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法政大学大学院 環境マネジメント研究科

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2005年度修士論文要約

開発援助における国際NGOの役割とソーシャルキャピタル
−オイスカのフィリピンにおける森林再生事業を事例として−

篠崎 慶子
1. はじめに
 (1) 研究目的
 (2) デベロップメントとは何か
 (3) 国際NGOの援助活動
 (4) ソーシャルキャピタルの定義
 (5) 援助とソーシャルキャピタル
2. 第二次大戦後のフィリピンの森林破壊
 (1) 森林破壊の経緯
 (2) 戦後の森林政策
 (3) まとめ
3. 国際NGOの森林再生プロジェクト 
 (1) 森林再生プロジェクトの概要
 (2) 植林活動と技術
 (3) プロジェクト効果
4. 植林について住民への意識調査
 (1) 調査目的と方法
 (2) 調査結果
 (3) 調査結果の考察
5. ソーシャルキャピタル観点からの事例分析と考察
 (1) 人材育成
 (2) 援助理念とアプローチ
 (3) 人口増加と森林破壊
 (4) ソーシャルキャピタルの有用性と国際NGOの役割
6. 論文のまとめと結論
本稿では、多くの途上国で起こっている森林破壊を憂慮し、国際NGOの視点から有効な援助策を考察する。また、援助効果を高める要因として、ソーシャルキャピタル(Social Capital,以下SC)という概念に着目し、援助に活用する可能性について論ずる。

第1章では、Developmentの定義と国際NGOの役割、そしてSCのはたらきについて述べる。Developmentの意味する「望ましい変化」は、ドナーと被援助国の間には乖離があり、双方にとって望ましいかたちは困難である。しかし、少なくとも先進国が経験した負の側面(公害による環境破壊、伝統社会の崩壊など)を回避すべきであること、地域の特性(資源・技術・人材など)と住民のインセンティブをうまく適合させていくことは重要である。ミクロレベルのDevelopmentとは、自らの生き方を選択する自由が与えられていることであり、ドナーの役割はそのような選択が社会的弱者にも可能である状況をつくりだすことにある。国際NGOの特質である「中立的で公正な視点と判断を保つこと」は、貧しい人々の「自由の拡大」に貢献するうえで重要な要素である。一方で途上国の開発においては行政の果たす役割はいまだ大きく、援助協力には政府との協調が不可欠である。ゆえに国際NGOは政府と援助目標を共有しつつも、政府とは異なる立場で活動することにその存在意義がある。世界銀行と社会学者J. Colemanの解釈によるとSCとは、社会的ネットワークや制度、またその中で共有される規範、価値観、信頼などを指す。個人の内部あるいは個人の間に生じる「関係」という構造に属し、無形の資本と考えられる。概念としては様ざまな個人・組織を「結ぶもの(Glue)」であり、それによって「社会の結束(Social Cohesion)」が形成される。また、その在り方が経済成長および社会福利に大きな影響を与えると考えられる。本稿でも事例研究を通じて、SCの森林環境および農村社会に与える影響を考察する。

第2章では、フィリピンの戦後の森林破壊の経過と政策について述べる。フィリピンの森林破壊は、財源確保のための原生林伐採が独立直後から始まり、ピークは1960年?70年代半ばで、主に日本向けの丸太輸出であった。現在も減少を続けており1990年代の年間平均森林消失面積は、およそシンガポールの国土面積の2倍に相当する13万haにも及んだ。過剰な商業伐採と違法伐採の末、耕地・牧場への転換を経て、現在では人口増加による住居や耕地への転換が、森林破壊の主な原因の一つとして懸念されている。日本も含め海外からの援助により、政府主導の大規模造林プロジェクトも実施されたが、造林地に居住する住民からの支持が得られず達成は困難であった。住民の植林に対するインセンティブが低ければ、森林再生も実現できないことが明示された例である。そのような背景から1980年代以降、統合的社会林業政策(ISFP)やコミュニティーを基盤とする森林管理(CBFM)など、地域住民の主体性と福祉を念頭に置いた政策に移行していく。しかし森林減少の進行を抑止するには至らず、期待されている成果はあがっていない。

第3章では、フィリピン国ミンダナオ島での国際NGOオイスカの援助活動を事例研究としてとりあげる。筆者は2004年の夏に5週間現地で調査を行い、森林再生事業の成果や人材育成システム等を観察した。約120haの森林再生事業は、オイスカ職員の呼びかけで始まった地方政府との合同事業である。オイスカの目的は森林再生であるが、政府にとっては食料増産の方が優先すべき課題であった。双方の希望を満たすため、植林活動と共に農林業研修センターを運営することとなったが、注目すべきはこれら当初の目標だけでなく、様々な波及効果を生み出したことである。必要なインフラ整備が行なわれたことにより、人口が増え集落が形成された。環境面でも森林の回復で林地内の川の水量は増加し、乾期の水不足も緩和された。在来種の草木や生物多様性の回復も観察されている。森林から採集された林産物を利用した手工芸品の生産により、経済効果も生まれた。また農林業研修センターは、オイスカの活動を理解し協働する人材を育成した。植林活動は、植林の機会だけでなく日比双方の人々にとって親交を深める機会となった。現在オイスカの植林活動の核であるCFPは、フィリピンから発生し世界に波及している。その背景には、住民との信頼関係やネットワークづくりなどのSC構築に貢献しているフィリピン人研修生とそのOBの存在が大きい。

第4章では、オイスカの活動範囲内にある3地域で実施した「植林についての意識調査」の結果を分析する。村人の平均年収は5000ペソ(約一万円)が半数以上を占め、生活水準としては1日1ドル以下基準の貧困下にあるが、一般的な貧困のイメージとはギャップが存在した。現金収入は少なくても、自給自足と相互扶助の農村社会がいまだ健在である。また、植林価値についての質問では、97%の住民が自然環境に高い価値を置いており、オイスカの長年にわたる活動が、住民の価値観に影響を及ぼしていることが伺える。個人レベルの植林動機に関しては、建材としての活用が最も多く、その背景には木材の売買に関する規則の煩雑さがある。また、借地住民は必然的に植林に対するインセンティブも低い。人気の高い植林樹種は、マホガニー、ジェミリーナ、マンギューム等である。肥沃でない土壌でも育てやすく生長が早い、市場価格が高いことが好まれる主な理由である。森林政策の中核となるCBFMへの住民の認識度は驚くほど低く、正確な情報を有していたのは128世帯中2世帯に留まった。海外援助については、大多数が肯定的に受け止めているが、少数の否定的意見もみられた。それらの批判は、外国人としてよその国の開発に関わる姿勢を問うものであり、「強者が弱者のために行なう援助」からの真の脱却を示唆するものである。

第5章では、事例研究におけるSC構築の要因について分析する。オイスカの人材育成システムは、現地での技能習得だけでなく日本での研修機会を設け、研修生に高いインセンティブを与えるものである。また援助理念もドナーの価値観や手法を「押し付けない」ことに独自性があり、住民の内発的発展を促す長期決戦型である。それゆえフィリピン人の気質と風土に調和し、多くが持続的な活動に結びついている。また、人口増加と森林破壊の相関性と、その解決に向けてSCの有効性について述べる。森林破壊においては、人口増自体が問題なのではなく、人々の価値観や規範・慣習など地域のSCが決定要因となる。自然を尊ぶ伝統をもつ地域では、多少の人口増加で急激な森林破壊が起こる可能性は低い。しかし、これらのSCは既存のものであり、意図的に形成しようとしても長い時間を要する上、成功するとは限らない。オイスカの事例においても、長期にわたる農林業研修センター運営やCFP活動等が、地域固有のSCと効果的に融合した結果と評価される。このような既存のSCと援助アプローチとの親和性は成功に不可欠な要因であり、「土地と人々とのあいだに育つ」開発のあり方が望まれる。他方、援助の促進役としてSCを肯定的にとらえてきたが、経済発展とは負の相関性があることも事実である。SCは人間の関係に属する性質のため、他者に多く依存するほどSCは高くなる。従って富裕になり、相互扶助や分かち合いの必要性が弱まると、次第に低SC社会、即ち今日の先進国社会にみられる個人主義社会へ移行する(Coleman,1990)。これが果たして望ましい社会のあり方なのかは疑問である。SCを開発の促進要因として単純に評価するのではなく、相互扶助や分かち合いの精神が、経済的豊かさと共存する社会を実現する方向が望ましいと考える。

第6章では、論文のまとめと結論を述べる。森林環境の保全と人間の共生という大きな課題に向かい、土地や民族が異なっても援助のあり方の土台は以下の3つを共通理念とする。
1)地域のSCである「伝統と価値観」を尊重したアプローチを行なう。
2)特定の国家?民族の視点に捕われない中立的で公正な判断をする。
3)ドナーの立場を超え、援助の対象となる人々に学び協働する。

筆者はソーシャルキャピタルの有効性を考察したことで、他者を信頼することや価値観を共有することが、自然環境とも相関することを認識した。経済成長を希求する途上国の人々を支援できるとすれば、相互扶助の精神を始めとする貴重なSCの存在に留意し、なるべく損なわない試みをしたいと考える。宗教・民族紛争が頻発し、異なる価値観をもつ集団の対立が深まりつつある中で、国家や民族から独立し利他性を重んずる国際NGOの存在意義と果たしうる役割は大きい。また開発援助へ関わる理念として、経済価値や権力ではない「地球というコミュニティーにどれくらい貢献できるか」を基準にして行動していきたい。
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東ティモールの開発とコミュニティの変容
−国際NGO活動の事例研究−

西野 隆司
1.東ティモールのミクロ事例研究
(1) 目的
(2) 東ティモールの概況
(3) 歴史概況
(4) 経済概況
(5) 産業
(6) 医療・公衆衛生
(7) 環境
2.分析の方法
(1) 仮説と検証
(2) 社会的変容への視点
(3) 量から質への視点
(4) ソーシャル・キャピタルとコモンズの視点
(5) 評価の視点
3.NGO活動の事例
(1) 団体について
(2) 活動地域と現状
(3) 水道案件事例
4.共同体と慣習法
(1) 伝統的集団の構造分析
(2) 地縁・血縁
(3) 宗教の役割 アミニズムとカトリック
(4) 通過儀礼 ハレとケ
(5) 慣習法 タラバンドゥ
5.変容の分析
(1) アイデンティティの変化
(2) スポイル
(3) 共同体存続の危機
(4) 持続性への疑問
(5) 経済の崩壊
6.むすび
本論文は、筆者が東ティモールに対する非政府援助活動の一環として1994年より参加してきた「育英海外ボランティア(Ikuei Overseas Volunteers)」の援助案件事例を中心としつつ、国連、日本政府およびその他諸国が行ってきた援助事例も含めて、国際協力活動に関する援助に関する教訓の抽出・体系化を行うことを目的としている。

東ティモールの歴史をみると、16世紀前半からのポルトガルによる支配、第2次世界大戦時の日本の支配、戦後のインドネシアの支配・併合を経て、1999年には自治権を問う直接人民投票が行われ、2002年に独立するまで実に450年以上の月日を要した。とくに1999年の東ティモールの自治権を巡る国連ティモール・ミッションを経て、2000年にはインドネシア国軍が完全撤退し、同年東ティモール暫定政権が樹立され、2002年には国民投票による大統領選挙が実施され国連から自治権を引き継ぐ形で東ティモール共和国が独立した。この間、東ティモールの治安維持を目的とする多国籍軍による国連暫定統治下において、それまでは実施され得なかった国際社会からの援助や開発が行われるようになった。

このように、インドネシアからの弾圧から開放され、自らの国を統治することによってそれまでの厳しい状況が好転することが期待された。しかし、当初予想された東ティモールの状況は必ずしも好転せず、開発プロジェクトの投入に疑問を感じざるを得ない状況が生じたのである。

このような状況となっている東ティモールの社会を見ると、東ティモールの人口の95%の人々は農業を生業としており、その社会構造は、島東部山間地帯のカカベン村を例にすると、個々の家は10人程度で構成されており3世代が同居しているのは珍しいことではない。いくつかの家が小さなグループを作り畑仕事や土地の権利を共有しており、その小さなグループはさらに村全体に属しており、村全体の入会権、水資源などを取り決めている。村長は世襲制で村人とは地主・小作の関係にある。村長は時にはシャーマンの役割を果たすとともに、カトリック教会のカテキスト(伝道師)の役割を果たす例も多い。また東ティモールの人々には、血縁・地縁の強い繋がりがみられる。人口の99.1%に人がキリスト教徒であるが、元来アミニズムが信仰され現在もその片鱗を数多く目にすることができる。場合によっては、カトリック信仰よりも優先していることが確認できる。また地縁・血縁を考えるうえで結婚や葬儀などの伝統的通過儀礼やタラバンドゥと呼ばれる村ごとの慣習法が重要な役割を果たしており、伝統的な社会構造が基盤となっている。

以上のような背景のもとで、育英海外ボランティアは、育英工業高等専門学校(現在、サレジオ工業高等専門学校)の有志がベトナムでの技術協力活動を経て、1988年に東ティモールに入国して以来、「現地のニーズに応え共に活動する」という方針に基づきボランティア活動を続けている。その活動地域は東ティモールでもとくに貧困地域であるバウカウ県から東部ラウテム県を中心としている。主な活動として、これまで30か所以上に飲料水の供給施設の設置を行ってきた。これらの水道案件を、DAC(OECDの開発援助委員会)で提唱された次に掲げる5項目に沿って評価すると、@妥当性(十分な予備調査に基づき、水へのアクセスが悪い地域の選択が行われており、妥当性の高いプロジェクトである)、A有効性(これまで水を確保するために必要であった子供たちの作業負担の大幅な軽減、飲料水以外への水の利用の拡大、公衆衛生の向上など数々のメリットがある)、B効率性(教員、学生ボランティア、受益がおよぶ村民の協力によって実施されており、費用的には材料費のみによって実施することができる)、Cインパクト(労働から解放された子供たちが学校に通うことができるようになることのプラスのインパクトが大きいが、マイナスのインパクトとしては子供たちが水汲労働者として得ていた現金収入の途が閉ざされることがある)、D持続性・自立発展性(村ごとに決められた慣習法タラバンドゥに基づき、浄水事業を行うことにより事業の継続性を保つこと)などの効果があり、全体として社会的には高い評価が与えられるプロジェクトであると判断される。

このようなプロジェクト実施にあたり、インドネシア時代には、ティモール人にとってインドネシアの支配への反発から、お互いの協力体制や相互扶助の意識が醸成され、共同体としての絆が強く、上水道プロジェクトは遂行されてきた。しかし、独立移行期間にこれまで経験したことがなかった2つの阻害事件が起こった。1つは、1999年以前には水源地の供給を承諾してきた所有者に水の利用が断られることが発生するようになったこと、2つ目にはプロジェクト進行中に村人が労働力の対価として金銭を要求するようになったことである。

この上水道プロジェクトにみられるように、援助と開発は一定の効果をもたらすことを目標としているが、プロジェクトが社会に受け入れられる課程で供与する側が予測した効果以外に意図されなかったマイナスのインパクトが生ずることがある。とくにプロジェクトに投入によって援助される側の集団の行動が変化したり、人間関係が変化するといった社会の変容を起こす場合、それらの変化を事前に数値化などの方法で知ることはきわめて困難である。

とくに国連等による援助の「ばらまき」によってこれまで不要であった報酬や必要度が相対的に低い対象層にも物資の配給が行われるようになった結果、その他の社会的プロジェクトに関しても安易に対価を要求するようになったことがマイナスのインパクトとして上げられる。

これらの背景には、これまで存在してきたソーシャル・キャピタルが浸食され、共同体としての能力が大幅に低下したこと、第2には現金収入を求めて首都に人口が流出する問題が発生したことなどが指摘される。  十分な事前調査を行わず、失敗に終わる援助案件が増加するなか、ローカルNGOにそのメインテナンスを依存する際には、NGO自体の持続可能性も考慮に入れる必要が生じている。国連ミッション、援助ラッシュによって一時的に潤った経済も山間部では現金ではなく物々交換に戻った例も見られるなど、活況も持続性に欠けている。

以上のように新しい国づくりに向けて状況の好転を旗印に行った数々のミッションも、東ティモールの社会の変容をもたらし、ソーシャル・キャピタルを浸食してしまい、開発効果全体を減少させてしまったといえる。社会の変容という視点から、Arun Agrawal (1997) “Community in Conservation,” paper prepared for the Ford Foundation and the Conservation and Development Forum, University of Florida, Gainesville による伝統的集団と近代的集団との対比で考えると、地位、カリスマ、宗教、第1次産業、未開発および現状維持というキーワードに代表される伝統的集団と、平等、信頼関係、科学、産業構造変化、開発、変革というキーワードに代表される近代的集団との間で、東ティモール社会は揺らいでいると捉えることができる。そもそも伝統的集団から近代的集団への移行は長い年月を要することである。これらの揺らぎの原因は東ティモールでは人々に内在しているものと外部からもたらされたものの2つの原因があるが、その変化は急速で伝統的な社会のいたるところで問題が発生している。

打ち上げ花火のような一時的な開発援助プロジェクトではなく、地域の状況をしっかりと把握し息の長いプロジェクトを実施することができれば、社会を徒に壊さずに高い効果が得られるのではないかと思われる。その意味で、国際社会は、東ティモールでの失敗と成功を直視し、これからの開発援助にどのように活かすかということが問われている。
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日本社会の「対難民観」を、メディアを通して分析し、
その果たすべき役割と課題を探る

小梶 さとみ
1.はじめに
2.難民問題における国際社会と日本社会の実態の相違
3.日本社会と難民問題に関する歴史的概観
(1) ロシア難民と日本社会
(2) ユダヤ難民と日本社会
4.インドシナ難民発生と日本社会の難民対応
5.メディアの果たしてきた役割
6.メディアの果たすべき役割
7.おわりに
現在、世界中には2000万人の難民が存在する。新聞、テレビ、インターネットを通じ、日々刻々と我々に届けられる紛争、内戦、飢餓、貧困、自然災害のニュース。世界各地で起こるこうしたニュースの背後に存在する2000万人もの移動を強いられた人々が難民である。先祖代代受け継がれてきた土地、住み慣れたコミュニティーから移動を余儀無くされた彼らは、自分の命を、家族の命を守り救うため、安全を確保する方法がない土地を離れざるを得ない。

我々日本人は、世界中に存在する移動を余儀無くされた人々をどの程度理解し、日本社会として、この問題にどのように取り組むべきだと考えているのであろうか。

1人々の強制移動は現在に限ったことではないが、昨今の強制移動がこれまでのそれと性格を異にしているのは、そこに絡む時間・規模、そして移動を取り巻く背景がますます複雑になっていることである。

90年代は、900万人が移動を強いられ、大量難民の時代となった。1991年12月のソビエト解体によって、民族間の争いや未解決の紛争が表面化し、おびただしい人口移動が始まった。グルジア紛争、タジキスタンの内戦、チェチェンの独立戦争である。1991年1月の湾岸戦争は、クルド人の大量流出を引き起こした。その後の6月、スロベニアとクロアチアが独立を宣言し、ユーゴスラビアが崩壊しはじめると、ヨーロッパで最悪の難民危機が発生した。

アフリカでは、民族間の武力紛争が繰り返され、何百万もの人々が住み慣れた土地を追放された。中東では、難民発生からすでに半世紀以上経過しているにもかかわらず、解決の糸口を見出すことができないまま、憎しみの応酬、憎悪の連鎖が続いている。  難民問題は、環境問題と同様に、地球規模の問題であるという認識が広まってきているが、問題の解決は、環境問題同様、簡単かつ明解に答えることはできない。現在、国連の諸機関、NGO諸機関との連携を強化するなど、事前対応型の対策が模索されているが、難民を発生させる主権国家に国連平和維持軍のようなものを派遣し内戦や紛争を予防したり、暫定的な統治を行ったり、主権国家に直接的に関与する正当な根拠はありうるのか、国際社会の合意形成はまだできていない。  このような大量難民発生の時代、欧米先進国は、難民受け入れにどう取り組んできているかというと、ドイツの34万人、オーストリアの8万人をはじめ、スウェーデンの6万人、スイス・オランダの2万人、フランス・イギリスの1万人規模の受け入れ実績がある。

アメリカは歴史的に、多数の難民を受け入れてきたが、1994年から96年までの3年間で36万5000人の難民を認定してきた。

では、日本はどうであろうか。1981年難民条約加入後、04年末までに3544人が難民申請をしたが、認められたのはわずか330人だけで、不認定の取り消しを求める訴訟が269件起こされている。世界的に難民が大発生した94年から97年までの4年間、難民認定数は毎年1件、2002年は11件である。ニュージーランドのような小さな島国でも毎年400名前後を受け入れている。このような難民認定数から見ても、日本の難民制度は厳格かつ閉鎖的であり、人権問題に冷淡と国際社会から批難されるのも当然である。

グローバリゼーションの時代における難民受け入れの問題は、日本の社会的柔軟性を計る試金石である。難民に対する社会的反応は、グローバリゼーションによってもたらされる変化への社会的態度の鏡として映るのである。世界第2の経済大国である日本は、難民受け入れに対して、島国であるとか、ヨーロッパやアフリカから遠いなどの地政学的理由を上げ、消極的対応を続けてきたが、もはや世界の中で例外はありえないし、国際社会において、日本も社会間そして人々の間のつながりを強め加速するプロセスから逃れることはできないのである。

日本社会の難民に対する意識・理解は、難民の発生原因、現状について乏しいのが現実であり、難民問題への対応の欠陥とその原因は、難民に対する理解が不十分なことである。政府・民間ともに直面する問題への予防策に追われ、NGOは質的にも、量的にもまだ弱体であり、その質的拡充と財政基盤の確立には一般国民の理解が必要である。

このような地球規模の問題である難民問題を、国際社会における負担分担の原則の下、平和・人権という立場から考える必要に迫られている今、日本社会は、その役割をどう果たすべきかを明確に示していかなければならない。「欧米先進諸国に比べ消極的な対難民観の原因はどこにあるのか?何が欠けているのか?なぜ消極的難民観から抜け出せないのか?」という点を、メディアを通して分析し、日本社会の消極的な対難民観の形成要因を探り、現状に対応可能な制度・理解・意識を発展させていく必要性を考えていくことが、この論文の目的である。

日本人の対難民観の在り様に影響をおよぼすメディアが、難民という人間集団をどう表象してきたかを整理、分析し、受け入れ国の経済、社会、政治にどんな影響をおよぼしているのか、何が争点となり、どのような法整備や政策が実施されているのかなど、「難民という問題群」を理解する上で、メディアの果たしてきた役割と果たすべき役割を検証し、難民問題における日本社会の国際的貢献を、単一民族社会であるとか、日本人体質論で捉えるのではなく、平和・人権という普遍的価値に基づいた立場から客観的に考え探っていくものである。
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発展途上国における「ポスト京都議定書」の準備に向けて
−住民参加型環境保全活動を通じ−

稗田 賢司
1. ポスト京都議定書における発展途上国への懸念
 (1) はじめに
 (2) ポスト京都議定書期における途上国が温室効果ガスの削減義務
 (3) ポスト京都議定書期での途上国民生部門における温室効果ガス排出抑制への懸念
 (4) 本論文の目的
2. 途上国における「ポスト京都議定書」民生部門対策としての制度や手法
 (1) 法律や条例などによる規制
 (2) 税などの枠組みによる経済的インセンティヴ
 (3) その他(サマータイム)
3. 参加型による環境保全活動、民生部門対策の重要性
 (1) 制度や規制をより効果的にするための「参加」
 (2) ソーシャルキャピタルの視点から
 (3) 参加型アプローチとは
4. 参加型により環境保全の効果をあげている事例の考察
 (1)事例を考察するにあたって
 事例1 バドウィータ地区
 事例2 ベルワダ地区
 事例3 ベトナム・ホーチミン
 (2)事例の考察と得られた示唆
 (3)まとめ
5. まとめと提言
京都議定書が発効したものの、米国の離脱とともに途上国の議定書への不参加が大きな欠落部分として指摘されている。途上国がポスト京都議定書において温室効果ガス削減義務を負った際、先進諸国と同様、民生部門での立ち遅れが出る、と懸念し、その対応策についてはどう対処すればよいかということについて問題意識を持つに至った。途上国の民生部門における温室効果ガス削減を着実に実行していくためには、どのような視点に立ち、具体的にどのような点を重視して行動を起こしていけばよいのかという点を論文のテーマに置き、考察には、参加型開発を軸とするとした。

参加型開発を考察していく前段で、途上国がポスト京都議定書において、温室効果ガス削減義務を負ったと仮定すると、法律や環境税などの経済的インセンティヴ、といった方策がスタンダードな対策として考えられる。しかしながら、規制や制度だけに頼り、環境保全対策を講じていこうとする従来型の対策だけでなく、環境保全意識の高い市民の後押しを受けて規制や制度を運用していくことが重要であり、住民参加型の取り組みが効果的である、と考えた。

開発援助における住民参加型アプローチは、従来型のトップダウン方式から参加型による住民本位のボトムアップ方式へと変遷してきた。参加型開発は、行動の中心を住民主体にし、さらに、社会的弱者である老人や女性をプロセスの中心に据えることで、最終的に住民のエンパワーメント向上に貢献する。また、外部者として参加型開発に関わる援助国側は、これまでの「教える」「導く」といった役割から、「住民とともに学ぶ」「ファシリテートする」立場へと移ることで、住民が自らを啓発し、問題解決に向けたインセンティヴ向上へ貢献するための役割へと変わってきた。

また、参加型開発は、かつての「RRA」:Rapid Rural Appraisal(速成農村調査法)の住民から知識、経験などを引き出すことを試みようとする姿勢から、地域住民を取り巻く様々な問題に自発的に取り組むことができるようなエンパワーメントを住民が身につけ、活用することで持続可能な地域づくりを進めていくことへの支援をするしくみ「PLA」:Participatory Learning and Action(参加による学習と行動)へ試行錯誤を重ねながら手法を発展させてきた。

これらを整理した上で、様々な分野で実践がなされている参加型開発において、どのような分野、目的において参加型開発がなされてきた(いる)のかを文献等からレビューし、検証してみた。その結果、傾向として、本論文のメインテーマである参加型による環境問題に対する取り組みはあまり行われてはいない、少なくとも主流ではない、ということが垣間見える結論に至った。

そのような現状把握の元、現実的に途上国において対策を定着させていくための条件を筆者は以下と提案した。
1.環境問題に関する共通理解を深めるための環境教育の充実
環境教育を充実させることにより現在、何が問題となっているかを共通に理解し、その上でどんなことから着手できるか、どんなことならば着手できるか、ということに結実していくと指摘した。
2.住民実践による経済的な見返り(収入や雇用)が実践者や実践者が居住する地区へ還元される取り組み
環境問題が途上国の人々に関心が集まらないのであるならば、環境問題への取り組みをより効果のあるものとするため、その活動や実践が多少ではあっても経済的に実践者へ恩恵として帰るものをメニューとして選択していくことも重要である、と指摘した。
環境問題単独で行っていく困難さをカバーする意味での他のイシュー(保健医療、ジェンダー、教育など)との連携により相乗効果を期待する
環境問題の解決への取り組みを単独で実践していくことよりも、「教育」「衛生」「ジェンダー」といった他のイシューと包括的に実施していくことで、相乗的な効果が期待され、より有効なのでは、と指摘した。

さらに、これらの条件を指摘した上で、途上国において、廃棄物の分別処理を主として行われている参加型による環境保全の取り組み成功事例を提案した三つの前提条件の視点を中心に考察した。これらの成功事例は、廃棄物処理対策を中心とした環境保全活動であり、本論文の主題あるところの地球温暖化防止対策へも大いなる示唆があると考え、取り上げたものである。

事例1 スリランカ・バドウィータ地区
事例2 スリランカ・ベルワダ地区
事例3 ベトナム・ホーチミンシティ
以上、三地区で実践される事例を三つの前提条件を軸に考察をした。

まず、一つ目の条件である環境教育の充実である。ベトナム・ホーチミンにおける総合的環境改善事業において、環境教育の充実がはかられ、事業の成果をあげる大きな一因となっている。ゴミ分別を子供たちが主体的に関わることに加え、自然観察などの実践を行っているなど、環境教育が多角的な視点から実践され、効果を生んでいる。

次に、二点目の経済的な見返りが実践者へ還元ができているかどうかという視点である。スリランカ国バドウィータ地区及びベトナム・ホーチミンにおける総合的環境改善事業においては、ゴミ分別活動を実践することにより、生ゴミを堆肥化したり、ビニールゴミを有価物として売却することで得た利益を地区へと還元できている。

最後に、他のイシューと包括的に実施がなされ、相乗効果を生んでいるか、という視点である。ベトナム・ホーチミンの事例においては、環境保全は主役のひとつではあるものの、その他の途上国にとって主要な課題とされる様々な問題とパッケージで実践され、それぞれが相乗効果を生んでいるといえる。さらに、彼らの活動が子供の向学心向上にも寄与し、学校からドロップアウトしていくことから防いでいるなど、別な意味での相乗効果も生んでいることは、環境問題解決と直接的関与はないものの、事業が多面的効果を生んでいることがうかがえる。

さらに、実践するコミュニティーにおけるソーシャルキャピタルの重要さや地域住民とドナーをつなぐ地元NGOの存在の重要さといった点も事例の考察から示唆を得た。
最後に、これまでの論旨をまとめた上で、最後に政府機関やNGOのプログラム立案者へ向けての提言をまとめた。
1.住民参加型による地球温暖化対策は途上国にとって重要
2.途上国における住民参加型による地球温暖化対策は新たな発想であり見直されるべき
3.筆者の提案する3つの条件の他、地域環境力や地元NGOの積極的関与による事例を地道に増やす
4.ポスト京都議定書期を待たずに住民参加型による対策を講じていくこと


筆者も途上国における住民参加型による地球温暖化対策、環境保全対策の知見や経験をさらに深めていきたいと考えている。
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法政大学大学院 環境マネジメント研究科
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