、右手方向に川と鉄道が鋭角に交わっていて、県庁、市役所といった正統的な建物が立地するには不便になっている点が異なるが。

 時間がなかったので見当をつけて、駅裏手の左地区をみることにした。たぶん、そこら辺に歓楽街があるのではないかと推測した。駅の裏玄関へまわろうとしたが、そこへいく通路が見つからない。いったん表玄関を出て、右手方向の踏切を渡ろう。表玄関のすぐ右脇地区は再開発の工事中で雑然としていた。今回行くとビルが完成していた。裏手に行くには狭い自動車道路しかない。これが広瀬通につながる道である。駅裏手を臨むと、ただビルがあるだけで、商店街らしきものはない。時間がなかった。後援会の集合場所である江陽グランドホテルに向かった。そこで誰かに訊こう。ホテルは広瀬通に面してある。そのひとつ裏手の路地を行くとラブホテル「新宿」があった。さらにグランドホテルの裏手にもラブホテルがあった。今回確かめてみると、「新宿」はあったが、グランドホテルの後ろにはない。ぼくの理論では、この街の配置は説明できない。どうしようとそのときは思った。

 後援会の会場に着いたのは12時になっていた。集合は10時半だったらしい。支部長に「ラブホテルはどこにありますか」と訊いた。人通りが一番多いのは、青葉通ではなく、その一つ右の中央通にあるデパート藤崎のところを右折した一番町街だという。歓楽街は、藤崎を右折し一番町街を進み、広瀬通を超えた左地区にある国分町。ラブホテルはさらに左の立町にあるという。一番町街が定禅寺通に交差する手前右側にはファッションドーム141や三越があり、さらに先には市役所や県庁がある。これで街の様子が分かった。駅から左側では鉄道と川に挟まれて発展できないので、鉄道に並行にメインストリートである一番町街ができて、そこを中心に街が構成されたのである。したがって、駅の裏側の発展はさほど関心事ではなくなったので、いつまで経ってもそこに商業施設が張りつかないし、裏手に行く駅の通路もわかりにくいものになっているのではないか。それがその当時の結論であった。

『プロアトラス2002』より


 ■人の主たる流れと歓楽街:『ゼンリン電子地図帳』を加工
緑のピンはスナック、赤はソープ、ピンクはホテル

 ■スナック店舗数:『ゼンリン電子地図帳』を加工

 当時の結論は、基本的には今でも正しい。スナックをみると、国分町には1000を超える店舗が集中している。地図では楕円形で示したが、実際には、400m足らずの国分通の両サイドにはスナック、バーといった類の店がびっしりと詰まっている。通りには若いけれども商売女がケイタイをもってたむろしており、バーテンダーのような黒い服を着た男たちが何人も立っている。狭い道を行き交う人は多いが、若い女性客は見かけない。広瀬通と定禅寺通に挟まれたこの地区をもう少し描写しておこう。まず一番町四丁目買物公園が表の顔である。アーケードになっているが、完全なものではなく天井が抜けている。たぶん七夕を飾ってみせるためであろう。定禅寺通の突き当たりが141のビルである。その右側には幅の広い東二番町通があり、自動車道路になっている。一番町街のすぐ左側の路地は飲食店街になっていて、牛タンを始めた「味太助」の本店などがある。さらに左が国分通でスナック、バー等の歓楽街でにぎわっている。さらに左の路地は歓楽街だけれど人のにぎわいも少なく、卑猥な感じがする。その左は晩翠通という大通りになる。そこを渡ると立町になる。ほとんどは静かなビルが並んでいるが、広瀬通寄りのところにラブホテルが数軒ある。人気も少なく寂しい。100万人都市のホテル街としては小さすぎる。

 仙台駅を降りて、中央通をデパート藤崎のところまで歩いて一番町街に右折したとき感じたことは、中央通の方が一番町街よりもにぎやかなのではないか、ということだ。翌朝、歩いてみても同様の感想をもった。中央通はアーケードになっていて明るい。雨が降っていたからもしれないが、ひょっとしたら、人の主たる流れが一番町街から中央通に変化しているのか。本来、駅前通をシンボルである城に向かうのが、街のメイン通りになるはずだ。徐々にそのようになっているのかもしれない。藤崎のところを左折し、青葉通を超えてサンモール一番町をみた。その左手路地に小さなスナック街をみつけた。文化横町の看板があった。2、30年もしたら、ここら辺りが歓楽街になっているかもしれない。

   ■写真:文化横町で

 もうひとつ。駅の裏手への地下連絡路ができていた。裏玄関にあたるところは、いずれバスターミナルになるようだが、いまはヨドバシカメラのプレバブ店舗がある。裏地区はビルも建ってかなり整備された感じがした。まだ、左手には空き地も残っていて寂しいところもあるが。そこもいずれは再開発されビルが建つのであろう。あまり、きれいなビルばかり建てると、裏地区には歓楽街がないので、単なるビジネス空間になってしまいそうだ。それでも国分町があるから、いいか。