「宇都宮の街」



 8月、旧盆の休みの日、宇都宮に行った。比較的近いところにあるのに、今まで一度も降りたことがなかった。仙台からの帰りに寄ってみた。何かのついででないと、とりたてて来る用事がない。午後1時半、雨で夏とは思えないほどの涼しさだ。関東地方は豪雨だと仙台では聞いていたが、小降りになっていた。旅行に出ると、いつものように昼は遅い。腹が空いていた。宇都宮といえば餃子。最近ではそのようになっているらしい。駅の観光案内で餃子店の地図をもらった。それを読んでも、どこがうまいかは書いていない。みんなうまいのだ。女性の案内係に訊ねた。「お好みですから」としか答えない。ぼくが訊いたのは、「最初に始めた店はどこか」だった。もう一度訊ねると、「それなら、みんみん本店です」と明快な答。そうか、そこに行ってみよう。

餃子店の地図:出典『宇都宮餃子』宇都宮餃子会発行)

 JR宇都宮駅を出て大通りを少し行くと田川にかかる宮の橋にきた。ここまでが200m。地図をみると、みんみん本店まではかなりある。たぶん1km。早足で歩く。小雨にはなっているが、歩道にたまった雨水がはねて、靴先がじめじめした感じだ。パルコの手前の路地を右にはいると行列ができていた。「正嗣」という餃子店である。ここもうまいのか。でも、ここは創業の店で食べよう。路地を抜けたところに別の行列ができていた。たぶん、みんみん本店の行列だろう。確かにそうだった。行列は正嗣の2倍以上あった。午後2時。昼食時は過ぎている。いくら休みの日だからといって、この時間にこんなに並ぶなよ。これだと1時間待ちだな。とくに餃子を食べたいから来ているのではない。街の様子を知ることが目的だ。それなら一度は並んでみても、いろいろ参考になるだろう。

(写真:餃子みんみん本店




(出典『宇都宮街歩きGUIDE』宇都宮コンベンション協会発行)


 待っている時間に、もらった市内地図をみた。JR宇都宮駅と東武宇都宮駅がかなり離れている。たぶん1.5km以上。二つの駅に挟まれて、東武駅寄りの下の方(南の方)に宇都宮城跡公園(御本丸公園)がある。和歌山の街と同じ構造をしている。右にJR和歌山駅があり、左に和歌山市駅がある。それに挟まれて市駅寄りの南の方に和歌山城があった。街を理解するまでにかなりの時間がかかった。宇都宮もそうか。ちなみに和歌山市の人口は39万人、宇都宮市は44万人である。2時間くらい歩かないと、街は理解できないかもしれない。

 みんみんの餃子はたぶん期待できる。札幌ラーメンも仙台の牛タンも工夫のたまものである。札幌ラーメンの元祖は「味の三平」。大宮守人が昭和30年代に味噌ラーメンを創作した。その過程で、スープ、麺、もやし等にいろいろな工夫をしている。牛タンも同様である。「味太助」の佐野啓四郎が昭和20年代に創作した。どちらも平凡な食べ物に創意工夫を重ねて、庶民的だが非凡な食べ物に変えた。それが人々の舌を引きつけている。現在、味の三平は代替わりし、ビルの中で長男が取り仕切っている。普通は30分待ちだ。でも、われわれが想像する味噌ラーメンの味とは違う。タンメンみたいだ。時代とともに味を変えていってもよい。旨くなるなら。味の三平は威張っている上に、味もそれほどではない。評判にあぐらをかいているからか。10年前、評判の「純連」に行った。45分待って食べたラーメンのスープは上品なフランス料理のようなコクがあった。昨年、ゼミ合宿で学生を連れて行った。以前の小さくみすぼらしい店ではなく、場所も表通りに出て新しくなっていた。その代わり、味は平凡になっていた。牛タン太助には3年前に行った。それほど並ばなかった。旨かったが、ラーメンほどは人気がないのか、あるいは、倍の値段がするので毎日は食べられないのか。それほど並んでない理由はわからなかった。

 45分待って店内に入れた。小雨だから待てた。次回は晴れていても待たないだろう。一度食べれば味は覚えているので、二度目は無理をしない。小柄で小太りの小母さんが注文をとっていた。忙しいけれど人なつこい。店も立派ではない。まだ創業期の活気があるのだろう。だから味は期待できる。焼き餃子、水餃子、揚げ餃子どれも220円である。値段は1皿か、まさか1個ではないだろう。6個1皿だった。安い。3種類頼んでみた。やっぱり焼き餃子が旨い。焼き方がいい。味は淡泊だ。どこに特徴があるのかと思うほど、クセがない。でも、これなら亀戸餃子の方が旨いかもしれない。クセがないのが評判を呼んでいるのか。それにしても来ているのは、ぼくと同じ観光客だろう。とすれば、単に評判がいいから来ているのか。どうして評判になったのか考えてみた。安いのと宣伝かなと思う。味に工夫があるというほどのことはないからだ。こんなのでも評判になれば、全国から人が詰めかけてくる。街作りのヒントにはなる。

 みんみんを出てから二荒山神社の階段を上った。ここから1kmほど南の位置に宇都宮城があった。和歌山の例からすると、この南下する通りがシンボルとしての表通りかも。店舗も並んでいて期待に応えている気もする。でもここは、駅前大通りを東武駅の方に向かおう。「来らっせ」で別の市内地図をピックアップしてから歩き始めた。その地図がこのホームページに掲載したものである。西武デパートを過ぎて数百メートル歩くと、右手に丸治ホテルがあった。そこを左折すると東武百貨店があり、その中に東武宇都宮駅がある。

宇都宮繁華街の位置:『ゼンリン電子地図帳』を加工)
赤矢印は主たる人の流れ。黄はスナック軒数。ピンクはソープ軒数)

 東武百貨店から出てオリオン通りを行くのが、主たる人の流れだと直感できた。オリオン通りはアーケードになっていて、一番の買い物街をなしていた。アーケードを歩き始めてすぐ左手の路地に「姫」という看板が気になった。たぶんソープであろう。細い路地を入ると、店は潰れていた。すぐに裏道に出た。ソープが数軒並んでいた。スナック、バーの類もあった。ここが宇都宮のいかがわしい地区か。それもほんのワンブロックしかなかった。オリオン通りに戻り、流れに従って歩いた。やがて「みはし通り」に来た。ここは二荒山神社から宇都宮城趾に向かう道のところである。シンボルの通りかなと予想していたので、城趾に向かって歩いてみた。すぐのところに幅の狭い釜川が流れている。都会にしては水流が早いので感激した。釜川を過ぎると、住宅街になった。シンボルの通りではなさそうだ。街にあった城下町の地図をみると、神社から釜川までしか道はなく、その先は城内になっている。昔の街道は、「街歩きGUIDE」で説明すると、左手から大通りを歩いてきて、西武デパートのところを右折して鉄砲町通りに入り、すぐに左折してオリオン通りから日野町通り、今小路通り、大町通り、上河原通りを抜けて奥州方面に至る。どおりで、シンボルと思った通りは違っていた。

(写真:宇都宮城下町 出典:街に張ってある看板から)

 城趾まで歩いてみた。突き当たりが城趾のはずなのだが、工事現場の塀で囲ってあって、中を覗いても何の変哲もない。説明もないので、すぐ右手にある市役所に行った。とりたてて情報もなかった。5時を過ぎていた。JR宇都宮駅の周辺をみてから帰京しよう。たぶん結論は和歌山の街のようではなく、東武宇都宮駅を中心にした街が主で、オリオン通りが主たる人の流れ、その左の池上町、江野町が歓楽街というところだろう。JR駅の方には小さな歓楽街があるはずだ。それぞれ別々の街ということか。田川にかかる宮の橋より一つ下流の旭橋にきた。橋を渡ると右手にヌード劇場があった。それ以外はスナックもなく、住宅地になっていた。JR駅から出て左手にあたる「駅前通」にスナックが十数軒あった。これでぼくは満足。歓楽街は主たる流れの左方向にあるという理論を宇都宮の街でも裏づけることができたから。

 新幹線を待ちながら、「来らっせ」でもらった市内地図をみていた。右下に小さく、「泉町通り:アフター5の大人の憩いのスポットと言えばココ」と書いてあった。泉町通りは見損なった。まさか大通りの向こう、丸治ホテルの裏手に歓楽街があるとは気づかなかった。帰宅してから、スナック・バーの店舗数を調べてみて、それを再確認した。それが「宇都宮繁華街の位置」である。もうひとつ。城趾は工事塀で囲んであって何の説明もないと思っていたが、詳しい地図で調べると、工事塀のさらに左奥にある清明館のところだとわかった。歩いていたときに参考にしていた地図はここには掲載していないが、工事塀のところがそうだと誤解させた。