「街と都市の空間配置−− 左右の位置の意味 −−」





〔T〕はじめに


 数十人のクラス授業を受け持っていると、座席指定でもないのに、学生の座る位置が決まってくる。熱心な学生は前列に座り、さほど熱心でもない学生は後列に座る。これは体験的な常識であるが、さらに右側の席に座るか、左側の席に座るかによっても、学生の性格に違いがあるようだ。同じ前列に座る学生でも、教壇からみて右方向に座る学生の方が、左方向に座る学生よりも、理解力が良いように感じられる。
 このような現象は授業だけにとどまらない。いろいろな会合や集会での座席の位置についても、同じような現象が見える。教壇あるいは演壇からみて、前列右側に座る人の方が前列左側に座る人よりも、その集団において正統的であることが多いように思われる。人は、属している集団のどの位置に自分がいるか分かっている場合には、自ずからそれにふさわしい位置に座ることになるようだ。逆に、不特定多数の集団あるいは流れの中にいるときには、人は、より気楽な方向に身を任すことになる。そのときには、ごく自然に左側通行になったり、左手方向に進んだりすると思われる。
 絵画についても、キャンバスに描かれる位置によって意味があるのではないかと思われる。キャンバスの下方に描かれるものは安定的に見え、上方に描かれるものは開放的あるいは不安定に見える。さらにキャンバスの右側と左側とで、描かれるものに、それ相当の意味あいが出てくるようである。キャンバスの下方右側に描かれるものの方が、下方左側に描かれるものよりも安定的に見える、という人が多い。また、上方左側に描かれるものの方が、上方右側に描かれるものよりも開放的に見える。  肖像画では、目線が右向きのもの、すなわち顔の左側面をみせるように描かれるものが多い。また、女優の顔のアップは左側面からなされることが多い。あるいは、ブラウン管に映るゲストは向かって右側に、すなわち、左側面の顔を見せるように座り、インタビュアーやアナウンサーは左側に座るのが通常である。
 カウンセリングのひとつの方法として、箱庭療法がある。患者が作る箱庭作品を解釈するとき、右側領域は外的な現実に向かうものを暗示し、左側は内的な無意識の領域に向かうものを暗示する、と解釈すると理解しやすい例が多いという。  上述してきた例に共通しているのは次のことである。目線が右方向にいくときが表向きの正統的な姿であり、その先に位置するものが正統的なものである。逆に、目線が左方向にいくときは内的な非正統的な姿であり、その先に位置するものは非正統的なものである。正統的なものは外的・安定的なものであり、非正統的なものは内的・開放的なもので、やすらぎをもたらす。  このような現象は都市についてもみられる。人が歩いて行動することを基本とする街を考えよう。目安としては、30分から1時間ほどで、端から端まで歩けるくらいの大きさである。
 街をひとつのキャンバスとみよう。街の起点がある。多くの場合、駅がそれである。人がそこから街に流れていくが、その中心には立派なデパートやホテルがあり、買い物街をなしている。その周りに飲食街や歓楽街がある。その先に住宅街が配置されている。ところがこの現象は同心円を描いて配置されているわけではない。街の中心からみて、人の主たる流れの右方向と左方向とでは、異なる機能の建物が配置されることが普通である。デパート、ホテル、銀行等の正統的な機能の建物は、主たる流れに沿って、あるいは、その流れの右方向に配置されていることが多い。それに対し、非正統的なやすらぎを求める歓楽街は、主たる流れの左方向にできやすい。
 街の機能の配置も含めて、上述の現象に共通していることは、たぶん、人の空間認知において前後あるいは上下のほかに、左右の位置についても意味があるということである。このことは、いずれ脳科学が解きあかしてくれるだろう。
 人が直接認知できる範囲では、空間配置に人の感覚が反映するようである。しかし、県全体、あるいは国全体というレベルでの都市の配置には、地理的な形態が大きく影響する。日本は細長い形状をした国である。100万人以上の大都市は、日本全体を線と見立てて配置されている。それに対し、中小・零細都市は、それぞれの地域を面と見立てて配置されているようだ。計量分析からは、そのことが実証される。


〔U〕座席の位置について


 主として2年次対象の統計学の最初の授業で、座席位置についてアンケートをとった。1年次に受講した数十人のクラス授業である語学科目を想定し、図1のどこに座っているかを訊いた。教室を前後左右の4つに区分する。前から3列目までを前列、それ以降を後列とする。また、教壇からみて右方向を右側、左方向を左側とする。前右をa、前左をb、後右をc、後左をdとする。ここで、教壇からみて右側に座る学生は、その学生から教壇をみても、教壇が右方向にみえることに注意。同様に、左側に座る学生には教壇が左方向にみえる。


   前期および後期の試験結果と、後期にとった出席回数のデータをもとに、座席位置を分析した。前期と後期の授業内容が異なるので、試験結果は前期・後期に分けて集計した。また、年度によって出題は異なるので、得点は基準化した。基準化は各年度・各期ごとに平均50点、標準偏差10点として、いわゆる偏差値を求めた。出席をとった回数も年度によって異なるので、平均5回、標準偏差1回として基準化した。
 経験的に言うと、前右aに座る学生は熱心で理解力がよい。前左bの学生は熱心だが理解力が遅い。あるいは、言葉のハンディーのある留学生がbに多い。後右cの学生は授業に消極的にしか参加していなく、理解しようとすることも少ない。後左dの学生は理解力の良し悪しに関係なく授業から逃避し、友達同士でおしゃべりしていることが多い。もちろん、これらは極端な表現だが、このような傾向が見受けられた。
 データからは、授業に熱心か否か、理解力がよいか否かということだけしか分からない。表1は、92、93、95、96年度の合計でみたものである。例えば、座席位置aの学生は、前期で90人受験しており、その基準化された得点の平均が51.3点であった。得点の良い順に並べると、ほんのわずかな差ではあるが、前期はa、d、c、bの順、後期はd、a、c、bの順であった。統計的には有意の差ではない。これは試験の出題方針が、できるできないに関わらず、熱心な受講生には良い点数がとれるように配慮したからと思われる。


   授業への熱心さをみるために、出席回数をみよう。そのために、前期と後期の受験者の延べ出席回数を比較した。ここで出席回数は後期だけのものである。従って、前期・後期とも受験している者の出席回数は同じ数字である。  延べ出席回数を比較する理由は、次のようである。単位をとる意図のある学生はほとんど前期の試験を受けるが、そのうち何人かは単位取得をあきらめ、後期を受験しない。ここでは、そのような学生は熱心さが足りないとみなす。また、出席回数が多い学生は熱心であるとみなす。この2つの要因を加味したからである。ただし、後期試験だけ受ける者もいるので、bの受験者数のように後期の方が多くなることもある。
 延べ出席回数の前期に対する後期の比率は、全体で0.90である。そのうちbの学生は1.00で一番熱心である。ついで、aの0.94であり、一番熱心でないのはdの0.86である。
 理解力の良さについては、4年間の合計データでは判断できなかった。さいわい、91年度前期および99年度前期については、出題内容を3グループに区分し、採点している。表2に、その結果を示す。ただし、このデータは前期のみで通年データがないので、表1には加えていない。


   得点合計では、91年度前期の成績はb、a、d、cの順である。また、99年度前期はa、b、c、dの順である。bの成績は悪くない。内訳をみると、 (A)毎年出題される平均・分散の問題、 (B)教科書から出題すると指示した問題、あるいは、公式に当てはめればできる確率の問題において、bの成績は良い。しかし、 (C)教科書外の予告しない問題、あるいは、少し考える問題では、bの成績が一番悪い。bは熱心に試験の準備をしてきて、パターン化された問題には答えられるが、それ以外の問題には弱い。aは満遍なく良い成績をとる。
 以上の結果から、経験的に感じた傾向を読みとることができる。ただし、5%有意水準の検定では、有意な差とは言えなかった。まとめると、前列の受講生は熱心であり、後列は熱心さが不足する傾向がある。前列のうち、右側aは理解力が良く、左側bは理解力が遅い。ただし、このような傾向を指摘することはできるが、手元のデータでは統計的な差を言えるほどではない。 熱心だが理解力の遅い学生が、なぜ前左に座るのか。次節で左右の位置の意味をみていくと理解できる。すなわち、左手方向に目線が行くときには、その先には非正統的でやすらぎを覚える場所がある。前左bの座席は、教壇からみて、そのような場所である。逆に、学生からみても、教壇は左手方向の非正統的な位置にみえる。それにより、教壇までの距離が前右aの座席と同じであっても、心理的な距離が遠く感じられる。理解力の遅い学生が座るのは、そのような理由ではないかと思われる。


〔V〕左右の位置の意味


1.カウンセリングにおける左右の意味
 カウンセリングのひとつとして、カルフによって始められた箱庭療法がある。1  日本では河合隼雄を中心として行われてきた。2  そのさい、クライエントが作る箱庭の上下左右の領域に置かれるものの解釈として、グリュンワルトの空間象徴理論が用いられてきた。3
(図)箱庭を作るための材料が並んだ棚:本から引用
(図)作成されて箱庭の例:本から引用
(図2)グリュンワルトの空間図式

  図2がそれである。右が外向性、左が内向性を示し、下が物質、上が精神を現していると意味づけている。
 河合(1969)は、「クライエントの作る方からみて、左側はその人の内的世界、無意識界を、右側は外的世界、意識界を示すと思われることが多かった。このような考えを基にしてみると、解りやすい例が多かった」と述べている。秋山(1982)は、「右が外的世界、左が内的世界とすると、箱の手前、見とり図を描いた場合には下の方は身体的で、向こう側、つまり上の方は精神的な世界と考えられる」と言い、「この見方をした場合に7割くらいは実際に適中している」「空間表象における左右の問題は、右利き、左利きの問題とは関係ないようだ」と述べている。
 箱庭療法における上下左右と、座席位置の前後左右の意味づけには、類似性がある。左右について言うと、右側は外的世界を示す。座席の場合には、熱心で理解力の良い学生が座り、クラスの中で理解力という点で正統性をもち、表の顔である。それに対し、左側は内的世界を現す。座席の場合には、熱心だが理解力の遅い、クラスで正統性をもたない学生が座る。 箱庭療法におけるクライエントは、座席の場合には、教壇に立つ教授である。箱庭療法で並べられる部品は、座席の場合には学生である。箱庭療法の場合には、クライエントの意思が箱庭に反映するが、座席の場合には教授の意思が反映するのではなく、部品に相当する学生個々人の意思が反映する。個々の学生が、自分にふさわしい座席位置を選択するのである。その点が、箱庭療法と座席の話の違いである。ただし、位置についての意味づけがクライエントと学生に共通しているので、類似性が出てくるのである。後述する街の話は、座席の話により近い。個々の店舗の意思が集まって、左右の地域の特徴を形づくる。そのさい、教授に相当する者はいない。

2.行動における左右
 左右の位置の意味をより明確にするために、いくつかの観点からみよう。まず、行動における左右の意味である。
 パーキンソン(1981)のカクテル・パーティーの公式には、第1の事実として、カクテル・パーティーの会場に到着した客は必ず左手方向に流れていく。第2の事実として、人々は部屋のまん中よりも側面を好む、と書いてある。データを用いて記述しているわけではないので、彼の実感ということになるであろう。
 データを用いて、これに類似したことを述べているのは、加藤(1997)である。彼は、「人は左側を歩きたがる」と述べ、いくつかの観察結果を引用している。藤沢(1974)の引用では、東京のある書店の2階から3階にいたる階段を客が上がった後、左右いずれの方向に進路をとるか、2日間にわたり1214名の行動を観察したところ、65.6%の人が左に進路をとった。このデータを2階の階段から踊り場に出るとき階段の中央を通った人だけに限ってみると、左側への選択率はさらに高くなり、87%にも達した、と述べている。
 小西(1983)の引用では、東京都内の地下道の歩行者を観察したところ、左側通行になりやすいことを見いだした。図3が観察結果である。地下道の幅がそれぞれ 3.6m、4mのとき、左端からの距離に応じた歩行者の分布である。また、群集の流れができる歩行動線を調査した結果によれば、路上での混み具合が1u当たり 0.3人以上になると、この流れは自然に左側通行になる、とも記述している。
(図3)地下道における歩く位置の分布

 これらの例から、人がとくに意識せず左右の方向を選択し進む場合、左手方向を選びやすいこと、また、不特定多数の人が集まって流れを作る場合、左側通行になりやすいことが言えよう。

3.肖像画における左右
 肖像画やプロフィール(横顔像)は、描かれる人からみて、右向き左側面の顔をみせることが多い。4  とくに貴婦人の肖像を描くときには、この傾向が強い。5  また、ある演出家は「女優を撮るときは、左側面の顔を撮る」とも述べている。
 西原(1996)は、「右利きの人の多くは、利き顎も右である。つまり顔の右半分は活動的であり崩れている。左半分は崩れないで、うっとり顔になっている。女性の顔の絵は左側が多く描かれるが、これは女性の命であるうっとり顔が左側に多いためであろう」という主旨を述べている。
 加藤(1997)は、実験によるデータを示している。幼稚園児から大学生まで904人に対し、1枚の白紙に利き手で自由に人の横顔を描くように求めた。それ以上の特別な指示はしなかった。その結果、83%の人が左側面のプロフィールを描いた。6  図4から分かるように、左側面のプロフィールは学年の進行とともに増加する。とくに小学校4年生頃から急に増加する。ここで図4の縦軸は、左側面のプロフィールを描いた割合である。このような現象が右利き、左利きに関連するかもしれないとの疑問から、左右の手でそれぞれプロフィールを描く実験をした。その結果、利き手に関係なく左側面のプロフィールの多いことが分かった。
(図4)学年別・左側面の横顔を描いた割合

 ハンフリー他(1973)は、レンブラントが描いた335枚の肖像画のプロフィールを分析して、その向きがレンブラントの社会的世界の順に対応して変化していることを発見した。すなわち、自己、親戚の男性、親戚以外の男性、親戚の女性、親戚以外の女性の順に応じて、プロフィールの向きが、描かれる人からみて、左向き右側面の顔から、右向き左側面の顔へと変化している。自分に社会的距離の近い男性は左向きの顔を、自分から距離が遠い女性ほど右向きの顔を描く傾向がある。このような関係は、レンブラント以外の画家が描いた1776枚の肖像画にも認められると述べている。図5a、bはそれを示している。
(図5)プロフィールの向き


4.演出における左右
 肖像画と同様の現象が他の場面でもみられる。中森他(1981)では、同一画面中に複数の人物を描く場合、原則として、画面に向かって右側に身分の高い人物を中央に向けて描くと述べている。描かれる人からみると、右向き左側面の顔を中央に向けている。逆に、身分の低い人物は左側に配される。テレビのインタビューの場合も同様のことが言え、ゲストはブラウン管に向かって右側に座り、インタビュアーやアナウンサーは向かって左側に控えるのが通常である。
 肖像画・複数の人物の画面・テレビ画面に共通していることは、自分に近い者・身分の低い人物・インタビュアーは左向き右側面の顔をみせ、自分から遠い者・身分の高い人物・ゲストは右向き左側面の顔をみせる、ということである。すなわち、目線が右手方向に行くときは、その先に表向き・正統的な立場の人・敬して遠ざける人がいて、その人もやはり目線を右手方向に向けている。逆に、目線が左手方向に行くときには、その先に内向き・非正統的な立場の人・親近感を覚える人がいる。その人も目線を左手方向に向けている。これは座席の位置についても言えることである。
 テレビ画面の中のゲストとインタビュアーの関係は、視聴者の立場であるテレビカメラとの位置で決まってくるものであり、テレビカメラをなくせば、ゲストとインタビュアーは面と向かい合って座ることになるであろう。
 今まで述べたことを応用すると、クライエントとカウンセラーの座る位置が決まってくる。この場合には、内向きな関係になるように座ればよい。すなわち、双方の視線が左手方向になるようにする。しかし、実際には左手方向に対面して座るわけにはいかないので、図6のようになる。ただし、クライエントからカウンセラーをみると、左手方向というよりは右手方向に近い目線になっている。この場合には、カウンセラーが正統的であり、クライエントは非正統的な立場にいる。従って、カウンセラーからみて左手方向の非正統的な位置にクライエントがいて、クライエントからみて右手方向の正統的な立場にカウンセラーがいることが自然である。
(図6)カウンセラーとクライアントの座る位置

 会議においては、座席がロの字に配置されていることが多い。この場合には、議長席からみて右手方向の手前に正統的な立場の人が、左手方向の手前に非正統的な立場の人が座ることになる。正統的な立場の人から議長席をみると、議長席が右手方向にみえるのではなく左手方向にみえる。正統的な立場の人は議長よりも正統的であるとみなせば、納得できる。

5.絵における左右
 絵巻物においては、視線は右から左へ進行する。それゆえ、左へ向かうものは「進み」「行く」ものである。7  この場合、描かれている人物からみると、右向き左側面をみせている。同様のことはマンガにおいても言える。夏目(1997)によれば、これから事件に向かっていく主人公は全部左に向いている、という。日本のマンガでは右から左に向かって読んでいくので、左を進行方向とし、右を戻る方向として受け取ることが暗黙の約束になっているからであると思われる。しかし、それでは左から右に読んでいく欧米や韓国のマンガが、全部逆向きになっているかというと、夏目は疑問をもっている。
 カンディンスキー(1959)は、「左の方は自由を求め、遠方をめざす運動。人間が自分の住み慣れた環境からの束縛から解き放たれていくという意味がある。右の方は逆に束縛を求め、家に戻る運動の意味がある」と述べている。カンディンスキーは抽象絵画を始めた優れた画家であるが、絵巻物や日本のマンガの意味づけと同じことを絵画で直感している。
 カンディンスキーは、左の方は自由・解放、右の方は束縛と述べている。これはキャンバスのどの位置にものを置くかによって、見え方が異なってくることを示している。キャンバスの下方にものを置く場合の方が、上方に置く場合よりも安定的にみえる。さらに下方でも、図7aのように、右にかたよって置いた場合の方が、左にかたよって置いた場合よりも、より安定的にみえる。アンケートをとると、このように答える人が多い。また、上方に置く方が開放的にみえるが、その場合、図7bのように、左に置く方が右に置く場合よりも、より開放的にみえる人が多い。図8に示す葛飾北斎の富岳三十六景のうち、「凱風快晴」は右下に主体をおくことによって安定性をうる好例である。また、「神奈川沖浪裏」は左上に浪を描くことによって開放性をえている。
(図7)キャンバスにおいて安定的・開放的にみえる位置
(図8a)安定的にみえる構図:葛飾北斎『富岳三十六景凱風快晴』

 座席の話と対応させると、前右aが集団において正統的な人の座る位置であるが、キャンバスでは安定的にみえる位置である。また、後左dが授業から逃避し友達同士でおしゃべりしている人の位置であるが、キャンバスでは開放的な位置にあたる。

6.文化における左右の意味
 人の感じる左右の位置の意味は、文化に反映する。トゥアン(1977)は、図9のように、直立した人からみて、その人の上下・前後・左右の空間を意味づけた。すなわち、前右は聖なる空間、後左は俗なる空間とみなした。
(図9)直立した人からみた空間の意味づけ

 ほとんどの文化において、右は左よりもはるかに優位にあると考えられている。とくにヨーロッパ、中東、アフリカ、インド、東南アジアでは、そのように考えられている。右は本質的に聖なる力、あらゆる合法的な善なるものの源泉を象徴している。左は神聖を汚すもの、不潔なもの、あいまいなもの、弱々しいもの、恐ろしい悪いものを象徴している。トゥアンは、各地の例を挙げて示している。それは言葉にも反映しており、ヨーロッパ語における右をあらわす right、droit、recht、prava は、いずれも「正しい」という意味から出ている。また、左をあらわす left、gauche、link、ljeva は「価値のない」という意味から始まっている。
 トゥアンは例外として中国を挙げている。中国では「尚左」といい、左を尊ぶ文化がある。中国では南が正面であり、南面すると、太陽の昇る東が左にあたり、太陽の沈む西が右になる。太陽の昇る方向が聖なる空間であり、沈む方向が闇の空間であるので、左が優位ということになる。太陽の昇る方向が聖なる空間であるという考え方は、ヨーロッパや中東等でも同様である。ただし、正面が南ではなく、北であると推測される。そうすると、太陽の昇る方向が右ということになる。地図で北を上にして描くというのは、この考え方から出てきたのかもしれない。
 左を尊ぶ・右を尊ぶという「尚左尚右」の思想は、時代によって揺れてきた。その原因のひとつは、自分からみて右・左か、相手からみて右・左かが、時代によって変化してきたからである。日本は中国文化の影響を受けた国であるので、尚左尚右の考え方があった。しかし、現在残っている言葉の意味でいうと、右のつく語の意味は好意的であり、左のつく語の意味はよくないことが多い。例えば、左言(道理に反したことば)、左計(正しくない計画)、左降(地位の降下)、左道(不正な道)、左傾(急進的)、左遷(地位の降下)等である。ただし、左団扇(ひだりうちわ)は安楽な暮らしの意味であり、左方向が非正統的であり、親近感を覚える位置であることと符合している。右の意味は、「たすける、たっとぶ、大切な、したしむ」等である。8
 結論としていえば、多くの人が右が正統的、左が非正統的と感じていることが、日本を含め(たぶん中国も含めて)、世界の多くの地域において文化にも反映していると言えよう。

7.左右の意味の違いをもたらすもの
 視覚の仕組みは、網膜に受容された光情報が大脳皮質の視覚領域に伝達され、それが色彩、形、輪郭、位置などに関し多くのモジュールに分解され、それを組み立てることによって知覚されると考えられている。そのさい左方向の視覚情報は右脳に、右方向のは左脳に送られる。それらの情報は脳梁を通じて、ただちに反対側の脳に伝えられる。
 右脳と左脳における情報処理には得意分野があり、多くの場合、言語情報は左脳で、図形情報は右脳において、より早く認識される。従って、視覚的に構成する能力は、左脳よりも右脳の方が優れていると言われている。
 左方向の視覚は、図形情報の処理に優れた右脳で一瞬早く行われる。右方向の視覚は、言語情報の処理に優れた左脳で一瞬早く行われる。このことが、たぶん、左右の位置の意味の違いをもたらすのだと推測される。ただし、どのようなメカニズムによって、そのような意味の違いが感じられるのかは、今後の脳科学の解明を待たなければならない。
 岩田(1997)は、「新しい描画法を築き、これを実践していった画家たちは、その後長い年月を経て、神経科学の研究者たちがやっと探し当てることになる視覚生理学の原理を直感的に予感し、その原理をキャンバス上にはっきりと示していたことに驚かされる」と述べている。すなわち、ルネサンス期の画家たちは網膜に映る像を絵にした。レンブラントがその代表である。19世紀後半以降の画家たちは、脳における視覚情報処理の特定のモジュールを強調したり、一部のモジュールを故意に欠落させたりした。モネは輪郭線の認知を故意に省き、色彩認知を必要以上に細かく分析した。スーラは色彩モジュールのみをとくに強調した。ピカソは形態視モジュールのみを、モンドリアンは空間視モジュールを強調した。そのような画法を経て、超可視的な画題を視覚対象として描く抽象絵画が出現してきた。カンディンスキーはその好例である。
 カンディンスキー(1959)は、左右の位置の意味について記述している。左右の位置の意味に違いがあるという画家の直感は、いずれ脳科学によって解きあかされるだろう。

〔W〕街の機能の空間配置


1.街はキャンバス
 多くの街は、中心街と周辺の住宅街からできている。中心街の大きさは、端から端まで歩いても、30分あるいは1時間もかからない距離におさまっているのが普通である。そのような意味で、人の感覚が反映される程度の大きさである。本稿の主張は、「歓楽街は、街における人の主たる流れの左方向にできやすい」ということである。
 街には人の主たる流れがある。多くの街には駅があり、駅の一方の側が反対側よりも栄えている。駅を起点とし、栄えている側の繁華街を歩いていく。それが、その街の主たる流れと感じられることが多い。しかし、街によっては、駅を街のはずれに作る場合もある。とくに城下町だった都市には、そのようなケースがみられる。昔の盛り場が現在もそのまま繁華街になっていて、それを城の方向にいくのが主たる流れと感じられることもある。あるいは、門前町のように、駅のあるなしに関わらず、寺に向かうのが主たる流れと感じられることもある。また、昔の港町だったところは、港から陸地へ向かう道筋に歓楽街が残っているケースがある。いずれにせよ、街には人の主たる流れがあることが普通である。
 主たる流れの起点から街をみると、流れに沿って、あるいは流れの右方向の地域に、立派なデパート、ホテル、銀行などがあり、ブティックやこぎれいな店舗・飲食店が並んで、買い物街をなしている。それに対し、左方向の地域には居酒屋・小料理屋・スナック等の歓楽街があることが多い。少し大きな街になると、歓楽街は奥に進むほど、いかがわしいスナック・バー・クラブというものになり、ついにはソープランドがあったりする。もっと大都会になると、ソープランドの代わりにラブホテル街になることがある。そこが場末であり、その先は住宅街になっている。
 このような街の構成は、多くの都市で体験できる。街に人の主たる流れがあり、それを中心に右方向・左方向の位置の意味が、絵画や座席の話と同様に、人々に共通に感じられるからであろう。その意味で、街はキャンバスである。絵画や座席よりも少し広いキャンバスである。街を歩く人々や、街に店舗を構える人々は直感的にその意味を感じとり、それぞれにふさわしい位置につくのだと思える。

2.データ
 中心街に、どのような機能の店舗がどこに配置されているかをみるために、1999年版NTTタウンページを用いた。そこから主に商業・サービス業店舗について、職業名・サービス名(業種)、店名、電話番号、住所を入手した。主に商業・サービス業店舗としたのは、中心街にはその種の店舗が多いことが第1の理由である。中心街には、商業・サービス業以外の比較的大きな会社の事務所が立地していることもある。しかし、それらの事務所がどの程度のスペースを占めるかは、同じ業種でもかなり異なるかもしれない。それに対し、商業・サービス業店舗の場合には、業種によってどの程度の店舗スペースかが想像しやすい。さらに、その場合には、どの業種はどの程度の正統性をもっているか、というイメージもつかみやすい。商業・サービス業以外の事務所では、そのイメージがつかみにくい。これが第2の理由である。
 表3は入手した業種の一覧表である。タウンページの業種名は自己申告であるので、タウンページ職業名・サービス名の覧には類似の業種が並んでいる。例えば、洋服関係の業種にはいろいろある。これらの業種をまとめて業種分類を作った。そのさい、本稿の主張を検証できるような立場から分類を行った。それゆえ、例えば、ブティックと洋服・靴の分類は別のものとした。というのは、ブティックには高級なイメージがあるので、単なる洋服店とは異なるところに立地されるかもしれないからである。
 入手した資料は、同一の電話番号で複数の業種に登録されていたり、同一店舗で複数の電話番号をもっていたり、少しだけ異なる店舗名称を使って複数の登録をしたりしている。それらの重複を除く作業をした。そのさい、できるだけ具体的な業種の格付けを選ぶようにした。例えば、洋品店とブティックの両方に記載されている場合にはブティックに、レストランとフランス料理が記載されている場合にはフランス料理に、という具合である。
 本稿では街における正統性という立場から業種の格付けをしている。そのさい、ホテルとラブホテルの格付けでは、街における正統性がまるで違う。タウンページにはラブホテルという項目もあるが、実際にそうであっても、ホテルとして申請していることが多い。これについては、現地でホテルをみて、ラブホテルと判断したものは、そのような格付けにした。
(表3)業種分類

3.茨城県3都市
 街はキャンバスであり、左右の位置に意味があるという主張を検証するために、茨城県の3都市を取り上げてみよう。水戸、土浦、石岡の3都市であり、その中心街を検討する。この3つを取り上げたのは、とくに意図はない。たまたま土浦で講演があり、そのためのデータとして、県内の大都市である水戸、中都市である地元の土浦、小都市である近くの石岡を選んでみた。そのさい、歴史的にも由緒があり、ベッドタウンではない、ということも考慮した。
3都市の人口・従業者数・産業の概略を述べよう。1995年の国勢調査では、水戸市の常住人口は25万人、土浦市13万人、石岡市5万人である。従業者は人口の約半分で、水戸市12.4万人、土浦市 6.8万人、石岡市 2.7万人である。そのうち同じ市内で従業している人の割合は、水戸市80%、土浦市62%、石岡市59%である。残りの20%、38%、41%は他地区へ働きにいっている。東京での勤務は土浦市が7%と少し多いが、東京のベッドタウンという数字ではない。他地区から働きに来ている人は、水戸市45%、土浦市56%、石岡市39%である。他地区で勤務している人との差をとると、水戸市25%、土浦市18%、石岡市 ー2% となる。従って、昼間人口は常住人口に比べて、水戸市119%、土浦市115%、石岡市99%になる。
 産業では第3次産業が多い。その割合は水戸市77%、土浦市67%、石岡市55%の順である。第2次産業はその逆で、石岡市38%、土浦市29%、水戸市19%である。第1次産業の割合はともに低い。第3次産業の内訳は、卸・小売・飲食業、サービス業、公務・金融業等の順である。第3次産業に占めるそれらの割合は3都市共通で、ほぼ39%、35%、26%である。

4.土浦中心街
 土浦は霞ヶ浦沿岸の湿地帯にできた城下町である。土浦城(亀城)の脇、霞ヶ浦側に旧水戸街道(国道354号)が通っている。18世紀前半の享保期に知行高が9万5千石に増大し、それに対応して大町・川口の新市街地を造成することにより、武家町の拡張がなされた。明治になり鉄道が敷設され、1898年に下沼のあった埋立地に土浦駅が開業された。大正期に隣の阿見町に海軍航空隊が設置され、それに呼応して桜町の新市街地が造成され、花柳界としての役割を負うことになった。昭和期にはいり、現在の水戸街道(国道125号)が完成した。戦後、1980年代に土浦バイパス(国道6号)が開通、1985年のつくば科学万博にさいし、川口川を埋め立て高架道路を造り、モール505を高架下に作った。
(図)享保年間の土浦
(図)安政年間の土浦

 図10に示すように、現在の土浦中心街の主たる流れは、駅から亀城公園にいたる約1kmの道路に沿っている。9  駅ビルにはウイング、駅前のURALAビルにはイトーヨーカドー、右に丸井という大規模小売店舗がある。亀城公園にいたる道路に沿って、あさひ銀行、茨城銀行、常陽銀行、東武ホテル、小網屋、足利銀行、三和銀行、関東銀行本店が立地している。他方、左方向の地域は、駅前左に桜町一丁目の歓楽街があり、飲食店やスナックが並んでいる。さらに桜町二丁目に向ってスナック・バーが主の歓楽街があり、それに続いてソープランドが30軒立地している。その先は住宅街になっている。
 土浦中心街は、駅前から亀城公園に向かう道路のほかに、千束町交差点に向かう道路が駅前左にあり、自動車通行のメインになっている。2つの道路は扇形状に開いている。そこで中心街を左右の地域に分けるさいに、桜町三丁目を主とした中間的な色彩の地域が出てくる。従って、ここでは右・左・中の3地域に分ける。図11に示すように、亀城公園に向かう主たる流れに沿った右地域と、桜町一・二丁目の左地域、および桜町三丁目・中央一丁目の一部からなる中地域である。
 中心街をここでは、桜川と新川に挟まれた地域で、駅から水戸街道までの地域としよう。そのうち、右左中を除いた所を奥地域と呼ぶ。主として住宅街である。また、駅の裏手にあたる港町・川口二丁目を裏地域とする。
(図11)土浦中心街の右・左・中地区区分

 表4は、表3の分類に基づいて作成した店舗数である。本稿では左地域にできる歓楽街にとくに注目しているので、その地域をさらに区分して集計した。ひとつは左地域の表通りに面した所と裏通りに面した所の2区分である。もうひとつは、駅に近い方から4区分した。すなわち、(1) 桜町一丁目1〜12、(2) 一丁目13〜19、(3) 二丁目1〜9、(4) 二丁目10〜13である。
(表4)土浦中心街・地域別・業種別店舗数

5.石岡中心街
 石岡は、律令国家時代に常陸国府が置かれた古い都市である。現在、国府跡には市民会館や小学校が建っている。その隣に常陸総社宮があり、石岡の街の象徴になっている。
 石岡中心街の人の主たる流れは、図12に示すように、駅から出て国道355号に向かう約500mの道路に沿っている。さらに、そこを左折して、国府6丁目交差点に向かう道路が主たる流れになっている。この道筋に沿って、東日本銀行、茨城銀行、つくば銀行、石岡信金、関東銀行、常陽銀行がある。
 主たる流れに沿って、その右側を右地域とする。すなわち、府中一・二丁目、および国府一・二・三丁目の通り沿いである。また、流れの左側を左地域とする。国府一・二丁目の通り沿いを除いた地域である。石岡中心街を府中、国府、総社、若宮の町からできているとしよう。右・左地域を除いた所を奥地域を呼ぶことにする。
(図12)石岡中心街の右・左地区区分

 石岡中心街に歓楽街と呼ばれるところは見あたらない。駅前通りと国道沿いを除けば、ほとんどが住宅街と言ってよい。それでも右・左地域の特徴をみることができる。表5は、表3の分類に基づいて集計した結果である。
(表5)石岡中心街・地域別・業種別店舗数

6.水戸中心街
 水戸は、江戸時代に水戸徳川家が治めた中核的な都市であった。町の構造から言うと、那珂川と千波湖に挟まれた高台と低地からなる土地につくられた。高台のはずれ、低地に隣接する場所に城が築かれた。高台には武家町が、低地には町人町ができた。それぞれを上市、下市と呼んでいる。
 江戸時代には、町の防衛のため、堀と直進しにくい道路からできていた。明治期になり町の拡充整備が行われた。明治10年代後半に行われたのは、主に上市と下市を結ぶ道路整備であった。また、民間人の事業として、当時は上市のはずれであった大工町を整備し、そこに芸妓屋を置いた。それを中心に数百十戸の家屋ができた。水戸警察はしばしば風紀取り締まりを強化したが、それにも関わらず、明治30年代にかけ、上市は大工町を中心に泉町、五軒町が、下市は竹隈町界隈が盛り場化していった。本稿の主張との関連で言えば、当時の人の流れは下市と上市とを結ぶものが主であったと思われる。とくに、下市から上市へ向かうのが主たる流れの方向と考えられるので、その左奥の方向に盛り場ができたのは自然であると思われる。
 明治22年に水戸に初めて鉄道が敷かれ、城に隣接した低地部分に水戸駅が設置された。鉄道は上市と下市の連絡を絶つような形で水戸の街を横切っていた。水戸駅の裏手には、当時はまだ埋め立てられる前の広い千波湖が横たわっていた。それゆえ、水戸駅裏手の下市側の発展は望めなかった。明治末期には、しばしば、水戸駅の南方面への移転が提唱されたが、実現にいたらなかった。
 このような状況を背景に、水戸の街は上市を中心に繁栄することになった。明治15年に茨城県庁舎が城跡の三の丸に完成した。県庁周辺には官公署や専門職業者の事務所ができ、水戸駅周辺と南町には、それらの関係者、一般市民、観光客を対象とする飲食宿泊業が栄えた。上市繁栄のもうひとつの牽引力は、明治末期に水戸衛戌と水戸高等学校が上市の先にある常盤村に設置されたことである。そこに接続する谷中、馬口労町と、以前から発展してきた大工町に飲食娯楽街が成立した。
 明治末期から大正期にかけ、水戸市の交通網の拡充整備が行われたが、主なねらいは上市を横断する交通網であった。現在の水戸駅前から泉町・大工町に向かう大通り(国道50号)は、明治初期までは江戸期の名残をとどめ、堀と複雑な道路からなり、一本道ではなかった。その道路を整備し、そこに水戸衛戌までいく電車を計画した。駅前大通りを通る水浜電車が開通したのは大正末期である。
 大正期には、水戸警察の方針により、奈良屋町と谷中(常盤村松本坪)に歓楽街が集中させられた。奈良屋町は、現在は宮町の一部になっているが、東照宮に隣接してある。大正期から昭和初期にかけ、奈良屋町は特殊飲食街になり、水戸を代表する歓楽街になった。
 現在の水戸中心街は上市にある。ここでは、三の丸、宮町、南町、大町、梅香、泉町、五軒町、備前町、大工町、栄町、天王町、常盤町、元山町、緑町、新荘までを範囲とする。また、駅裏手は桜川、中央、城南、白梅までとした。
 図13に示すように、人の主たる流れは水戸駅前から南町・泉町・大工町にいたる大通りで、2km弱の道筋である。多くの街では、主たる流れは起点から街の象徴的な場所に向かっていくのが普通である。土浦の場合には亀城公園へ、石岡の場合には総社宮へである。水戸の象徴的な場所は、水戸城跡と偕楽園である。城跡は駅前大通りのすぐ右手にある。従って、人の主たる流れは、象徴的な場所をすぐに通り過ぎて進むことになる。それゆえ、進む先は次第に正統性の薄いものになっていく。
 駅前から400mほど進むと二股になっており、右手方向に折れると県庁、やや左手方向には繁華街が続く。二股に分かれる交差点から大工町交差点にかけて、大規模小売店舗や銀行が並んでいる。従って、この大通り沿いを含め、それより右側を右地域とする。ただし、大通りを進むほど正統性の薄い地域になってくる。その意味で、左地域的な性格が強くなってくる。
 繁華街のピークは泉町一丁目にある大型小売店舗の伊勢甚である。図13に示すように、人の主たる流れは、そこで二手に分かれている。大通りをそのまま進む流れと、右に折れて京成百貨店に進む流れである。伊勢甚から京成百貨店への流れを軸にみると、泉町二丁目から大工町にかけては、左地域になる。この地域は明治期以来、歓楽街の伝統があり、非正統的な地域の性格をもってきたことも、街の流れをつくってきた背景になったのであろう。
 図14は、水戸中心街を右・左地域に区分したものである。左地域が複雑になっているのは、上述の理由からである。右・左地域を除いたところを奥地域とする。また、駅裏手を裏地域とする。
(図14)水戸中心街の右・左地区区分

 表6は、表3の分類に基づいて作成した店舗数である。そこでは左地域をさらに7区分して集計している。左地域の区分は水戸駅に近い方から番号をつけている。また、泉町からは駅前大通りを挟んで、両側を左地域とした。そこで、大通りからみて右側の地域の方が左側よりも正統性が少し高いという意味で、駅に近い番号をつけることにする。区分は、(1) 宮町(二)(三)、(2) 南町、(3) 泉町(一)、(4) 大通り右側の泉町(二)(三)・五軒町(二)、(5) 大通り右側の泉町(三)・大工町(一)・五軒町(三)・栄町(一)、(6) 大通り左側の泉町(三)・天王町・大工町(一)、(7) 大工町(二)である。
(表6)水戸中心街・地域別・業種別店舗数

7.中心街に多い業種・少ない業種
 表7は、中心街のうち範囲のはっきりしない奥・裏地域を除いて、右・左・中地域のみの合計を、各業種について集計した数字である。
 これから言えることは、第1に、中心街には飲食関係の店舗が多く、4割〜6割を占めている。その割合は、都市が大きくなるに従って、より多くなる。ただし、多くなるのはスナック類の飲み屋である。喰い物主体の店舗は全体の3割前後で、都市の大きさに関係ない。第2に、都市が大きくなるほど、中心街にはブティック・洋服・靴といった衣類関係の店が多くなる。その割合は、十数%前後である。第3に、都市が大きくなるにつれて、中心街には日常生活に密着した店舗の割合が少なくなる。例えば、パン屋・肉屋・魚屋・八百屋・米屋・酒屋・薬局・美容院等である。第4に、金融関係・娯楽関係の店舗の割合は、都市の大きさに関係ない。例えば、銀行・ホテル・カラオケ等である。

8.業種における立地の違い
 表4、5、6に基づき、中心街のどの地域に、どのような店舗が多くあるかみよう。

a)正統的な建物
 デパート等の大規模小売店舗や銀行は、ほとんどが右地域に立地している。シティーホテルは右地域と駅の裏地域に多い。旅館は右地域にもあるが、左地域と駅から離れた住宅街に近い奥地域に多い。街における正統的な存在は、立派で大きな建物のデパートやスーパーであり、それに銀行が彩りを添える。立派なシティーホテルも街の正統的な建物であるが、宿泊機能という性格から、一歩身を引いたところに立地していることが多い。とくに、レストランや待ち合わせスペースに乏しいようなシティーホテルは、駅から少し離れた場所や、駅の裏手にある。

b)衣類関係
 ブティック、洋服、靴等の衣類関係は、その6〜8割が右地域にある。とくに大きな都市になるほど、右地域に多くなる。街の中で正統的な地位を占める業種であり、都市が大きくなるに従って全体に占める店舗数の割合も多くなるので、右地域に立地する割合が多くなるのであろう。

c)娯楽産業
 映画館、カラオケ、ゲームセンター等は比較的多く右地域にある。若者を狙った娯楽産業は、明るい正統的な地域に配置されていると思われる。

d)食料品・日用品・美容院関係
 肉屋、魚屋、八百屋、薬局、文具、電器店、美容院、理髪店等は右地域に多いが、他の地域にもまんべんなくある。酒屋、米屋、コンビニは奥地域という住宅街に多くある。生活に密着する業種は住居近くにあるのが普通である。ただし、買い物街にも立地している。それゆえ、右地域にもある。パン屋は明るいイメージを必要とする業種であると思われるので、右地域に多い。

e)飲食・性産業関係
 高級な洋風レストラン、ファーストフード店は右地域と裏地域にある。これはシティーホテルの立地と似ている。うどん・そば、とんかつ店、食堂、レストラン等の喰物屋や、喫茶店は右地域に多い。居酒屋は左地域に立地することが多くなる。和風高級料理店は、居酒屋よりもさらに大きな割合が左地域に立地している。これは旅館の立地に似ている。飲食店、小料理屋、中華、焼き肉等は左地域に多くある。スナックは圧倒的に左地域に多い。ソープランドは左地域にしかない。ラブホテルは左地域に多くある。しかし、地方都市においては、大多数は中心街から離れた国道沿いの方にある。
 飲食関係の業種は、列挙した順に右地域に多くあるものから、左地域に多くあるものへ変化していく。また、街の中における正統性は列挙した順に低くなる。それに従って、左地域の駅に近い場所から、次第に遠い場所に立地する割合が多くなる。ソープランドが街の場末をつくる。その地域を過ぎてスナックが少しあり、歓楽街は終わる。その先は住宅街になっている。
(表7)中心街(左右中地区のみ)の業種別店舗数とその比率

9.右地域と左地域の違い
 3都市の中心街に立地する店舗のデータから、上述のような結果を見ることができた。右地域には、大規模小売店舗や銀行という街における正統的な建物が立地している。シティーホテルも右地域に多い。同じ宿泊機能でも、旅館は左地域に多くなる。これは、同じ高級料理店であるフランス料理・イタリア料理と、料亭・割烹との関係に類似している。シティーホテルがしばしばレストラン機能や待ち合わせ機能をもつのは、右地域に立地していることと相関があると思われる。
 食料品や日用品のように普段の生活で頻繁に購入するものは、住居近くに立地するのが自然である。それに対し、衣類関係のように、ときどき購入するようなものは、住居近くではなく中心街に多く立地する。それも、買い物街をなす右地域に多い。もうひとつ、中心街に多く立地しているのは飲食関係である。単身者はともかく、外食は家で普段する食事に代わるものなので、家から離れたところに立地することになる。
 飲食の場合には、その形態によって、中心街における立地が異なってくる。高級な洋風レストランで食事をとることは、よそ行きの気持ちでハレの行為でもあり、正統性が強い。それゆえ、左地域ではなく右地域になる。実際には裏地域にも多い。うどん・そば、とんかつ等のように、値段が手頃で比較的頻繁に食べるものは、ある意味ではルーチン化された外食である。このような店はどのようなところにも立地するが、買い物街の近くであれば、より便利である。そこで、右地域に比較的多い。
 酒が入り、やすらぎを求めるような飲食の場合には、左地域に多くなる。ただし、居酒屋のように値段が手頃で頻繁に行くことができ、やや喧噪な場合には、左地域に立地する割合は多くなるが、右地域にも立地する。それに対し、小料理屋のように、やや値段が高く、それなりの雰囲気をもつ場合には、左地域での立地が多くなる。
 飲むことが主体のスナック・バー・クラブは、やすらぎを求めることが主たる目的になるので、圧倒的に左地域での立地が多くなる。性産業は、秘められたところであり、心理的に落ちつく左地域の一番奥になる。
 割烹・料亭は高級感があり、ある意味で正統性があるにも関わらず、左地域に多くある。それは、洋風レストランとは違い、よそ行きの気持ちというよりは、落ちついた雰囲気を味わえるからかもしれない。もし、飲食・性産業関係だけでまとまった地域を作り、右・左地域に分かれるならば、割烹・料亭はたぶん右地域に立地するようになるであろう。
 右地域に立地するか、左地域に立地するかは、その地域の中における正統性の位置づけに影響される。それゆえ、例えば歓楽街のみから成り立っている街であるならば、それが正統であるので、通常は左地域に立地する店舗も、右地域に立地するようになりうる。
 本稿で主張したいことは、「歓楽街は、街における人の主たる流れの左方向にできやすい」ということである。3都市のデータからは、これが言える。3都市のデータだけでは統計的検証には少なすぎるが、さらにデータを集積すれば、より確実に言うことができるであろう。

〔X〕まとめ


1.都市の空間配置
 人が通常歩く程度の広さの空間であれば、人の感覚が反映されるということをみてきた。ここでの意味は、人の計画することが反映されるということではない。多くの人々が無意識のうちに行う結果が集積されて、街の左右地域における性格の違いがもたらされている。それでは、歩く範囲を超える広い空間では、どのような原理が働くのであろうか。地理的な条件が大きく作用することは容易に想像できる。もちろん、街においても地理的条件は作用しているが、人の感覚も反映されるということである。
 広い空間では、地理的条件のみが作用するということを前提に、鈴木(1998)は、日本の都市の配置について次のことを示した。人口100万人以上の大規模都市は、日本列島を線に見立てて配置されており、それ以下の中小・零細都市は、それぞれの地域を面に見立てて配置されている。
 これを計量的に検証するために、中心地理論をモデルとして用いている。中心地の階層的配置が一次元になされる場合(LL式)と、二次元になされる場合(L式)とで、都市人口Sと都市人口の大きさの順位Nとの関係は、次のようになる。ただし、階層Rに属する都市の人口をSとし、その間にベキ乗則を仮定している。
  (LL式) log(S) = α - βlog(log(N+1))
  (L式) log(S) = α - βlog(N)
 1995年の市部データを用いて回帰したときに得られた情報量基準から、大規模都市ではLL式の適合度がよく、中小・零細都市ではL式の適合度がよかった。それゆえ、上述した結論を導いた。
 日本列島を線に見立てるということは、かなりマクロ的な視野である。例えば、地球の外から見ているような場合である。それに対し、歩ける程度の範囲というのは、ミクロな視野である。ミクロな範囲では人の感覚が反映される。マクロな範囲では完全に地理的な条件が作用する。その中間の視野、例えば、自動車で移動することが通常であるような広さでは、どのような原理が作用するであろうか。アメリカの都市は歩ける範囲を超えた広さである。そのような広さに働く原理は何か、ということが次の課題である。

2.都市計画のあり方
 河合・中村(1993)は、箱庭療法と都市論との関係について対談している。まず、ブラジルの首都であるブラジリアという人工都市の例をだし、つくってはみたが住む人がいなくて、郊外にあるバラックのようなところに住んでいる、という。都市とか街で重要なのは、そこに住んでいる人の「住み心地」の問題である。都市というのは人間の棲み家である。個々の家も一つの棲み家であるが、家を一歩出てからの街も、われわれの棲み家になっている。従って、街全体が一つの世界として、有機的な仕組みになっていることが、ものをいう。
 盛り場の猥雑さを含んだ街に、どうしてわれわれが惹かれるのか、と二人は対談する。計画された都市は、街路はきれいだが、なぜ、あまり親しみが感じられないのか。そうしたことの問題が、凝縮した形で箱庭に現れている。箱庭療法というのは、都市論の問題とつながっている。都市を成り立たせる本質的要素として、明るい部分と暗い部分、聖なる部分と俗なる部分、清い部分と汚れた部分があり、おのずからまとまってセットされている。
 従来のわれわれには、西洋的な「主体」あるいは「自我」が強調されてきた。そのさい、どんな場所においても成り立つものとして、均質的な空間が前提にされてきた。そこから、歴史的な時間の中で、主体を考えようとしてきた。しかし、近年は、それぞれの文化の固有な特徴をもって国際社会に対応することが、普遍的であり、国際性をもっているとみなされるようになってきた。従来の都市計画においても、「場所」という空間を均質的なものとしてとらえてきた。しかし、それは生きられる空間ではなく、ひとつの捨象された抽象的なものにしかすぎない。非均質的な空間としてのとらえ直しが、現代哲学の問題になっている。「歴史」に対して「構造」が、「時間論」に対して「場所論」が問題になってきた。
 両者の対談の主旨は以上のようである。箱庭療法と街の類似性については、本稿で論じてきた。街には人の感覚が反映される。多くの人々が無意識のうちに行う結果の集積には、箱庭療法におけるクライエントの感覚と同じものがある。それゆえ、暗い部分や汚い部分を除くような倫理観に基づく都市計画には、人の本性から離れる部分がある。人の本性のすべてを含めて、街ができている。

〔注〕

  1. カルフ(1972)。
  2. 河合隼雄(1969)。
  3. 岡田康伸(1984) 143ページ。
  4. 右か左かの表現は、どこから見るかで正反対になってしまう。本稿では、できる限り、 対象になっている人・ものの立場から記述する。肖像画であれば、描かれる人から見て 右か左かで表現する。
  5. 中森他(1981) 45ページ。
  6. 加藤(1997)には「左向き」と書いてあるが、これは描く人からみての方向であり、こ こでは描かれる人からみて表現しているので、「右向き左側面」のプロフィールである。
  7. 中森他(1981) 191ページ。
  8. この項の左右に関するヨーロッパ語および熟語の意味は内林(1998)による。
  9. 本稿で用いている地図は昭文社製に手を加えたものである。

〔参考文献〕